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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

賜り。

Four Women in the Kitchen

私が高校生の時、祖父が亡くなり、我が家は4人家族となった。

4人家族と言えば、両親と子供たちの核家族をイメージしやすいかと思うが、我が家は、明治生まれの曾祖母、大正生まれの祖母、昭和生まれの母、そして私と、女4人、4世代の4人家族という構成で、しかも、曾祖母は祖母の継母だったので、私たちとは血のつながりはなく、祖母の兄である跡取り息子が若くして亡くなったため、母が曾祖父母の養女に入るという、少々込み入った4人家族だった。

 

私が生まれた家は、三代続いた田舎の呉服屋で、当時は祖父母と母が主に切り盛りして、小さな店を営んでいた。幼稚園に入るまで、家族が仕事をしている間、私はお店で生活していた。しかし、お客様がみえると、楽しく積み上げた積木を片付けられたり、隅に追いやられたりする。そんな時、幼いながらに私は肩を落とし、また一から積み上げる。そんな状態が何度も繰り返されたある日、私はお客様に「お客さん!帰れっ!!」とブチ切れた。決してそのお客様が悪いのではないのは一目瞭然で、その日は私の中の我慢の神さまの居所が悪かったのだ。私に悪態をつかれたそのお客様は、顔を真っ赤にして「子供に言われても、気分が悪い!!」とたいそうお怒りになり、そのお客様に土下座をして謝罪する祖母と母の姿を見た時、私は大変なことをしたのだと感じた。3歳になる少し前だったと思う。

その日が境だったかは定かでないが、それからというもの私は同じ敷地内にある曾祖父の家に預けられることになった。曾祖父はすでに呉服屋を引退し、隠居生活を送っていた。

 

その家の時間は、ゆっくりと丁寧に流れていた。それまで、大人の時間や都合に合わせていた私に、そこでのゆったりとした時間は心地よく、すぐにその環境と総祖父母との生活になじんでいった。静かな空間にボーンボーンと鳴り響く柱時計。いつも火鉢には鉄瓶が置かれ、お湯が沸き、ご飯はかまどで炊いて、おひつに移し、小さな台所からは、いつもいいだしの香りがした。

 

そのころから、私の遊びは、庭の草花を摘んで、それを食材に見立て、料理をするままごと遊びが日課になった。美しく咲くピンク色の花を摘み、水を張った器に浮かべると、私の空想の世界の中で、それはそれは美しい美味しそうなスープになる。私は、空想料理家として、いくつもの料理を作り上げた。

Nozomi Kurashima

1.3 2021

dashi artist  倉島のぞ美

女四人の台所

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ある日、小さな鍋に水を入れ、畑で摘み菜をした野菜をもらい、ストーブの上に置いておくと、野菜は鮮やかな緑色に変化し、そのあと、柔らかく、しなっとなった。そこまで見届けて、昼寝をして目が覚めると、それはいつの間にか曾祖母の手によってお味噌汁に変化し、その日の食卓に並んだ。「のぞみが作ったお味噌汁、美味しいね。」と言う二人の顔を見て、私はうれしくなり、そして、いつもの遊びの延長に、本当に食べられるものがつながっているということに何かが私の中で動きだした。子供のころは、その言葉がわからなかったけれども、今思えば、初めて芽生えた「感動」に近い感覚だったと思う。

 

また別の日には、ミカンをひとつもらい、手でぎゅっと絞ってつぶし、おもちゃのザルでこし、おもちゃのコップに入れた。そして、曾祖母相手におままごと気分で、「さあ、どうぞ♪」と手渡すと、「いただきます。」といって、曾祖母はそのおもちゃのコップに入ったミカンの汁を飲み干した。私は慌てて「どうして飲んじゃったの!」と叫ぶと、「だって、本物のミカンのジュースだから。」と涼しい顔で曾祖母は言った。私は、「ちゃんと手を洗えばよかった。」「コップやザルはきれいだったかな。」「大好きなひいおばあちゃんがおなかが痛くなって、死んじゃったらどうしよう。」と後悔ばかりで、大泣きした。

 

その日から、いつまた曾祖母がおままごとだとわからず、おもちゃの食器を口にするかもしれないと真剣に思い、手やおもちゃの食器を清潔に保つことを心掛けた。あの時の曾祖母の行動は、私に料理の心得を教えてくれた。幼いながらに、私たちの体に入るものには、大切な人の命がかかわるということをその時、痛いほど体験したのだ。まだ、字が読めない私が、教科書ではなく、体験から学んだ大事な学習だった。今でも、あの時のことを思い出すと、気が引き締まるのと同時に、私の作った最初の料理で、病人が出なかったことを神さまに感謝する。

 

それからは、実際に台所に踏み台を用意してもらい、卵焼きを作ったり、おだしで使うかつお節を削らせてもらったりしたが、空想の世界で上手にできたようにはいかなかった。曾祖母の作る卵焼きは、きれいな黄色でふんわりとして、いつ食べてもおいしかった。私も挑戦してみたが、私の作った卵焼きは、曾祖母の半分くらいの厚さで、固く、茶色っぽかった。なんだか泣きたくなった。そんな失敗作の卵焼きを美味しいといって食べてくれる曾祖父母。いつもは無口な曾祖父まで、笑顔で美味しいといってくれたが、私は悲しかった。なぜなら、大好きな人たちに本当に美味しいものを食べてもらいたい、と思ったから。そして、私はその日、料理の先生になると決めた。3歳の時だった。

 

その後、曾祖母は認知症を患い、それまでのことを忘れたり、奇怪な行動をとることが11年も続いたが、そんな中にも曾祖母の丁寧に暮らしていた歴史を感じる瞬間がいくつもあり、その度に幼い頃一緒に過ごした曾祖母の姿を思い出した。人としても、女性としても、尊敬できる人だった。

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祖母もとても料理が上手だった。そして、祖母の料理は美しかった。

料理を香りよく、美味しく、美しく仕上げるためには、いかに下準備や下処理が大切か。祖母には料理の基本を教わった。野菜の切り方や野菜を湯がくタイミングや火加減、魚のさばき方など、祖母は私の先生だった。器の選び方や盛り付けも、祖母の美意識は細部にわたる。いつもは優しく、「嬢ちゃんばあちゃん」などとよばれる少し浮世離れした祖母が、台所に立った時は凛々しく、頼もしく見えた。

 

母は、私が料理の先生になりたいと伝えると、小学生の頃から、学校を休ませ、京都の呉服の仕入れに同行させてくれ、勉強会と称して料亭の一室を貸し切りにして、懐石料理を堪能する時間を作ってくれた。私は、一冊のメモ帳を用意し、出てきた順番や、食材、どういう味だったかをメモを取り、家に帰って、私なりに試作して、レシピを作った。それは、高校を卒業するまで続いた。また、イタリアンやフレンチ中華など、色々なジャンルの料理を教えてくれたのも、母であった。母は、大切な人を楽しませてくれるのがとても上手で、仕事で忙しい中でも時間をとり、一緒にお菓子を作ってくれたり、お友達を招いて手作りの料理で誕生会を開いてくれ、その日にだけ使う子供用のティーセットや食器などを用意してくれた。絵本の中のティーパーティーのようで、わくわくした。

 

そして、料理の先生になりたいと決めた23年後、私は本当に料理の講師となった。

 

今では、料理の講師の他、私が一番初めに立った台所のあった曾祖父の家を古民家スタジオとし、料理などの撮影スタジオ、メディアや雑誌などのレシピ制作などするようになった。

 

私は、台所を通して、それぞれの時代を生きた女性から、大切なことを学び、受け継いだ。

 

明治生まれの曾祖母からは、大切な人の命を預かる責任と心構え。

大正生まれの祖母からは、大切な人に心を尽くすおもてなしの心と五感の大切さ。

戦後の昭和を生きた母からは、幅広い世界観と大切な人を楽しませ、笑顔にする力を学んだ。

 

そして私は今、あらためて私にとっての料理とは何か?と問われたら、こう答える。

 

私にとっての料理とは、「あなたは大切な人です」という想いを込めた「祈り」。

 

今日も1日、いい日になりますように、という想いを込めて、朝食を作る。

家から出かける家族には、楽しいばかりでなく、ちょっと大変なこともあるかもしれないけれど、空になったお弁当のふたを開けた時には、しばしホッとする。それは、いつも見守ってるよ!というお守りのメッセージでもあるのだ。家に帰ってきたら、「いい香り~。おなかすいた~。今日の夕飯、何?」という、「ただいま」を聞いて、子どもたちが今日も1日無事過ごせ、我が家に帰ってきたことに感謝する。

 

そんな「祈り」と共にあるのが、私の「台所」であり、私の「料理」である。

text and photoprahs - Nozomi Kurashima

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dashi artist

倉島のぞ美

Nozomi Kurashima

古民家キッチンスタジオ&ギャラリー『美の和つた美』オーナー •  おだし作家

信州にて「おだし暮らし」を提唱し、和の心が生きる料理レシピを考案。メディアや食のイベントでの料理講師、フード撮影のスタイリング、レシピ制作など活動中。

当時11歳だった息子との共同製作のレシピ本「ゆうとくんちのしあわせごはん」がある。

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