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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Sachiko Kuroiwa Column

パリの屋根とバイオリン

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黒岩幸子
ヴァイオリニスト/教師

パリ在住。ミラノ交響楽団第一ヴァイオリン奏者を経て渡仏。

フランス内外のオーケストラ及び室内楽奏者として活動を続ける。

近年ではパリで後進の指導にも情熱を燃やす。noteで様々な考えを発信している。

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9.5.2022

DAYS /  Sachiko Kuroiwa Column

パリの屋根とバイオリン

父の家

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6月の初め、予期せぬニュースが2つ舞い込んできた。

1つ目はパリ近郊の静かな街のコンセルヴァトワール(音楽学校)でヴァイオリン教師のポストを任されたこと。

2つ目は東京で一人暮らしの父のためのバリアフリーのアパートがついに見つかり、引っ越しが7月上旬に決まったことであった。

窓の外の燃えるような新緑を見つめながら、私はひとつの新しいサイクルがどこかでようやく音を立てて動き出すのを感じながらほっと胸を撫で下ろした。

 

それから二週間後、猛暑が訪れる一歩手前の東京に、私は父の引っ越しを手伝うため帰国した。

最後の帰国からもう一年半が過ぎていた。

もともと物を捨てられない性質の父と、既に溜め込まれた物の数々。

それらとどう対峙しながら引っ越しを進めていけばよいのか。

そんなことを考え始めると、せっかく東京に帰ってきたことも忘れて気分はどんどんブルーになってゆくのだった。

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ところがそんな私の心配は3日で終わってしまった。

 

帰国して3日目の朝、なんと父は心不全で病院に担ぎ込まれたのである。

早朝、奇跡的にも父の異変にいち早く気付くことができたお陰で一命は取り留めたものの、退院はまだ先になりそうだった。

突然私は古い家にたったひとり残され、引っ越しまでの2週間を手伝いに来てくれる兄とふたりで乗り切らなければならなくなった(とは言え少なくとも片付けの際、父に横からいちいち口出しをされない分、断捨離をしやすいということはあった)。

 

兄はほぼ毎日、片道一時間をかけてゴミ捨て用の少トラックでやって来た。

兄と毎日顔を会わせるのはどこか不思議だった。

考えてみれば兄とこんなふうに一緒に何かをしたことはこれまで一度も一度もなかったのである。

家の中を整理しながらつくづく思ったのは、人間がほぼ一生かけて貯め続けるもののうち50%ぐらいは写真と手紙なのだということだ。

今のようにクラウドなど存在しない時代、写真を撮り丁寧にアルバムに収めるということは、家族にとって行事や祝い事といった人生で二度と繰り返されることのない瞬間を保存するための神聖とも言える行為だったことを思い出した。

それらの写真は皆、モノクロであっても妙にリアルな空気感を持っていて、私は現在とアルバムの中の時代を隔てる膨大な時間が目の前で一瞬歪み、自分がその歪みの中に吸い込まれてゆくのを感じた。

 

それから、それらの写真に引けを取らないくらいの量の手紙が出てきた。

今は亡き祖母や祖父からのものは、今読んでも彼らの温かい声やぬくもりがリアルに伝わってくるし、幼なじみの親友が小学校時代にくれた山のような手紙は、いくつかのフレーズを今も覚えていた。

それらは自分の一部のように感じられ、ダンボールに入れてもかなりの量になるにも関わらず、捨てることは叶わずに結局梱包された。

古い記憶はそんな風に一度掘り返された後に再び箱の中に封印されたが、一旦私の頭の中に色濃く蘇った古い記憶の断片は、それからしばらくの間私とともに眠りにつき、私と共に目覚めることになった。

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この世の中は絶妙なバランスに支配されているらしい。

命を取り留めた者は歩くことができなくなったり、何か小さな幸せが生まれたかと思うと、今度は小さな悲劇がドアをノックしてきたりする。

結局人生はプラスマイナス、イコールゼロ。ということなのかもしれない。

 

「そうだ。父が無事に退院してきた日に困らないよう、何がどこにあるかをシールに書いて貼っておこう」

 

父や母の元気な姿を思い浮かべながら、今日も私はひとりで家を整え続ける。

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そして数週間後、私はバリアフリーの新居で再びひとりぼっちになった。

一人暮らしでもなく、ましてや新婚でもない。

父と、そしていつか帰宅するかもしれない母のための家。彼等の新居。

前とは打って代わり清々しくガランとした家で、私はパリに戻る日が来るまで一人で暮らしながら、父がいつ退院してきてもいいようにせっせと家を整えていた。

カーテンを吊るし、電球を取り付け、本棚の中に元あったように本を並べる。

少しずつ、よそよそしい空間が消えて誰かの家らしくなってゆく。

それでもなお、この家がまだ誰のものでもないという宙に浮かんだ感覚が心から消えない。

 

兄と一緒に選んだテーブルは、前に家にあったどっしりとした樫木のテーブルとは違い、軽くてコンパクトで、レバーひとつで高さの調節もできるのでソファーに座ったまま食事もできる。

父のこれからの一人暮らしにはぴったりだと思って選んだテーブルだったが、部屋に置いてみるとどこか味気ない。

「利便性」に特化しすぎて色にも素材にも深みがなく、悲しいほど情緒が欠けているのである。

 

そんな事を考えながらそのテーブルにコーヒーを運んだ。

そして我ながら頑張ったなと思いながら部屋を見回していると、ふと四年前に脳溢血の後遺症で特養に入居した母の言葉が浮かんだ。

 

「早く、歩いて家に戻りたい」

 

5.5.2022

DAYS /  Sachiko Kuroiwa Column

パリの屋根とバイオリン

シュールな現実、濃密な仮想空間。

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2022年の春は思いのほか早くやって来た。

パリではワクチンパスが取り下げられて、既にひと月以上が過ぎ、特定の場所を除いてはもう3年前のイースター休暇と何ら変わらない賑やかさが街に戻っている。

何事もなかったかのようにカフェのテラスで笑いさざめく人々や、人気のパン屋の前にできる夕方の行列、メトロのホームで抱きしめ合う恋人たち。

 

これらの情景はクラピッシュの映画に出てくるワンシーンような、私達のよく知っているパリの姿に【とてもよく似て】いる。

でも何かが違う。それらはすべて【質量】みたいなものを失っていて、どこか透明に見える。

変わったのはパリか?それとも私か? 

たぶんその両方だ。

もしかすると私は今日もパラレル・ワールドに来てしまっているのかもしれない。

でも一方で、今【現実】と呼ばれているこの混沌として油断を許さない世界よりも、もっと味の濃い現実というものが自分の中に存在している。

それは音や自分の気持ち、感触といった感覚の世界の現実のことである。

 

私は音楽家なので、音と対話することが仕事である。

つまりウンザリするほど自分の内部を見つめ、いつもイメージの中に答えを探している。

【音】は肉眼でこそ見ることはできないが、臨場感をもって感じとることができる存在だ。

もっと言うと、演奏者は音の場所すら正確にイメージすることができる。

それは自分自身の中にしか存在しない【仮想空間】みたいなもので、その空間の中で私はヴァイオリンを弾いているというよりは、ゆったりと運転席に座ってフロントガラスをひっきりなしに横切っていく映像(音)を眺めながらハンドルを操作しているイメージだ。

 

〈我に返ってはいけない〉

 

これはプロの演奏者なら誰もが知っているステージの上での教訓である。

緊張して我に帰ったら最後、次の音符が記憶から消えてしまう恐れすらある。

それは【気がつく】ことで【考える事】が始まるからである。

これはまさに〈感じること〉と〈考えること〉が別物だということを表している。

そして一旦考えてしまえば、そこで仮想空間は途切れ、音のイメージも途切れてしまう。

だから演奏者は曲が終わるまでずっと、いわば仮想空間(イメージの世界)に居続けなければならないのだが、これを理想的な状態で実現するにはかなりの意識的訓練が必要になる。

 

興味本位にYouTube で量子力学の二重スリット実験の解説動画なんかを見ていたところ、理系の脳を1ミリ も持ち合わせていない私でも気がついたことがある。

それは、ひとが【観察】を始めた途端にそれまで【波動】だったものが【粒子】に変化し物質化してしまうという実験のプロセスが、同様に【観察】することで大きく本質を変化させてしまう演奏のメカニズムを彷彿とさせはしないか?ということだった。

 

かの有名な【引き寄せの法則】は、すでに量子力学の分野でも科学的に証明されつつあるらしいが、この【引き寄せ】で最も重要と言われているのもまたイメージする力である。

イメージするということは、間違いなく何かを具現化するための第一歩だ。

 

それが芸術の分野であれば、頭の中の見取り図が実際の建築になったり、彫刻になったり、又は音になったりする。

逆に言えばイメージがないところに何も起きないし、何も作り出されない。だから引き寄せの法則が常に言うところの〈臨場感をもってイメージする〉ことが、人生における夢の実現と密接に関係しているということは、アーティストにとってみればなんら驚くに値しないことなのかもしれない。

 

ちなみに素晴らしいものをイメージをしやすくする方法が一つある。

それは気分を良くすることだ。

これは音楽でも同じで、自分の理想の演奏をイメージしようとすると暗い気持ちではかなり難しくなる。

ポジティブな気分、ほとんど楽しいとすら言える気分になると素晴らしいイメージの力は増す。

 

今の私の人生が私が過去にイメージしたものの結果であるとするならなんと奇妙なことだろう!

東京やミラノに生活していた時代は、映画や音楽を通して飽きることなくパリのイメージの中で生活していた。

パリという街は当時の私のなりたいもの、求めているもの、憧れているもの全てを凝縮した世界以外の何ものでもなかった。

そんなふうにパリのことばかり考え続けた結果、今日私はその都市のど真ん中で毎日を送っている。

その意味においては、私は見事にパリを引き寄せたと言えるだろう。

 

3年後の自分は一体何を引き寄せて暮らしているのだろうか?

そのヒントはまさにこの瞬間、私が【活き活きと】イメージしているものがいったい何かということだろう。

未来へと繋がるパイプは今この瞬間も休むことなく形成されているのだから。

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