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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

Tatsuro Rokudo Column

For Enjoying Toyama Life !

from  Toyama / Japan

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六渡達郎
太陽珈琲焙煎本舗

大学在学中より演劇の制作に携わり、一方では雑誌や広告の写真撮影を生業にすると共に、数々の舞台に関わる写真を撮影。

1999年写真展『小笠原生活様式』銀座コダックフォトサロン、2000年写真集『小笠原ターザン』を出版。
その後、2005年生活拠点を北京に移し、2007年「Caffè il Sole Beijing」開業。

中国人も驚く「神奇的杏仁豆腐」で巷では有名なお店となる。

北京在住の日本人中国人有志と共に2010年北京で自分の夢を追い求め奮闘する若者を描いた日本語喜劇『咖啡店的太太〜Catch the Beijing Dream』を企画演出し好評を博す。翌2011年再演。

その後も舞台演出、アフレコ、中国TVドラマ出演なども。2013年「Caffè il Sole Beijing」閉店。
日本スペシャルティコーヒー協会SCAJコーヒーマイスターの資格を取得。
2014年10月富山へ。2015年12月、コーヒー豆の焙煎加工を行う「太陽珈琲焙煎本舗」を開業。
2019年 タニノクロウ演出作品『ダークマスター2019TOYAMA』出演(主演ダークマスター役)富山オーバードホール

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コハダは大トロより儲かる

12.15.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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コハダは大トロより儲かる

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思いがけず12/11(日)のマルシェ、越中大手市場が中止になってしまった。

2022年最後のテント出店の予定だったのだが。

原因は、流行のコロナ感染拡大ではなく最大風速10mをも越えるかもしれない強風が予想されたからだ。

風速5mくらいでマルシェで使っているテントなどあっさり飛んでしまう。

コーヒーのハンドドリップ抽出をしている時に集中出来ないし、危険極まりない。

人の安全に関わる。当然の判断である。

屋外のテント出店は常に天候に左右される。

今に始まったことではない。

華奢なテントの場合に限らず、この雪国富山に於いては冬場の大雪に見舞われると即客足に悪影響を及ぼし、ダイレクトに売上が落ち込み大打撃となる。

とは言え、店舗を構えている立場では、店にいつ訪れるか判らない通りすがりの一般客のために店内は充分な暖房を施しておかねばならなかったりする。

しかも今は燃料代が高騰している。

世にコロナが蔓延してからは、そういった不安定が顕著になった。

災難が過ぎ去るまではミニマムにやり過ごすに限ると考え、店舗自体は意図をもって休業状態にすることにした。

店内はコーヒー焙煎の作業場になり、ひと月に数回あるマルシェなどイベントのテント出店が主たる現金の収入原となった。

地方都市である富山県に限った話ではないだろうが、店舗を持ったからと言って、そこは決してゴール地点などではなく、暢気に胡坐をかいていられるような場所ではないのだ。

少しでも人が集まるようなチャンスが有れば、店側がこちらから出向いて商いしなければならないのだ。

シンプルな屋台の営業は数を増やせば増やすだけ売上は単純に増えてくれるのだが、天候に大きく左右されてしまう難点は相変わらずだ。
 

そして、今年1月にやった脳梗塞も軽症だったとは言え少なからずダメージを残している。

昨年までは出店の準備のため前夜の作業は深夜に至ることはおろか丸々徹夜に及ぶこともしばしばだった。

退院して早10ヶ月。

降圧剤は飲み続けており、そうした体力を要する仕事がスッカリ出来なくなってしまった。

おそらくもう元には戻らないのだろう。

二日間連続のイベントに参加した時も自分自身の身体がままならない。

コーヒードリップをしている最中、右手に持ったドリップポットでコーヒーの粉にお湯の円を描いて注している時に意識が飛んでしまったりしていた事があった。

それ以前に、屋外で全然立っていられないのだ。

いわゆる自律神経や体感のようなものが衰えてしまったようだ。

アウトドアの折りたたみ式キャンバスチェアに座り込んでしまって、そのまま立てなくなってしまう。

そんなこともあって、毎年恒例になっていた越中稲荷神社の初詣出店も断念することにした。

大晦日22時頃から年越しで初詣客向けにコーヒーを淹れる。

病み上がりの身、寒い中のロングラン出店を強行するのは得策ではない。

久々に御節の準備に時間を費やし、大して興味が無いNHK紅白を眺めながら家族と共に過ごす大晦日になりそうだ。

 

出来ることならコーヒー豆の焙煎作業に没頭していたい。

テント出店に体力の限界を感じるようになって来た以上、新たな豆の販売方法を模索したいところ。

きっと中小企業診断士や商工会議所などに言わせるなら、とりあえず「ホームページを作りましょう」「LINEアカウントを作りましょう」「Instaを始めましょう」と見え透いたことを言われてしまいそうだ。
この今年夏以降ガソリンがジワジワ値上がり、次第にあらゆるモノが値上がりし御多分に漏れずコーヒー生豆もしっかり2割3割と値上がった。

かと言って、そのまま焙煎後のコーヒー豆の価格を2割3割値上げて反映させて良いものやら。

 

2014年店を作った頃一時的な業界内のコーヒーブームと思いきや、今や護國神社 とやま のみの市にやって来るお客さんも「話題のゲイシャをください」と宣うようになり、スペシャルティコーヒーの名前が随分世の中に浸透したように思われる。

それでもテントにやって来るお客さんの殆どが「酸味は好きじゃありません」と枕詞のように言い放って止まない。

お客さんのお好みを伺って酸味NGとなると、扱ってるコーヒー豆の三分の二はオススメ出来なくなる。

また、業界的に話題の人気豆がお客さんのお好みと合致するとは限らない。

焙煎屋の製品であるため、各々の好みに加え、豆の価格と見合うかコストパフォーマンスが高いか低いかによって消費してもらえるかどうかが変わって来る。

毎日習慣として飲む日常コーヒーもあれば、ここぞと言ったハレの日に飲みたい高額なコーヒーもあり、消費者の選択は多岐にわたる。

 

お寿司屋さんに因れば、コハダは大トロより儲かるとのこと。

自動車業界で言うなら、コハダはカローラ、大トロはロールスロイスと言ったところか!? 

そのまま太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆に言い換えるなら、「ブラジル セラード カラメリッチ #18」と「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」が当てはまる。

 

「ブラジル セラード カラメリッチ#18」は、昨今の値上げに伴い最も格安のコーヒーではなくなってしまったが、標準的で馴染み深いコーヒーらしいブラジルの豆にほのかな甘みを併せ持った飲みやすいタイプ。

「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」はコーヒー業界に革命的な新風を吹き込んだクリアでフルーティーでありベルガモットのような香り高さの中に甘みやカラメル感も持つスペシャルティコーヒーの筆頭格に当たる豆だ。

COMANDANTEを選ぶ理由

11.7.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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COMANDANTEを選ぶ理由

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コーヒーを美味しく淹れるポイントのひとつとして「直前に豆を挽く」ことが重要だ。

焙煎されたコーヒー豆はその時点から劣化が始まると言って過言ではない。

豆から粉の状態に変わると単純に表面積が拡大し空気に触れる部分が増える。

よって酸化速度が倍増し劣化が早まってしまう。

スーパーマーケット等で売られている大手コーヒーメーカーのコーヒーは粉の状態でも売られているが、そうした場合はパッケージ袋に詰める際に窒素と共に充填するか酸化防止剤を入れたりしている。

コーヒー豆の焙煎屋としては、お客さんには自宅でコーヒーを淹れる直前にミル(グラインダー)で粉にしてもらいたい。

些細なことなのだが、コーヒーを美味しく淹れるポイントはこうした些細な選択の積み重ねで違いが出て来る。

目的地までの移動手段としてクルマを使う場合、ランボルギーニやフェラーリのようなスポーツカーをぶっ飛ばして行く方法もあればメルセデスベンツのような高級車の満足感を得ながら運転する方法もあれば、トヨタカローラのようなロングセラーで大人気の車種を選択することもある。
似たようなもので、単にコーヒー豆を粉にするという方法だけでも迷ってしまうくらい多岐にわたる。

何も考えず豆が粉になれば何でも良いと言う選択をするなら、販売価格の安い電動のプロペラ式ミルになるのだが、焙煎豆屋としてはオススメしたくない。

スイッチボタンを押してジャーってやってしまえば早いと思われがちだが、電動によるモーター音がうるさいうえ粉の粒度が安定せずバラツキが激しい。

ウチを訪れてミルを購入したいと言われるお客さんには習慣的にコーヒーを飲む頻度や量を聞いて、今まではまず手動のコニカル式セラミック刃のミルを薦めることが多かった。

一人でコーヒーを飲むことが多く一杯ずつ淹れられる方にオススメしていた。

セラミック刃の場合、使い終わった後のコーヒーの粉が刃に付着していても洗えば容易く落とせる。

そして錆びない。

一方家族が居て一度に数杯分を一挙に抽出する可能性が高い人には、まず容量が大きめの手動セラミック刃ミルを薦めていた。

そして多くの人は習慣として朝にコーヒーを飲むことが多く、出勤や通学のために朝食時の時間はとても貴重だったりすることから、手動ミルをゴリゴリ数分も掛けて回している時間がもったいないと感じられることもあるだろう。

そんな人には少々奮発してもらって電動のコニカル式や臼式を購入していただく。

それで、直ぐに淹れて飲みたい、一度に数杯分を抽出したいという思いはストレス無く叶えられるのだが。

そんな電動ミルにもデメリットはなくは無い。

モーターで刃が高速回転する機械であるため、長時間もしくは大量にコーヒー豆を粉砕し続けていると熱を帯びてしまうのだ。

これがコーヒー豆に悪影響を及ぼす。

またその粉砕している際に細かな微粉を出してしまう。
コーヒーを抽出する際、コーヒー粉の粒度が揃っていることを重視するならば微粉は避けたい要因なのだ。

この微粉が抽出したコーヒーに雑味を及ぼす原因となったりするのである。

日常生活でのコーヒーでは気にする程の事では無い取るに足らないことかもしれないが、コーヒー業界の中にあるSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)のような団体が主催するハンドドリップ競技会などでは、ミルした後の粉を茶漉しのような細かな目の篩を使い微粉を取り除いて雑味を極力少なくする手間隙を加えたりもするのである。

なので、必ずしも電動のミルが優れてるとは言い難い点もあるのだ。

かつて、手動ミルではフランスのPeugeot(プジョー)とドイツのZassennhaus(ザッセンハウス)が有名で、どちらも硬質な鉄系の刃が付いており比較されたものだ。

ここへ来て、数年前からドイツの手動ミル「COMANDANTE(コマンダンテ)」が話題になっている。

新しく開発されたNitro Blade(ニトロブレード)と呼ばれる刃の部分によってコーヒー豆の粒度が非常に良い状態に仕上げられるのだ。

ドイツからの輸入商品ということもあってか、販売価格も40,000円前後。

価格と共に世界最高峰だ。

小さめの電動ミルが充分買えてしまう値段だ。

1990年代まだ普通にフィルムのカメラを使って撮影していた頃、Nikon一眼レフの旗艦機種がF3からF4に移行し、伴ってカメラマン達は新しいF4ボディをメイン機として仕事の撮影するべきか否かを躊躇していた時期があった。

バブルが弾けて間もない頃だったのもあるかもしれない。
カメラメーカーの一眼レフでフラッグシップモデルとなると、流石にポケットから気軽に出て来る金額ではなく。

ところが、一般向けにも売られていてハイアマチュアなカメラマンやカメラ好きなオジサン、オタクや鉄ちゃんも同様な立場で購入可能な機種だったりもする。

そんな中、フリーのカメラマンだからと言って、機材に掛かる経費をケチって二番手のカメラを選んではいけないのだ。

いつもいつも芸能人やプロのモデルの撮影ばかりをしている訳ではない。

知人からの紹介で一般の方の結婚式の撮影依頼を請けて出向くこともあるかもしれない。

そんな時、人生に於ける数少ないハレの日に、せっかくプロのカメラマンに撮影してもらえるのだとしたら。

少しでもカメラのことを知ってる人が近くにいて、わざわざプロカメラマンを呼んで撮影に来てもらってるという事態を知ったとしたなら。

そこは二番手のカメラではなく、少なくともその時の最高機種Nikon一眼レフでF4sで撮るというパフォーマンスをしないことにはいけないだろう。

一期一会なのだ。

それがプロの心意気というものだ。

またその時代の最高の機材を使うことで、機材に因る落ち度は決して無いものとして、もし問題が有るとすれば撮影者本人の問題として受け止められるよう最高の機材を用いるよう心掛けていたものだ。
30年後の今でこそ、デジタルカメラの最高峰と思われるものは100万円を超える値段になり、自分の撮影では使うことのないようなオーバースペックな機能が付いているカメラを選択してしまうのはメーカーの策略に踊らされて馬鹿げている行為のようにも思えるのだが。
そして、カメラメーカー各社はデジタルの一眼レフカメラの開発を止めてしまうくらいに時代は移り変わってしまっている。

とは言え、そうした経験を思い返すなら、コーヒー豆の焙煎屋としても、ここはNitroBladeの刃を持ち合わせている手動の COMANDANTE を選ばない訳にはいかない。

R.I.P. CHAPPY

10.7.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

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R.I.P.  CHAPPY

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9月18日  14:39 、凄く久しぶりにボビ男からの Facebook Messenger を受け取った。

→→→→ ご無沙汰しています。 残念なお知らせですが、 今日午前、チャッピー君 亡くなってしまいました。

 

→→→→ 一人で、ドラゴンアウトサイド(みやのはまの外洋)にサーフィンに出かけて、浮いている所をダイビング船に見つけられて、保安庁の船に引き上げられましたが、もう心肺停止だったそうです。

 

→→→→ さっき、診療所で会ってきましたが、まだ手も温かく今にも起き上がりそうでした、とても穏やかな表情でした。 僕もまだ、信じられません、残念です。

 

 

この時期、台風が生まれ沖縄の方を北上すると、小笠原諸島の父島には良い波が来る。
16日くらいから沖縄は台風14号の暴風域内に入り、そのままゆっくりと北上を続け、18日には九州に上陸していたことから、父島にはちょうど秋のビッグウェイブがやって来ていたに違いない。
享年54歳。

思い返すと、1995年父島に撮影に行って出会った頃からずっと波に乗ってるサーファーだから、CHAPPYらしいと言えばCHAPPYらしいのだが。

唯々寡黙に波に乗っている島の男、島の中でも代表的な BONIN ISLANDS SAFER だっただけに、もう島に渡ってもCHAPPYに会えないというのは信じがたい。
ところが、時間差で父島の仲間達から、FacebookやらInstagram やら、次々と容赦ない訃報が受け取った。

翌19日になって、SNSで知らされる話題は同世代の仲間達で作り上げられるお別れ会の予定に移り変わっていた。

写真集「小笠原ターザン」の表紙を飾っていたのが CHAPPY だっただけに、お別れ会でも島で最も大きく出来るプリンターでプリント出力したいとのこと。
今Macの中に入ってるスグに扱える写真データは、自己紹介用のファイルに入ったサムネイル的なラフなものしかない。

とてもA0サイズのプリントアウトに耐えられるデータではない。

幸い丁寧に暗室作業をしてブックマットを作り額装までしてるものが自宅にあった。

実家の倉庫として使ってる家が雨漏りする恐れがあるため、2014年に帰国して早々に写真だけ避難させたものの一部である。
暗室作業としてプリントしたのは1998年。

当時入会したばかりのAPA(日本広告写真家協会)の写真展のために焼いたものだったろうか。

FB(ファイバーコットン)のバライタ紙を使って丁寧に現像や水洗や調色を施し、無酸性のミューズコットンと呼ばれる厚手のボードでブックマットを作っていたので、写真面は20年以上経ていても全く変色も無く、自分でも驚くほど非常に綺麗な状態で残っていた。

倉庫の雨漏りから逃れたものの自宅での保存は自慢出来たものではない。

室温や湿度などお構いなし、成り行きのまま全く気を遣っていなかった。

しかし、恐るべしアーカイバルプリントだ。

 

それを今手元にあるデジタル一眼レフで再度複写して、ベストコンディションのデジタルデータを作る。

デジタルが主流になって登場することも少なくなってしまったストロボを引っ張り出してきて、スタンドにヘッドをセットする。

自宅で広げるには大き過ぎるレフ板を使いRAWデータで撮る。

今はMacに入ってるPhotoshopに撮影時のレンズのデータを入力してやると、クリックするだけでレンズの収差をデジタル補正してくれる。

Macの画面で大きく拡大して観てみると、当時丁寧にプリントしていたつもりでもしっかりとアラが見えてくる。

アナログケミカルの時代、引き伸ばし機でプリントする際にネガフィルムに付いた埃の影が白く点になって画面上に跡を残してしまう。

それを極力防ぐためにアセテートフィルムに静電気除去の装置の風を当てたりブロアーで吹き飛ばしたりした。

細心の注意を払っても暗室を無塵空間にはなかなか出来ないため、水洗処理を済ませプリントを乾燥した後の白い点を極細の筆を使って写真の粒子を書き込みスポッティング作業をしたものだ。

今はPhotoshopで開かれたRAWデータをA0サイズでのプリントアウトに耐えうるデータに変換する。

そのついでにPhotoshopのコピースタンプツールでスポッティングを施してやる。
図らずも映画等でよく耳にする、所謂デジタルリマスター処理をすることとなった。

最終的に圧縮率の低い tif データで保存し、重たくなったデータはギガファイル便で父島へ送った。

 

23日午前9時より、父島の小笠原聖ジョージ教会でお別れ会が行われた。

生涯サーフィンを愛し続けた小笠原の CHAPPY がサーファーとして海へと帰って行った。

2022年9月になって

9.6.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

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コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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2022年9月になって

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コロナ禍になる前、店がオープンしたばかりの頃からの知り合い。

後輩の松村が紹介してくれた、関西で劇団を主宰しているキホーさんが生業にしている会社勤めの富山出張で、ついでに病後の様子を見に来てくれた。

彼の仕事は富山には似つかわしいとは思えない某猫キャラのライセンス契約を取る営業の仕事。

最後に会ったのがコロナ前。

「ダークマスター2019 TOYAMA 」の稽古が始まって台本を受け取ったばかりの頃だから、正月が明けて間もない頃以来だ。

 

県外からの来訪者には、せっかくなら富山近郊で獲れる海鮮を食べてもらいたいと思うので、太陽珈琲焙煎本舗の店舗の近所、数百mのところにある美乃鮨さんへランチに行く事にした。

富山湾は3000m級の立山連峰からミネラルを含んだ雪解け水が流れ込むことから天然の生け簀と呼ばれている。

そんな富山湾で獲れる魚をネタにした「富山湾鮨」を提供してくれる。

ミシュランガイド北陸2021でも紹介され、東京からわざわざ訪れる利用者も多く、最近銀座クラブホステスに乱暴をして巷を賑わしている俳優さんも訪れる店でもあり、普段からなかなか予約の取れないところなのだ。

 

暖簾をくぐると大将が「もう身体は大丈夫ですか?」と透かさずカウンター越しに声を掛けてくれた。

退院して早半年以上が経ち、外見からは全く病人の体を成していない者としては、不意を突かれて気遣われてしまうともはや恥ずかしい気分になる。

実際は、未だ右手を使って文字が書けない。

箸はなんとか使えるのだが。

そして、自分でも自覚し辛いのだが、なんとなく集中力の持続が短くなってしまったような気がする。


その二日後。

2022年になって初めて、カターレ富山のホームゲームでスタジアム周辺でのテント出店する事になった。

退院して間もなく、第一日曜日の「護國神社 とやま のみの市」、第四日曜日の「越中大手市場」と月2回の出店は再開させたのだが、屋外でのイベントでその場に居続けることが体力的に不安だったり出来なかったりするのだ。

今まで何の迷いもなく普通に出来ていた事が不意に出来なかったりする。

二人前のカレーを更に盛り付けて、両手でひとつずつ持って何歩か移動しようとして、右手の握力はだいぶ戻って来たと思っていたが、突然意思とは関係なく手指の力が抜けて、皿を落として割ってしまいカレーを地面にぶちまけてしまう。

 

通院していた病院のリハビリも、先月の時点で退院して半年経ったという事もあって一段落した。

今後は独自に生活の中でのリハビリを意識しながら仕事の復帰を目指す段階となる。

 

そんなこともあって、今までなら夫婦二人でテント出店を切り盛りしていたところを、大事を取って男性一人をヘルプ要員として加わってもらうことにした。

何ともないなら、二十代の愛想の良さそうなカワイイ女の子にバイトに来てもらい、店主自身のモチベーションをアップすると共にお客様の印象の向上を図るところなのだが、カターレ富山の出店は荷物が多く重い物が有ったりする。

コーヒーグラインダーを動かすための電源は持参の発電機を動かさなければいけない。

それが中にガソリンを入れた状態にした場合30kgを越える重量になってしまい、搬入搬出時には運転してきたクルマから上げ下ろししなければならず、ヘルプ要員は愛想やビジュアルを重視する訳にもいかない状況であると判断するに至った。

 

カターレの出店では、いつもの出店のようにカレーこそ出さないが、カレーに変わる「台湾魯肉飯」を出すことに決めている。

他にも10店舗以上の出店者がいて中には移動販売車で乗り付けてキッチンを現場に用意出来てる店があったりする。

この場所に於いては、カレーなど珍しくもなんともないのだ。

そして、魯肉飯も仕込みはカレー同様、前夜の作業となる。

 

約40人前を目安に、豚バラ肉を10kg買っておいた。

今年になって初めての購入。

9ヶ月ぶりの豚肉は、このところの情勢や物価高騰もあってか、以前の価格から20%も値上がりしていた。

これは魯肉飯の販売価格もそのまま反映して値上げして良いのではないか!? とも思ったのだけれども、今回で復活する久々の出店ということもあって、なんとなく値上げはしたくなかった。

ブツブツ文句を呟きながらも魯肉飯を仕込むためには豚バラの塊を切らなければいけない。

10kgの肉をおおよそ2cm角に切るのは右手がマトモに動いていたとしても単純に時間が掛かる作業だ。

溜め息を付いていても作業は捗らない。

重たくてウッカリ落としそうになる豚バラを無心になって切る。

先ず10L鍋に入る程良い大きさに切って、火が通る程度に下茹でをする。

その茹でたものを氷で冷やし、もしくは冷蔵庫で冷やしたものを包丁で切る。

生肉を切ることも出来なくはないが、脂身を蓄えた生のバラ肉は柔らかく脂で滑って切りにくい。

茹でて低温で堅くしたものを切るのが効率的だ。

途中何度も包丁を研いで、何度も湯で刃を洗う。

ステンレスの包丁が良くないのか!? 

北京にいた頃、市場で肉屋の阿姨( アーイー:おばちゃん )が切り分けてくれる時の包丁はどこにでもあるような鉄製の錆びて焦げ茶色になった包丁だったが、驚くほど良く切れるものだった。

一度手を動かすだけでシャーッと切れていた。

切れない包丁を使うときは、包丁を鋸のようにギコギコやってしまう。
今のところ、下茹でして低温にした肉を切る方法がベストと思われるが、果たしてどうなんだろう。

とにかく右手を動かして切り続けるのが、生活の中でのリハビリとなる。

 

9月3日カターレ出店の当日は、生憎の雨。

それも結構真剣に降っている。

出店の準備の時だけでも止んでもらいたいが、自然相手では容赦ない。

店からコーヒーの道具や魯肉飯の鍋やらテントやテーブル、、、、久しぶりの出店でクルマに荷物を積み込む段取りが上手くいかず、出発をするまでに酷く時間が掛かってしまった。

決められた搬入時間を厳守しないと、スタジアム周辺に集まり行き交う観客の邪魔をしながらクルマを侵入させなければならず、場内を誘導する警備員さん達に大迷惑をかけてしまう。

だがしかし、スタジアムまでの道路は雨のため、富山市では珍しい渋滞を起こしている。

ワイパーを速く動かしても視界が悪く運転していて無性にイライラする。

 

事故になったりしないよう気持ちを落ち着かせ、なんとか搬入時間の締め切りを8分過ぎてスタジアムの入り口に到着。

ゲートに立ってる一人目の警備員さんに「すみません!遅れました!搬入に来ました!太陽珈琲焙煎本舗です!」と声を掛けたら、予定されてるテントの位置までの脇道へ誘導してくれた。

そのまま徐行して進んでみると、顔見知りの警備員さんが待ち構えていてくれた。

クルマのドアのウインドウを開け「すみませ~ん!遅れました~!」と叫び、小言のひとつも言われるんじゃないかと思いきや。

雨の中彼は小走りに近寄って来て満面の笑みを浮かべながら「お帰りなさ~い」と言って迎えてくれた。

 

今月半ば頃、北京から長期出張で主に東京に滞在している于智为が富山にやって来る。

美味しいものを食べにとは言ってるが、結局のところ脳梗塞を患ったオヤジの様子を見に来てくれるのだ。

入院

7.11.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

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入院

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予想していた通り脳梗塞と診断され、直ぐに幾つかの錠剤を飲まされ点滴が始まった。

脳細胞のダメージがより大きくならないよう血液をサラサラにする薬を投与された。

ストレッチャーに寝かされたまま数人の看護師さんに囲まれ、「へぇ~、太陽珈琲さんだ!? 」「あの市電通り沿いのお店やろ? 」「前から気になっとたんよねぇ~」と歓迎しているがごとく愛想の良い対応してくれていた。

それぞれが現在の麻痺の症状を把握するために「私の手をギュッと握ってください」と言って来るので握り返そうとするのだが全然力が入らない。

病院に到着してから数時間の間もずっと緩やかに、状態は悪い方に進行し続けていたようだ。

そのまま入院することが決まって病室に運ばれた頃は既に12時を回ってたように記憶している。

当直の研修医のデスクの上に乗ってるモニターで、CT画像を見せられ脳の左側に霞が掛かっているその辺りにダメージが有るという事を確認した。

説明してもらわないと何も判らない。

当人自身には全く痛み等無い。

右半身が全体的に重たく感じ、右目の瞼が意図することなく下がって来る。

唇にも右側が歯医者に行った時に掛けられた麻酔のような痺れ、普段とは違う動きの鈍さを感じていた。

そのためなのか看護師さん達と話をするにもどことなく話しづらい。

もどかしい。

これが「ろれつが回らない」ということか!?
病室に入って少し落ち着いたところで、ふと我に返り、先行きが判らず不安に陥ってみたりし勝ちなものだと思うが、急に睡魔に襲われ寝てしまった。

左手は点滴右手は麻痺で身動きも出来ない。

テレビを見るでもない。

スマホでネットを見るでもない。

今後果てしない退屈な状態を過ごさなければならないのだろうと情けない気持ちになりながら落胆しつつも腹を括った。
とは言え、今まで体験したことのない新鮮な出来事に直面している。

一寝入りして、目が覚めてももちろん病室のベッドの上に居ることには変わりがないが、今を思えば差ほど気落ちしている風ではなかった。

午前3時頃だっただろうか、脳梗塞になっても当然尿意を催すものである。

病室に入った時に「何かあったらコレ押してくださいね~」と動かしづらい手元の近くに置いてもらったナースコールのボタンを思い出した。

でも、思った通りに手は動かない。

立ってトイレに行くことも出来ないに違いない状態で、どうやってオシッコするんだろう?

点滴をしている最中ということもあって、身体から管が出ているイメージが先行してしまい、このままベッドの上で尿を排出させるための「尿道カテーテル」を施されてしまう!? と勝手な妄想で占められてしまっていた。

何らかの原因で自力での排尿が困難な場合、尿道口から膀胱へチューブを挿入し、人工的に尿を排出させる方法だ。

10年くらい前だったか、まだ北京で生活していた頃、PM2.5の影響か何かで喉に違和感を感じて診てもらった時に鼻から胃カメラを入れられた事があった。

喉の様子を診るための内視鏡だ。

いわゆる口から飲む胃カメラのような黒い太い管状のものではなかったが、鼻は呼吸をするための場所であって管を出し入れするようには出来ていない。

かつて味わったことのない苦痛を強いられた記憶だけが残っている。

鼻はズルズル、目から涙も出てた。
それが、今度は尿道口から膀胱まで。

いったい何センチ有るんだ!?

想像を絶する苦痛を強いられる気がしてならない。

苦痛を恐れるあまりナースコールのボタンが押す気にならない。

でも、精神的な緊張感と共に容赦なく尿意が高まっていく。

もう少し待つか、今押すべきか!?

タイミング良く点滴の交換をするために看護師さんが来てくれた。

幸い少し年配の経験も充分そうな、婦長さんかもしれない威厳を持ち合わせた方だった。

点滴の交換が終わるのを見計らって、「あの……、トイレに行きたいんですけど」と恐る恐る申し出てみたら。

「あ、まだ動けないでしょ!? 尿器使ってね。」

とベットの脇に準備されていた柔らかい乳白色のプラ製尿瓶を差し出された。

「使った事無いんですけど……」

と応えると、

「ちょっと待ってねぇ~」

とすかさず新型コロナ対策なのか部屋の入り口に置いてあるビニール製の透明エプロンを付け、薄いラテックス製の手袋を嵌めながら、準備万端と言わんばかりに手袋の端をパチンと鳴らした。

婦長さんには全く躊躇は見られない。

むしろ戦闘態勢のスイッチが入った。

有無も言わさず掛け布団を剥ぎ、病衣の下からトランクスを下ろし、迷いの無い慣れた手つきで、親指と人差し指二本でひょい摘まんで尿器の入り口にあてがわれた。

不意を突かれ、声には出なかったが「ひぃ~っ!」って悲鳴を上げそうになった。

婦長さんは、再び上に覆うかのように掛け布団を掛けて「少ししたら戻って来ますね~」と言って部屋を出て行った。今のうちに用を足しておけと言うことか。

そうは言っても、半世紀余り生きて来て横になった状態で用を足した記憶が無い。

婦長さんの手際の良さのあまり、先程のように高まっていた尿意が一瞬落ち着いてしまったようだった。

些か踏ん張るかの如くなんとか尿器に用を足し、さてどうしたものかとひと息付くや否や婦長さんが「おつかされさま~」と再登場。

ドアの外で控えて待ってたのかと思うぐらいの絶妙で無駄の無い間での登場だった。
お陰で、入院第一夜、ダメージを受けていると思われる頭の中で膨らんでいたカテーテル導入の恐怖からはあっさりと逃れられ、そのまましっかり静かに眠りに就けた。

しかし、普段の生活に比べ病院の朝は早い。

一寝入りすると、朝食の配膳のために廊下を行き交う人達がいて自然と目が覚めた。
思いの外、病院食が美味く感じられた。

病院なう。

5.5.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

For Enjoying Toyama Life !

病院なう。

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右手に持っていたチーズをポロッと落とし、Amazonの段ボール箱に倒れ込んでから4時間後。

富山市民病院の救急センターで測った血圧は上が 220 。

一昔前は「動かしちゃダメ!」と言われていた脳卒中(急性期脳血管障害)だが、いつの間にか病衣に着替えさせられ、ストレッチャーに横たわったまま移動しCTやMRIや心電図を採られ、当直の研修医には「ギリギリだなぁ~!」と言われつつ、血液をサラサラにする効果の点滴をつなげられ、そのまま即入院となった。


医者のデスクの上にあるモニターにはモノクロのCT画像が出されており、左脳の辺りが黒く曇りがかっている。

発症から病院に来るまでの間で右半身が重たくなり、右目が開きにくくなり口も呂律が回りにくい。

納得の右半身の麻痺。

緩やかだが進行している。

 

診察を受ける前に受付で書かされた書類の中に臓器移植提供の意思確認をするものがありヒヤッとさせられたのだが、考えてみれば脳の血管が詰まったり破れたりする脳梗塞や脳出血により脳が司っていた身体機能や言語機能が失われたりする可能性は充分有り、場合によっては生理機能に問題が生じ死に至る可能性も無くは無い。


少しずつヤバイ事態に陥ってしまった事を自覚せざるを得ない。

病棟に移る際には付き添って来てくれていた妻とも別れ帰宅してもらう。

コロナ禍でなければ病室まで来てもらい身の回りの事など整えてもらえるようなのだが、時節柄それらは叶わない。

病院に来た時まで来ていた服、コートやトレーナーやシャツ、ズボンや履き物に至まで全て45L以上のゴミ袋に詰め込まれ持って帰ってもらうことになった。

既に深夜になってるにも関わらず流れるように何人もの看護師さん達の手によって病室に運ばれ一段落。

手元に残してもらえたのはスマホを含めた財布などいつも持ち歩いてるバッグだけ。

ひとりになって何もする事が無い。

かと言ってベッドの上では左腕にずっと点滴につなげられ右半身の麻痺の進行もあって、寝返りを打つのがやっと。

動かしづらい右手でスマホのカメラを操作し、点滴されてる様子を撮影しFacebookに「病院なう。」と状況をアップした。

まんじりともせず。

 


ところが入院したばかりの第一夜。

夜勤の看護師さん達は絶え間なく点滴を交換に来てくれる。

患者の名前を確認し、体温を測り血圧を測り、血糖値を測り、足の曲げ伸ばし具合をチェックして、「私の手をギュッと握ってください」と手の握力を確認し、腕の上がり具合や目の動きも観察してくれる。

通常市民病院の看護師さんは一日2人がペアになっていて3交代。

一日6人が熱心に様子を伺いに来てくれる。

更に医師の診察があり、日によってはX線や心電図の検査が加わったりする。

そして、一日3食きっちり食事が運ばれて来る。

入院患者の一日は想像していたものとは打って変わって、何かと慌ただしく忙しいものなのだと実体験する事になった。

OH, NO !

4.5.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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OH, NO !

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コロナ禍において丸の内店舗の営業はしばらくしない。
そう決めてから店舗内は、テント出店のための道具やら荷物やらで倉庫としての様相を呈している。

コーヒーを試飲してもらうお客さえも招き入れない方針なのだから、冬場の気温が低い日でも暖房は石油ファンヒーターで作業するときの自分の足下を温める程度にしていた。
今思うと、それも良くない原因のひとつだったのかもしれない。

 

お金を稼ぐのが仕事なのだから、請求書を書くのは「楽しい」という感情の部類にカテゴライズされモチベーションがいっそう上がっても良さそうなものなのだが、苦手な事務作業の中でも最も時間が掛かってしまい一向に捗ることがない。

区切りの良いところで一旦止めてランチにしておけば良かったのだが、ゴールがまったく見えて来ない嫌いな会計作業という事もあり沼に嵌まってしまって食べ損ねていた。

カウンター奥のコールドテーブルの中に何かあるかもしれないと漁ってみたら、カマンベールチーズが手付かずで丸々残っていた。

お手軽なので包み紙を剝いて一口齧り付き、再び作業に戻ろうとテーブルに戻ろうとしたら、ウッカリ右手の親指と人差し指からポロッと食べかけのチーズを床に落としてしまった。

 

「あ~~勿体ない! まだ一口しか食べてないのに!」と思いながら、しゃがみ込んで椅子の下に転がってしまったカマンベールを拾った。

「…………なんだ!?」

普段手に持ってるモノを落としてしまう事なんて滅多に無いので、瞬間的に不思議な違和感を感じた。

チーズを拾って、そのままゴミ箱へ捨てに行こうと一、二歩動いた途端、今度は目の前のAmazonの段ボールの空箱を積み上げた山へ頭から突っ込んだ。

その時は「くそっ!」と思いながらも、足がもつれたのは気になする事も無く、今度はチーズをつまんだままになってる右手の指が不思議と感覚が鈍いように思え気がかりとなった。

何かに手を打ち付けた記憶はない。

特に痛みが有る訳でもない。

そして、もう会計作業を続ける気は失せてしまった。

「とりあえず、コーヒーを飲もう!」

カウンター上に置いてあるデロンギの全自動コーヒーメーカーマグニフィカSのスイッチを入れた。
基本的にハンドドリップでコーヒーを淹れるのだが、ウチのコーヒー豆を定期的に購入してくれる飲食店さんが使ってるコーヒーマシンなので、店でもテイストやフレーバーを確認するために置いてみたがのだ。

これがスイッチを入れて間もなくボタンを押すだけでホットコーヒーを淹れられるのだから、ラクに使える余りそのままカウンターの上に鎮座しているシロモノだ。

そして、この日は、19:00~21:00で越中大手市場の定例オンラインミーティングの日でもあった。

18:00頃になって、妻が勤めている会社の退社時間が過ぎて良い頃合いになったので、一応オンラインミーティングがあるため、帰宅せずにそのまま店に残ることをメッセンジャーで伝えようとした。

スマホの文字を打つのにどうもミスタッチが多い。

捗らないのだ。指が太いからというような原因ではないミスだ。

指が痺れるという表現は的を射てない。

メッセージを打つ右手の指の感覚が鈍いのだ。

メッセージを打ちながら、この後店に残ることを伝える内容から右手の感覚が鈍いという内容に変化し、病院へ行ってみた方が良いというところまでの展開となった。

やがて30分程後、妻は会社から自転車を飛ばしてやって来てくれた。
店のテーブルに広げていた会計の書類やパソコンを片付け、暖房を消し電灯を消しながら病院へいく準備をする。

何かが進行して緩やかに体調が悪くなっていくような身体が重くなっていくようにも感じられた。

自家用車のN-VANを自分で運転して病院に到達出来たとしても、自走して帰って来られる自信はすっかり失われていた。
富タクへ電話してもらって、タクシーに店まで来てもらうことに。

東京と違って富山で流しのタクシーを都合良く捕まえられる事はまず無いと思って良い。

待ってる間、暖房を消してしまった店内は結構気温が下がり寒さを感じるくらいにまでなっていた。

ミーティングをドタキャンしてしまうことをメッセンジャーグループに送信し、タクシーを待った。

前もって銀行に寄ることも出来なかったので、タクシー代を支払う現金が足りなくなるのではと少々心配をしていたのだが、運転席の後ろのアクリルボードにPayPayが使えることを示すステッカーが貼ってあったので、安心して後部座席にぐったりして倒れ込んでいられた。
どんどん体調が思わしくない方へ向かい右半身が鈍くなって、顔や口でも麻痺を感じられるようになって来てるので、自分自身でも「いわゆる脳梗塞というヤツだ!」と判断するに至った。
ちょうど一年前、大学時代の同期のヤマグチが罹ったやつだ。

たまたま上京する用事があったので、病室まで見舞いに行って「血圧が高いのってヤバイよね~。明日は我が身だぁ~!」と、口では言っていたものの、まさかその一年後に本当に自分自身の身に降り掛かる事になるとは。全くの想定外の事だった。
緊急を要する事態とはこれっぽっちも考えずに「富山中央病院へ」と行き先を伝えたのだが、着いてみたら病院の受付で「今日は救急お休みなんですよ!」と残酷な返答。

富山市では、救急を受け持つ病院が定期的に交替するらしい。

呆れて冗談交じりに「死んだらどうすんだよ!?」と苦笑してしまった。

仕方なく富山市民病院へ移動せざるを得ない事態に陥り、あらためて妻にタクシーを呼んでもらった。

今を思えば、最初から太陽珈琲の店舗へ救急車を呼ぶべきだった。

そして、中央病院からも救急車に乗るべきだったのかもしれない。

かつて脳卒中と呼ばれる脳血管障害は、発症したと思われた時点から身体を動かさず安静にしなければならないとされていたようだ。

ところが、現代医療では対応がアップデートされ、発症からとにかく早期に発見され対処されることにより重症化を避けることが出来るとされている。

結局、富山市民病院の救急センターで診てもらえたのが右手からチーズを落として4時間後。

救急の医者の第一声は、その場に居合わせている患者の気持ちに対して配慮している暇など無いからなのか「発症したのは何時? ギリギリだなぁ~!?」というオブラートに包まれていないナマの発言を聞かされる事になった。

救急外来のエリアでは何人もの患者と思われる人が横たわっており、医者や看護士が小走りに動き回って対処している。

家族は中に入れてもらえず廊下で待っていなければいけなかったようで。

自分は気が付くと、いつの間にか着ていた服を全部脱がされ、前開きの浴衣のような病衣に着替えさせられていた。

部屋の奥の方では、小さな女の子が「イターイ~、イターイ~」と泣いていたり、首が動かせる範囲の見えるところでは頭から血を流してる老人が呻き声を上げていた。

ドラマや映画で見たことのあるような光景の中、ストレチャーに乗せられたまま病院の廊下を移動して、CTやら心電図やら採られていた。

ストレッチャーに乗ったまま仰向けになって目を開けてると、移動してるからなのか具合が悪いからなのか、目が回るようで気持ちが悪い。

就いてくれた研修医がモニターでモノクロのCT画像を見せてくれた。

自分自身で上から見たの脳幹部の左側に薄黒くくすんだ部分を確認した頃には、しっかり右半身の麻痺をも自覚出来るくらいになっていた。
当然そのまま入院することになり、いろいろな手続きが進められる中、看護士が書類を持って来て、なんの気兼ねもなく「臓器提供の意思登録されてますか?」と尋ねられた。

つい先程まで右手から落としたチーズを勿体ないと思っていたところに臓器提供とは、思いも因らない質問に不意を突かれ、一瞬時が止まった。

最近では運転免許証の裏面に臓器提供意思表示記入欄が儲けられており、意思表示出来るようになっていることは知識としては知っていた。

また、それで意思表示をしてはいなかったものの、提供するなら煙草を吸う習慣がなかった者としては肺が綺麗に違いない。

ぷりぷりで断然オススメだなとも思っていた。
だが、「エッ!? 脳死の可能性があるの?」と思わず問い返してしまった。
それくらい、今自分が置かれている現状に対する認識が伴っていなかった。
普段から血圧が普通より高いという自覚はあったが、健康診断など10年以上受けたことがなかったし人間ドックなど考えたこともなかった。
「病気」というものは、医者の診断によて病名を名付けられるから病気になるものだと思っていた。

 

入院が決まって、病室のベッドの上で測ってもらった血圧は上が220。

自分でも今まで聞いたことがない数値だった。

越中稲荷神社

2.5.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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越中稲荷神社

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七年目となる越中稲荷神社での初詣テント出店。

毎年やることは同じでも、年齢を重ねるごとに体力的にキツく感じるようになってきている。

逆に、テント出店せずに新年を迎えた感じになれなかったりもする。

 

それにしても、去年は辛かった。

例によって夫婦して大晦日よりテントを設営し早々に訪れる初詣客を迎えた後、人が途絶えたのを見計らって一端休憩の為その場を離れた。

その後の予想を遙かに上回る大雪に、柔なタープテントは数時間降り続いた雪の重みに耐えかね、それぞれの足がグニャリと曲がり開脚してしまって潰れて全く用をなさなくなってしまっていた。

そのため、しばらくしてその場に戻って来て、一月一日の元旦から雪で潰されたテントの残骸の中からコーヒー機器を救出し、壊れたテントを束ねて処理し、疲れ果てて営業再開に漕ぎ着けるという無駄な労力を使うことになってしまった。

その後も大雪は続き、富山市の主要道路は除雪が全く追いついておらず、自分も4WDのエルグランドに乗っていながら雪に足を取られスタックし、保険会社のロードサービスにレスキューコールするもロードサービスの車両自体も現場に駆けつけられないという理由で、結果的にロードサービスにも見捨てられてしまった忘れられない大雪の日、1月18日だった。

 

そして、今年2022年寅年。

聞いたこともなかったラニーニャ現象だかの影響で早々にまた大雪になる事が予想され、学習した富山県民は、雪で屋内に閉じ込められても良いようにと非常食や水、インスタントラーメンを買い込んだ。

自営業で客商売を営む者は広い面積の駐車場を所持し管理していがちなものなので、秋くらいから大型特殊免許を取得し除雪用のホイールローダーを操作できるように備えたりしていた。

果たして、不意を突かれた去年と比べると全く足下に及ぶものではなかったのだが。

ウチの場合は、昨年まで乗っていたお気に入りのディーゼルのエルグランド4WDは5月に車検がやって来てしまって、幾つかの修理箇所を直して車検を通すよりかは新しいクルマのローンの足しにするべく修理代を新車に充てた方が経済的だと周囲から説明され、苦楽を共にしたエルグランドと別れ、泣く泣く乗り換えることを決意した。

 

次に選ぶは  N-VAN  。

軽自動車にしたのはいつまで続くかサッパリな景気への燃料費軽減対策とペーパードライバーと化して移動にいささか不自由に感じ始めている妻が運転を試みるキッカケになればという思いから。

日本に於ける車検制度を踏まえると、お気に入りなクルマがあったとしても古くなって乗り続けるのが難しい。

古くなったクルマを直しながら乗るというよりは、どんどん新しいクルマに乗り換えさせる方針なのだと感じた。

そういう国策なのだ。

そして、今後、燃料など日本独自で価格を決められるものではない。

ましてや世界は電気自動車にシフトしつつある。

10年後ガソリンエンジンの自家用車に乗っていられるとも限らない。

とはいえ新しい電気自動車には飛びつけないし、そもそも好きじゃない。

むしろ嫌いだ。

日常の移動手段として使う道具としては経済的でエコで進歩的でもある。

でも、クルマは何か有った時の非常時にこそ役立って欲しい道具である。

洪水で辺りが水没した時、土砂崩れや地震や災害時の足場が悪いところ、富山のように大雪が降ったりする地域にとって自然に対して気を引き締めて生活しないといけないツールである。

そう考えると電気自動車というものは大きく考えの偏りがあり、イザとなった時には使えない粗大ゴミとなったりする。

 

そして、この新しい N-VAN 。

このコロナ禍の御時世なのか世界情勢なのか、半導体やら部品が工場に揃わないという理由で、納車までに6ヶ月余り、12月上旬になってやっと富山の路上で運転出来るようになったのだった。

 

当然言うまでも無くこの N-VAN も4WD。

冬のデビューとなってしまったが何の心配も要らない。

重要なのはテント出店で持ち運ぶ荷物たちを積んで現場まで運べる能力。

カジュアル系軽貨物自動車なので、荷物のレイアウトを工夫すれば先のエルグランドとほぼ同じくらいの荷物を載せられる。

更に、燃費も良い。

優秀君だ。

 

大晦日。

荷物を積んでイザ越中稲荷神社へ。

既に30cm近くの積雪があったが、非常に首尾良く22時には営業を始められていた。

店開きを終えるまで N-VAN を設営したテントに横付けにしていたでので、傍若無人にいつまででも駐めておける訳もなく、予定していた駐車場へと移動させることにした。

行ってみると、その駐車場いや、もとい空き地だ。

その空き地は、入り口から辺り一面に真っ白のフワフワの新雪になっていた。

そういう綺麗な新雪には無防備に身を預け、思い切ってダイブしたいもの。

今回運転し慣れていない N-VAN に乗っていたにも関わらず、そんな衝動に駆られてしまったのだ。

新雪の中に、新しい N-VAN で「うぇ~~~ぃ!」だ。

N-VAN はちょうどクルマ一台分くらい突っ込んだ所で止まった。

全然問題ない。

この N-VAN は四駆なんだぞ。

、、、、、、、「あれっ!?」

最近の新しいクルマはデジタル制御されていて、空回りのようなタイヤに無駄な動きをさせないためなのか理由はさっぱり解らないが、アクセルを踏み込んでもタイヤが回ってくれる気配が無い。

スタックしたぁ!!!!

首尾良く開店出来たので,スタックから脱出するのに時間を費やすのは勿体ない。

N-VAN をそのままにして、徒歩でテントに戻り、カウントダウンをする間もなく新年2022年を迎えた。

 

2021年1月18日、大雪でエルグランドが動けなくなってしまい、ロードサービスを呼んでも来てもらえなかったことを決して忘れない。

あの時ほど大雪ではないにしても今回の N-VAN のスタックは、1月1日元旦である。

世の中の動きが止まっている日。

多くの人々はお雑煮喰ってお屠蘇飲んでテレビ見てゴロゴロしてるに違いない。

誰か初詣に来るついでにレスキューしてもらおうと思いつき、Facebookのタイムラインを見た。そうしたら、土偶が、自宅玄関先に積もった雪を除雪してる様子をアップしたばかりだった。

2022年令和4年初のラッキーが訪れてくれた。

午前中のうちに牽引ロープを携えハイエース4WDで駆けつけてくれ、 N-VAN は難無くスタックから脱出することが出来た。

太陽珈琲PANGBIAN

12.5.2021

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太陽珈琲PANGBIAN

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2021年11月30日午前0時から当面年末まで、日本は全世界からの外国人の入国を原則停止することを決めた。

新型コロナウイルスの新たな変質株「オミクロン株」の感染が各国に広がっている為だ。


富山県に住んでる者としては、正直なところ報道や都会の様子との温度差を感じざるを得ない。

11月に入ってからの富山県は新規感染者0人の日が長く続いており、27日県外の滞在歴がない70代男性が1人軽症で入院されたことが26日振りのニュースとなった程度なのである。

天気に恵まれた日曜日11/28の毎月レギュラーで参加しているイベントでは、普通に外出出来ることを待ち侘びていた親子連れで溢れかえった。

街に人出が戻り、閑散としていた飲食店にも少しずつ人が戻って来ている様子。

 

この秋で、太陽珈琲焙煎本舗が入ってる建物の他のテナントさん達は廃業され、最終的にウチだけが残ってしまった。この建物の大家さんは、冗談交じりに「隣も借りてくれないか!?」と言うが、今のこの場所の集客能力と家賃が見合わないと思っている最中、店舗面積と共に固定費の家賃を二倍にしてマトモに存続出来る自信がない。

もうこの場所で、コロナ禍以前と同じようにコーヒー豆の焙煎をして販売する店を再開する気になれないのだ。

そして、異常気象の影響か日本海側に、昨年に引き続き今年もラニーニャ現象で大雪が予想されている。

昨年の災害レベルのような大雪をイメージするなら、一般庶民は自宅に閉じ込められ生活必需品すらも買い物に出掛けられなくなる。

もう元には戻れないのだ。

店を構えて胡坐をかいてお客を待っている場合ではないのだ。

今は、人が集まる場所やイベントに出向いて出店する方法を選んで、ギリギリなんとか存続出来ている。

今後この状況を更に好転させるには、、、。

時を同じくして、ひとりの演劇人からメッセンジャーに連絡が入った。

「六渡さん、お元気でしょうか? 11月終わりから12月第一週までのどこかで富山でステージやらせていただくことは出来ますでしょうか。」

コレは、富山のステージを牛耳っているヤツ宛のメッセージなのか!?

次の一手を考えあぐねている矢先だっただけに、思わず笑ってしまった。

忘れもしない2020年3月28日、公演予定だった『ひょうげば富山+しめんげき』公演の中止を余儀なくされ、今度は2021年12月19日『清水宏の帰ってきたスタンダップコメディ~富山の皆さんお久しぶりです公演!』で演劇部門を再始動することになった。
俳優でありスタンダップコメディアンである清水宏氏の三度目の来県となる。

彼の事は知る人ぞ知る、2010年から英語でスタンダップコメデイを始め、世界最大のシアターフェス、イギリスのエジンバラ・フリンジ・フェスティバルに参加。

英国の大手新聞社THE TIMESの取材を受け、全国版に特集された程の人物だ。

前回富山に来てもらった時は、太陽珈琲焙煎本舗の店内にぎゅうぎゅう詰めで25人程。

駅前にある小劇場やホールを持つ地方公共団体の施設は、コロナの影響に非常に敏感で利用するにはリスクも大きい。今回は、当店の隣の物件がちょうど空いているので短期間借りることにして。

会場名は「PANGBIAN」中国語で「 旁边 (隣) 」の意味。

密を避けて30人程2ステージ行う。 

中止した『ひょうげば富山+しめんげき』公演の時と同様、新型コロナ感染防止対策は抜かりなくしっかりやるつもりだ。

動員数は多いとは言えない数だけれど、自分の意思を持ってフットワーク良く出来るところから、少しずつ動き出す。もし再びコロナが蔓延して状況が悪い方向へ向いたとしてもなんとか切り抜けられる感がある。

そんな現状に突破口を開いてくれるような熱い男が富山にやって来る。

直径32cmの半寸胴鍋

11.5.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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直径32cmの半寸胴鍋

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既に記憶が曖昧になってきているが、2020年3月28日に企画していた『ひょうげば富山+しめんげき』公演を新型コロナ感染拡大防止を鑑みて泣く泣く中止にして、その流れの中で太陽珈琲焙煎本舗の丸の内の店舗営業も自粛を理由に一般向けには休業にしてしまって久しい。

一方で、屋外に於けるマルシェやイベントのテント出店を積極的に行っているため、店内はそれらの荷物の置き場所となりコーヒー豆の焙煎作業場&倉庫と化している。
ある時から思い立ってスパイスを使ったカレーを作るようになり、それをテント出店の場でも提供するようになった。

客単価を上げるためというのが建前のひとつで、実のところは作っていて楽しいからでしかない。
 

今日は、某社の社員寮で行われる「カレーの日」イベントで提供される何種類かの一部として、2種類のカレーを50人前ずつ作って納品した。

「バターチキンカレー」と「豚肉と大根のカレー」。

どちらも50人前となると相当な量になる。

いつも使っている直径32cmの半寸胴鍋が23Lなので、確実に20L以上の内容になっており重さは20kgを越えるものとなっている。
高さが80cm程あるガスコンロからその鍋を下ろす時、一瞬たじろいでしまった。

重いのである。

重い物を持つ時は、気合いを入れて膝を曲げて真上に立ち上がるようにする。

決して腰を支点にして持ち上げてはならない。

 

もうこれは、コーヒー屋の仕事じゃないな。

新型コロナに直面して、世の中はもう以前のような元通りのカタチに戻れないだろうし、業態を変えてしまう事くらいを考え、やれる事をやって生き残れば良いと思う。



もう25年も前のこと。

90年代。

まだフィルムを使って撮影をする時代だったこともあり、写真を撮影するためには多くの重たい機材を持って出掛けなければならなかった。

今でこそ撮影するカメラはデジタルになり、照明機材はコンパクトになり軽量化された別のものに変わった。

当時周囲の先輩カメラマン達に「カメラマンは30前後で必ず腰を痛めるから」と散々注意を促されていた。
世の中がバブルで景気が良かったこともあって、まずは自分なりの腰痛対策としてスポーツジムに通うことにした。

新宿高層ビルの中にあるジムで入会金だけでも30万円くらい払った記憶がある。

「職業、フォトグラファー。仕事の後はスカッシュ。UFO信じる。……」

バブル時代の広告のコピーに習ったつもりは無かったが、特に何も考えずスカッシュを始めることにした。

でも、これがいけなかった。

右手にラケットを持ってスウィングする。

この片方向に偏る運動を繰り返すために、やや腰痛を抱え始めた者にとって本格的な腰痛持ちになってしまったのである。

後に、結局三日坊主のごとくスポーツジムには行かなくなってしまうのだが。


次に、何かメンテナンスを施さなくてはと思い、当時住んでいた恵比寿から徒歩で通える整体院を探し出した。

今のようにネットを使って評判を検索する術も無かったので、電話帳を使って恵比寿周辺の何軒かに電話して様子を伺った。

一度に回数券を購入させられるところもあれば、健康保険が利くところもあり、いろいろ選択に迷うところではあったが、一軒だけ掛けると留守番電話になり「施術中は電話に出られません。こちらから折り返し電話をしますので電話番号をお知らせください。」といった内容のメッセージが流れた。

単純に一人だけで営業しているのだと想像出来るが、施術を中断されるであろう電話を取らずに目の当たりにしている患者を一心不乱に診てくれるような気がして、そこに行く事に決めた。

その後、何かに付けて整体に行くようになり、その頃はいわゆるギックリ腰にはならずに生活することが出来ていた。

2005年より北京に移住して。

2008年の北京オリンピックを終えるまでは日本から依頼される写真の仕事で辛うじて食いつないでいた。

時折、現地の雑誌の仕事もしたりして、未だフィルム撮影もしていたけれど、現像所の仕事が粗い。

シビアなオーダーをしても応えてもらえない様子だった。

自然とデジタルでの撮影の比重が多くなった。

一眼レフで撮影するスタイルは大して変わるものではないが、メディアが変わるだけで持ち歩く撮影機材が変わっていった。

フィルムに対するノスタルジックな思いを抱えながらも、撮ってイメージを伝える作業には変わりがないんだと自分に言い聞かせ次第に移行していった。

そして、2006年頃からカフェに興味を持ち始める。

普段の生活の中で、基本的な移動はタクシーを使うのが便利だった。

バスは更に安い料金で利用出来たはずだったが、バス停でバスが来る時間を待つのが嫌で我慢出来なかった。

日本で生活していた頃のように重たい写真機材を持ち歩く機会が少なくなったとはいえ、やはり腰に不安を覚える事は多々有り、いくつかの鍼灸治療院と出会うことになる。
大企業の駐在員さんならば会社の経費でセキュリティがしっかりしている綺麗なマンションに住むのが普通なのだが、こちらは物好きな個人が海外生活をしたいがために渡航しているので、経済的理由から普通の中国人が住むローカルのアパートに住んでいた。

日本では殆どの家庭に風呂があり、風呂場には湯船があるのが疑いようのないのスタイルだ。

海外でしっかりしたホテルは別として、安いホテルやアパートにはシャワールームが有ってもたっぷりお湯を使う湯船があるところは滅多に見掛ける事は無い。

北京で住んでいたローカルアパートも御多分に漏れず、シャワールームには湯船が備え付けられていなかった。

入居した当時は北京オリンピック前で未だ物価が安かった事もあり、湯船だけ自前で購入しようかとも考えたのだが、排水溝の作りがあまりに陳腐で、仮に湯船をシャワールームに入れられたとしても湯船に溜めた湯を一気に排水した場合排水が追いつかずシャワルームから大量の湯が溢れ出てしまう事が明らかで、湯船の購入は断念せざるを得なかった。
北海道よりも寒いかもしれない北京に於いて風呂が無い生活は、たまに高級マンションの敷地の一角に有るスーパー銭湯のような場所を利用してはいたものの、日頃の生活から自然とカラダが冷えてしまい、特にウィークポイントになりがちな腰にはかなりのダメージを与えていたと思われる。

また丁度四十肩に見舞われてしまう年齢でもあった。
実際、北京で生活している時に初めてギックリ腰になってしまう。

初めての体験でも、これがギックリ腰なんだと瞬時に自覚出来るくらいピキッと来るものだった。

そして直ぐに痛みのあまり動けなくなった。

仕方なく最寄りの鍼灸治療院で評判の良い中国人の先生の治療を体験する。

疲れが溜まったた腰の部分の良くない悪血を出す治療で、腰の患部の辺りを鍼で傷つけガラス製カップを使って悪血を吸引するのである。

その時は、ハンカチくらいの白い布が真っ赤になるくらいの血が出た。

加えて整体のような治療も受けて、その時は比較的短時間で難を逃れられたと思われる。

その後、中国に鍼灸を学びに留学している日本人の先生と出会えたのは本当に運が良かったとしか言いようがない。

確実に言葉が通じて微妙なところを理解してもらえる安心感は非常に大きなものだった。

お陰でその先生には腰や肩の痛みに限らず、主治医のごとく何かにつけカラダにネガティブな感覚を覚える度に診てもらっていた。

風邪が悪化して高熱を発している時は、耳から悪血を出して解熱を促したり、花粉症の時は箸のように長いステンレスの鍼で鼻の奥の炎症に働きかけてくれたりもした。
西洋医学の薬は痛みに対して、痛くないように薬で対処するものだが、この東洋医学はカラダの痛みの原因を改善するように働きかけてくれるものだった。

特にこの先生の鍼に関しては、カラダの中で眠っている神経を鍼の刺激によって呼び覚まして元気を与えてくれるものだった。

秋が深まり気温がグッと下がり始める季節になると、ぼちぼちカラダのメンテナンスが必要だと感じる。

黒いやつらがやって来た!

10.5.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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黒いやつらがやって来た!

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新型コロナが蔓延し始めた2020年春より、太陽珈琲焙煎本舗の丸の内ある店舗は通常の営業を止め、店以外の屋外イベント、マルシェや蚤の市での出店を積極的に行ってきた。

当店はコーヒー豆の販売とコーヒーの抽出機器の販売が主で、有料によるコーヒーの試飲を目的として来店されるお客も若干数ながらいた。

富山でも地方自治体の助成金を申請して店内にコロナ拡散防止対策考慮した工事を早々に施すお店が多い中、新型コロナが終息したとしても、もう世の中は元通りには戻らないと踏んだ。

しばらくはヤレることをヤルのみ。

様子を見ることにして、場合によっては業態を大胆に大きく変更をする必要もあるかもしれない!? と。

 


毎週土曜日は黒崎屋さんの店先に出店させてもらっている。

富山市と高岡市を結ぶ国道8号線の南側に位置している魚屋さん。

独自の仕入れルートがあったり、魚を神経締めする手間を惜しまないからなのか、普通のスーパーマーケットに入ってる魚屋さんなどとは大きく差を付けて身が締まった刺身を提供してくれる。

全然違うのだ!
黒崎屋さんの営業は月曜から土曜、09:00~19:00。日曜は河岸がお休みなのでお休み。

富山市内の多くの飲食店さん、時にはお寿司屋さんまでもが開店前から店先に並んで扉が開くのを待っている。

朝イチの09:00に扉が開く前に並ばれる飲食店さん達は、魚丸ごと一匹とか柵で購入される。

特別な予め注文が入ってる魚達は裏口からやり取りされ、午後になると一般のお客さん用にお造りにされたパッケージされた状態で店先に並ぶのである。
そして、富山市近郊の農家で栽培されている季節の野菜や風変わりな野菜も売られている事も忘れてはいけない。

赤い大根や白い苦瓜など単純に珍しい野菜が並ぶので店内を見るだけでも楽しい。

それら、富山県内のいくつものミシュラン星獲得レストランの食材として提供されている。

( あ! 太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆も、ミシュランの星を獲得されてるレストランに卸してます。)

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そんな農家さんの一人、青ちゃんの家で7月30日猫が12匹生まれた。

以前から、何気なく「黒い猫が欲しいな~!」などと言ってた事を覚えてもらっていたらしく、その12匹の中に「黒っぽいやつが2匹いるよ!」と連絡をもらい、即決。

迷わず2匹とも引き取ることにした。

大学を卒業した頃、東京で生まれて目が開いたばかりの子猫を2匹拾ってしまって、そのまま育てることになった経緯もあったので、今回も何かしらの縁があったように思えた。

生後4週間後親猫の母乳でしばらく育てられてから、2匹はウチにやって来た。

ちょうどミルクから離乳食へ移行するタイミング。

30年前飼っていた子猫達にも哺乳瓶でミルクをやっていた記憶があるが、離乳食などどうしていたのか全然覚えていない。

あらためてネットのブログやらYouTubeで確認してみると、時代が変わって猫達の地位はカナリ向上したように思える。

まず出自がハッキリしない野良猫に近い立場の猫は、獣医師に診てもらって健康診断してもらうべきだという事を知った。

猫もHIVや寄生虫など感染症に罹ってる可能性があるので、血液検査をしてもらったり身体検査、尿検査、便検査をしてもらうようだ。

それに、ミルクの後は適当に猫マンマを与えておけば良いという安易な認識だったが、どうも人間の食べ物を与える事が猫にとっては塩分の関係で腎臓に悪影響を及ぼしてしまうらしい。
良いタイミングで猫用ケージを譲ってもらったりもして、2匹は自宅で留守番をする形で飼う予定だったのだが、トイレの習慣を身に付けてもらわなくてはいけないし食事の時間や回数の事もあるので、しばらくキャリーバッグに入って一緒に出勤している。

店に置いてあるケージの中で寝ている時は静かで何の問題も無いのだが、起きてる時はケージの中で走り回って大運動会である。

こちらが焙煎をし終えた後ケージを覗いて目が合ったりすると、「腹減った~!」とか「ココから出せ~!」とか「遊んでくれ~!」とか、2匹揃って容赦なくニャーニャー訴えて来る。

そうなると、ほぼ根負けして彼らの言うことを聞き入れてしまう。
彼らがウチにやって来て一ヶ月足らず、すっかり猫の親バカの出来上がり。

2匹とも雄。

クロネコの大和 ( ヤマト ) とクロネコの端午 ( タンゴ ) と名付け、家内安全、商売繁盛、ウチの招き猫に就任した。

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コロナ禍のオーディション

9.5.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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コロナ禍のオーディション

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北陸の中でも比較的人流が少ない富山ならばきっと大丈夫だろうと誰もが思っていたはずだ。

今までは常に石川の方が感染者数は多く、北陸の中でも観光地であり普段から人流が絶えることがない金沢がダントツで密になる都市である限り、富山の感染者数はそれらの足下にも及ばないものだとばかり思っていた。

そうして、五輪が実施されるなら、夏休みが始まったから、お盆になったからと8月に入った途端、富山市内の主要な道路では県外ナンバーのクルマを頻繁に見掛けるようになり、家族ぐるみで利用するようなファミレスや店舗面積の広い回転寿司屋などが書き入れ時の時間帯になると普通に満席になるようになっていた。

そして当然の結果、富山県内の一日の感染者数は100人を超えるようになった。

今年2021年8月10日には県内で感染者や入院者の増加が続いているとして、県独自の感染拡大特別警報(富山アラート)を発令したが、その後も県内の感染拡大に歯止めが掛からず、8月16日には富山県感染拡大特別警報の警戒レベルはステージ3に引き上げられた。

また、8月20日から9月12日まで県内全域の約4千店を対象に午後8時以降の営業自粛を要請。

富山市を軸に まん延防止等重点措置の適用地域となった。

こんな最悪な状況まで想定されていたかどうかは判らないが、富山県と石川県で某映画のキャスト、エキストラの選出目的での公開オーディションが8月27日、28日、29日の三日間予定されていた。

公募要項には、コロナ禍であることを考慮し動画審査の受付も⾏うとも書いてあった。
となると、直接面接を受けるより、動画での応募者の方が応募者側に手間が掛かるだけに、監督を始め審査をするスタッフに印象深く目に留めてもらえる可能性が高いと推測される。あとは日程さえ合うのなら、映像を送った後に駄目押しで直接面接会場に出向きオーディションを受けても良いのだ。

 

まずは自分で印象深い動画を撮ることが必要だ。

昨年から興味を抱いて最近購入したiPhone用ジンバル・スタビライザーを使って動画の撮影をしようと思いついた。

iPhoneのお陰で写真も動画もお気軽に撮影出来るものになって久しい。そのiPhoneの動画の撮影とはいえ、スタビライザーを付けて映像を見る時に煩わしく感じる手ブレ振動を除去してやりさえすれば、整然とすっきりした映像に見えるはずだ。

ましてや映像のプロならそれらの映像の工夫が加えられたものだと気付くに違いない。

むしろ気付かないような撮影組には関わらない方が良いはずだ。
DJI OM 4 COMBO、iPhoneに専用アプリをインストールして起動させると、かなり優秀なビデオシステムになってくれる。

ひとりで撮影するので、自撮りモードにして内側のカメラを使い、自分の顔を認識記憶させてやるとその後はそのまま被写体の顔の位置を把握し追尾フォローしてくれる。

テーブルの上に付属の小さな三脚を立てて固定してやれば、人物の上半身のちょっとした動きに応じカメラ任せで顔を追いかけてくれる。

機能を判っていて購入しているのに実際チョコチョコっと設定して期待している映像が撮れてしまうと「オ〜〜!」と自然と声が漏れてしまう。
収録する内容は、「自己紹介(約30秒)」「好きな映画、ドラマの台詞の朗読(約30秒)」

「特技・アピール(3分以内)」3点にも関わらず、カメラの追尾機能が面白くて無駄に動いて撮ってしまった。

映っているのは、オーディションの領域から大きく外れ、もう単なる挙動不審なオッサンでしかない。
 

世の中的にあまり実績が無いと思われる動画審査なだけに、何かデータに問題が有った時のため、締め切りを待たず映像データを制作会社の担当者宛でギガファイル便を使って送った。
案の定、映像データ送信後数日経ってもギガファイル便の送り先相手がデータをダウンロードした確認の通知が全然こちらに届かない。

絶対何か問題があったに違いない。

まぁ、写真撮影の仕事をする時にもなんら起こり得るトラブルだ。

想定内のこと。
 

そうこうしている内に、周囲のオーディション仲間たちの何人かは面接の日が決定したとか、オーディション会場はどこだとか、今回の出演者は未だ公表されていないとか、ネットなどでは知らされていないはずの新しい情報を得ている。

何かのトラブルで観てもらうべき動画が先方の審査スタッフに到達していないなら、まずは確認して直接面接でなんとかリカバリーしてもらうしかない。
 

問い合わせ先に電話してみると、予想は的中していた。

電話に出てくれた若い女性が制作アシスタントのようで、話しぶりから察するにまだ現場の経験が浅い。

今回が初めての現場なのかもしれない。

更に今回のオーディションの応募者が想像していた以上に多数だったため、それらの処理が間に合ってなさそうですっかりパニクってる雰囲気を醸し出していた。

映画やドラマの撮影現場には、ひとりやふたり居勝ちなタイプだ。
こうした場合、狡猾なオッサンは、ここで若い女の子をやり込めたりするような事は決してしない。

優しく宥め賺し、味方になってもらって、再度なんとか自分の映像データを観てもらえるようメールアドレスなど再確認して再送出来るよう丁寧に取り計らった。

そして、8月27日(金)午前中に金沢某所にて直接面接のオーディションを受けられるよう漕ぎ着けた。

あらためて受け取ったメールには、日程や場所の決定事項に加え「オーディション会場でのコロナ対策」が添付されていた。

オーディション会場に来る前には、検温など体調管理すること。

過去2週間以内に感染拡大が続いている国や地域への訪問歴があるなど、健康に不安がある場合来場を控えろと。
次に、オーディション会場への来場時には、各自必ずマスク着用。

ロビー備え付けの手指消毒液の使用。ハンカチ・ポケットティッシュを用い咳エチケットを遵守。

受付で検温をし37.5℃以上の場合スタッフへ申し出ること。

飛沫感染予防の観点から審査中もマスク着用。

自己紹介の際には飛沫防止のパーテーションの中でマスクを外してもらう可能性があること。

会場内で待機や入退室の際可能な限り周囲との間隔を確保すること。

会場内の換気の実施。

等々。
 

だが、既に富山は感染拡大が続いている地域なのでは?

日本が全国的に未だ感染拡大しているのでは?

監督始め制作スタッフたちは、パラリンピックを強行している東京からやって来ているのでは?
 


奇しくも、8月27日(金) は、映画『鳩の撃退法』全国公開の日。主演、藤原竜也。

 

この映画、昨年2020年春、富山出身のタカハタ秀太監督によって、すべてのロケが富山で行われたもの。

コロナが全国的に広がり始め、撮影スタッフたちが慣れないマスクを付けて煩わしく感じながら動いていた頃である。

コロナ禍が映画公開になる頃まで未だ続くとは誰が予想していただろう。

一瞬だけれど、バケツを蹴り飛ばす荒っぽい作業員の役で出演しているはず。
映画本編のストーリーには大きく関わらない台詞をしゃべってるので、そのシーンを丸々カットされてしまってる可能性も無くはない。

台本上の決められた台詞は与えられていなかったのだ。

撮影当日、いや、まさに撮影現場で、その場での思いつきのアドリブで本編とは関係ない台詞をしゃべってる。

午前中に金沢のオーディションを受けて、直ぐにも映画館へ駆け込みスクリーンに映ってる自分を確認したいところだが、明日8/28(土)はカターレ富山のホームゲームスタジアムでの屋外出店があり、しっかり前日の仕込みをしなければならない。

コロナ禍に於ける大事な大事な収入源となるだけに、これはこれで魂を込めて。

新記録更新

8.2.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

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新記録更新

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2021年7月31日、東京都が新たに発表した感染者は過去最多記録を更新し4058人。

全国で確認された感染者は急拡大を遂げ1万2342人。

五輪開催中とはいえ、この記録は更新されなくて良い数字だ。
少なくとも7月中の富山は感染者の増加が落ち着いた様子で、県外からの来訪者との接触があったり出張などで上京していた者だったり、感染の原因がある程度突き止められるものだった。

それが、二桁になったかと思いきや20人を超えている。

富山県全域に新型コロナウイルス感染拡大警報(富山アラート)も発出されている。


最も腹立たしいのが、大会組織委員会の武藤事務総長は8月1日の会見で感染拡大と五輪の関連性について「菅総理大臣も小池都知事も因果関係を否定していて、私もその考えに同調している」と述べているらしいのだ。

昨年からの新型コロナに関する対策などすべてが五輪を優先して講じられて来ていた。

そして、世界的にデルタ株が拡大している最中、東京に於いては緊急事態宣言が発令されている最中に五輪を強行開催していて、五輪との関連性が無いなど誰が信じると思っての言動だろう。

一貫して支離滅裂で矛盾した愚策。

世界的な大イベントのために大勢の人々が時間と労力を費やし天井知らずの予算を投じてしまって、こうしたこの上なく重たい舵を反対方向へ大きく切ることの出来る器の大きな人物は今の政治家の中に居ないのだろう。

太陽珈琲焙煎本舗は、第一回目の緊急事態宣言が出された頃、2020年3月13日辺りから今までずっと店舗を閉めた状態です。

一方で、屋外に於けるイベントに出向いてテント出店する営業にはむしろ積極的で、仮にコロナが終息したとしても、今後そうした移動販売を主な営業として考えるつもりでおります。
店舗を構え、ふんぞり返ってお客さんを待つような時代では無くなったのだ。

コロナが終息したとしても、もう元の生活や仕事のやり方には戻れないでしょう。

変化することを恐れず、新しいカタチを求めて変身し続けることが今後の仕事に必要と思われます。


新たに移動販売させてもらえるイベントが行われる場所を見つけた事もあって、8月末には今までのレギュラーに加え更に一カ所で大きく稼ぎ出す意気込みが生まれてきている。

今はそれらの準備として主催者側と連絡を取り合い、出店する際の商品の写真や宣伝文をやりとりしたり、お互い協力しあってイベントを盛り上げようと静かに情熱を燃やして頑張っている。
今までは、自家焙煎のコーヒー豆を使って挽き立てのハンドドリップコーヒーを淹れ、前夜ほぼ寝ない徹夜状態で毎週異なるこだわりのスパイシーカレーを作り続けて来た。

緊急事態宣言だろうが富山アラートだろうが、仕事としてはやはりお客さんに集まって来てもらう事が大前提である。

反発心と自分自身の中のモチベーションがどんどん盛り上がってきていることもあって、ついに伝家の宝刀を抜かなければならない時が来たような気もする。

とはいえ、このまま富山県内の感染者数が増え続けたり国内の感染者数の記録を更新し続けたりすると、そうした人を集客するイベント自体が中止となってしまう。

そう、普通のイベントなら中止にして感染を拡大させないよう人命を優先するのだ。

チケット収入が無いなど予算に見合わないようなら、中止という選択をして致命的な痛手を負わないよう次の機会を待つのだ。

ゆっくり考える暇も無く暑い夏8月を終え、9月がどんな事態を迎えることになるのやら。

市役所のカレーラーメン

7.2.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

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市役所のカレーラーメン

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午前中のうちに、未だ人が混まないうちにと、富山市役所の駐車場に滑り込む。

ほぼ毎日のように乗っていたディーゼル四駆の愛車エルグランドが令和3年6月19日で車検が切れることにより、まず点検をしてもらったところ潜在している様々な部分の故障箇所を修理して消耗品を交換して乗り続けるには想像以上の費用を要してしまうと言い渡された。

泣く泣くまだ充分に乗れるクルマを手を加えて修理もせずそのまま廃車にするという判断をした。

その一連の手続きのために実印の印鑑証明が必要となったのである。

今やマイナンバーカードさえ有れば、最寄りのLAWSONで印鑑証明やら住民票やら取得出来るはずなのに、どうも慣れない新行程を辿るのに抵抗があって、つい面倒臭い方の選択をしてしまった。

しかも、市役所の中に入ってみると、昨年くらいまでは設置してあった住民票や印鑑証明を取得する機械が、駐車場から一階に駆け上がって一寸見渡すと有ったはずの場所に置いてない。

どこに移転したんだ!?と総合受付のに駆け寄って尋ねてしまった。

移転ではなく機械自体が撤去されてしまったらしい。

普通に従来のやり方で、希望する書類の申請書を記入し整理券を受け取って印刷物が仕上がりを待つという原始的な作業に戻ったのである。

暗に「印鑑証明が欲しければマイナンバーカードを持ってLAWSONへ行け!」という当て付けなのだろうか?

幸運にも人為的な行程を踏んだにも関わらずほんの数分で印鑑証明の用事は済んだ。

せっかく地下駐車場に代車を駐めたのに、30分も経たずに出庫してしまうのは何だか勿体ないと思ってしまったこともあって、ふと市役所の食堂を思い出したので行ってみることにした。

だいたい市役所には頻繁に来ることがない。

そして、お昼前後のタイミングで来るとは限らない。

市役所には一般市民も使える食堂があると知っていても、なかなか利用するまでに至るチャンスがないものだ。

この食堂について話をしてくれたのが、S 師匠。富山出身の落語家さんで、東京都内での活動が主だが日本全国いろんな所に神出鬼没、八面六臂の方なのである。

今でこそコロナのためにその動きを大分妨げられてはいるものの、コロナ前のフットワークの良さ、強靱な体力には見習うべきものがあり、勝手ながら密かに「心のアニキ」に位置付けさせてもらっている。

毎週のように東京と富山の往復移動をされて、その移動だけでも疲れてしまうものなのに、行く先々にはしっかり高座をお務めになる。

Facebookで様子を伺っていると、お酒も良く飲まれる方で、食べ物も自らお弁当を作ったり小まめに何かと作られたりしている。

そんな師匠のFacebookコメントの中に「ウコン摂取」というキーワードが何度も登場している。

カレーがお好きなようだ。

そして、何故か富山市役所の食堂のカレーラーメンが複数回数登場していた。
カレーうどん の方が一般的にポピュラーだと思うが、この市役所の食堂に於いては「カレーラーメン」なのである。

食堂の入り口には食堂内で提供される麺類や定食の蝋細工の食品サンプルがガラスの陳列ケースに入れられ紹介されている。カレーうどん は見当たらない。

元々、富山の人たちは、カレーが好きなのである。

 

富山県射水市のイミズスタンを拠点に広まったパキスタン&インド系のスパイシーで本格的なカレーで盛り上がってるというカレーとは別の、根本的に習慣化されたジャパニーズカレーが好きなのである。

近所のスーパーマーケットに行けば、ハウスやらS&Bやら有名メーカーのカレールゥが迷うことなく売られているコーナーがあるものだ。

これが富山に於いては、他県のスーパーと比べると什器が二倍。

倍の棚に商品が並べられている。

それだけ需要があると判断して良いだろう。

どこが発表しているデータなのか定かではないのだが、富山市は「住み続けたい街ランキング2020」のトップ1と言われている。

在住者にとっては身近な事柄過ぎて客観的な判断が出来ない。

また、2014年都道府県別の持ち家率の変化では富山県が第一位。

2017年都道府県別の自家用自動車の普及状況でも富山県は第二位だったりする。
こうした一見ポジティブに思えるデータから富山県民は喜ばしい事と満足してしまうようなのだが、しばらく海外生活を経験してきた50代男性は世の中に流布されてるデータをそれほど素直に受け入れることはない。

決して日本に限った事ではないが、富山は一家の長男が結婚を機に家を建てる事、マンションを買って新居を構える事が重要視されてるエリアのようだ。

自分の場合、一人っ子の長男であるため大した自覚も無いまま、海外から富山に戻って来てみたら夫婦2人が住める戸建てが有った。

富山に生活拠点を移すことを決めた時、かつて祖父母が住んでいて、その後空き家となって誰も住まなくなっていた一軒家をリフォームして住むことになった。

ほとんどの長男は家の後を引き継ぐ事が出来てラッキーなのだが、次男以降は独自でなんとかしなければならないようだ。

富山県の西の方は、そうした成人男性の婚期につきまとうプレッシャーが強いらしく、次男のことを「家持たず」と揶揄した表現をされてしまうこともあるらしい。

要は、人生に於ける大きな買い物である「家」や「クルマ」に対する執着が非常に大きいのだ。
 

 

その大きな買い物を現金一括払い出来る人などそう多くはない。

富山の働き盛りの年齢に達している夫婦の多くは、家のローンとクルマのローンを抱え否応なしに共働きで汲々としているのである。

その共働きの家庭では、大量の作り置きが可能で、家族の皆が喜んでくれるカレーというメニューが重宝され、富山の多くの家庭でカレーが大人気だったりするのは極自然な現象に他ならない。

そんな事を考えながら、太陽珈琲焙煎本舗ではもう一年以上も前から毎週のようにカレーを作り続けている。

話の節々に統計データやら数字が出て来たりすると、ただただ好きで無心にカレーを作っている訳ではなくて、マーケティングや市場を賢く見極めて外食産業に取り組んでいるようにも見受けられ高尚な風に感じてもらえるかもしれない。

けれど、こうしたヘッポコ広告代理店が言うような理屈程度のものは、ある瞬間に感じる 閃き と比べると一向に太刀打ち出来るものではない。

富山県のコーヒーの消費量は、全国ランキングの上位から三分の一くらいには入る。

因みに、最もコーヒーを消費する県は京都府。

日本の上位三分の一に食い込むくらいの富山で、2015年に創業した太陽珈琲焙煎本舗は売上がどんどん伸びて楽勝なのかと思いきや、富山の人たちのコーヒー消費のほとんどは「コーヒー飲料」、缶コーヒーやインスタントコーヒーになるものの消費が一際多いらしい。

太陽珈琲焙煎本舗が活躍して、富山県民にコーヒー豆を消費してもらう伸びしろは果てしなく大きい。

おっと、カレーラーメンの話だった。

カレーうどん が無いのに、カレーラーメンが有る。

個人的には、どちらも大して好きではない。

カレーうどん なんてもう何十年も食べたことないし、カレーラーメンは師匠が食べてなかったら決して食べなかっただろう。

恐らく、今後また市役所に行ったとしてもカレーラーメンを選ばないと思う。

イミズスタン 富山県射水市

6.2.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

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イミズスタン  富山県射水市(いみずし)

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太陽珈琲焙煎本舗の常連さんに声を掛けられ、 ザイカ(ZAIQA CURRY HOUSE) に連れて行ってもらった。

彼は残念ながらコーヒーの常連さんではない。

毎週土曜日のテント出店の為に作ってるカレーの常連さん。

一年半程前から毎週毎週作り続けているカレーをほぼ毎週、夫婦2食分を買い続けてくれている。

彼らの食事がカレーになる頻度は週に一度や二度ではない。

太陽珈琲のカレーだけではなく、県内に点在するインド、パキスタン料理の店のカレーもローテーションに組み込まれている。

それぞれのお店で働いてる現地インドやパキスタンから移住している店員さんと顔馴染みらしく、簡単なヒンディー語?で挨拶を交わし、メニューなど見ずに当日のお薦めカレーをオーダーしてしまうレベルなのだ。

 

その日5月12日水曜日は、ラマダンが終わりザイカの関係者やお客さんが集まって皆でお祝いをしようという日。

連れて来てもらいはしたが、実のところムスリムの事をよく知らない。

何度か中東地方へ旅行をしたこともあるし、中国で生活していた頃にはウイグル自治区出身の知人もいて羊肉串を頻繁に食べていた。

けれど、豚肉を食べない人たち、ラマダンの期間に断食をする人たち、といった程度の乏しい認識しかない。

あらためてウィキペディアで調べてみると、聖なる月とされるラマダンの期間、日の出から日没にかけて、一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。

また親族や友人らと共に苦しい体験を分かち合うことで、ムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付や施しが行われるとのことだ。


コーヒーに携わる者としては、コーヒーの起源に関わるイスラムの知識を深めておく必要があるのではないだろうか。


いくつかあるコーヒーの起源のエピソードのひとつ、イスラム教の聖職者シーク・オマルがコーヒーを発見した説がある。

オマルは、疫病が流行っていたモカの港町で多くの人のために祈祷を捧げていた。

ある時、モカ王の娘が病気にかかってしまい、オマルの祈祷によって病気を治したのだが、その娘と恋に落ちてしまい、王の怒りを買って街から追放されてしまう。

洞窟で暮らし食べ物も満足に得られなかったオマルはある日、木の枝になる赤い実を使ったスープを飲むと爽快な気分になる事を覚えた。

その後オマルはこの不思議な飲み物を街の人々にも伝え、再び街へ戻ることを許される事になったという。

 

後に日本の中沢清二により歌詞を付けられ、1961年「コーヒールンバ」が作られた。

西田佐知子が歌い、後に井上陽水や荻野目洋子にもカバーされた。
 

 

 

  昔アラブの偉いお坊さんが

  恋を忘れた あわれな男に

  しびれるような 香りいっぱいの

  琥珀色した 飲み物を教えてあげました
  やがて 心うきうきとっても不思議 このムード

  たちまち男は 若い娘に恋をした
  コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム

  南の国の情熱のアロマ

  それは 素敵な飲み物 コーヒー・モカマタリ

  みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒー・ルンバ


ムスリムの手によって共に中東から東のインド半島へ伝わったコーヒー文化は、後にイギリスの植民地化により紅茶文化へと次第に移行しチャイが普及したと考えられる。
17世紀になるとヨーロッパがアジアに進出し、植民地化が始まり、18世紀後半にイギリスがインドを植民地支配するようになる。

イギリスのインド植民地化は1858年から1947年まで続き、第二次世界大戦終了後、イギリスが植民地を手放す形で、1947年イギリス領インド帝国が解体し、インド連邦とパキスタンの二国に分かれて独立へ。

インド半島内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒が統合できず、ヒンドゥー教徒が多い地域がインドとして独立、ムスリムが多い地域(現在のパキスタンとバングラデッシュ)がパキスタンとして独立した。

 

ここ富山県射水市の通称「イミズスタン」と呼ばれるエリアがある。

通称で呼ばれているはずなのに GoogleMap で検索すると、カシミール、ザイカカレーハウス、アルバラカのパキスタン料理店3店舗を指し示してくれる。
大学へ進学するまで富山に住んでいた頃はそんな話を全然聞いたこともなかったので、恐らく90年代以降のこと。

国道8号線沿いに日本の中古車ロシアへ輸出する中古車販売店が建ち並んでいた。

クルマで国道8号線を走るとズラ~っと英語やロシア語の看板が並び異国情緒を醸し出している。

そのほとんどがパキスタン人が経営しており、中古車販売と共に似たようなプレハブ造りの様相で現地の人たちが通う本格的パキスタン料理の店が出現したようだ。

未だ続くコロナ禍においてはリアルな旅行は難しいが、思わず県内に実在する近場の外国に触れることとなった。

しばらくは、飽きずにイミズスタンに通うことになりそうだ。

Uber Eats

5.2.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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このいつまで続くのか判らないコロナ禍にあっては、今まで通りのやり方じゃダメだ。
そして、コロナが終息したとしても、以前と同じ世の中が戻って来るとは限らない。
いや、きっともう元通りにはならない。

2014年秋に帰国して、富山に戻って来たのは30年振り。
富山市の出身とはいえ、高校まで生活していた後大学進学と共に上京しているので、自転車移動出来る程度の行動範囲でしか街の事を知らない。

また不在にしている間に街も大きく変化してしまっていて、ほぼ新しい土地に来た時の感覚と変わりがなかった。

まさにこの年、北陸新幹線が開通し今後は富山も活性化するだろう。

そんな幻想を抱く人達も居たのだろうが、それこそ昭和の考え方だ。

こうしたハードが整って都会への人の流出に拍車が掛かるだけで、結局のところ地方から発信出来るほどの魅力が無ければ地方に於ける活性化は有り得ない。

そんな事を考えながら、時の流れでシャッター街と化してしまった中央通りや総曲輪(そうがわ)通りから差ほど遠くない場所、住所も「丸の内」と書くところにコーヒー豆の店を構えてみた。

もう写真撮影を生業にするのはやめよう。

自分の作品を撮ろう。

富山に於いてもブライダルや家族の記念撮影の仕事は有ったとしても、出版社やメディアが無いと思われる地方で東京と同じ感覚で写真のカメラマンは食べてはいけない。

広告の仕事も都会から出向いてる代理店に仕切られて地方にはイニシアチブが無いだろう。

ましてや時代はフィルムからデジタルに移行し、写真の価値も大きく変わってしまった。

今となっては、性能の良いカメラ付きスマートフォンを買うべきか、ムービーも撮れるコンパクトなデジカメを買うべきか真剣に悩んでしまう。

 

北京に居たときに衝動的にカフェを作ってしまった流れから、全く迷いなく富山でもコーヒー関連の仕事を。

世の中では世界的なコーヒーブームの到来を感じていた事もあり、自分自身が美味しいコーヒーを見極められるようになれるためにも、コーヒー豆の焙煎屋を始めることにした。
自分一人でコーヒー生豆(なままめ)を仕入れ焙煎して、それを販売する。

店内ではコーヒーの試飲は出来る。でもカフェのようなスイーツも食べられるような、場合によっては食事も出来てしまう喫茶店にはしない。
地の利もよく判らない富山で、もちろん繁盛店にする事が目的ではあるが、ひとりで切り盛り出来て、カフェではなくて、コーヒー豆の焙煎の作業をしてコーヒー豆を販売する店として誤解なくこちらの意図通りに認知されるようになるまでには多くの時間が必要だろう。

地方の家賃は東京に比べて安いとは言え、固定費として出て行く家賃、そして人件費の出費は大きい。

まずはミニマムを成立させること。

豆の販売店としての認識がされて経済的な余裕が出来てからカフェを併設するなり別の場所に作りたい。

だが、最悪の場合、豆屋の認識が成立させられなかった場合、店舗としての存続のために保健所の食品衛生許可だけは取得しておこうと考えていた。

店舗を構えて3年目、2017年の冬。富山に戻って来て初めての大雪を体験する。

( 昨年2020年の冬は更に酷い大雪だったが。)

お店のシャッターを開け、パワフルなガスストーブを点けて待っていても、営業時間内にまったくお客さんが来ない。客足が悪天候に影響されてしまうのは頭で判っているつもりだったのだが、単純に売上に反映されてしまい様々な支払いが滞ることになってしまう。

富山に於いては店舗を構えたからと言って商売が成り立つとは限らない。
お客を待つのではなく、人が集まるところへこちらから出向いて商売をすべきとテント出店を積極的に行うようになった。

だが、テント出店も天候に左右されてしまう。

スマホの時代、もっと通販を強化しなければ。
その後、協力者が現れ何度か打ち合わせを試みてはいるが、こうした販売の流れの中で注文が入ってから「翌日発送」や「送料無料」などの多くのネット販売の企業が当然のように行ってるサービスが、ウチのようにたったひとりで稼働させている小規模店舗では対応仕切れないのである。

誰かアルバイトに来てもらえば解決することなのか。

イベント出店だけでも手がいっぱいになっている現状や売上が不安定な点からも、通販部門の強化はもう少し先の話になりそうだ。

一方で、富山でも四角い箱型のリュックを背負って自転車で街を駆け抜けるUberEatsを見掛けるようになってきた。
昨年のコロナが蔓延しはじめた頃から店舗は基本的に休業状態。

イベント出店だけは積極的に出向いているが、店舗内は倉庫と化し、常連さんのためにコーヒー豆の焙煎はしているもののイベントで売るカレー作りにエネルギーを注ぐあまり傍ではカレー屋に商売替えしたとも思われてる。

保健所の食品衛生許可を取っておいたのが正解だった。
カレーも作る豆屋としては、バターチキンカレーとインド AA モンスーン・マラバール をセットでオーダーしてもらえると結構嬉しい。

カレーとコーヒーのマリアージュと言ったところだ。

2021年4月22日。
UberEatsに申請したのは昨年12月だったか。

既にかなりの時間が経っている。

まだ会ったこともないUberEatsの担当者にメニューを早くアップするようにと、半ば強引にメニューの撮影日を決められ、自分で撮影してアップしてやろうかとも思ったのだけれどUberEatsのメニュー写真のガイドライン等があるだろうから、初回は大人しく様子を見ておこうとも思い、素直にこの日を迎えた。

担当者とは電話で何度か話もしたが、メニュー撮影に関する件はメールで日程や準備しておくモノなどが伝えられただけだった。リモートが徹底している。
15:00スタートの予定だったが、14:30にカメラマンさんから電話が入って「まだ小杉インターを出たところです。」とのこと。

高速に乗って来た!?

どこから来るんだ!? 渋滞だなんて大きな事故でもあったのか?
30分ほど遅れて金沢在住のカメラマンがやって来た。
この日富山の西ではブルーインパルスが上空を飛ぶとかで、富山市までの途中の道では大渋滞が起こっていたようだ。
順調ならUberEatsサイトで5月連休明け頃には、太陽珈琲焙煎本舗のメニューの一部が稼働し始めるらしい。