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DAYS

STAY SALTY ...... means column

"FAY" Satoko Column

カリフォルニアの風

from  San Diego / U.S.A.

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FAY Satoko
writer

2012年に前夫を自宅で看取り、人生を再構築すべく2014年にカリフォルニア州サンディエゴに移住。

仕事では個人から社会まで、幅広い意味での健康と幸せ「ウェルビーイング」をテーマに取材執筆を行うほか、エッセイや短編の執筆も。

 

プライベートでは再婚した夫と犬2匹と暮らし、波乗りとヨガにいそしむ日々。

FAY(フェイ)はアメリカでのニックネーム。

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9.5.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ガラガラヘビ

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田舎に住みたい!

 

時々、そんな思いが強くなる。

この8月はそうだった。

というのも、どこに行っても人、人、人で。

自宅待機例などが出ていて、おおっぴらに外出ができなかった去年に比べたら、日常が戻ってきたことはいいことだ、なんて思えたのは最初だけ。

海に行っても人でいっぱい。

外食に出かけても人でいっぱい。

人混みが苦手な私は、早々に根をあげてしまった。

 

もっと田舎に住みたい!

 

いや、私の住んでいるサンディエゴも十分に田舎ではある。

しかも我が家の裏庭はフェンスを隔てて裏山に繋がっていて、その裏山は広大な自然保護区の一部。

おかげで、フェンスをすり抜けて野うさぎが庭に来ることは日常だし、フェンスの向こうをコヨーテが歩いているのもよく見る。

一度だけだけどボブキャットという、日本語で言うなら山猫?を見たこともある。

ちょっと車を走らせれば写真のような広大な自然が広がってもいる。

でも、そういうところには住居はない。

だから、今、自分が住んでいる環境は私にとっては田舎感が足りない。

動物が多いのはいい。

でも人が少ないともっといい。

そう愚痴っていたら、「人がいないところはいないところで、蛇がいっぱいいたりするよ」と夫になだめられた。

 

わかる。

 

でも、8月の私は人に疲れ過ぎていて、蛇がいてもいいから人がいない方がいいと思っていた。

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ところが、そんな会話をしたそれこそを翌日に、我が家に蛇がきた。

ただの蛇じゃない。猛毒を持つガラガラヘビ。

それがなんと我が家のガレージでトグロを巻いていたのだ。

 

オーマイガー!

 

私も夫もここで生まれ育っていないのでガラガラヘビの特徴がわからず、自力で外に出すことがどの程度危険なのかわからないという軟弱者っぷり。

ご近所さんに頼ろうと外に出てみるも、いつもなら道路で子どもを遊ばせていたり、世間話をしていたりする人たちがその日に限って誰もいない。

ならば自分たちでやるしかないと、ガーデニング用の鋤を夫が持ち出していざガレージに出かけたが、5分もしないうちに戻ってきて、「蛇がいるのがガレージの真ん中過ぎて、うまく逃がせる気がしない」とポツリ。

そう。

我々には殺すという選択はなく、とにかく蛇に家の(ガレージの)外に出てほしいだけなのだ。

が、下手に突っついて出口ではなくガレージの物陰や壁の上の方に逃げてしまったら今以上に厄介なことになる。

 

さて、どうしたものか。

 

何かアドバイスをもらえるんじゃないかと思って動物愛護団体に電話をすると、住所を聞かれ、「今からスタッフを派遣するから蛇を見ておいてください」とのこと。

ほどなくして美しい女性スタッフがやってきて、ガラガラガラと激しい威嚇音を出すヘビを道具を使ってささっと捕獲し、蓋つきのバケツに入れて、事件解決。

こんな簡単な作業を自力でやれなかったことを、ちょっと恥ずかしく思う私。

 

「ガラガラヘビが家に入って来ることは多いのですか?」

 

聞いてみると、夏場は時々ある、との返事。

「ただ、レスキューを頼まれるのは住宅街が多いわね。山の方に住んでいる人は自力でやっちゃうから」

ああ、やっぱり。

田舎に住みたい!と言っておきながら、家に入ってきたガラガラヘビ一匹に対処できないようでは、まだまだ道のりは長い、とがっくり。

とりあえず蛇をつかむ道具を買おう。

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仕事をバリバリとして稼げることよりも、自然の中に放り出されても生きていけることの方に魅力を感じるようになったのは、2011年の東日本大震災の後だったと思う。

いつの間にか忙しい日常に流されて、あの年に感じた、ピュアでプリミティブな生きる力への渇望などすっかり忘れてしまっていたけれど、コロナ禍を経て、また、もっと自然にかえりたくなっている自分がいる。

だからって何をどうすればいいのかわからないけれど、とりあえず蛇をつかむ道具を買うことは、これからどんな生活を目指したいかを定める、一つのシンボリックな決意、という気がしている。

 

8.2.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

独立記念日2021

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7月は嵐のように過ぎていった。

 

これを書いているのは7月の25日だが、わずか3週間前の7月4日、アメリカ独立記念日のことが数カ月前に感じるほどだ。

 

なんでこんなに慌ただしいのかといったら、おそらく、6月の半ばから完全に経済が再開されたことが大きい。

 

飲食店も通常の営業を復活、人が集まるイベントも再開。

 

昨年の4月から1年近く行動を制限されていて、その制限されている日々が日常になっていたところにかつての日常が戻ってきて、急にギア全開になって、そのスピード感に体も心もまだ追いついていないのだと思う。

 

だけど、楽しい。

 

普通に遊べるということを、ものすごくありがたく思えるようになった。

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今年の独立記念日は、近所の公園で行われているイベントに足を運んだ。

国家斉唱、祝砲の発射、古き良き時代を再現するダンスのパフォーマンス…シニアやファミリー向けの、スタンダードなイベントといった印象だったが、独立記念日といえばいつも海でサーフィンばかりしていたわたしにはひどく新鮮だった。

 

例年、独立記念日が近くなると、「これ、誰が着るのかしら?」と不思議に思う、ド派手な星条旗柄のTシャツやパンツなんかがそこらじゅうで売られ始めるのだけど、この日はみんなそういう服を着ていて、誰がじゃなくてみんな着るんだと学んだ。

星条旗柄を着ていない人も赤×青×白でコーディネイトしているか、小物に星条旗柄を忍ばせていたりして、その徹底ぶりに感心してしまった。

アメリカに来てつくづく感じるのが、みんな、祝う時は恥ずかしがらずに思いっきり祝う、ということだ。

その姿勢は、自分は好きだな、と思う。

 

海にも、独立記念日には何かしら星条旗柄をまとったサーファーが、ハロウィンの時には仮装サーファーが、クリスマスシーズンとなればサンタサーファーが、普通にいる。

思いっきり祝うといえば、この時期は卒業シーズンでもあって、卒業生が家族にいると、車に「XX(名前)、2021年、大学卒業おめでとう!」なんてド派手に書かれていたりする。

もちろん、そのまま町中も走る。

「卒業おめでとう」と書かれた車と、駐車場で隣同士になって、運転手と顔を合わせる機会があれば、「おめでとう」と声をかけたりもする。

もちろん、誰だかは知らないし、また会うことはたぶんない。

でも、そういうの、なんか好きだ。

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経済が再開されたカリフォルニアだが、コロナのデルタ株の再流行の兆しがあり、ロサンゼルスなど一部のエリアでは再び屋内ではマスク着用が義務化された。

 

この先、患者数が増えて医療機関を圧迫するようなことになればまた飲食店や小売店に規制がなされるかもしれないが、そうならないことを願う。

 

7.2.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

サンディエゴLOVE

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パスポートの有効期限が近づいてきたので、更新のためにロサンゼルスのダウンタウンにある日本国総領事館に行ってきた。

 

サンディエゴから在ロサンゼルス日本国総領事館までは、車で片道2時間(渋滞は必須なので実際にはもっとかかる)、距離にすると205キロ近く。

 

さすがに気軽には行きにくいため、いつもは年に数回「出張総領事」というのを開催してくれて、領事館でするような手続きをサンディエゴでできるようにしてくれる。ところが、このコロナ禍で出張総領事は中止となった。

 

カリフォルニア州は6月15日から経済を完全に再開させたので、出張総領事の復活も近いと思うのだが、それを待っている間にパスポートの有効期限の方が先に切れてしまいそうなので、重い腰を上げてロサンゼルスまで行くことにしたのだ。

 

パスポートの更新は通常なら申請と交付は別々の日になるが、サンディエゴのように遠方から行く場合は申請した同日の午後に交付をしてもらうことができる。

申請を終えてから交付されるまでに4時間ほど時間があったので、ランチも兼ねてダウンタウン巡りをすることにした。

 

目指したのは、最近すっかり治安が良くなり活気を取り戻していると聞いていたリトルトーキョー。

 

そう。日本を離れて7年が経っている私がロサンゼルスに求めるのはアメリカっぽさでもカリフォルニアっぽさでもなく、「サンディエゴにはない日本」なのだ。

 

私は、サンディエゴでは食べられない、手打ちのうどんが食べたかった。

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誤解を招くような例え方かもしれないけれど、リトルトーキョーには、日本の田舎を旅しているような面白さがあった。

 

本物の、今の東京に比べたら何世代も古いような、垢抜けない感じ。

 

でも、私にはそれがとても懐かしく感じられて、心地良かった。

 

例えば、昔の食堂には必ずあった、店の前のメニューの模型。

プチプライスの、いわゆるドラッグストアコスメが売られている商品棚。

大きなショッピングモールの上の階にレストランがたくさん並んでいること。

 

いずれも日頃から「ああ、懐かしいな、恋しいな」などと思っている風景ではないのだが、見たら、「あ、そうだ、日本はこんな感じだった。懐かしい」となる。

 

折しも暑い日だったので、なんだか、夏休みの子どもに戻ったような気分だった。

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渇望していた手打ちうどんを食べ、日本風のシュークリームを食べ、プチ日本旅行気分を満喫して総領事館に戻るその途中で、我々はうっかり、「スキッドロウ」と呼ばれる治安の悪いエリアに足を踏み入れてしまった。

 

さすがに嗅覚が働いて、「ここは通ったらダメなところ」とすぐにわかり、そのエリアのど真ん中を通ることは避けられたが、それでも路上はゴミだらけ。

その脇は路上生活者のテントがぎっしりといった道を歩く羽目になり、道1本間違えただけでこんなにも街の様子が変わるのかと驚かされた。

 

不思議なことに、先ほどまで日本を恋しがっていた私は、「ああ、早くサンディエゴに帰りたい」と思った。

 

私の「ホーム」はどっちなんだろう(笑)。

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サンディエゴ在住者がこぞっていうことだが、北のロサンゼルスから5号線を南に走って、サンディエゴ郡に戻ってくると、途端に雰囲気が明るく開放的になる。

 

ああ、帰って来た、とほっとする。

 

いつもほぼ毎日海に入ってサーフィンをしているが、どこか遠くに出かけた後はとりわけ海に入りたくなる。

 

そして海に入ると、しみじみ思う。

 

私は、サンディエゴが大好き。

 

時々どうしても食べたくなる手打ちうどんもないし、懐かしい日本の原風景もないけど、今はやっぱりここが私の居場所だ、そう感じている。

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6.2.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

自然と人工のあいだに

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3月から5月までにかけて期間限定で行われていた「Desert X」という、現代アートの展示プロジェクトに行ってきた。

 

会場は、パームスプリングスという砂漠の中のオアシス的な街。

 

パームスプリングスは、ハリウッド黄金期の後半、1950年代にハリウッドスターの別荘地としても知られた街で、建物やインテリアにミッドセンチュリーモダンの雰囲気があって、オシャレでアートな街としても知られる。

いまもスパやゴルフなどを楽しみに南カリフォルニアの海岸沿いに住む人たちが身近な避寒地として訪れる街でもある。

 

そんなパームスプリングスへは、サンディエゴからは北東に車を走らせて約2時間。

ロサンゼルスからは南東に車を走らせて約2時間。

 

今回の旅の友はロサンゼルス在住の女友達だったので、パームスプリングスで現地集合して、1泊2日のアート鑑賞の旅を楽しんだ。

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Desert Xは、パームスプリングスの街全体を使ったアートの展示会で、鑑賞者、つまり我々は地図を頼りに作品の展示場所を探し、車で乗りつけ、鑑賞して、また次の作品を見に車を走らせる。

 

地図は、Hubと呼ばれる、このプロジェクトのビジターセンター的なところでもらうことができるが、Desert Xのスマホアプリをダウンロードするのが早い。

 

Desert Xのアプリには各作品や作家の解説があって、その作品がどこに展示されているかの地図があって、地図からナビに飛ぶことができるので、本当に便利であった。

 

砂漠という、本来なら生きていくのは簡単でない土地で、スマホアプリを駆使して遊んでいる、そのコントラストがなんだか不思議だった。

 

それはアート展示にも言えた。

 

Art(アート)は「芸術」と訳されることが多いけれど、「人為の」という意味もある。

 

Desert Xは、砂漠という自然を舞台に、人の作った作品が展示されていて、なんというか、作品だけでなくその舞台も含めてアート作品なんだ、ということを強く感じさせられた。

 

もっといえば、この作品をこの砂漠に展示していること、つまり展示場所がここであるということも含めてアートなんだ、と。

 

アートをよく知る人ならそんなこと当たり前なのかもしれないけれど、どこでどう展示されるかも含めてアートだという認識が、それまでのわたしにはあまりなかったんだと思う。

 

おかげで旅の間ずっと、わたしの心は、自然の良さと、自然の一部である人間が作ったものの良さ、ふたつの間のふしぎな空間を漂っていた。

 

どっちが良いとか、どっちが悪い、ではなく、人のあらゆる営みはそれがどんな形であれ自然の一部であるし、一見、自然と相反するような人工建造物もデジタルテクノロジーも、自然の一部である人間が作ったものという点では大いなる自然の一部で、両者は相反するものではなくて、混じり合ってまた新しい文化ができていくのだなぁと、そんなことを考えていた。

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わたしは、どちらかというと、ナチュラリスト志向で、環境問題に関心があり、デジタルよりアナログ、新しいものより古いものを好む。

いまの世の中はいろんなことが過剰な気がして、このままでは世界はどうなってしまうのかと懐古的になることも多い。

 

けれど、もし自然であることを好むことをナチュラリストというなら、時代の変化という自然に発生していくこともまた自然であるはずで、あらゆる人工物も人間の進化もまた自然といえる。

 

だとしたら、わたしがやることは、変化していく世界に抵抗したり対抗したりすることではなく、変化していく世界の中で、どうやって美しい世界を実現させていくか、だけだ。

 

Desert Xの旅を終えて、「自然であること」について自分なりに整理できて、視界が開けたような気持ちになった。

 

抵抗しないで、対抗しないで、進もう。

いつだって、「いま」をはじまりにできる。

 

5.2.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ないものねだり?

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2010年、それまで7年ほど暮らしていた東京から湘南に引っ越したとき、いろんなことにカルチャーショックを受けた。

一番驚いたのは、ウエットスーツや水着の人が普通に道にいることだ。

ウエットスーツや水着の人が海沿いの道にいるならわかる。

でも、そうでなく、駅前の商店街にいる。

サーフボードを片手に歩いている人もいれば、サーフボードを横にひっかけた自転車を漕いでいる人もいるが、とにかく普通にいる。

その隣には70代と思われる男性が派手なアロハシャツと短パン姿で歩いていたりもする。

そういう光景に出会うたび、「ああ、わたしはビーチシティーに越してきたのだなぁ」と、それまで海を身近なものとして育ってこなかったわたしはいちいち感動した。

 

***

 

そんな湘南のビーチカルチャー浸透度を伝えるのにぴったりのエピソードがひとつある。

ある朝、二世帯住宅の一階に住む義父が「散髪に行ってくる」と家を出て、ものの5分もしないうちに帰ってきた。

どうしたのかと尋ねると、「休みだった」と義父。

「え? 定休日だったのに、知らずに行ってしまったんですか?」

「いやいや、定休日じゃないよ、臨時休業。そう貼り紙があった」

「え? 臨時休業って心配ですね? 何かなければいいけど…」とわたしが言うと、義父はいやいや、と手を振り、笑った。

「波乗りに行っちゃったんでしょう、きっと。今日、サーフィンに行く人、何人も見たから、たぶん波がいいんでしょう。波がいいんじゃあ仕方ないね」。

ちなみにこの義父、サーファーではない。

でも、長年の経験で(?)、道ですれ違うサーファーの数とその様子でそのの波がどうだか、だいたいわかるらしい。

なんだか、すごい異文化圏にきてしまった、と、その時わたしは思った。

わたしがこれまでいた文化圏なら、「波乗りのために仕事を休むだ? 仕事をなめているのか?」となるのが当たり前なのに、義父は「波がいいんじゃ仕方ない」と笑って受け入れている。

これがいわゆるビーチシティーカルチャーというものか。

 

最初こそは戸惑いもあったが、ひとたび住人になってしまうとビーチシティーの暮らしは想像以上に居心地がよく、前夫が亡くなり、その町にいる理由がなくなった後も、とても他のところで生きていける気がしないくらいまでどっぷりはまってしまった。

***

 

2014年にサンディエゴに引っ越してきたとき、まっさきに感じたのが湘南と似ているということだ。

西側は北から南まで112キロの海岸線で、そのほぼ全てがサーフスポットといって過言でないサンディエゴはまさにビーチカルチャーが根付く町だった。

もちろん、ウェットスーツで歩く人、水着で歩く人もたくさんいる。

でも、湘南で耐性がついているわたしはもう驚かない。

湘南とサンディエゴ、国は違えど同じ文化圏。

そんな感覚が、ビーチシティーにはある。

 

が、湘南で見かけたよりももっともっと強者がこちらには、いる。

それは、どこでも裸足で歩く人たち。

名付けて裸足族。

いやいや、ビーチで裸足になるのは普通だってことはわたしもわかっている。

でも、裸足族が裸足で歩くのはビーチだけではない。

彼・彼女らはビーチから何ブロックも離れた飲食店にも裸足で入るし、ちょっと高級な食材を扱うスーパーマーケットにも裸足でいる。

お金に困っていそうで、というのではない。

きれいなお姉さんも、かっこいいお兄さんも、颯爽と歩くその足元を見ると裸足。

裸足族は公衆トイレにも裸足で入る。

わたしなんぞ、靴を履いていてもイヤなときがあるのに、裸足族はむしろ靴より裸足のほうがすぐに洗えていいでしょと言わんばかりに堂々と入っていく。

裸足族を見ると、わたしのビーチカルチャー度数はまだまだ低いなって思わされる。

いや、別に競争しているわけじゃないのだが、でも、なんか、悔しい。

「海が好きです」「自然が好きです」「サーファーです」などと言っていても、どこでも裸足で行けるくらいじゃなければまだまだ甘ちゃんという気がしてしまう。

そんなわけで、わたしは数年前から密かに裸足族の仲間入りすることをめざしている。

 

まずは面の皮ならぬ足の皮を厚くするために、とにかく裸足でいる場所を増やすことが最初のステップだろうと、わりとがんばって、いろいろなところで裸足を心がけている。

この「裸足族」というカテゴリーを意識しているのはわたしだけかと思っていたが、ちょっと前にサーフィン仲間のAちゃんが、自身の働いている日本料理店のお客さんたちのことを「ちゃんと靴を履く人たち」と表現していて、面白かった。

要は、「どこでも裸足で行ったりしない、ちゃんとした人」ということ。

さらに、これまでずっとサーファーとばかり付き合ってきたAちゃんは、次は「きちんと靴を履いている彼氏」がほしいそうだ。

若い頃にはヒールの靴でカツカツと町の中を歩いてきたわたしは裸足族に、昔から裸足族ばかりに周りを囲まれていたAちゃんは靴を履いている種族に、それぞれ憧れている。

これが、ないものねだり、というものか。

 

でも、最近は思う。

なぜか憧れてしまうことって、じつは自分に「ないもの」ではなくて、本当は自分の中にあるのに、なんらかの理由で深く深くに押しやって「ないことにしてしまったもの」たちなんじゃないかと。

わたしはたぶん裸足族になりたいわけではなく、それが象徴するような、自然体で、とらわれのない、自由な精神を取り戻したいのであろう。

 

そして、それはわたしにないわけではなくて、奥深くに隠してしまっただけなのだ、と。

 

4.1.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

日にち薬

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アメリカ、カリフォルニアに引っ越しをしてこの春で丸7年を迎えた。

 

7年前の3月末、ロサンゼルス国際空港に降り立ったとき、わたしにはこちらに親類も友達もいなかった。

頼りは、その前年に北カリフォルニアのシャスタを旅したときに出会ったロサンゼルス在住のYさんと、これから入社する会社の上司と同僚だけ。住む家さえ決めておらず、当面はホテル暮らしで、到着の翌日から会社に出社するという、いま思えばだいぶ無謀な引っ越しだった。

 

日本では湘南鵠沼で二世帯住宅の一軒家に暮らしていたが、引っ越しのために厳選して持ってきた荷物はスーツケース2つぶんだけであった。

亡くなった前夫が「当面生きていけるくらいの金額は残す」と言って残してくれたお金は、その言葉通り、当面生きていくために使わせてもらったため、渡米時にはアメリカ暮らしで必須の車を買うための代金くらいしか銀行口座には残っていなかった。

ゼロからスタートとはまさにこのことだ、というくらい、なーんもなかった。

 

でも、希望はあった。

 

と書きたいところだが、はたして希望はあったのか、あんまり覚えていない。

ただ、日本にいるのがつらかったから逃げてきた、というのが近い気がする。

 

わたしの20代後半から30代後半は、よくもわるくも亡くなった前夫一色であった。

どこに行っても、何をしても、彼との思い出があるような気がしたし、思い出せば思い出すほど、いまここに彼がいないということが大きく感じられてつらかった。

わたしは、残された人生を、泣いて力なく過ごしたくなかった。

笑って生きたかった。

だから、どこか遠いところに行きたかった。

彼のことを思い出させるものがないところに行きたかった。

そういういろいろがあってのアメリカ移住、であった。

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***

 

海外移住は来てしまえばなんとかなる、とよく言われる。実際、なんとかなったから、いまのわたしがある。

でも、振り返れば、最初の3年くらいは必死であった。

 

渡米したてでまだ歯科保険に入れていない時に、10年以上ずっと大丈夫だった歯の詰め物が取れるとか。

ケチって格安の中古車を買ったら、買ったはなからスピードメーカーが動かなかったとか。

さすがにそれは販売店に無料で直してもらえたが、今度は1週間後にエンジンがかからなくなったとか。

その車は最終的にはラジエーターが漏れるようになって、直すお金も買い換えるお金もなかった当時は、トランクにラジエーター液を積んで、毎回、乗る前に自分で補充していた。

 

どれもこれも20代の若者であれば人生経験としてネタになるが、わたしはそのとき30代も後半で、日本では何不自由なく暮らせていたのに、アメリカでは不自由ばっかりで、なぜこんな思いをしてアメリカにい続けるのだろうと自問自答したものである。

 

結局、日本に帰らなかったのは、帰ったところで、前夫はいない、わたしが望む暮らしはもう日本にもない、とどこかでちゃんとわかっていたからだ。

日本に帰ってもアメリカにいてもどうせ夫はいないなら、なんだか大変なことがいろいろ起こって生きるのに精一杯というアメリカのほうが都合がよかった。

毎日やらなきゃいけないことが多すぎて気が紛れたからだ。

 

石の上にも3年とはよく言ったもので、たしかに3年目あたりから、「あれ? わたしもう、そんなに一所懸命にならなくても生きていられるかも」と思えるようになった。

のちに再婚する現夫と、趣味のサーフィンを通じて顔見知りになったのも、この頃のことだ。

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***

 

毎年、桜の季節がきて、SNSのタイムラインが桜の写真で埋まると、懐かしさと恋しさで望郷の念にかられたのだが、今年は不思議とその気持ちはなく、「日本の桜はやっぱり綺麗だなぁ」と心から堪能できている自分がいることに気がついた。

 

きっと、これまでは、「今年も日本で桜を見ることができなかった。

もう○年間、お花見をしていない」という考え方をしていたのだと思う。

それまで30年以上、春が来れば桜を愛でるということを当たり前として生きてきたわけだから、当たり前だったことができないと嘆くのは自然な心の動きだろう。

でも、7年が過ぎた今年、わたしの心はわたしの知らないところでようやく諦めて吹っ切ったように見える。

わたしにとっては、桜を愛でることのない春が当たり前なのだと。

 

来年になると、亡くなった前夫を知っていた歳月より、彼なしで生きた歳月のほうが長くなる。

もしかしたら、わたしは彼はもういないのだとようやく心の奥深いところで諦めて吹っ切れているかもしれない。

いまなら日本のどこで何をしても心塞がれることなく楽しめるようになっているかもしれない。

 

「日にち薬」とはよく言ったもので、即効性はないけれど、とにかく時間を稼いでいればじわじわと効いてくる。

そして、ある日突然、すごく効いている、ということ気づくのだ。

 

3.1.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

サマータイム

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アメリカに暮らしているわたしにとって3月の一大イベントといえば、夏時間が始まることだ。

 

いわゆるサマータイム、といわれるやつ。

 

正式にはDaylight Saving Timeといい、それまでより1時間、時計が早まる。

せっかく日照時間が長いんだから、その時間を有効活用しましょうということ。

わたしは勝手に、朝早くから夕方遅くまでめいっぱい太陽を楽しもう、と意訳しているけれど。

 

これから夏に向けて、どんどん日は長くなり、実際、8時くらいまで明るい時期もある。

 

仕事を終えてもまだ太陽が出ているというのは、想像よりずっとずっと自分を明るい気持ちにさせてくれる。

 

お酒飲みの友人は、一仕事を終えて、太陽がまだ出ているうちに乾杯ができるのがうれしいと言う。

お酒が得意でないわたしは、仕事の後にサンセットサーフィンできるのがうれしい。

 

朝もだいたいサーフィンしてから仕事をするので、夏は働きながら朝夕2セッションってことも不可能ではないのだ(やるかどうかは別として)。

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歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が、いまの人類社会は「虚構」を作り、それを「信用」することで成立している、というような趣旨のことを著書で書いていると知り、なるほどと思っている。

 

夏時間もまさにそのわかりやすい例だと思う。

 

今日からは1時間時計の針を早めようね、という虚構を、みんなで協力してやるから成り立つ制度。

 

昨日までと今日からは、大自然の視座で見たら、たぶん境目などないのに、人間が「今日から夏時間にしましょう」と決めただけ。

 

これは新年もそうですね。

 

日本に暮らしていたときは実感がなかったけれど、カリフォルニアに越してきたら、日本でいう元旦である1月1日は普通に過ごして、むしろ旧正月を祝うという民族グループがたくさんいて、自分の常識は必ずしも標準ではないんだなぁと、書くとたいそう当たり前のことを、初めて実感をもって学んだ。

 

これを虚構に結びつけるとすると、コミュニティーごとに信じている虚構が異なるということだ。

 

***

 

さて、サマータイム。

 

アメリカでは3月の第2日曜日から始まるので、今年は3月14日から。その日の深夜2時に、時計を1時間進める、とされる。

 

スマホやパソコンの時計は何もしなくても自動的に夏時間に対応するが、その他の時計は自分で戻さなければいけない。

 

すぐやらないと面倒になるので、なるべくすぐやるようにしているが、時々、時刻を変え忘れている時計があって、いざというとき混乱する、ということもよく起こる。

 

夫は強者で、ほぼ毎年、時刻を変えずに通す。

けど、そのかわり、「今は一時間早めに見たほうがいい時期だっけ? この数字をそのまま信用していいんだっけ?」と毎回ちょっと混乱している。

だったら一手間かけて変えてしまったほうが効率的なのに、と思うが、もう互いにいい大人なので、余計な口出しはしないことにしている。

 

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昔、もっと若い頃は、時計の針に縛られて生きたくないと思っていた。

 

今も、その傾向は、若干ある。

 

ただ、みんなで時計という虚構を生み出し、その虚構を信じることで成り立っている今の社会で、時計の針に縛られないっていうのは、なかなか難しい。

 

「わたしは時計の針を無視して生きる!」っていうことをみんながてんでばらばらにやりだしたら、いまの社会はうまく機能しなくなってしまう思うので。

 

でも、一方で、社員の担当部署を定期的に変えている会社についての新聞記事のことも思い出すのだ。

 

うろおぼえなのだが、一人一人の社員が次に希望する部署を事前にすりあわせたりはしていないのに、部署替えの希望を聞くと、どこかの部署に希望者が集中してしまうことはなく、おもしろいくらいぴったりと振り分けられて、希望でない部署への変更をお願いすることはまだ発生していない、というよう内容の記事だった。

 

もしかしたら、本当の本当の深いところでは、人を自由にさせると社会はちゃんと自然に調和して機能するようにできているんじゃないか? 

 

それにはもっと人類社会が進化して、みんなが自分や他人、いや、それ以上のもっと大きな何かを信頼できるようになる必要があるんだろう。

けれど、いつか、遠い未来には、「みんなでこれを守ろうね」と「虚構」を明文化しなくても、自然と協力しあえる世界が実現するんじゃないか?

そんなことを夢見ながら、わたしは今年も3月の第1週の日曜に時計の針を1時間進める。

 

2021年の、夏のはじまり。