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#06
NOVEMBER 2020
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

謳う。

To the timing of each, the time that flows.

それぞれのタイミング、流れる時間へ。

 

2020年、色んなことがありましたね。

まさに、青天の霹靂ってこういう時のためにある言葉?って思いました。

澄み渡る青空に突然の雷鳴、いや青空って思ってたこと自体違うよね?ってことだと思うんですけど。

やっぱり自然からのメッセージだと、わたしは受け止めてます。

人間がやってきたことは、本当にそれで良かったのか、どこまでが自然との共存ラインなのか、改めてひとりひとりが考えてみる機会であればいいなと思いますね。

自然との対峙じゃなくて、共存。

考え方だけ変えるだけでも未来は変わってくるんじゃないかな。

今日の撮影で、波の音が聴けてよかった。

それだけでリラックスするこの感覚を信じて大事にしていきたいですよね。

わたしたちはすべて大きなものの一部なんだなーって、最近よく思います。

 

名前、変えました。

「橘いずみ」で生まれて、

そして結婚して「榊いずみ」になって、

今年になって、初めて芸名らしきものを自分につけてみました。

「和」とかいて、いずみ。

今までも「いずみさん」とか「いずみちゃん」って呼ばれているから、あまり違和感はないんですけどね。

このところ、歳取ってきて“ちゃん”付けしてくれる人も少なくなってる(笑)。

改名ですか?って大仰な感じで言われたりするんですけれど、わたしの感覚は軽く衣装替え的な感じで(笑)。

「いずみでーす」って自己紹介する時、必ず声のトーンが上がる(笑)。

ライトになるんですね。

実はこれってすごく重要なんじゃないかなーと思っていて、名字ってどこか自分がどこの誰だって宣言しているようなもので、それって少し、今の空気には重いんじゃないかなーって。

これは直感です。

どこの誰ってカテゴリーに入れなくても、自分は自分だって思っている。

今年、わたしは改めてそういう看板を上げた訳です。

2020年は、やはり予定していたライブやツアーを軒並み延期にしてしまいました。

やっぱり来てくださる皆さんの健康を害したりするのは忍びなかったし、世の中が奨励するライブのやり方に納得いかないのもありました。

お客さんが声も出せない、歌も歌えない、ソーシャルディスタンスを取りながら歌を聴くことに没頭することなんて出来ない、これがわたしがライブをやる意味がないと感じた一番の理由です。

もちろん他のミュージシャンの皆さんと同じで、ギリギリまで悩みました。

ここを振り切って開催することが革命になるんじゃないか、とかね、色んなことを考えた。

もちろん、わたしは歌を歌ってお金を稼いでいるので、ライブがなくなることのインカム問題も大きい。

本当に悩んだ。

世の中の人たちがライブを敵視する感じにも心が傷つきました。

なにより一番全国のライブハウス関係のみなさんが大変ですよね。

維持費がね、かかっちゃうから。

クラウドファンディングにコメントを寄せたりして、出来ることをやりましたけど、来年以降どうなるかな?みんな音楽界は新しい道を必死で模索してます。

でも大変なことばかりじゃなくて、東京がロックダウンした時に、Instagramを使ってライブ配信をしたんです。

週に2〜3回、夜の9時半から。

それはね、衝動だったんですよね、愛の衝動。

みんな大変だろうなー、お家生活に飽きないように私歌うよーって。

こういう時に世の中に対して自分が出来ることって、やっぱり歌を歌うことだったんですね。

出来ることと求められていることが一致してるって、シンプルなんだけど自分のこの世の役目が分かった!ピカーン!みたいな腑に落ちる感覚がありました。

「仕事」って言葉、取りようによってはクールな言葉なんだけど、わたしの仕事はこれだって誇りを持って思えたんです。それはとても大きな出来事でした。

インスタライブではわたしの曲やカバー曲(菅田将暉くんやあいみょんちゃん、エレカシや民生さんなど)50曲ほど弾き語りだけで歌って、そのことも大きな自信になりましたね。

 

 

2006年に結婚してから、主人の榊英雄が監督をする映画やドラマの作品に、縁あってサウンドトラックを作るという機会が増えたんです。

わたしは意外なんだけど、プロとしてCDをリリースするまでは、言葉よりもメロディーの方が興味があった。

いつもわたしの音楽は言葉が印象的って言われることが多かったんですよね。

でも実は音のほうが俄然楽に作れる。

サウンドトラックを作ることで、また音のほうにぐっと引き寄せられてる感じがありますね。

谷川俊太郎さんの言葉とか、無限の可能性を感じたりしますけど、わたしはそこまでスキルがないというか、まだまだというか。

一生かけて言葉の可能性も追いかけていきたいです、ほらちょっと求道的になっちゃう。

音はもっと遊ぶ感じ。

先日ね、京都まで中1と小3の娘を連れて、車を走らせて楽器を作りに行ったんです。

ソウルサウンドライアーっていう、シュタイナー的な竪琴なんですけど、ちょっと鳴らすだけで場が変わる音。

初めて聴いた時、ちょっとびっくりしちゃって。

この楽器欲しい!え?自分で作れるの?って、2週間後には京都に(笑)。

432hzっていう自然界にある音の周波数帯にチューニングされているんです。

だから聴いていると木漏れ日の下にいるような、海の中のキラキラした光を見ているような幸福感がある。

音でマインドや体をチューニング出来るってすごいなぁと思って、他にもチューニング効果のありそうな楽器をあれこれ試してます。

でもこういうことも、この時期に時間がたくさんあって立ち止まらなければ気づかなかったことですよね。

もっと思えば、もっと以前からここに繋がる布石がたくさんあって、全部が今ここに繋がってるんだなぁって、この前お茶をすすりながらじんわり思ったことがありました(笑)。

なにひとつ突発的なことはないっていうか。

 

 

配信ライブを初めてやります。

映像のこととか、色々新しい要素がいっぱいあって、頭を少しづつクルクル刷新させながら組み立ててます。

その場で歌うということは変わらないけど、新しいメディアを使っていくってことはワクワクしますね。

直接リスナーのみなさんには会えないけれど、新しい試みとして、自分の好きなスペースで好きな人たちと臨場感のあるライブを聴いてほしいです。

 

そうそう、木ノ下さんとカメラマン藤牧さんとは14年前の「Family Tree」というアルバムのアートワークをお願いしたんです。

その時も、榊いずみという名前でこれから始めようという時期だったんですよね。

「そこにいるだけでミュージシャンて違うなぁ」って14年前も今回も木ノ下さんにぼそっと言ってもらえて、その言葉がその時々のメンタリティーとぴったり合って、あぁこれから10年もまた頑張れそうだなってすごく思えた。

うまく言えてるかどうか分からないけど、そんなさりげない言葉のような歌を人に歌っていけたらなぁと思ってます。

また新しい場所へ歩いて行こうって思えるような。

シンガー・ソングライター  和 -Izumi-

11.1 2020

Izumi

text  -  Izumi

photoprahs - Tetsuya Fujimaki

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singer and songwriter

IZUMI

橘いずみとして、1992 年「君なら大丈夫だよ」でソニーレコードからデビュー。

独特の言語感覚と世界観を持つシンガーソングライターとして「失格」「永遠のパズル」「バニラ」「サルの歌」などの大ヒット曲を生み出す。

2006 年、結婚を機に、榊いずみに改名。

そして、2020 年、アーティスト名を「和 (いずみ)」にする。

映画やドラマのサウンドトラックなども手がけ、

NHK みんなのうた「うどんパン」でキッズたちを魅了するなど

カテゴリーにはまらない才能を発揮、ますます活躍が期待されている。

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橘いずみ時代のマスターピース「失格」がアナログ 7inch で発売します!ジャケットには、和による書も!

タイトル:失格/太陽 アーティスト:橘いずみ
発売⽇(発送開始⽇):2020 年 12 ⽉ 7 ⽇(⽉)
品番:DQKL-7120 仕様:7inch/45RPM
価格:¥1,900 +税
収録曲:Side-A「失格(作詞・作曲:橘いずみ 編曲:星 勝)」

              Side-B「太陽(作詞・作曲:橘いずみ 編曲:橘いずみ、須藤 晃)」

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

謳う。

to follow with the tide, for now

委ねてみる、、今。

20代、私は心底焦っていた。

自分が何者で、何の目的を持って生まれてきたのか、どう生きていけばよいか分からなかった。

短大卒業後、企業に就職、1年以内で退社し、そこから、思いついたことを片っ端からやってみた。

オーストラリア語学留学、ハワイに住んだり、アジアを巡り、土着的暮らしを目指し父島に移住。

でも結局何一つ続かなかった。

それから数年後、スーツケース一つで、救世軍の女性寮から始まったNYでの7年半。

いつのまにか、白髪やシワが増えていた。

そんなことにも気づかないほど、突っ走りガムシャラだった。

そこで、出会ったのが現代アート。

現代アートの仕事、あれから、かれこれ15年以上、今なお、ここ東京で続けている。

 

「何かの架け橋」になりたいという、微かな蝋燭の炎のような明かりだけを頼りに、NYに旅立った。

その何かは分からず、人との出会いや見えない力に導かれるように現代アートの道に進んでいた。

チェルシー街のギャラリーで、アシスタントディレクターとして、勤務し、アートバブルから、2008年のバブル崩壊までを目撃する事になった。

そして、今、アートコーディネーターとして、世界と日本のアートを繋げる架け橋を担っている。

国境を越え、人と人、そして、人とアートを繋げること、それが今の私の仕事だ。

「世界中の人に会いたい。」

子供の頃抱いた夢。

そして、「架け橋になる。」という希望。

気づけば、「夢」と「希望」が叶っているではないか。

だから、やっと今少し、ほっとしている自分がいる。

自分が何者かなんてのは、いまだに分からない。

それでも、何らかの役目がある、それだけで今は十分なんだと、そう自分に言い聞かせて。

 

それにしても、「なんで現代アートだったんだろう?」。。時々ふと思うのだ。

 

「現代アートは難しいから。。」って日本ではよく聞くけれど、難しいことなんてない。

いつの時代もアートは、過去や伝統、古い慣習に疑問を持ち、思想や手法を覆しながらずっと進化してきた。

だから、実は、アートってルネサンス、いや、もっと前から、一つの線で、文脈が繋がっている。

ピカソや、モネが活躍していた頃、彼らが現代アートのアーティストで、彼らが彼らの「現代」を表現していただけ。

そのモネやピカソの作り出したアートを否定し、次世代がまた、概念を壊し、そうやって進化し続け、脈々と続く歴史の一線。

そして、その彼らの現代アートを今の私たちが愛でることできるのは、彼らの時代と私たちの時代の間に、彼らを支えてきたパトロンや、文化人が存在していたから。

 

つまり、今私たちが生きている、まさにこの時代、社会情勢を表しているのが現代アート。

そして新しい考え方、新しい思考、新しい手法、今の現代社会への提言をビジュアルで伝えてくれる。

「なるほど。」とか、「そういう見方もあるね。」とか、「これは新しい!」とか。

言葉では伝わらない、もしくは、言葉以上に何かを伝える強さも持ち、でも、見る側には、解釈の自由が与えられている。

アートに携わる人々は「今」を生き、みんな社会の動向に対して真剣だ。

そんなところが私は好きだ。

そして、一つのアートを愛でる舞台では、国境を超え、性別を超え、年齢を超え、社会的地位を超え、垣根を超えみんなが平等になれる。

さらには、アーティストはアーティストの、パトロンはパトロンの、コレクターはコレクターの、ギャラリーはギャラリーの、美術館は美術館のそれぞれのお役目を全うすることで、今の私たちの現代アートを未来の世代に残すことが可能になる。

そうやってみんなで「今」を生きた証として「時代」を紡いで繋げていく。

素晴らしいではないか! 

現代アートがきっかけに、人生観が変わる事だってあって、実際そういう人々を日本で目撃している。

私の紹介した現代アートの世界で、誰かが少しでも幸せになってくれたら、それが私の糧となる。

だから、ここにいるのは、必然だったのかもしれない。

 

けれど、今年、世界の景色が変わってしまった。

1月下旬、スイス・バーゼルで、毎年恒例の各国のArt Basel VIPレップが集まるコンファレンス、そこで議題にあがっていたのは、コロナではなく、香港のデモの話。

3月のArt Basel 香港は、開催すべきか否かだった。

それが、あれよあれよという間に、新型コロナウィルスが世界中に広まり、Art Basel 含め、ほぼ全ての国際的アートイベントがキャンセル。

私のルーティーンだった海外出張も全滅したし、海外からの来訪者もゼロだ。

アート業界は、オンラインプラットフォームと、ローカル活動に限定して操業している。

みんなが今までと全く違う景色をみているのだ。

誰がこんなことを想像しただろう。

この先のことはまだ、誰にも分からない。

完全なる未知の世界。

でもこういう時こそ、立ち向かっていけるのが、アーティストなのではと思う。

これから、どう、アートが、アーティストがこの「今」と向き合い、作品、制作活動に変換していくのか、これから、それを目撃するのは、とても楽しみだ。

 

そして、私は今真鶴と東京で暮らしている。

今までは、引っ越したいと思った時に引っ越したいからと、できるだけ物を持たず、暮らしていた。

常に動いていたかったし、常に意識が外に向いていた。

それが数年前、生まれて初めて、自分の居場所を見つけ、根を張りたいと思えた。

動き続けることにもう、疲れてしまったのだ。

海のそばに、暮らす。

そういえば、それも、私の一つの夢だった。

 

ここにはまだ半分しか根を張ってない。

ここから、何が生まれるのか、まだ分からない。

後から気づくのが、私のパターンのようだし、自分の心のちょっとしたお喋りに、耳を傾けていくうち、結果は後でついてきた。

 

今、緩い時間が流れている。

都市封鎖の頃、地球は確実に喜んでいた。

ふと夕陽を見ながら思う。

みんなが急ぎすぎていたのかもしれない。

みんなが外に求めすぎていたのかもしれない。

今となれば、あの喧騒こそ、不自然だったのかもしれないし、あの喧騒が遠い昔のように感じる自分もいる。

海の音を聴きながら、風を感じながら、鳥のお喋りを聴きながら、土を弄りながら、夕陽を愛でながら、今、静かに幸せを感じている。

次はなんだろう、どんな世界が待っているのだろうって。

不安はもちろんあるけれど、ワクワクもしている。

 

今はこのひと時のゆるやかな時間に自分をただ託そうと、また、もしかして新たな冒険が始まるのやもしれぬから。

plugin +代表 / Art Basel VIP レプレゼンタティブ日本   武田菜種

11.1 2020

Natane Takeda
 

text and photographs -  Natane Takeda

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plugin + 代表 / Art Basel VIP レプレゼンタティブ日本

武田菜種

 Natane Takeda

東京生まれ。オーストラリア、ハワイ、父島等に点々と移住。

2002年、NYに移りThe New School Universityでアートヒストリーを学ぶ。チェルシーにあるイタリア系コンテポラリーギャラリー、エッソギャラリーに、アシスタントディレクターとして勤務。

自身も、ギャラリー内外にて若手日本人作家を紹介する展覧会を手がけ、又、アートの他、

音楽関係イベントなどの運営のサポートや、DJとしても活動。

 

2010年、東京にてアートコーディネーション・コンサルタント業務を軸にplugin +を立ち上げる。

2012年よりArt Basel•VIP Representative 日本を兼任。

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#05
OCTOBER 2020
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

憶う。

A view of the future after

1,000 years

山崎美弥子 interview

 

 

 

 

Q、アートの世界に進もうと思ったきっかけは?  

 

物心ついた頃から、絵を描いていました。

身の回りにある紙切れや鉛筆など何でも使っていつも描いていました。

誰かに言われたわけでもないのに、幼い頃から、自分が描いたものには価値があり、いつか多くの人々が求めるものになるので、たとえしくじってもゴミ箱に捨ててはいけないという、可笑しな思いがありました。

でも、大真面目だったのです。

最近気がついたのですが、わたしは過去生においても絵描きであったことがあるようです。

ですから、絵描きである自分というものを幼い頃から魂が覚えていたのでしょう。

小学生の時は、宿題で描いた絵を持って登校すると、先生に「大人に代わりに描いてもらったんだろう。」と言って叱られました。

現在の作風ではわからないかもしれませんが、絵を上手く描くことが生まれつき得意だったのです。

当然ですよね。

過去生にプロの絵描きのキャリアがあったのだとしたら。 笑。

わたしにとっては、絵を描くということが好きであるという以上に、一番楽に表現が出来る方法だったので、その道をそのまま歩いただけなのです。

美大を卒業し、絵を描いて生きていくことをごく自然に決めました。

でも、どうすれば実際にそれができるのかは見当もつかなかったので、とにかくあてずっぽうに、作品を持って仕事をくださいと歩きまわりました。

そして、最初にいただいたオファーが、書籍の表紙の絵を描くことだったのです。

以来、イラストレーターと呼ばれるようになり、人々が望むものを何でも描いて、満足してもらえることに喜びを見出していました。

ところが二十代の後半に、これからは描きたいものだけを描こうという直感に従い、そのようにすると急に現代美術作家(アーティスト)と呼ばれるようになったというわけなのです。   

  

Q. アーティストの道を決めた時、どんな将来を想像していましたか? それは実現していますか?  

  

本当の自分が誰なのかを、いまだしっかり思い出せなかった若い頃に思い描いた未来は、資本主義社会が作りあげた価値観の中で、世界的に評価され、その価値体系の中で一流とされる、例えばニューヨークの画廊で作品が販売され、オープニングレセプションでは高級ブランドの香水をまとい、華やかにシャンパンを飲んだりすることでした。

それは実現していません。

でも、それがたとえ実現していたとしても、それはわたしの魂が本当に求めるものではなかったということを、現在のわたしは知っています。

その当時のわたしには、想像さえできなかった美しい未来を今、アーティストとして生き、リアリティとして体験しています。  

世界のラグジュアリーホテルよりも素晴らしい、ここちよさの中にいつも自分を置いています。

  

Q. なぜ、ハワイの離島へ移住したのですか? 東京で暮らしていた時との気持ちの変化は? 

  

決めて移住したのではありません。

東京のコンクリートに囲まれて生まれ育ったわたしですが、自分の感覚に嘘をつかず、真実を求めながらも、 流れに身を委ねて生きていました。

同時に自分が知らぬ間に組み込まれた不自然な現代都市社会へ疑問を感じ、いつもそこから向け出せる扉を見つけたいと心の奥で祈っていました。

やがて夫に出会い、気づくと、太平洋で船上生活を始め、四六時中、海と空だけを見つめる日々を送るようになっていたのです。

遂に探していた扉を見つけたと感じました。

そして、この小さな島にたどり着いて住まうことに。 

…思いもしないかたちで、祈りというものは叶うものなのです。

 

船を降り、島に上陸してからは二人の娘を授かり、最初の十数年間は、かつてサンダルウッドの森だったという丘に夫が建てた家で暮らしました。

そして、今から三年前にその家を後にし、現在は、海と空を見渡せる131番地の家で生活しています。

この家には「131番地の天国」というテーマ曲があるのです。

これは、わたしが愛する、それは美しいウクレレのインストゥルメンタル・ナンバー。

かつてこの家で暮らしていたことがある、島生まれのハワイアンミュージシャンが、この家にインスパイヤされ、作曲したナンバーなのです。

自分が愛した曲の、その家のオーナーになるなんて、誰が想像できるでしょうか? 

住み始めてしばらくは、その事実に気がついてさえいませんでした。

なんという祝福。人生は奇跡に満ちています。

 

横たわる水平線。

夜明けの光が山の輪郭から天に突きさすよりも早く、夫が挽いた新鮮なオーガニックコーヒーの幸福な香りに目覚め、 馬や犬、あひるなどの動物たちの世話をします。

それからこの131番地にわたしたちが植えた草花や木々に水を与え、雑草を抜いたり鉢を植え変えたり。

それらをすべて終えてから、ようやくわたしはアトリエでカンバスの前に座ります。

一日の終わりには、まるで映画のクライマックスのようなサンセットを背景にした家族四人のディナーテーブル。

ベッドに滑り込む前には、ガーデンに設置したキャストアイロンのバスタブで、満天の星たちに見つめられながら、ゆったりと一日をふりかえるのです。 

 

隣接した住居の灰色の壁が、窓枠からはみ出す四角い東京の部屋で暮らしていた頃のわたしは、一日中、プレイヤーからの音楽を、絶やさずにはいられませんでした。

幸福感が自然と湧き上がってくるような環境に自分を置いていないという事実を忘れようとするためでした。

でも、この島に暮らして、音楽をかける習慣はなくなりました。

なぜなら、山々から渡ってくる風の歌声、小鳥のさえずり、馬のいななき、海から届く、さざ波のささやき。

そんな音たちに囲まれながら毎日をおくっているからです。 

あれほど愛したお気に入りの曲、「131番地の天国」でさえ、もう、スピーカーから流れて来ることがありません。

その曲の世界の中に、今、わたしたちはこうして生きているから。  

そうです。

わたしたち自身が音楽そのものになってしまったから。

Miyako Yamazaki

10.3 2020

artist   山崎美弥子

1000年後の未来の風景

 
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Champagne Gold Loves Light Blue
New Day
Color of Grass
Light
Painting of Ocean
Moon Above Island

Q.  人生の中で、忘れられない出来事はありましたか?  

 

…もちろん。

でも、それについてここで手短に語らせていただくよりも、10月10日にリトルモアから発売の新刊「モロカイ島の日々〜サンダルウッドの丘の家より〜/山崎美弥子 文・絵」をぜひとも読んでいただきたいです。

 

Q.その新刊について少し教えてください。

 

そうですね…。

2011年、大震災が起きて、日本の人々の胸がざわつき、苦しみ、悲しみ、迷い…、様々なこころの体験をしていた時のことでした。

天界からの声を聞くことができる友人から、不意にメッセージが伝えられたのです。

「待っている人々がいる。本を書いてください」と。

その言葉に急き立てられるようにわたしは書き始めました。

それから一年余りでわたしは本を書き上げることができましたが、その後、書かれたものが実際の本になる機会はなく、九年間ものあいだ静かに眠っていたのです。

ところが、昨年の初め、日本から、二人の女性が島まで訪れ、わたしの描いた海と空の絵をお求めになって帰っていかれました。

のちに彼女たちがわたしの書いたものを本にしたいと、動きはじめたのです。

当初、二人からクラウドファンディングによる出版を提案されましたが、わたしはお断りしました。

クラウドファンディングというものの性質上、もしかしたら、助けてくださろうということで、本を読みたいとは思っていない方々からも資金援助をいただくことになってしまうかもしれない。

そのことに不自然さを感じたからでした。

もちろんそう感じたのは、この本についてのみであり、クラウドファンディング自体は素晴らしいものです。

でも、天界からのメッセージにうながされるように書いたもの。

本当にそれがかたちになる必要があるのなら、おのずと道が開かれるはず…

そんな気持ちがあったわたしは、この本づくりは、あくまでもみずから望んでくださる出版社やスポンサーが現れたらにしたい…と、二人に伝えたのでした。

その後、二人は出版の実現に苦戦します。

でも、2020年、今年の三月、「作りましょう」という出版社が突然に現れたのです。

それはちょうど、世界の国々で日常の変化を強いられはじめ、日本の人々の胸が再びざわつきはじめた頃でした。

…こうして出版のプロセスがスタートした直後、二人の女性のうちの一人が、思いもかけず天に召されてしまったのです。

なんということなのでしょう。

あまりにも驚いて、そのことをどう受けとめればよいのか…。

わたしは、ずっとこたえを探しています。

今というタイミングで、世の中へこの本を送り出すことができる。

…彼女がいたからこそ、この本が出版されることになった事実だけは間違えありません。

…彼女は天使だった…とさえ感じてしまうわたしは不謹慎でしょうか?

そうであるなら、本当にごめんなさい。

でも、魂は肉体の死によって終わりはしない。

ふと、彼女がわたしのそばにいるように感じることがあります。

それは、あたたかくふんわりとした感覚。やさしいミストのように。

 

Q. 絵を描く上で心がけていることはありますか? 

  

作為のないこどものように描くことです。

意識はわたしの中に在る1000年後の未来の風景にフォーカスします。

もしも描いている時に様々な「思考」が浮かんできたら、 絵筆をとめます。

あるいはそれでも描くことをやめなかった場合、その「思考」と、絵を描くという行為をわたしは完全に切り離します。

それはおそらく、臨死体験をしたという人々が、自分の肉体を、魂である自分が空中から眺めたというようなエピソードを読んだり聞いたりしたことがあるかもしれませんが、そのように切り離された感じです。

思考する自分と、絵を描く自分が同時に存在しています。

思考していない方のわたしが描いているのです。

そのようにすることによって、「思考」をカンバスにはのせないようにしています。

なぜそうするかというと、わたしたちの日常にはあらゆる「思考=思い」がすでにあふれかえっているから。

「思い」というものほど、時に邪魔になるものはなく、この世界にもう一つそんなものを増やす必要は無いからなのです。

すなわち、「思い」のこもった絵を描きたくもなければ、わたしは見たくもないのです。

わたしたちが求めているのは「思い=思考」ではなく、真理だから。

今、わたしの目前に広がる海と空に、思いがあるでしょうか。

風景はただ、絶対的に存在しているだけ。

たとえ風景というものに、魂が宿っていたとしても、そこに「思考」はありません。  

そして、それは、…真理ですよね。 

  

Q.  絵を描く時のコンセプトや、インスピレーションは?  

  

わたしは、眩い1000年後の未来の風景を描いています。

こどもたちや、こどものこころを持った大人たちへの道しるべとなるように。

では、1000年後の未来とは、一体どんなところなのでしょう。

それは、無条件にすべての存在が受容される世界…。

海と空を絵描くときも、花を絵描く時も、いつもわたしがこどもの頃に一度だけ神様に見せてもらったことのある、1000年後の風景の真ん中にわたしは立つようにしています。

四角いカンバスは時空を超えた窓。その先に広がる世界は、1000年後の未来であると同時に、もしかしたら1000年前の過去であるかもしれません。

そして、たった今の、この瞬間でもあるのです。

カンバスの、窓枠のような四角の向こうに、視線を投げれば、そこには、一切の条件も無く、わたしやあなたを、どんな時も受け入てくれる世界が果てもなく広がっているのです。  

  

Q.  実際の風景、特定の場面などを切り取って描いているのでしょうか?  

    

実は、こどもの頃に神様に見せてもらった1000年後の風景には、色や形はありませんでした。

それは無色無形の一元の世界だったのです。 

…それでもあえて、かたちあるわたしたちのこの世界でそれを表現しようとした時、このような色彩が生まれたのです。

そして同時に、その色たちは、この島の海と空が創り出す無限に移り変わるグラデーションに、そして海沿いで、可憐に咲く花々が放つフレグランスの彩りに、それはよく似ているのです。

そうです。

この島の風景は、あの愛おしく懐かしい未来の風景に似ているのです。

この地球上で、出会うことができるかどうかはわからなかった、1000年後の未来の風景。

それをもう一度、この目で実際に見つめることを、ずっと追い求めていたからこそ、きっとわたしは、その風景によく似た面影を持つ、この島に辿り着いたのかもしれません。

 

Q.  壁にぶつかった時は?

    

壁に直面した時…。

まずは、勿論苦しみます。

苦しむ、かっこう悪い自分というものを許して。

信頼する人に自分をゆだねて話を聞いてもらい、 たとえば二日間は存分泣いたり悩んだりするのです。

でも、そのあとはとにかく、なんでもいいから何かを、始めるようにしてきました。

そして、どうにかなるという自信を持つのです。

その自信に根拠はいリません。

壁が大きければ大きいほど、それを乗り越えたあとに広がる風景が美しく見えるという人生の真実を、大人になった私はもう知っています。

ですから、苦しみながら、どこかでもう一人の自分がワクワクしていることさえあるのです。

乗り越えられない壁はないのでしょう。

自分が乗り越えると決心してしまえさえすれば。 

でも、あきらめようとしたことだってあります。

そんな時には神様から叱咤されるのです。

だからもう一度決心するしかないのです。 

そして、苦しむ時に、励ましてくれる人たちがいる。

そのおかげで乗り越えることができた。

そのことをいつも思い出しています。

Q. 絵が描けなくなるときもありますか? 

 

筆が進まなくなることはありません。

「自分が描いている」という気持ちもありません。

でも、万が一何かが上手くいかないことがある場合、例えば、この島には画材を買える店はありませんから、絵の具がもうなくなってしまったとか、カンバスもないとか、そんなことはあります。

でもそれでも 頑張ってどうにかしようとせず、そのままにします。

急いで解決する必要はありません。

上手くいかないことは、その時にはできなくてもいいことだと思っています。

必要があれば自ずと問題は解決していくんです。 

  

Q. これからどのように生きていきたいと考えていますか?  

  

…今、そして今からの世界では、過去には想像もできなかったようなことが起きて来るかもしれないと…そう、感じています。

必ずしもネガティブなことを言っているのではありません。

いずれにせよ大切なのは、自分の力で、目の前で起きている現象を理解するということ。

頭で理解するだけでなく、魂の奥から悟るような感覚。

誰かから聞いたことをただ信じるのではなく…。

そんなふうになれるために、日頃から自分のこころに耳をすますことをわたしは大切にしています。

そして自然を感じることを大切にしてきました。

これからも。

そして、意識すること…。

祈ること。

…祈りとは思いもかけないかたちで届き、叶うものなのですから。

Q. 最後に読者に伝えたいことは?  

 

…もしも今、生きるために必要なものはすべて、すでに十分与えられているとしたら、これからも与えられ続けるとしたら、あなたはどうしますか? 何をしたいですか? 

…思い切って今日、それをやってみてください。

できる方法を見つけるのです。

 

 …わたし、ですか?

…カンバスに描くことでしょう

…あの懐かしい1000年後の未来の風景を…。

そうです、今日も。

 

text and photographs -  Miyako Yamazaki

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12
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2
Painting of Ocean
Painting of Ocean and Sky
Painting of Flowers
Paintings of Ocean and Sky
Paint Brush
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アーティスト

山崎美弥子

Miyako Yamazaki

1969年東京生まれ。
多摩美術大学卒業後、東京を拠点にアーティストとして活動。
一転し、2004年より船上生活を始める。のち、ハワイ・モロカイ島のサンダルウッドの丘に家を建てる。
現在は東に数マイル移動し、「島の天国131番地」と呼ぶその家で、心理学者の夫と二人の娘、馬や犬たちと、海と空や花を絵描きながら暮らしている。

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エッセイ『モロカイ島の日々――サンダルウッドの丘の家より』

ハワイ諸島のなかでも、もっとも古い記憶をとどめる島、モロカイ。
導かれるように彼の地に渡り、島をつつむ色彩を見つめ描きつづける画家の、心の旅。
生まれ育った東京での暮らしにふと空白を感じ、渡ったハワイ。
パートナーと出会い、船上生活を経て自らの手で建てた家で2人の娘を育て過ごした10年間――。
個展では120点もの作品が完売しやわらかな文章にも支持が集まる大人気アーティストが綴る、日々の記録。
息苦しい今こそ、あなたの心に届けたい。
海、空、星、そして大地――ハワイの風に包まれる、奇跡と祝福に満ちた7章のエッセイ。

 

10/10発売 アマゾン先行予約受付中

モロカイ島の日々 サンダルウッドの丘の家より

山崎美弥子・文と絵

Little More刊

 

この本の印税はすべて、モロカイ島の、環境、教育、健康、ハワイ文化などの保護&維持活動にたずさわる団体や個人への寄付とさせていただきます。

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

憶う。

Living calmly in a frustrating world

私は今なぜかロンドンに住んでいる。
それは、10年前、2年前でさえ想像もしていなかったのに、もうすぐ1年になる。

それまでの10年は、自分の好きなことを仕事にするため、全速力で走り続けてきたので、ロンドンでは少しだけのんびりと丁寧に暮らしたい、自分の気持ちのままにゆるやかに過ごしてみたい、そう思っていた。


コロナ以前に、海外に暮らすという選択をした私は、働き方や仕事の体制を大きく変えることになったけれど、2、3ヶ月に一度日本に帰ればいい、と当初は案外軽く考えていた。


というのも、ロンドンに来る前の1年半は、東京に住みながら2、3ヶ月に一度NYへ行き2週間過ごす、という暮らしをしていたこともあって、その逆パターンで過ごせばいいだろう、となんとなく生活自体が想像できたからだ。

「東京に住みながら2、3ヶ月に一度NYへ行き2週間過ごす」
文章にしてみると、なんとなくかっこいいけれど、まともに歩けなくなった19歳の愛猫の介護をしながら、仕事も詰め込み、東京―NY間を行き来する日々は、正直かなり体に負担がかかった。


日本に仕事を残しながらロンドンに来ることを決断できたのは、大きめの事故に巻き込まれ、人に裏切られ、病気が発覚し、愛猫が天国に旅立った、そんな人生最悪ともいえるようなタイミングが重なって、少しのんびりしたら?と誰かに言われているような、自分を癒したい、そんな気持ちがあったことも深く関係していると思う。
 

日本で学生生活を終えてから、自分の意思でアメリカに6年住んでいた経験もあって、再び住むことになるとは想像もしていなかったけれど、海外に住むこと自体には抵抗はなかったし、新しい生活に心躍るというよりも安心感を覚えた。

それは、環境が変わると気分が変わるというような「リセット」の感覚に近い。


「物理的に100km移動すると、物事からも精神的にも開放される」とことを聞いたことがあるけれど、まさに、そんな感覚。
 

東京―NYを行き来していた時も、ロンドン―東京を往復する時も感じるのは、自分の周りの空気の流れが変わるということ。
どこか新しくなぜか懐かしい香りのフレグランススプレーをシューッと吹きかけられて、自分の体の周りを勝手に一周しているような変わり方をする風のような空気。

 

コロナ後も旅する理由を考えてみたら、つきつめてみれば同じなのかもしれない。
旅しよう!と思って旅に出るわけではなく、行きたいと感じたところに行く。
そこでは、どんな人と出逢えるのか、どんな風が吹いているのか、そこに行くことで自分の周りの空気がどう変わるのかが知りたい。

ロンドンで気持ちのままにおだやかに暮らしていたら、コロナがやってきた。

アジア系というだけで暴行されるかもしれないから外出は控えるように言われはじめ、少しずつヨーロッパで拡大。
イタリア、フランスがロックダウン、日本へのヨーロッパからの入国は2週間の自宅待機措置がとられるようになって、予定していた一時帰国も延期。
同時に駐在員とその家族には、帰国希望調査が行われ翌日までの決断を迫られる。
金融機関勤務の夫は、リーマンショック以上の状況下により激務で毎日ぐったりしている、私の日本の仕事も変更ばかり、もし感染した場合、外国人は病院で診てもらえるのだろうか?
この後の世界はどうなってしまうんだろう・・・


日々変わる状況に怯え、不安に押し潰されそうになりながら、イギリスもロックダウンされると噂されるようになり、突然迎えたロックダウン。
いざロックダウンすると、できることは限られているため案外すんなりと気持ちは落ち着いていった。


その後、日本で緊急事態宣言がなされると、今度は日本が一気に不安という波に飲み込まれるように空気が変わったようだった。イギリスのニュースが日本で流れれば、心配の声も沢山いただいたけれど、海外にいるというだけで安全な避難場所にいるようにとらえる人もいるのか、不安や苛立ちを向けられたり、浴びせられたりすることもあった。


なんて悲しい世界なんだろう。

私はそんな世界にいたくない。
何かに縛られたり、自由を制限されたりすることは窮屈だし、もどかしい。

でも今は、この「もどかしい世界の中での精一杯を楽しむ」ことが自分を癒すことになるのではないか?と考えるようになった。

ヨーロッパは国によって地域によって規制は違うが、少しずつ動けるようになった。
行けるところには行ってみよう。
自分の目で見て体で感じられるものに触れてみたい。
それによって、旅することができない人たちにも
新しい風を届けられるかもしれない。
もちろん、規制を守りながら行ける範囲で。

私はロンドンに暮らしながら、北海道から沖縄まで「ファッションやビューティーが好き」という気持ちを持った20代から60代の向上心溢れる女性に囲まれ、育成に携わっている。

一人一人、人生最高な瞬間も人生最悪な出来事もある。
離れていることで、もどかしさを感じることもある。
 

それでも、寝ても覚めても頭から離れない好きなことを仕事にできて私は幸運だと思うし、リセットもリフレッシュも自分でできる。
 

人は誰でも自らを活かすことができると信じているから、もどかしい世界でも心はおだやかにフラットでありたい。
そして精一杯を楽しみたい。

 


 

もどかしい世界でおだやかに

image consultant   工藤亮子

10.3 2020

Ryoko Kudo

text and photographs -  Ryoko Kudo

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イメージコンサルタント

工藤亮子

Ryoko Kudo

イメージコンサルタントとして独立起業して11年目。
NYのFashion Institute of Technology (FIT) イメージコンサルティングコースでの専門的な学びを活かし、独自のコンサルティングスタイルを確立。
“似合う”を提案するだけでなく、本質、強み、ライフスタイルまで多角的に分析し、“人生が豊かになる装い”を導き出し、経営者、芸能人、文化人、エグゼクティブのイメージ戦略、自分らしく生きたい女性の魅せ方まで、幅広く支援している。
東京―NY間の二拠点生活を経て、現在はロンドン在住でありながら、イメージコンサルタント、パーソナルスタイリストの育成にも注力し、業界トップクラスの門下生を多数輩出。一人一人の強みや個性を引き出すこと、そして装いやビジネスにその人らしさを反映させることを得意とする。
協会、NPO法人などのブランディング、省庁のHPコーディネート、行政、大学でのイメージアップ講義、スタイリスト向けの教材開発、日本橋三越本店、銀座三越でのトークショー、スタイリングイベントなども行っている。NHKあさイチをはじめ、メディア出演掲載実績も多数。

一般社団法人イメージプロデュース協会 代表理事
銀座イメージコンサルタント プロ養成アカデミー 代表

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