


麻耶
ITプログラマー/通訳
米国、中国滞在後、新世紀の幕開けからスウェーデンストックホルム在住。
本業 ITプログラマー、不定期に海外ロケ補助、リサーチ、通訳。
プライベート パンデミック関連のボランティア活動。

12.10.2025
DAYS / Maya Column
バルト海をヒールで闊歩して
ある冬の放浪者

「明日、ストックホルムに寄ります。少し会う時間はありますか?」
日本で働いていた時の勤務先の先輩から予兆もなく連絡が入った。
私が日本にて派遣社員として勤務していたのは四半世紀も以前のことだ。その当時に仲良くしていた同僚達は、今何をしているのだろう、と連絡を取ってみたくなることが折々とあるが、フェイスブック等にも参加していない私には連絡をするすべもない。
LinkedInから連絡をしてきた先輩は正社員で、同じ部門でもなかったが、勤務している時は何故か交流があった。彼は七年前にファイアして、それからは、一年の半分は海外を旅行しているとのこと、既に160か国を廻ったとのことである。
「あ、そういえば、私、youtubeもやっていました。良ければサブスクしてケロ」、とのメールが来た。
なるほど、Youtubeの収益で世界中を旅することが出来るのだな、と勝手に理解した。
土曜日の午後に街の市場で合流して、旧市街まで歩いてゆく約束をした。
待ち合わせの時間に市場に向かうと真っ黄色のレインコートのようなジャケットを来た男性が市場の真ん中に立っていた。四半世紀も会っていないに拘わらず、お互いを即座に認識することが出来た。
「今、おいくつでしたっけ?」
「私は、65歳です」
腰まである長い髪を後ろで一つに束ねた男性は、私よりもかなり年上であった。しかし、彼の年齢を確認するまでは、何故か同年代だと思い込んでいた。この日も私たちはタメ口で会話をしていた。

それでは7年前と言えば、彼は58歳でファイアをした言うことになる。日本の退職制度に関しては詳しくは無かったが、もし定年退職の年齢が60歳であれば、58歳という年齢はファイアするためにはさほど早期でもないのかもしれない。
「Youtubeからの収益で旅をしているの?」「まさか、Youtubeの収益なんて月一万円ぐらいですよ。貯金を崩しながら旅をしているんですよ。私達の会社、給料はすごく良かったじゃないですか?」
と、言われても私は派遣社員であったため、時給は一律、どこでも同じであった。しかし、七年間も貯金を崩しながら世界中を旅することが出来るのであれば、実際に彼の給料は相当高額であったのだろう。優秀な社員であったため、部長の推薦にて、会社の経費にてマサチューセッツ工科大学にて博士課程を履修させて頂いていた。
日本では60歳が定年退職の年齢で、年金が給付されるのが65歳であると聞いた。
「年金が給付されるまでの五年間はどうやって暮らすの?」
「貯金で暮らすんですよ」
「それ、厳しくないですか?例えば配偶者が働いて居なくて、子供達をみな私立の大学等に行かせていたら」
「それは厳しいですよ、だから再就職をする人が多いんですよ、給料は三分の一になりますけどね。その点、私なんて楽でいいですよ。家族もいないし、車等も所有していないし、賃貸アパートだし、死んだときに貯金ゼロになっていればちょうど良い」
なるほど、自分で稼いだお金を自分に投資するのは当然の道理ではないか、彼は来年からは年金も給付される。老後の心配がない、理想的な人生である。
「今まで旅した国で一番、好きだった国を三つ上げて下さいよ」
「どこも良かったけど、三つに絞るとしたら、チュニジア、マダガスカルとラオスかなあ」
彼の掲げた国々はいずれも俗に先進国と言われる国ではなかった。
「じゃあ、今まで一番バズったYoutubeの動画は?」
「タイの地獄寺かなあ」
タイの地獄寺、聞いたことは無かったが、ネットで検索してみたら、多くの方々がレポートされていた。非常にグロテスクな、地獄絵巻を立体的にしたような光景が寺全体で繰り広げられていた。

彼の冒険談を拝聴しながら、私は木枯らし吹く、旧市街を歩いていた。広場ではクリスマスマーケットのための屋台がトラックで運び込まれていた。
考えてみたら、もうそのような時節なのだ。
2025年は私にとっては、他から見ても、とても良い一年とは言えなかったが、その一年もそろそろ終幕に近付いている。
彼は、このあと北欧をまわり、最終的にはグリーンランドを目的としている。南極を訪れたこともある彼にとってはグリーンランドへの障壁はそれほど高くはないはずであろう。
私は無類の旅好きだと自分で思い込んでいた。
しかし、世界には彼のように100か国以上を訪れている人もざらにいる。しかも、国に依っては戦時中であり、四六時中、銃を担いだ兵に防護されて観光をしなければいけなかったところもあると聞く。
道路の写真を撮っただけで逮捕され、賄賂を渡して釈放してもらった、という経験もある。
それほどの危険を冒してまで、彼が世界地図を塗りつぶしてゆく理由はなんであろう。目的を達しなければいけない、という使命感からであろうか。
「なんという経験値の高い人生なんでしょう。でも私には真似は出来ない」
「別に真似しなくてもいいよ」、彼は笑った。
おそらく、私が戦争国に、自分の意志で足を踏み入れることはない。
私は本当に旅好きなのか、それとも単に現実逃避のために現在居るところを離れようとしているであろうか。
彼から名刺を頂いた。名刺の裏には今まで訪れた国が塗りつぶされてある。残されているエリアはアフリカ中心部である。おそらく治安が良いとは言えない国々であろう。
彼は、いずれはそれらの国々も制覇するするつもりであろうか、命がけで。
北欧の冷たい空気の中で対岸の景観を撮っている彼の後ろ姿を拝みながら、なんとなく考えた。どんな危険を冒しても、彼なら生き延びる知恵と機転がある。おそらく再びどこかで再会することもあるだろう。
私が彼の年齢に達したらどのような人生を選ぶのであろう。相変わらず、他人の顔色を窺いながら組織というジャングルの中で生き延びて行くのか。
例えもしそうであったとしても、結局、それは誰に課されたわけでもなく、自分で選んだことなのだ。

9.10.2025
DAYS / Maya Column
バルト海をヒールで闊歩して
それでも人生は続いてゆく

ある朝、携帯メッセージが届いた。
その日、小忙しく走り回っていた私は、差出人の名前をチラッと見て、あとから返答をしようと、そのままにしていた。
しかし、ふと気になった。
メッセージの差出人は知り合いのミュージシャンのものに見えたのだが、その内容は、次女ミラがストックホルムを訪れているので私の次女と連絡を取りたい、というものであった。
知り合いのミュージシャンは、八月中はずっとツアー中なのでストックホルムにはいない、と言っていた。さらに、彼女に娘は一人しかいなく、第一、ミラと言う名前ではない。
もう一度、携帯電話を取り上げて、差出人の名前を確認した。確かに、名字は同じではあったが、ストックホルム在住の友人ではなく、アメリカ在住の友人であった。もう、かれこれ十年以上も会っていない友人だが、時々お互いに連絡を取り合っている。若い時に東京にて、夫婦ぐるみで仲良くしていた友人であった。
私は即座に次女の連絡先を彼女に送った。ミラが一人でストックホルムを訪れている理由を訊ねようかとも思ったが、とにかく娘達を対面させるべきだと感じ、次女に連絡をした。
その後、忙しさにかまけて、娘達の対面のことは忘れてしまったが、夕方になって思い出し、ミラとの再会が叶ったか否かを次女に訊ねた。
「うん、会ったよ、三時間も一緒に過ごしたよ」
娘は、単なる日常的な出来事の一環のごとく、抑揚のない調子でそう返答した。
「会えたんだ、良かった。何語で話したの?」「英語」「何で日本人同士なのに、英語で話すのよ?」「だってあの子の日本語の方がずっとうまいから」
次女たちの間には十年以上も交流が無かったのに、一体何を話したのであろうか、と疑問が湧いたが、若者には若者同志、何か通じるものがあるのかもしれない。

その後、ミラの母親から電話が掛かって来たため、ミラがストックホルムを訪れていた理由を訪ねてみた。「観光旅行」、という返答を想像していたが、果たして彼女の返答は、ツアーでストックホルムを訪れているというものであった。
ツアー、ニュアンスからして、観光旅行ではなく、アーティストのツアーだと感じた。そこで、ミラがずっとピアノを習っており、大会で賞を獲得していたことを思い出した。
「ツアーって、ピアノの演奏で?」「ピアノとか、ベースとか、バンドと一緒にヨーロッパを廻っているみたい」 その情報を咀嚼にするのに多少時間が掛かった。
「バンド?それで食べていけるの?」「一応それが仕事だからね。ミラはまだ私のうちに住んでいるし」
私はバンドの名前を訪ねたが、聞いたことはなかった。
「まあバンドの話はいいから、そちらの近況を教えてよ」 と、彼女は話題を転向しようとしたため、私もそれ以上、そのことには触れなかった。
しかし、驚嘆したことに、 あとからバンドの名前を検索してみると、ミラの率いるバンドは巷ではかなり有名なバンドであるらしかった。日本人の中にもファンがいるようであり、来日公演等も行っているようであった。
好きな音楽を生業にすることが出来るとは、なんと幸運なのことなのだろう、と感じたが、ミラのボーカルを聴いて、納得した。音大で鍛えただけあり、素人の私にも理解出来るほどの実力であった。
三人姉妹の真ん中のミラは、私が記憶する限りでは、何となくエキセントリックな面立ちをしていた。ミラのその外見と雰囲気は、穏やかで聡明な長女と、綿菓子のように愛くるしい末娘とは、一味異なっていた。
しかし、動画の中で、唱っている彼女はいぶし銀のごとく美しく成長していた。
外国語で唄われる歌詞の内容を理解することは往々にして難しい。日本語で唄われる歌でさえ、たまに聴き取りにくいものがある。彼らの歌は、明るいトーンではない。おそらく明るいテキストではないであろう。それは短調の、どちらかというと寂しげな、深刻なトーンである。
彼女の卓越した歌唱力が会場を圧倒している時、彼女の脳裏にあるものは何であろうか。
突然死した父親のことであろうか。
善という言葉を人間の姿にしたような彼女の父親は、二週間のサイクリング旅行から戻った次の日、突如倒れてそのまま逝ってしまった。まだ亡くなるような年齢には達していなかった。
パンデミック時代のことであったため、私たちは彼の葬儀に欠席することも儘ならなかった。そのため、私にはいまだに実感が湧かない。
友人はいまだに白昼夢の中で生きているような錯覚をしている、と言う。
そして、私の前夫はその年、たった三人しかいなかった真の友人のうちの三番目、すなわち最後の友を失った。友人達の生きた年数はそれぞれ52年、55年、60年であり、いずれも逝くべき年齢ではなかった。
52歳の友人が亡くなった時は、彼の家族からの連絡は最初に私の方へ入って来た。時刻は零時を過ぎていた。
その直後、前夫へ連絡を入れた私に前夫はこう返した。
「冗談だろ?」「私が、こんな冗談を言うために夜中に連絡するような人間だと思っているわけ?」
現実として咀嚼しがたい友人の若い死はこのように始まったわけだが、それが立て続けに三回も続くことになった。
そしてその三回目の死が、ミラの父親であった。
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善人と謳われていた父親の突然死を、次女であったミラはどう受け止めたのであろうか。
そして、ミラの父親は次女の音楽界における快挙を知ることが出来たのであろうか。果たして間に合ったのであろうか。
そして昨年、さらなる不幸がこの家族を襲った。
綿菓子のように愛らしい末娘が、非常に希少な難病に罹患した。
私の長女はその不条理に耐えかねて叫ぶ。
「一体どうしてあんな優しい家族が何度もそんな目に遭わなくてはいけないの?もう不幸は十分でしょう。もうあの人達を不幸にするのは止めて欲しい」
不条理、この世が不条理に満ちていることは、口には出さずにしても大概の人は認識していることであるが、心の底では、良いことをすれば報われる、と信じている、あるいは願っている。
ミラの歌声は、彼女の家族が連続して被らざるを得なかった悲運を帯びているため寂しげに響くのであろうか。そして、それゆえに、ミラの歌声は多くの聴衆の共感を得ているのであろうか。
そしてミラは、人生における不条理を、これからもその歌声の中に折り込めて唄い続けるのであろうか。
私の手元には、十年以上前に撮った写真がある。ミラの家族がストックホルムを訪れた時のものである。
太陽の中、湖畔を背景にして撮った集合写真である。私たちは、笑顔でカメラに向かってピースサインをしている。ミラの父親もその中にいる。
ミラだけはどこかあらぬ方を向いている。
6.20.2025
DAYS / Maya Column
バルト海をヒールで闊歩して
一年間の試行錯誤、そしてふたたび転職

「以前、勤務先はゆったりとしていて、みな仲良しで、楽しかったなあ」、などとぼやいていると涙腺が緩くなる。
前の勤務先は金融機関であったため、ステータスもあり、待遇とてさほど悪くはなかった。むしろ巷の企業よりは良かったはずである。
有給休暇33日、一日の就業時間は7.75時間、夏季などは、やることもないため、勤務中に勉強をすることも出来た。
現在の転職先との契約書にサインをする際に、かなり迷っていたことを未だに記憶している。
以前の勤務先の上司に辞職願いを提出した直後、「ニ三日以内なら後悔出来るよ」、と促され、辞職の決意が揺れたことも覚えている、昨年の二月の出来事であった。
そもそも何故、居心地の良かった以前の勤務先を辞職しようと考えたのか。

IT職というものは、二三年間勤務したあと、他の企業に転職するのが通常である。あまり長いところ一つの企業に留まっていると、傍からITスキルに劣っていると考えられてしまう危惧がある。ITスキルに長けていれば、毎週のようにリクルータさんから声が掛かるため、一つところにさほど長く留まっているはずがないからである。
以前の勤務先には六年以上留まっていた。転職を考慮し始めた頃にパンデミックが蔓延し始めた。そのような時期は転職には適さない。幸い、パンデミックの影響を受けやすい業界ではなかった。
以前の勤務先からは毎年クリスマスプレゼントを戴いていた。例年頂いていた高価なプレゼントが、突然、水筒に格下げされた時、潮時であると感じた。業績不振が危ぶまれたからである。
現在の勤務先にはそれなりに感謝はしている。以前の会社と比較して、使用されているITテクニックは最新のものに代替され、テンポは三倍程度速くなった。最初の面接からサインに至るまでが二週間という異例のスピードを鑑みてもそのテンポの速さは理解出来る。
どちらというと、慎重かつ、テンポの遅い私には適している職場ではなかった。さらに、何故か難しい仕事ばかりが私のところに一挙に当てがわれる。
「ここで数年勤務している人にでさえ難しい業務が何故、新人の君のところに廻って来るんだ?しかも量が半端じゃないよ。奇妙だな」
ある日、同僚の一人が本音を語ってくれた。二人きりになった時である。上司が在室の際にはそのような会話は憚られるからである。
私は、そのコンサルタントの言葉に救われたような気がした。業務がなかなか終わらないのは私のスキル不足だと思い込んでいた時期が長かったからである。
今週は四連休であるが、残業手当が付くわけでもないのに、休日中もほぼ毎日勤務しなければならない。早く終わらせたいからである。とはいっても業務量が半端ではないがため、自ずと時間が掛かっている。
そのようなわけで今年に入ってからは、冠婚葬祭等、遠方からの来客、以前から予定していた旅行等のやんごとなき行事がある時以外は、ほとんどの週末を残業に当てていた。
昨日、ふと思い立って、ITのコースで一緒であったクラスメートに連絡をしてみた。果たして、彼女からの返答は、
「今、長期病欠中。働き過ぎて燃え尽きちゃったの。今すぐ仕事を辞めなさい、というサインは感じていたのだけど、そのサインに従うのが遅すぎてしまったみたい」
彼女の近況であった。そうなのだ。過労あるいはストレスというものは、気が付いたころには快復が難しくなっている場合が多いのである。
ある友人のことを想起した。大昔のことだが、彼女は憧れの出版社に就職し、朝、晩、と激務をこなしていた。ある日思い立って、久しぶりに彼女を訪ねてみると、大柄長身であった彼女の体重は38キロ程度に落ちていた。私が彼女を訪ねたその日の朝、貧血で立ち眩み、階段から落ちたと言っていた。
再び社会生活に復帰するためには、少なくとも十年間を要すると医者に説かれた、と諦め顔で語っていた彼女は今どこで何をしているのか。

自分は打たれ強い、そう信じようとしている私がいる。今までの人生とて、一路順風と呼べるものではなかった。むしろ逆風の中を目を閉じて突き進んできた。
しかし今回の転職は簡単ではなかった。
今朝、ニュースを聴いていたら就職氷河期という言葉が久しぶりに耳に入っていた。この国がいま経験しているものがまさにそれかもしれない。いずれの募集にも100人以上の応募があり、専門職でない場合には700人以上が応募して来たこともあるそうである。
私の場合、最先端のテクニックを使用している会社に転職したおかげで、転職活動はまったく閑古鳥というわけでないが、それでも候補者は私一人、というわけではない。さらに休暇のシーズンが近づいている今、求職活動はさらに難しくなって来ている。
他の業界にはさほど明るくはないが、IT業界の進歩は速すぎて、その進歩の度合いは以前の二乗、三乗になっている。面接では以前聞かれなかったことが問われる。
「機械学習には明るいですか?」、等。
巷では機械学習が流行って来ていることは常識程度には知っていたが、まさか、私の業務には直接関連のない、あるいはかなり遠い延長線上に位置していると思い込んでいた機械学習までが就職の条件にまでなって来ていることには考えが及んでいなかった。
今までさんざん勉強をして来たが、今後も勉強を続けなければいけない。
今日は三件の面接を受けた。来週は六件を予定している。
「面接に招待されるだけでもすごいじゃん」、親友の一人はそう激励してくれる。彼女の娘は、逆に経験がないため閑古鳥であるそうである。
面接に招聘されても、契約書へサインする段階まで至らなければ、期待と、それ故の失望と、結局は時間の無駄に嘆く羽目になるのである。

昨今、私の周りの人々は、このようなことを呟き始めた。
「そろそろ定年退職してゆっくりと好きなことをしながら余生を過ごしたいと思い始めたよ」
まったく同感である。まだ足腰が立つ年齢に多くの土地を旅してみたい。
しかし、定年の年齢は毎年引き上げられている。私の場合は最低でもまだ15年以上は働かなければならない。
けったいな時勢になったものだ。
























