
DAYS
倉光寿美子
Reiki Teacher / Hypnotherapy Therapist
STAY SALTY ...... means column
レイキティーチャー、ヒプノセラピーセラピスト。アルゼンチンタンゴに魅せられて、ブエノスアイレスに渡り、街と空と文化と人に恋をした。ただ今、北海道の実家に帰国中ですが、変わらずブエノスアイレスの魅力をお伝えしていきます。
DAYS / Sumiko Kuramitsu Column
愛しのブエノスアイレス
1.3.2021
DAYS / Sumiko Kuramitsu Column
愛しのブエノスアイレス
マラドーナはいちサッカー選手じゃないから。

2021年のアルゼンチンには、もうすでにマラドーナはいない。
彼が天に還った後に、ブエノスアイレスを離れたわたしに「マラドーナのいないアルゼンチンにはなんの価値もないからね。」と言った人がいた。
冗談みたいだけれど、あながち冗談とも言えないくらいに、アルゼンチン人にとって彼の訃報は大きなニュースだった。
それが報じられたのは11月25日で、その日のうちにアルゼンチン政府は翌日に大統領府で告別式を行い、政府は3日間の喪に服すと発表した。
その直後から多くのファンが大統領府前広場に集まり始め、翌日は彼の棺の前を通ってお別れをしたい市民が数十万人に膨れ上がり、その列は何kmにも及んだ。
あっという間に、ADIOS(さよなら)とDIOS(神)にマラドーナの背番号10を組み合わせた『AD10S』というポスターが街に溢れ、彼の生涯は2020年で終わりではなく『1960 ー ∞ 』と無限のマークで記された。
サッカーファンに限らず多くの属性の人々が、彼の不在を悲しんでいて、その大騒ぎぶりはわたしには驚きだった。
マラドーナが有名なサッカー選手で人気者だったことは、いくらサッカー音痴なわたしでも知っていた。
でもこれ程までとは。。。
「いちサッカー選手の告別式を、大統領府でやるということ自体が驚きなの!」とアルゼンチン人の恋人に言ったら、「いちサッカー選手じゃないから。」と言った後の解説が、すごーく長くて、途中でストップをかけられないくらいに熱かった。

マラドーナは貧しい環境に生まれ、恵まれた体格ではなかったにも関わらず、サッカーで世界に名を轟かせたという功績に加え、多くの人々に愛されるキャラクターの持ち主だったようだ。
弱者と貧困の側に立ち、多くの人々の共感を呼ぶ、時には正論、時にはウィットに富んだ行動と言動を繰り出す。
一方で、スキャンダルの宝庫でもある。
薬物で逮捕歴もあるし、酒に溺れ、女癖悪く、素行も悪い。
それでも、その物凄いカリスマ性に人々は魅了された。
彼のプレイ、彼の言動、彼の存在から自らの人生に影響を受けた人が、あまりにも多い。
だからみんなが、『ありがとう』を彼に言う。
多くの追悼番組が何日にも渡ってアルゼンチンでは放映されていたが、サッカープレイの名場面集に加えて、名言特集も随分企画された。
ある日、一緒にテレビを見ていた恋人が、画面のマラドーナに合わせて一語一句違わずセリフを発する姿には、思わず二度見してしまった。
わたしの恋人は熱狂的サッカーファンではない。
にも関わらず、そのレベル。
告別式にわざわざ何時間も並んだ人達の思いたるや…である。
全然思い入れがないはずのわたしも追悼番組でジーンと涙ぐんでしまったではないか。
アルゼンチンではその後も、彼の話題がテレビ界を騒がしている。
追悼番組ラッシュの後は、NZラクビー、オールブラックスの追悼ハカへのアルゼンチンチームの対応批判が続き、マラドーナ主治医に関する過失疑惑、そしていまは遺産問題が勃発中。
多分、みんながマラドーナを終わったことにしたくないのだと思う。
ずっとお騒がせしていて欲しいのだ。きっと。

12.1.2020
DAYS / Sumiko Kuramitsu Column
愛しのブエノスアイレス
世界一長い隔離政策がアルゼンチンにもたらしたもの。

世界で一番長いと言われている約8ヶ月の隔離政策も、首都圏では限定的に緩和され、やっと市民生活が動き始めたブエノスアイレス。
花が咲き、街中が美しく色付く季節の街に繰り出せるようになったのは本当に嬉しい。
でもこの頃になると気温が25度を超える日も出てきて、マスク着用が義務付けられている今年は、息苦しいわ、暑いわでなかなか辛い。
日本の夏には機能素材の涼しいマスクがあったと聞いたけれど、南米アルゼンチンにはまだ届いていないみたい。
隔離政策が始まって以降、ありとあらゆるお店が手製の布マスクを販売し始め、柄と形は選び放題だけれども、涼しい快適マスクにはまだ出会えていない。
今回のコロナ騒ぎで、ここアルゼンチンではマスクは罰則付きで義務化され、保健衛生の指導が強力に推進された。
慣れないマスクをして、抱擁なしの挨拶を交わし、家の入り口で靴を脱ぎ、アルコールジェルを持ち歩いてせっせと手を消毒している人々の様子を見るのはおかしな感じがする。
習慣を変えるというのは大変なことだと思うのだけれど、馴染むのが早いなぁと感心する。
アルゼンチン人に言わせると、『僕たちは順応が得意』なのだそうだ。
経済状態が悪く、大統領が変わるたびにガラリと政策が変わるこの国の人々は、臨機応変に生きるのが当たり前ということだ。
そりゃ、自作布マスク制作の着手も早いわけ。
何とも逞しい。

今年、世界中で宅配業が伸びたそうだが、アルゼンチンでいうと宅配創世記を迎えたと言ってもいいのではないかと思う。
だって以前は物が届かない国だった。
サービス自体は前からあったけれど、途中で破損したり、紛失したり、時間が余計にかかったり、そんなことがほぼ基本設定だったから、みんな宅配サービスに信頼をおいていなかった。
ところが、誰も外出できない状況下において、何と素晴らしいことに宅配業が機能し始めた。
スーパーの食料品も、小売店の衣料品も、プレゼントのお届けも信頼されるに値するサービスに成長したようだ。
また銀行口座開設がスマホで簡単にできるシステムが整ったのも、この環境下で給付金を口座を持たない市民に配布する為。
収入が途絶えた市民へのサポートの中には、定期的に自宅に小麦粉やパスタ、油などの保存食品を配布するサービスなどもあり、これは話題のベーシックインカムの先取りに思えなくもない。
長い長い不自由な生活は、アルゼンチンにおいては、保健衛生教育と近代化のきっかけになったのかもしれない。