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DAYS

STAY SALTY ...... means column

本トのこと

Satoko Kumagai Column

from  Kyoto / Japan

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熊谷聡子
絵本のこたち

京都・伏見の絵本屋さん「絵本のこたち」の店主。

絵本を通して、文化の伝承・交流などを通して、

想いや感じたことを発信中。

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ちいさい舟

4.15.2024

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

ちいさい舟

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『ちいさい舟』は、美術家として制作活動する熊谷誠の美術作品を編集し文をつけて、絵本にしました。

ひと続きの物語にすることで、鑑賞者はより自分に引き寄せて自身の物語を重ねて観やすくなるのではという試みです。

熊谷のほとんどの作品は家族に関わる事物やそれに関する作家の感覚的なものが基盤になっています。

『ちいさい舟』は、作家の生家の屋根裏に仕舞われていた舟がモチーフになっています。

 

なぜ、屋根裏に舟があったのか。

作家の暮らす京都市伏見区は、万葉集にも歌われた巨椋池周辺の横大路沼に接していました。

巨椋池は水害と治水工事を繰り返し、昭和の干拓事業で今は記録にのこるのみになりましたが、古い家には水害時用に舟を棄てずに備えていたのでした。

作家本人は頭上に舟が横たわっていることを知らずに育ったといいます。

屋根裏で出番もなくひっそりと待機していた舟の存在は、穏やかな年月が何十年も続いた裏付けでもありました。

そして、もっと昔、自分の生まれる前は日常的に舟が行き来していたのだろう。

移動手段や漁の道具として穏やかな日々に舟が活用されていたのだろう。

ちいさい舟は、大きな時間の流れと変容の続きに現在があることを実感させるものでした。

それは、全国のどこででも起きていることでもあるのでしょう。

 

昔むかし、このあたりには川が流れててね…

遠くの山まで見渡せてね…

 

『ちいさい舟』が、そんな風に、大人から子どもへ、それぞれの昔ばなしが語られるきっかけになればこんなに嬉しいことはありません。

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Book 『ちいさい舟』

画|熊谷誠

文|熊谷聡子

UEMON BOOKS

https://cotachi.thebase.in/items/83292590

みんなのいえ

2.10.2024

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

みんなのいえ

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家の絵本が好きです。

おそらく、絵本が好きだと自覚したきっかけになった

安野光雅さんの『ふしぎなえ』のワクワクを思い起こさせるからでしょう。

小さな家にわらわらととんがり帽子の人々が集い、

それぞれに何か仕事をしたり、くつろいだりふざけたりしている。

てんでんばらばらなことをしているのに、なんだか平和。

たしろちさとさんの『みんなのいえ』の表紙も、

そういう雰囲気があって、あーこれはいいなーと開く前から思ったのでした。

 

表紙を開くと意表をつかれました。

表見返しには、黒地にシルバーの線で描かれた寂れた家。

壁も屋根も崩れたところが目立ち、あちこちに蜘蛛の巣が張っています。

なんて、寂しい……

そこへ、旅人がひとり、またひとりと増えていきます。

屋根や壁を直し、明るい光の入る窓を作り、

家のそばでは畑も耕し、家具も作ります。

安野光雅『旅の絵本』の旅人は、通り過ぎていくけれど、

『みんなのいえ』の旅人は家にとどまり、家を直すという仕事を始めます。

木をけずったり、土をこねてレンガを作るところからやるんですよ。

家づくりの過程を見るのも楽しい絵本です。

自分はあの部屋がいいな、この部屋はこんなふうに使いたいなと

つい、考えてしまいますね。

私が好きなのは、家のほぼ真ん中に位置する小さな部屋。

最初についたサンタクロースみたいなひげの旅人の書斎のようです。

季節ごとの日記が増えています。

どんな日記なのでしょう?

おもしろい長編ドキュメンタリーになりそうですね。

 

みんなのいえでは暮らしに必要なものを、みんなで整えていきます。

生きていくのに必要なもの、なんでしょうね。

雨風を避ける家、食べ物、工夫できる知恵、必要なものを作り出せる技術。

娯楽、語らう仲間、プライバシーを守る壁も必要ですね。

それに仕事。家をつくるのは終わりのないプロジェクトです。

みんなのいえはあたたかく、必要なものが揃っています。

みんなで作りあげた家だから。

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Book 『みんなのいえ』

作|たしろちさと

文溪堂

https://cotachi.thebase.in/items/82708031

ブレーメンのおんがくたい

12.10.2023

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

ブレーメンのおんがくたい

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年の瀬が近づくと読みたくなるお話があります。

グリム童話の『ブレーメンのおんがくたい』です。

ロバは長い間、重い荷物を運ぶ仕事をしていましたが、

年をとって、若い頃ほどには働けなくなりました。

すると飼い主はエサをやらなくなります。

そこでロバは察するんですね。

自分はもう、主人の役には立てなくなってしまった。

ここには自分の居場所はないんだと、大粒の涙を流し

しかし、空気を読んで自ら出ていきます。

そんなひどいことがありますか。

「お前は出てお行き」と言うわけでもなく、

エサをやらずに自ら出ていくように仕向ける。

ひどい話だなぁと、幼い私は憤慨しておりました。

 

そしてロバは、ブレーメンを目指します。

町の音楽隊に雇ってもらおうと考えたわけです。

そこで疑問が芽生えます。

ロバはいつ、音楽の素養を身につけたのか。

私なら、音楽を演奏して生きていけるなら若いうちから演奏家を選ぶけれど。

荷物運びの方が雇用が安定してたのか。

それとも、仕事一辺倒ではなく、余暇には音楽を楽しんでいるうちに

演奏の腕を磨き、第二の人生に音楽家という選択肢を獲得したのか。

後者だといいですね。自分もそうありたい。

 

ところで、ブレーメンってどんなところなんでしょうか。

おそらく、物語の舞台でいう京の都みたいなに賑やかで

様々な人が行き交う、活気あふれる大都会。

通りや広場には大小さまざまな音楽隊が演奏しているのでしょうね。

それとも、ホールで演奏する大オーケストラかしら。

オーケストラで演奏されるのは、ベートーベンの「第九」。

このあたりで『ブレーメンのおんがくたい』と年末のイメージが

クロスオーバーしてますね。

「第九」といったら大人数ですから、

リタイアしたてで演奏家としては新人のロバでも、

ひょっとしたら入れてもらえるかもしれません。

それからロバは、犬や猫やおんどりを誘いブレーメンを目指します。

こうなると「第九」じゃないな。

<ロバとゆかいななかまたち>で通りや広場で演奏するのだな。

どんな音楽隊になるのだろうとワクワクして読み進みます。

 

そうして、ロバとゆかいななかまたちは、夜更けに森の中の一軒家を見つけます。

空は満天の星。灯りのもれる家の窓も動物たちの瞳も星のように輝いてます。

家では、泥棒たちがごちそうを広げて飲んだり食べたりしています。

クリスマスとか忘年会とか、この辺りも年の瀬のイメージを濃くしますね。

その後はご存知の通りですが、家にいたのは本当に泥棒だったのでしょうか。

ロバが泥棒だと言ったからなんですが、どうして泥棒だと分かったのでしょうか。

ただ、テーブルについて飲み食いしていただけなのに。

もしかすると、人間のことを泥棒とたとえて言ったのかもしれません。

人間たちは、散々、動物たちを働かせておいて

年をとると、長年の労も称えず無慈悲に使い捨てるのですから。

動物たちから、泥棒と呼ばれても仕方ないのかもしれません。

察しのいいロバのことですから、他のメンバーのモチベーションを上げるにも

「泥棒」と言ったほうがいいと瞬時に判断したのかもしれません。

ロバの素晴らしいリーダーシップによって、

君たち、年老いて捨てられるところじゃなかったのか、と思うくらいの

パフォーマンスを披露するのが痛快ですね。

ロバの飼い主は惜しいことをしました。

そして、私がこのお話の何よりも気に入っているところは、

結局、ブレーメンには行かないという結末ですね。

予定は未定です。ゴールはひとつじゃありません。

自分が居心地よく過ごせる場所が見つかったのなら、

そこがゴールでいいですよね。

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Book 『ブレーメンのおんがくたい』

ハンス・フィッシャー 絵

せたていじ 訳

福音館書店

https://cotachi.thebase.in/items/35712789

ゆうやけにとけていく

10.15.2023

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

ゆうやけにとけていく

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暗くなるまでに家に帰る。

それが、子どものころの約束事。

自転車を漕ぐ足に力を込めながら眺めるゆうやけは

きれいだなと思う一方、憎らしくもあった。

 

ザ・キャビンカンパニー作『ゆうやけにとけていく』(小学館)は、

ノスタルジーを呼び覚ます。

刻一刻と移り変わる空の色と家路を急ぐ気持ちも同時に。

 

最初の見開きには、まだ空の青も鮮やかにのこっている。

山の端からじわじわと染まる夕焼けが、麦畑を金色に染める。

麦がゆれる。鳥よけの鷹も揺れる。

一日の労働を終えた夫婦の姿は、ミレーの<晩鐘>の引用だろう。

祈りを捧げているようにも、互いを労うようにも見える。

幸せを噛みしめているようにも見える。

 

ゆうやけに染まる空の色は様々で、ゆうやけに照らされる人々も様々。

様々な一日を過ごし、様々な気持ちを明日に持ちこすのだろう。

様々だけれども、みな一様に、ゆうやけに照らされ、とけていく。

人も鳥も、犬や猫も、木々も風も。

 

おばあさんの膝の上で、あの子がアルバムをみている。

その部屋の壁にかかるのは、ゴッホの<種まく人>だ。

貧しい農夫を描いたミレーをゴッホは敬愛し、

ミレーと同じ主題に取り組んだ。

ゴッホの<種まく人>の強烈な光を放つ夕日は、

種をまく農夫を力強く見守っているかのようだ。

あるいは、労働や生産を賛美しているかのようにも見える。

ミレーの<晩鐘>から始まり、ゴッホの<種まく人>が盛り込まれている

『ゆうやけに とけていく』には、創作への深い敬意が感じられる。

 

もう、半分以上、顔を隠した夕日の上を人の顔をした鳥たちがこえていく。

平和を象徴するハトのようだ。

ざわめきが静まり、夜の帳がおりる。

すべてをとかしたゆうやけが夜にとけていく。

「急がないと怒られる」そんな子どもの気持ちから平和の祈りまで、

ゆうやけは分け隔てなくとかしていく。

しずかな夜に。

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Book 『ゆうやけにとけていく』

作|ザ・キャビンカンパニー

小学館

https://cotachi.thebase.in/items/79025357

なんにもおきない まほうのいちにち

6.10.2023

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

なんにもおきない まほうのいちにち

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「いいかげん、ゲームはやめたらどう?」

私も何度、息子たちにこの言葉をかけただろう。

ゲームの他にすることないの?

ないみたい。

あんまりゲームばっかりしてるから、習い事させたり

犬を飼ったりしたのに、やっぱりゲームばかりしている。

 

『なんにもおきない まほうのいちにち』のぼくは、

休みのたびにママと行く家がある。

森の奥にあって、いつも雨が降っている。

ママは毎日、だまってパソコンに向かって書き物をしている。

なのに、ぼくにはゲームばかりするなと言う。

ゲームの他にしたいことなんか何もないというのに、

雨の降る森で、一体、なにをすればいいというのだろう?

 

家の外は退屈で満たされている。

そう思っていたぼく。

沼の水は息ができないほど冷たく、雨が背中をたたく。

カタツムリのつのはゼリーみたいにぷよぷよ。

きのこのにおいがなつかしい。おじいちゃんの物置のにおいだ。

ドラムの音がなりひびく。ぼくの心臓の音。

 

家の外に出て、世界にふれた瞬間から五感が目覚めていく。

はじめは陰鬱な森の中に閉じ込められたように寂しそうなぼくが

なんにもないと思っていた森の豊かさに気づき、

次々とドアが開いていくように、世界と出会い、繋がっていく。

確かな世界を実感することは、自分の存在を実感することだ。

自然に対してだけではなく、他者を知ることで相対的に自分を知る。

デジタル時代に生きる私たちは、どれだけ世界にふれているのだろう?

どれだけ確かな自分を感じているだろう?

 

冒険を終えて家にもどったぼくは、鏡の中にパパの面影をみる。

部屋の静けさとホットチョコレートの香りをママと共有した。

なんにもおきない、最高の一日。

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Book 『なんにもおきない まほうのいちにち』

作|ベアトリーチェ・アレマーニャ

訳|関口英子

ポリフォニープレス

https://cotachi.thebase.in/items/75206864

ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと

4.10.2023

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと

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ナンティー・ソロっていう名前からしてステキ。

ナンティーっていう親しみやすい響きに、単独を意味するソロがまた良い。

謎めいた名前のその人は、子どもたちを鳥にかえることが出来るんですって。

ひょっとして、実在の人物をモデルにしてるのかな、

鳥にかえるって、どういうことだろう?

 

イラストを担当するローラ・カーリンは、デビュー作の『やくそく』(the Iron Man)(BL出版)でボローニャ・ラガッツィ賞フィクションの部優秀賞を受賞。

『空の王さま』(King of the sky)(BL出版)でも、他人との心のふれあいから、子どもが自分自身を獲得し羽ばたいていく様を、しっとりと情緒深く、けれども圧のない筆致で軽やかに美しく描き出す。

なるほど、ローラ・カーリン以外に『ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと』にふさわしいイラストレーターはいるだろうか。

 

ある日、町にあらわれたひとりの女、ナンティー・ソロは、

自分は子どもたちを鳥にかえられるのだと言いました。

大人は信じないだけでなく警戒し、子どもたちを近づけないようにしました。

けれど、やっぱり近づく子がいます。

好奇心をおさえきれないのか、あるいは真実が見えるのか。

大人を置き去りに、自由に空を飛び、歌をくちずさむ子どもたちの姿を見ても、大人たちは、ますます恐れ、慌てふためくばかり。

ああ、そうだ。自由になることは、とても恐ろしい。

自由に羽ばたけたら気持ちがいいんだろうな。

美しい歌が歌えたら楽しいだろうな。

そうは思っていても、いざ、自分が同じように出来るとは思えない。

大人とは、そういうもの。

自由になることは、とても難しい。

でも、本当にそうだろうか。

自由になれると心から信じているだろうか。

ナンティー・ソロは何者だったのだろう?

彼女は今どこにいるのだろう?

誰も彼女になれないのだろうか?

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Book 『ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと』

作|ディヴィッド・アーモンド

絵|ローラ・カーリン

訳|広松由希子

出版|BL出版

https://cotachi.thebase.in/items/73131922

まよなかのゆうえんち

2.8.2023

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

まよなかのゆうえんち

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本の表紙をめくるとあらわれる最初の見開きを見返しといいます。
表紙と本文をつなぐ役割をしている見返しには
デザイナーの工夫が見られますね。
印刷のない真っ白の見返しもスッキリして、しかもゆとりを感じますし
本のイメージに合わせた色の特殊紙や単色の印刷もいい。
『まよなかのゆうえんち』は、本文同様4色印刷で扉を開く前の
見返しから、プロローグが始まっています。
木の陰には動物たち。明るい広場には数台のトラックが乗り入れています。
変わった形の物体は何をするものでしょう?
この絵本は森の動物たちからみたお話です。
言葉はありません。文字のない絵本です。

トラックが運んできたのは移動遊園地です。
昼間は多くの人間たちで賑わい、やがて、夜。
動物たちの時間です。
煌びやかに輝くネオン、跳ね上がるポップコーン。
コーヒーカップが回る回る回る……
幻想的な光と影の表現にうっとりとします。
音楽や歓声が聞こえてきそうな、ダイナミックな絵が
これでもか、これでもかと続きます。
きっと真夜中の遊園地の方が素敵ですね。
人間たちが知らない楽しみ。動物たちがうらやましい!

空が白み始める頃、お楽しみの時間はおしまい。
人間と交替ですね。けれど、そこここに侵入者の痕跡があります。
よく考えると、動物たちはずいぶん慣れていましたね。
犬のホットドッグ屋さんなんて本職としか思えません。
掃除もして、お土産も持ち帰っています。
遊園地で遊ぶのは初めてではないみたい。
もしかすると、人間と動物は、私たちが思っているよりも
たくさんのものを共有しているのかもしれません。
そして人間が作り出したものを動物たちは持ち帰っています。
森に山に川に。
おそらく人間が足を踏み入れたことのない場所にも。
様々なものを介して、人間は環境に影響を及ぼしています。
動物からも影響を受けていることでしょう。
移動遊園地は去っていきます。
最初の見返しと最後の見返しを見比べてみると、
トラックは何も残さず去ったように見えます。
何も残さず。
けれど、また、いつかやってくるでしょう。
動物たちもそれを知っているでしょう。

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Book 『まよなかのゆうえんち』

作|ギデオン・ステラー
絵|マリアキアラ・ディ・ジョルジョ
BL出版

https://cotachi.thebase.in/items/70728570

世界はこんなに美しい

12.15.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

世界はこんなに美しい

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2022年が暮れようとしています。

なんて長い一年だったのでしょうか。

コロナ禍は終息するどころか8波を迎え、

北京冬季五輪の最中にロシアがウクライナに侵攻し、

参院選の最中に元首相が暗殺され、

W杯の最中にドイツでクーデターが企てられる。

2022年は暮れようとしているのに

さまざまな出来事は終わりが見えない。

それでも、年が変われば何か変わるかも。

そんな期待を抱かずにいられない。

2023年は、よい年でありますように。

 

半世紀前の1973年。

ひとりの女性がバイクで世界一周するという冒険に出ました。

アンヌ=フランス・ドートヴィル。

28歳の出発です。

未知の場所へ行ってみたい。

少しの荷物を持って、125ccのカワサキのバイクに乗り、

パリを離れると、バイクの故障や嵐など、

数々の困難を乗り越え、4ヶ月をかけて世界を横断しました。

アンヌの書いたバイク紀行はフランスで大きな話題になり、

著書にこう記しました。

 

ー世界は美しくあってほしい、そして世界は美しかった。

人間はよいものであってほしい、そして人間はよき人々だった。ー

 

『世界はこんなに美しい』は、アンヌ=フランス・ドートヴィルをモデルに

『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』(西村書店)などの

伝記物語もある、エイミー・ノヴェスキーが文を書きました。

ジュリー・モースタッドの絵は、繊細で柔らかく、軽やかでしかも強い。

アンヌの首に巻かれたシルクのスカーフも

きっとこんなふうに風になびいていたのではないかと想像します。

まだ女性の社会進出が現代ほどではなかった時代に、

どれほど多くの女性たちに勇気を与えたことでしょうか。

それにバイク乗りたちにも。

 

半世紀前。自由を求めて旅立つ女性がいた。

世界は明るく開かれていた。

アンヌが駆け抜けたいくつかの場所は、すっかり変わってしまい

もう二度と誰の目にも触れることが出来ない場所もあります。

それでも、世界は美しくあってほしい。

人間はよいものであってほしいと願い続ける。

2023年が、よい年でありますように。

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Book 『世界はこんなに美しい』

作|A・ノヴェスキー

絵|J・モースタッド

訳|横山和江

工学図書株式会社

https://cotachi.thebase.in/items/69742059

アルメット

11.7.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

アルメット

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表紙の少女をご覧いただきたい。

髪は伸び放題。袖口のほつれた服は着たきりなのだろう。

目の周りにはクマができてるし鼻の頭は赤くて寒そう。

それなのに、口元には穏やかな笑みをたたえ、

真っ直ぐに持つマッチ棒は王笏のような威厳を漂わせている。

下部にALLUMETTEと名前が記され、選挙ポスターのようにも見えます。

 

アルメットはマッチ売りの少女。

親も帰る家もなく、捨てられた車で寝泊まりしています。

クリスマスが近づいてきて、街が華やかなムードに包まれても

誰も彼もがアルメットをどこかに失せろと追い立てます。

かわいそうなアルメットは息も絶え絶えに祈ります。

すると、はげしいカミナリとともに、アルメットが欲しいと願った

ものというもの、あらゆるものが降ってきて……

 

作者は、『すてきな三にんぐみ』(偕成社)等で

多くの子どもたちの心を虜にしているトミー・ウンゲラー。

フランスに生まれ、第二次世界大戦をくぐり抜け、

渡米してからは、絵本の仕事のほか、雑誌や広告で風刺画などでも活躍し、

ベトナム戦争や人種差別など政治的メッセージを込めた作品も手がけました。

仕事が安定するまでは、食べる物にも事欠く苦労を経験しました。

『アルメット』は1974年の作品で、子ども向け絵本の仕事は

これを最後にしていますが、非常に激しい思いのこもった一冊です。

『アルメット』の完全に狂った世界は、心地よいものではないけれど、

世界のどこかで起きている現実なのだと、私たち大人は知っています。

ひもじい思いをする人がいる一方で、

物質的には満たされているのに心が貧しい人がいる。

物はないところには何もなく、あるところには溢れている。

本当に必要としている人は、忘れられた街の片隅にひっそりと暮らしている。

世界のどこかで絶えず起こり続ける災害や、戦争や、パンデミックに

手伝いを申し出る人、寄付をする人、状況を利用しようとする権力者。

それでも人々の多くは、困難を乗り越えるために助け合う選択をします。

アンデルセンには言いづらいけれど、マッチ売りの少女は生き延びて欲しい。

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Book 『アルメット』

作|トミー・ウンゲラー

訳|谷川俊太郎

好学社

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星どろぼう

10.7.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

星どろぼう

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花どろぼうは罪にならないといいますけど、星どろぼうはどうなのでしょう?

その泥棒は山のてっぺんにひとりで住んで、空の星にさわりたいと思っていました。

山のてっぺんでひとり、毎夜、星を眺めていたのでしょうね。

人よりも星の方が近くに感じられたのかもしれません。

心の奥では、自分だけの星が欲しいと思っていました。

心に星が灯ればどんなに心強いことでしょうか。

もっと心の奥深くでは、星を全部独り占めしたいと思っていました。

ここまでいくと欲張りですね。

でも、夜空の星を全て手に入れるって壮大でロマンチックです。

ある晩のこと、とうとう、泥棒は夜空の星を全部、盗んでしまいました。

けれど、星は誰のものでもありません。

手を伸ばせば手に入れることが出来るものでも、ひとり占めはいけません。

年寄りは知恵を出し、若者は勇気を出して泥棒を捕まえます。

村人たちは泥棒のしたことを口々に非難し、赦しません。

子どもたちにも星を触ってはいけないと教えているのに、大人が約束を破ってしまっては、子どもたちに何と説明したらいいのでしょうか。

さて、肝心なことは星空に元に戻すことですが、でも、どうやって?

 

『星どろぼう』は、アンドレア・ディノトが子ども向けに書いた初めての作品です。伝えたいことが樽いっぱいの星のように詰まっています。

心の奥に潜む欲望といった暗い部分も描きながら、ほっこり温かいコミカルに動き出しそう。

星を詰めた樽を抱えて走る泥棒は、無邪気な子どものよう。

罪とはなんでしょう? ふさわしい罰とはなんでしょうか。

罪びとは願い事をする資格もないのでしょうか。

空の星をさわることと地上の星をさわることは、どう違うのでしょうか。

赦しとはなんでしょうか。

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Book 『星どろぼう』

文|アンドレア・ディノト

絵|アーノルド・ローベル

訳|やぎたよしこ

ほるぷ出版

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いぬ

9.5.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

いぬ

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ペットは犬がいい。犬は散歩が出来る。

私が最初に犬を飼ったのは、小学校3年生の時。

毛が長く垂れ耳の洋犬の雰囲気のある雑種犬。

小学校の周りをうろついて、

児童たちから給食の残りのパンをもらっていた。

その犬を家の近くで見かけ、

早起きして牛乳をあげてるうちに、私の犬になった。

犬と一緒なら夕暮れの山の中でも、どこでも行ける。

私はすぐ、ひとりになりたくなるので、

犬は格好の口実になった。

野山が切り拓かれ新興住宅地に変わっていく様子を犬と眺めた。

いよいよ犬の最期の日が近づいた時、

腕に抱きかかえて、いつも散歩に通った山に登った。

ぐったりして過ごすことが多かった犬が、

その時だけは耳を澄ますように、何かを嗅ぎとろうとするように

私の肩に顎をのせ、クゥクゥと喉を鳴らしていた。

そんな風にして、私は犬とかけがえのない時間を過ごした。

一万五千年も昔から、世界のあちこちで、

人間と犬がそうしてきたように一緒に過ごして別れた。

ショーン・タンの『いぬ』に描かれている犬は、

私の犬とはどれとも似ていないのに、この感じを知っている。

人間と犬は、とても違うのに、とても近しい。

犬と一緒なら、歩いて行ける。

犬は私の孤独を完全なものにしてくれる。

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Book 『いぬ』

作|ショーン・タン

訳|岸本佐知子

河出書房新社

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海のてがみのゆうびんや

7.11.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

海のてがみのゆうびんや

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海崖の小さな家にひとり暮らすのは、海のてがみのゆうびんや。

波にゆられて流れ着いた、ガラスの瓶をすくいあげ、

手紙が入っていたら届けます。

どんな手紙も、必ず受け取る人がいます。

ある日、すくあげた手紙は宛名もなく、差出人も不明のパーティーの招待状。

海のてがみのゆうびんやは仕方なく、

ひとりひとりを訪ねて回ります。

 

エリン・E・ステッドの滑らかで柔らかな鉛筆のタッチが心を和ませます。

木版画で表す美しい木目は、そよぐ風に揺らめく波のようで、掠れた色は自信無さげなゆうびんやの少しざらついた心のよう。

詩情豊かなイラストそのままに、美しい言葉で物語が綴られます。

 

海のてがみのゆうびんやは、誠実で謙虚な男。

届けた手紙が、真珠貝のように宝物を宿していることを知っていても、自分の仕事の大切さをひけらかすようなことはしません。

だけど、自分はただの一度も手紙を受け取ったことがなく、友だちもいなければ、名前すらないといいます。

名前がないということは、どういうことでしょうか?

 

「郵便屋さん」という仕事でのみ、人と関わっているということでしょうか。

仕事や役割でのみよばれるということでしょうか。

「お巡りさん」「先生」「店員さん」「看護師さん」「お母さん」

わたしたちも人に対して、その仕事や役割を果たすことだけを求めているということはないでしょうか。

効率的で、誰がやっても均質なサービスであることをよしとする。

その人の勤勉さ、誠実さが支えている仕事や役割を、その職業だから当たり前と思ってはいないでしょうか。

 

海のてがみのゆうびんやがすくいあげた、宛名も差出人もない手紙は、とても魅力的だけれど不完全です。

完全な手紙であればポストに投函して完了したものが、その不完全さゆえに、顔と顔を合わせ、コミュニケーションを生み出します。

もしかしたら、仕事を介してしか人と関われないと思っていたのは、ゆうびんやの方だったのかもしれません。

人々が待っているのは手紙であって、自分じゃないと思っていたかもしれません。

大切な手紙を大切に届けてくれる。それがどんなに嬉しいことか、彼は知らないのかもしれません。

でももう、そんなことは大きな問題ではないでしょう。

明日からも大切に手紙を届けます。

自分を待っている人に。

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Book 『海のてがみのゆうびんや』

文|ミシェル・クエヴァス

絵|エリン・E・ステッド

訳|岡野佳

化学同人

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サンサロようふく店

5.5.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

サンサロようふく店

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町なかの三叉路に洋服店ができました。

まだ、みんなが民族服を着ていたころです。

三叉路にあるサンサロようふく店のあるじはドックさん。

ついに見えた最初にお客様。

じっくり生地を選日、きっちりサイズをはかり

しっかり型紙をとって、ぴったりの洋服を仕立てました。

満足そうなお客様の顔を見て、ドックさんは

「ああ、よかった」と思うのでした。

 

時代はうつりかわり、戦争が始まると店も町もボロボロになります。

みんなが洋服を着るようになり、町には洋服店がたくさんできました。

やがて、大量生産の安くて似たような洋服が溢れかえるようになります。

受け継がれてきた技術を大事に、丁寧に心を込めて作るやり方は

時代に合わないのでしょうか?

 

いやいや、そうではないと思いたい。

安くて買いやすい既製品が大量にあふれていても、

人もみんな規格サイズになるわけでなし。

個性や特別な思い出がなくなるわけでもなし。

機械化しきれない技術や心配りはあるのではないでしょうか。

たくさんの人にとって便利でなくても、

たったひとりの必要としている人に特別を届ける。

「しあわせだなぁ」と思える仕事って、なんて素敵。

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Book 『サンサロようふく店』

作 アン・ゼソン

訳 林木林

トイ・パブリッシング

https://cotachi.thebase.in/

おおきなかぜのよる

4.5.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

おおきなかぜのよる

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部屋の中から外を見ている、りくくんは、

風に舞う葉っぱをつかもうとしているようです。

ひゅー ひゅるー

「すごいかぜね」と語りかけるのはお母さん。

「だれか いっしょに あそぼうよって ないてるみたい」

りくくんには、かぜの音がさびしそうな泣き声に聞こえるみたい。

風は がたん がたんと、窓も揺らします。

りくくんは外が気になっているようです。ちょっと怖い気もします。

その時!

 

2020年の『あいたいな』(ひだまり舎)で、

絵本作家デビューされた阿部結さん。

続いて『ねたふりゆうちゃん』(白泉社)、

『おやつどろぼう』(こどものとも2021年8月号 福音館書店)と

立て続けに刊行される注目の作家さん。

阿部結さんの絵本は、子どもが感じていることそのままに、

子どもが見ている夢をそのまま再現されているように思います。

どうして、こんなに子どもの気持ちがわかるのだろう?

風に乗って夜空を飛んでいくなんて、憧れますね。

お腹いっぱいのおやつを食べて綿菓子のお布団で眠ったり、

ぽかぽかお昼寝。

そういうと、眠る場面が多いです。

気持ちよく眠れるって最高に幸せですもんね。

物語の中ではモヤモヤしたり不安になったりしていても、幸福感で満たされています。

そんな世界で、子どもたちは自由に想像力を羽ばたかせるのではないでしょうか。

そして、なんといっても描かれている子どもが魅力いっぱい。

甘えん坊でちゃっかりしてて、好奇心いっぱいで、

風船みたいにまん丸いお顔は可能性でパンパンにふくらんでいるようです。

おおきなかぜに吹かれて飛ばされても遊びにしちゃう。

どんな冒険も乗りきって、ちゃーんと帰ってきます。

いくつもの夢を旅して子どもは大きくなっていくのでしょうね。

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Book 『おおきなかぜのよる』

スーツケース

2.5.2022

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

スーツケース

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ある日、見なれない動物がやってきた。

ずいぶん、くたびれているよう。

大きなスーツケースを引きずっている。

一体、何が入っているの?

少々、ぶしつけにたずねると、見なれない動物はこたえました。

だけど、それって本当?

 

海を渡って、ようやくたどり着いた見知らぬ動物に、

みんなは疑念を抱き、好奇心のままに荷物をこじ開ける。

疲れ果てた見知らぬ動物が、ちょっとだけ休んでいる間に。

そこにどんな思いが詰まっているかも知らないで。

 

どうして、そんな乱暴なことができたのでしょうね。

他人の持ち物を勝手にこじ開けるなんて。

見知らぬ相手だから、言ってることが信じられないから

無礼を働いてもいいのでしょうか。

 

私の小学生時代、校区に規模の大きな新興住宅地が出来ました。

新学期ごとに、ひとりかふたりは転校生がやって来て、

その度に転校生を囲んで、どこから来たの? 家はどこ?

教科書は一緒? 何か習い事してるの?

と質問攻めにしていました。

それを好意として受け取る人もいれば、困惑した表情を浮かべる人も。

引っ越しを楽しみにして来た人もいれば、

慣れた環境を離れることを心細く思っていた人もいただろうに。

 

いろんな事情で海を渡ってやってくる人がいます。

夢をもって来日する人もいれば、命からがらたどり着く人も。

どんな思いで、どんな困難を乗り越えてきたか

話したい人もいれば、話したくない人もいるでしょう。

見知らぬ人をどうやって、迎えたらいいだろう?

社会全体で考えたいことです。

 

見知らぬ動物が目を覚ました時、

何を目にしたと思う?

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Book 『スーツケース』

作|クリス・ネイラー・バレテロス

訳|くぼみよこ

出版|化学同人

https://cotachi.thebase.in/items/58327950

すきなものみっつ なあに

12.5.2021

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

すきなものみっつ なあに

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ティブルの大好きなおじいちゃんは、少し元気がありません。

いつも庭仕事ばかりしていて、話しかけても聞こえないみたい。

ティブルは聞いてみました。

「おじいちゃんの すきな サンドイッチみっつは、なあに」

「おじいちゃんの すきな クラゲみっつは、なあに」

 

少しずつ会話がうまれ、おじいちゃんからも

「おまえの すきな おでかけみっつは、なんだい」と

問いかけられるようになりました。

おじいちゃん、前より元気になったみたい。

少し偏屈なところがあるおじいちゃんなのかな? と思っていたら、

おじいちゃんは本当は思いやりが深くてお茶目で、

ティブルのよき遊び相手だったのですね。

 

幻想的な美しいイラストレーションは

スウェーデン生まれのダニエル・イグヌス。

子ども向けの絵本のほか、ファッションイラストレーションでも

高い評価を得ているアーティストです。

心がどこかに行ってしまったおじいちゃんと無垢なティブルを

最初は静かに、次第に力強く瑞々しい色彩で潤すように包み込みます。

 

後半で、おじいちゃんの元気がなかったわけがわかりました。

ティブルの無邪気さが、おじいちゃんの心の扉を開きます。

おじいちゃんが思っていたことをティブルが言葉にしました。

本当は、ティブルはまだ小さすぎて

おじいちゃんの悲しみがわからないのかもしれません。

だけど、おじいちゃんの目には、ティブルの小さい胸の中に

星のように輝く思い出が見えたのでしょう。

大丈夫。

悲しみも寂しさも、ティブルと分かち合えます。

そしてきっと、星はふたりを見守っています。

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Book 『すきなものみっつ なあに』

文|ウェンディ・メドゥール

絵|ダニエル・イグヌス

訳|やまもとみき

化学同人

https://cotachi.thebase.in/items/56073509

わたしのバイソン

11.5.2021

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

わたしのバイソン

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4歳のある春の日、女の子は母に連れられ出かけた草原でバイソンに出会う。

ちっちゃな女の子とおっきなバイソンは心を通わせ、

バイソンは仲間のもとに帰っても、雪が降る頃には必ず戻ってくる。

そして女の子とバイソンは、冬の間を共に過ごす。何年も何年も。

 

 そらも もりも とりも、

 バイソンが いなくて さみしそう。

 

これは、バイソンが去った最初の不在の時の女の子の気持ち。

世界が違って見える。自由に羽ばたく鳥さえも、さみしそうに見える。

バイソンに出会う前には抱いたことのない感情でしょう。

大切な存在があるからこそ感じる不在の大きさ。

 

雪が降る頃、ちっちゃな女の子とおっきなバイソンは再会を果たす。

バイソンがいない間の森での出来事をお話しする。

不在の時を埋めるように。

バイソンは真っ黒な優しい目をしている。

女の子はバイソンの全てを目に焼き付けているのかもしれない。

次に来るバイソンの不在に備えて。

そうして、女の子とバイソンは、何年も何年も同じように冬を迎え

共に変わらぬ時を過ごし歳を重ねる。

永遠に繰り返されるかのように。

 

消炭色を基調に色数を絞って描かれた絵は

冬の冴えた冷たい空気の中、

バイソンの温もりや心の通う時のあたたかさを感じさせる。

女の子とバイソンに必要なものは多くないのだろう。

寄り添う女の子とバイソンの背景は白く何も無い。

何も要らない。

 

この研ぎ澄まされた鋭い感性と繊細で豊かな表現力の持ち主は

1980年ベルギー生まれのガヤ・ヴィズニウスキ氏。

驚くことに、ヨーロッパの絵本賞を4賞受賞した本作が絵本デビュー作であるという。

そして、訳者の清岡秀哉氏も本書が初の翻訳書だという。

しかも、ブックデザインも同氏が手がけられているのだと。

最小限の人数でひそやかに作られた絵本なのだろうか。

誰にも言わずに秘密にしておこうかという気にもなってしまう。

 

これは、ちっちゃな女の子とおっきなバイソンの愛の物語。

大切な存在があるということは幸せには違いない。

けれども、存在が大きければ大きいほど不在のさみしさも大きい。

それなら最初から、大切な存在はいない方がいいのだろうか。

そうではないと思いたい。

最初の不在の時とは違い、静謐で慈愛に満ちた年月を積み重ねている。

溢れんばかりの幸せが不在を埋め尽くすだろう。

満天の星が告げている。永遠の始まりを。

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Book 『わたしのバイソン』

作|ガヤ・ヴィズニウスキ

訳|清岡秀哉

偕成社

https://cotachi.thebase.in/items/53437893

おまく

10.5.2021

DAYS / Satoko Kumagai Column

本トのこと

おまく

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「おまく」とは不思議な言葉。

検索してみると京都弁で枕のことを「おまく」という人もいるらしい。

言うかなぁ? 言うかもしれません。

そういうと、かぼちゃのことを「おかぼ」と言いますね。

お豆腐のことを縮めて「おとふ」、お醤油は「おしょゆ」

「おいど」はお尻のことですが、最近は聞かなくなってきました。

そんな感じで、『おまく』というタイトルを見たとき、

何とは無しに、意識しないくらいに日常的な

身近なものをさす言葉のように思いました。

 

『おまく』(汐文社)は、柳田国男『遠野物語』を原作とし、

京極夏彦による語りと気鋭の絵本作家たちの絵で現代に蘇らせた

えほん遠野物語シリーズのうちの一冊です。

『遠野物語』とは柳田国男が岩手県の遠野出身の佐々木喜善から

聞き書きした話をまとめ、1910年に自費出版したものです。

最初の出版から110年以上経っていますので、現在からすると昔の話ですが、

『遠野物語』の序文に「この書は現在の事実なり」と書いてある通り、

当時の佐々木喜善が、「つい最近」見聞きした本当にあったお話。

もちろん、「ざしきわらし」も「かっぱ」もです。

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前置きが長くなりましたが、

『おまく』の絵を担当されたのは、羽尻利門さん。

澄み渡る青空が印象的なのどかな風景の中、

細部まで描き込まれた川辺の草花の現実感とは裏腹に

人の背丈くらいのところで宙に浮かぶ男性。

シュルレアリスムの絵画のようです。

おそれる様子もなく、宙に浮かぶ男性を見送る少女たちは、

「おまくだね」「どこのおじちゃんだろうね」

とでも話しているのでしょうか。

「おまく」とは何でしょう?

「前兆」というか「虫のしらせ」というのでしょうか。