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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Purleymay Column

イギリスで朝食を

from  London / U.K.

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パーリーメイ
ライター/カリグラファー

高校時代をバンコクで過ごす。早稲田大学にて文化人類学専攻、タイのブランド学を研究。

卒業後、タイ現地の地場ホテルにて広報、バンケット宴会(ウェディング・各種パーティー)企画手配、

旅客・旅行、一般企業向け法人営業のかたわら政府要人、著名人、法人VIP顧客の対応案内に従事。

帰国後、在京タイ政府機関の職員として公使付き通訳、日タイ間の通商促進に関するマーケティ ング・ブランドを担当。

退職、子育てに専念中、夫の赴任に伴い2017年より英国在住。

ライターとして旅、生活、時事情報などを取り上げ現地より発信。

滞在中、手描きの美しさに魅了され、サットン・カレッジにてカリグラフィーを学び始める。

魅力を 伝えるため、2020年「Surreymay Calligraphy」を立ち上げ、

グラフィック・デザイナー、アーティスト、英語教師といった異業種間での合作に勤しむ。

画家KENTA AOKI氏による塗り絵本『Colorful Animals』では、表紙タイトル担当として制作に加わる。

英国カリグラフィー・レタリングアート協会(CLAS)会員

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7.11.2022

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

りんごの木

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たわわに実るりんご。

今年もこの季節がやってきた。

わが家の庭のど真ん中に鎮座するりんごの木は、いま頃青い実をたくさんつけ始める。

スーパーに通年ならんで季節感のないりんごとは違い、わが家のりんごの木は季節の移り変わりをはっきりと示してくれる。日本よりも冷たく長い冬が終わり、春になると見事な薄もも色の花を咲かせ、ひらひらと舞い散った後は小さな硬い実ができ、夏の食べ頃になれば青いまま枝からボタボタ落ち、涼しい風が吹く秋になると紅葉した実の最後のひとつまで落ちきり、冬にはついに葉っぱすらも落ちて寂しくなる。

 

このりんごの木は、ちょうど台所の窓から真正面に見える。

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息子は、5歳でイギリスの現地校に入った。

英語をまったく解しない日本の子供を受け入れてくれる、それだけを重点に学校探しをした。

「定員枠や条件などの関係で、すぐには入れなかった」という話も聞いていたが、幸い、適応度、学習面においては年齢が小さければ小さいほど入りやすいとの噂だ。

目星をつけた学校に問い合わせ、面談の予約を取りつける。

当日は、校内を案内してもらってから、校長と面談というのがお決まりだ。

ときおり、母も同じことをしたのか、と思うとまるで自分が母の姿になり変わったかのような、デジャブを感じた。

私のときに比べたら、息子の歳などなんらハードルにもならず、あっとういう間に順応するであろう。

そう、楽観していた。

 

「学年をひとつ下げて、はじめましょう。」

 

予想もしていなかった展開に、内心動揺しながらも学校生活が始まった。

教室に送り届けると、涙目でこちらを強く見つめる息子。

イエスかノーかも答えれず、話しかける先生に激しく首を振り、諦めたようにその場を離れる先生。

 

「宿題は、毎日20分までで十分です。それ以降は切り上げましょう。」

 

終わらない。

全然、足りない。

18時、19時、ときに20時・・

横に座って息子の答えを待っているうちに、猛烈な眠気に誘われ、意識が白濁してくる。

 

私がタイのインターナショナル・スクールに通っていたのは高校だったから、宿題はひとり、静まり返ったリビングのテーブルで、毎晩深夜までかかってやっていた。

カチカチと時を刻む時計の音に焦りながら、窓にふと目をやると夜景がきれいだった。

バンコクは、都会だったのだ。

それに比べたら、息子はまだ小さいから英語なんて、自然に、勝手にできるようになるんじゃなかったのか?

 

「そんな深刻に考えなくていいわよ。ウチはかなりテキトーにやってるわ。」

 

それは、英語ができるから・・

 

「クリスマスになったら突然話し始めたの」

 

やはりスペインから英語ゼロで転入してきた、女の子のお母さんが言った言葉だ。

クリスマスまで、あと何日残されてる?

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母からは、私のしていることは「親のエゴだ」とまで言われた。

そこまで時間をかけて、息子を苦しませていいのか。

単に自分が、英語の学校に入れたいだけじゃないのか、とも。

 

それは・・そうかもしれない。

 

なぜなら、自分自身が、海外で英語を学ぶことによって、その後の人生が変わったから。

息子にも、同じ世界を見させてあげたい。

 けれど、それは母も同じではなかったのか?

だから、弟と妹には日本人学校という選択肢があったにも関わらず、わざわざ私と同じインター校に入れたのではないのか?

 少なくとも、息子の場合はほかに選択の余地がなくて現地校に入った。

 それとも、片道何時間もかけて、ロンドンの日本人学校にまで通わせるのが、親としての務めなのか?

 

たまらず台所へかけ込み、流しのシンクに手をつくと、目の前にはりんごの木があった。

 暗闇の中、紅葉しかけている実がほのかに蒼白く、光り輝いている。

その年も、私はまだまだ残るりんごをせっせとジャムにし、ゼリーにし、パイにし、ソースにすべく黙々と作業を続けた。

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クリスマスはやってきた。

 

学校では毎年するのだという、イエス・キリストが生まれるまでを演じる聖誕劇があった。

息子の役は、キリストの父であるヨセフだ。

 

「おめでとう!」

 

父兄のひとりにそう、声をかけられた。羊や星の役など、歌が中心で個人のセリフがほとんどないものと比べ、ヨセフは本来であれば花形の役だったのか。

それとも、私の弟もやはり息子とまったく同じ状況で、まだ喋れなかった年にはタイでヨセフ役を当てがわれたから、ヨセフとは一見中心的で目立つ存在ながら、実はさほど発言せずとも成り立つという、便利な役なのだろうか。

いずれにせよ、担任の配慮を感じた。

舞台には、黙ったまま一度も声を発することなく、聖母マリア役の女の子に手を引かれ、右へ左へとはにかみながら歩く息子の姿があった。

 

翌年りんごの花が咲く頃、息子は校長の署名入り「勉強がんばったで賞」を手に、本来の学年へ「飛び級」した。

しばらくして、りんごの花はその年も満開になった。

 

4.5.2022

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

チャリティ

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イギリスの家には基本、どの家にもインターホンがついていない。

電子音のブザーか、金具など取手のようなものを扉にガンガンガン!と打ちつけて来訪を告げるのだ。

どちらも両方ついている家もあるが、結構な割合でブザーが壊れていることがあるので、結局はガンガンガン!の手動が確実だ。

私は日本でも、インターホンがない田舎の一軒家に住んでいたことがあり、そこでは玄関の小窓を開けて対応していたが、いまの家にはそれすらない。

来た当初はどうやって返事をすればいいのか、声を張り上げるだけか、

でもなんて? と、英語で言う言葉が見つからない。

「は〜い」「お待ちくださーい」みたいな言葉を部屋の中から発したいのだが、これまで海外でそういう状態に置かれたことがないので、およそ思いつかない。

結果「イェース?」とか、間抜けなことを口にしていたのだが、ある日ほかの日本人在住者に聞いてみたら皆一様に

「・・・」

黙り込んで、一瞬考えている。結果、

「べつに・・なにも言わない?」

確かに、ほかの外国人でも、なんか言いながら出てくるところは見たことがない。

私としては特に配達員など、留守かと思われて荷物を受け取れないと困るなどと思い、ノックがあると焦るのだが、こちらでは来訪者の方でも心得ていて、誰か出てくるまで普通に待っているだけだ。

まぁ、それもこのコロナ禍で、荷物も通常のものはガンガンガン!とノックだけして、ドアが開く前にそのまま玄関先に置いていくことが基本になったから関係ないのだけど。

 

頻繁な宗教勧誘

 

日本であれば自宅まで訪問してくる宗教の勧誘には、インターホン越しに断れるのだが、繰り返すように、こちらにはそんなもんないので、ドアを開けて対応せざるを得ない。

コロナ後はむしろ訪れる方が感染を警戒し、めっきり姿を見せるもこともなくなったが、その前は心象をよくするためか、やけに小綺麗なサマーワンピースに帽子、なんてまるで映画から飛び出してきたかのような爽やかな出立ちの御婦人が、ふたり組で現れたりしていた。

 

ある日はベビーカーの赤ちゃんを連れたママが来たので、引っ越しの挨拶?なんて思ったら、教会関係のイベントのチラシを配るためだったり、「寄付強化週間なのですが、もう済まされましたか」と、お歳を召した紳士が現れたり、イギリスは多宗教な国だが、キリスト教が過半数を超える国教なんで、やはりキリスト系の勧誘が多い。

定番の「神の冊子」を置いていったりするのには、受け取ればいいだけだからこちらもそれなりに対応できるのだが、(それでも、もちろん制服など着てないないので毎回、「誰⁈」と戸惑うのだが)来訪の意図も告げずにいきなり話し始めるのには閉口する。

日本でもたまに遭遇するが、ドアを開けるなり

「あのね、私、マリーって言うんですけどね。悩みごととかあったときはあなた、どうされます?」

と、言葉にも不慣れなのに、突然想定外の言葉を浴びせられると、状況が理解できずにタジタジとなってしまう。

いったい全体、何者でなんの話⁈  用件は⁈  と、頭の中に無数の質問が渦巻き、しばしの混乱がもたらされる。

話を聴きながらようやく徐々に訪問の意図に気づき、いまはもうそんなこと言わないけれど、はじめは無下に断るのも悪いかと思い、相手が喜びそうな「近くに教会があるので、そちらへ行くのもいいですよねぇ」なんて応じていると、向こうは俄然調子を上げてきて突然

「では、聖書の何章にあるこちらの御言葉はもうご存知?あなたのいまのお悩みですと、この章が打ってつけだと思われます」などと押しつけられたりする。

や、特に悩んでないんですけど・・。

日本でもこれと似たような場面に遭遇したことが、何度かある。友達との待ち合わせ時などに、勝手に寄ってきて勝手に同情し、勝手に私のために祈り始めるのだが、それと同じ光景が海を越えて、デジャヴのように蘇ってきたこともあった。

コロナでさすがにそれもなくなったのだが、今度はまた見知らぬ団体からなにやら手書きのお手紙がきた!中にはパンフレットもあってソレとわかるのだが、封筒は普通の白封筒、宛名は「居住者様」となってはいるがそれもホンワカする手書きで(やはりこの時代、レトロな手書きは目立つ!)、びっしりと書かれた親しげな文調に一瞬知り合いなのかと思ったほどだ。

 

盛んなチャリティ活動

 

と、なにかとお騒がせな存在でもあるのだが、イギリスの人たちはキリスト教という宗旨上、博愛主義が広く見られるのか、チャリティ精神が旺盛だとはもともと耳にしていた。

実際、リサイクル・ショップのことはチャリティ・ショップという名で、売上金は支援団体にそのまま寄付されたり、学校でもしょっちゅ寄付事業があったりと、寄付文化が確かに根づいている。

子供ではなく、お母さんが自分の誕生日パーティーを開いて、プレゼントは受けとらない代わりに、彼女が支持するいずれかの団体に寄付を促したり、クラスのお茶会を自宅で開催し、ゲームなどのアクティビティを用意、「参加費」と称して集めたお金をガン患者へ寄付したりする熱心な人もいる。

 

子供たちが通う学校やボーイスカウトでも、定期的に保存食や缶詰といった食品の提供を呼びかけ、諸団体に届けたり、学校行事のときは普段の制服ではなく、コスチュームや私服で来てもよい代わりに、提携支援団体へ1ポンドの寄付をするなど、年がら年中チャリティ活動が繰り広げられる。

クリスマスには、靴の空き箱にクリスマスプレゼントを詰めて東欧の恵まれない家庭へ送る、という恒例チャリティが毎年ある。

私などは1箱用意するのがせいぜいなのに、一家庭で子供の人数分ちゃんと用意する家もあって本当に感心する。

 

これから迎える春のイースターには、毎年異なる寄付先を設定するのだが、今年はロシアのウクライナ侵攻を受け、急きょ予定していた団体から変更し、ウクライナ支援に充てられた。

資金での援助と物資の2タイプがあり、私は求められていたリストの中からいくつかの物資を用意して寄付した。

 

ちょっと変わった話としては、あるお母さんが夫婦喧嘩をして家を飛び出し、公園で野宿をしているとホームレス支援団体らしき人たちが現れ、食べ物を恵んでくれたという。

そのときのありがたさが心に染み入ったというそのお母さんは以来、寄付活動に目覚めたそうだ。

 

「恵まれない人は世の中沢山いて、少しぐらい自分が動いたところでなにか影響があるのだろうか」と、これまで思いがちだった私も、洋服などの不用品は重くて大変でも、チャリティ・ショップに持ち込むようになった。

よき習慣は、できる範囲で見習いたい。

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2.5.2022

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

ガレット・デ・ロワ

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近年、日本でも知られてきて今年もいろいろな場所でお目見えしたけれど、私がフランスの伝統菓子「ガレット・デ・ロワ」を知ったのは、たしか2009年ぐらい、母がある日買ってきたからだ。

アーモンドクリームがつまったこのパイには、フェーブ(そら豆)と呼ばれる陶器製の人形が仕込まれており、「これを当てた人はその日王冠をかぶり、終日王様になれる」というしきたりも、このとき一緒に母から教わった。

ベツレヘムを訪れた東方の三賢人によって、イエス・キリストが神の子として見い出されたエピファニー(公現祭)の日、1月6日に食べるというこのお菓子は、フランスでは新年の祝いに欠かせないものだそうな。

 

そんな予備知識も人並みには持ち合わせていたので、とあるフランス人宅で「誕生日ケーキ」として登場したのには驚いた。それも、見たことのない長四角、かつ特大級。

たしかに、彼女の誕生日はそこらへんの日にちで、いわく、「作るのも簡単だし皆で分けられるから、私の誕生日は毎年コレなの」と。クリスマスと誕生日を一緒に祝われてしまう、そんな感じだろうか。

納得したような、普段からなかなかの豪快っぷりに、彼女らしいというか。

もともとは、別のフランス人ママに紹介されたのだけども、当時はお互いの子供も同じ学年になく共通項がなかった。

そのせいか、彼女ははじめ「あっそ」といった感じですぐに私を抜きにして会話を続け、正直感じ悪かった。

きっと、完全に興味がなかったのだろう。

それか、彼女のことだから、そんなつもりもなかった?

真意は不明だが、皮肉なことに彼女とは、はじめ紹介してくれたママよりもその後ずっと長く、それも家族ぐるみでおつき合いさせてもらうことになるのであった。

当時はそんなことともつゆ知らず、それっきりであったが、事態が急展開したのは下の子が入園した頃。

彼女の子と、同じクラスになったのだ。

すると彼女は、それ以来道ですれ違っても急にニコニコし始め、ある日などはまだ学校が始まって間もないというのに、放課後のおウチへのお誘いまでくれた。

まるで、手のひらをいい方向に返したかのような変わりっぷりに驚き、

「こ、コレが・・世に言うフランス人の「仲良くなったらとことん深くまで」ってヤツかい?。。。にしても・・あまりにも噂どおりで典型的すぎやしないか?」

 と、当初はかなり疑心暗鬼だった。

けれども、そもそも私はなぜだか初対面の印象が悪い人との方が、仲良くなりやすいのだ。

それに、「アメリカ人は一見メチャメチャ明るくてフレンドリーだけど、社交辞令的で意外に懐には入れない。それに対してヨーロッパ人なんかは、はじめはよそよそしくても真の友情を築きやすい」なんてことを、昔からよく耳にする。

 

たしかに、私が行った高校はアメリカ式だったから、アメリカ人が当然割合的にもっとも幅を利かせていたのだけれども、私の拙い英語でもつき合って仲良くしてくれたのは、オランダ人やフランス人だった。

フランス人なんて、学年でその子ひとりしかいなかったのに。

そしてときを超え、またしてもこうしてフランス人ママと交流があるとは、それこそフランス語で「デジャヴ」とでも言いたくなってくる。

正確には、「これと同じことが前にもあったような気がする」という既体験感の、deja vecuなんだろうけど。

 

仮に、モニカとしよう。

モニカは、天然が入っている。

つき合いが長い分だけ、ガクっと肩すかしのように拍子抜けすることがけっこうあったけれども、なんと言っても彼女のもはや、天然なんだか執念なんだか見分けがつかないこと代表、がコレだろう。

私の名前を、間違って(わざと⁈)覚えている

モニカの携帯メッセージは、ほかに類を見ない丁寧な出だしでいつも始まる。

 

「親愛なるメイジーへ」

 

私の名前はメイ、パーリーメイである。

はじめこそ、あー、間違ってんなー。あ、まぁた間違えたままだなぁ。

などと悠長に構え、気づいてもらえるよう、わざわざ返信の末尾には

「メイより」

と記しているのだが・・

 

口頭はもちろん、挨拶カードも、そして携帯でも、引き続き、いまだもって

「親愛なるメイジー」

である。

ここまでくると、自分の方が間違っていた気がしてくる。

なんてことは冗談だが、最近もまた極めて痛快なできごとを起こしてくれた。

 

娘の誕生日にプレゼントを持ってきてくれたのだが、差し出されたのは封筒1通のみ。

こちらではとりあえず当日は誕生日カードのみ、プレゼントは後日の場合もあると聞いていたので、そのパターンかと思ったのだが、中を確かめるとなぜか

 

ユーロ札が1枚、ヒラリと登場した

 

モニカは、天然が入っている。

10秒ぐらい、「〜と、かけまして・・」

 

その心は⁉︎

 

と、さまざまな思いが去就したが、きっとこれは「フランスに行った時に使ってね♪」と、愛する母国をアピールした、熱烈な想いが込められているのだろう、と思うことにした。

お礼メッセージに「フランスでオモチャを買える日を楽しみにしてます♪」と送ったら、めずらしく即座に返信が来、

 

「待って。いや、待って、待って」

 

と、真摯に3度もWAITが書かれていたので、これは本気で間違えた模様だ。

ポンドと交換すると申し出てくれたけど、お断りした。

 

娘には今後日本に帰っても、いつでもこのユーロを取りだして、この愉快なフランス人一家を想い出してほしいと願っている。

愉快なのはモニカだけかもしれないけど・・。

 

さぁ、そろそろ私も、ガレット・デ・ロワ焼くか、また来年・・。

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12.5.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

12月マリオン

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マリオンという名前に出逢ったのは、フランス人の留学生が最初。

華奢なからだに栗色のロングヘア、マニュキュアは淡いピンクで洋服はいつも優等生のお嬢様風。

まるでフランス語かのように、ソフトな口調で英語を話す様は日本人、いや、私が勝手に思い描く「いかにも」なフランス人の典型。

 

そういえば、渋谷と原宿にあるクレープ屋も「マリオンクレープ」だ。

やはり、フランス発祥にちなんだ名前なようだ。

 

だから、イギリスの「マリオン」に出逢ったときは、ちょっとびっくりした。

フランス系なのかな・・?って。

こちらのマリオンは、小柄なのは同じだけど栗色はだいぶシルバーに近い毛色。

 

話し方は、年齢特有のちょっとしわがれた早口で、聴き取れないこともしばしば。

 

私の娘は見知らぬ人にも手を振ったりする、なかなかの人たらしだ。

 

コロナ禍以降、バス通学から完全なる徒歩通学に変えて以来、彼女はとある場所になると立ち止まり、通り沿いの家に向かってバイバイするのが日課になった。

 

こちらの住宅街では、窓が歩道に向いて家の中が丸見えでもあまり気にしない。

むしろ、見せるためかきれいなお花やキャンドル、置き物、カードなどを飾っている家が多い。

 

かなり暗くなって、灯りをつけると昼間以上に部屋の様子がよくわかるというのに、カーテンは開いたまま。

食卓で宿題をする子供たち、リビングで巨大なスクリーンを前にテレビを見てくつろぐ大人、はたまたおばあさんは編み物やパズルをしている。

治安がいい、ここら辺りだけのことかもしれない。

 

娘が手を振るお宅には窓際に水槽が置いてあり、いつしか私たちは「水槽の家」と呼ぶようになっていた。

 

毎日行きに帰りにと、結構な頻度で顔を見合っていたけれど、初めて言葉を交わしたのはふた月ほどたってから。

珍しく、マリオンが通り沿いの前庭で作業していたのだ。

 

奇しくも、翌日は娘の誕生日。

 

次の日、いつものように帰り道に前を通ると、マリオンがなにやら手にして家の中から出てきた。

スーパーの袋から、無造作に取り出したものは青い恐竜のぬいぐるみと誕生日カード。

 

恐竜には値札がしっかりついたままだ。

 

Lots of LOVE

 

たくさんの、愛を頂戴した。

 

娘のためにわざわざ、急遽1日で用意してくれたのかと思ったら、ありがたいやら申し訳ないやら・・。

 

クリスマス休暇に入る直前、最終登校日には、朝夕ともマリオンに会えなかった。

 

そのしばらく前に、お礼も兼ねてクリスマスカードとささやかなプレゼントを渡しに行った時も、留守だったので玄関先に置いてきた。

 

このまま来年までしばらく会えないな、と思いながら帰宅した。

 

すると、あるはずのないノックが。

普段、夕方以降わが家を訪れる人は郵便配達と言えど、ない。

不審に思いながらもドアを開けると、そこにはダウンに身を包んで寒そうなマリオンが立っていた。

 

「メリークリスマス」

 

くしゃくしゃのラッピングペーパーに包まれたクリスマスプレゼントと、カードを持ってきてくれたのだった。

私たちを帰り道で待ち受けるはずが、見過ごしてしまったようだ。

 

なかには、孫が遊んでいたというカードのゲームや絵本が入っていた。

私の母も、孫のためにと昔私たちが読んだ絵本やら服を取っておいてくれていたので、日本にいる母を思い出した。

 

年を越えても、こうしてマリオンとの「バイバイ交流」は続き、その後もやはり孫の絵本をもらったりした。

 

チューリップが見頃を迎えた春の日の午後、またマリオンが外に立っていた。

 

「私たち、結構もう見知った仲でしょう。

ほら、だから、ちょっと言っておきたくて、ねぇ・・」

 

と、イギリス人らしく前置きが長い。

にじり寄りながらつと顔を上げたマリオンは、どこが目なのかわからないほど顔半分が赤く腫れていた。

 

「息子がね、シンデシマッタノヨ」

 

その後もなにやら、写真を見せるだの言いながら落ちつきなく動いている。

てっきり、外まで息子さんの写真を持ってくるのかとボーッと突っ立ってたら、中まで入れと言う。

 

玄関に入ってすぐ右が、「水槽の間」だ。

正面の台所で、今朝届いたという手紙と、新聞記事のカラーコピーを見せられた。

 

私に読む時間を与えるためか、マリオンは娘に、今日の学校生活について質問していた。

が、あいにくただでさえ英語の読解力に欠けるというのに、さらにその上個人の手書きの手紙では、判読も理解もできるわけがない。

 

そもそもなぜわが子の死を手紙と新聞で知るのか、その状況からしてよくわからず、突然の展開に頭は混乱するばかりだ。

 

合間合間に「こんなことってある?なんて悲劇なの。

そう思わない?」と、tragedyを繰り返すマリオンに、「イエス」と「アイムソーリー」を繰り返すしかない自分の英語力を呪った。

 

ここ最近は、頻繁に会うこともなかったようだ。

「けれど、とってもラブリーで3人の子供がいるいい父親でね・・」と、この日はテレビをつけては消し、ウロウロして泣いてばかりいたので誰かにこの辛さを伝えたかったのだ、と言う。

 

「あなたはいくつ?こんな想いをしたことがある?」

 

と、早口でまくしたて、わが子へは「パパとママからいつもいっぱいハグしてもらってる?してるわよね。そうであると願うわ」と、自己完結している。

 

玄関まで送ってくれた時にようやく、これは、教えてくれた時に真っ先に抱擁してあげるべきだったのか、欧米式だとそれがよかっただろうか、でも、コロナだし・・

 

などと、さまざまな思いが駆けめぐり、ギュッと手を握った。

すると、どこにそんな力があるのかと思うほどの怪力で握り返してき、あぁ、やっぱり肩を抱くとか、よくテレビや映画で観るようなことをすべきだったのだ、と激しい後悔に襲われた。

 

「子供たちとの時間を大切にしてあげて」

 

そうさいごに言い、マリオンは扉を閉めた。

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11.5.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

ポピー

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今年もイギリスが赤く染まる月がやってきた。

なに、紅葉ではない。

クリスマスにはまだちょっとばかし早い。

ポピーなのだ。

「あぁ、なるほどね。そりゃ赤だ。」

と思った人はすごい。

私なんぞはポピーと言われても、赤などとんと思いもつかない。

 

こちらに来たはじめの年、テレビをつけて怪訝に思った。

黒人のイカちい男性ニュースキャスターの胸に、なにやら奇妙な赤い、丸っこいものが刺さっていた。

別のチャンネルの金髪女性キャスターも、レポーターも、トークショーの司会も

つまり、出てくる人間誰もがなんかつけてる。

あの赤いのなに。

形からして、そもそもソレがなんなのか想像すらつかない。

その、得体の知れない物体が、ある日を境に突然イギリスの街で、メディアで、そこいらで、国中が赤に染まり始めたのだ。

な、なんで?

なんか、皆が揃って同じもの身につけるだなんて、自由の国、民主主義国家とは思えない光景に、正直不気味ささえ感じる。そもそも皆、アレ、どっから手に入れたんだ・・・。

そんなことを考えながら子供の学校に送り迎えをしに行くと、球場のビールの売り子か赤い羽根募金の子供たちのように、なにやら四角い箱を持った生徒たちが盛んに声をあげている。

子供が「あれ買って」と。

近づいてよく見てみると、あぁ、アレは!!

出た!謎の赤い未確認物体!

買うの?なんのために?そもそもアレ、なに?

テレビなどそれまで見かけたものには、ピンバッジのように金属製らしきものから布製に見えるものなどあったが、そこで売られていたのはなにやら赤い画用紙を小さい丸型2枚に切り抜いて、真ん中を黒い丸で留めた、雪だるまのような形の紙製である。

す、すぐに破れそうだな。

子供が、まだせがんでる。

あとで知ったことだが、これは第一次世界大戦の、戦没者を追悼するためのグッズであった。

終戦後の焼け野原にポピーだけが力強く生き残り、一面花畑になるほどの花を咲かせたことに由来するそう。

以降、戦争犠牲者を慰霊する象徴となり、ブローチなどのグッズが売られ始めるのだが、これは英国在郷軍人会による募金活動のひとつで、売上は英軍関係者の支援に使われる。

終戦100周年に当たる2018年は、例年よりさらに大々的に、式典などが各地で催された。わが家も息子のボーイスカウトの行事として、教会での追悼式に参加してきた。

1918年11月11日午前11時、敗戦国ドイツと勝者となった連合国の間で、休戦協定が結ばれた。

こちらの式典もその時刻に合わせ、10時58分からテレビ中継の画面がスクリーンに映し出され、起立して待機。11時ピッタリに1分間黙祷してから着席した。

その後は、休戦協定当日の様子などについての話があり、その当時、11時を目前にして、大戦最後の戦死者となってしまった各国の兵士が、何時何分、どのようにして犠牲になったかという話が披露された。

停戦実施前、わずか60秒前にドイツ兵に撃たれてしまったアメリカ兵、実施後だったにも関わらず、それをまだ知らなかったアメリカ兵に撃たれてしまったドイツ兵、なんともったいないことか。

最後に牧師が「忘れてしまうと悲劇はまた繰り返される。

だから私達は決して忘れない。」と言ったことが胸に響いた。

そうか、犯罪や災害なども、だから風化させてはならないのか。

「同じ過ちを繰り返さぬよう・・」、日頃なにかと耳にするこの類の言葉は、そのためにあるのか、とすんなり腑に落ちた。

私はここでは外国人なので該当しないはずだが、これらの時期は街中が赤色に染まり、ブローチをつけていないと非国民のような気がし、まるで誰かに試されているかのようだ。

そう感じるのはイギリス人でも同じようで、どのようなポリシーなのか、あえてブローチを身につけない人もいるようだ。

ちなみにこの関連グッズは、ほかにポピー柄のスカーフにアクセサリー、マグカップと、戦争もの博物館なんかでは時期を問わず売られている。

また、ボーイスカウトでもそうだが、学校行事として丸い小石にポピーをペイントして飾る、という習慣もあるようで、作ったそれはどうやら通りに見えるよう、自宅の玄関先などに置いておくようだ。

出先でも、ふと通りがかった教会の一角にひっそりと控えめにポピーのリースが飾られていたり、旅先の公園や観光施設で戦没者の記念碑に巨大なものが供えられていたりする。

なんとなく、日本で言えば8月の原爆の式典にとても近い雰囲気だな、と感じた。

そう考えればこちらとしても自然と気持ちが引き締まり、英国在住者のひとりとして、今後もこの慣習を尊重しなければ、と思った。

 

10.5.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

ハロウィン・ラン

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「スポーツの秋」なのは日本だけでなく、ここイギリスでも同じだ。

 

運動会は夏休みに入る前の6、7月にやるのが定番だが、今年はまたコロナ規制が怪しかったので、補習校のは休み明けの9月に行われた。

 

そして今月10月は、例年各地でマラソン大会など、ランニング関連のイベントが多く開かれるように思う。ハロウィンの月でもあるが、「イギリスの様子ってどんなのだろう」と思う間もなく、わが子が通う学校は毎年その頃「ハーフターム」と言う夏と秋の中休み期間なため、少なくとも学校行事については、いまだもってまったく知ることのないままである。

 

イギリスのハロウィン

そもそもキリスト教が多いイギリスでは、ケルト人が起源と言われるハロウィンなどは異教徒の祭りとして、特段なにをするでもない、普通の日としてスルーされているほどだ。

 

もちろんスーパーに行けば、商売なのでカボチャ型のお菓子やら仮装グッズがいくらでも並んでいるし、ロンドンや観光地に行けば異教徒の客もたくさんいることもあって、それなりにハロウィンの雰囲気は感じられるだろう。

 

けれど少なくとも日常生活において、近所の子供たちが「トリック・オア・トリート」でお菓子をもらいに仮装しながら各戸を回るなんて光景は、この5年近く1度も見かけたことがない。

ハロウィン・ラン

それもちょっと寂しいということで、わが家はコロナ前に「仮装してブドウ園を走る」という、ランニング・イベントに参加したことがある。当日は、思い思いの格好に変装した大人や子供が集まり、地面の草がまだ朝露に濡れているような、けっこうな早い時間からスタートし、2キロを走るのだ。

 

距離もさほど長くなく、遠くに広がる丘陵を眺めながら、収穫期のブドウが実った低木の間を走り抜けるのは、さぞかし気持ちのいいことであろう。ゴール後はワイナリーならではのお楽しみ、そのままガーデンで屋外ワインの乾杯である。

 

わが家はまだ朝だったので、かわりにガラス張りの天井がうつくしいカフェで、スコーンに紅茶の「クリームティー」のセットを頼んだ。その後はワイナリーツアーと、走らない私も一緒に十分楽しめた。

 

ダブリン・マラソン

翻ってイギリスの隣国アイルランドには、もともとケルト人の国であることもあり、ハロウィンを祝う習慣がもっとも純粋な形で色濃く残っているそうだ。別の年のこの頃、わが家はまたしてもランニング関連のイベントに参加すべく、今度は飛行機でアイルランドの首都、ダブリンまで飛んだのであった。

 

確かに滞在したホテルのロビーや街中のパブなどは、ハロウィンの飾りであったが、当日というわけでもなかったからか、やはり仮装して騒いでいるようなことはなかった。

 

けれど公園に行くとお祭りがやっており、ガイコツの操り人形を動かす大道芸人や、顔を白塗りにして真っ黒なマントやドレスといった衣装で楽器を奏で、歌うパフォーマーがいたりと、それなりにハロウィンの雰囲気を感じることができて満足だった。

 

大会前日祭

数日間にわたって行われる日本の文化祭のようだが、このとき夫が参加したダブリンのマラソン大会には、レースの前日に相当な規模の会場でさまざまな催しが開かれ、あたかも前日祭のようであった。

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マラソン大会参加者が当日つけるゼッケンは、通常事前に郵送されてくる場合が多いのだが、どういうわけかこのときは前日この会場に取りに行かなければならず、それで家族揃って出向いたのであった。

 

単にゼッケンもらってハイおわり、とばかり思っていたのだが、会場に到着して驚いた。ダブリン・マラソンは、ヨーロッパで4番目に大きい規模と言われているだけあり、前述したとおりこのときの会場自体も大きく、かつ人でごった返していた。

 

各スポンサー企業によるブースが設けられており、試食用サンプルが多数配られていたり、子供用に風船やフェイス・ペインティングのコーナーがあったりと、同伴した家族も楽しめるイベントと化していたのだ。

 

参加者本人である夫にとってはあり得ない話だが、このお祭り騒ぎにのぼせて肝心の受付、エントリーを忘れてはならない。カウンターに向かうと、ピエロのようなアイルランド風のデザインの帽子をかぶったスタッフがおり、初参加者には周囲へ大声で周知し、拍手と声援で激励してくれる。

 

なんて陽気で楽しいんだ!

 

正直アイルランドは、イギリスのさらに北なので、天気はどんよりと曇り、うす暗い冴えない町かとまたいつもの悪い癖で偏見を持っていた。

 

それが、大会当日の翌朝はスッキリ晴れ渡り、夫は紺碧の空の下、最高のコンディションでレースに挑むことができた。

 

こちらも無事ゴールを見届け、終了後はもちろん、アイルランド生まれのギネスビールで乾杯だ。

 

あぁ、またこの雰囲気を味わいたくなってきた。

 

日本はまだまだ緊張した状態で残念だが、幸いイギリスは今年の7月よりコロナ規制がほぼ完全に撤廃され、比較的また自由に娯楽を享受できるようになった。

 

ブドウ園でのランニング・イベントも、しっかり復活したようだ。ここはひとつ、再訪とすべきか否や・・。

 

9.5.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

隣人

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「こないだの大雨でヤラれたよ。」

 

毎年夏になるとこのセリフで始まる、右隣に住むキプロス人のアンディ。

どんな仕事を生業としてきたのか不明だが、花の手入れもせず咲くがままに、そもそも花自体自分が植えないからほとんどないわが家の庭とは違い、悠々自適、ガーデニングで余生を過ごす彼の庭は、雑誌から飛び出してきたかのようにすばらしいものだ。

 

気前よしの右隣

 

冒頭のセリフは、主に彼の数ある収穫物のなかでも特に、イチジクについてのことだ。

雨が降ればくだものが育っていいのではないか、というのはどうやら素人の戯言のようで、ことイチジクに関しては過多の雨は厄介なものでしかないようだ。

 

とはいいつつ、なんだかんだで毎年彼からはお裾分けが届く。

それもこれも、彼だけでなくその奥さん共々、年中ていねいに庭の管理をしている賜物によるものだ。

悪天候の多い冬でも雨がほんのひと時上がれば、その一瞬の隙をついてもう早速庭作業をしている。

春は色とりどりの花で目を楽しませてくれ、収穫の時期である今頃になると、下記のような温室栽培の野菜や庭の果実をくれる。


大きな大きな青菜、ラハナ(lahana)。

イギリスにはないからキプロスから持ち込んだそうだ。

ゆがいてレモンとオリーブオイルを垂らしてステーキに添えると最高だと言う。

そのシンプルさが和食のお浸しに通ずるものがあって、そういう楽しみ方をしない(できない⁈)イギリス人とは違ってとても共感できる。

 

イタリアンパセリ。

いつもあまりにも大量なので、酢漬けにしてハーブ・ビネガーにしている。

サラダにドリンクとして割ったりと汎用性があって便利。

 

サクランボ。

見栄えが悪くて正直取り払ってほしいのだけども、毎年木全体に緑のネットをかけ、実が鳥から食べられるのを防ぐ。

そのおかげでわが家にも収穫の恩恵に預かるのだけども。


プラム。

実はウチの庭にもあるのだけども、手入れが行き届いてないわが家のものは彼のものと違って明らかに小型で酸っぱい。

対していただくものは、粒も大きくとんでもなく甘くておいしい。

 

イチジク。

こちらの、というよりはとりわけ彼の庭のものは皮が黄緑で、始めはとまどった。

ところがどっこい見かけによらず、中はきれいなピンクでジューシーな甘みが口にひろがる絶品。

私の中では密かに、お裾分け1番の楽しみである。
 

イチジクにいたってはなんと、わが家の庭にはみ出して生い茂っている分は好きなだけ勝手に収穫していいよ、とのこと。

日本はもちろん、こちらでもイチジクは店で買うと小さい実がほんのちょっとしか入っていない割に、結構なお値段である。

それが取り放題だなんて、夢のようだ。

 

これらひと様の庭の恵みが、なぜか週末近く「もう冷蔵庫が空っぽで今夜の副菜をどうしよう」と困っている時に限って、タイミング良く野菜を貰えたりするので非常に助かっている。

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季節の挨拶と御宅訪問の左隣

 

上記が右隣の隣人だとすると、左隣は年配御婦人のひとり暮らしである。

季節行事を大事にしていて、クリスマスにはわざわざわが家までやって来て挨拶とカード、子供たちのためにチョコレートをそれぞれ一人ずつに持参してくれてビックリした。

 

ある日庭に見慣れないサッカー・ボールが3個も転がっているな、と思ったらどうやらこの御婦人が使っていない物を、いつのまにか投げ入れたようだった。

またある時は、これまた見慣れぬテニスボールが3個投げ入れられていると思ったら、こちらは右隣のガーデニング夫婦からであった。
 

クリスマスに挨拶を頂いたのでわが家も見習ってある年、春の行事「イースター(復活祭)」の朝に訪問してみた。

すると、可愛いウサギさんの高級チョコをまたまた子供たちに戴いてしまい、かえってお気遣いしてもらうことに。

 

その上、お隣さんはまだパジャマのようなガウンを着たままだったにも関わらず、なんと玄関ならぬ居間にまで招き入れて下さった。

子供が躊躇なくさっさと入って行ってしまったのもあり、私もそれを良いことに図々しくも、ほんの少しだけお邪魔してしまった。

 

お部屋には暖炉があり、壁一面の額に入った写真、小物などがセンス良く並べられており、「伝統的なイギリスの御宅」とでも言うのだろうか。

世代が違うので、普段ママ友の家では見たことのないような、重厚感溢れる室内であった。

 

話好きでお茶をするのが好きなイギリス人は、こうしていかなる時でも客人を招き入れるよう、常に家を綺麗にしている、とどこかで聞いたことがある。

「そんなの子供がいたらムリでしょ」とは友人談だが、確かにイギリスの御宅では、外から丸見えでも気にせずカーテンを開けっ放しにし、外に見えるよう窓際に花を飾っている家が多い。

 

生花で普段から家を綺麗に飾り、右隣りの夫妻のようにガーデニングに勤しみ、左隣の婦人のように日々を丁寧に過ごすイギリスの隣人たち。

これから冬にかけては各戸を飾るクリスマスのリースや電飾の飾りつけなど、あちこちの御宅で趣向を凝らした姿を見るのが楽しみである。

 

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8.2.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

別れ

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イギリスの学校は9月始まりで、12月までのAutumn Term、1月〜4月上旬までのSpring Term、4月下旬〜7月までのSummer Termに分かれた3学期制だ。

そのため日本では3月が別れの季節だが、こちらでは夏の期間がその頃になり、卒業生だけでなく、在校生でも転校していく者が増える時期である。

 

なかにはプライベートで保護者が送別会をひらくケースもあり、6月から7月にかけて、特にコロナ前は毎年送別会三昧であった。

 

主催者は去る側

 

日本で誰かが去ると聞けば普通、周囲が気を利かせて英語で言うところのfarewell、つまり送別会を主催し、去る側は招かれるのみ、しかもプレゼントつきという、至れり尽くせりなことが多いのではないだろうか。

 

しかしほかの海外諸国同様、ここイギリスも日本とは真逆で、こういった場合なにかを催すのは去る側である。

名称も「去りますよ〜」的なleavingパーティーや、「今までありがとう」といった気持ちを込めて、サンキューパーティーと言ったりする。

 

形式は三者三様でカジュアルなものから、ドレスコードまであるフォーマルなものまで主催者によってさまざまだ。

規模も、仲のよかったクラスメイト数人を自宅に招いて普段のように遊ぶ「プレイデイト」という集まりを拡大した程度のものから、クラス全員、それも兄弟がいる場合はそれぞれの学年に声をかけ、まるで結婚式の2次会のような盛大なものまで幅広い。

 

共通していることは、これまでお世話になった人たちへの感謝の気持ちと、おもてなしをするまごころ。

これさえあれば、たとえドリンクや食べ物が1種類でもおおいに盛りあがり、別れを惜しむ会を開くことができる。

 

招待方法

 

招待のされ方も実にさまざまで「暇があったら来てネ」といった口頭から、LINEのようなSNSを使ったクラスのグループチャットだったり、招待客のみが見られる特別なグループを作成して呼びかけたり、個別、あるいは全員宛てでメールや電子招待状が送られてきたりする。

 

海外らしい特徴としては、大きなパーティーの場合そのほとんどがクラスメイトだけでなく、その家族全員も対象としていること。

そこまで大がかりになると、会場の収容スペースや飲食物の注文量にかかわるので、家族のうち何人が、そして大人なのか子供なのか、家族構成から食物アレルギーの有無まで先方に詳しく伝える必要がある。

 

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会場の種類と服装

 

会が開かれる場所も、人数や状況によって異なる。

子供だけやママ友だけのお茶会形式などの場合は自宅だったり、家族が参加して大人数の場合は収容上、学校の広間だったり、教会ホール、はたまた広大なホッケー場が広がるスポーツクラブだったりした。

送別会シーズンが始まる6〜7月の頃は、イギリスでも晴れた日が多いさわやかな初夏なので、各自お弁当を持参し公園でピクニックをすることもある。

 

服装はもちろん基本的に自由だが、なかにははじめに述べたように、ドレスコードの指定があった会もある。

こちらに来たばかりの頃はまだ事情をよく知らず、毎回そんな感じできちんとした格好をしなければならないのかと思い、その次の別の会にも同じような格好で行った。

 

すると、その日の会はクリケット場でバーベキューパーティー、という趣旨だったので会場に到着すると参加者はみな短パンにTシャツ、ビーサンなんて人までいるくらいに完全カジュアルであった。

まぬけなことにハイヒールで行ってしまった私は、歩くたび芝生にヒールがブスブス刺さって歩きづらかったという苦い経験がある。

未だにだが、海外のTPOを予測するのはかなり難しい。

 

ホストへの手みやげ

 

当初、手みやげをどうするのか、というのも悩みの種であった。

ひとには聞き辛いネタだと我ながら思ったが、本当によくわからなかったのでとある参加予定者に聞いてみたところ、「ハッ」とした感じで、明らかになにも考えていなかった様子であった。

そのときは不思議に思ったのだが、当日会場に出向くと手ぶらの人が多く、納得した。

ホームパーティーでない場合は特に、そんなに気にしなくてもいいようだ。

 

自宅ではない場合、ワインを渡している人もチラホラいたが、「これから引っ越すのに、そんな重い物とか貰っても困るんでは?」と言っていた人がおり、ナルホド、それもそうかと思った。

 

主催者が持ち帰りやすいよう小ぶりで軽い菓子にしたり、主催者の子供向けにプレゼントを用意するのもよさそうであった。

 

これまた海外っぽくおもしろいのが、ワインや菓子はラッピングなしのむき出しのままだという点。

けれどイギリス人はカード好きなので、封筒に入ったカードがまるでのしのように菓子箱にテープでとめられている。

誕生日でもそうだが、カードはときとしてプレゼントよりも大切で、手みやげに迷ったらカードだけ手渡すというのもアリだ。

実際にそのパターンもよく見かけた。

 

まぁ、招待を受けたらなにより、当日参加することが主催者へのいちばんの贈りものではないだろうか。

 

わが家と言えば、家族ぐるみでプライベートでも付き合いのあった人との場合、感謝の意を示すため日本式にこちらがお誘いし、自宅の庭でバーベキューを楽しんでもらう。

騒しい子供たちも目いっぱい遊べて、この季節ならではの貴重な晴天を満喫する手段としても最適である。

 

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7.2.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

ときめきキングダム

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知らなかった知らなかった

イギリス人て、こんなにある意味ラテン気質だったなんて。

「古い物が好きで、暗い霧の中で寡黙に暮らすイギリス人」と、とんでもなく偏ったイメージをもってイギリスに来た私は、通りすがりの見知らぬ人に話しかけられる頻度の高さに驚いていた。

それも、ひとによっては底抜けに明るい。

それも、ひとによってはこちらが勘違いするほど舞い上がらせてくれる、イギリス男性たち!!

 

大工さんにドギマギ

 

こちらに来るまでの私と言えば、幼な子を抱えて慣れない育児に日々格闘し、自分を顧みる余裕はゼロ。

はじめこそ頑張って、多摩川沿いをタイトスカートにヒールでベビーカーを押すという、いま思えばキチガイとしか思えない格好をしていたのだが、すぐにそれはTシャツにジーパン、スニーカーといったラクなものに落ち着いていた。

 

トキめくなんてことは、数年来とんとなかった。

消え失せていた。

それがだ。

イギリスという国が、この麗しき熱い感情をいま一度、思い起こしてくれた。

いちばん初めは忘れもしない、大工仕事中のお兄さん。

こちらでは古い建屋を100年以上にわたって長らく大事に使うので、修繕工事をする家が年がら年中あちこちで見られる。

出稼ぎ風のインドや中近東っぽい見かけのひとたちも多いが、なかには生粋のイギリス人ぽい人たちもいる。

皆、押し並べて愛想がよく、特に子供が興味深げに作業の様子に見入っていると、たいてい屋根の上からでも手を降ったり挨拶をしてくれる。

 

いつも通る道にある家で工事がされていると、自然と顔見知りになる。

彼らは作業効率がよくなるのか、流行りもんの曲をラジオでガンガンにかけたり、コーランのようなお郷の歌を流したりして、ノリノリだ。

インド人のような見かけでKポップをかけていた姿はなかなかにシュールでおもしろかったが、特に白人のお兄さんたちは「ピュー」と口笛のような、冷やかしの声をかけてくる。

日本ではもはや、冷やかしでもピューとしてくれる(そもそもそんなことしない⁉︎)男性はいない。

それだけでも内心ボルテージが上がるのだけれども、それがイケメンで、音楽もかけず落ち着いたたたずまいで、毎日毎日ただただ爽やかに「ハーイ」と挨拶してくれ、気恥ずかしいのであえて対向車線側の道を通っても、

 

それでも眩いばかりの笑顔で挨拶してくれるって・・!!

某お笑いコンビじゃないが、「惚れてまうやろー!」

 

ドラマばりの演出を素でしてくる

 

挨拶と言えばこれが本当によくされ、遠くの方からなにかもの言いたげな様子だと思ったら、わざわざ私が近くに来るまで待ってからしてくれたり、対向車線から、走行中の車内から、自転車に乗りながらと実にさまざまなところからしてくれる。

ときどきあるのがキキー、と目の前に車が停まったと思ったらバタンと運転していた人が降りてきて、「グッモーニング」と満面の笑みで挨拶することだ。

 

なわけない、と思いながらも「なに?ひょっとして私のために駐車した⁉︎」と、いらぬ妄想が広がる。

単に、そこに私がたまたまいたからという理由だけなのだが、いちいちカッコよすぎる。

 

通りすがりに起きた衝撃の告白

 

またある日は後方から「グッモーニン、ビューティフル・ガール!」と、大きな声が・・。

え、なにごと⁉︎てか、ガールって歳でもないし、誰⁉︎と恐る恐る振り向くと

イカしたスポーティーな自転車に乗ったおじいさんが・・。

かろうじて挨拶を返すと、追い抜きざまに今度は

 

「アイラブユー、ベイベー!!」

 

と言い残し、疾風のように走り去っていった。

これまで話しかけられたことは数知れずだが、さすがにアイラブユーまで言われたのはこれが初めてのことで、しばらく呆然としてしまった。

もちろん、挨拶挨拶・・と、自分に言い聞かせながらも、たとえおじいさんからだとしても・・

ラブリーすぎるやろぉ、イギリス人!!

 

リトル英国紳士

 

制服文化のイギリス。

学生たちがカッコよすぎる。

わが子の通う学校もだが、幼稚園から(学校による)ネクタイにブレザーまで一丁前にし、中学生ともなるともう見かけだけは立派な英国紳士。

大学生風の青年になると、制服でもなさそうなのに、なぜか毎回カジュアルスーツに蝶ネクタイまでしている子や、サラッサラのブロンドヘアをなびかせながら、完璧に着こなした正統派スーツと革靴で、どちらにお出かけ?と聞きたくなるほどだ。

サラリーマンでもないのに、まだ社会人前からスーツを普段着のように着こなす文化に脱帽である。

さすがにこれくらいの年齢層が見知らぬ外国人に話しかけることはないが、中学生ぐらいだと変な気負いや恥ずかしさもまだ備わっていない年頃なのか、わりと気さくだ。

 

ある日も、前から自転車に乗った白人少年がやって来たので、道を空けると

 

「チアーズ」

 

と言い残していった。

彼にとっては単にお礼を言ったに過ぎないのだけど、サンキューじゃなくてチアーズってのに、それがまた、もの憂げで繊細そうな美少年だったせいで、私はノックアウト!

 

ダイレクトすぎる褒め言葉

 

まだまだある。最後は黒人少年の話だ。

 

やはり向こうから歩いてきた、またしても制服がキマってる、中学生ぐらいの男の子。

わが子のクラスメイトに似てるな、兄弟かな?などと思って思わず見てしまうと、なぜだか向こうも見つめ返してくる。

ほんのわずかな間、視線が絡まったまま通り過ぎると、少年が突然振り向きざま「ハーイ!」と挨拶してくれ、お、おぉ、と思って挨拶し返すとなんと、

 

「ユー・アー・ビューティフル・トゥデイ!」

 

と言いながら、親指を立ててくれるではないか。

トゥデイと言ってくるあたり、もしや普段から通りすがりに見られていたのかもしれない。

膝上まで隠れるジャケットに長ズボン、という色気のかけらもない普段着を。

冬の間は特に、こちらの場合春を過ぎてもまだまだ寒いので、普段はジャケットのボタンを閉め、どうせ中は見えないからと、アクセサリーもつけず冴えない格好で毎日子供の送り迎えをしている。

それがこの日は急に暖かくなった初夏で、今年初めてジャケットを脱ぎ、長袖1枚にネックレスもつけ、紫外線対策にサングラスもしていたのだ。

長ズボンとスニーカーは相変わらず同じだったけれど、上半身の変化だけでこんな思わぬ言葉を貰って嬉し恥ずかし。

さいごには「よい一日を」とまで言ってくれ・・

 

さすがはジェントルマンの国。

「眉間にシワを寄せた英国紳士がいるところ」という、まったくもってひどい偏見と共に来英した当初と比べると、雲泥の差で好感度が上がった王国である。

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6.2.2021

DAYS /  Purleymay Column

イギリスで朝食を

はじまり

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「イギリスと言えばなにを思い浮かべる?」

「・・・ロンドンの歌・・」

 

これはイギリスの公共放送局、BBCの番組『Japan with Sue Perkins』で交わされたやりとり。

コメディアンや女優、作家として活躍するスー・パーキンスが尋ねた相手は京都の芸妓たち。

スーは、幾多もの象徴的なアイコンがあるイギリスにおいて、たったひとつ選ばれたものが「ロンドン橋」そのものですらなく、よりによって「ロンドンの歌」であったことが腑に落ちない様子。

さらに追い打ちをかけるかのように言われた「アメリカ人もイギリス人も同じって感じ」という発言には衝撃を受けていた。

が、申し訳ない。

ヨーロッパからすると「極東」と呼ばれるほどはるか遠くの、日本に暮らす者からすれば、私のイギリスに対するイメージとてくだんの芸妓と大差なく、せいぜいユニオン・ジャックぐらいのものだった。

旅行先としては行ってみたい国のひとつであったが、まさか住むことになるとは。

「夢にも思っていなかった」とは、まさにこのことである。

 

そもそも夫の赴任先としての候補地が「ロンドンかヤンゴン」という、冗談みたいなホントの話で、独身時代をそれぞれインド、タイで過ごしていた私たちにとって、ヤンゴンはむしろ地理的になじみのあるエリアで、ふたりともどちらでも構わなかった。いまのヤンゴンは、軍事クーデターで大変なことになっているけれども・・。

ちょうど4年前のいま頃、まさに6月、私は子供と一緒にロンドン・ヒースロー国際空港に降り立った。

イギリスの6月といえばもう初夏で、いまであれば「1年のうちで最も過ごしやすい最高の季節」として私も認識できる。

実際、空港から利用した配車のドライバーには「今日も暑いね、もう夏だから」と言われたのだが・・日本から来たばかりの私には、吹き荒む風の冷たさに震え、いったいどこがどう「暑くて夏」なのか、皆目見当つきかねた。

しつこいようだが、いまであれば「イギリスの夏」は晴天続きで青空が広がり、爽やかで美しいと言いきれる。

しかしそれはあくまでも「全体的な雨の期間の、合間のほんの一部」であり、実際はあれだけ晴れていたのが嘘のように、翌日にはもう雨、ということがここでは当たり前だ。

今年などは、3月に季節外れの暖かさがやってきたと浮かれていたら、翌月には冬に逆戻り。

毎週のように雪に降られたものだ。

この気まぐれ気候のパターンに気づいて以降は、少しでも晴れるととてつもなく感謝し気分がアガるようになった。これは意識的に身につけた、いわば生活の知恵とでも言えるものである。

 

入居する予定だった家がその頃まだ埋まっていたので、夫がひと足先に来て住んでいた家に、一家で借り住まいすることになった。

普段はシェアハウスとしても使われているほどなので、やたら部屋数やらバスルームが多く広かった。

が、その頃の私にはこの広大さが逆にキツかった。

日本から来たばかりだったので、6月に暖房を入れるという考えは皆無であったが、この頃は季節柄そもそも暖房自体つかないように設定されていた。

けれど、その後身につけた習慣として、イギリスでは暖房をつけるタイミングというのは、季節を問わず「つけたいと思った時がつけ時」である。

この時は、つけるべきな寒さだったのだ。

けれど、そんなこととはつゆ知らず、外は晴れていても家の中は薄暗くて常に肌寒いので、毎日ソファで震えていた。

引っ越し荷物が未着なため、長袖なんてものは基本的になかったのだ。

 

家具つきの家ではあったが、使い慣れた調理器具や料理本もまだなく、レシピがないと作れない私は、満足にいかない料理と慣れない食材に、文字どおり味気ない思いを募らせていた。

極めつきはバスルームの電気がつかないことで、夏だったから日が長くてよかったものの、それでも毎晩自分が入浴する頃には薄暗くなってしまっていた。

暗闇のなか手探りで動かなければならなかったが、幸いにも3階のバスルームには窓がついていたので、バスタブにさえたどり着けば外のわずかな残光でなんとかやり繰りできた。

 

まだ地理的構図がわからず、いったいその家がどういう立地に建っていたのか不明だったが、高台にあったせいか窓から見える景色は庭と、さらにその先は樹々に覆われ森林状態に。

時おり覗く他家も屋根だけで、あとは同じく高台に向かって立ち並ぶ家々が、まるで絵画のように遠くに見えるだけ。

なんだこの幻想的な風景は。

まるでおとぎ話に出てくるような、森に突如現る洋館そのものじゃないか!

そう感嘆しながらも、なんだか切なく悲しい気持ちになっていた。

 

まだ子供の学校も決まっておらず、知り合いが誰ひとり近くにいないなか、数週間のうちに家族以外と話したのは大家、学校見学に出向いた先の校長と電気修理に来た業者のエンジニアのみ。

昨年から続くコロナ禍での「ステイ・ホーム」を先取り、地でいくような引きこもり生活を送っていたのだ。

テレビをつければ、私たちが到着したその夜に、ロンドン橋で起きたテロ事件の報道ばかりが流れていた。

その10日後には、第二次世界大戦後最悪の死者数を出したと言われた「グレンフェル・タワー」が、火災で燃え盛っていた。

当時イギリスはその前年より欧州連合離脱、いわゆるブレグジットが決まり、悪い意味で日本でも注目されていた。そこへきて、来るなりこの有り様だ。親からの何気ないLINEの言葉にさえ過剰に反応してしまい、「わが家が日本から厄災を持ち込んだのか?」などと関係ないことまで考えていた。

 

外に

出よう

 

週末、子供を夫に預け、はじめてひとりで町を歩いてみた。

教会の多さが目についた。誘われるようにふらりと立ち入ると、にこやかな女性に声をかけられた。

「業務連絡」ではない、はじめて「プライベート」でイギリス人と言葉を交わした瞬間だった。

そこで、教会では日本の児童館のような役割を果たす、親子向けの集まりが毎週あることを教わった。

 

はじめて、ママ友ができた。

7月、はじめて、ピクニックに参加した。

はじめて、家に招かれた。

はじめて、地域の祭りを訪れた。

8月、自転車を買った。

それまで、夫が運転する以外はどこへ行くにも徒歩だった。

ヨチヨチ歩きの子供とでは、とてつもなく時間がかかった。

週末、はじめてひとりで自転車に乗り、買い物に出かけた。

ペダルをひと漕ぎするだけで、ズイッと滑るように前に進み出た。

視界が、トラックの運転席のように、いっきに高くなった。

初夏の風が全身を切り抜け、気持ちよかった。

 

イギリス

これが、イギリス

ペダルを踏む足に、力を込めた。