


小林里純
エッセイスト
長野県出身のエッセイスト。2児の母。安曇野市の一棟貸し「Rinrei terrace」をプロデュース。

7.10.2026
DAYS / Rizumu Kobayashi Column
変わったこと、変わっていくこと
みゆうちゃん

みゆうちゃんは十七歳だけど、鎖骨の下に大きな薔薇の刺青があった。薔薇の横には、アルファベットで彼氏の名前がどーん、と迫力満点に彫ってある。
「本当は十七だからまだ彫っちゃいけないんだけどさ。彼氏の知り合いが内緒でやってくれるって言うからお願いしたんだ」
黒髪ストレートロングに、白くて柔らかそうな肌をもつみゆうちゃんは、芸能人の新垣結衣に似ていた。そしてきめの細かい、きれいな肌に施された毒々しい薔薇は、どんどん広がっていく大きな生傷みたいだった。
みゆうちゃんの実家は新潟で、母親が恋愛依存ぎみで、みゆうちゃんは義父との相性が悪かったらしい。
高校もほとんど通っていなくて、彼とはスキー場のバイトで出会ったという。スノボをしに来た彼と仲良くなり、「居場所がないなら俺んち来いよ」と誘われ、みゆうちゃんは彼を追って上京した。一般的にはこれを「家出」と呼ぶ。
みゆうちゃんは彼の家の近くにある焼肉屋でアルバイトを始め、そしてそこで、同じくバイトをしていた私と出会ったのだった。
一度だけ、みゆうちゃんと彼の住む家に遊びに行ったことがある。ふたりは一人暮らし用のロフトつきのワンルームにふたりで暮らしていた。みゆうちゃんの彼氏は私が想像していたよりもずっと若く、十八歳だった。
みゆうちゃんの彼氏は私を見ると、へらへら笑いながら、
「ぜんぜん、気にしなくていいっすよ。自由にしてくれて。俺も屁とかこくんで」
と言った。冗談かと思ったら、本当にあぐらの態勢から尻を少し浮かせ、ぶっぶっと、二回連続のおならをしたのでびっくりした。

テレビ台にはお菓子の缶が置いてあった。
「ふたりで旅行するために、毎日ここに五百円ずつ入れてるんだ」
みゆうちゃんは嬉しそうだった。
ふたりは、旅行だけでなく結婚の話もしていた。親は呼ばないとか友達は呼ぶとか。まだあどけない二人を見ていると、全然リアルじゃなくてごっこあそびみたいだった。
それから一ヶ月くらい経った頃、バイト先でみゆうちゃんが「彼氏と別れようと思う」と言った。
「え、どうして?」
「彼氏がさ、ふたりで貯めてた貯金箱のお金盗ってた」
「それは……」
「で、私がもう別れるって言ったらキレて暴れて」
たしかに、暴れそうな人ではあった。
「だから荷物まとめ逃げてきた」
見ると、みゆうちゃんの足元にキャリーケースがあった。
オープン前のバックヤードでしばらく話していたら、ものすごい音でドアを蹴られる音がした。びっくりしてかたまる。ドアの外から声が聞こえた。
「みゆう、ごめん。俺が悪かったから。話そう。な?」
みゆうちゃんの彼だった。言葉と行動がちぐはぐで、とても冷静に話し合えそうな雰囲気ではない。
バックヤードの外にいた副店長が慌てたように「ここは店だから冷静に……」と仲裁する。しかし、みゆうちゃんの彼はますますヒートアップしてドアを蹴り、怒鳴る。みゆうちゃんは泣き始める。副店長はもっと慌てて「警察を呼びますよ」と言う。私は現実味がなくてぼうっとその光景を見ていた。
そのあと、どういう流れでその場がおさまったのか、あまり覚えていない。ただ、あとからやってきた店長が、副店長に「ここはチェーン店なんだ! 大事になったらどうする! 気軽に警察なんて呼ぼうとするなっ」と、めちゃくちゃ怒っていたのは覚えている。
みゆうちゃんは、同じバイト内の大学生である山ちゃんと付き合い始めた。
「山ちゃんがさ、このタトゥーに嫉妬してるんだよね。だから消そうと思って」
そう言うみゆうちゃんは、ちょっと嬉しそうだった。


信州安曇野一棟貸し「Rinrei terrace」

信州安曇野に佇むシングルルーム6部屋を備えた一棟貸切
各部屋ベッド・トイレ・シャワー付き
仲間との気兼ねない旅の間
一人一部屋のプライベート空間でゆったりと
4.14.2026
DAYS / Rizumu Kobayashi Column
変わったこと、変わっていくこと
これが正しくないなんて言えない

大学の頃、御徒町にあるDVDを制作する会社でアルバイトをしたことがあった。ネットにあった求人広告を見て応募したバイトで、クリエイティブ職だった。
バイトの面接で小室哲哉に似た男性が仕事内容について説明してくれたのだけど、私は言っていることがいまいち理解できず、とりあえず「大丈夫です」と答えた。
確か小室哲哉(仮)は、「うちの会社では心理学を使って人を助ける感じのDVDを作ってるんだけど、そういうの嫌だったらこの仕事は向いていないかも。どうかな?」と言ったのだ。
無知な女子大生だった私は「心理学を使って人を助ける=うちでは教育的なDVDを制作しているから、勉強が苦手ならやめたほうがいいよ」と言われたのだと勘違いした。
だから、この会社の社長がナンパ師で有名とされる男性で、だいぶ怪しいDVDを制作している会社だと知ったのは、実際に働き始めてから。(ちなみに小室哲哉はナンパ師ではなく、ナンパ師の友だちで仕事を手伝っている人だった)。
私が一番最初にした仕事は、DVDにラベルのテープを貼る作業だった。【夫の心を取り戻すための催眠療法】というタイトルで、内容が気になりまくりながらも、そんな素振りは見せないようにしてひたすらラベルを貼った。
この会社はいったい何なの……と思った。机に積み重なった大量の資料には「ナンパ成功率80%! 完全版ロールプレイングテキスト」と書かれている。
私はなんとなく、心理学を使って人を助ける仕事の正体がわかり、とんでもないところに来てしまったかもしれない、と思いながら無心でラベルを貼った。
仕事に慣れてきた頃、今度は小室哲哉(仮)に音声データを渡され、テープ起こしをするように言われた。「いったいどんな内容のテープを……?」と不安になりながらイヤホンをつけたら、普通に大学の先生か何かが心理学について話しているインタビューで拍子抜けした。

もしかしたら、この偉い人に聞いたであろうちゃんとした学術的な内容をもとに、「ナンパ成功率80%」の資料を制作しているのかもしれない。そう思ったら、一言一句逃さずにちゃんと書き起こそうと思った。
よく見たら周りにはナンパだけでなく、モテる仕草、落とす会話などなど(もっとエグい系のものも含む)タイトルの本やDVDがそこかしこにあった。そんななかでどこかの教授に聞いた小難しい話をカタカタと打ち込んでいるのにギャップがあって、変な感じだった。
同じデスクの端っこには小太りの若い男性が座っていて、定期的にかかってくる電話に出て話している。
「イケメンじゃなくても全然大丈夫っすよ。書かれている通りにまずはやってみてください。俺もこれやったらモデルの彼女ができたんで」
「あー、それは辛いっすねー。まあ今回はうまくいかなかったかもしれないすけど、続けていくとばっちし効果ありますよ。ロープレに書いてある通りの会話、自然に言えるようになってからが勝負っす」
「おーまじっすか! その調子で次のステップいっちゃってください」
「あーその段階なんすね。俺はそこから半年後には俺はこれで5人の女性に告られてそれはそれで結構大変すよ(苦笑)」
いったい何を話しているんだろうと気になる。小太りの男性はとてもモテるタイプには見えないけど、電話ではなぜか「めちゃくちゃモテる男」として振る舞っていた。
電話中に私がちらちら見たせいか、電話を切ったあと小太り男性は私を見て、ふっと短い息を吐いて「それって本当のことですか? なんて聞かないでね」と苦笑いした。
きっとこの男性の仕事は、ナンパのテキストを購入した男性の特典か何かについてくる無料相談を受けることなのだろう。なかなかハードな仕事だ。
幸い、私にまわってくる仕事は、梱包したりテープ起こしをしたりと安全なものばかりだった。もしかしたら気を使ってくれていたのかもしれない。

バイトの歓迎会では近くにあるしゃぶしゃぶ屋さんに連れて行ってもらった。乾杯をしてすぐに小室哲哉(仮)が「どう? この仕事。本当にできそう? 無理だったら言ってくれていいからね」と不安そうに言った。私は「全然大丈夫です」と面接のときと同じ返答をした。
実際に私がやっていた仕事は「大丈夫」の範疇だった。社員の方たちはバイトの子たちに食べさせるだけ食べさせて、自分たちはほとんど食べていなかった。
そして意外なことに、みんな本当に真面目にこの仕事をしていた。かかってくる電話の相手を馬鹿にするような発言はまったくしなかったし、売れ行きの悪いDVDの改善点を飲み会の席で真面目に話し合っていた。
今後の展望についても社長を中心にどんなことができるか、どうしたら購入者に喜んでもれて、購入者が幸せになれるのかを本気で語り合っていた。
私は彼らをぼんやりと眺めながら「私はもうここの会社に来ないだろうな」と思った。今この瞬間がこの人たちと関わる最後の瞬間で、この歓迎会が終わったらもう一生関わらないんだろうな、と思った。
そして本当に次のバイトの日に行かなかった。
数年後、友人と行った婚活パーティーで出会ったごつめの男性に、突然小声で「もしかして君もサクラ?」と聞かれた。え、これってサクラがいる婚活パーティーなのとぎょっとして黙っていたら、同意したのかと勘違いされ、「実は俺もサクラ」と言われた。
適当に話を合わせていたら「もしかして××さんの知り合い? 俺も××さんの知り合いでサクラ頼まれたんだよね」と笑う。その「××さん」こそが、ナンパ師の社長で、このパーティーの主催者らしい。なるほど、今はこういった仕事をしているのかと妙に納得した。

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12.10.2025
DAYS / Rizumu Kobayashi Column
変わったこと、変わっていくこと
歩いて行けないコンビニ

「大人になったら、歩いて3分の場所にコンビニがあるところに住みたい」と思っていた。
眠れない夜にもふらりと立ち寄れるコンビニ。どんなに遅い時間でもやっているなんて、夢のようだ。あの安っぽい白い光を浴びているだけで安心できるし、パジャマやサンダルで受け入れてくれそうな寛容さもすばらしい。
けれど、高校生の私は長野の辺鄙な田舎に住んでいて、歩いて行ける距離にコンビニなんてなかった。コンビニに行くには車が必要で、免許をとれる年齢ではない子どもにとって、コンビニはとても遠い存在だった。だから「早くこんなところを出て、コンビニの近くに住むんだ」と思っていた。
月日は流れ、夢は叶った。私は今、歩いて3分でコンビニに行ける場所に住んでいる。コンビニが近くにある生活はとても便利だ。家にプリンタがなくてもコンビニに行けば印刷ができるし、メルカリで購入してもらった本もコンビニで簡単に発送できる。思い立ってアイスやグミを買いに行くことだって、小腹がすいたからとホットスナックを選ぶことだってできてしまう。コンビニが近くにあることの自由。大人になることの自由。

その快適さにすっかり慣れた最近になって、長野に住んでいた頃のコンビニを思い出す。
子どもだった私にとって、コンビニは親と行くものだった。
夕食後、甘いものが食べたくなると「アイス食べたくない?」と提案する。そしてわざわざコンビニにアイスを買いに行くために、父は車を出す。街灯もない真っ暗な田舎道をドライブする。
父と私のふたりでコンビニに行くときは、たいてい大声で歌をうたった。ドリカムの曲だったり、山口百恵だったり、その日によって色々で、そもそも曲を知らない父は私に合わせてめちゃくちゃな言葉で叫ぶようにして歌う。音痴だった。
コンビニに着くと、ふたりとも嘘みたいにおとなしくなって、ただのアイスを買う客になる。店員からビニール袋に入った家族の人数分のアイスを受け取り、私も父もいそいそと車へ戻る。
私は助手席に座り、膝の上に乗せる。きっと帰ったら母がコーヒーを淹れているだろう。面倒くさがりながらも暗黙のルールとしてみんなでアイスを一口ずつ交換するのだろうことを思いながら、また父といっしょに大声で歌をうたう。
歩いて行けないコンビニが当たり前だった。その当たり前は、気づかないうちに変わっていく。


信州安曇野一棟貸し「Rinrei terrace」

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