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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Kaori Kawamura Column

人生は美しい  La Vita é Bella.

from  Yokohama / Japan

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川村香緒里
ライター/フォトグラファー

子供のころからずっと、絵(漫画)を描いたり文章を書いたり写真を撮ったりしながら、いつもなにかを発信してきました。

それが誰かの視点や気持ちを変えるスイッチになったらいい、と思いつつ、これからも言葉と絵や写真で表現していけたらと思っています。

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6.2.2021

DAYS /  Kaori Kawamura Column

人生は美しい

縁のあるところには導かれる

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人生の中で時々、自分が望む望まないに関わらず、ある方向に導かれてしまうことがある。

それは深いところではやはり自分が選んでいる現実なのだけど、流れに乗っかって進んでみないとわからないことがある。

イタリアとはそんな出会いだった。

 

大学時代、イタリアのイメージは「なんとなく血生臭い」だった。

だから卒論のテーマもイタリアは避けた。

初めてヨーロッパに行くことになった時も、イタリアはどちらでもよくて、スペインを楽しみにしていた。

 

1988年に友人と二人でヨーロッパを旅して回ったことは「STAY SALTY vol.11」に書かせていただいた。

イギリスからパリを経由してスイス、ドイツと旅をしてきた友人と私は、ドイツのミュンヘンの駅構内でどこに向かうか迷っていた。

イタリアのヴェネツィアか、フィレンツェか。
結局、ヴェネツィアに行ってからフィレンツェに下ることに決め、出発のホームを確認し、停車している列車を指して、近くにいた駅員に「これはヴェネツィアに停まるか?」と念のために確認してから乗り込んだ。

 

明け方、列車の簡易寝台から腕をのばしてカーテンを少しめくると、窓の外が一面オレンジ色に染まっていた。

それが初めて見たイタリアの風景だった。

 

「イタリアに入ったんだ。これがイタリアか~・・・」 

その情景を見ながら、なぜか目の前を流れる風景が日本と似ている、と感じていた。

それからトイレに行こうとコンパートメントを出て、車両の後方に歩いていって気が付いた。

出発の時にあった後ろの車両がない・・・。

 

どうやら夜中のうちに切り離されたようだ。

現在地を確認すると、列車はフィレンツェ方面に南下していた。

急遽目的地を変更し、私たちはフィレンツェに停まる列車に乗り換えた。

 

振り返ってみれば、ヴェネツィアよりもフィレンツェのほうが私にとって何倍も縁のある土地だった。

実際、フィレンツェの大聖堂の丸屋根のてっぺんまで上がって街を見下ろした時に初めて、ヨーロッパに来たことをはっきりと実感した。

それまでに4カ国を通ってきているにも関わらず、それらはどこか夢の中のようだったのかもしれない。

でも、フィレンツェの赤茶色の屋根が広がる街の風景は、どの場所よりもリアルにヨーロッパだった。

 

美術館に行けば、教科書で見たことがある名画が山のようにあった。

教会のなかでも突然巨匠の絵に出会う。

街中を歩いていると、みな彫りの深い顔立ちでとにかく美形が多い。

聞こえてくるイタリア語の響きは音楽のようで、そのリズムが意識に強く刻まれた。

 

日本に帰ってから、イタリア語を学んでみたい、とぼんやり思い始めたが、NHKでイタリア語講座が始まるのは1990年になってからだった。
80年代後半から90年代の初め、折しもイタ飯ブーム、ティラミスブームがあり、フレンチのレストランがどんどんイタリアンに変わっていった頃だ。

 

少しづつ複雑な文法を学びながら、これに慣れるには文通しかない、そう思った私は、銀座のマガジンハウス社に当時あったワールドマガジンギャラリーを訪ねた。世界中の雑誌が無料で閲覧できるスペースで、イタリアの女性雑誌を片っ端からめくり、読者の投稿ページらしきところにペンフレンド募集の手紙を送った。

 

イタリアのみならず世界各国から150通以上の手紙が舞い込み始めたのは、たぶん半年以上経った頃だ。

 

1993年春。

複数のイタリア人とイタリア語ができるヨーロッパの人たちと文通を始めてから半年くらい経って、そのうちの3人に会うため、私は初めて一人でイタリアに行くことに決めた。

まだろくにイタリア語を話せないのに。

その頃の自分を思い出すと、まるで弾丸のようだったと思う。

 

旅程としては、北イタリアでペンフレンド宅にお世話になってから、フィレンツェを再訪することにした。

そこからローマのペンフレンドの所まで南下する途中、どこか小さな町に泊まってみたい、と思った。

調べてみるとちょうど中間くらいの位置に、列車でいける中世の趣が残る町があると知り、そこに1泊することに決めた。

 

それが3年後、3ヶ月語学学校に通うことになる、アッシジという町との出会いだった。

 

私のDAYSのタイトル、La Vita e’ Bella.(ラ・ヴィータ・エ・ベッラ)という言葉は、アッシジの家の大家さんの口癖だ。
「ライフ イズ ビューティフル」。

イタリア映画のタイトルにもなった「人生は美しい」という意味。

なにか嬉しいことがあると、彼女は「ラ・ヴィータ・エ・ベッラ!」と言っていた。

でも、問題や難しいことがあると「La vita e’ difficile. ラ・ヴィータ・エ・ディフィーチレ(人生は難しい)」と肩を落とした。

 

明るいところに必ず濃い影ができるように、イタリアにもいろいろな社会問題があり、そればかり考えてもしょうがないから、今は楽しもう!
イタリアで感じたのは、そんな明るさでもあった。

 

インターネットが一般的になるころには、郵便でやり取りをしていたペンフレンドとは、ひとりをのぞいて縁が切れた。
でもインスタグラムを始めた時、切れていたイタリア人のひとりがメッセージを送ってきた。

家に2度遊びに行ったことがある人も、最近Messengerで話しかけてきて、ひさしぶりに繋がった。

今ではインスタグラムで気軽にコメントを入れたり、動画で声まで聞くことができる。

先日など、カリグラフィーで書いたイタリア語のスペルミスを指摘されてしまった。

 

人とも土地とも、離れたり、また繋がったりしながら流れは続いていく。

どの方向に流れてもOKと思っていると、自分では思いつかないところに導かれていくかもしれない。

いずれにしても、それは自分と縁の繋がるものなのだ。