


川村香緒里
子供のころからずっと、絵(漫画)を描いたり文章を書いたり写真を撮ったりしながら、いつもなにかを発信してきました。
それが誰かの視点や気持ちを変えるスイッチになったらいい、と 思いつつ、これからも言葉と絵や写真で表現していけたらと思っています。
4.12.2025
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
桜の季節にソロ活について思う

いまこれを書いて(打って)いるのは、桜がだいぶ咲き始めたころ。
ちらっと開いたものが見えたと思ったら、少しの間にうわーっと咲き出した。
京都も咲いているだろうなぁと、半月前に旅した場所を思ってみる。
最近よく「ソロ活」という言葉や「50代でひとり旅」のような文字を見たり聞いたりする。
私にとってひとりでどこかに出かけることは、特別でもなんでもない。
旅自体最近はあまり出ないが、ひとり旅もけっこう年季が入っていると思う。
だから、「ひとり旅」が特別なことのように取り上げられているのが不思議だ。
先日も仕事場で、ひとりで行動することについて話題になった。
ある女性は、ひとりでどんどん出かけていくし、焼き肉もひとりで入れると思う、と言った。
もうひとりの女性は、チェーンのコーヒーショップくらいはなんとか入れるが、ほとんどご主人と行動するという。
そういえば学校時代の友人のひとりも、どこに行くにも常に彼氏と行動を共にしていたと思い出す。
ひとりでも行動できる人間と、いつも誰かと一緒にいようとする人間と、なんとなくどちらかに分かれるのだろうか。
もちろん、どちらの時間も大事だという人も多いだろうけれど。
いまだに思い出す高校時代の経験がある。
私は学校から家に帰るため、ひとりで電車に乗ろうとしていた。
そこへ同じクラスの、特に親しくもない女子の一人がやってきて、「一緒に帰ろう」という。
まあ別に構わないから一緒に電車に乗ったのだけど、
彼女は「ああよかった、一緒に帰る人がいて」と言った。
私はそれを聞いて、「ひとりで帰れないのだろうか??」とごくシンプルに驚いてしまった。
「別に構わない」と書いたけれども、実際は特に話の合う人ではないクラスメートと一緒に帰るのだったら、ひとりで帰りたい。そのほうが気楽だ。

こう書くとすごくドライのようだけれど、
よく知らない人とでも、波長が合う感じだとか、興味が似ているだとか、そういう人との交流は喜んでしたい。
けれど、ひとりでいられないから誰でもいいので一緒にいたい、というのはあり得ない。
私の場合は、ひとりで動くときと、誰かと動くときとでは目的が違う。
誰かと一緒のときは、一緒に時間を共有することが大事になる。
ひとりで動くときは、自分の興味や自分自身を満たすことが第一目的なのだ。
ひとりで動く人というのはアグレッシブな感じに見えることもあるかもしれないが、必ずしもそうではない。
センシティブだからひとりでいることが大事、という人間もいる。
私の場合、若いころは特に、友達や仲間と会いたくて楽しみにしていたのに、前日になると気が重くなったり、当日具合が悪くなったりすることがあった。
今でいう過敏性腸症候群のように、お腹が痛くなることもあったから、そのせいかと思っていたのだけど(当時はそんな病名は無かった)、
そういう状態になること自体、繊細な体質なんだなと、あとあと気がついた。
つい最近もThreadsで、人と会うこと、ひとりでいることについてのHSPの人の投稿をたまたま見かけて、「あれ、私ってもしかしてHSPなのか??」と思った。
HSPとは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、生まれつき感受性が高く、感情や五感の刺激に敏感に反応する気質を持っているため、疲れやすいという特徴があるらしい。
その言葉も知っていて、そのケもあるだろうとなんとなく思っていたけれど、特に調べて自分をそう定義する気はおきずに今まできてしまった。
でも、Threadsの投稿を読んでいたら、自分だけかと思っていたパターンが、他の多くの人にもあるのかと思って、ちょっと驚いた。
特性だとか、病名だとかを自分のアイデンティティーにしてしまうと、逆にずっとその状態に縛られることになる。
だからそうはしないけれど、ひとりで行動するのが気楽で好きだと思うのは、そういった特性を持っていることも理由の一つだと認識すると、より自分を大切にしようと思える。
そう認識したうえで、自分が心地のよい範囲で、もっと人との関わりを楽しみたいとも思うのだった。
そういえば、私がひとりでカフェに入ったりするのが好きなのは、
そういった場所でインスピレーションを受け取ったりすることが得意だからということもある。
以前、同僚のひとりが「ひとりでカフェに入っても、すぐ飲み終わっちゃて、することない」と言っていたのを聞いて、
カフェに入って、単にお茶飲んで終わりなのかな??・・と不思議に思った。
私にとってカフェは、考え事をしたり、アイデアを出したり、インスピレーションを受け取ったり、なんならスケッチもしちゃう場所である。
人によって、時間と場所の使い方はいろいろだなぁ、と思ってしまう。
お花が咲く季節が始ったので、春らしいメニューのあるカフェでも行ってみたい。
京都で日本茶により興味が湧いたから、東京の日本茶カフェにも行ってみたいと思っているところだ。
2.8.2025
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
動きだす季節

先日仕事を終えて外に出ると、薄暗くなった空にまだほんのりと青色が残っていた。
朝、外が明るくなるのも早くなってきた気がする。
寒い2月とはいえ、もう春が始っている。
ベランダのプランターのクロッカスとムスカリ、ミニ水仙の細い葉っぱはすでに12月から少しずつ出はじめている。
冬は、春の準備季節でもあるのだ。
日向の温かさ、明るさを感じると、これからくる春を想ってちょっとワクワクっとする。
一眼レフを片手に花を追いかけて出かけていた頃の感覚を思い出す。
1月はもう蝋梅が咲いて、きっといい匂いを振りまいていたはずだ。
これから梅もいい香りだ。
梅林のような場所では、酔っ払ってしまいそうなほど。
以前勤めていた大学のキャンパスには梅の木が何本かあって、
離れたところを歩いていてもふと香るので、「あ、梅、咲いてたんだ」とわかる。
自然のある場所に出かけていけば、カタクリやキクザキイチゲ、ニリンソウなど小さい花々に出会える季節でもある。
そして、椿。
椿といえば、昔は赤いイメージだった。
今は本当にいろいろな種類があって、自分が知らなかっただけなのか、種類がいろいろと増えたのか。
子供のころは、「散るときに首がボトっと落ちるようで不吉」といわれていた椿も、今はすっかり自分の中でイメージが変わってしまった。
挙げればきりがないほどいろいろな花々が咲く季節に、時期や場所を調べてはよく出かけていった。
ただ花を見るだけでもいいけれど、ファインダーを通して見るとまた違う世界がひろがる。
それがとても好きだった。
写真を撮るのが好きだったのは事実。
でもそれはたぶん、「大義名分」でもあった。
ただ遊ぶ、ただ楽しむことが、若いころから苦手なのだ。
どうしてなのか、罪悪感さえ抱くかもしれない。
「収穫」や「成果」があれば、費やした時間は無駄ではなかったと思えるのだろうか。
だから、仕方がない。なにかしらテーマや目的を掲げる。
「写真を撮る」ということは、とても便利なテーマだった。
実際、撮ったものを見返すのも楽しい作業だった。
フィルム時代は、結果を見るまでに数日かかる。
手元にやってきて、がっかりしたり、喜んだり。
フィルム1本36カットのうち、1枚でも2枚でも気に入った写真があれば大満足だった。
デジタルカメラに代えてからは、撮影直後にカフェに入って、大抵カプチーノを飲みながら撮ったものを確認するのが至福の時間だった。
目的はなんであれ、そうして撮りためた写真は失敗したものでさえ、私の財産ともいえるものになった。
大げさだけれど、自分はこうやって行動して生きていたんだなと振り返って思える。
何年も続けた植物撮影は、数年前からほとんど行かなくなった。
すでにコロナの前からだったと思う。
一眼レフも気が向いたときしか取り出さないから、「フォトグラファー」という肩書はここ「Stay Salty」でしか掲げていない。
それでも最近、日差しが春めいてきたのを見て、
なんだか気持ちがそわそわしている。
これから、あんな風景やこんな情景が拡がっていくんだな、とイメージできる。
ひさしぶりに、重たい一眼レフをバッグに入れて、出かけてみようかな、と思う自分がいる。
12.5.2024
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
すべてのことには時がある

またこの季節がやってきた。
クリスマスに向かう時期、アドベント。
ついこの前までクーラーを使っていたのに、秋をすっ飛ばして冬になってしまったような感覚。
秋薔薇って咲いたっけ? コスモスは?
植物の写真を撮り続けていたときは、花の移り変わりでいつも季節を感じていた。
それがだんだん咲く時期がずれてきて、季節の感覚がわからなくなってきた。
そうこうしているうちに日が短くなり、あっというまに冬になる。
クリスマスの時期は雰囲気を楽しみたいタチなのに、アドベントもすぐに終わってしまいそうで、なんだか焦る。
シュトレン買おうかなあ、どこのが美味しいんだろう、いやそれよりやっぱりイタリアのパネットーネかな、クグロフもいいなぁ・・・などと考えていることが楽しくて、考えるだけで結局買い損ねて、特にこだわりもなさそうな商品など買ってしまう。
そんなクリスマス商戦にあえて自分から巻き込まれて楽しもうとしている反面、最近キリスト教について、ものすごく気になるのである。
いや最近というか、西洋史専攻だからヨーロッパの歴史とキリスト教は切り離せないわけだし、カトリックの聖地に3ヶ月住んだこともあるし、聖堂にいるのも好きだし、教会の売店もなぜか大好きだから、もともとなのだけど・・・。
キリスト教という宗教が長い時の流れのなかで、途方もなく広がっていったのは一体なぜなのだろう、そこに何を見たのだろうと、今さらながら思いを馳せてしまうのだ。
人間は何を信じて、何を信じようとしてきたのか・・というところに興味があるのかもしれない。
目に見えない何かを求めたり、すがったり、祈ったりといったことを人間は古代からやってきた。それがキリスト教に取って変わられていったその力はどこからくるのだろう。
一部は暴力的なものだったにしても、いまだに残り続けているということは、人の心に響くなにかがあるはずなのだ。
東京の四谷の交差点の角に、サンパウロ社の建物がある。
修道会が運営していて、出版やキリスト教製品の販売などをしているようだ。
そのビルに大きな看板がかかっていて、聖書の言葉が書かれている。
先日交差点で信号待ちしていて、その看板が目に入った。
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」
訳がいろいろあるようなので、書かれていた訳はこれではないかもしれないけれど、旧約聖書の「コヘレトの言葉」からの引用だったと思う。
信号が変わって、歩きながらその言葉を見た瞬間、思わず込み上げてきてしまった。
それは、起こるときには起こる、動くときには動く・・という意味として私の意識のなかに入ってきた。
ジタバタしてもしなくても、出来事は起こるときには起こる。
その出来事がいいことか、悪いことかはわからないけれど、物事にはいろいろな面があり、タイミングは完璧なのだ。
なんとなく焦りのようなものを感じていた私には、そのように受け取れた。
あとで少し調べてみて、その説明も教会によって少し異なる感じがした。
聖書の正確な意味は知らなくても、目に入る言葉を使って必要なメッセージが送(贈)られてくることがある。
キリスト教の神様はいなくても、私のなかにもちゃんと目に見えないサポート役がいるようだ。
聖書の中にはクリスチャンではない私のような人間にも役に立つ言葉がたくさんあるのだと思う。
なにせ世界最大のベストセラー本。そう思って読んでみようとしてきたけれど、なかなか最初から読めるものでもない。
歴史を見れば、宗教批判をしたくなることも多い。
神の名のもとにどれだけの血が流されてきたのかと、そもそも神の教えは「愛」ではなかったのか?と思うと、
結局、教えなど誰も本当に理解してはいず、しょせん人間は自分の煩悩を満たすために神の教えを勝手に解釈して利用しているだけではないのかと、腹立たしい思いさえ湧いてくる。
そして、なにかをつい批判してしまいそうになるときも、聖書の言葉が飛んでくる。
「人をさばくな。自分がさばかれないためである」
「なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか・・・(中略)偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう」と。(マタイによる福音書7:1-5)
キリスト教にはさまざまな面があるけれど、この時期はクリスマスのイメージがくれる祝福やあたたかさを自分のなかに取り入れたいと思う。
そして、聖書についてもまたすこし読んでみようか、と思ったりもする。
すべての出来事には時がある。
聖書を読むには、アドベントはぴったりの季節なのだ。
9.10.2024
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
もっと私に・・・させてあげたい

なぜだかわからないけれど最近、もっと自分にいい思いをさせてあげたいなぁ、という気持ちが湧いてきている。
「させてあげたい」という、自分を客観視して愛おしむような気持ちというのか。
これは初めての感覚だ。
生前の母に、似たような気持ちを持っていたことを思い出す。
ずっと家族優先で自分を後回しにしてきたであろう母に、
もっと楽しい思い、いい思いをして欲しいなと思っていた。
それがなぜか先日、自分に対してふとそんな感情が湧き上がった。
もっと自分を大切にする、とか
自分を愛する、とか
そういったことが大事だと、知識としては知っていて
どんな自分でもまずは肯定したり、気持ちを尊重したりと、
できることをやってきたつもりではあった。
でも今回は、すこし離れたところから自分を見るような感じで、
「もっといい思いをさせてあげたいな」
と思ったのだ。
その思いのなかには、それなりに長いこと人生を歩いてきたところで
「もう十分じゃないか」という思いも入っているように感じる。
ほんとうの気持ちや欲求を抑えているのは、もう十分じゃないかと。
ずっと、ただ楽しむということが苦手だった。
何かをするには意味や意義がないといけないと思っていて、
心の底から楽しむということを自分に許してこなかったのだと思う。
なぜだか自分はそういうことをしてはいけないような、
もしかすると罪悪感すら感じていたかもしれない。
この「許さない」という感覚があることも自覚がなくて、
「私はいいの、別に興味がないから」と思って、いや、思い込もうとしていたのだ。
自分には安いところ、安い物でいいと思っていて、
それはまさに、自己価値感が低いということだった。
今でも覚えているのは、学生時代の誕生日に親からバッグを買ってもらうことになって、自分で選んでくることになった時のこと。
自分が着ている服にいいバッグは似合わない感じがして、安売りのワゴンにあるものを買ったのだ。
誕生日プレゼントなのに?!
それが自分には合っていると納得して、親にもそう話したのだけど、
たぶん本当は自分でもガッカリしていたのだと思う、
いまだに覚えているくらいだから。
その後、心の仕組みのことをすこしづつ知るようになって、
自己無価値感とか自己否定ということを知った。
決して裕福な家庭ではなかったけれど、恵まれている環境ではあったと思う。
それなのに、さまざまな理由で自己価値が低いという状況を自分に作っていた。
現状とは関係なく、自分の世界は自分の思考、思い込みで出来ているのだ。
最近よく見ているYoutubeの動画は、わりとハイクラスな感じのライフスタイルをしている女性のvlogだ。
パリを旅する動画を見たのが最初で、素敵なホテルに泊まって、おしゃれなブランドやビンテージのお店で買い物をしたり、センスのいいスイーツやパンのお店に行ったり、レストランで美味しそうなものを食べたり・・といった、かつての自分とは違う、ちょっとリッチな旅をしている。
動画に出てくるのは、美しいもの、素敵なものばかり。
そういう風に作っているというより、実際の生活がそうなのだろう。
自分が素敵だと思うものを思いきり楽しむという姿勢は、
長年抑えてきたものを解放しようとしている私にとって、とても刺激になる。
以前は見なかったそういう動画を見ていること自体が変化だ。
そして、思った。
私にももっと、いい思いをさせてあげよう。
どうせこの世は遊び場なのだから、もっと楽しもう。
魂は永遠に続くけど、人生は永遠ではない。
残りをどう使うかは、自分に任されている。
もっと、どんどん自由に。
そう決めるのは、自分しかいないのだ。
7.1.2024
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
ふたたび絵を描く

2024年も、もう半分過ぎてしまった。早い・・・。
数年前から私は、夏休みの終わりにまだ宿題が残っている子供ような気分になっている。
本当にやりたいことをやり切らずに、先延ばしにしてきてしまったのではなかろうか、と。
2022年のStay Saltyに、水彩イラストレーターのあべまりえさんのオンデマンド講座を受講したことを書いた。
「初めての時短スケッチ」という講座で、先に本が出版されていて、のちに関西のカルチャーセンターがネット上で動画を見ながら学べる講座を開いてくれたのだった。
関西にアトリエがある方なので、関東在住の私としては願ってもない講座。
説明を聞きながら描く手元を見られるなんて、百聞は一見に如かずだ。
最初の講座は「カフェ編1」「カフェ編2」で、
翌年の春には「お庭で時短スケッチ」、
そしてこの春は「旅の時短スケッチ」を受講している。
「時短スケッチ」とは、耐水性のペンで線画を描いたあと、水彩絵の具でささっと色を塗るという描き方。これを短めの時間でさくっと描くことを練習する。
単に短い時間で描くスケッチという意味ではなく、
すべては描き込まない、色を塗りきらない、モチーフに何を選んで描くか描かないか、
短い時間で絵作りを意識して、描けるレベルまで落とし込むという工程がある。
実のところ、私はそこまで厳密にやっていなくて、時間もけっこうかけたりするし、
課題以外の、自分が描きたくて描くものは、塗りたい部分をきっちり塗ったりすることもある。
けれども、描く工程がわかっただけで、上手い下手はともかく、
こんなにも「描ける意識」になるものなのか、と自分で感心している。
学生時代に友人らと描いていたのは、絵画ではなく漫画だったから
Gペンや丸ペンといった付けペンに墨汁をつけて描いていた。
だから線画にはとても馴染みがあって、ペンでスケッチすることは懐かしい感覚すらあった。
いっぽう、透明水彩絵の具は学校の美術の時間で使っていたが、
振り返ってみれば、正しい使い方というものを教わった記憶がない。
あらためてやってみると、どのくらいの量の絵具をどのくらいの水で溶けばいいものか、基本的なことすらわかっていない。
美術の授業の終わりには、その都度パレットの絵の具を洗い流していた記憶があるので、出した絵の具をそのままにしてまた使う、ということを考えもしなかった。
(ただし、出しっぱなしは絵の具が劣化するのでメーカーは推奨していないらしい)
そんな感じなので、透明水彩は子供のころから馴染みがあるはずなのに、
結局使い方は知らないに等しいということが、この歳になってわかって驚きだった。
水彩イラストや水彩画となると、スケッチと違い、
下描きを線で描いても絵の具でりんかく線を描くわけではない。
それはそれで素敵なのだけど、両方やってみて自分は線画が好きらしい、ということがあらためてわかった。
以前から銅版画も好きで、いつかやりたいと思いつつやっていないのだけど、
なぜ好きなのかといえば、銅版画は線画が多いからかもしれないと気がついた。
絵画の技法にはいろいろあるけれど、
やはり自分がしっくりくるものがあるものなのだと、
当たり前のことを興味深く感じている。
中学2年のとき、授業のクラブ活動(部活動ではない)で漫研に所属し、
文化祭で展示するために、模造紙2枚をつなげた大きな紙に「ベルサイユのばら」に出てくる「黒い騎士」を模写したことがある。
提出の前日くらいに、ほとんど徹夜で仕上げたのだけど、
なぜそんな直前になって描いたのかは覚えていない。
でもその徹夜をした一晩は、「没入する」ということはこんなにも楽しいものなのかと、あとあとまで強く印象に残る経験だった。
それからの私はおそらく、あの「没入感」をずっと求めている。
学校を卒業してからは、友人らとやっていた漫研もやめてしまい、
絵を描くことはいっさい無くなった。
社会人になってだいぶ経ってから、写真のほうへ進んだのは、
自分の好みの空気感のある写真に憧れたのと、
思うように撮れるかは別として、とりあえず「押せば写る」からだ。
絵に戻ってデッサンの基礎からやろう、なんて方向にいっていたら
表現することに挫けていたかもしれない。
でも本当は、いつもどこかで「絵が描ける人が羨ましい」と思っていた。
「線が歪んでも、失敗しても気にしなくていい」というスタンスの時短スケッチは、下描きなしでいきなりペンで描く。
地道な努力が苦手な私が、絵を描くことを再開するにはもってこいの手法だった。
写真を撮ることは、まあまあ向いていたのではないかと思うし、実際楽しかったのだが、
いま、イラストのようなものをちまちま描いていると
ひたすら好きで漫画を描いていたころを思い出す。
私の場合は、描いていれば幸せというだけではなく、
必ず「外に向って発信すること」が「好き」に含まれていた。
こうして文章を書くことも、読む人が一人でもいることを想定しての「好き」なのだ。
それは評価を求めてということより、ただ「何かを伝えたい」ということが根底にある。
今は自分のまわりにある日常的なもの、カフェのテーブルの上だったり、花だったり、旅の情景をスケッチしているけれど、
もうすこし自分なりの、独自のイメージのようなものもいずれ描けたらいいなあと思っている。
子供のように、ただ「好き」の感覚に突き動かされてその世界に没入することができたら、
中二病みたいだけど、それはきっとなにより幸せな時間だと思う。
*写真の絵の具チューブのカラーチャートは、「やさしい水彩の時間」(あべまりえ著)のチャートの作り方の図案を参考にしています。
また、スケッチの図柄は「時短スケッチ」講座の課題を含みます。

4.15.2024
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
光で描くことを教わった

昔お世話になった写真家の先生が2月の終わりに亡くなっていたと知ったのは、3月になってからだった。
今年はうるう年で、その方は2月29日が誕生日だったと思うので
「ああ、今年は先生の誕生日があるんだなあ」と思っていた。
ちょうど旅立たれたときだったのかもしれない。
写真家は、篠利幸氏。
イタリアが好きで、イタリアの写真を撮り続けていた人だ。
初めて篠先生の写真を目にしたのは、書店だったと思う。
旅やヨーロッパ関係の本が並んでいる棚の下に平積みにされていた『イタリア四季の旅』(田之倉稔著・東京書籍 1994年初版)、
その表紙の写真に目が釘付けになった。
赤い建物の出入り口の階段に、ちょこんと座っている金髪の男の子。
指さしながら、なにか本を読んでいる。
イタリアでよく見るグリーンのドア。
横には赤い自転車。
全体的にふんわりソフトフォーカスがかかった柔らかな写真。
それを見たとき、完璧な絵だ、と思った。
「光で描(えが)く」とはこういうことなのか・・と
理屈ではなく感覚で理解したのはこの時だったと思う。
イタリア語で「写真を撮る」という動詞fotografare(フォトグラファーレ)は、「光で描く」という意味だと知ったのは、カメラを手にしてだいぶ経ってから、
イタリア語を学びはじめてからだった。
当時の私は、一眼レフを手にして写真専門学校の社会人向け講座に通ったり、
フィルムでいろいろ撮ったりしていたころ。
写真を撮るということが、わかったような、わからないような
モチベーションがさがっていた時期かもしれない。
そんなとき、『イタリア四季の旅』の表紙を見て
これを撮ったのはどんな人なんだろう、
どうやったらこんなふうに撮れるんだろう、と無性に知りたくなった。

通っていた青山のイタリア語学校で写真講座が始まると知ったのは、それからしばらくしてからだったのだろう。
講師の名前を見ると、篠利幸さんである。
すぐに申し込みをしたのは言うまでもない。
そのイタリア語学校は青山のマンションの中にあり、
イタリアの家具がしつらえられたお洒落な空間だった。
そんな場所で、毎回イタリアの写真を見せられながら説明を聞ける幸せ。
私は、「これはどういう風に撮ったのか」といつになく積極的に質問し、
そのとき知りたかったことを教えてもらったと思う。
講座終了後、受講していたメンバーでフォトクラブを作り
先生にも参加していただくことになった。
みんなで撮影に出かけては、最後にはよくイタリアンで会食した。
グループ展にも参加して、いい経験と思い出になっている。
1997年、初めて秋のイタリアへと旅に出た。
その前の年には、アッシジという町で3ヶ月語学学校に通ったので
翌年また訪ねていった。
先生も同じころ、取材でイタリアに滞在するということで
アッシジ滞在が重なる時に、取材に同行させていただくことになった。
当時、農家に滞在して自然や土地の食事や文化を楽しむアグリトゥーリズモが話題になっていて、イタリア各地のアグリトゥーリズモを取材する旅の一環。
三脚持ちとして、アッシジ郊外にあるヴィッラ・ガッビアーノとマルヴァリーナという2つのアグリトゥーリズモを訪ねた。
私は車を運転しないので、郊外に行くことができないから
町から離れた自然のなかにある農家の宿に行くのも初めて。
アシスタントといいつつ、自分もあちこち写真を撮らせてもらう良い機会だった。
ちなみにヴィッラ・ガッビアーノはアッシジ出身の聖人、サンタ・キアーラの母方の子孫がオーナーで、思わぬところで800年前の聖人と血のつながる人達に会えたわけだ。
フォトクラブのような多人数で撮影しながら歩いているときと比べて、
取材に同行して撮影を間近で見ている時のほうが、
やはり撮影のスタイルがよくわかる。
アッシジの街中を歩いているとき、道端に坐り込んでジェラートを食べている女の子たちがいた。
前を通りかかるなり、先生は突然彼女たちにカメラを向けて連写。
びっくりして笑いだす女の子たちに向ってすかさず
「ブォーノ?(おいしい?)」と言って、また歩き出す。
私はそれを見て、びっくりしてしまった。
当時、見ず知らずの人を撮るのが苦手、声をかけて撮らせてもらうことも苦手な私にとっては、とてもできない撮り方だった。
撮り手がオープンだと、相手もオープンになる。
被写体の笑顔は撮り手の笑顔、鏡なのだということがよくわかる経験だった。
先生が亡くなられたと知ってから、
この時のアッシジ滞在のことをよく思い出している。
町から山道を50分歩いて辿り着く修道院に案内したこと。
食事をしたレストランで、隣に小さな男の子を連れたアメリカ人の家族がいて、楽しく交流したこと。
治安のいい町だが、夜間撮影はやや勇気がいるので
先生に同行していただいて、初めて夜のアッシジを撮影したこと。
いろんなことを断片的に思い出す。
その思い出のなかには、いつも手にフィルムカメラがある。
取材後、先生も私もそれぞれ別の町に移動した。
その直後、ウンブリア大地震が起こった。
アッシジも被害があり、間一髪といったところで守られたように感じたが
2度めの揺れで、聖フランチェスコ大聖堂の天井が崩落し
私の知り合いが亡くなっている。

その後、私はフォトクラブから脱会した。
イタリア好きの仲間と歩きながら撮るのは楽しかったが
それももう卒業のように感じたからだった。
2000年代のはじめ頃、新宿の駅前にあるイタリアンレストランで、先生のイタリア写真の展示があり、その次の期間に私を推薦してくださって、同じ場所で展示をさせていただいた。
レストランとはいえ個展は初めてで、1ヵ月にわたって店内のあちこちの壁にイタリアと花の写真を展示する機会を得たのも先生のお蔭だった。
その後も自分なりに写真活動をしていたが、
先生と繋がることはなくなった。
最後にお会いしたのはいつだったか、もう思い出せない。
人との縁は、ずっと長く続くものもあれば
短い期間に繋がるだけのものがある。
年数はたいした問題ではなく、生まれる前から約束していた交流が終われば、また別々の方向に行くのが自然だと思っている。
そうやっていろんな人との出会いが交錯して、なにかを学んでいくのだけど
篠先生から学んだことはやはり「光で絵を描く」ことだったと思う。
2.10.2024
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
パーフェクトな日々

2月になった。
毎年、1月は長く感じる。
月の後半になって、お正月はずいぶん前のことのように感じるのに、まだ1月なのかと思ってしまう。
今年は予期しない災害が元日に起こって
当たり前の日々が、まったく当たり前ではないと感じた人は多かっただろう。
お正月ののんびりとした時間や、家族や親族との団欒、生活の全てが、
一瞬にして潰されるという状況は、想像するに耐えがたい辛さだと思う。
ちょっとスピリチュアルな話になるが、
私は死別の悲しみやトラウマを持って生まれてきたようで
今回の私の人生に、それはとても大きな影響を与えてきた。
だから、大切な人を亡くされた方の悲しみには強く共鳴してしまう。
災害時の状況下での家族との死別についての新聞記事が載ったりすると、
つい読んでしまって共感しすぎてしまう。
だから、あまり深く感情的に入りすぎないように気をつけている。
ただ、そういう理由もあって、あえて魂だとか精神世界の話を時々するようにしている。
見えない世界について、魂というものについて、多少なりとも知っているのと、まったく知らないのとでは、生死についての捉え方が異なってくるし、知っていることが心の支えにもなり得るから。
とはいえ、知っているといっても、どこまで本当かということはわからない。
本当かどうかというより、自分にとって、また周りにとって役に立つかが大事だ。
生きていくうえで、気持ちが楽になって軽くなったり
元気になったり、楽しくなったり・・
役に立つとは、そういうことだと思う。
どこかで苦しんでいる人がいるのに、自分は幸せだなんてと
なんとなく罪悪感を抱くこともあるかもしれないが、そんな必要はない。
このちっぽけな自分が世界に貢献できることがあるとすれば
自分自身が明るい光になることだけだ。
バラバラに見える私たちは、実は根底で繋がっているらしいので
自分がいま穏やかで、平和でいられることに感謝できるなら
自分から出る周波数は、さざ波のように周囲に広がっていく。
それをベースとして、何か具体的に行動できることがあれば、なんでもすればいいと思っている。
流行り病の自粛期間、Youtubeをよく見ていた。
見るというより、話を聞くということのほうが多かったかもしれない。
その中で、知る人ぞ知るスピリチュアルリーダーの人の誘導瞑想の動画があって、なんとなくやってみることにした。
その誘導は、今私たちがいる3次元の世界から、エレベーターに乗って5次元の世界に行く、というものだった。
3次元とは、物質面を重要視し、善悪や優劣、争いのある世界・・・
と説明しようと思ったけど、自分が案外明確に捉えていないことに気づいてしまった。
ともかく、今いる混沌とした世界から、霊的でもっと意識が開いた世界にイメージの中で行ってみる、というわけだ。
誘導にしたがって、私は筒型のエレベーターに乗った。
それには四角い窓がついている。
エレベーターの中から今いた自分の世界を見ながら別の次元に上がっていく。
窓から見えた情景は、どこだかわからない車が行き交う道路で
道路の向こうにはビルの低層階が見えるだけの、ほんの狭い画角の情景だ。
その場所も知らないありふれた道路の情景が眼下に遠ざかっていくのを見て、
涙が出そうなほど寂しさを感じてしまった。
車と雑踏、ごちゃごちゃとした美しくもないビル、ぎゅうぎゅうの通勤電車、
めんどくさいルールや人間関係、楽しくない仕事、お金に支配される社会、
面倒なことがいっぱいある地上の世界。
そこから離れてもう二度と戻ってこないと思ったら、切なくなった。
それで、気づいてしまったのだ。
私は、好きでここに来ていると。
嫌なこと、めんどうなこと、辛いこと、いろいろあったのに
好きでここにいるんだなぁ、と。
これを書いている今日、
以前から気になっていた「PERFECT DAYS」という映画を観てきた。
主演の役所広司がカンヌ映画祭で最優秀男優賞をとった、ヴィム・ヴェンダース監督の映画だ。
都内の公衆トイレの清掃員をしている、役所演じる主人公・平山の毎日のルーティンが淡々と描かれる。
朝仕事に行くために家を出るとき、車の中から、仕事の合間に、彼は空を見上げる。
お昼の休憩中には、古いコンパクトのフィルムカメラを取り出して、頭上の木漏れ日を撮る。
単調ともいえる日々のなかで、ときどき波風がたって心が揺れる。
そしてまた毎日のルーティンが続いていく。
ささやかな人生の日々が、愛おしくなる映画だった。
大切な人を亡くした人間は、すっかり忘れてしまうのだ、
早いか遅いかの違いで、自分も同じところに還ることを。
だから急ぐことなく、地上での日々を楽しもうと再び思える日が来ることを、強く願う。
いまここにいること自体が、自分にとってパーフェクトなことだと思えるように。
12.10.2023
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
母の服

母が天国に行ってから5年半が過ぎた。
その間には、勤めていた職場を辞めたり、原因不明の体調不良になったり、あの流行り病と自粛期間があった。
特に自粛の期間が長かったせいか、その2、3年間はぎゅっと押し潰された感覚になっていて、5年以上も経った気がしない。
あらためて、そんな年月が・・・と驚いてしまう。
実家の片付けであれば、いっぺんにやってしまうのだろうけど、母とは同居だったせいもあり、ぽつりぽつりと少しづつ片付けをしてきた。
箪笥の中を整理しようかと開けると、着ていた服には故人の匂いが残っていて、存在をリアルに思い出すため捨てられず、そのまま置いておいたものも少なくない。
サイズは多少違うけれど、上着などは私でも着られるものがあり、服が増えたような有難さで着るようになったものもある。
でも例えば、直接肌に触れるようなセーターとかシャツとか身体に近い服は、状態が綺麗で着られるものであっても、着る気にはなれなかった。
ちょうど同じような時期にお母さんを亡くされた同僚も、残された服の中で上着は着られるけど、身体に近いものを着ると「私、これ着てるとだめになる、と思った」と言っていて、至極共感した。
しかし5年も経つとさすがに感覚的に変わったのだろうか。今年になって、一応とっておいた麻の薄手のシャツをTシャツの上に着てみたりした。
先日も、本当にもう残っているものを処分しなくてはと引き出しを開けてみたら、母の服のなかでも古いものがなんだか新鮮に見える。
「これ、洗ったら着られるかも」とか「これ、面白いかも」と思い始めている自分がいて、なんだか可笑しい。
これはもしかして、5年という年月で私が昔の母の歳にすこし近くなったということもあるかもしれない。
今日取り出してきたシャツは黒っぽいストライプで、よく見ると裾のあたりをきゅっと絞ったデザインになっている。
こっちはスーツのスカートだろうなと思うものは、ウールとシルクの混紡でしっかりとしたつくりのツイードのタイト。
タイトスカートなんて、もう履くことはなさそうだなと思いつつ、なんだか勿体なくて簡単に捨てられない。
ユニなんとかのようなファストファッションであっても、私は何年でも着てしまう。
というか、1年で捨てていいと思うような服は基本的には買わない。
昔のしっかりしたスーツを見ると、やはり今のようなプチプライスで買える服とは明らかにちがう。
服を手作りしたり、仕立ててもらったりしていた時代のことを思ってみると、同じものが量産される今の服はなんだか薄っぺらに感じてしまう。
私が子供のころに母が使っていたブローチなども残っていて、けっこう昭和の匂いがするものもある。
以前はそれを古臭く感じていたが、いま見るとなんとも新鮮で、逆に貴重なもののように感じたりする。
時を経て変わっていく自分の感覚が面白い。
気づけばもう12月になってしまって、結局すっきりと片づけて年を越すということはなさそうだ。
裁縫が得意であれば、昔の服をリメイクなんてできて素敵だろうけど、残念ながらそういう才能はない。
来年まで持っていきたいものかどうか、物質だけでなく、人間関係も精神的なものも、考えるにはいい時期だ。
断捨離といって、なんでもかんでも捨てればいいというわけではないし、せっかく昔の服やアクセサリーが新鮮に感じるのだったら復活させていきたい。
在るものを別の形で生かしていくことは、とても豊かなことだと思うから。
10.15.2023
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
人は蜘蛛の巣の中で生きているようなもの

WEBという言葉が使われ出したのはいつ頃だったろう。
最初は「ウェッブ」と表記されることもあって、よくわからないけど言いにくいなぁと思っていた。
WEBとはWorld Wide Webの略で、直訳すると「世界規模のくもの巣」だそうだ。
世界中にある無数のテキストや画像や動画などが、蜘蛛の巣のように結び付けられている。
最近思うのは、私たち人間もそれぞれ縁のある無数の情報が各自に結び付けられていて、「私」という人間の思考や志向を形づくっているような気がするということ。
好きなことや嫌いなこと、興味のあること無いこと、行きたい場所や行きたくない場所・・そういう好みや興味の有る無しは必ずしも親兄弟からくるわけではない。
では、いったいどこからくるのだろう。
私は自分に幼稚園児だった時代があるのと同じレベルで、前世や過去生があったと思っている人間なので、時代や国を超えた経験がなにかしら現代の自分に影響していると思っている。
なぜイタリアに何度も行ったのか。
なぜイギリスやフランスは好きで、北欧はそれほどでもないのか。
なぜ北海道より沖縄のほうがしっくりくるのか。
なぜ中国の映像を観ると郷愁を感じるのか。
なぜ日本史より世界史が好きなのか。
なぜ母は江戸時代が好きだったのに、私は平安時代に興味があるのか。
なぜ歴史的人物の漢字の名前は覚えにくいのに、西洋のカタカナの名前は覚えてしまうのか。
なぜ教会や神社仏閣に行くと落ち着くのか。
子供のころからチラシの裏に絵やマンガを描いて、ホチキスでとめて雑誌の形にしていた。
小学校のとき、新聞係で壁新聞を作っていた。
版画やスタンプ、活版印刷など、「押してうつす」ものが無性に好き。
印刷が無い時代の写本に興味があり、中世写本装飾が好きで習ったことがある。
平面に画像と文字を組み合わせてレイアウトするのが好き。
紙が好き。特に手すきのもの。
そして、ペンやインクに惹かれる。
これらのことをひっくるめて、「記して、まとめて、伝える」ことが好きだといえる。
こういった事柄のひとつひとつを取り出してみると、私という人間の好みや興味は、世界中の場所や時代に張り巡らされる“時空を超えた蜘蛛の巣”のようなものと繋がっているように感じる。
それらは、子供のころからずっと好きだったこともあれば、
ある時突然タイミングが来て自分の人生に現れたようにみえることもある。
でもそうなる以前は目の前にあっても気付かない。
このDAYSに一番はじめに書かせていただいた文章は「縁のあるところには導かれる」というタイトルだった。
そのときにイタリアとの出会いも少し書いたけれども、語学学校に通う町アッシジに導かれる前にも、それらの片鱗は自分の周りにすでにあった。
1990年頃、ミッキー・ローク(今どうしてるんだろう)主演、リリアーナ・カヴァーニ監督の「フランチェスコ」という映画の紹介ページを「ロードショー」という映画の専門雑誌(今はもうない)で見た。
ミッキー・ロークが聖人をやるなんて・・・でもちょっと興味がある・・と思った時、私はまだこの聖人のことを何ひとつ知らなかった。
その3年後、一人でイタリアを旅したときに、行きやすくて小さな町に1泊寄りたくて「たまたま」見つけたのが、その聖人・フランチェスコが生まれた町アッシジだった。
公開時はすっかり忘れていた映画「フランチェスコ」だったが、彼の町に行くことに決めてDVDを借りて観たら、その世界に馴染みがありすぎると思えるほど琴線に触れた。
それからさらに数年後、部屋の整理をしていて大学時代のノートが出てきた。
西洋中性史のノートを開いてみたら、「フランシスコ」「アッシジ」「乞食団」の文字が目に入った。
フランシスコはフランチェスコのスペイン語読みだ。
乞食団というのは、彼らが財産を捨てて托鉢と労働をしながら生きていたからだが・・
大学の授業で勉強していたとは、まったく覚えがなくて驚いた。
やっぱりそんなものなのだ。
自分の近くにそれは常にあったのだけど、時が来るまで意識は別のほうに向いている。
大学時代で思い出したけれど、夏目漱石の「坊ちゃん」が好きだった。
明治から大正にかけての、袴に学帽に下駄という学生のいで立ちがなぜか好きだったのだけど、学科の友人がそのころの時代の雰囲気が嫌いだと言った。
なんでも、結核だとかそういうことを想像してイメージが暗いのだそうだ。
そのイメージは、友人自身が繋がる蜘蛛の巣のデータから引っ張ってくるもので、私にはまったく無い。
ちなみに結核は、明治時代から昭和20年代にかけて「国民病」と言われたほどだったそうだけれど、実は今も、若い人でも罹ることがある。
さて、これから先はどんなことに出会っていくだろうか。
すでに出会っていることにもっと深く入っていくことになるかもしれないし
あらたに現れて展開していくなにかがあるのかもしれない。
今の自分にできることは、なにが来てもハートを開いて受け取ることかなと思う。
奇蹟みたいなことは、案外さりげなく訪れるものなのだ。
8.5.2023
DAYS / Kaori Kawamura Column
人生は美しい
祖母の家の夏休み
