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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

征く。

 

 

When you forgive yourself,

no one can take it away from you 

親譲りではない無鉄砲で大人になっても損ばかりしている。

 

突然、花の仕事をしようと思い立ったのは、

お勤め約10年、フリーランスになって7年ほど経った頃だった。

それまで花屋のバイトすらしたこともなく、

パソコンをいじるだけの全く違う職種だったにもかかわらず、

そんな文字通り頭ん中お花畑状態の発想に至ったのは、

当時気持ちの面で大きな変化があったからかもしれない。

 

 

まだ働き始めて間もない20代の頃、

ある時私がミーティングで出した改善策に周りから反対意見が挙がり、却下となった。

ところが数分後、別の人の発言に皆んなが賛同したと思ったら、

さっき私が言った事と全く同じ内容だった。

反対したその舌の根も乾かない内の掌返しに椅子から転げ落ちそうになりつつも、

 

「ああ、人っていうのは話の内容じゃなくて誰が言ったかを見てるんだ」

 

と衝撃を受けたことを覚えている。

 

実績もなく、周りの信頼も得られていない私が、

たとえ有益なことを言っても何も説得力がないらしい。

それならば、もっと私自身が人生経験を積んで、

もっと発した言葉を真っ向から受け取ってもらえるような重みのある人間にならないと!

そう初々しい私は思い始めることになった。

 

 

さて、その後の私は、長い年月をかけて、

いわゆる多くの人が経験するような酸いも甘いものクエストを次々とクリアしていくことになる。

 

結婚、出産、離婚、子育て鬱、転職、独立。

イタリアの取引先が倒産し、

「お金がないから代わりに僕が飼ってるオウムあげるけど、いる?」

と社長から手紙が届き、債権が回収できないことを知った時もある。

 (オウムは貰わなかった)

 

病気で働けなくなったり、

DV毒親との死別があったり、

子どもとの関係がこじれたり。

 

そんな具合に、まあまあ色々あった事だし、

そろそろあの頃欲しかった経験値的なものが貯まってきたはずだった。

それなのに、結局しんどい思いをしただけで、

何かを成し遂げたわけでもないし、

大したことができるわけでもないし、

特別な経験を積んだわけでもないという実感しかなかった。

仕事はやりがいがあったけれど、

いつも世の中の基準で正解と言われるものを探していて、

プロジェクトを、その場を、失敗ではない方に転がそうと必死だった。

一見、それは仕事だから当たり前に思えるけれど、

実際は、正解に見えることに近づけることや失敗しないことは、成功ではなかった。

 

そして、何よりも

自分が発案して完成までこぎつけたものが

他の人の成果として表向きに発表することになった時、

華やかな会場の外でメディア向けのお土産を地味に用意しながら、

「結局あの頃と変わってないな〜自分」

と愕然としてしまう。

 

そんな自分はやはり経験が足りず、

あるべきレベルに達してないからまだまだ薄っぺらいのだと、

潜在意識の中でさらに「もっと苦労しようよプロジェクト」は加速した。

 

 

しかしながら、そんな折り、あの若かりし頃の

「ミーティングで私と同じ意見が採用される事件」

のアンサーソングともいうべき出来事が頻発したのだった。

 

とある機会での意見交換、

子育てで大事なのはこんな事でと、ある方が熱弁。

周りも私も聞き入って共感したが、その方には子育て経験がなかった。

 

・・・あれ?

 

時はSNS時代に突入。

「○○に行った時の経験を活かしてコンサルタントになりました」

とつぶやく誰かはとっても説得力がある若い起業家だ。

でも、行ったっていうのは1回のようだ。

 

・・・あれ???

 

誰かに自分の言葉を信頼してもらうためには、薄っぺらい自分じゃダメで、

実績だとか、経験に基づいた考えとかが必要なんじゃないのか。

でも、若くても経験が浅くても、

私も共感できたり、信じたい気持ちにさせてくれる人がいる。

どうしてその方たちは、多くの人の信頼を得られたのか。

それはこういう事だった。

たとえ浅い経験でも、

「そこまではやった」という事実を自分に認めてあげられている人は、

それをありのまま成果として伝える事を自分で自分に許している。

今のレベルでできることを心の底から信じている人は強く、信頼できるのだ。

 

当時の私は、経験の浅い分野に対して強く意見することは、

知ったかぶりのようで何となく気が引けていた。

どこかに1回行ったくらいで知ってるような事を言ってはいけないような気もしていた。

でもそれは、誰かに禁止された訳でもなく、自分で自分に許していないだけだった。

せっかく作った自分の成果を奪っていたのは他人ではなく自分だった。

 

とかく、周りの人というものは、自分が自分を扱うように自分を扱ってくるものだ。

自分を粗末に扱えば、周りも自分を粗末に扱ってくる、といった具合に。

つまり、自分を許可できず、認められない私は、

周りにも信じてもらえる訳がなかったのだ。

 

「なんだ、いいんだ自分のこと許しても・・・」

 

私に足りないのは、

苦労して言葉を裏付けるような経験や実績を積むことではなく、

いつもその時点まで自分がやってきた事を認めてやる事、

ただそれだけだった事にようやく気づく事ができた。

それはまるで、

遠い旅先に向けてわらじを編み、

竹皮で包んだおむすびを胸に忍ばせつつ峠をいくつも超え、

血の滲む足がもう一歩も前に出ないと倒れかけた時に、

「じゃあ後はヘリで行こうかぁ」と言われたような気分だった。

それがあるなら最初に言ってよ最初に、という。

 

 

今から数年前のそんな気づきの後、

堰を切ったように、私は自分を信じて見切り発車でも何でもやりたいことをやるようになった。

無鉄砲に始めた花の仕事も、

もちろんまだ何十年も磨いていかなければいけないヒヨッ子である事は認識しているけれど、

それでも卑屈な気持ちは全くない。

ある一定のレベルを到達点にして、

その点との差異がある自分を恥じるのではなく、

「至らないかもしれないけど、でも、今の自分はこれだから」

と堂々と思うことができる。

現状への満足は成長を止めることになりかねないが、

暫定的な今の立ち位置までやってきた自分を許して認めると、

またそこから精進しようという気になるから不思議なものだ。

 

 

ある時、ふとこんな事を思う。

「人間って60兆個もの細胞があって、毎日がん細胞やあらゆる菌を免疫力で死滅させて、怪我したら治してくれて、数十年分もの記憶を蓄えていて、この世にないものを生み出したり問題を解決したりするクリエイティビティがある。こんな奇跡のように高性能で精巧な生き物、宇宙を探してもいないかもしれない。

あっ!でも、その高性能な貴重な生き物、そういえば私も持ってた。この自分!! 」

 

自分はちっともすごくないけれど、

人間っていう生き物はスゴい!という感覚を持つと、自分の未来を信じられる。

試しにいろいろやらせて成長させてみたくなる。

性能を強化していったらどうなるのだろうと。

そうやって自分の先々を良い方に信じて託せるような感覚を

自信というのだろうと思う。

最近は承認欲求という言葉がよく使われるようになったけれど、

誰かに認められることよりも、

自分で自分を認めて許すことで揺るぎない自信がつく。

 

人間の色気みたいなものも同じで、

「いえいえ、私なんか」と卑下したらそこでせき止められるけれど、

「私はこういう所もあるんです」とその人が自分に許したラインまで、

色気はダダ漏れてくるような気もしている。

 

 

草木の花はいずれ散る花。無常の姿。

花を生けることは、

根を絶たれて死へ向かうまでの一瞬の命の煌めきを浮かび上がらせる祈りの行為。

そして、その自然と切り離す作為的な提示によって観る人の感覚に語りかける。

 

人もまた無常の存在であるけれど、

今の瞬間に個性を見い出し、

それでいいと認められたら、

そして、

それをありのままに提示していくことを自分に許せたら、

伸びやかに成長して大輪の花を咲かせるに違いない。

Karin Sugiyama

8.2 2020

floral designer   杉山香林

自分を許すと誰にも奪われない

text and photographs -  Karin Sugiyama

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floral designer

杉山香林

Karin Sugiyama

撮影でのフラワースタイリング、イベント・ウェディングでの装花、御祝い花などで、固定のスタイルを持たず、コンセプトに応じて多様なデザインを提案するフラワーデザイナー。

広告代理店、IT企業などでマーケティング・コミュニケーションに従事したのち、2008年株式会社アンジュウシを設立、企業の環境保全活動やサスティナブルな社会を創る取り組みへの指針作りやプロジェクトの企画、マネジメントを行う。

その中で、植物の美しさや生きざまに惹かれ、自然界にこそこの世の真理があり、持続可能な社会を築くためには、樹木や草花などの植物に触れ、憧れと畏怖を感じることが必要と考え始める。

2016年4月、装花TOKYOを開業、華道における学びを活かしながら、ヨーロッパでフラワーアーティストに師事したエッセンスも取り入れ、花一輪の個性を活かすスタイリングを目指している。

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BRAND『装花TOKYO』

オートクチュール・フラワーブランド「装花TOKYO」
「装花TOKYO」は、店舗を持たないアトリエスタイルのオートクチュール・フラワーブランドです。命を持つ生花のみにこだわり、特別なシーンのフラワースタイリングをオーダーメイドでご提供しています。

 

​生花の命の煌めきを活かす空間づくり
商品ディスプレイや撮影用プロップ、プロモーションイベントのフォトブース作りなど、特別なシーンにおいて、草花が持つ命のインパクトと視覚的魅力を活かした空間づくりをサポートします。

 

​「アート」ではなく「デザイン」する
装花TOKYOは、「アーティスト」ではなく、「デザイナー」として、クライアントの皆さまとプロジェクトの目的と課題を共有し、草花での解をデザインすることを目指しています。

したがって、1つのスタイルに絞ることなく、花の毒々しさや艶かしさ、可憐さ、草木の清々しさや力強さなど、目的に応じて植物の多様な個性を発揮させていくアプローチ方法を試みます。

入荷可能な場合は、街のお花屋さんであまり見かけないような草花もご提案しています。

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Do not hesitate to contact me to discuss a possible project or learn more about my work.

© 2020 by ALOHADESIGN

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