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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Kim MIna Column

オンマと呼ばれる日々

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Kim MIna
半農半ライター

1982年九州生まれ、関西育ち。北海道大学教育学部卒。2006年、地域情報紙の編集記者1年目に初の海外旅行で韓国・釜山へ。2010年〜韓国語を学び始め、2012〜13年ソウルの延世大学語学堂に留学。帰国後、再び編集記者を経て2015年秋からフリーランス。食・農・芸術・韓国を通して人を描く「半農半ライター」の活動を始める。

2017年、韓国での農業体験取材を機に国際結婚し、韓国へ移住。現在は半農半作家生活を模索しつつ、子育て・家業・日本語会話講師の仕事に励み、今しか書けない思いをエッセイや詩で表現することがライフワーク。

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5.5.2022

DAYS /  Kim MIna Column

オンマと呼ばれる日々

フランスにいる娘のこと

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私にはフランスで暮らす娘が1人いる。
と言っても、私が産んだのではない。
5年前に結婚した韓国人の夫と、彼の前妻であるフランス人との間に産まれた子どもだ。

名前はY。
秋には高校2年生になる(日本や韓国では高校1年生)。
Yの母親は、Yが幼児期の頃に新たなパートナーと家庭を築いたので、Yには新しい父親と弟がいる。

夫はイギリス留学中にYの母親と出会い、彼女との結婚を機に韓国からフランスへ移住。
6年余り暮らした後、韓国に戻り、それ以来ずっと一人で暮らしてきた。
Yとは1〜2年に一度、お互いに行き来して交流を続けてきたという。

私と出会った当初、彼はとても自然に、過去の結婚や自分の娘について話してくれた。
Yは父親である自分の韓国姓を名乗っているということ。
7歳の頃、一人で飛行機に乗って韓国まで遊びに来たこと。
小さい頃はイタズラが大好きだったこと。
韓国の分厚いピザはあまり好きじゃないこと。
どうやら最近、思春期が始まったみたいだということ。

そして「今は街のジュニアオーケストラでコントラバスを演奏しているんだ」と言い、彼女が演奏する動画を見せてくれた。
その瞬間、私はこの不思議な縁に心から感謝した。

「私も弾いてたんだよ!コントラバス。中学から高校まで6年間」

国籍も言葉も、生まれ育った文化も何もかも違う少女なのに、「コントラバスが弾ける」という共通点があったなんて。
バイオリンやフルートといったメジャーどころではなく、大きい割にはとっても地味でマイナー。
だけど、オーケストラや吹奏楽の要である楽器を彼の娘が弾いているなんて。

やっててよかった、コントラバス。
取ってて良かった、昔の杵柄!音楽に言葉はいらないもの。
フランス語ができなくても、コントラバスという共通点さえあれば、彼女とは何とかうまくやっていけそうな気がした。

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夫との出会いから8か月後の、2017年12月。
日本で両家の親兄弟だけ招いた小さな結婚式を開き、私は韓国へ移住。
それから1週間後、私と夫はソウルの仁川国際空港からイギリス経由で、フランスの南、マルセイユへ飛び立った。
空港から車を走らせ約1時間。
お世話になる夫の友人A夫妻の家で、いよいよYと対面する瞬間が訪れた。

初めて会ったYは、明るくてハツラツとした少女というより、おとなしく、どこか少しかげりがある少女という印象だった。
多分、私がそうだったように、少し緊張していたのかもしれない。
だけど、A夫妻の家で何日か一緒に食事を重ねるうちに、少しずつあどけない姿などが見えてきた。

私がカレーライスと海苔巻きを作った日には、目をキラキラさせて写真を撮り始め、ひと口食べては「セボン(おいしい)」とにっこり。
どうやら日本の味は彼女の口に合うらしい。
食事の後、私と夫とYは初めて3人で記念写真を撮った。
「セボン」のひと言を聞けたあの瞬間。
それが私にとっては、新しい家族———“日・韓・仏のステップファミリー”始まりの日となった。

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それから半年後の、2018年夏。
Yは一人で韓国にやって来た。
「夏休みの2か月間は韓国で過ごしたい」という、彼女の強い希望があってのことだった。

 

Yが来るのは大歓迎だったものの、当時私は妊娠7か月。
韓国での初出産を控え、これから自分の身体がどうなっていくかわからない中、言葉が通じず食文化も違うYと、2か月も一緒に暮らせるんだろうか…。
一抹の不安を抱えながら、Yとの同居生活が始まった。

 

当時のことを振り返ると、「雨とブルーベリー」、「教会と涙」、「少女から女性へ」という言葉が思い浮かぶ。

 

6月末、梅雨の始まりと共に韓国へやって来たYは、雨が降りしきる夜、ブルーベリーを3パック抱えて夫と帰宅した。
冷房の効いたリビングの床に座り、3人で夢中になってブルーベリーを頬張ったことは、なぜか一番の思い出としてよみがえってくる。

 

8月の初め、「2週間うちにおいで」とYを預かってくれた義妹の前で、Yは初めて涙をこぼした。
従兄弟たちと一緒に教会のサマーキャンプに参加し、よっぽど楽しい時間を過ごしたらしい。
教会の人たちとの別れの日、ずっと泣いていたそうだ。

 

冬に会った頃は、まだ幼さをにじませていたのに、たった半年で背がぐんと伸び、少女から女性へと変わりつつあったYは、娘というより、年の離れた妹のように思える時があった。
異性である父親には頼めないことを翻訳機を使って私にそっと伝えてきたり、妊婦の私を気遣ってトマトパスタを作ってくれたり。

 

何度か私がコントラバスを教える機会もあった。
「秋の演奏会に向けて練習したい」というので、音楽塾を経営する知人に楽器を借りたら、弓の形がフランスと違ったらしく、持ち方と弾き方を教えることになったのだ。
共通の言語を持たない私たちの間で交わされるのは、アイコンタクトとジェスチャーだけ。
それでもなんとか心が通じた。
やっぱり、音楽に言葉はいらないみたいだ。

 

彼女は私を「Mina」と呼んだ。
彼女が生まれ育った国では普通のことなんだろうけど、「お義母さん」でも「おばさん」でもなく名前で呼んでもらえることが、私にはとても嬉しかった。

 

8月の終わり、仁川国際空港まで見送りにいった時、Yは「さようなら」のかわりに、私の大きなお腹を優しくなでてくれた。
その時は1〜2年以内にまた会えると思っていたのに、世界がこんなにも変わってしまうなんて。
お腹にいた息子はフランスの姉に一度も会えないまま3歳になり、Yは中学を卒業して高校生になった。

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そんなYが、今年4年ぶりに韓国へやって来る。
夏休みの2か月間丸々、韓国で過ごしたいのだという。
すでに飛行機のチケットは予約した。
今は少しずつ、彼女が使う部屋を片付け始めている。

 

4年前はフランス語しかできなかったYも、今では父親に英語でメッセージを送ってくるようになったので、英語の苦手な私は、日常生活でよく使う言葉をノートにまとめ始めたところだ。
それから、今までやろうやろうと思いながら後回しにしてきたフランス語も、少しずつかじり始めている。
Yも韓国語を勉強したいそうなので、今年の夏は、家族が使う言葉をお互いに学びながらコミュニケーションをとる、そんな時間になりそうだ。

 

一番楽しみであり、少し気がかりでもあるのは、3歳の息子の反応だ。
Yとは赤ちゃんの頃からテレビ電話を使って交流してきたとはいえ、フランスから来た姉の存在を彼はどう受け止めるだろうか?
韓国や日本で生まれ育つと「国際結婚+ステップファミリー」という概念をなかなか受け入れにくいかもしれないが、息子にはいつか、こういう家庭に生まれたことを面白がってもらえたら母は嬉しい。

 

お互いに、遠く離れた国に弟や姉がいるということを心強く思い、親なき後も交流を持ち続けていってくれたら…。
そんな願いを抱きつつ、今年の夏は子どもたちに、楽しい思い出をたくさん作ってあげたいと思っている。

 

4.5.2022

DAYS /  Kim MIna Column

オンマと呼ばれる日々

ただ、あるがままに生きる

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北朝鮮との軍事境界線に近いソウル近郊の街で暮らし、今年で5年目を迎えた。

暮らしに必要なものを自分で作りながら、人が生きる姿を書き残していきたい。
そう思い、7年前に「半農半ライター」として活動を始めたものの、国際結婚を機に韓国へ移り住み、すぐ妊娠・出産。
あれよあれよという間に、自分を取り巻く環境や生活がガラッと変わってしまった。

 

そこへ突然始まったコロナ禍。
わが家は自営業で、多くの子どもたちと接する仕事をしているため、私たち家族がコロナに感染してしまうと、仕事はしばらくストップ。
それはつまり、休んだ分だけ全く収入が入ってこないということを意味する。
たとえ仕事に復帰したとしても、保護者からの信頼を失ったり、風評被害を受けたりすれば、今の仕事で生計を立てるのが難しくなる可能性もあった。

だからこの2年間は「コロナに感染しないように」と、保育園・職場・公園などの屋外施設・病院・月1~2回の買い物以外はできるだけ出歩かず、公共交通機関も利用せず、離れて暮らす家族と会うことすら控え、日本への帰国も諦めてきた。

 

ところが、2月下旬のある日。
3歳の息子が通う保育園で発生した集団感染により、家族全員、あっという間にコロナに感染してしまったのだ。

 

39度熱が出た息子はひと晩ですっかり元気になり、韓国人の相方は喉が少し痛い程度。
ところが私は、40度近い高熱が数日続き、喉の激痛、筋肉痛、頭痛、咳に襲われるというフルコース。
発症から1か月以上たった今も、味覚・嗅覚・聴覚が少し劣った状態が続いている。

 

集中力や思考力が欠けた上に、忘れっぽさにも拍車がかかり、身体のさまざまな感覚が劣った感じがする。
でも、それらをすべて「コロナ後遺症」と言って良いのか? 
単なる老化現象なのか?
とにかく、感染前の自分とは身体も心も何かが変わってしまった気がするのだ。

 

コロナに感染する直前、韓国移住後に積もり積もっていた疲れやストレスが極限に達し、「もう消えてしまいたい」と追いつめられた瞬間が何度かあった。
でも、コロナに感染して40度近い高熱にうなされながら思ったのは、「まだここで死にたくない」「もっと生きたい」ということだった。

隔離の最中、ウクライナとロシアの間で戦争が始まった。
「うちらの若い時は戦争一色。最悪やった」と嘆いていた、昭和初期生まれの祖母の顔が浮かんだ。
目を閉じると、米軍の攻撃に備え、鹿児島の海岸で待機していた戦車の中で終戦を迎えたという祖父が、深いため息をついているように思えた。

 

息子と同じ年頃の子どもたちが地下シェルターに逃げ込み、何日も暮らしている。
父親と別れ、母親と国境を越えようとしている。
馴染みのない国で避難生活を続けている…。
身体が辛い時はその現実をとても直視できずにいたけれど、困難な状況の中で生き抜こうとしている人々の姿を見て、私も「生きなきゃ」と思わずにはいられなかった。

 

とはいえ、身体の機能がいろいろと劣ってしまったせいか、今まで興味や関心を持っていたことになかなか気持ちが向かない。
実は、こうしてパソコンの前に向かって文章を書くことも、ハードルがグンと上がってしまった。
書きかけの文章や、やりかけの作業もいくつかあるのに、ずっと放置状態のままだ。

 

でも今は、仕方がないというか、それでいいのだと思っている。
目標に向かって努力したり、コツコツ何かを続けたり、そういう人たちを見ると「素敵だな。わたしも頑張らなきゃ」と思いがちだったけれど、コロナ感染から生還した今は、これまでの思考回路が急に嫌になり、「そうできる人、そうやりたい人がやればいい。できない人、やりたくない人は、別に生きてるだけで、あるがままでいいやん」と思うようになった。

 

思うように身体や心が動かないのだから、今はただ、毎日を生きる。
できないことは家族や誰かに助けてもらい、無理をせず、目の前のことに集中して生きる。
それでいいのだと。

子育てしながらでも畑で農作業をするとか、味噌を手作りするとか、丁寧に料理するとか、仕事をしながらでも人と出会って語らって、言葉でそれを書き残すとか。
そんな夢見ていた生活すら、今の私にはなんだかとても「大変な暮らし」に思える。
なので、毎日できる範囲で家事をして、相方と一緒に仕事をし、息子を育て、その一日に感謝して眠る。
今はただ、それで十分だ。

家族全員で2週間の隔離を終えた翌日、相方の友人であるイギリス人ギタリストから招待を受け、約2年ぶりにコンサートホールへ出かけた。
感染前は人が集まるところが怖くて、ライブを聴きにいこうなんて思いもしなかったけれど、ここに来ている人たちは怖くないんだろうか? 
周りを見渡すと、全員マスクを着用し、声を出さず、間隔を空けて座ることを徹底した空間の中で、ロックバンドの歌声に酔いしれる観客の姿があった。

 

ライブ中、ボーカルの男性が「コロナに加えて戦争まで始まってしまいました。ここ数年、日常生活の中でも人が人を攻撃したり非難することが増えた気がします」と語り始めた時、私は聞こえ辛い耳を傾け、身を乗り出した。

 

「こんな大変なことばかり起こる世界の中で、音楽の役割って何なんだろうと考えるんですが、僕は1曲の歌で誰かの人生が変わることがある、音楽にはそういう力があると信じているんですね。僕自身、これまで歌いながら、そういうことを何度も経験してきました。だから今日は、日常から少し離れて、音楽を存分に楽しんでいただけたらと思います」

 

コロナに感染しないようにという、2年にわたるものすごく重いプレッシャーからしばし解放された夜、ボーカルの男性の言葉は深く心に沁みていった。
その日から私は、昔好きだった曲を1つずつ思い出し、久しぶりに聞いては口ずさみ、日常のさまざまな心配事からしばし離れる時間を持つようにしている。

 

今朝もまた何人かの保護者から「コロナに感染しました。一週間お休みします」と職場に電話があった。
最近毎日、ずっとこんな調子だ。
みんなもう「うちはいつ感染するかしら…」と、その日が来るのを仕方なく待っているような雰囲気さえ漂っている。

3月時点で、1日の新規感染者数が30万人以上(最高62万人を記録)の韓国では、今や「5人に1人が感染した」と言われている。
そんな風に、年明けから爆発的に感染者が増えていたからだろうか。
私たち家族が陽性になった時、保護者のみなさんは非難するどころか、

「もう誰がどこで感染してもおかしくない毎日ですから。どうかお大事にしてください」

と、たくさん気遣ってくださった。

 

今は反対に私たちが、「症状が軽くすむことを祈っています」と伝える毎日だ。
こんな日々があとどれくらい続くのだろう。
それはまだ誰にもわからない。

 

再感染する可能性もあるので、引き続き感染対策をして過ごさねばならないが、今年は好きな音楽を口ずさみながら、目の前のやるべきことに集中し、この4年間我慢してきたことや、できなかったことをできる範囲で1つずつ楽しんでいきたい。

 

心の赴くままに、あるがままの自分で。

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