image0-1.jpg

DAYS

STAY SALTY ...... means column

Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

from  Buenos Aires / Argentina

image3-1.jpg
倉光寿美子
Reiki Teacher / Hypnotherapy Therapist

レイキティーチャー、ヒプノセラピーセラピスト。アルゼンチンタンゴに魅せられて、ブエノスアイレスに渡り、街と空と文化と人に恋をした。ただ今、北海道の実家に帰国中ですが、変わらずブエノスアイレスの魅力をお伝えしていきます。

  • ブラックInstagramのアイコン
  • ブラックFacebookのアイコン
  • note-bk

6.2.2021

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

ストリートアートを巡る楽しみ

image0.jpeg

 

世界の状況と同様に、ブエノスアイレスのロックダウンも緩んだり、厳しくなったりを繰り返し、最近はまた外出しにくい状況になっている。

厳しい規制状況下では公共交通機関に乗るために許可証が必要になるので、それを持たないものはタクシーを使うか、徒歩での外出が主体になりがちだ。

でも、たとえ1時間歩くとしても、あの街の救いは眺める景色が楽しいことだ。

 

歴史ある建造物、街路樹もいいけれど、わたしのお気に入りは壁に描かれたストリートアートを見つけながら歩くこと。

通りを歩くとシャッターサイズから、ビルの壁一面を飾るものまでいろいろなアートが楽しめる。

普段歩く道から通りを一本変えると新たな出会いがあったりして、キョロキョロしながら歩いていると、あっという間に目的地までたどり着く。

image4.jpeg

 

ブエノスアイレスのストリートアートも最初はスプレーによる落書きから始まった。

政治的な不平、不満を主張する一つの手段でもあった落書きが、アートへと変わっていったのは、2001年の経済危機が大きなきっかけだった。

国中が大きな打撃を受け疲弊しきった街に明るさをと、建物の所有者たちが壁を彩ることをアーティストに依頼し始めたのだという。

20年経った現在は、市もストリートアートをひとつの観光資産と位置付けていて、たくさんの作品を楽しむことが出来る。

サイズも色々ならば、作風も色々。

もちろん政治的メッセージの強いものも見られるし、純粋にアーティスティックなものもある。

image3.jpeg

 

わたしの思うストリートアートの魅力は2つある。

 

ひとつめは、命が短かく変化すること。

それは一面では残念なことだけれども、魅力でもあると思う。

描きたてのピカピカな状態から、雨風にさらされてだんだんと街の一部に溶け込んでいく変化の様を眺めるのも面白みがあるし、久しぶりに通ってみたら、見慣れた壁が新しい絵に変わっていた!という驚きもある。

 

そしてストリートアートは背景ありきのアートだという点。

店の壁やシャッターに描かれる絵は、建物全体や、街ゆく人々との調和込みでの作品だし、壁一面のアートは空が背景となる。

青空に映えるものもあれば、「この絵は曇り空の方が似合うのだな」と、ある日発見したりする。

運良く、変化する夕暮れ時の空の色や雲の造形と壁絵が美しく共演した瞬間に出会えたならば、物凄く得した気持ちになるものだ。

そんな風に、生きている街の中のアートは、美術館の中とは違う一期一会の楽しみがある。

だからブエノスアイレスの街歩きはやめられない。

image1.jpeg
 

5.1.2021

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

ブエノスアイレスのCafé Notable

image0.jpeg

 

ブエノスアイレスのカフェはやさしい。

たとえひとりぼっちでも、そこに居ると何故だかその場やその街に自分が受け入れられている気持ちになる。

とりわけ昔ながらの趣あるカフェには独特の温かみがある。

それは何十年にも渡ってそこに集った人々の喜怒哀楽の歴史が壁や床、空間に刻み込まれているせいかもしれない。

 

ブエノスアイレスに住みはじめたばかりの、知り合いも少なく、言葉もよく分からなかった頃、わたしにとってカフェは街や人と繋がる大事な場所だった。

年季の入った店内の装飾と、高い天井は心地よく、使い込まれた木製のテーブルに語学学校の宿題を広げて、ぼんやり人物観察をすることが多かった。

そこでアルゼンチン人の振る舞いや言い回しなど多くのことを吸収したと思う。

開け放たれた窓から風とともに入ってくる街の喧騒と、隣のテーブルから聞こえてくるスペイン語のおしゃべりは賑やかで元気をくれたし、自分がその場の一部となっている感覚に気持ちが和んだ。

近年、ブエノスアイレスにも近代的なカフェチェーンが増えたけれども、小綺麗なそちらより、わたしは断然古くて、雑味のある古典推し。

image1.jpeg

 

歴史と雰囲気のあるカフェは『Cafe Notable(カフェ ノタブレ)』(注目に値するカフェ)の名称で、ブエノスアイレス市の法律35条によってその条件が定義されている。

創業年や建築物、文化的価値などの条件をクリアした店舗のリストには、古くは1800年代から続く老舗もあり、ステンドグラスが見事なお店も、タンゴの曲の歌詞に名前が出てくるお店などもある。

度重なる不況や昨今のロックダウンによって閉店に追い込まれる店も出て、最近は減少傾向というが、当初は100店近くがリストアップされていたらしい。

 

ブエノスアイレスのカフェには、ドリンク一杯で何時間居ても構わない。

街の人たちが昔からそのようにカフェを使っているのだから、誰も何も言わない。

毎朝同じ席で、同じ朝食を食べる年配者も、女子会で長時間話し込んでいるグループも、口喧嘩しているカップルも、誰も滞在時間は気にしない。

一度、深夜に友達とカフェに長居したことがある。

彼女には悩み事があって、その話を途中で切り上げるわけにはいかなかった。

深夜1時を過ぎて、客は私たち1組だけになり、Mozo(ウエイター)たちは片ずけと掃除を始めたけれども、私たちに一言も退店を促すことはなかった。

日本でよく聞く「ラストオーダーです。」の告知ももちろんなく、店内の椅子が全てテーブルに逆さに載せられるまで、私たちは心ゆくまで語り合った。

チップを少し多めに置いて、「ごめんね、遅くまで。」と言ったら、「いいんだよ。全部片付け終わるまでどっちみち居るからね。」と返してくれた。

そういう感じが、懐深く人々を受け入れてくれるCafe Notable。

image4.jpeg
 
 

4.1.2021

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

アルゼンチンの誕生日

image3.jpeg

 

春に生まれた。

この時期の誕生日というのは、どこにいるかによって雰囲気がだいぶ変わる。

生まれ育った北海道の三月四月はまだ雪解けの時期で、道端に黒ずんだ雪が残り、埃っぽくて色でいえばグレー。

まだまだ冬の延長だ。

東京に住み始めた時には、同じ日が桜咲く頃でピンク色に彩られたウキウキ感があり、随分と気分が変わったものだった。

そして同じ時期、ブエノスアイレスは秋の入り口で、街路樹が黄色やオレンジ色に染まってくる。

レトロな街並み、石畳と紅葉の組み合わせは、また一段とブエノスアイレスらしさがあり、哀愁漂う季節。

image0.jpeg

 

さて、アルゼンチンの誕生日。

スペイン語では誕生日をcumpleaños(クンプレアニョス)と言う。

日本語、英語birthdayは『生まれた日』であるのに対し、スペイン語は『año(歳)にcumplir(到達する)日』になる。

過去のある日に生まれてきたことを祝うと言うよりも、今日ここに達したことを祝うのかなぁと思うと、随分と捉え方が違う気がする。

祝い方にも違いが。

日本では誕生日を周りの人たちに祝ってもらうのが一般的だと思うが、アルゼンチンでは誕生日を迎える本人が祝いの席を整える。

パーティの企画も手配も、ケーキを準備するのも自分。

みんな「もうすぐわたしの誕生日なの!」と誕生日をどのようにアレンジするかをよく話題にする。

わたしは人に気を遣わせてしまう気がして、誕生日をわざわざ口にしないほうだけれども、その辺の感覚が全然違うのだ。

image2.jpeg
image1.jpeg

 

そんなわけで頻繁に巡り合う誕生会の話題であるが、絶対に気をつけなくてはいけないことが一つある。

誕生日の前にお祝いを言ってはいけない。

当日よりも前にお祝いを聞くのは『mala suerte(縁起が悪い)』のだ。

タンゴのダンスホール、ミロンガではよく誕生会を見かけるが、それを目的に大きなテーブルに友人たちが集っても、誰ひとり24時を過ぎるまではお祝いも言わないし、プレゼントも渡さない。

日づけが変わってからケーキを広げてシャンパンでお祝いをするのが一般的。

ケーキにロウソクを付けたら、火を消す前に3つの願い事を心の中でするのも、決まり事。

あちらのケーキ用ロウソクは花火みたいな仕様なので、早く消さなきゃと焦ってしまうのだけれど、3つの願い事は大事なのである。

それが終わったらケーキを食べるのだけれども、当然、切り分けるのも配るのも当の本人。

主役はホストでもあるので忙しい。

そして、そこでは不思議なケーキの切り分け方をする。

ホールのケーキの真ん中を丸く切り抜き、そこから二重、三重に円を描いてから放射状に小分けにして行く。

一切れごとは円錐台形(バウムクーヘンを切り分けた感じ)に仕上がり、一つのホールから数多くのピースを切り分けることができる。

ミロンガのような場所だと、顔見知りが多いのでテーブルに招待した友人のみならず、会場にいる多くの知り合いにもケーキを振る舞うのが儀礼となっている。

だからそんな切り分け方も生まれたのかもしれない。

タンゴの世界には特別に誕生日ダンスというものもある。

タンゴはふつう数曲を通して同じパートナーと踊るものだが、誕生日ダンスは次から次へとパートナーを変えて一曲のワルツを踊りきる。

それは友人たちのお祝いであり、人気のある人だとその人と踊るために列ができたりするものだ。

この様子は何度見ても心温まる素敵な風習だ。

ブエノスアイレスのタンゴ界はまだまだ通常営業には程遠いが、早くそんな誕生会の風景が戻ってくるといいなと願っている。

 

3.1.2021

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

マテ茶セットを抱えて公園へ

image1.jpeg

 

今年も日本のお花見は自粛ムードなのだろうか。

桜の樹の下に座って友と語らい花を愛でるのは、日本の春の素敵な催しなので、早く解禁になってほしいもの。

アルゼンチンの春も花が美しく咲き乱れるけれども、あちらにお花見という文化はない。

日常的に公園に出かけ、緑の上に座り休憩したり、子供を遊ばせたりするので、わざわざ『お花見』と気合いを入れる必要がないのかもしれない。

彼らが公園に行く時に持参するのは、マテ茶。

マテ茶というのは南米特有のお茶で、『飲むサラダ』とも言われ、肉の割に野菜をあまり食べないアルゼンチン人の栄養バランスを補うのに、マテ茶の功績は大きいという説もあるほどにビタミン、ミネラルが豊富。

苦味があるが慣れるとクセになる。

ハーブやドライオレンジピールをブレンドしたりアレンジも楽しい。

image2.jpeg

 

飲み方は独特で、茶葉を入れたマテと呼ばれる茶器にボンビーシャというストロー状のものをさして飲む。

紛らわしいが茶葉もマテ、茶器もマテという。

ポットから茶葉入り器にお湯を繰り返し注ぎ、味がなくなるまで飲むので、マテ茶葉、マテ器・ボンビーシャと、ぬるめのお湯入りポット(熱湯だと飲む時に火傷するので)はセットで持ち歩く必要がある。

もちろん家で飲むシチュエーションも多いけれども、そのスタイルをどこへでも持って行ってしまうのが面白い。

公園に行くとポットを小脇に抱えた人たちがたくさんいて、その光景は最初はとても不思議に思えたものだった。

 

もともとマテ茶は一つの器をみんなで回し飲みするスタイルが定番。

しかしコロナが流行り始めてからはひとりひと器が奨励されて、それぞれがMyマテを持つようになった。

一つの器を分かち合うことで垣根を無くすコミュニケーションマジックは、マテのもつ魅力でもあるので、そんな文化が一つ失われてしまったのかと思うと少しさみしい気もする。

image3.jpeg

 

マテ茶の回し飲みには特有のお作法がある。

サークルにはお湯注ぎを仕切るオーナーがいて、それ以外の人がボットを触ることはない。オーナーはマテ器に茶葉を準備し、最初のいちばん苦いひと口を自分で飲んだら、そのあとお湯を充分に注いで他の人に勧める。

受け取った人は、それを飲み干してからオーナーに器を戻す。

オーナーはまたそこにお湯を注いで、今度は違う人にお茶を勧める。

そのやり取りを人数分繰り返す。

当然、オーナーは忙しいことになるが、そこはアルゼンチン人。

管理も気配りもゆるいので回す順番は間違うし、はなしに夢中でお湯を注ぐのも忘れる。でもそんなことは誰にとっても問題ではなく、話題と、マテ、それぞれが人々の間を行ったり来たりするのを共有する時間こそが大事。

日本人の「お茶しよう」とアルゼンチン人の「マテ茶飲もう」は同じノリだけれども、アルゼンチンのそれは、もっと緩くて時間的制限がない感じがする。

そこに重要な用件は必要なくて、公園で緑と花と風を感じつつ、マテ茶を飲みながらゆったりと同じ時間を過ごす。

コロナ渦の公園マテの風景は、回す事のないMyマテ持参の新しいスタイルではあるけれども、そこにはやっぱりゆるい時間が流れているのだと思う。

2.1.2021

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

ブエノスアイレスの冬にはロクロ

image3.jpeg

 

 

地球の裏側ブエノスアイレスの二月は夏真っ盛りで連日30度前後なのだけど、

日本に合わせて冬の話をしようと思う。

彼の地の冬に雪は降らない。

以前に降った記録もあるようだが、通常降らないし、気温がマイナスになることもない。

でも寒い。

キーンと骨身にしみるような寒さがある。

街の横を大きなラプラタ川が流れているため、その湿気が体感として寒さをより強く感じさせるのだという。

密閉性のよくない建築物の部屋には、隙間風が入り込んで、室内でも寒い思いをすることが多い。

そんな季節の食べ物は、何と言っても煮込み料理だ。

牛肉王国らしく、牛のぶつ切り、臓物類と野菜、とうもろこしに、レンズ豆、ひよこ豆、白インゲン豆などの豆類をじっくり煮込んだ料理をロクロと呼ぶ。

これは各家庭のママの味であるとともに、行事の時にはレストランの本日のスペシャルに必ず現れるメニューでもある。

image2.jpeg

 

だから街を歩いて『ロクロあります』の看板を見かけると、「今日は何の日だったっけ?」と思うのだ。

それは独立記念日や五月革命記念日だったり、なんとか将軍の日だったり。

早速友達に「ロクロ食べに行かない?」と集合をかけて、レストランに出かける。

煮込みの定説通り、そういうものは大量に仕込んで、大鍋で作った方が美味しいに決まっているから。

豆が牛の旨味と脂分をしっかり吸い込んだ味わいは、冬のご馳走。

体が温まるし、なにより美味しい。

決まってその夜は、お腹が張って苦しむのだけれども、それでもメニューを見るとその誘惑に負けてしまう。

ブエノスアイレスの冬にはやっぱりロクロ。

image1.jpeg
 

1.3.2021

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

マラドーナはいちサッカー選手じゃないから。

image2.jpeg

2021年のアルゼンチンには、もうすでにマラドーナはいない。

彼が天に還った後に、ブエノスアイレスを離れたわたしに「マラドーナのいないアルゼンチンにはなんの価値もないからね。」と言った人がいた。

冗談みたいだけれど、あながち冗談とも言えないくらいに、アルゼンチン人にとって彼の訃報は大きなニュースだった。

 

それが報じられたのは11月25日で、その日のうちにアルゼンチン政府は翌日に大統領府で告別式を行い、政府は3日間の喪に服すと発表した。

その直後から多くのファンが大統領府前広場に集まり始め、翌日は彼の棺の前を通ってお別れをしたい市民が数十万人に膨れ上がり、その列は何kmにも及んだ。

あっという間に、ADIOS(さよなら)とDIOS(神)にマラドーナの背番号10を組み合わせた『AD10S』というポスターが街に溢れ、彼の生涯は2020年で終わりではなく『1960 ー ∞ 』と無限のマークで記された。

サッカーファンに限らず多くの属性の人々が、彼の不在を悲しんでいて、その大騒ぎぶりはわたしには驚きだった。

マラドーナが有名なサッカー選手で人気者だったことは、いくらサッカー音痴なわたしでも知っていた。

でもこれ程までとは。。。

 

「いちサッカー選手の告別式を、大統領府でやるということ自体が驚きなの!」とアルゼンチン人の恋人に言ったら、「いちサッカー選手じゃないから。」と言った後の解説が、すごーく長くて、途中でストップをかけられないくらいに熱かった。

image3.jpeg

 

マラドーナは貧しい環境に生まれ、恵まれた体格ではなかったにも関わらず、サッカーで世界に名を轟かせたという功績に加え、多くの人々に愛されるキャラクターの持ち主だったようだ。

弱者と貧困の側に立ち、多くの人々の共感を呼ぶ、時には正論、時にはウィットに富んだ行動と言動を繰り出す。

一方で、スキャンダルの宝庫でもある。

薬物で逮捕歴もあるし、酒に溺れ、女癖悪く、素行も悪い。

それでも、その物凄いカリスマ性に人々は魅了された。

彼のプレイ、彼の言動、彼の存在から自らの人生に影響を受けた人が、あまりにも多い。

だからみんなが、『ありがとう』を彼に言う。

 

多くの追悼番組が何日にも渡ってアルゼンチンでは放映されていたが、サッカープレイの名場面集に加えて、名言特集も随分企画された。

ある日、一緒にテレビを見ていた恋人が、画面のマラドーナに合わせて一語一句違わずセリフを発する姿には、思わず二度見してしまった。

わたしの恋人は熱狂的サッカーファンではない。

にも関わらず、そのレベル。

告別式にわざわざ何時間も並んだ人達の思いたるや…である。

全然思い入れがないはずのわたしも追悼番組でジーンと涙ぐんでしまったではないか。

 

アルゼンチンではその後も、彼の話題がテレビ界を騒がしている。

追悼番組ラッシュの後は、NZラクビー、オールブラックスの追悼ハカへのアルゼンチンチームの対応批判が続き、マラドーナ主治医に関する過失疑惑、そしていまは遺産問題が勃発中。

多分、みんながマラドーナを終わったことにしたくないのだと思う。

ずっとお騒がせしていて欲しいのだ。きっと。

image1.jpeg
 

12.1.2020

DAYS / Sumiko Kuramitsu Column

愛しのブエノスアイレス

世界一長い隔離政策がアルゼンチンにもたらしたもの。

image2.jpeg

世界で一番長いと言われている約8ヶ月の隔離政策も、首都圏では限定的に緩和され、やっと市民生活が動き始めたブエノスアイレス。

花が咲き、街中が美しく色付く季節の街に繰り出せるようになったのは本当に嬉しい。

でもこの頃になると気温が25度を超える日も出てきて、マスク着用が義務付けられている今年は、息苦しいわ、暑いわでなかなか辛い。

日本の夏には機能素材の涼しいマスクがあったと聞いたけれど、南米アルゼンチンにはまだ届いていないみたい。

隔離政策が始まって以降、ありとあらゆるお店が手製の布マスクを販売し始め、柄と形は選び放題だけれども、涼しい快適マスクにはまだ出会えていない。

 

今回のコロナ騒ぎで、ここアルゼンチンではマスクは罰則付きで義務化され、保健衛生の指導が強力に推進された。

慣れないマスクをして、抱擁なしの挨拶を交わし、家の入り口で靴を脱ぎ、アルコールジェルを持ち歩いてせっせと手を消毒している人々の様子を見るのはおかしな感じがする。

習慣を変えるというのは大変なことだと思うのだけれど、馴染むのが早いなぁと感心する。

アルゼンチン人に言わせると、『僕たちは順応が得意』なのだそうだ。

経済状態が悪く、大統領が変わるたびにガラリと政策が変わるこの国の人々は、臨機応変に生きるのが当たり前ということだ。

そりゃ、自作布マスク制作の着手も早いわけ。

何とも逞しい。

image1.jpeg

 

今年、世界中で宅配業が伸びたそうだが、アルゼンチンでいうと宅配創世記を迎えたと言ってもいいのではないかと思う。

だって以前は物が届かない国だった。

サービス自体は前からあったけれど、途中で破損したり、紛失したり、時間が余計にかかったり、そんなことがほぼ基本設定だったから、みんな宅配サービスに信頼をおいていなかった。

ところが、誰も外出できない状況下において、何と素晴らしいことに宅配業が機能し始めた。

スーパーの食料品も、小売店の衣料品も、プレゼントのお届けも信頼されるに値するサービスに成長したようだ。

 

また銀行口座開設がスマホで簡単にできるシステムが整ったのも、この環境下で給付金を口座を持たない市民に配布する為。

収入が途絶えた市民へのサポートの中には、定期的に自宅に小麦粉やパスタ、油などの保存食品を配布するサービスなどもあり、これは話題のベーシックインカムの先取りに思えなくもない。

 

長い長い不自由な生活は、アルゼンチンにおいては、保健衛生教育と近代化のきっかけになったのかもしれない。