#02
JULY 2020
PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
紡ぐ。
Inspiring transformation
© Víctor Tardio
インスピレーションのはざまで
これまで...
2020年3月14日、スペインでは緊急事態宣言が発令され、完全な都市封鎖が始まりました。その前日、私はバルセロナから約240km南に位置するポルツ・デ・ベセイトで、高低差300mのロッククライミングを楽しんでいました。岩壁がそそり立つ自然豊かな美しい国立公園が有名なエルス・ポルツは、クライマーたちの楽園です。素晴らしいクライミングパートナーとこの岩壁を登るひとときは、私にとって宝物のように大切な時間です。
現在はスペイン、カタルーニャに暮らし、ロッククライミングに夢中になっている私ですが、それまでの12年間は海外で生活していました。2001年には、障害者のための活動を行うフランスの非営利団体Horizons pour Tousに参加し、フランスから南太平洋に浮かぶ仏領ポリネシアまでの世界一周セーリングに同行。その後、2005年から2009年までは東京に、2010年から2016年まではインドのデリーやリシケシュに暮らし、フリーランス写真家として、旅をテーマとした各国の雑誌や国際的メディア・通信社の仕事をしてきました。
長い海外生活の後、2017年にスペインに戻った私は、本格的にロッククライミングにのめり込むようになりました。ですが、クライミングに心を撃ち抜かれたのは2016年の夏のこと。ロッククライミングは、サーフィン同様、単なるスポーツではなく「生き方」です。私は、クライミングという生き方に、恋をしてしまったのです。
仕事の面でも充実していた2019年は、メキシコ出張で幕を開けました。チャヨテというメキシコ原産の野菜に関する取材旅行でした。その後、スペインのバレンシア地方での取材。3月にはノルウェー産のタラに関する記事のためロフォーテン諸島へ。さらにスペインのバスク地方やフランス南部にも行きました。セネガルでは、マッドフルーツという果実の取材をし、一年の締めくくりにはザクロをテーマにした記事のため、イランへ向かいました。
出張のない期間はロッククライミングを満喫しながら「Maya」での生活を楽しみました。Mayaとは、全長6mの私のモーターホームです。海辺で夕日を眺め、鳥たちのさえずりで目を覚ます。自然に囲まれながらヨガをし、Mayaに当たる雨音に耳を傾け、ベッドから見える月を眺めながら眠りに落ちる。そんな豊かな毎日を過ごしていたのです。
7.1 2020
Itxaso Zuñiga Ruiz
freelance travel photographer イチャソ・ズニガ・ルイス

© Roger Villena

ロックダウン...
ロックダウンをきっかけに、多くの人が仕事もライフスタイルも変えようと思ったかもしれません。でも私は、とてもそんなふうには思えませんでした。トラベル・フォトグラファーの仕事と、マルチピッチルートでのクライミング。最も愛する2つの世界。長い年月をかけてようやく巡り会えた素晴らしいクライアントたち。お気に入りの暮らし。恵まれた環境に私は感謝していました。
そんな中、世界が一変してしまったのです。刻々と変化する不安定な状況に、私は打ちのめされました。モーターホームでの生活も、クライミングもできなくなり、私の記事が掲載される機内誌もしばらく休刊になり、仕事も入ってこなくなりました。
世界中がショックを受け、喪失感と悲しみに打ちひしがれていました。生活が大きく変わり、大切な何かを手放すことを余儀なくされたのです。深い悲しみの感情には、拒絶、怒り、罪悪感、落ち込み、受容という5つのステージがあるそうですが、都市封鎖が始まった当時の私は、現実を受け入れることを完全に拒絶し、ときに怒りを感じていました。
スペインの作家アルベルト・エスピノーザは、父親によくこう言われていたそうです。「人生とは、手に入れたものを失うことを学ぶ場所だ」と。この言葉は、トラベル・フォトグラファーとしての私のキャリアにも、よく当てはまります。過去15年間で100以上のクライアントと仕事をしてきましたが、今も付き合いがあるのは10~15社。その十数社でも、メンバーがすっかり入れ替わっている会社は少なくありません。リーマンショック後の2009年を中心に消えていった雑誌やメディアも多く、今回のCovid-19の影響で倒産した会社もあります。
50日間にわたり完全な都市封鎖が行われたスペインでは、マスクと手袋の着用が義務付けられ、生活必需品の買い物や通院のために1人で外出することのみが許可されていました。警察が毎日街をパトロールし、車両の通行規制や職務質問を行う姿も。街は静まり返り、スペイン全体に、まるで黙示録が示す終末のような光景が広がっていました。
ロックダウン期間中、私は写真家としてのキャリアを高めるための活動を行い、「LVRS」と名付けた新しい写真プロジェクトを進めることにしました。LVRSは、火・土・水・空気という四元素と性との関係性をテーマにしたフォトエッセイ・プロジェクトです。
もう1つ、外出できない期間に私が没頭したのは編み物です。手元に毛糸があったので、帽子1つとマフラー2つ、ショール1枚、マスク2つ、それから、コースターのセットも作りました。今はターコイズ色のマフラーを編み始めたところです。

これから…
これを書いている今、私がいる村はフェーズ2(完全都市封鎖が解除されてから35日)に入りました。フェーズ2では、外出が許可され、地区内での移動が可能となり、多くの店が営業を再開しました。クライミングも許可されています。ただ、残念なことに大都市バルセロナはまだその前の段階、フェーズ1に入ったばかりです。スペイン人にとって最も難しいのは、不慣れなマスクを着用しなければならないこと。そして、友人や知人と2mの距離を取らなければならないこと。挨拶のときハグをして、両頬に1回ずつキスをする私たちにとっては、辛いことです。
これまでの生活が失われたことへの悲しみはまだ癒えていません。特に仕事については、厳しい状況が続いていて、先が見えません。ですが私には強みがある。それは「人生の津波」を乗り越えてきた経験です。2009年にはクライアントの半分が倒産し、2015年には、13年連れ添った夫と離婚し、新たな人生をスタートさせました。そこで私は、永遠に続くものはない、ということを学びました。
だからこそ、自分自身と、愛する人たちを大切にしたいと思うのです。毎日をハッピーに、元気に過ごそうと思うのです。そして、目の前のことに集中して、焦らないこと。不確実さに対応する方法を学び、先の先まで計画を立てすぎないこと。この状況が落ち着いたら、立て直す時が来る。その時のためにエネルギーを蓄えておこう。そして何より重要なのは、自分のハートに注意深く耳を傾けること。ハートはいつも、どこに向かえばいいか、次に何をすればいいかを教えてくれるのです。
今は、この状況下でも稼働しているクライアントの仕事を続けながら、ソーシャルメディア・ビジュアルコンテンツ・クリエイターというもう1つの専門スキルに力を入れ、企業やNGOとのプロジェクトを進めています。常に学び続け、最新の動向をキャッチしながら、時間があるこの時期を生かして、前からやりたかったビデオ編集とデザインのスキルを磨くための勉強もしています。

© Maribeth Mellin

text and photographs - Itxaso Zuñiga Ruiz (unless otherwise specified)
translation - Mikiko Shirakura
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© Víctor Tardio
ロックダウン中、そしてこの文章を書いている間、いつも聞いていた曲です:Sleeping at Last – Southern.
© Patrick Golding
freelance travel photographer
イチャソ・ズニガ・ルイス
Itxaso Zuñiga Ruiz
1978年、スペイン、テラサ生まれ。フリーランス写真家。
ツーリズム分野を得意とするソーシャルメディア・ビジュアルコンテンツ・デベロッパー。熱心なロッククライマー。モーターホーム愛好家。ニッター。2005年から2009年まで、スペインの通信社や日本の旅行雑誌の仕事をしながら東京に在住。2010年から2016年まではアジア諸国の旅行雑誌の仕事をしながらインドのデリーやリシュケシに暮らす。2017年よりスペインのカタルーニャに戻り、海外メディアの仕事を続けながら、NGOや旅行関連会社のソーシャルメディア向けビジュアルコンテンツを制作。
2018年、旅と写真への想いを紡いだ2冊目の写真集
『The Journey』を出版。
写真集『The Journey』
「旅」と「写真」をテーマにした写真集。説明的な写真やキャプションを使わず、ポエティックなイメージや文を用いて、各国への旅、人生の旅への想いが綴られている。どこで撮られた写真なのか、何が写っているのかよりも、時間と空間を超えた内的世界に触れ、自分がどう感じるかを観察しながら楽しみたい一冊。
著者:イチャソ・ズニガ・ルイス
初版:限定版150部(番号・サイン入り)
サイズ:21cm x 21cm
頁数:208頁
内容:カラー写真188点とテキスト。
トレーシングペーパーの別冊(20頁)に著者インタビューと過去に発表された関連する写真エッセイの紹介等を収録。
言語:英語、日本語、スペイン語、カタルーニャ語
PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
紡ぐ。
You don't know what's in store for you in life.
The moment you open up, the path is clear.
2020年、新型コロナウィルスが文字通り、世界を一変させた。
この原稿を書いている6月下旬の今も、うがいや手洗いの励行とともに、ことあるごとに手にシュっと除菌ジェルやスプレーを噴射するのが、新しい常識として定着しつつある。
仕事で訪れた企業の受付でシュッ。
スーパーやファンションビルでシュッ。
その度に私は、2018年12月に訪れたインドの旅を思い出している。
フリーランスのライター、コピーライターとして、この22年間、色々な体験をしてきたが、インド取材はこれまでの人生で「最高級の旅」であった。
ガンジス河のリバークルーズ船での7泊8日の旅。
上げ膳、据え膳は当たり前。
日本語を話すハンサムなインド人ガイドのラジャさんが執事のごとく世話をしてくれ、クルーズ船のクルーたちがコーヒーや水のお代わりを継ぎ、ドアを開けてくれる日々。
観光に出かけるときは、ガイドとクルーによる完全警護。
そして、カメラマン桂子と私が“衛生班”と呼んでいた「除菌ジェルと除菌ウエットティッシュを両手に持ったクルー」が常に傍らに待機。乗船客である我々の衛生が危険にさらされた瞬間に、すぐさま傍らにやってきて、笑顔で除菌ジェルをプッシュしてくれるのであった。
さすがに初日は戸惑ったが、3日目ぐらいにはちょっとでも衛生の危機に瀕すると「衛生班は? どこ?」と彼を目で追うようにすらなっていた。
生まれたばかりの子ヤギを「ちょっとあんたも、抱っこしてみる?」とインドのおばちゃんに勧められるなど、日印おばさん外交にいそしんでしまいがちな私のことを、衛生班のクルーは要注意人物としてマークしていたようだった。
外国人に対してそこまでの衛生管理が必要な国であることを、インド人たちはさほど気にしていなかった。
露店のアイスクリームを目で追っていたら、ガイドのラジャさんに日本語で「買い食いはダメです」と注意された。
立派な中年になったのに「買い食いはダメ」などと、修学旅行生のような注意を外国人から日本語で受けるとは。
人生、何が起こるかわからない。
クルーズ船の自室の窓からガンジス河を眺めていると、沐浴をしている人たちが手を振ってくる。
手を振り返しながら、『私が沐浴したら多分、瀕死なんだろうな』と思った。
元気に沐浴している彼らと私との違いは、獲得免疫の違いであろうことは分かっていたが、世界は広いな、とシミジミした。
コロナ禍が世界を覆いつくしたとき、このときの旅のメンバーのグループLINEにラジャさんから「ogenkidesuka,watasihagenkidesu」とメッセージが届いた。
私はローマ字で書かれた日本語を黙読できないので「おげんきですか」とひとりで声に出して読んだ。
ラジャさんは私たちの体調を気遣ってくれ、インドでは外出が制限されているので食品の買い出しが不便だけれども元気で暮らしているよ、と書き送ってくれたのだった。
返信はGoogle翻訳で英語にして送る。
大変、便利である。世界は広いが、人の心の距離はとても近くなった。
コロナ禍で「これからどうなってしまうのだろう?」という不安にさいなまされている人も増えているという。
私は、というと「仕切り直すチャンス」と感じていた。
じつは、2019年の下半期ごろから、低迷期に突入していた。
消費税の増税の影響もあったのだろう。
手掛けていた案件が、サラサラと指の間から砂がこぼれていくように消えていった。
そこにきてのコロナ禍。
廃業もやむなし、と腹をくくった。
廃業して何をするかも、まったくわからなかったが「こうなったら、なんでもアリだな」と考えていた。
地球規模で危機に直面しているのである。
今の私にできることは、うがいと手洗いの励行と外出の自粛ぐらいだ、と思った。
ところが、である。
開き直った直後から、予想外のところから、次々と仕事が舞い込み始めたのだ。
2019年の下半期に、低迷しながらも蒔いていた種がいっせいに芽吹いたような感じであった。
結果、緊急事態宣言の中で、自宅にいるのに毎日、忙しく仕事をしていた。
緊急事態宣言が解除となった今も、ありがたいことに日々、忙しく過ごしている。
今年の3月ごろまで、しょぼくれた日々を送っていたのが嘘のようだ。
旅を専門とするライターでもない上に、英検3級の私のところにインドへの取材旅行の依頼が来た時も「人生、何があるか分からないものね」と思ったが、今回も本当に予想外の展開だった。
まあ、私の人生は、だいたいがそんな感じではあるのだけど。
今、私は発行部数30万部のフリーペーパーの編集長なのである。
緊急事態宣言のさなかに、オンライン面談で業務委託契約での採用となり、フルリモートで業務を遂行している。
スタートから1か月半ほど経った今も編集部の面々と、一度もリアルに会ったことがない。
しかし、編集長だ。
我ながらいろんな意味ですごいなと思う。
「なんでもアリ」と開き直った私であるが、嬉しい方向に「なんでもアリ」という結果になってくれたんだな、とシミジミする。
冷静に考えれば、このコロナ禍は地球上のすべての人に変化することを強制的に課したわけである。
つまり、これまでのセオリーどおりにコトを運べるはずがないのだ。
従来のやり方に固執すればするほど、苦しいのではないか、という気がしている。
コロナ禍以前の日常に満足していた人たちや、今と比べると以前の方が良かったと感じる人は「戻りたい」「戻って欲しい」と思うのかも知れない。
私は半年以上、低迷期を過ごしていた上に、仕事で不愉快な人間関係に振り回されていたこともあって、戻りたいとは思わない派だ。
とはいえ、「戻そう」と思う人たちが頑張ることも大切だし、新しい時代を作っていこうとする力もまた、必要なのだと思う。
愚痴ったり、不満を言ったり、社会や政治や誰かに怒りを向けたりせずに、自分自身が前進することに集中してエネルギーを注げるかを、今、問われているように感じる。
私たちがインドを訪れた時、ガンジス河はカフェオレ色で、空は霞んでいた。
それがインドなのだと思っていた。
ところがコロナ禍での外出自粛により、ガンジス河は清流のような透明度を取り戻し、大気汚染が晴れて30年ぶりにヒマラヤ山脈を見渡すことができたことを、ネットニュースで知った。
コロナ禍によって起きた変化は、悪いことばかりではない。
これは地球上のすべての人に与えられた機会であり、チャンスも潜んでいる。
それを活かすも殺すも自分の在り方次第、ということを私は身をもって体験した。
だから、たくさんの人におすすめしたいのだ。
クヨクヨ、モヤモヤするのではなく「なんでもアリ」と開き直ってしまおうよ、ということを。
人生、何があるのか分からない
だから「何でもアリ」と開き直った瞬間に道は開ける
kimono evangelist 栗原貴子
7.1 2020
Takako Kurihara
text - Takako Kurihara
photographs - Keiko Oda
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writer / Kimono evangelist
栗原貴子
Takako Kurihara
フリーランス歴22年目。きもの歴は25年以上。紙・WEBメディア、SPツールの企画・構成、取材・インタビュー、ライティングを手掛けている。2020年6月よりホームセンターマガジン『Pacoma』編集長をつとめている。
CD『春夏秋冬』
ハンサムボーカルグループ『春夏秋冬』のメジャーデビューシングル「スタートライン〜春空〜」とセカンドシングル「1ページ目のLOVE STORY〜夏恋〜 」収録のボイスドラマのシナリオを担当。
「1ページ目のLOVE STORY〜夏恋〜 」ではジャケットの衣装を担当。
レッスン『着物パーソナルレッスン』
2~3回の集中個人レッスンで自分で着物を着られるようになる
パーソナル着付けレッスン(女性のみ)
1レッスン 30,000円/6時間程度
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紡ぐ。
Lovely little moments
何気ない幸せの一瞬
Hiroko Sakomura
7.1 2020
cultural producer 迫村裕子
一年のうち、半分くらいは国内外を動き回りながら仕事をしているので、3月の終わりにフィンランドから帰国して以来、ずっと東京、それも自分の仕事場兼住宅から大体10キロ以内の範囲にいたのは、久しぶりのことだった。
実のところ、最初の内は、バンザーイと思った。
今年に入って、毎月海外に出張していてちょっと息切れ状態、これで時間が稼げる、普段から気になっていたことが出来る、世界中の仕事仲間がみんな同じ状況だからテレビ会議システムと携帯とメールで凌げば良いじゃんというノリであった。
しかし、しかし、物事はそうはうまくいかない。
生きている限り、どんな状況であろうといろんなことが起きる。
ましてや非常事態であれば、ますますいろんなことが降りかかって来る。
予測出来ないことが次から次へと起きる。
こうなると、もう性根をすえて、逃げない、負けない、頑張ると覚悟を決めるしかない。
とは言いながらも、このような状況の中でも日々の生活の中で得ることはいっぱいあった。
それで、ささやかな近況報告。
まずは定番の「片付け」に挑戦。
ただ捨てるだけでなく、ちょっとした工夫もしてみた。
例えば、チューブに入った歯磨き粉。
飛行機の中や出張先のホテルから持ち帰ったものが積もり積もって箱いっぱい。
最初はそのままごっそり捨ててしまおうとしたが、思い直して使い切ることにした。
極めてささいなことではあるが、今までの「ついつい溜め込んでしまう自分の癖」を、この際是正しようと試みた訳だ。
使い切るには当分かかったが、山のようにあった小さなチューブがみ〜んな無くなった時の達成感は、なかなかのものだった。
鏡に映る自分に向かって「やったね」とニッコリ。
どうしてこんなことでこんなに嬉しいんだろうというくらいだった。
続いて、縁ある人たちからもらった着物の何枚かを、自分で解くことにした。
既に、着物や羽織や帯に仕立て直したものもあるが、今回は、柄や色を選びながら、一枚一枚自分で解こうと思ったのだ。
丁寧に解いて、手洗いして、アイロンをかけた。
元の反物状態に戻った布を畳の上に並べて、これもうっとり。
着物の素晴らしさは、こうして何回も蘇ることだ。
布自体も次に何になるのかを静かに待っているような気がして、これまた達成感に浸った。
この状態であれば、誰かにもらってもらうにしても、すぐに上げることが出来る。
何よりも、シャーッと古い糸が割けて行く時の気持ち良さ、カタルシス、楽しかった。
日々の「ご飯づくり」では、前から憧れていた糠漬けをスタート。
最近は既に発酵済みの糠床が売っていて、何と便利なこと。
昔は、台所の床に置いてあった糠漬け用の壺が、今ではビニールパックを閉じて冷蔵庫の中へ入れるだけ。
定番のキュウリやナスだけでなく、キャベツの芯もブロッコリの茎もズッキーニも、余った大根もみんな漬ける。
一日経つと、何もしないのに美味しくなっている。
この野菜の使い切り感、贅沢な気分になる。
調子に乗って、実にささやかな自給自足も試みた。
まるで「ままごと遊び」のようだが、ベランダにミニトマトとレタスとシソ、コリアンダーを植えた。
本格的なアルミの立派なジョウロも買って、毎日水やり。
ミニトマトは最初の3個を無事に収穫。
まだまだ実が鈴なりだから、当分は楽しめそうだ。
葉っぱたちも、毎朝、新しいのを摘んで、茹で卵と一緒に食べている。
大好きな朝ごはんがますます好きになった。
ふふふ。
そして、一日の仕事終わりの「ぶらぶら歩き」。
ご近所を歩きながら、ステキな佇まいのお宅を見つけてどんな人が住んでいるのだろうと想像したり、お庭の花を愛でさせてもらい、庭の手入れに感心したり、これでお茶なんか一杯どうぞなんて言われたら嬉しいなぁ〜と余計なことを思ったり。
路地でバドミントンや縄跳びをしている子供や親子連れの楽しそうな声を聞きながら、暮れなずむ一日の終わりの豊かな時間を味わう。
ゆったりとした時間の流れに身を任せていると、懐かしい子供の頃の思い出も蘇ってくる。
毎日のように歩いていると、近所には緑道も古墳も緑あふれる公園もあることにも気づいた。
渓谷までもある。
今までは、道中は目的地までのアプローチにすぎず、電車か車かタクシーで「移動は出来る限り早く」が鉄則。
幹線道路や近道は知っていても、小さな路地や狭い通りがどう繋がっているのかなど、あんまり興味もなかった。
だから、足の向くまま気の向くまま歩いているうちに、「えっ、ここに出るの?」と気がついた時などは、ちょっとばかりワクワクした。
大げさに言えば、まるで自分の中に新しい回路が出来た気がしたのだ。
最近では、歩くことが日常になり、友人との物々交換にも、出来るだけ電車に乗らないで歩いて行く。
「すぐに宅急便」という発想しかなかった私にとってはとても大きな進歩。
また、このぶらぶら歩きには、時々、「トントゥミッラ」が合流してくれる。
トントゥはフィンランドの遠い北、コルヴァトゥントゥリ山にサンタクロースと一緒に住んでいる小人たち。
トントゥには、サンタクロースのお手伝いさんとして、世界中の子供たちの様子を観察してサンタクロースさんに報告する仕事があるから、世界中どこにでも飛んで行けるのだ。
ミッラはその中でも一番小さいトントゥで、最近は、すっかり私の散歩パートナー。
自分の視点だけでなく、ミッラの目で見てみるのもなかなか新鮮。
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先日、とある新聞で、6歳の女の子が「クリスマス、コロナでサンタさん来ないかなぁ。外国のお年寄りだし」とつぶやいているのを読み、これは大変、トントゥミッラと一緒に「サンタクロースは今年もきっと来ますよ!」と伝えて回らなくっちゃと思い始めた。
そろそろ、世の中も外出自粛要請が解除されたから、お呼びがあれば、トントゥミッラと一緒にどこにでも出かけて行って、一人でも多くの子供たち、いや、子供の心を持った大人たちにも、サンタクロースのこと、トントゥのこと、世界は不思議なことがいっぱいあることを伝えたいと願っている。
トントゥの話もそうだが、この何年間か、次世代を担う子供たちとの時間を持ちたいと願うようになった。
会社をスタートして以来モットーにしているのは、「みんなちがってみんないい。でもみんなつながっている」。
子供たちに、世界中のいろんな人と友だちになるのは面白い、それには英語がちょっと出来ると便利だよってアピールしたい。
それで、「サコママ イングリッシュ」プロジェクトを勝手にスタートさせた。
子供が集まるところに、小さなテーブルと椅子を持って行って、やって来た子供と一緒にちょっとした英語のレッスンをするというものだ。
目指すは、英語を話す不思議なおばさん。
「あのおばさん(バアさん?)は、ちょっと不思議だけど、英語も教えてくれるし、どうもボク(ワタシ)のこと、随分と気にしてくれているらしい」という立ち位置。
子供一人一人と繋がりたい。
特に、大勢の中ではなかなか声が出せない、恥ずかしがり屋さんたちと繋がりたい。
子供のつぶやきを聞きたい。
内緒話をしてくれるような関係になりたい。
そしてこの時期には、仲間たちとアルファベットで遊んでみた。
一つ一つのアルファベットの文字に、イラスト、アニメーション、効果音、英語の読み上げがついている。
小さな年齢の子供たちが、面白がって遊びながらアルファベットを覚えてくれたらいいな、動物の動きを真似して遊んでくれればいいなと思ったのである。
制作チームのイラストはWanju、アニメーションと効果音は瀬尾宙。
読み上げは齊藤実梨、制作マネージメントは迫村俊太郎。
データで簡単に配信可能。
こんな感じでこの3ヶ月過ごしていたある日、スウェーデンの仕事仲間とTV電話で話していると、いきなり彼女が、「今まで、まるで、’headless chicken’ みたいに仕事していたんじゃないか?」と言った。
私もそれを聞いた途端、自分の姿と、首を切られても走り続ける鶏の姿が重なった。
「ああ、そうだ、じっくり考える暇もなく、ただ走っていただけかもしれない」。
東奔西走、それが自分の仕事スタイルに合っていると思っていた。
「ああ、なんてことだ!」
それから、当分の間、headless chickenについて考え続けた。
朝目覚め、まずto do listを頭に浮かべて仕事モードで動き出すよりは、朝の新鮮な水をジョーロに汲んでベランダの草木に水やりをすることにした。
ドラッグストアで歯磨き粉のセールをしていても、使い切るまで買わない。
夕方には、美味しいご飯を炊いて、漬物と旬の野菜いっぱいの実だくさんお味噌汁を作る。
時にはゆっくり歩いて帰る。
日々を丁寧に生きる。
時間の流れをゆっくり味わう...
すごくシンプルなことだけど、今になってやっと気づいた。
そう、もう、headless chickenには戻らないし、戻れない。
photographs and text - Hiroko Sakomura
cultural producer
迫村裕子
Hiroko Sakomura
文化プロデューサー。S2株式会社代表。美術展やイベントなど国際的な文化プロジェクト、教育プログラムを企画実施。この30年はフィンランドを中心に北欧との繋がりが強い。主なプロジェクトに、「来て、見て、感じて、驚いちゃって!おもしろびじゅつワンダーランド展」、「オードリー・ヘプバーン展」「観世座ニューヨーク公演」「チベット密教美術展」「フィンランド陶芸展」「マリメッコ・スピリッツ展」など。One Show Interactive 2002最高賞、2008年度グッドデザイン賞、2008年第2回キッズデザイン賞-金賞・感性価値デザイン賞、Faith & Form International Awards 2009を受賞。著作翻訳に「アメリカ・インディアンの神話」、「ラップランドのサンタクロース図鑑」、「ありいぬうさぎ」、「ノニーン!フィンランド人はどうして幸せなの?」、「トントゥミッラとなかまたち」など多数。
トーベ・ヤンソン
《イースターカード 原画》
1950年代
グワッシュ、インク・紙
ムーミンキャラクターズ社蔵
Tove Jansson,
Drawing for Easter card,
1950s, Moomin Characters
展覧会
『ザ・フィンランドデザイン展 〜自然が宿るライフスタイル〜』展
2020年11月28日(土)より開催を予定していた「ザ・フィンランドデザイン展 ― 自然が宿るライフスタイル」(東京会場)につきましては、2021年冬に会期が変更となりました。
展覧会
『アイノとアルヴァ 二人のアアルト 建築・デザイン・生活革命
木材曲げ加工の技術革新と家具デザイン』展
来年の3月からは規模を拡大して、世田谷美術館、兵庫県立美術館に巡回。
photo by 久保博司(Photo Studio K)