
DAYS
STAY SALTY ...... means column
本トのこと
Satoko Kumagai Column
from Kyoto / Japan

熊谷聡子
絵本のこたち
京都・伏見の絵本屋さん「絵本のこたち」の店主。
絵本を通して、文化の伝承・交流などを通して、
想いや感じたことを発信中。

























10.15.2023
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
ゆうやけにとけていく

暗くなるまでに家に帰る。
それが、子どものころの約束事。
自転車を漕ぐ足に力を込めながら眺めるゆうやけは
きれいだなと思う一方、憎らしくもあった。
ザ・キャビンカンパニー作『ゆうやけにとけていく』(小学館)は、
ノスタルジーを呼び覚ます。
刻一刻と移り変わる空の色と家路を急ぐ気持ちも同時に。
最初の見開きには、まだ空の青も鮮やかにのこっている。
山の端からじわじわと染まる夕焼けが、麦畑を金色に染める。
麦がゆれる。鳥よけの鷹も揺れる。
一日の労働を終えた夫婦の姿は、ミレーの<晩鐘>の引用だろう。
祈りを捧げているようにも、互いを労うようにも見える。
幸せを噛みしめているようにも見える。
ゆうやけに染まる空の色は様々で、ゆうやけに照らされる人々も様々。
様々な一日を過ごし、様々な気持ちを明日に持ちこすのだろう。
様々だけれども、みな一様に、ゆうやけに照らされ、とけていく。
人も鳥も、犬や猫も、木々も風も。
おばあさんの膝の上で、あの子がアルバムをみている。
その部屋の壁にかかるのは、ゴッホの<種まく人>だ。
貧しい農夫を描いたミレーをゴッホは敬愛し、
ミレーと同じ主題に取り組んだ。
ゴッホの<種まく人>の強烈な光を放つ夕日は、
種をまく農夫を力強く見守っているかのようだ。
あるいは、労働や生産を賛美しているかのようにも見える。
ミレーの<晩鐘>から始まり、ゴッホの<種まく人>が盛り込まれている
『ゆうやけに とけていく』には、創作への深い敬意が感じられる。
もう、半分以上、顔を隠した夕日の上を人の顔をした鳥たちがこえていく。
平和を象徴するハトのようだ。
ざわめきが静まり、夜の帳がおりる。
すべてをとかしたゆうやけが夜にとけていく。
「急がないと怒られる」そんな子どもの気持ちから平和の祈りまで、
ゆうやけは分け隔てなくとかしていく。
しずかな夜に。

Book 『ゆうやけにとけていく』
6.10.2023
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
なんにもおきない まほうのいちにち

「いいかげん、ゲームはやめたらどう?」
私も何度、息子たちにこの言葉をかけただろう。
ゲームの他にすることないの?
ないみたい。
あんまりゲームばっかりしてるから、習い事させたり
犬を飼ったりしたのに、やっぱりゲームばかりしている。
『なんにもおきない まほうのいちにち』のぼくは、
休みのたびにママと行く家がある。
森の奥にあって、いつも雨が降っている。
ママは毎日、だまってパソコンに向かって書き物をしている。
なのに、ぼくにはゲームばかりするなと言う。
ゲームの他にしたいことなんか何もないというのに、
雨の降る森で、一体、なにをすればいいというのだろう?
家の外は退屈で満たされている。
そう思っていたぼく。
沼の水は息ができないほど冷たく、雨が背中をたたく。
カタツムリのつのはゼリーみたいにぷよぷよ。
きのこのにおいがなつかしい。おじいちゃんの物置のにおいだ。
ドラムの音がなりひびく。ぼくの心臓の音。
家の外に出て、世界にふれた瞬間から五感が目覚めていく。
はじめは陰鬱な森の中に閉じ込められたように寂しそうなぼくが
なんにもないと思っていた森の豊かさに気づき、
次々とドアが開いていくように、世界と出会い、繋がっていく。
確かな世界を実感することは、自分の存在を実感することだ。
自然に対してだけではなく、他者を知ることで相対的に自分を知る。
デジタル時代に生きる私たちは、どれだけ世界にふれているのだろう?
どれだけ確かな自分を感じているだろう?
冒険を終えて家にもどったぼくは、鏡の中にパパの面影をみる。
部屋の静けさとホットチョコレートの香りをママと共有した。
なんにもおきない、最高の一日。

Book 『なんにもおきない まほうのいちにち』
4.10.2023
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと

ナンティー・ソロっていう名前からしてステキ。
ナンティーっていう親しみやすい響きに、単独を意味するソロがまた良い。
謎めいた名前のその人は、子どもたちを鳥にかえることが出来るんですって。
ひょっとして、実在の人物をモデルにしてるのかな、
鳥にかえるって、どういうことだろう?
イラストを担当するローラ・カーリンは、デビュー作の『やくそく』(the Iron Man)(BL出版)でボローニャ・ラガッツィ賞フィクションの部優秀賞を受賞。
『空の王さま』(King of the sky)(BL出版)でも、他人との心のふれあいから、子どもが自分自身を獲得し羽ばたいていく様を、しっとりと情緒深く、けれども圧のない筆致で軽やかに美しく描き出す。
なるほど、ローラ・カーリン以外に『ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと』にふさわしいイラストレーターはいるだろうか。
ある日、町にあらわれたひとりの女、ナンティー・ソロは、
自分は子どもたちを鳥にかえられるのだと言いました。
大人は信じないだけでなく警戒し、子どもたちを近づけないようにしました。
けれど、やっぱり近づく子がいます。
好奇心をおさえきれないのか、あるいは真実が見えるのか。
大人を置き去りに、自由に空を飛び、歌をくちずさむ子どもたちの姿を見ても、大人たちは、ますます恐れ、慌てふためくばかり。
ああ、そうだ。自由になることは、とても恐ろしい。
自由に羽ばたけたら気持ちがいいんだろうな。
美しい歌が歌えたら楽しいだろうな。
そうは思っていても、いざ、自分が同じように出来るとは思えない。
大人とは、そういうもの。
自由になることは、とても難しい。
でも、本当にそうだろうか。
自由になれると心から信じているだろうか。
ナンティー・ソロは何者だったのだろう?
彼女は今どこにいるのだろう?
誰も彼女になれないのだろうか?

Book 『ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと』
2.8.2023
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
まよなかのゆうえんち

本の表紙をめくるとあらわれる最初の見開きを見返しといいます。
表紙と本文をつなぐ役割をしている見返しには
デザイナーの工夫が見られますね。
印刷のない真っ白の見返しもスッキリして、しかもゆとりを感じますし
本のイメージに合わせた色の特殊紙や単色の印刷もいい。
『まよなかのゆうえんち』は、本文同様4色印刷で扉を開く前の
見返しから、プロローグが始まっています。
木の陰には動物たち。明るい広場には数台のトラックが乗り入れています。
変わった形の物体は何をするものでしょう?
この絵本は森の動物たちからみたお話です。
言葉はありません。文字のない絵本です。
トラックが運んできたのは移動遊園地です。
昼間は多くの人間たちで賑わい、やがて、夜。
動物たちの時間です。
煌びやかに輝くネオン、跳ね上がるポップコーン。
コーヒーカップが回る回る回る……
幻想的な光と影の表現にうっとりとします。
音楽や歓声が聞こえてきそうな、ダイナミックな絵が
これでもか、これでもかと続きます。
きっと真夜中の遊園地の方が素敵ですね。
人間たちが知らない楽しみ。動物たちがうらやましい!
空が白み始める頃、お楽しみの時間はおしまい。
人間と交替ですね。けれど、そこここに侵入者の痕跡があります。
よく考えると、動物たちはずいぶん慣れていましたね。
犬のホットドッグ屋さんなんて本職としか思えません。
掃除もして、お土産も持ち帰っています。
遊園地で遊ぶのは初めてではないみたい。
もしかすると、人間と動物は、私たちが思っているよりも
たくさんのものを共有しているのかもしれません。
そして人間が作り出したものを動物たちは持ち帰っています。
森に山に川に。
おそらく人間が足を踏み入れたことのない場所にも。
様々なものを介して、人間は環境に影響を及ぼしています。
動物からも影響を受けていることでしょう。
移動遊園地は去っていきます。
最初の見返しと最後の見返しを見比べてみると、
トラックは何も残さず去ったように見えます。
何も残さず。
けれど、また、いつかやってくるでしょう。
動物たちもそれを知っているでしょう。

Book 『まよなかのゆうえんち』
12.15.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
世界はこんなに美しい

2022年が暮れようとしています。
なんて長い一年だったのでしょうか。
コロナ禍は終息するどころか8波を迎え、
北京冬季五輪の最中にロシアがウクライナに侵攻し、
参院選の最中に元首相が暗殺され、
W杯の最中にドイツでクーデターが企てられる。
2022年は暮れようとしているのに
さまざまな出来事は終わりが見えない。
それでも、年が変われば何か変わるかも。
そんな期待を抱かずにいられない。
2023年は、よい年でありますように。
半世紀前の1973年。
ひとりの女性がバイクで世界一周するという冒険に出ました。
アンヌ=フランス・ドートヴィル。
28歳の出発です。
未知の場所へ行ってみたい。
少しの荷物を持って、125ccのカワサキのバイクに乗り、
パリを離れると、バイクの故障や嵐など、
数々の困難を乗り越え、4ヶ月をかけて世界を横断しました。
アンヌの書いたバイク紀行はフランスで大きな話題になり、
著書にこう記しました。
ー世界は美しくあってほしい、そして世界は美しかった。
人間はよいものであってほしい、そして人間はよき人々だった。ー
『世界はこんなに美しい』は、アンヌ=フランス・ドートヴィルをモデルに
『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』(西村書店)などの
伝記物語もある、エイミー・ノヴェスキーが文を書きました。
ジュリー・モースタッドの絵は、繊細で柔らかく、軽やかでしかも強い。
アンヌの首に巻かれたシルクのスカーフも
きっとこんなふうに風になびいていたのではないかと想像します。
まだ女性の社会進出が現代ほどではなかった時代に、
どれほど多くの女性たちに勇気を与えたことでしょうか。
それにバイク乗りたちにも。
半世紀前。自由を求めて旅立つ女性がいた。
世界は明るく開かれていた。
アンヌが駆け抜けたいくつかの場所は、すっかり変わってしまい
もう二度と誰の目にも触れることが出来ない場所もあります。
それでも、世界は美しくあってほしい。
人間はよいものであってほしいと願い続ける。
2023年が、よい年でありますように。

Book 『世界はこんなに美しい』
11.7.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
アルメット

表紙の少女をご覧いただきたい。
髪は伸び放題。袖口のほつれた服は着たきりなのだろう。
目の周りにはクマができてるし鼻の頭は赤くて寒そう。
それなのに、口元には穏やかな笑みをたたえ、
真っ直ぐに持つマッチ棒は王笏のような威厳を漂わせている。
下部にALLUMETTEと名前が記され、選挙ポスターのようにも見えます。
アルメットはマッチ売りの少女。
親も帰る家もなく、捨てられた車で寝泊まりしています。
クリスマスが近づいてきて、街が華やかなムードに包まれても
誰も彼もがアルメットをどこかに失せろと追い立てます。
かわいそうなアルメットは息も絶え絶えに祈ります。
すると、はげしいカミナリとともに、アルメットが欲しいと願った
ものというもの、あらゆるものが降ってきて……
作者は、『すてきな三にんぐみ』(偕成社)等で
多くの子どもたちの心を虜にしているトミー・ウンゲラー。
フランスに生まれ、第二次世界大戦をくぐり抜け、
渡米してからは、絵本の仕事のほか、雑誌や広告で風刺画などでも活躍し、
ベトナム戦争や人種差別など政治的メッセージを込めた作品も手がけました。
仕事が安定するまでは、食べる物にも事欠く苦労を経験しました。
『アルメット』は1974年の作品で、子ども向け絵本の仕事は
これを最後にしていますが、非常に激しい思いのこもった一冊です。
『アルメット』の完全に狂った世界は、心地よいものではないけれど、
世界のどこかで起きている現実なのだと、私たち大人は知っています。
ひもじい思いをする人がいる一方で、
物質的には満たされているのに心が貧しい人がいる。
物はないところには何もなく、あるところには溢れている。
本当に必要としている人は、忘れられた街の片隅にひっそりと暮らしている。
世界のどこかで絶えず起こり続ける災害や、戦争や、パンデミックに
手伝いを申し出る人、寄付をする人、状況を利用しようとする権力者。
それでも人々の多くは、困難を乗り越えるために助け合う選択をします。
アンデルセンには言いづらいけれど、マッチ売りの少女は生き延びて欲しい。

Book 『アルメット』
10.7.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
星どろぼう

花どろぼうは罪にならないといいますけど、星どろぼうはどうなのでしょう?
その泥棒は山のてっぺんにひとりで住んで、空の星にさわりたいと思っていました。
山のてっぺんでひとり、毎夜、星を眺めていたのでしょうね。
人よりも星の方が近くに感じられたのかもしれません。
心の奥では、自分だけの星が欲しいと思っていました。
心に星が灯ればどんなに心強いことでしょうか。
もっと心の奥深くでは、星を全部独り占めしたいと思っていました。
ここまでいくと欲張りですね。
でも、夜空の星を全て手に入れるって壮大でロマンチックです。
ある晩のこと、とうとう、泥棒は夜空の星を全部、盗んでしまいました。
けれど、星は誰のものでもありません。
手を伸ばせば手に入れることが出来るものでも、ひとり占めはいけません。
年寄りは知恵を出し、若者は勇気を出して泥棒を捕まえます。
村人たちは泥棒のしたことを口々に非難し、赦しません。
子どもたちにも星を触ってはいけないと教えているのに、大人が約束を破ってしまっては、子どもたちに何と説明したらいいのでしょうか。
さて、肝心なことは星空に元に戻すことですが、でも、どうやって?
『星どろぼう』は、アンドレア・ディノトが子ども向けに書いた初めての作品です。伝えたいことが樽いっぱいの星のように詰まっています。
心の奥に潜む欲望といった暗い部分も描きながら、ほっこり温かいコミカルに動き出しそう。
星を詰めた樽を抱えて走る泥棒は、無邪気な子どものよう。
罪とはなんでしょう? ふさわしい罰とはなんでしょうか。
罪びとは願い事をする資格もないのでしょうか。
空の星をさわることと地上の星をさわることは、どう違うのでしょうか。
赦しとはなんでしょうか。

Book 『星どろぼう』
9.5.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
いぬ

ペットは犬がいい。犬は散歩が出来る。
私が最初に犬を飼ったのは、小学校3年生の時。
毛が長く垂れ耳の洋犬の雰囲気のある雑種犬。
小学校の周りをうろついて、
児童たちから給食の残りのパンをもらっていた。
その犬を家の近くで見かけ、
早起きして牛乳をあげてるうちに、私の犬になった。
犬と一緒なら夕暮れの山の中でも、どこでも行ける。
私はすぐ、ひとりになりたくなるので、
犬は格好の口実になった。
野山が切り拓かれ新興住宅地に変わっていく様子を犬と眺めた。
いよいよ犬の最期の日が近づいた時、
腕に抱きかかえて、いつも散歩に通った山に登った。
ぐったりして過ごすことが多かった犬が、
その時だけは耳を澄ますように、何かを嗅ぎとろうとするように
私の肩に顎をのせ、クゥクゥと喉を鳴らしていた。
そんな風にして、私は犬とかけがえのない時間を過ごした。
一万五千年も昔から、世界のあちこちで、
人間と犬がそうしてきたように一緒に過ごして別れた。
ショーン・タンの『いぬ』に描かれている犬は、
私の犬とはどれとも似ていないのに、この感じを知っている。
人間と犬は、とても違うのに、とても近しい。
犬と一緒なら、歩いて行ける。
犬は私の孤独を完全なものにしてくれる。

Book 『いぬ』
7.11.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
海のてがみのゆうびんや

海崖の小さな家にひとり暮らすのは、海のてがみのゆうびんや。
波にゆられて流れ着いた、ガラスの瓶をすくいあげ、
手紙が入っていたら届けます。
どんな手紙も、必ず受け取る人がいます。
ある日、すくあげた手紙は宛名もなく、差出人も不明のパーティーの招待状。
海のてがみのゆうびんやは仕方なく、
ひとりひとりを訪ねて回ります。
エリン・E・ステッドの滑らかで柔らかな鉛筆のタッチが心を和ませます。
木版画で表す美しい木目は、そよぐ風に揺らめく波のようで、掠れた色は自信無さげなゆうびんやの少しざらついた心のよう。
詩情豊かなイラストそのままに、美しい言葉で物語が綴られます。
海のてがみのゆうびんやは、誠実で謙虚な男。
届けた手紙が、真珠貝のように宝物を宿していることを知っていても、自分の仕事の大切さをひけらかすようなことはしません。
だけど、自分はただの一度も手紙を受け取ったことがなく、友だちもいなければ、名前すらないといいます。
名前がないということは、どういうことでしょうか?
「郵便屋さん」という仕事でのみ、人と関わっているということでしょうか。
仕事や役割でのみよばれるということでしょうか。
「お巡りさん」「先生」「店員さん」「看護師さん」「お母さん」
わたしたちも人に対して、その仕事や役割を果たすことだけを求めているということはないでしょうか。
効率的で、誰がやっても均質なサービスであることをよしとする。
その人の勤勉さ、誠実さが支えている仕事や役割を、その職業だから当たり前と思ってはいないでしょうか。
海のてがみのゆうびんやがすくいあげた、宛名も差出人もない手紙は、とても魅力的だけれど不完全です。
完全な手紙であればポストに投函して完了したものが、その不完全さゆえに、顔と顔を合わせ、コミュニケーションを生み出します。
もしかしたら、仕事を介してしか人と関われないと思っていたのは、ゆうびんやの方だったのかもしれません。
人々が待っているのは手紙であって、自分じゃないと思っていたかもしれません。
大切な手紙を大切に届けてくれる。それがどんなに嬉しいことか、彼は知らないのかもしれません。
でももう、そんなことは大きな問題ではないでしょう。
明日からも大切に手紙を届けます。
自分を待っている人に。

Book 『海のてがみのゆうびんや』
5.5.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
サンサロようふく店

町なかの三叉路に洋服店ができました。
まだ、みんなが民族服を着ていたころです。
三叉路にあるサンサロようふく店のあるじはドックさん。
ついに見えた最初にお客様。
じっくり生地を選日、きっちりサイズをはかり
しっかり型紙をとって、ぴったりの洋服を仕立てました。
満足そうなお客様の顔を見て、ドックさんは
「ああ、よかった」と思うのでした。
時代はうつりかわり、戦争が始まると店も町もボロボロになります。
みんなが洋服を着るようになり、町には洋服店がたくさんできました。
やがて、大量生産の安くて似たような洋服が溢れかえるようになります。
受け継がれてきた技術を大事に、丁寧に心を込めて作るやり方は
時代に合わないのでしょうか?
いやいや、そうではないと思いたい。
安くて買いやすい既製品が大量にあふれていても、
人もみんな規格サイズになるわけでなし。
個性や特別な思い出がなくなるわけでもなし。
機械化しきれない技術や心配りはあるのではないでしょうか。
たくさんの人にとって便利でなくても、
たったひとりの必要としている人に特別を届ける。
「しあわせだなぁ」と思える仕事って、なんて素敵。

Book 『サンサロようふく店』
4.5.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
おおきなかぜのよる

部屋の中から外を見ている、りくくんは、
風に舞う葉っぱをつかもうとしているようです。
ひゅー ひゅるー
「すごいかぜね」と語りかけるのはお母さん。
「だれか いっしょに あそぼうよって ないてるみたい」
りくくんには、かぜの音がさびしそうな泣き声に聞こえるみたい。
風は がたん がたんと、窓も揺らします。
りくくんは外が気になっているようです。ちょっと怖い気もします。
その時!
2020年の『あいたいな』(ひだまり舎)で、
絵本作家デビューされた阿部結さん。
続いて『ねたふりゆうちゃん』(白泉社)、
『おやつどろぼう』(こどものとも2021年8月号 福音館書店)と
立て続けに刊行される注目の作家さん。
阿部結さんの絵本は、子どもが感じていることそのままに、
子どもが見ている夢をそのまま再現されているように思います。
どうして、こんなに子どもの気持ちがわかるのだろう?
風に乗って夜空を飛んでいくなんて、憧れますね。
お腹いっぱいのおやつを食べて綿菓子のお布団で眠ったり、
ぽかぽかお昼寝。
そういうと、眠る場面が多いです。
気持ちよく眠れるって最高に幸せですもんね。
物語の中ではモヤモヤしたり不安になったりしていても、幸福感で満たされています。
そんな世界で、子どもたちは自由に想像力を羽ばたかせるのではないでしょうか。
そして、なんといっても描かれている子どもが魅力いっぱい。
甘えん坊でちゃっかりしてて、好奇心いっぱいで、
風船みたいにまん丸いお顔は可能性でパンパンにふくらんでいるようです。
おおきなかぜに吹かれて飛ばされても遊びにしちゃう。
どんな冒険も乗りきって、ちゃーんと帰ってきます。
いくつもの夢を旅して子どもは大きくなっていくのでしょうね。

Book 『おおきなかぜのよる』
2.5.2022
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
スーツケース

ある日、見なれない動物がやってきた。
ずいぶん、くたびれているよう。
大きなスーツケースを引きずっている。
一体、何が入っているの?
少々、ぶしつけにたずねると、見なれない動物はこたえました。
だけど、それって本当?
海を渡って、ようやくたどり着いた見知らぬ動物に、
みんなは疑念を抱き、好奇心のままに荷物をこじ開ける。
疲れ果てた見知らぬ動物が、ちょっとだけ休んでいる間に。
そこにどんな思いが詰まっているかも知らないで。
どうして、そんな乱暴なことができたのでしょうね。
他人の持ち物を勝手にこじ開けるなんて。
見知らぬ相手だから、言ってることが信じられないから
無礼を働いてもいいのでしょうか。
私の小学生時代、校区に規模の大きな新興住宅地が出来ました。
新学期ごとに、ひとりかふたりは転校生がやって来て、
その度に転校生を囲んで、どこから来たの? 家はどこ?
教科書は一緒? 何か習い事してるの?
と質問攻めにしていました。
それを好意として受け取る人もいれば、困惑した表情を浮かべる人も。
引っ越しを楽しみにして来た人もいれば、
慣れた環境を離れることを心細く思っていた人もいただろうに。
いろんな事情で海を渡ってやってくる人がいます。
夢をもって来日する人もいれば、命からがらたどり着く人も。
どんな思いで、どんな困難を乗り越えてきたか
話したい人もいれば、話したくない人もいるでしょう。
見知らぬ人をどうやって、迎えたらいいだろう?
社会全体で考えたいことです。
見知らぬ動物が目を覚ました時、
何を目にしたと思う?

Book 『スーツケース』
12.5.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
すきなものみっつ なあに

ティブルの大好きなおじいちゃんは、少し元気がありません。
いつも庭仕事ばかりしていて、話しかけても聞こえないみたい。
ティブルは聞いてみました。
「おじいちゃんの すきな サンドイッチみっつは、なあに」
「おじいちゃんの すきな クラゲみっつは、なあに」
少しずつ会話がうまれ、おじいちゃんからも
「おまえの すきな おでかけみっつは、なんだい」と
問いかけられるようになりました。
おじいちゃん、前より元気になったみたい。
少し偏屈なところがあるおじいちゃんなのかな? と思っていたら、
おじいちゃんは本当は思いやりが深くてお茶目で、
ティブルのよき遊び相手だったのですね。
幻想的な美しいイラストレーションは
スウェーデン生まれのダニエル・イグヌス。
子ども向けの絵本のほか、ファッションイラストレーションでも
高い評価を得ているアーティストです。
心がどこかに行ってしまったおじいちゃんと無垢なティブルを
最初は静かに、次第に力強く瑞々しい色彩で潤すように包み込みます。
後半で、おじいちゃんの元気がなかったわけがわかりました。
ティブルの無邪気さが、おじいちゃんの心の扉を開きます。
おじいちゃんが思っていたことをティブルが言葉にしました。
本当は、ティブルはまだ小さすぎて
おじいちゃんの悲しみがわからないのかもしれません。
だけど、おじいちゃんの目には、ティブルの小さい胸の中に
星のように輝く思い出が見えたのでしょう。
大丈夫。
悲しみも寂しさも、ティブルと分かち合えます。
そしてきっと、星はふたりを見守っています。

Book 『すきなものみっつ なあに』
11.5.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
わたしのバイソン

4歳のある春の日、女の子は母に連れられ出かけた草原でバイソンに出会う。
ちっちゃな女の子とおっきなバイソンは心を通わせ、
バイソンは仲間のもとに帰っても、雪が降る頃には必ず戻ってくる。
そして女の子とバイソンは、冬の間を共に過ごす。何年も何年も。
そらも もりも とりも、
バイソンが いなくて さみしそう。
これは、バイソンが去った最初の不在の時の女の子の気持ち。
世界が違って見える。自由に羽ばたく鳥さえも、さみしそうに見える。
バイソンに出会う前には抱いたことのない感情でしょう。
大切な存在があるからこそ感じる不在の大きさ。
雪が降る頃、ちっちゃな女の子とおっきなバイソンは再会を果たす。
バイソンがいない間の森での出来事をお話しする。
不在の時を埋めるように。
バイソンは真っ黒な優しい目をしている。
女の子はバイソンの全てを目に焼き付けているのかもしれない。
次に来るバイソンの不在に備えて。
そうして、女の子とバイソンは、何年も何年も同じように冬を迎え
共に変わらぬ時を過ごし歳を重ねる。
永遠に繰り返されるかのように。
消炭色を基調に色数を絞って描かれた絵は
冬の冴えた冷たい空気の中、
バイソンの温もりや心の通う時のあたたかさを感じさせる。
女の子とバイソンに必要なものは多くないのだろう。
寄り添う女の子とバイソンの背景は白く何も無い。
何も要らない。
この研ぎ澄まされた鋭い感性と繊細で豊かな表現力の持ち主は
1980年ベルギー生まれのガヤ・ヴィズニウスキ氏。
驚くことに、ヨーロッパの絵本賞を4賞受賞した本作が絵本デビュー作であるという。
そして、訳者の清岡秀哉氏も本書が初の翻訳書だという。
しかも、ブックデザインも同氏が手がけられているのだと。
最小限の人数でひそやかに作られた絵本なのだろうか。
誰にも言わずに秘密にしておこうかという気にもなってしまう。
これは、ちっちゃな女の子とおっきなバイソンの愛の物語。
大切な存在があるということは幸せには違いない。
けれども、存在が大きければ大きいほど不在のさみしさも大きい。
それなら最初から、大切な存在はいない方がいいのだろうか。
そうではないと思いたい。
最初の不在の時とは違い、静謐で慈愛に満ちた年月を積み重ねている。
溢れんばかりの幸せが不在を埋め尽くすだろう。
満天の星が告げている。永遠の始まりを。


Book 『わたしのバイソン』
10.5.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
おまく

「おまく」とは不思議な言葉。
検索してみると京都弁で枕のことを「おまく」という人もいるらしい。
言うかなぁ? 言うかもしれません。
そういうと、かぼちゃのことを「おかぼ」と言いますね。
お豆腐のことを縮めて「おとふ」、お醤油は「おしょゆ」
「おいど」はお尻のことですが、最近は聞かなくなってきました。
そんな感じで、『おまく』というタイトルを見たとき、
何とは無しに、意識しないくらいに日常的な
身近なものをさす言葉のように思いました。
『おまく』(汐文社)は、柳田国男『遠野物語』を原作とし、
京極夏彦による語りと気鋭の絵本作家たちの絵で現代に蘇らせた
えほん遠野物語シリーズのうちの一冊です。
『遠野物語』とは柳田国男が岩手県の遠野出身の佐々木喜善から
聞き書きした話をまとめ、1910年に自費出版したものです。
最初の出版から110年以上経っていますので、現在からすると昔の話ですが、
『遠野物語』の序文に「この書は現在の事実なり」と書いてある通り、
当時の佐々木喜善が、「つい最近」見聞きした本当にあったお話。
もちろん、「ざしきわらし」も「かっぱ」もです。

前置きが長くなりましたが、
『おまく』の絵を担当されたのは、羽尻利門さん。
澄み渡る青空が印象的なのどかな風景の中、
細部まで描き込まれた川辺の草花の現実感とは裏腹に
人の背丈くらいのところで宙に浮かぶ男性。
シュルレアリスムの絵画のようです。
おそれる様子もなく、宙に浮かぶ男性を見送る少女たちは、
「おまくだね」「どこのおじちゃんだろうね」
とでも話しているのでしょうか。
「おまく」とは何でしょう?
「前兆」というか「虫のしらせ」というのでしょうか。
ああ、そうか。
「おまく」は扉ではなく幕なのかもしれない。
じっと見ていると吸い込まれそうな青い空の向こうは
110年前の遠野につながっているのかもしれない。
夕暮れの空を朱く染める日が山の向こうに沈む時、
川の水面が鏡のように辺り一面を映す時、
風に揺らいで彼岸と此岸の通じる幕が開く。
時空をこえて魂が往来する。
遠野のあたりでいうおまくとは、そうしたものである。

Book 『おまく』
9.5.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
ぼくは川のように話す

「流暢に話す」という言葉がある。
流暢とは、言葉が滑らかに出て澱みがないこととある。
イメージするのは、アナウンサーのように的確な言葉が
すらすらと流れる水のように…
流れる水?
どこをどう、流れていくのだろう?
「ぼく」はうまく言えない音がある。
言葉が口の中でからまり、つかえ、うまく出てこない。
なのに、隠しきれないびくびくした心は溢れ出る。
特にうまく言葉が出ない日は、お父さんが川へ連れて行ってくれた。
お父さんは川を見ながら「お前の話し方だ」と言う。
川は、泡だって、波うって、渦を巻き、砕ける。
「ぼく」と同じように、一定ではなく。
『ぼくは川のように話す』は、著者である
ジョーダン・スコット自身がモデルになっており、
発音しづらい言葉がある様子が丁寧に描写されている。
教室での居た堪れなさから、父親との会話により
心が解放され、自分を受け入れられる展開に思わず涙ぐむ。
その心情を見事に絵で表現するのはシドニー・スミス。
『うみべのまちで』や『おはなをあげる』『このまちのどこかに』も
主役ではない、どこかの誰かにも思いがいたる、
静かで、忘れられていないという気持ちになる作品だ。
中でも『ぼくは川のように話す』の表現は際立っている。
光輝く絵の中の「ぼく」は自然の一部に見え、
教室の中での「普通」を飛び越え、大自然と一体化している。
教室の外では吃音も川と同じように自然だ。
人と同じでないところがあるのも自然。

Book 『ぼくは川のように話す』
8.2.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
よるがやってくる

大きなクマのぬいぐるみを抱え、眠そうな目をして、
もう、お休みの時間かな?
真一文字に結んだ口に緊張感と決意がにじみ出ています。
今日から、ひとりで寝るんだ。
だけど、「よる」がやってくるんです。
夜になるではなくてね。さわれないし匂いもないけど、
子どもはヒタヒタと近づいてくる「よる」の気配を感じてるんですね。
壁の影が動き出しそう。壁紙の模様も何かに見えてきそう。
子ども部屋のドアを閉めた途端、
お父さんとお母さんがぐーっと遠くに感じる。
電気を消した瞬間の真っ暗で何も見えない宇宙に放り出された感覚。
スタンドをつけると灯りがつくる影、いよいよ、「よる」がやってきた。
ひとりになると、やっぱり、こわい!
そんな心情が、リアルに描かれています。
怖いときって、実は、ものすごく想像力が働くんですよね。
いろいろなものを作り出してしまう。
絵本の面白いところは、物語に自分を投影すると同時に、
客観的に見ることができます。
子どもたちは、「ぼく」と一緒に「こわい」を共感しつつ、
でも、ちょっとカッコいいな。ちょっと面白いな。
お化けみたいなのも、怖いけどかわいいな。会ってみたいかも。
そんな、怖さと親しみやすさのさじ加減が抜群にいい。
今日はひとりで寝てみようかな。
そんな気持ちになる子もいるのではないでしょうか。
今日じゃなければ、あしたでもいいし、ずっと後でもいい。
ゆっくり成長して、いつのまにか大人になっているのでしょう。
「怖い」を知ってるから、より大きな安心、より深い安眠を得られます。
「怖い」のほとんどは気のせいですからね。
でも、本当に全部が気のせいかな?

Book 『よるがやってくる』
7.2.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
ハルにははねがはえてるから

あり得ないけど、妙にリアル。
明け方の夢を見た後ような不思議な読後感。
『ハルにははねがはえてるから』は、
水しぶきみたいにキラキラして掴みどころがなくて
ガラスの破片みたいにキラキラして危険。
小説家の大前粟生さんの感覚的な言葉が
漫画家の宮崎夏次系さんというプリズムを通って出来る
虹を見ているような絵本だと思った。
確かに視えているのに、触れることのない。
触れないけど感じられる。
ハルとナツとアキとフユ。
年齢は、中学生くらいだろうか。
子どもというには複雑で、大人というほど定まらない。
4人の少女たちの内に秘めた感覚の鋭さや痛々しいほどの優しさが眩しい。
ハルには、空を飛べるほどの高いポテンシャルがあったのかもしれない。
だけど、仲良しの友だちに寂しい思いをさせるくらいなら飛ばない。
ナツには、人の気持ちを見通す鋭い観察眼があったのかもしれない。
だけど、わかり過ぎることは、人を居心地悪くさせたのかもしれない。
何より大切な友だちのためなら羽も仕舞うし、目も閉じる。
飛べなくても見えなくても、友だちが離れてしまうよりずっといい。
未熟さゆえに自分を抑えたり、傷つけあって、痛くて泣いても離れない。
嫉妬や羨望、依存、執着、名前の付けられない様々な気持ちが見え隠れする。
綱渡りみたいな微妙なバランスを保ちながら、刹那的に過ぎる日々。
シーソーのように均衡を保ち、一方が降りるなんてことは出来ない関係。
しんどくない? 無理してない?
そんな友だちなら、一緒にいない方がいいんじゃないの?
現実に目の前に居たら、そう、言いたくなるかもしれない。
傷つけたり傷つけられたりしながら、
それでも「友だちが大切」が上回る。誰よりも信じられるのは友だち。
理屈抜きの「友だちが大切」が、ありのままに描かれる。
ぶつかり合う個性は次第に加減を知り、理解と共感を生む。
出会えたことが奇跡だし、みんな揃うと最強。
かっこいいし、きれいだし、きらきら。

Book 『ハルにははねがはえてるから』
6.2.2021
DAYS / Satoko Kumagai Column
本トのこと
音楽をお月さまに

ハリエットの奏でるチェロを聴くと両親は
オーケストラで演奏する将来の娘の姿を思い浮かべます。
どんな演奏なんだろう?
正確で丁寧で、控えめで品の良い音色ではないかな。
だけど、ハリエットは自分ひとりでチェロを弾くのが好きなのです。
人前で演奏するなんてまっぴらなんです。
でも、「私、オーケストラに入りたいんじゃない」って
はっきりとは言ってないと思う。
ある時、「将来は、オーケストラの演奏家になれるね」って言われて、
つい、「そうかな?」なんて調子を合わせてしまって
嬉しそうな両親を顔を見てたら、「そんなのまっぴら」って言いそびれて、