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#32
August  2023
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PEOPLE

#48

STAY SALTY ...... people here

The Ocean and

Books

海と本

海と本 店主

鎌田啓佑

8.5 2023

「なんで本屋を始めたの?」と聞かれると、いつも何から話し始めたら良いか迷う。
自分自身もはっきりとした答えを持ち合わせていないというのが正直なところなのかもしれない。
本屋というものに元々憧れはあって、いつかやってみたいという気持ちは漠然とあった。
ただ、覚悟が定まったのは、やはり他界した弟の存在が大きいと思う。

Keisuke Kamata
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僕ら兄弟は、年子ということもあり、兄・弟というよりは、小さい頃からお互いを意識し合うライバルに近い関係だった。
遊びに喧嘩にと、何かと競い合ったが、特にファミコンは弟の得意分野で、こちらは悔しい思いをした記憶しかない。
最初は年長である僕に分があり、負けると大泣きをする。

すると、しぶとく練習を重ねて、最終的には僕が負かされてしまう。

子供ながらにしつこさには驚かされた。

負けん気と集中力は勝てる気がしなかった。
 
僕よりも遥かに勉強ができた弟は慶応大学のSFCで学び、卒業後は兼ねてから憧れていた庭師になる。
古川三盛さんという作庭家の元で8年の修行を積んだ後、「庭づくり かま田」の屋号で独立。
主に奈良・京都周辺の私邸や店舗、寺院等の庭の設計・手入れなどをしていた。
癌に倒れるのは独立して5年後の36歳の時。

半年の闘病の後、一足先にこの世を去ることになった。

住むところにこだわらない人間で、卒業してしばらくは、風呂がベランダについているという珍しい作り(風呂なしのアパートに無理やり風呂をつけたため)の、控えめに言っても幽霊屋敷のようなオンボロアパートに住んでいた。
 
庭師として独立してからも、古い木造アパートにひとり住まい。
ただ、部屋はきちんと整理され、食器や衣服には彼なりのこだわりがあった。
素朴で質素だが、美徳に溢れる暮らしだった。

 

弟の死後、部屋の片付けを終えて、最後に残ったのは本棚だった。
そこには子どもの頃に読んだ手塚治虫などのマンガから、庭師になってから学んだであろうアントニン・レーモンド、磯崎新などの建築の本、彼が大好きだった保坂和志、勇気づけられたであろう岡本太郎、少し背伸びをして読んだはずの小林秀雄など、ほぼ一生分の本が並んでいた。
その一冊一冊から、育んできた彼らしさのようなものを感じ、僕には何だか本棚が弟そのものように見えてきた。
結局、本は一冊も捨てることができず、弟の一番仲が良く公私共にお世話になっていた庭師仲間の一人が丸ごと引き取ってくれることとなった。
 
本棚を見て、生き方そのもので大きく負け越してるなあという思い。

本というものの人生における影響の大きさ。

そして、人生には限りがあるという現実。
それらが本屋に向かう大きな原動力になった。
弟にとって、庭をつくるということは、学びであり、遊びであり、生き方そのものだったと思う。
庭づくりのために、人と会い、本を読み、教養を深めていた。

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自分はWebデザインを仕事としていて、それなりに好きなことだが、やはり弟の庭へのそれとは違っていた。
本屋であれば少しは弟の生き方に近づけるんじゃないかと思った。
本好きだった弟も「いいじゃん」と言ってくれそうだ。
 
それに、独立してからは、お互いに(特に僕が)いつか一緒に仕事がしたいと思っていた。
本屋という形であれば、弟も一緒にやってくれるんじゃないかという思いもあった。
 

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それから、僕なりに本屋を開業するための勉強を始める。
手始めに個性的な小さな書店に関する本を何冊か読んでみた。

一冊だけを売るギャラリー型のお店であったり、カフェと併設されたお店だったり、古本と新刊の両方を置くお店だったり。

さまざまな形態の本屋があり、どれも面白い。
 
自分にできる本屋って、どういうものかを考えたとき、普通の本屋さんはできないと思った。
いわゆる町の本屋さんになるには、かなりの書籍数とそれを置けるスペースが必要で、そもそも予算がない。
それであれば、偏ってはいても、自分の得意なジャンルで、他とは一味違った、面白いお店をつくるのが良さそうに思った。
 
僕はそれなりに写真が好きで、アートも好きだったが、それに特化できるほどの知識も経験もなかった。
長く続けてきていて、他の人よりも詳しいといえることは、サーフィンとその周辺のカルチャーくらいしかない。
 
サーフィンと写真・アートという軸が交わる領域はすぐに頭に浮かんだ。

僕の中で、教養や文化度の高いと思う人たちには、なぜかサーフィンは不評であるという意識がある。

「ふーんサーフィンね…。」という顔をされる。

オリンピック競技にもなり、スポーツ的側面ではかなり認められてきていると思うが、文化的な深みについては、まだまだ理解されていないように思う。

20代の頃、僕はサーファーのための波情報を提供する会社にいた。

携帯で現在の波のサイズやコンディションが分かるというもので、僕は七里ヶ浜から湯河原までバイクで走り、その波の情報を伝えるという仕事をしていた。
毎日、サーフィンができて最高だったし、必要な人に情報を届けるという、その仕事自体に誇りを持っていた。
 
その当時、サーファーには「マナーが悪い」、「ロン毛で茶髪にピアス」、「不良のやるスポーツ」というステロタイプ化されたイメージがあり、また実際にそのような人もいたし、もちろん外見は自由ではあるのだが、そのせいで嫌な思いもたくさんした。
 
友人のお母さんに「海人間にはなるな」と言われたことがある。

その言葉には「サーフィンばっかりやっているとろくな人間にならないよ」という示唆が含まれており、結構なショックを受けた。

そういうふうに見る人は一部だとしても、今でも確実に一定の割合で存在する。

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僕はその層に届くことをしたいと思う。

そのためにはサーフィンのスポーツ的側面だけではなく、文化的側面が伝わっていくことが必要だろう。

またサーフショップのような「サーフィンをしたい」という気持ちがある人が訪れる場所ではなく、アートに興味がある、教養を深めたいという人が、たまたまサーフィンやその周辺のカルチャーに触れて、「お、ちょっと、いいかも。」と思ってくれる場所というのがあると良いと思う。

サーファーとそうではない人たちの汽水域のような場所というのがイメージだ。

地域や社会の中に、もっと当たり前にサーフィンやビーチカルチャーがあり、それが良い形で地域や社会へと還流されているというのが理想だと思っている。


一方で、サーファーがアートや文化への興味や教養を深めていく場所も不足しているように思う。

サーフィンというアクティビティ自体も十分楽しいし学びも多いのだが、その文化的深みを知っていくことは、その楽しみや学びを大きく広げてくれる。

そして、またそれが、そこから派生するサーフィンと関わりのないアート、文化、教養と出会っていくきっかけになると嬉しいし、そういうサーファーが増えることで、社会の中でサーファーの果たす役割や信頼感もより大きくなってくるはずだ。

そうした試行錯誤のあと(そして今もその最中だが…)、僕は昨年8月に「Books&Gallery 海と本」をスタートした。

コンセプトは海と本が好きな人のための場所。

サーフィンの深い部分に触れてほしいし、理解してほしいという思いはあるが、押し付けがましい場所にはしたくない。

サーフィンを含めた、海と接する広い文化や世界に触れることができる場所を目指し、あえてサーフィンやビーチカルチャーという言葉は店名からは外した。

海と本が好きな人なら誰でも、ふらっと気楽に入れる場所。

そして、自分の世界を広げてくれる一冊に出会える、そんな店でありたいと思っている。

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…と、ここまでが、僕がお店を立ち上げるまでの話だが、それからギャラリーをスタートするまでにはややあり、その経緯も少し書き添えたいと思う。

 

店名に“Books&Gallery”とあるように、当初、海と本は本屋兼ギャラリーとして運営するイメージだった。

ギャラリーを併設することにしたのは、継続的な経営を考えると、どうしても本屋一本では難しいと考えたこと。

そして、アートや文化を楽しむ・学ぶという意味では、本屋とギャラリーは、とても近い位置にある。

本と一緒に、海と関連するアート作品も見られるようになれば、作家さんとの交流も生まれて、より楽しく魅力的な場所になると思えたからだ。

 

とはいえ、本屋のことも全くわかっていない僕にとって、本屋を経営するだけでも精一杯で、ギャラリーをスタートすることはなかなかできずにいた。

 

そんな折、アートディレクター白谷敏夫さんがふらっとお店に現れた。

白谷さんは僕が大好きな写真集やアートブックを多数手掛けている方で、それこそ僕にとっては伝説の中の人だった。

それだけでも信じられないことだが、白谷さんがあまりにも気さくに話してくださるので、「ギャラリーもやりたいと思っているが手がつけられていない」ことや、「いつか芝田さんの展示会も…」なんてことを、ボソボソと相談した。

白谷さんから「じゃあ今やろうよ」というとんでもない提案を頂き、あれよあれよという間に、今回の「芝田満之 Summer Bohemians 1984 展」へと結びつくことになる。

 

実現に向けて軽快にかつ力強く導いてくれた白谷さんと、こんな小さく頼りないギャラリーでの展示を快く引き受けてくれた芝田さんには、本当に感謝の言葉もありません。

 

「芝田満之 Summer Bohemians 1984 展」、8月27日(日)まで絶賛開催中。

ぜひ皆さまにご来場頂ければ嬉しいです。

text and photo - Keisuke Kamata

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海と本 店主

鎌田啓佑

中学・高校時代を鎌倉で過ごし、現在は藤沢市鵠沼在住。

サーフィン誌でアルバイトをしていた学生時代に、DTPに憧れてデザインを独学で始める。

サーファー向け波情報会社で気象予報士として勤務後、Web制作会社でのデザイナー職を経て独立。

2022年8月「Books&Gallery 海と本」をスタート。

  • Instagram

「Books & Gallery 海と本」よりお知らせ

芝田満之 Summer Bohemians 1984 展
2023/7/16 sun. - 8/27 sun.

 

アートディレクター白谷敏夫が新たに刊行する、芝田満之のZINE「Summer Bohemians 1984」の発売を記念した展覧会。当時サーフィンカメラマンとして独自のセンスとスタイルを展開していた芝田は、多大な影響を受けた大野薫のビーチサイド・コラムを綴った”Snaps”(2005 年刊 マリン企画)の表紙に青く染まったビーチのスナップを提供。サーファー大野の世界を一枚の写真で表現しきった印象深いその青い写真は、写真集”Summer Bohemians”(Bueno! Books)にも収められ、その夢見心地の青い写真の数々はサーファーだけでなく海外を含めた多くの人を魅了し、芝田を語る上で重要な写真集となった。

芝田がその当時の 80 年代に撮りためた青の写真で編まれた作品集と本展覧会。

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#31
June  2023
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PEOPLE

#47

STAY SALTY ...... people here

Finding universal values that are common to all world

Yuki Miyakawa

どの世界でも共通する、普遍的な価値を見つけたい

フリーライター/海外添乗員

美矢川ゆき

6.10 2023

私は1999年から現在に至るまで、1年のほとんどを世界各地で過ごしている。

 

海外旅行デビューは遅く、20代になってからだ。

新入社員で入ったデザイン事務所で3ヶ月ほど経ったある日、私は辞表届を出した。

ダラダラと残業し、「忙しい」「疲れた」と言いながらも、毎日飲み会。

そんな謎多き社会人生活に、イライラしていた。

そして「この会社は無駄が多すぎる」と言って辞表届を提出。

すると社長が「2週間休みをあげるから、旅行でもしてゆっくりしてきなさい」と言ってくれ、私は友人が留学していたスペインへ飛んだ。

それが私の初海外となった。

異文化に触れ、自分を肯定する

片手に小さなボストンバッグ、もう片方の手には友人から頼まれた日本酒を抱えてバルセロナに到着。

私の驚くほど小さなカバンを見て「温泉旅行じゃないんだから」と友人は笑った。

 

初めての異国。

ガウディの独特な建築や、大道芸、人々の生活、スペイン料理など、心の栄養になったものはたくさん。

でも私が一番胸を打たれたのは、忘れもしない。

バルセロナの旧市街のグラシア通りで、赤信号なのに横断歩道を渡る人々の姿だ。

 

そこに信号が変わるのを待つ人はいない。

赤でも青でも車が来なければ、堂々と道を渡る姿は衝撃だった。

なぜなら、私が日本でやろうとして怒られていたことが、この国では当たり前だったからだ。

いや、むしろ逆。

車がいないのに、青になるのをボーっと待っていたら、ちょっと頭が弱いと思われるのだ。

 

その時に思った。

 

もし私がスペインに生まれていたら、信号を無視しようとするたびに怒られることもなかっただろう。

そして「ああ私って本当にダメなんだな」というモヤモヤした罪悪感を抱くこともなかったはず。

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もし価値観が流動的なものだとしたら、普遍的なものってなんだろう

 

私は、どんな国でも通用する普遍的なものを見つけたい、と心から思った。

国や性別を超えて、普遍的に流れるものを探し出すことが、自分の人生の目的だと思った。

何ごとにも「物事の核を知ろう」「本当に大切なことを掬い出そう」とするマインドは、この時に強まったように思う。

 

スペインでは、小さなカバンに入りきらないほどのお土産を買った。

友人から譲り受けた「おーい北海道」と書かれたキタキツネ柄の麻袋にお土産を詰め込み、それをコロコロ転がして日本に帰国。

本当に温泉帰りのようだった。

そして会社に出社して頭を下げ、退職届を撤回してもらうよう懇願。

2週間で5キロ太った私の顔を見て「楽しかったんだねえ」とみんな笑った。

 

私はスペインで、恩師に絵葉書も書いていた。

「初めてバルセロナに来て、自分の生まれ故郷を思い出し、懐かしくなりました」

 

日本に帰国してしばらくすると、恩師から返事がきた。

「ヨーロッパの景色に感動したのかと思ったら、自分の故郷に思いを馳せるとはおもしろい感覚だね」

 

当時、私は東京で暮らしていた。

実は、碁盤の目状になっているバルセロナの新市街が、自分の生まれ育った札幌に似ている、と言う意味で絵葉書にそう綴ったのだった。

でも恩師からの返信を見て「私は今回の旅で、自分の心の中にある故郷に帰ったのかもな」と思った。

 

その後少し経ち、2度目の旅は妹とのふたり旅。

フランス、ベルギー、オランダを列車で周った。

私は、その時にオランダで驚愕した。

女性の平均身長が170cm以上のその国は、身長が175cmの私にとって、全てが普通サイズなのだ。

人生初めての経験だった。

それまで日本では、自分サイズのかわいい服や靴を見つけることが難しく、自分を異質なものに感じていた。

いつも身を縮こませていた。

でももし、私が日本ではなくオランダに生まれていたら。

きっとそんな感情は生まれなかったんだと思うと、不思議だった。

キツネにつままれたような気分で素敵な靴を3足買った。

ちなみにその旅行は、「オランダかベルギーに住む」と決めて出掛けた、私自身の下見旅行も兼ねていたのだった。

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決断すると、人生が動き出す

私は、公用語がないベルギーで「英語ができないと何も始らない」と痛感した。

ちょうど仕事でも、英語のデザインが増えていたことも重なり、これからの自分の人生のために、英語を勉強しようと決めた。

会社を退職し、オーストラリアへワーキングホリデーに行くことにしたのだ。

最後の出社日、上司のスーさんに「本当に辞めるなんてすごいなあ。これからは女性の方が自由に輝ける時代だね」と言われた。

その時プレゼントしていただいた絵は、今も日本の自宅に飾ってある。

25歳の春だった。

 

人生とは不思議なもので、決めた方向が合っていようとなかろうと、一度決断すると人生が動き出す。

私は、オランダへの移住は叶わなかったものの、オーストラリアへ旅立った1999年から現在までずっと、1年のほとんどを海外で過ごすこととなった。

 

私はオーストラリアでの生活を機に、デザインの仕事から旅行業へと職業を変えた。

そしてコロナが世界を圧巻するまでの18年間、海外添乗員として働いた。

さまざまな旅行会社に派遣され、1万人以上のお客さまを世界各地にご案内。

担当エリアは決まっておらず、世界中を股にかけてどこへでも。

そして自分の束の間の休暇もイソイソと自分の旅へ。

そんなわけで、1ヶ月のうちに1週間ほどしか家に帰らない生活を18年間続けたのだ。

バックパッカーから、キャンプ、ラグジュアリーな旅、バス旅行、列車の旅、クルーズ客船などさまざまな旅の形を経験。

同じ旅先でも、その時のメンバーで見える景色が変わり、同じ日程でも異なる体験が生まれる。

自分の天職に巡り逢えたと思い、充実した日々を送っていたが、次第に「落ち着いて自分の時間を大切にした生活をしたい」と思うようになった。

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フランスと日本の2拠点生活から、ゆっくりとフランス在住へ移行

あるとき、フランス人と恋に落ちた。

それがきっかけで、私は2018年からフランスに住んでいる。

初めは日本とフランスの2拠点生活という暮らし方で、1年の半分をフランス、半分を日本ベースで、お客さまと旅する仕事を続けていた。

 

2020年からのパンデミックを機に、生活スタイルや価値観が変わった人も多いと思うが、私もその一人。

コロナを機に、2拠点ではなく、フランスを拠点にする決意をした。

突然国の行き来が絶たれ、決意せざるを得なかったのだ。

 

2020年1月、その年は暖冬だったので冬のコートも持たずに、たった少しの荷物だけでパリに降り立った。

3ヶ月ほどの滞在予定が、そのまま2年半、日本に帰れなくなってしまった。

必然的に、海外添乗員としての仕事も失った。

 

今まで経験したことがないような、各国のざわついた対応をニュースで眺めながら、「少なくとも2年間は海外旅行は難しいだろう」と予測。

腹をくくった。

 

いずれにせよ、そろそろ人生を変えたいと思っていたのだ。

いつか人生を仕切り直す時には、2〜3年じっくり腰を据えて自分と向き合おうと、生活費を貯金し準備していた。

まさに、今がその時だった。

 

日常と断絶した、パリのアパルトマンでのコンフィヌモン(外出制限)。

人の行き来の少ないフランスで、自分を見つめ直した時間と孤独を、私は生涯忘れることはない。

人生は何があるかわからない。

いま現在は、フランス在住。

でも、もしかすると明日には、違う国に行くことにしているかもしれない。

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……さて、ここからは妄想。

私は宇宙旅行から旅行の仕事に復帰したいと思っている。

ロケットに乗れるように、密かに体力づくりをしつつ、ひょっとしたら時代が変わり、UFOでヒョイっと気軽に連れて行ってもらえるのでは?などと夢を膨らませている。

 

2022年からライターの仕事をスタートしたこともあり、「もしも異星人にインタビューすることになったら」なんてことを想像しながら、質問事項をまとめている。

でも例えば「普段何を食べていますか」という質問も、星によっては食べるという概念がないかもしれない。

「食べるとは?栄養とは?」ということを、異星人に説明しなければならない可能性がある。

そんな風に考えると、私が知りたい「普遍的な価値観」が宇宙大にまで広がっていくのを感じる。

多様性の拡大。

ますます「小さくまとまってはいけないな」と襟を正すのである。

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text and photo - Yuki Miyakawa

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フリーライター/海外添乗員

美矢川ゆき

札幌生まれ。フランス在住。

海外添乗員18年。1万人以上の方を世界各地にご案内。モットーは、自然、文化、風習、歴史など、土地と繋がる旅。料理(オーガニック/旬/地産地消)、海、植物、アートが好き。趣味は写真、散歩。学生時代は油絵を専攻。

Pen Onlineで執筆中。

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