


FAY Satoko
ヨガ講師、ヒーリングプラクティショナー
2012年に前夫を看取り、人生を再構築すべく2014年にカリフォルニア州サンディエゴに移住。
現地日本語情報誌の編集長を7年務めた後、フリーランスのライター&編集者に。
2024年よりヨガ講師、イテグレイティッド・ヒーリング・プラクティショナーとして活動を始める。
プライベートでは再婚した夫と二匹の犬と暮らし、波乗りを楽しむ。
Fay(フェイ)はアメリカでのニックネーム。
























2.8.2025
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
ワンネス、そしてメメントモリ

年末年始は寝込んでいた。
調べたらコロナ陽性で、てんこ盛りで入れていた友達と遊ぶ約束は全部キャンセルせざるをえなくなった。
面白いことに、体調が悪くなると、すごくサーフィンが恋しくなる。
ぶっちゃけ、昨年はその前年ほどサーフィン三昧じゃなかったにもかかわらず。
その気になればやれるけれどやらないのと、やりたくてもやれないのとでは、気持ちがこうも違ってくるとは…。
幸い、症状は軽くて3日間ほど寝込んだら起き上がれるようになったけれど、遊ぶ体力が戻るにはさらに日数が必要だった。
少し歩くだけで疲れてしまう体と相対することになったわたしは神様に祈った。
「わたしはやっぱりもっとサーフィンがしたいです。だから、どうか、どうか、元気に戻してください」
祈りながら、いつだったか、似たようなことを祈った記憶がある、と思い出した。
13年前、最初に結婚した夫が亡くなった直後のことだった。
余命を言い渡されている人と暮らすということは、「この一瞬はもう二度とない」というようなヒリヒリとした感覚と共に生きることであった。
美しい紅葉を見れば「来年はもう一緒には見られないかも」と想像してしんみりし、波乗りをすれば「彼と一緒に海に行けるのはあと何回あるんだろう」と考えて悲しくなり、でも、おかげで一瞬一瞬が際立って、キラキラと輝き、それはそれはもうマインドフルで濃厚な日々であった。
だから、彼が亡くなったあと、ものすごく意気消沈してしまった。
もちろん、彼がいなくなったことがつらかったのだけど、彼がいなくなると同時に、あのヒリヒリとしてキラキラとした濃密な時間が消えてしまったこともきつかった。
この先、どこで何をしたいかなんて、とてもじゃないけど考えられなかった。
世界の色彩は消えて、わたしはただ呼吸をしている筒でしかない、みたいな気持ちで日々をしのいでいた。

そんな中で、唯一、やりたいと思えたのが、サーフィンだった。
夫を伴わずに出る海は、心細く、孤独で、寂しさばっかり募ったけれど、それでもわたしはある日、神様に祈ったのだ。
「この先、どこで何がしたいか、まったくわからないけれど、願わくば波乗りができる環境で、サーフィンをして生きていきたいです」
それから紆余曲折あって、その祈りのことはすっかり忘れていたけれど、この正月に神様に祈ったことで思い出した。
そして、思った。
神様、お祈りを叶えてくれているじゃん。
わたしは今、あのときは考えもしなかったカリフォルニアはサンディエゴに暮らしている。
そこで出会ったサーファーと再婚し、家にはとんでもない数のサーフボードがあって、いつだってサーフィン談義ができる。
そんな恵まれた環境で暮らしているのに、いつのまにかそれがすっかり当たり前になって、波乗りにいく回数がぐっと減っていたことが急に悔やまれた。
それはまるで奥深い自分からのメッセージのようにも思えた。
「波乗りをできるときにやらなかったら、どれだけ後悔するか、忘れないで!」
早朝、日の出前に海に行くと、藍色からピンク、オレンジへと移り変わっていく空と出会える。
海の上に浮かんでいると、自分もその美しい地球の景色の一部であるということがリアルに実感できる。

ワンネス。
その視界から見渡すと、日常の自分は本来の広大な自分の小さな一部でしかないと感じる。
すると、心から大切にしたいことと、実はそんなに大事じゃないかもしれないことの区別がついてきて、「わたし」の輪郭が再定義される。
わたしは、サーフィンが大好きだったじゃん!
サーフィンを始めたときの、カリフォルニアに移住したときの、原点に返ったような気持ちになって、「波乗りをもっと楽しむ」を2025年の抱負の一つに掲げることにした。
この人生で乗れる波の数はそう多くない。
しかも、同じ波は一つとしてこない。
メメントモリ。
12.5.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
変わる変わるよ世界は変わる

今年の夏、友人たちとユタ州を旅した。
主目的は、友人Kさんが例年楽しんでいるフライフィッシング。
フライフィッシングといえば、真っ先に思い浮かべるのは、ブラッド・ピットが超絶かっこいい映画『A River Runs Through It』(1994)。一面を緑に囲まれた渓流で、ブラッドが水に分け入り、シュッシュッと空気を裂く音を響かせて釣りをする美しいシーンだ。
数年前に、Kさんが釣りをしている場所の写真を見せてくれたとき、「これこそまさにあの映画の世界!」と興奮したわたしは「また行くときにはわたしも連れて行ってほしい」と懇願し、それがこの夏についに叶ったのだった。
厳密には、映画の舞台はモンタナ州で、我々が行ったユタ州とは景色はちょっと違うのだけど。
しかし、人のいない山奥、聞こえるのは河のせせらぎと鳥の歌声、しなる釣り竿の音だけ、というシチュエーションは一緒。まるで映画の世界に入ったみたいで、川沿いを歩いているだけでも恍惚とした。
その日、Kさんが言っていたことがその後も妙に心に残っている。
「ここは、俺がよく釣りをする川の中で、唯一、ほとんど景色が変わらない場所なんだ」
川というのは、本来、雨の量によって水量が増減するたびに流れを変え、その結果、わたしたちは毎年微妙に違う景観を見ることになるのだとKさんは言った。けれど、このGreen River、とりわけわたしたちが釣りをしたスポットはすぐ上がダムだから、水量が人工的に安定的にコントロールされていて変化がないのだ、と。
川に馴染みないのわたしは最初はピンとこなかったが、同じことを海に置き換えたら納得した。
嵐がくると、海の底がごそっと削り取られるということはよくある。すると、干潮で潮が引いたときに、これまでは見たことがなかった崖のような段差が砂浜に浮かび上がったりする。
昨日まで砂浜のビーチだったのに、今日は玉砂利(小さな丸い岩)で埋め尽くされているなんてこともある。
この世界には変わらないものなどないのだ、ということを、その度に実感する。
無常。
似たような話で、ヨガでは「“今ここ”しかない」ということがよく言われる。
今のこの一瞬と、次の一瞬、たとえ同じことをしていても同じじゃない。だから、永遠に「今」しか存在しない。
これについて、わたしは信念というか、考え方、捉え方の話だと以前は思っていた節がある。しかし、ある日、唐突に、いやいや、これは歴然たる事実じゃんと理解した。
わたしたちの神経細胞は今この瞬間も電気信号を送り合って、神経伝達物質を放出している。息を吸えば電気信号は変わり、考え事をすればまた変わり、指が動けばまた変わり…つまり、わたしたちの内側の電気信号なりホルモンの量なりは瞬間、いや、それよりも早い速度で変化していて同じ状態であり続けることはないのだ。何もせずに寝ていたってそれらは常に動いているのだ。そりゃ、さっきのわたしと今のわたしは同じではないと言えちゃうわけだ。

さて、温暖なサンディエゴもすっかり涼しくなったので、犬たちを近所の野原に放すことを再開した(暑い時期はダニやガラガラ蛇がいるので、行かないのです)。
人の手が入らない野原もまた、一夏でその姿をずいぶんと変えていることに驚かされる。
以前は野生のカモミールが群生していたはずの場所を、今は名も知らぬ植物が占領している。
その群生の中にあったはずの獣道は見えなくなって、脇に新しい獣道がつくられている。
そんな様変わりした景色の中を、過去の記憶はあまりないと言われる犬たちはどろんこになって駆けている。まるで初めて遊園地にきた子どもみたいにはしゃいでいる。
犬たちが我が家にくる前、わずか5年前には想像もしなかった光景だ。
だけど、これもまた今しかない眺めで、またさらにいろんなことが変わっていくんだろう。
そう思うと、ワクワクもするし、同時に、今この瞬間への愛おしさも増す。
ちょっと早いけど、今年も一年、ありがとう。
そして来年もどうぞよろしくお願いします。

7.1.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
結論はいつだって

時々思い出す友人のエピソードがある。
アメリカ人と結婚して在米20年近い彼女はある夏、カリフォルニアで行われた日本風の夏祭りに夫を伴って出かけた。
懐かしい夏祭り。独特の活気。そぞろ歩く彼女の心は踊り、たこ焼き屋の前で足が止まった。
焦げたソースと青のりと鰹節の香り。
「はい、一丁あがり!」
威勢のいい店の人の声。
当然、彼女はたこ焼きを所望したが、あいにく長蛇の列。
夫は言った。
「今は混んでいるから、他を見て回って、戻って来て買えばいいんじゃない?」
それもそうだと納得したのは彼女である。
ところが、夫婦が他を見て回って戻ってきた頃には長蛇の列はさらに長くなっていた。
夫は並んで待つことを嫌がった。
でも、彼女は食い下がって説得した。
夫は渋々と承諾し、二人は会話なく列に並んだ。
何分待っただろうか。ようやく彼女が注文できる番まであと数組というところでたこ焼きは売り切れになった。
「すみません」
店の人に謝られて、彼女は泣いた。
心の中で泣いたのではなくて本当に泣いた。
それまでブスッとしていた夫もさすがに驚いて、「何も泣くことはない。二人でおいしいものを食べに行こう」と彼女をなだめた。
それが彼女をさらに泣かせた。
「あなたは、わたしにとってたこ焼きがどんなに大事だったか、わかってない!!!」
その話を彼女から聞いた時、わたしはもちろん聞いたのだった。
「あなたにとってたこ焼きってそんな大事なんだ?」
彼女は苦笑いした。
「いや、別に」
そして、続けた。
「でも、あの時はなんだか泣けちゃったんだよね」
当時、わたしはサンディエゴに来て1年か2年で、「なんだか泣けちゃった」彼女の気持ちがそこまではわからなかった。
でも、今はわかる(気がする)。
彼女が泣けて仕方なかったのは、たこ焼きを食べられなかったからではない。
たこ焼きがもたらすいろんな思い出を、隣にいる夫とは分かち合えない、ということ。
その夫と恋に落ちて結婚してアメリカに来ることを決めたのは自分である、ということ。
夫の言動に悪気はなく、最終的には自分を励まそうとしてくれていることもわかっているけれど、だからこそ余計に分かち合い難い壁があることを突きつけられている、ということ。
そういうすべてがドドドッと一緒くたになって、誰のせいでもないし、幸せでないわけじゃないこともわかっているけれど、今この瞬間に限っては、「果たして自分のしてきた選択が最良だったのか?」「この人生でいいんだっけっか?」という、絶対ドツボにハマる自問自答が始まって涙が出てきた、そういう状況だったんじゃないか?
少なくとも、わたしについていえば、渡米してからの10年、ちょいちょいその状況に陥っている。

元気なときは自分が選んだアメリカで暮らすという人生を肯定できる、どころかその人生を心から賛美できる。でも、ちょっと元気がなくなるとなぜこんなままならない生活を好んでしているのだろうとまるで他人事のように不思議に思う。
日本に帰りたい気もするし、帰りたくない気もする。
いつか帰るんだろうが今すぐではないという気もする。
でも、いつかっていつになるんだろう?
そんなわたしは今、猛烈にカレーパンが食べたい。
日本なら近所のコンビニまでチャリを飛ばして5分でありつける一品が、こちらでは車で20分かけて行かないと手に入らない。そしてまたそこの駐車場は混んでいるうえに、価格は日本円にしたら600円くらいしちゃう。カレーパンに600円!
食べようと思えば食べられる環境にあるだけ恵まれているじゃないか。
そんなことはわかってるのだ。
でも、日本で暮らすということがどんなに恵まれていることだったかと、湧き上がる慕情を抑えることができない日がある。
一方で、きっと帰国したら、サンディエゴで暮らすということがどんなに恵まれていたかと懐かしむだろうことも目に見えている。
結論はいつもこうなる。
今をありがたがって楽しむしかない。

4.15.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
アメリ カンダイナーがいいんだな

アメリカンダイナーが好きだ。
いつどんなきっかけで惹かれるようになったのかは定かでないが、おそらく思春期にたくさん見たアメリカ映画の影響が大きいと思う。
真っ先に脳裏に浮かぶのは『パルプフィクション』(94年)。冒頭のシーンと最後のシーンがアメリカンダイナーで、これがまたなんとも言えずクールだった。
とはいえ、10年前に渡米するまではダイナーとは実際にはどういう場所なのかわかっているようでわかっていなかった。アメリカに来てみると確かにダイナーとしか言いようのない形態?雰囲気?の飲食店がそこかしこにあることを知って、本格的に好きになった。
ありがたいことに夫もアメリカンダイナーファンなので気に入ったダイナーには二人して足繁く通っているし、新しいダイナーの発掘にも余念がない。

そんなに惹きつけられるアメリカンダイナーとは一体なんなんだろう?
万人に共通した定義はないのだろうが、私の中では外せないポイントははっきりしている。
まず第一にチェーン店ではないこと。
そしてボックス席とカウンター席があること。
ボックス席のソファーのクッションが明るいレッドだったり、ターコイズブルーだったりするとよりそれっぽい。
カウンター席は形だけあってもダメで、常連の男性客たちが座って使っていることがダイナーをダイナーらしくする条件である。
次に欠かせないのは存在感のあるサーバー(ウエイター、ウエイトレス)。
愛想がとても良いという方向の存在感もあれば、めちゃくちゃ無愛想でそこらじゅうにタトゥが入っているというような方向の存在感もあり。映画のイメージでは女性サーバー限定だったが実際に通うようになったらどっちもありだと思うようになった。
あと、メニューに終日対応の朝食メニューがあることも必須。コーヒーがおかわり自由、というかカップが空になっているとサーバーが半自動的に注いでくるのは当然だし、オムレツとパンケーキ、ハンバーガーとミルクシェイキは必ずあってほしい(頼むかどうかは別として)。
と、そのあたりが私の好きなアメリカンダイナーの必要条件と思っているが、それだけでは魅力は言い当てられていない。
たぶん、一番の魅力はあらゆる庶民を受け入れてくれる包容力だ。
アメリカの映画をその角度で見ればきっと合点がいくと思うけれど、ダイナーには幼い子ども連れの家族もいれば、高齢の夫婦もいれば、若いカップルもいるし、女性グループも男性グループもいて、ひとり客もいるのが自然である。なんだかちょっと柄の悪そうな人もいれば、ごく普通の幸せを絵に描いたような人たちもいて、その誰もがそこにいて浮くことがない。
アメリカで生まれ育って50年の人も、アメリカに移住してきて10年の私も、通い続けて何年という常連も、今日初めてきたという私もいい意味で同じように扱われる。初来店でもメニューを注文すると「あなた見る目があるわ。それは私のお気に入りメニューよ」なんて言われる。ただのリップサービスといえばそうなんだけど、でも数週間後に行くと「お帰りなさい」なんて覚えてくれていたりして驚かされるし、アメリカンダイナーのサーバーというのはプロフェッショナルな職業なんだと思わされる。
サーバーのキャンディーやブレンダに「いらっしゃい。久しぶりじゃない?今日はサーフィンしてから来たの?」なんて聞かれるたび、かつて映画の中のアメリカンダイナーにしびれていた思春期の私に、「あんたも将来はこれを体験するのよ」と教えてあげたくなるような、不思議な気持ちになるのだった。

2.10.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
人生パズル

今年に入って、ヨガ・インストラクターとヒーリング・プラクティショナーとしての活動を本格的に始めた。
職業ライター歴25年以上にして異業種に転身。
でも、実を言うと10年以上前、30代の頃に、アロマテラピーとメディカルハーブの資格を取ってセラピストになろうとした時期があるので、今回の転身はキャリア的には二度目の試みだったりする。
あの時は、いろんな理由から、結局セラピストにはならなかったのだが、今となると「そりゃ当たり前だ、無謀だったもん」と思う。
30代の若き私は、自分とは何者かがわかっていなくて、目の前のクライアントさんが抱えている悩みにわかりやすく影響を受けてアップダウンしていた。
生命には、自然には、とんでもないヒーリングパワーがあって、それを伝えたいという気持ちだけが先走り、一人一人異なる個人に対して、何をどうすれば伝えられるのかまったくわかっていなかったし、そもそもわかっていないということからして気づいていなかった。
じゃあ、今ならできるのかといえば、もちろんそんなことはなくて、これから学び続けていくことなのだろうと捉えている。ただ、少なくともあの頃よりは自分のことや、やっていること、やっていきたいことを、より解像度を高く見ながら取り組むことができているとは思う。

最近しみじみ思うのは、時間が経って初めて見えてくることが多い、ということだ。
人生というのはまるでロールプレイングゲームみたいなもので、前半でゲットした謎のアイテムが、ゲームを進めてずいぶん経ってから、「ここで使うものだったのか!」とわかることが結構な頻度であるのだ。
時には誰かが鍵をくれて、ずっと開かなかった扉が開いくこともあれば、時には誰かがメガネをくれて、これまで見えていたことが全然違うふうに見えてくることもある。
そんなふうにして人生前半の謎解きを、人生の後半になってやり始めている気がすごくする。
いや、これはロールプレイングゲームというよりパズルかもしれない。
きっと私たちはそれぞれ完成させたい絵を持って生まれてくるのだ。
生まれた後、何かを体験する度にパズルのピースを獲得して、そのピースをしかるべきところにはめて、少しずつ絵を完成させていくのだ。
ピースを得た瞬間にはめる場所がわかることもあれば、しばらくピースを持ったまま右往左往することもある。
でも、右往左往する動きさえ、パズルの上に色彩の線を描くことになっていて、それさえもパズルのもともとの完成図に組み込まれているんじゃないか?
自分の周りの人々も、それぞれに完成させたいパズルを作っていて、みんなが作っているパズルをはめあわせるとまたより大きく豊かな景色が見えてくるんじゃないか?
それが世界なんじゃないか?
…話を元に戻すと、30代の時、セラピストというピースを得た私は、ハマるところを探して歩き回ったけれど、どうも見つけられなくて、そのまま放置しておいた。
でも、それから10年以上を経て、動作学やヨガ、インテグレイティッド・ヒーリングを学ぶことになって、それらのピースがセラピストのピースにくっつくってことがわかった。
そうやって複数のピースが組み合わさったらちょっと大きな絵が見えてきて、このピースの組み合わせがより大きな絵のどこにはまるのかも見えてきたのだ。
なんていう壮大なゲームだ…。
そう考えると、人生においてはすぐに答えが出ないようなことの方がパズルを構築する楽しみが大きいと言えるかもしれない。
これは何だろう? どこの部分なんだろう?
そんなふうに問い続けながらパズルをはめて解いていくことが生きることで、完成形を見ることよりも、完成を目指して構築していくことそのものに生きる醍醐味があるという気がする(完成形は忘れてしまったとはいえ生まれた時には知っているはずだから)。
ありがたいことに、私はまだまだ「これはどこの何になるの?」というピースをいくつも持っている。そして、新しい体験をすればまたピースを増やせるってことも知っている。
2024年はパズルのどの部分が完成するのだろう? 見えてくる絵を楽しみに、試行錯誤して構築する日々を味わいたい。

10.15.2023
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
神様の時間に

朝のサーフィンを復活させた。
いや、正確にいうと朝のサーフィンはこの夏もしていた。
復活させたのは“早朝”サーフィンだ。
いわゆる日の出前、ファーストライトと呼ばれる時間帯のサーフィン。
漆黒の空が藍色へ、そして紫色へと、夜明けの準備を始める時間。
キャンプなど野営で寝たことがある方はピンとくると思うが、鳥たちがいっせいに鳴き出す時間でもある。
私は、昔から朝が好きだし、得意でもある。
締め切りが立て込んでいるときなど、夜中まで粘るより、早々に寝てしまって、朝3時に起きて原稿を書くほうが私にはよほどたやすい。
だから、朝一番に海に行くというのは、私にはさほど苦痛じゃない、どころか、一日の最初にすることがサーフィンって、幸せでしかない。
にもかかわらず、私はいつのまにかこう考えていた。
「会社員だから、出勤前にやるしかない」
だから、昨年、会社を辞めて、フリーランスになったとき、「今後はわざわざ朝イチに海に行かなくてもサーフィンを楽しめる!」といろめきたった。
そして、実際に、朝9時とか10時とか、わとのんびりめの、サーファーたちには「シフト2」と呼ばれるような時間帯にサーフィンをしていた。

しかし、である。
この夏の終わりに、私はめちゃくちゃ久しぶりに一人で旅に出て(厳密には旅の後半は友人と一緒だったのだが)、日常から思いっきり離れたことで思い出した。
そもそも私は、朝、誰も起き出していない早朝に活動することが好きだったじゃないか。
サーフィンに関しても、早朝しかできないからではなくて、人がまばらな朝一番の海がそもそも好きだったではないか。
…心理というのは本当に面白いもので、早朝にサーフィンするという行為は同じなのに、しかも、それを自分は好んでいたというのに、「それしか選択肢がないから早朝にしている」というのと、「両方選べるけれど早朝にしている」というのでは、心持ちが全然違う。
そういえば、知人に似たような体験をした人がいたことを思い出した。
旅が好きだ(と思っていた)その知人は、旅をしながら仕事をするノマドワーカーを目指した。
思いきって会社を辞め、自由なワークスタイルを構築し、実際に旅しながら働いたのだが、結果的に、「家が大好きだったとわかった」という結論に至り、時間的、金銭的な自由は会社員時代よりずっとあるにもかかわらず、会社員だったときと似たような頻度でしか旅に出なくなっている。
そう考えると、いろんな体験をしてみることは、自分の好みを知るには大事なんだな。
そして、どっちから選んでもいい、というふうに自分に選択権がある環境にあることのありがたさが沁みる。

ところで、ヨガ歴18年(13年のサーフィン歴より長い)、今年に入ってティーチャーになるべくトレーニングを受けはじめた私は、最近になってようやく、インドの教えでは日の出前は「ブラフマ・ムフールタ」(神の時間)という神聖な時間だとされていることを知った。
具体的には、日の出の96分前から日の出の48分後までらしい。
そんな神の時間にぷかぷかと海に浮いていることを許されているって、もう感謝しかない。
なーんて今は殊勝な感じで気持ちを新たに早朝サーフィンを再開したけれど、秋が深まり、冬が来たら、それでもやっぱり嬉々として早朝の海に行くかはわからない(前は行っていたけれど)。
でも、それはそれ。
今楽しいと思うことを楽しむことができる環境に感謝して、今楽しめることをありがたく受け取って楽しんで生きてゆくのだ。
8.5.2023
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
一丁前のサーファーになった夏

今年の夏は感慨にふけっている。
特に思い出すのは2010年、サーフィンを始めた夏だ。
その年の春、東京から湘南に引っ越した私は、この機会にサーフィンを始めようとサーフボードを買った。
毎日のように海に行くようになって初めて、波はいつも違うし、自分の都合に合わせてくれるわけではないという当たり前のことに気づいた。
自力で沖に出れるようになって初めて、サーフボードの上に立つこと以上に、自分で波を選んで自分で波を取ることの方が難しいと学んだ。
当時、自分は一丁前のコピーライターのつもりだったが、一丁前のコピーライターであることは海の中では何の役にも立たないことを知った。
やがて、流行りのメイクをしてバリバリ働くことより、すっぴんで波のリズムに合わせて暮らすことを好むようになった。
マーケティングについてよく知っていることより、波のうねりやカレント(離岸流)、風の吹き方、潮の満ち引きといったものに詳しいのがかっこいいと思うようになった。
一丁前のコピライターより、一丁前のサーファーになりたい。
そこから私のサーフジャーニーが始まった。

あれから13年。
私は、この夏、自分も一丁前のサーファーになったな、としみじみしている。
きっかけは、人生で初めて、人にサーフィンを教えたこと。
友人から「親戚がサーフィンを教えてくれる人を探している」と聞いて、「私が教えるよ」と手を挙げた。
最近、たまたま、これまでの自分の枠を超えるということを意識していたところだったので、ちょうどいいチャレンジになると思った。
友人から私の連絡先を聞いて直接連絡してきたその親戚が、とても感じがよかったことも私を後押しした。
彼女は言った。
「私は、サーフィンを始めるのには年を取っているかもしれない。けれど、サーフィンはずっと私のバケットリスト(人生でやりたいことリスト)に入っていたの。ようやくその夢が叶って嬉しい!」
・
波が来て、彼女のサーフボードを押して、ボードが波を捉えて滑り出したのを見た時、私はまるで自分のことのように興奮した。
そのまま岸まで運ばれて、最後にすっ転んで、笑いながら立ち上がって私を振り返った彼女の弾ける笑顔と目の輝きにグッときた。
わかるよ、その興奮。
一度これを味わうと、ぶっちゃけ、癖になるよね?
思えば13年前、その感覚の虜になったために、今の私がいるのだ。
初心者のうちは、その感覚を味わえる機会は正直少ないけれど、次はもしかしたら? この次こそ? と、あの興奮をもう一度味わいたいという情熱が私にサーフィンを続けさせてきたようなもの。
その始まりとなった、初めて波乗りした日を、私が今も忘れていないように、彼女もきっと今日のことを一生覚えているだろう。
・
私が自分のことを一丁前になったとしみじみしたのは、彼女が人生初の波に乗って、今まさにサーフジャーニーを始めんとしていることを心の底から喜んでいる自分を発見したからだった。
それだけじゃない。
この夏の私は、他のビギナーサーファーが波を取ったら見知らぬ人でも「ヒューヒュー!」と声をあげるくらい、お祭りおばさんと化している。
自分がそうしたいからしているだけなんだけど、ある親子に帰り際「激励してくれてありがとう」って言われて思い出した。
そう、サーフィンって最初のうちはとっても心細いんだよね。
だから、見知らぬサーファーが温かく接してくれるとホッとするんだよね。
私もそうで、でも、本当に時折だけど「頑張ってね」と優しい声をかけてくれるサーファーがいてくれたから、めげずに諦めずに続けてこれた。
一丁前のサーファーになりたいと心に決めた13年前の私は、何をもって一丁前というのか定かでなかったけれど、一丁前のサーファーってきっとスキルの話ではなく、サーフィンの虜になった全ての人を、レベルやスタイルの好みにかかわらず同胞として自然に受け入れられる心を持つ人なんじゃないか。
そんなふうに思って、自分もついに一丁前の仲間入りだと、しみじみしている夏なのである。

4.10.2023
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
ホームシックは続くよ、春までも

渡米して丸9年となった。
最もホームシックになったのは最初の1年だったが、それに次ぐレベルのホームシックが今年に入ってから続いている。
それもこれも雨が続いてちっともサーフィンができていないせいが大きい。
カリフォルニアは雨水を処理するインフラが整っていないので、雨が降ると山から川へ、そして道路から川へ、という感じで汚水は一気に海水に流れ込む。
よって、公式には雨後の72時間は海に入るなと言われている。
雨が降り続いていると言っても、毎日ではないのだが、そろそろ72時間経つ(つまり3日間)という頃になってまた次の雨が降る、ということを繰り返していて、年が明けてから海に入れたのは数回だけ。
沿岸の崖は崩れまくっていることもあって、海にアクセスする駐車場が閉鎖されているところも多く、9年住んだけどこんなことは初めてという春を体験している。
前にも書いたが、サーフィンができないとなると、私にとってサンディエゴで暮らす魅力の80%はなくなるも同然で、日本は桜の季節ということもあいまってホームシックは深まるばかり。
もちろん、それはアカン、となんとか立て直すことを試みている。
だって、波乗りできなかったらこの町に住んでいる理由はないって、彼氏がいなかったら生きている理由がない、というようなもので、私の人生、波乗りが全てなわけではないから、波乗りが消えたとしても楽しくあるべきなのだ。
そうでないと困る。
波乗りだけが私の人生じゃないはずだ。
そう言い聞かせていろいろなことを楽しもうとしているが、今のところ、波乗りの他に熱中できるのはヨガだけというのが現状だ。
*
ヨガを始めたのは2005年だから、ヨガ歴だけでいえば18年と、サーフィン歴よりヨガ歴の方が5年も長い。
とはいえ、渡米後は日常生活を落ち着かせることに追われていて、家で思い出した時にやる程度だったので、本格的に再開したのは2020年のコロナ禍だった。
それまでは、会社勤めだったので、ヨガのクラスに出たくても、時間で都合がつかないことが多かった。
けれど、コロナ禍のロックダウンで、さまざまなスタジオや先生たちが、オンラインクラスをやり始めた、かつ、私の仕事も家でのリモートになったので、参加できるようになったのだ。
その頃から、「やっぱりヨガが好きだな。ヨガを体系立てて学びたいな。
ティーチャーコースを取りたいな」とぼんやり考えるようになった。
ところが、ティーチャートレーニングを実施している先生なりスタジオなりで、ピンとくるところを見つけるのに時間がかかった。
私は、カリフォルニアにおける昨今のヨガはファッションになりすぎていると思っていて、それはそれで裾野を広げるという点では素晴らしいと考えているのだが、自分が学ぶにあたってはファッションに傾いていない、より古典的な、あるいは本質的なヨガを教えてくれそうな先生なりスタジオなりを求めていたのだ。
それがついに見つかったのが昨年のこと。
そして、会社を辞めて完全にフリーとなり、今年になってとうとうティーチャートレーニングに参加することが叶ったのだ。
というわけで、今、ものすごくホームシックだけど、それでも私がサンディエゴにいる理由は、サンディエゴで始めてしまったティーチャートレーニングを修了したいからという一心である。
いや、もちろん、現実的には家族がいるからサンディエゴに残る理由は他にもあるのだが、ヨガがなければ、家族ともども日本に帰国して過ごす将来を考えてもいいのではないかと夫に提案しかねないほど、今、私は日本が恋しい…。
*
ここまで書いて頭の整理がされてきたが、私は日本が恋しいというより、サンディエゴに飽きたのかもしれない。
せっかくサンディエゴに根付いてきたなぁと実感していたのに、根付いた途端に飽きたとは、我ながらけっこうな根無草である。
でも、振り返ってみると、大人になって実家を出てからは、一つの土地に9年も続けて住んだことがなかった。
だから、すっかり忘れていただけで、本来は根っからの根無草なのかもしれない。
根がないのに根っからのっていうのもなんだが、私はそもそも、ひとところに落ち着いて住みたい気持ちが、そんなにないのかもしれない。
それはそれで恐ろしい本音に気づいてしまった。
だって、家族もいて、犬もいて、気づいたからといって、「じゃあ引っ越そう」なんて身軽に動けないじゃんか。
でも、身軽に動けない自分が歯痒くもある。
いつからこんなに身軽でなくなったのだろう。
20代30代の私なら、住む場所を変えることは洋服のテイストを変えるくらい簡単だったのに。
これはもしや、ホームシックではなく、中年の危機、ミッドライフクライシスかもしれない。
私は40代も後半になってまた再び、自分はこの先、どんな場所で、どんなふうに暮らしていきたいのか、改めて考え直しているのだった。

2.8.2023
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
ホームシックは突然に

年末から年始にかけて、カリフォルニアに住んでいることを忘れるくらい雨が続いた。
クリスマスも、大晦日も、正月も降り続けた雨は、松の内が明けてもまだぐずぐずと居残って、ようやくサンディエゴらしい太陽と再会できたのは1月に入って3週間が経ってからだった。
例年であれば、年末年始のお休みの間、夫とサーフィン三昧としけこむのだが、当然、今年はできなかった。
かわりに、寒い我が家でブランケットにくるまり、ひたすら日本のYouTubeを見続けた。
わびしいと言えば、わびしい。
わずかな救いは、日本食レストランで買った豪華なおせちがあったこと、YouTubeを映し出すテレビ画面が75インチと(無駄に)特大であること。
でも、そのささやかな救いも、日本からかかってきた父母からのLINE通話で吹っ飛ばされた。
向こうは弟夫婦と、可愛らしい姪っ子と一堂に介して、母の手作りのおせちをつまながら、おいしそうな日本酒を飲んでいる。
言わずもがな楽しそうだ。
しかも、正月早々、あまりに暖かいので、布団を干した、と言う。
元日の夜から干したばかりの布団にくるまって眠れるって、何それ、最高じゃん。
それが叶わぬ遠い場所にいることが、なんだか、寂しく、なんなら、悔しい。
いつもなら「こちらもサーフィン三昧で楽しんでいますよ」と言い返せるのに、今回は言えない。
そこで気づいた。
私は、どこかで、サンディエゴにいることが自分にとって最高の選択なのだということを自分(と周囲)に言い聞かせていたいんだ、と。
「いい暮らしをしているじゃん」と自分(と周囲)に言い聞かせるための強力なファクターが、お天気の良さとサーフィンであるのに、それがなくなると途端にここに好んで住んでいる理由が見えなくなる。
そして、ホームシックに襲われる。

1ヶ月にもおよぶ鬱々とした長雨が過ぎ去ると同時に、日本から友人Mさんがやってきた。
もともとは夫の友人であるMさんがカリフォルニアに来るのは実に4年ぶり。
そのタイミングを待っていたかのように、ちょうどいいサイズの波がサンディエゴに届いて、我々夫婦はMさんと共にようやく2023年の初乗りを果たすことができた。
サーフィンをした翌日は、海沿いにある自然保護地区、「トーリーパインズ」にハイキングに出かけた。
ここはとにかく風光明媚で、断崖絶壁から海を見下ろす景色が見もの。
ハイキングコースはその絶景の中を歩いて、最後はビーチまで下りることもできる。
Mさんは、歩きながら、「いいねぇ。やっぱり、カリフォルニアはいいねぇ」と何度も言った。
私はその度、「でしょう。でしょう」と答え、心の中で「そんなところに住めている私はラッキーだ」と自らに言い聞かせた。
一時間くらい歩き続けただろうか?
汗をかいて車に戻って帰路を目指す頃には、私のホームシックはスッと消えていた。

日本を出て何年経ってもホームシックは不意に、不定期に、やってくる。
それでも9年も経つと、さすがに対処は得意になった。
ホームシックというのは、元カレみたいなもので、距離ができたからこそ美しいところばかり思い出してしまうけれど、実際には嫌だったところもうんとあるのだ。
要は、何らかの理由で今に満足できない時、昔の良かったところだけを引っ張り出して懐かしがりたいのだ。
だから、ホームシックになったら抗わず、ただ「懐かしいなぁ」「楽しかったなぁ」と、飴玉を味わうような気持ちでつかのまの甘味を徹底的に味わうくらいが、むしろいい。
やがてその甘味にも飽きるし、飽きる頃には目の前にもまた違った甘味があったことをちゃんと思い出せるから。
とはいえ、できれば2023年は、過去の甘味よりも、今ここの甘味をたくさん味わいたいなぁ。
できるかな? いや、できるようにする、かな?
11.7.2022
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
パドレスに染まった秋

この10月のサンディエゴはパドレス一色だった。
メジャーリーグベースボールに興味がない方にはどうでもいい話と思うが、我がサンディエゴの野球チーム、サンディエゴパドレスが、リーグ優勝を争うポストシーズンへの進出を決めたのだ。
ポストシーズン進出といっても、これがまた「ワイルドカード」という、簡単に言うと「ぎりぎり進出」だったので、サンディエゴ市民たちは最初はおとなしかった。
「ポストシーズン進出は嬉しいけど、初戦で負けてしまうかもしれないし、あまり期待はしないでおこう」といった空気がムンムンしていた。
ところが、初戦でニューヨークメッツを下して二戦目に進んだあたりから、パドレスファンたちは色めき立ち始めた。
もしかしたら行けるんでないか!? そんな雰囲気がファンの間で漂い始めたのだ。
わかりやすかったのは、パドレスの帽子やTシャツを来た人に出会う確率が激増したことだ。
パドレスのステッカーをつけている車を見る機会も増えたし、ご近所さんの家に掲げられている国旗がパドレスの旗に変わったりもしていた。
顔見知りはもちろんのこと、会ったことがない人でも、パドレスのグッズを身につけていたら、「Go Padres!」と声を掛け合ればたいていノリノリの返事が返ってきた。
スポーツっていいなぁ、と久しぶりに実感した。
市民の興奮は、ポストシーズンの第二戦目、ロサンゼルスドジャースとの対戦でマックスとなった。
リーグ優勝候補の本命、ドジャースに、サンディエゴが勝ったのだ。
うちはテレビがない、というか、テレビはあるのだけど視聴契約をしていないため野球中継が見られないので、試合がある日はスポーツバーに繰り出して観戦していたのだが、その場にいる誰もがパドレスを応援しているので、勝利が決まった瞬間のバーはまるでライブハウスのような一体感に包まれて、すごく楽しかった。
なんだかこの感覚久しぶりだなぁ…と感じてから、そりゃそうだ、と気づいた。コロナパンデミックでこの数年、こんなふうに人が集まって騒ぐってことがなかったものね。
そう考えると、パドレスのプレーオフ進出で街がこんなにも盛り上がったのは、もちろんシンプルに地元チームを応援したいという気持ちが動機であろうけれども、長引いたコロナ禍の鬱憤を晴らすような意味合いもあったのかもしれない。
残念ながらパドレスはドジャースの次の対戦相手、フィラデルフィアフィリーズに負けてしまって、リーグ優勝はならず、ワールドシリーズには進めなかった。
ただ、私は、試合のたびに毎度スポーツバーに繰り出すことや、一つ一つのプレーに本気でハラハラドキドキすることにやや疲れてきていたので、今年はもうこれで十分、とちょっとホッとしたのも正直なところだ。

それにしても、お祭りのような10月であった。
日本にいた頃は、関東にいたせいか、こんなふうに一つの野球チームで地元全体が盛り上がるということを経験したことがなかった。
そもそも我が家からして、父親は巨人ファン、東海出身の母はドラゴンズファン、兄はヤクルトファンとバラバラだったし、いろんな地方から人が集まっている東京では、それは不自然なことではなかった。
さらに言えば、東京を本拠地とするチームは、巨人、ヤクルト、日ハム(当時)と複数あって、東京にいるからどこファンであるという考えも持っていなかった。
けれど、サンディエゴにいると、基本パドレスファンだという前提で会話が始まる。
これが、本当に面白かった。
今のところ引っ越す予定は全くないけれど、もし私がシアトルに引っ越したら、きっと、私はパドレスのことを昔の恋人のように懐かしく思いながらもシアトルマリナーズを応援する気がする。
少なくともそれがファンに求められている姿勢というふうに感じてしまう。
そう考えていくと、縁ある地元チームを応援するのって、結婚と似ているような気もしてきた。
何がって、何かがずれていたら私はシアトルにいたかもしれず、そしたら結婚相手はマリナーズになったろうけど、たまたまサンディエゴにいたからパドレスだったってところ。
たまたまではあるけれど、でも、応援すると決めたからには本気で応援するってところも。
この結婚、もとい、ファンであることの本気度を表明するためにも、いよいよテレビの野球中継の視聴契約を真剣に検討する時が来たかもしれない。

10.7.2022
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
オンスとパウンドの壁を越えた日

アメリカに移住して8年、いまだに私が理解できていないのがアメリカ独特の単位だ。
長さの単位、フィート(ft)に関しては、「1フィートは大人の大きめの足のサイズ(だいたい30cm)と覚えるといい」と移住の初期に誰かが教えてくれ、すぐ感覚に落とし込むことができたが、それだけ。
そもそも日本で育った私は100、1000という単位で区切ることに馴染みすぎているので、1フィートの12分の1が1インチ(in)と言われても、「なんで10で割らないで12で割るのか?」というところで思考が停止してしまう。
もっと苦手なのは、重さと体積の単位。
こちらの日常生活で一番よく出会うのはパウンドで、1パウンドはだいたい450グラムというところまでは理解できているが、パウンド(Pounds)の単位記号はなぜか「lb」なので、その表記を見てすぐに「パウンド」という音が出てこないのが難だ。
しかも、重さには他にオンス(oz)という単位があって、パウンドでなくオンスで表記されていると咄嗟にグラムに換算することができない。
そこに体積の単位、ガロン(gal)まで加わると、もう何が何だか…。
もちろん、7年も暮らしているので、16オンス(oz)は大体グランデサイズのカップ一杯だとか、私の車はガソリンを満タンにするとだいたい13ガロン(gal)入るとか、生活の上では困らない程度の知恵はついた。
ただ、16オンスは何グラムか? 13ガロンは何リットルか? 換算せよと言われたらわからない。
たまに、換算した数値がパッケージに記載されている商品もあって、それは本当にありがたい。
私には子どもがおらず、子どもの学校の宿題を手伝う必要がない(=アメリカの算数に触れる機会がない)ので、きっとこのまま、単位に関してはなんとなくぼんやりしたまま暮らしていくのだとどこかで思っていた。
ところがである。

この秋から、私は、アダルトスクールに通うことになった。
アダルトスクールというのは、アメリカ政府が提供する公立の教育機関で、18才以上の米国の住人には誰でも門戸が開かれている。
私は、英語力がもう少しほしくてアダルトスクールに入学申し込みをしたのだが、テストを受けたところ、英語を母国語としない人たちのための英語プログラム(ESL/English as a Second Language)で学ぶレベルよりは上のレベルだと判断されて、ABEというクラスに入ることになった。
ABEとはAdult Basic Education(大人の基礎教育)の略だ。
このクラスには、ESLでアドバンスのレベルには達しているとはいえまだ自身の英語力を磨く必要があると考えている人、大学などアメリカの高等教育機関への進学を目指していたり、アメリカでも母国と同じレベルのキャリアを形成したいなどの理由で、その土台となる知識・スキルを身につけたい人が主に通っている。
私はそのアダルトスクールのABEのクラスで、先日、ついにパウンドとオンスを学ぶことになった。
そして、初めて知った。
1パウンドは16オンスなんですって、奥さん!
っていうか、それさえ知らずに8年暮らしてきたって、それはそれですごいけど。
クラスでは、パウンドとオンスの計算をしただけでなく、パウンドとオンスが出てくる、アメリカの小学校5年生くらいまでの算数の文章問題も解いた。
何に感激したって、思ったより簡単に解けたことだ。
ちゃんと教えてくれる人がいれば、私だってできる!
いやいや、小学校レベルの算数だから解けて当然といえば当然なんだけど、私はそもそも数字と単位が苦手なうえに、英語は母語じゃないっていうことで、アメリカで算数や単位について考えることには大きな心理的ブロックが立ちはだかっていたのだ。
そのブロックが外れた。
渡米8年、ついにパウンドとオンスの壁を越えた!!!
ちょっとした、いや、結構な達成感で満たされたが、もう一人の冷静な自分はささやいている。
「次はマイル(Miles)の壁があるぞ。ヤード(Yards)の壁もまだある。分数は英語で何と言うのだ? 分子は? 分母は? 小数点は?」
…ひと壁越えて、また、ひと壁。
こうして移民暮らしは続いていくのだ。

9.5.2022
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
ラブ・ニッポン!!!

今思い出しても、なぜあの時、一言言えなかったのかなぁ、と悔しくなる出来事がある。
今から数年前、日本人4人と、アメリカ人1人で会食をしていた時のこと。
日本人は細かすぎるところがあるよね、という話になって、日本人である私たちも「わかるわかる」と頷いたところ、その場で唯一のアメリカ人であった男性Kさんが、こんな話題を出した。
「自分の会社で作っている製品を日本でも作ることになって、日本の人が視察にきたのだけど、『その色の配合を教えてくれ』って言うんだ。それで、僕は『そんなのないよ』って言ったんだ。だって、見た目、その色になれば細かいことはどうでもいいからさ」
要は、視察にきた人は、印刷で言うところのCMYKの要領で、何色を何パーセント配合したのが正規の色かを教えてくれ、と聞いたわけだ。
しかし、Kさんサイドは、見た目がその色に仕上がればいいから、そもそも色に対して厳密なルールなどなかった。
それで、色を正確に出したいから配合を教えてくれと言うのがいかにも日本人らしくきっちりしている(細かい)、と感じた例としてKさんはこの話を出したわけだ。
もちろん、どちらかというと好ましくない、ネガティブなニュアンスで。
私は、その時は少し酔っていたこともあって、「あは、そうそう、そういう細かさ、日本人ぽいのよね」って一緒に笑った。
でも、翌朝、目が覚めて、そのシーンを思い出したら、すごくモヤモヤした。
なんで、私は調子を合わせて笑うだけで、一言言えなかったのだろう。
「でも、そのくらい細かいからこそ、日本のモノ作りは世界に誇るレベルにあるのだよ」って。
だって、見た目でその色になればいいっていう作り方だと、作る人によって色にムラが出ちゃう。
もちろん、性能が同じなら色にムラがあってもいいという考えもあっていいわけだけど、色も含めて細部まで心を注いで作るっていうのが日本のモノ作りの精神の根底にはあって、だからこそ、メイドインジャパン製品が世界で信頼されるものであり続けているんだ。
別にKさんと言い争いたかったわけじゃないけど、ただ、自国についての揶揄を一緒になって笑うばかりで、細かいことの良い面もあるんだよって言えなかった自分が悔しかった。
日本人は細かいってことと同じくらい、自国のことを誇らしく主張することが苦手であるということをアメリカで暮らして痛感しているけれど、まさに自分がそうだと、悔しかったのだ。

…というような数年前の出来事を今、ここで出したのには理由があって、私はこの夏、久しぶりに日本に帰国して、日本のモノ作りの素晴らしさを再認識して戻ってきたのだ。
まずびっくりしたのがプチプライスのコスメのクオリティーの高さ。
人種のるつぼであるアメリカと違って、日本人ターゲットの製品は日本人の肌質、肌色だけ追求すればいいという点で利があるのかもしれないが、そこを差し引いてもなお感動レベル。
もう一つ、もし日本に住み続けていたらその魅力に気づかないでいたままだったのではないかと思うのが、手拭いと風呂敷だ。
手拭い、端っこが縫われていないのは、すぐ乾くように、というのと、水切れをよくすることで清潔を保つためだって、知ってました?
で、たとえば鼻緒が切れた時や包帯が必要になった時なんかに手でビリって切ってすぐ使えるようにもなっていて、しかも切った後はそのままにしてもほつれはさほど広がらないって、すごい。
もっと感動するのは風呂敷で、そもそもただの一枚の布をいろいろ折って、さまざまに使うという発想が超クリエイティブ!
私はサーフィンを愛好しているのだが、ビーチで着替える時に下に敷くと便利なマットも、サーフィン後の濡れたウエットスーツを入れるのに便利な袋も、大判の風呂敷が一枚あればこと足りるということに気づいて、これ、ぜひ世界のサーフシーンに「エコサーフ」として啓蒙したいわ、という気持ちになった。
いや、世界に啓蒙はさすがに無理としても、ここカリフォルニアの海で、手拭いや風呂敷を堂々と使って、「なにそれ?」って聞かれた時、「これすごいのよ!ビバ、ニッポンよ!」って誇りを持って伝えたいと思うようになった。
ということで、この夏、私にとって最大の出来事は、手拭いと風呂敷への愛が勃発したことです(笑)。
日本人であることにもっと誇りを持とう、日本文化の素晴らしさをもっと伝えていこう、そう思うようになった私のこれからのアメリカ生活にどんな変化が起こるのか、ちょっとワクワクもしている。

5.5.2022
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
体験しよう、旅しよう

ずいぶん前に読んだ『神との対話』シリーズ3部作(サンマーク出版)を読み返している。
前回読んだとき、すごく感動した記憶があるのだが、今回再び読んでみて、すごく感動したはずの内容のほとんどを覚えていなかったことに気づいた。
それからもうひとつ気づいたことがある。
それは、この本がアメリカで書かれたものであるために、アメリカで暮らしている今の私だから理解しやすい箇所が多々あることだ。
たとえば、『神との対話2』では「世界政府」について言及されている。
世界政府の是非については、私はまだ自分の意見を持ち合わせるほどの理解はできていないのだが、本の中には「アメリカ合衆国の成り立ちは、世界政府の基本に近い」というようなことが書かれていて、これには「なるほど!」とかなり合点がいった。
というのも、アメリカは「合衆国」であるってことが、アメリカに住んでみてはじめて体感として理解できたからである。
日本にいるとき、私は、アメリカ合衆国っていうのが国で、州というのが都道府県で、その下に市町村がある、と思っていた。
でも、実際には、アメリカでは、州というのがひとつひとつの国のようなもので、その下にある郡(カウンティー)がむしろ都道府県に近く、その下に市町村があるのだと、住んでみてわかった。
で、アメリカ合衆国はまさに、その州(States)という国々が、Unite(合体)した連邦国家なんだと。
いやいや、アメリカ合衆国は連邦国家であるって…そんなの基本的な教養でしょうと自分でも突っ込みたいけど、連邦国家というものに実際に住んでみて、その仕組みを生活で体感するまでは、連邦国家ってどういうことなのか、やっぱりきちんとは理解していなかったと認めざるをえない。
ちなみに、連邦国家ってこういうことかと、私が顕著に体感したのは、コロナ禍における各州の対応だった。
アメリカ連邦政府としてはマスク着用を義務付けると発表したとしても、州によっては「うちはマスクは義務化しません」というところもあったし、なんなら州が「マスクは義務」としても、その下の郡は「うちは義務ではなくこういうルールにします」なんてことが普通に行われていて、日本からの移民の私は「???」だったわけだ。
でも、各州がそれぞれ国のような存在で、連邦政府はそれを合体させた制度としての国家であると考えると、各州がそれぞれ独自のスタンスを取る(そしてそれが許される)ことも納得がいく。
よく考えたら、いや、よく考えなくても、そもそも税率だって州によって違うし、結婚やら離婚やら運転免許取得にまつわる手続きや法律だって州によってかなり違う。
車の車両登録だって州ごとに行われる。

まあ、そんなふうにして、独立した50州を結束させたのがアメリカが合衆国だと考えると、世界の国々がそれぞれの個性を保ったまま結束する「世界政府」という考えは決してトンチンカンな話というわけでもなさそうだと思えたわけだ。
でも、じゃあ、アメリカ合衆国はうまくいっていると言えるの? 似たような制度であるEUはうまくいっていると言えるの? と、問われると、ある観点から見ればうまくいっているだろうし、違う観点から見ればうまくいっていないだろうし、なんだか難しいなぁと、誰にも問われていないのに私は一人で頭を悩ませている。
ただひとつ確信しているのは、いろんなことを体験するほど、自分の考える物事の枠というのは広くなって、そのぶん出てくるアイデアにも広がりが出るはずだってこと。
たとえば連邦国家というのを体験したことで、それは私の血肉になった。
そうして私が血肉にする物事が多いほど、私というアイデアを出す土壌は豊かになるはずで、土壌が豊かであれば自然に豊かなアイデアが芽生えるはず、なのだ。
で、自身の血肉になるようないろんな体験を手っ取り早くできるのが異文化体験で、異文化体験を手っ取り早くできるのが旅だ。
良くも悪くもアメリカに慣れてきた私は、今、新しい体験を得るための旅を欲している。
もう40代も後半なんだけど、それでも、自分から出てくるアイデアが小さくまとまらないようにまだもうちょっとあがきたい。
少なくともアメリカではコロナ禍はすっかり落ち着いたので、旅をするぞ。
州が国だと考えたらカリフォルニアを出るだけでも異文化体験になるはずだから、まずはアメリカ国内の旅行でもいい、とにかく新しい体験をしよう、旅をしよう。

3.6.2022
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
風邪一過

風邪を引いて寝込んだ。
もちろんまずは流行のウイルスを疑って、すぐに検査をしたけれど、陰性。
3日まるっと寝てもまだ回復しなかったので、念のためまた検査をしたけれど、それも陰性。
アメリカでは一世帯につき4回分の簡易検査キットが無料配布されていて、今回使ったのはそれなので、精度がどうかは気になるところだが、さすがに2回も陰性だったし、同居する夫はピンピンしているので、やっぱり陰性だったと思う。
が、しかし、結果的には4日寝込んだ。
こんなに寝込むのは数年ぶりだ。
5日目からは起き上がって日常生活を再開しているが、まだ万全とは言えない。
いやはや、体調不良はやっぱり勘弁…だけど、太陽の出ない雨の日もまた違う視点で見れば大切であるように、より広い視界で捉えたら、時折こうして心身を強制的にスローダウンさせられる時間があることは大事なんだろうなぁとも思う。
あくまで「時折」であってほしいけど、風邪なんかは、「当たり前の日常を当たり前と思っちゃいけない」と思い出させてくれるちょうどいい機会と言っていいかもしれない。
心身が弱って、「これまで当たり前と思っていたことが当たり前じゃないとしたら」という前提でいろいろなことを考えられるようになるので、良くも悪くもさまざまなものが削ぎ落とされる。
「ああいうこともしたいと思ってたけど、まあ、それの優先順位は低いかな」とか、「ああなりたいと思って、あれこれがんばろうとしていたけど、まあ、ああならなくてもいいか」とか。
ああ、とか、それ、とか、これ、とかばっかりで、あれですけど。

で、今回のそのスローダウンの時間に、私はこの連載についてもいろいろ考えた。
私は年齢もあってか、カルチャーのトレンドにはもうあまり興味がないし、それについて書きたいとも思わない。
アメリカ西海岸という、日本とは異なる文化で暮らすことの面白さについても、8年という中途半端な在米歴になると、さすがに当初のフレッシュな感覚はなくなっているし、なんならアメリカ的な考えにもちょっと理解が深まったりしてしまっている。
そんな私が、毎回この連載コラムで一体何を書けばいいのだろうと、実は密かに頭を悩ませていた。
でも、風邪のスローダウン期間中に、ふと気づいた。
っていうか、アメリカ西海岸代表としてアメリカ西海岸らしい暮らしの話を書かなきゃって、自分が勝手に思い込んでいただけでは?
そもそもコーナー名がDaysだもの、私のいつものDaysを書けばいいじゃん?
アメリカ西海岸の暮らしをそんなに意識しなくても、そこで暮らしている私が書くから、何を書いてもどこかにきっとその香りは出るだろう。
それで十分なんじゃない?
いや、もし十分じゃなくて、読んでくださる皆さんがアメリカ西海岸のライフスタイル情報をこの連載に求めているとしても、「ごめんなさい、私はそれは書けないです」で、いいじゃん?
開き直りといえば開き直り。
でも、自分的には原点回帰。
というわけで、今回掲載した写真は、そんな清々しい気分の"風邪一過”の週末に、私の目に飛び込んできた美しく愛おしい日常の一コマ一コマ。
犬たちと出かける近所のトレイル(自然保護地区)、夫と散歩した公園、その公園近くのアメリカンダイナーで食べた土曜日のランチ…。
そんな日々の小さな幸せに目を向けて再びフレッシュな気持ちで執筆するぞ、と意気込んだところに、ウクライナのニュースが飛び込んできて心が痛み、自分の小ささ、無力さを思い知ってうちひしがれそうだけど、まずはそこから目をそらさない、知らないふりしない、ということが自分が日々の中でできることのひとつだ、と思いながらこれを書いた。

2.5.2022
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
歩いて、見る

犬を飼ってよかったと思うことはたくさんあるが、そのうちのひとつが、ご近所さんとの交流が増えたことだ。
ルナのお父さんお母さん、ルーシーとルーカスのお母さん、ポーとモーのお父さん、シリとダフィーのお母さんといった犬友達もできたし、犬を散歩させる時間に必ずウォーキングをしている人たち(中国系移民のサニーさんやリサさん)とも挨拶や世間話をするようになった。
今年で、アメリカ、カリフォルニアに越してきて8年。
確定申告をする、病院に行く、サーフクラブに所属する、といった「アメリカに来て初」のことをする度に、少しずつ根を張ってきた感覚があったが、犬を通じてご近所付き合いをするようになったこの2年ほどで、ようやく「自分の家はここなのだ」と、しっかりとこの地に根付けたように感じている。

近所を散歩するようになったおかげで、物をもらったり、拾ったりすることも増えた。
一番多いのは、庭先で実ったフルーツのおすそわけだ。
レモン、ライム、オレンジあたりが定番だが、柿やビワ、ザクロなんかをもらうこともある。
歩いている私たちを見つけて、「ちょっと待って!」と呼び止めて渡してくれるケースもあれば、「FREE(無料)」と書かれたダンボールの中にフルーツが入っていて、勝手に持っていっていいようにしてある場合もある。
勝手に持っていっていいといえば、レンガやら額縁やら、時には電球やら工具やらがドライブウェイ(ガレージと道路の間の道)に、やはり「FREE」と書かれて置かれていることも多い。
ガレージの中の不用品を売る、いわゆるガレージセールの小規模バージョン。
我々は犬の散歩中に見つけたそのプチガレージセールで、裏庭の整備に使うレンガを4つ調達したほか、1年は持つんじゃないかという量の電球も入手した。
最近では、裸のまま飾っていた絵にちょうどいい額縁も手に入れた。
改めて言うまでもないことだけど、このようなフルーツのおすそわけやガレージセールは以前から行われていたはずだ。
ただ、車社会のカリフォルニアでは、家の玄関を出たらすぐに車に乗ってしまうので、道端にあるその一画に気づくことがなかった。
犬を飼って、近所をのんびり歩くようになったおかげで、見えてきたものなのだ。
そんなふうに、存在はしているのに、単に自分が気づかないがために存在していないことになっていることが、他にもたくさんある気がする。
じつは昨年末で会社勤めを辞めて、フリーランスになった。
収入が不安定になるなど、不安はあるけれど、時間をマイペースに使えるようになったことはうれしいことで、今年はこれまでの全力疾走から競歩くらいまでに少しペースを落としたいと思っている。
そして、今まで走ることに必死で見えていなかった道端の美しい物事たちにもっと気づけるようでありたい。歩いて、見る、のだ。

12.5.2021
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
カフェラテだって。

コーヒーにハマった。
もともとコーヒーは好きだったのだが、今、ハマっているのはカフェラテだ。
これまで、カフェラテは、コーヒーを知らない人が飲む物だと思っていた。
つまり、邪道だと。
なぜそんなことを思っていたのか、理由はわからないが、過去の無礼な自分を謝りたい。
今さら私が言うまでもないことだが、カフェラテはちゃんと味わってみるとそうとう奥が深い。
おかげで最近はサンディエゴ中のいわゆる「サードウェーブ」とされるコーヒーショップをめぐることがちょっとした楽しみになってきている。
もちろん、目当てはカフェラテ、である。

「サードウェーブ」コーヒーは、日本でも流行ったのでご存知の方も多いと思うが、アメリカで2000年ごろから台頭してきたコーヒーの第3の流行のことである。
その前の第2の流行は、スタバなどに代表される、いわゆる「シアトル系」と呼ばれる深煎りのコーヒーだとされている。
それを経ての第3の流行は、Farm to Cupといって農場からカップに注がれるまでの豆の経路がクリアであることが大きな特徴である。
誰がどこで作ったどんな豆かがわかるということは、その豆の味を大事にしようってことにもつながって、基本、豆をブレンドはせずシングルで味わうことが多い。
少なくとも私はそういう理解をしていて、だから、そういったサードウェーブの店でカフェラテを頼むのは邪道とどこかで思っていた。
それで、ドリップコーヒーばっかり飲んでいたわけだが、正直言うと、シングルの豆って飲みやすいようにブレンドされていないから、全然好みじゃない味に出会うことが結構な確率であった。
結果、だんだん、コーヒー屋から足が遠のいてしまった。
私は自分をコーヒー好きと勘違いしていただけで、きっと本当は好きじゃなかったんだ、とさえ思うようになった。
だって、世の中の人がおいしいと思っている「サードウェーブ」コーヒーを、私はおいしいと感じないんだから、と。
ところが、ある時、自分の中で勝手に禁じていたカフェラテを解禁したら、これがめっぽうおいしい。
それで、これは研究する価値があるぞといろいろなサードウェーブの店で飲むようになり、一言でカフェラテといっても店によって味わいが全然違うことに気づいて、ハマったわけである。
これがシングルのコーヒーの味となると、もちろん焙煎やいれ方によって風味が違ってくるとはいえ基本的にはその豆そのものが好みかそうじゃないかという話で終わる。
でも、カフェラテの場合は、それぞれの店が「うちはこれがベストなカフェラテと思っている」という豆なり牛乳なり配合なりで作っているはずなので、自分の好き嫌いを判断するだけでなく、「なるほど、こうきたか」と考えられるのが楽しい。
たとえば大中小とサイズ違いを用意していない店がある。
これはきっと、サイズを変えることでカフェラテを構成するエスプレッソとミルクの比率が変わってしまい、サイズによってはベストな味を出せないからではないか。
聞いたわけじゃないからわからないけど、そんな心意気を感じる。
また、明らかに酸味が強い豆を使っている店もあれば、苦味の方が強い印象の店もあるし、エスプレッソの味はかなり控えめでミルクのまろやかさが全面に押し出されているようなカフェラテを出す店もある。
そんなふうに、それぞれのカフェラテに、その店の個性みたいなものを感じるようになって、がぜん楽しくなってきた。
これからは「コーヒー好き」じゃなくて、「カフェラテ好き」と堂々と言おうではないか。

ところで、コーヒー屋でカフェラテを注文するというのは、おそらくかなり難易度の低い英会話である。
にもかかわらず、先日、ホットティーを出されてしまってがっくりした。
ラテを注文すると必ず「ホットかアイスか」と聞かれるので「ホットラテ」と先手を打ったつもりが仇となった。
そういう時、数年前なら何も言わずに出てきたホットティーを飲んだところだが、ここ数年は、「いやいや、頼んだのはホットのカフェラテだったんですよ」とちゃんと言って取り替えてもらえるようになった。
それでも、夫に言わせると私はまだまだ控えめで、特に英語での会話となると相手に押し切られて「それでいい」と笑って言ってしまう傾向にあるのが歯がゆいそうで。
2022年は、自分のほしいもの、したいことを、ちゃんと伝える、という超基本的なところを今一度がんばってみようとカフェラテを飲みながら決めた。
10.5.2021
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
さっくり女子キャンプ

女友達とさっくり週末キャンプに出かけた。
元同僚であるその女友達は、日本人で、年齢は少し年下だけど、ほぼ同年代と言っていい。
アメリカにいる日本人女性は、アメリカ人と結婚してこちらに住んでいるか、もしくは旦那さんの仕事で赴任して来ているか、というパターンが多い中で、彼女はアメリカに住みたくて仕事を見つけて単身渡米してきた人だ。
今でこそ再婚した私も、渡米した時は彼女と同じ境遇、アメリカに身寄りのない者同士だった。
おかげで、いろいろな話がしやすく、アメリカに来る前は東京の同じビル内で働いていたことがある(もちろんその時は知り合いではなかったけれど)という親近感もあって、すぐに打ち解けた。
彼女には、他にも仲良くしている元同僚がたくさんいるのだが、それは一重に、彼女がマメで、定期的にお出かけの計画を立てては声をかけているからであろう。
私は予定を立てて友達を誘うということがどうにも得意でないのだが、彼女が誘ってくれるおかげで、自分一人だったらしなかったような体験をたくさんさせてもらえている。
「さっくり女子キャンプ」もその一つだ。

彼女とする「さっくり女子キャンプ」の何がいいって、準備に全く気負いがいらないことだ。
キャンプ飯への情熱もたいしてないので、食べ物を作るとしても毎回、鍋とか本当に簡単なもの。
今回にいたっては簡単な料理さえせず、キャンプ場から一番近い町で調達したピザとフルーツを夕食にした。
互いにお酒は得意でないので、乾杯はKombucha。
朝はお湯を沸かしてコーヒー。
山火事の危険を回避するために、カリフォルニアの多くのキャンプ場ではこの時期、焚き火をすることが禁止されているため、キャンプの醍醐味であるキャンプファイヤーもなかった。
じゃあ、何を楽しみに行くかというと、ただ喋ること。
喋るだけならキャンプじゃなくてもいいじゃんと思われるかもしれない。
けど、いやいや、自然の中で、時計も携帯も気にせずにお喋りに興じる、というところがいいのだ。
前述したように焚き火ができなかったのは残念だけど(人は焚き火を見ながら話すと心の奥の言葉が出てきやすい気がするので)、それでもやっぱり大自然の中で、ミニマルな装備でいると、都会で話すときとはまた違う話ができる。
いや、同じ話でも、もう少し深く本質的なところまで話せる、というのが正確かもしれない。

今回、私たちが訪れたのは、Idyllwildという、山の中のエリア。
サンディエゴからは北東に車を走らせて約2時間で着く。
道中は、砂漠あり、岩場あり、牧場あり、と景色が次々に変化していき、ドライブそのものも楽しい。
友達はロサンゼルスから来たので、行き帰りは別々。
こんなふうに現地集合・現地解散ができる自立した感じも、私には心地いい。
森の中で歯を磨きながらキツツキを見つけてはしゃいだり、隣でキャンプを張っている家族から手作りの焼きたてのシナモンロールをおすそ分けされたり、遠くから聞こえる風の音に耳を澄ませたり、ひとつひとつはなんてことないことなのに、楽しかった。
本当は普段から目にしたり、耳にしたりしているはずなのに、意識には上がってきていない素敵なことが世界にはたくさんある。
そんなことを、キャンプすると思い出させてもらえる。
そして、そんなキャンプを、「お茶しない?」の気楽さでできるのがカリフォルニアのいいところと思う。
何より、遠い異国にいながら、共通の興味を持つ友人と出会うことができ、こうしていろいろ引っ張り出してくれることがありがたい。
次は自分で計画を立てて、私から彼女を誘ってみよう。

9.5.2021
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
ガラガラヘビ

田舎に住みたい!
時々、そんな思いが強くなる。
この8月はそうだった。
というのも、どこに行っても人、人、人で。
自宅待機例などが出ていて、おおっぴらに外出ができなかった去年に比べたら、日常が戻ってきたことはいいことだ、なんて思えたのは最初だけ。
海に行っても人でいっぱい。
外食に出かけても人でいっぱい。
人混みが苦手な私は、早々に根をあげてしまった。
もっと田舎に住みたい!
いや、私の住んでいるサンディエゴも十分に田舎ではある。
しかも我が家の裏庭はフェンスを隔てて裏山に繋がっていて、その裏山は広大な自然保護区の一部。
おかげで、フェンスをすり抜けて野うさぎが庭に来ることは日常だし、フェンスの向こうをコヨーテが歩いているのもよく見る。
一度だけだけどボブキャットという、日本語で言うなら山猫?を見たこともある。
ちょっと車を走らせれば写真のような広大な自然が広がってもいる。
でも、そういうところには住居はない。
だから、今、自分が住んでいる環境は私にとっては田舎感が足りない。
動物が多いのはいい。
でも人が少ないともっといい。
そう愚痴っていたら、「人がいないところはいないところで、蛇がいっぱいいたりするよ」と夫になだめられた。
わかる。
でも、8月の私は人に疲れ過ぎていて、蛇がいてもいいから人がいない方がいいと思っていた。

ところが、そんな会話をしたそれこそを翌日に、我が家に蛇がきた。
ただの蛇じゃない。猛毒を持つガラガラヘビ。
それがなんと我が家のガレージでトグロを巻いていたのだ。
オーマイガー!
私も夫もここで生まれ育っていないのでガラガラヘビの特徴がわからず、自力で外に出すことがどの程度危険なのかわからないという軟弱者っぷり。
ご近所さんに頼ろうと外に出てみるも、いつもなら道路で子どもを遊ばせていたり、世間話をしていたりする人たちがその日に限って誰もいない。
ならば自分たちでやるしかないと、ガーデニング用の鋤を夫が持ち出していざガレージに出かけたが、5分もしないうちに戻ってきて、「蛇がいるのがガレージの真ん中過ぎて、うまく逃がせる気がしない」とポツリ。
そう。
我々には殺すという選択はなく、とにかく蛇に家の(ガレージの)外に出てほしいだけなのだ。
が、下手に突っついて出口ではなくガレージの物陰や壁の上の方に逃げてしまったら今以上に厄介なことになる。
さて、どうしたものか。
何かアドバイスをもらえるんじゃないかと思って動物愛護団体に電話をすると、住所を聞かれ、「今からスタッフを派遣するから蛇を見ておいてください」とのこと。
ほどなくして美しい女性スタッフがやってきて、ガラガラガラと激しい威嚇音を出すヘビを道具を使ってささっと捕獲し、蓋つきのバケツに入れて、事件解決。
こんな簡単な作業を自力でやれなかったことを、ちょっと恥ずかしく思う私。
「ガラガラヘビが家に入って来ることは多いのですか?」
聞いてみると、夏場は時々ある、との返事。
「ただ、レスキューを頼まれるのは住宅街が多いわね。山の方に住んでいる人は自力でやっちゃうから」
ああ、やっぱり。
田舎に住みたい!と言っておきながら、家に入ってきたガラガラヘビ一匹に対処できないようでは、まだまだ道のりは長い、とがっくり。
とりあえず蛇をつかむ道具を買おう。

仕事をバリバリとして稼げることよりも、自然の中に放り出されても生きていけることの方に魅力を感じるようになったのは、2011年の東日本大震災の後だったと思う。
いつの間にか忙しい日常に流されて、あの年に感じた、ピュアでプリミティブな生きる力への渇望などすっかり忘れてしまっていたけれど、コロナ禍を経て、また、もっと自然にかえりたくなっている自分がいる。
だからって何をどうすればいいのかわからないけれど、とりあえず蛇をつかむ道具を買うことは、これからどんな生活を目指したいかを定める、一つのシンボリックな決意、という気がしている。