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STAY SALTY ...... means column

Maya Column

バルト海をヒールで闊歩して

from  Stockholm / Sweden

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麻耶
ITプログラマー/通訳

米国、中国滞在後、新世紀の幕開けからスウェーデンストックホルム在住。
本業 ITプログラマー、不定期に海外ロケ補助、リサーチ、通訳。
プライベート パンデミック関連のボランティア活動。

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6.2.2021

DAYS /  Maya Column

バルト海をヒールで闊歩して

北陸の海から北欧の海へ

 

バルコニーからカモメの声が聞こえて来たら「そろそろ起床の時刻ですよ」という合図である。
カモメの姿は見えない。

寝ぼけ半分でコーヒードリッパーのあるリビングダイニングに向かう。
窓の向かいのビルは朝の陽光に照らされ、昨晩から衣替えをしている。
今日は明るくなりそうだ、と気分が浮き立つ。
北欧に住む人間にとっては、太陽の光を享受出来る短い刹那は至福の時間なのである。

リビングルームの窓を開き身体を多少乗り出すと、ビルの合間から、朝の陽光を受ける海岸の一隙が臨める。
海岸通りでは犬の散歩をする人、ランニングをしている人達が、右側から現われ左に消え、左側から右に消える。


3年前に現在のマンションに引っ越しをした。
第二の人生を始めるためであった。

ここはストックホルムのリヴィエラと称される新興住宅地である。
デザイン性を誇る海岸の前にお洒落なレストランが林立する。
夏は街中から海水浴者が集まり肉体美を競い合うトレンディ地区である。

やむを得ず夏季は彼らに譲るが、春、秋、冬季の海岸は返還して頂く。

海岸の一隙ではなく全貌を見下ろせるマンションを購入することも、住宅ローンの融資額を増額するか、あるいはかなり小規模のマンションを購入するのであれば不可能ではなかったが、今回は見送った。

何故か。

海の全貌を見下ろせるマンションを購入することは人生究極の理想であるからである。

私の人生はまだ志半ばである。
とはいっても私の志が果たして何であるのかは自覚はしていないが、それを見つけた時に晴れて海の全貌が臨めるマンションを購入する資格が出来る、そのような根拠のない私なりのジンクスがある。


****


私の父は、夕暮れ時が紅色に染まる北陸の海辺の町で生まれ育った。

しかし、

海沿いの別荘地も山間の別荘地もまだそれほど高額ではなかった時代、父が選んで購入したのは山間の別荘地であった。

エンジニアであった父は、会社を休職し、1年間1人で山に籠り、永年の夢であった「釘を一本も使わないログハウス」を建てた。

それが完成してからは、私たちは、濃霧の碓氷バイパスを背筋に冷や汗を流しながら経由し、深夜のログハウスに頻繁に出掛ける羽目になった。
私の青春時代は水着やワンピースよりも登山用ニッカズボンを穿いていた時間のほうが長かったかもしれない。
 
反面教師という言葉にもあるように、父が山への憧れを育めば育むほど、私は海への憧憬を深めていった。


父が亡くなって数年後、母が電話をして来た。
「そろそろお父さんの作業場を整理しようとしたらね、何が見つかったと思う?」

私は母の次の言葉を待った。

「夥しい数の船の模型が見つかったの。お父さんは本当は故郷の海に帰りたかったのかもしれないわね」

すなわち、 
北陸の海の町で生まれ育った父は、決して海に飽きたわけではなかったのだ。
それどころか海を愛していたのであろう。
しかし山への情熱も捨てがたく、海を離れたまま月日が経ってしまったのであろう。

 

私がこの海辺の町に根を下ろしてから20年の月日が経った。

この国はかつて「ゆりかごから墓場まで」という象徴語とともに、社会福祉国家の模範と称されていた。
しかしこの北国は、この国の言葉も文化も理解しない異邦人を常に温かく迎えてくれていたわけではない。

この国に対して、私は特に確執(かくしゅう)はないが、誰にも見えない所では号泣していたこともある。
この国に最後まで馴染めず帰国した友人達もいた。


しかし、毎朝窓を開け、温かい陽を頬に感じながら、コーヒーを片手に海岸の一隙を臨む瞬間、再認識することがある。

「幸福とはこのことなのであろう」

他人からみたら些少に感じられるであろうことでも、重要なことでもなんでも良いので幸運であった思えることを見つけてみるのである。

「今日は片頭痛が起きなかった」
「家族は今日も健康であった」
「バルコニーから差し込む陽射しが以前好きであった絵画を思い出させる」
「枯れたと思っていた胡蝶蘭が今年は満開になった」
「今日の米は透き通るように炊けた」
「どうしても思い出せなかった曲の名前を突然思い出した」
「嫌われていると思い込んでいた女友達から連絡が来た」
「ようやくクリスマスカードを一枚書き終えた」
「深雪の中で立ち往生していた時に見も知らずの人に助けられた」
「飛び入りで入ったレストランが予想を超えた美味であった」
「品揃えの豊富なアジア食材店を見つけた」
等々。

このようにリストアップをしてみると私のまわりは実は幸運で溢れていた。
これらひとつひとつの小さな幸せを集めて温存した小さな箱が、自分にとっては幸福という名前を持つものである。

 

生前、父は、私と娘達に、「日本に戻って来てくれる気はないのかな」とボソッと漏らした。
家族の希望することは大抵のことは叶えるようにしてきたが、これだけはどうしても叶えることは出来なかった。


朝、窓から臨む海の色は何故か緑がかっている。
そして、昼から夕方に掛けて、水面は徐々に空の色に染まってゆく。
ここは海岸という名前ではあるが、水面の名称はメーラレン湖である。
しかしこの水は旧市街近くの水門を通過してバルト海に繋がっている。

そして、すべての海は、結局世界のどこかで繋がっている。


今朝は、10時前に海岸に下りて行った。
北陸の海辺の町では十九時前、そろそろ空が紅く染まる時刻であったであろう。

「今年も事情があって帰国は儘ならなかったけれど、私は対岸の、すぐ近くの町で幸せに暮らしているから安心してね」、と桜と酒を海岸に供え、粛として海に話し掛けてみる。

 
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