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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

Tatsuro Rokudo Column

For Enjoying Toyama Life !

from  Toyama / Japan

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六渡達郎
太陽珈琲焙煎本舗

大学在学中より演劇の制作に携わり、一方では雑誌や広告の写真撮影を生業にすると共に、数々の舞台に関わる写真を撮影。

1999年写真展『小笠原生活様式』銀座コダックフォトサロン、2000年写真集『小笠原ターザン』を出版。
その後、2005年生活拠点を北京に移し、2007年「Caffè il Sole Beijing」開業。

中国人も驚く「神奇的杏仁豆腐」で巷では有名なお店となる。

北京在住の日本人中国人有志と共に2010年北京で自分の夢を追い求め奮闘する若者を描いた日本語喜劇『咖啡店的太太〜Catch the Beijing Dream』を企画演出し好評を博す。翌2011年再演。

その後も舞台演出、アフレコ、中国TVドラマ出演なども。2013年「Caffè il Sole Beijing」閉店。
日本スペシャルティコーヒー協会SCAJコーヒーマイスターの資格を取得。
2014年10月富山へ。2015年12月、コーヒー豆の焙煎加工を行う「太陽珈琲焙煎本舗」を開業。
2019年 タニノクロウ演出作品『ダークマスター2019TOYAMA』出演(主演ダークマスター役)富山オーバードホール

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“ 羊肉串儿 ” の宴 ①

6.10.2023

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

For Enjoying Toyama Life !

“ 羊肉串儿 ” の宴 ①

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最寄りのコストコに行っても、高くて手が出せないなと横目で眺め通り過ぎていた。

羊肉。

無きゃ無いで食べなくて良い。

寒くなると北京に居た頃の習慣で、涮羊肉(薄切り羊肉のしゃぶしゃぶ)を食べたくなったりもするが、羊肉が身近に無いなら牛肉や豚肉でも充分に欲求は満たされる。

以前に羊肉を買ったのはいつの事だったろう。

おそらくコロナ前。

毎週のようにテント出店を繰り返し、そこで毎週異なるカレーを提供していて、食材を変えてラムカレーを作った事があった。

その後は、コストコでも羊肉を見掛けなくなっていた。
ところが、手に入らない。

無い。

となると,逆に欲しい食べたい欲求が湧いて出て来る。 

 

北京に移住して間もない頃、” 沙漏咖啡 “ (砂時計コーヒー)という名のカフェに良く通っていた。

いや、毎日通っていた。

場所は、紫禁城があるところのチョット北側。

辺りに時を知らせる為に作られた建物、“ 鼓楼 “がある。

そこから徒歩数分の場所に “ 中央戏剧学院 “ (中央戯劇学院)という、中国の俳優や映画監督の殆どを輩出している大学があった。

東京で言うなら日芸大学がある江古田のような学生街だ。

2008年北京オリンピックの為に北京の至るところが開発され殆どの道路はアスファルトで舗装され綺麗になったが、その2、3年前、戯劇学院周辺はまだ街路樹が生い茂り、道路は凸凹、雨が降れば大きな水溜まりが出来、夜は街灯も無く薄暗い古い胡同の街だった。

中央戯劇学院では、中国の標準語となる中国語を教えており併せて外国人を受け入れていた。

オリンピックを控えていた事もあって、いろんな国からやって来た外国人の語学留学生達がおり、集まってくるお客の所為でカフェは中国人経営の、単なる胡同をリノベーションして作られた店ではなくなっていた。

経営は海外留学を経験している若い漢族の中国人。

店長として店を管理しているのが内蒙古出身の蒙古族。

そこに、バイトの店員として日本人の留学生の女の子が入っていた。


2005年オリンピック前の急成長を間近に体感したくて北京に移住を決意したものの、強力なコネがあった訳でもなく、流暢な中国語で自己主張を捲し立てるでもなく、写真を生業にするカメラマンは直ぐに仕事に就けるはずもなく、何か有益な情報はないかと、有象無象が集まるカフェに足を踏み入れることになったのだ。

 

カフェと言っても、美味しいコーヒーが飲める店ではなかった。

カウンターの中には、おそらく中国に進出して来て間もないアメリカの家電メーカー “ Cuisinart “ のエスプレッソマシンが鎮座していた。

当時のコーヒーのシロウト目で見ても、それは家電のコーヒーメーカーであり業務用のプロフェッショナルな機械ではないと判断出来た。

それでも、一応コーヒー豆の種類がいくつか用意してあって、一袋500gくらいの豆が入っているパッケージになっており、“ 巴西 ”(ブラジル)、“ 哥伦比亚 ”(コロンビア)、“ 蓝山 ”(ブルーマウンテン)、、、中身はどれも凄い深煎りで、見た目も味も区別が付かないようなシロモノだった。

そう、当時の中国はコーヒー後進国、発展途上国だったのだ。
スタバも既に中国進出を果たしてはいたが、コーヒーを飲むような場所ではなく、“ 富二代 ”(新興富裕層の子供たち)がデートの待ち合わせに使う流行のイケてる場所でしかなかった。

今から50年前の日本と同様、「コーヒーは身体に悪いもの」という民間の常識がその時の北京にもあった。

それ故、基本的に皆コーヒーを飲まない。

あまり見掛けることがなかったメニューには、“ 铁观音 ”(鉄観音茶)、“ 普洱 ”(プーアル茶)、“ 菊花 ”(菊花茶)と、” 可乐 “(コーラ)、” 雪碧 “(スプライト)、、、くらいだったような。

カフェなのに、通常なら暗黙の了解で何かしら飲み物をオーダーしそうなものなのだが、店長 ULA の大らかさなのか、顔見知りになりさえすれば居ることを許されるというシステムが成立していた。

いつも誰かしら店内には居て、むしろ外国人留学生の方が常連で、時折現地の中国人学生が間違えて入って来たりすると「何者だ!? お前ら~」と言わんばかりの視線を浴びせる。

ところが、中国人は元々他人の目を気にしないタイプが多いので、ずかずか店内に入り込み数人が座れる一角を陣取り、その数人で一種類のお茶のポットをオーダーしてトランプを始める。

お茶がポットサービスの習慣なので、数人が一種類のお茶で数時間もトランプを興じる場所になってしまう事もしばしばあった。

日本人である自分の感覚では信じられない光景だったりするので、カウンターの中で ULA に尋ねてみると、蒙古人としても一種のお茶で長居され周囲を顧みず大騒ぎされるのは不快らしく文句を言ったりすることもあった。

でも、そのお陰で外国人チームも長居が出来ていた訳で。

殆ど中国語が出来ないにも関わらず、皆よく受け入れて長居させてくれていたものだと今更ながらに感謝する。

店のカウンターに入って、バイトをしていた日本人留学生の SAKI がいろいろ紹介してくれた功績が大きい。

それに加え、ULA 自身が親日的でいずれ日本に留学しようと思っていたからなのか、何かにつけて良くしてくれていた。

 

その頃、北京に移住して初めて生活をすることになったマンション?アパート?は “ 西单 ” という、東京で例えるなら新宿や渋谷のような、北京の西の大きな繁華街。

そこから20分くらいタクシーに乗って、後に代官山のようなオシャレストリートになる“ 南锣鼓巷 ”という江古田の学生街になる” 沙漏咖啡 “ に毎日、毎日通っていた。

仕事も無く、語学学校に通うでもなく、他にする事が無かったからに他ならないが、混沌とした空間で、只、只、毎日が楽しくて仕方がない数ヶ月だった。

 

皆、昼間は何かしらそれぞれのやるべき事をやっていたはずだ。

そして、夕方になると約束をした訳でもないのに自然とカフェに集まって来る。

フランス人、イギリス人、オーストラリア人、デンマーク人、、、それぞれが目的を持って北京にやって来て、高度成長期の北京ドリームを夢見ていたと思う。

間もなく夕食時になると、誰かしらが近所の中華食堂に電話してお惣菜やら炒飯やらスープを注文し、皆で箸を突き合って食べていた。

“ 糖醋里脊 ” 、” 宫保鸡丁 “、” 辣子鸡 “、” 萝卜干腊肉 “ 、” 地三鲜 “ 、、、( 食べていたものを全て列挙したいところだが次の機会にする)。

更に、夜が深まり23時頃になると、誰かが突然「ヤンロー タイム ( “羊肉”TIME )!」と叫ぶ。

そして、近所の “ 新疆菜 ”(ウイグル料理)の店に電話を掛けて数十本の “ 羊肉串 ” をオーダーする。
 

30cmくらいの竹串に2cm角くらい羊肉の塊が5個くらい刺されていて、味は “ 孜然 ”(クミン)と塩と“ 辣椒 ”(唐辛子)、そしてたっぷりの“ 味精 ”(通称: 味の素、グルタミン酸ナトリウム)。

まだ派手に弾圧されていなかったからか、“ 南锣鼓巷 ”のストリートには3、4軒の“ 新疆人 ”(ウイグル人)の店があり、中華とも違う大陸の西の料理をも楽しめた。

電話注文をした後30分もすると、いつも店の手伝いをしている、10歳にも満たない ハッサン が“ 羊肉串 ” を届けにやって来る。

夕食のお惣菜もそうだが、中国の習慣では他店の会計済みの料理は他店であっても 持ち込み可 なのだ。

代金の支払いは、毎回異なるが誰かしらが自発的に払っていた。

ルールが有る訳でも誰かに負担を強いることもなく。

どちらかと言うと、割り勘をするのは無粋とされる雰囲気があった。

皆がとても満足して、白熱して幸せな毎日が続いていた。

サックスを吹いてみたい!

4.10.2023

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

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サックスを吹いてみたい!

昨年末からコロナに感染してしまい40℃にも達する熱で寝込んでる間、閃くように「サックスを吹いてみたい!」といった気持ちが噴出した。

学生時代に吹奏楽部に所属していた訳でもなく、リードを使った楽器など口にしたことすら全く無いにも関わらずだ。

敢えて挙げるなら、某レコード会社の関係でライブハウスでの写真撮影をしていてジャズ系ビッグバンドの演奏でサックス奏者がカッコイイと思っていたことに起因するのかもしれない。

そして、何故かテナーサックス奏者のハンス・ダルファーのCDを持っていたりする。

アルトサックスを吹く娘のキャンディー・ダルファーではない。

 

正月が明けた頃、そのまま勢いに任せサックスの知識など全く無いまま、ヤフオクで安い中古のテナーサックスを落札してしまった。

コロナで高熱を出していたからという事にしておこう。

間もなく送られて来た実物の中古テナーサックスを目の当たりにして、やや我に返るものがあった。

シロウト目に見ても直ぐにそのまま使えるような道具では無いと一瞬にして悟ってしまったのだ。

サックス初心者ならば、クセが付いていないニュートラルな状態でスタートした方が良いに違いない。

道具をベストな状態にして自分の責任として修練するべきものである。

病み上がり少々冷静になって自分の明らかなフライングに後悔してしまった。

 

YouTubeで「サックス 初心者」を検索してみたり、「初心者必見!」といったタイトルの動画を観てみると、ほぼ皆が新しい楽器の購入を勧めている。

ネットから中古楽器を購入することを勧めている動画は皆無と言って良い。

それほど楽器がデリケートなもので、サックスが金属で出来ていようとも経年劣化するものであり、細かな部分に至るまでの定期的な調整が必要だと説いている。

サックスを吹いて生業にするつもりは決して無いのだが、全くの初心者としては素直に耳を傾けておきたいところだ。

 

一旦目の前の中古テナーサックスは忘れて、世間ではよりポピュラーなアルトサックスから始めることにして、ちゃんとしたリアル店舗の楽器屋で多少安価な新品アルトサックスを購入し直してはどうだろうかとも考えた。

後から判って来たことだが、アルトサックスの方が楽器の大きさが小振りでその分出費が小さく済んだりもする。

また教則本のような書籍が多かったり情報が得やすいようなのだ。

 

とは言え、手元に既に錆び錆びのテナーサックスがあるので、先ずは修理の見積もりを出してもらうことにした。

判らないながらも明らかに治してもらう必要がありそうな部分の写真を撮って、メールで問い合わせてみることにした。

既に型が古く部品の取り寄せが出来ない等、修理不能をも予想され半ば諦め掛けてたのだが、なんとか新品のテナーサックスを買い直すよりは少ない出費でオーバーホールしてもらえそうな見積もりが返ってきた。

一ヶ月くらいを経て、初心者が気持ちよく始められるニュートラルな状態にまで治してもらえそうだ。

たまたまOpenAI Inc.が2023年3月14日、Generative Pretrained Transformer 4 (GPT-4)のリリースを発表したこともあり、早速AIに尋ねてみたりもした。

Q:   テナーサックスを始めたいと思っているが、まず何をするべきか?

 

A:   1/ 2 テナーサックスを始めることは楽しい冒険になるかもしれません! テナーサックスは、音楽愛好家にとって非常に魅力的であり、様々な音楽スタイルで使用されています。

以下は、テナーサックスを始めるために考慮すべきいくつかのステップです。

  1. テナーサックスを手に入れる 最初にすべきことは、テナーサックスを手に入れることです。サックスを所有することができない場合は、レンタルすることもできます。購入またはレンタルする際には、アクセサリー、例えばリード、ストラップ、クリーニングキットなども購入する必要があります。

  2. 基本的な音楽理論を学ぶ サックスを演奏する前に、基本的な音楽理論を学ぶことが重要です。音楽理論を理解することで、楽譜の読み方や音符の長さ、音程、リズムなどを理解することができます。

  3. レッスンを受ける プロの指導を受けることは、初心者にとって非常に役立ちます。質の高いレッスンを受けることで、正しい姿勢、息の使い方、フィンガリングなどの基本的な技術を学ぶことができます。

  4. 練習する テナーサックスを始めるには、継続的な練習が必要です。毎日少なくとも30分から1時間の練習を行うことをお勧めします。練習することで、音質を向上させ、演奏技術を向上させることができます。

  5. 演奏する機会を得る 演奏する機会を得ることで、自分の演奏を評価し、自信をつけることができます。学校の音楽会やコミュニティの演奏会に参加することを検討してみてください。

 

  2 / 2  テナーサックスを始めることは、やりがいのある冒険になるかもしれませんが、最初のステップは始めることです。継続的な練習とプロの指導を受けることで、技術を向上させ、音楽的なスキルを発展させることができ

テナーサックスを始める前に、以下のステップを踏むことをお勧めします。

  1. テナーサックスのレンタルまたは購入 まずは、テナーサックスを手に入れる必要があります。初心者には、レンタルがお勧めです。レンタルしてから、練習を続けることができるかどうか確認してから、購入することもできます。

  2. 楽器に慣れる テナーサックスを持ってみて、楽器に慣れることから始めましょう。テナーサックスは、他の楽器に比べて重いため、正しい姿勢で演奏することが重要です。まずは、楽器を支える方法を学び、ゆっくりと楽器を吹いてみましょう。

  3. 基本的な演奏技術を学ぶ テナーサックスを始めるためには、基本的な演奏技術を学ぶ必要があります。これには、息の使い方、音の出し方、フィンガリング、そして楽譜の読み方が含まれます。教則本やオンラインのレッスンを利用することで、基本的な演奏技術を学ぶことができます。

  4. 練習する 練習は、テナーサックスをマスターするために非常に重要です。毎日練習することで、演奏技術を改善し、音楽的な表現力を向上させることができます。練習のスケジュールを立て、定期的に練習することをお勧めします。

  5. 演奏する機会を探す 演奏する機会を探すことで、自分の演奏技術を試し、より上達することができます。音楽スクールやミュージックイベントでの演奏や、オンラインの演奏会などがあります。

以上のステップを踏み、継続的に練習することで、テナーサックスを始めることができます。

 

あまりの的確な応答に納得し驚いてしまった。

 

テナーサックスが調整されて手元に戻って来て、今度は実際に吹いてみたりもして。

果たして、自分のモチベーションがどこまで維持出来るものなのか。

大して習い事などの経験も無いので、どうなることやら。一年も経たずに行き詰まってしまって、 Chat GPT に悩み相談をしているような気がしないでもない。

云南咖啡豆

2.8.2023

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

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云南咖啡豆

 何気なくHDDを整理していたら、「雲南pics」という名前のフォルダを見つけてしまった。
中の写真データの記録をそれぞれチェックしてみたら、2013年11月に撮影している。

詳細をすっかり忘れていた。10年前のことである。


 2013年10月、北京の東北エリアに位置する「麦子店」という名の街、日本大使館から徒歩で10分も掛からない場所の龍宝大厦マンションの一階で営業していた Caffè il Sole をクローズして間もない頃のことである。その後、北京を後にして日本に本帰国するまで一年足らずの時間があるのだが、店を閉じてスグに雲南省にあるはずのコーヒー農園の視察が第一目的の旅行だった。


 多くの人が思う通り「中国はお茶の文化」のイメージが強い。

そもそも自分が北京に移住するに至ったキッカケのひとつ。北京のド真ん中にある故宮(紫禁城)の敷地内に作られたスターバックスの店舗の存在が大きく影響している。
中華人民共和国の成立は1949年10月1日。( 偶然にも10月1日は国際的に「コーヒーの日」だったりする。w ) それよりも以前の明の時代1406年永楽帝が先の元王朝から跡を引き継ぎ、礼儀宮殿・後宮・政治議事堂などの機能を加えたところであり、更に清の時代も経て数百年もの間中国皇帝の宮殿だった場所である。

記憶が定かでないが、2001年、北京が2008年のオリンピック開催地に決定した後、故宮の中にスターバックスが作られた。おそらくフランチャイズだろうが、中国の象徴とも言える場所にアメリカの、今やマクドナルドに勝るとも劣らないアイコンとなっているスターバックスが出来たというニュースを耳にしたのだ。自宅のケーブルテレビで、たまたま付いていたBBCのニュース番組だったと思う。そして、理屈抜きの、単純に自分の目で確かめたいという動機で、北京のスターバックスの視察旅行を決行することになる。2005年以降実際北京に移住した後もしばらくは「コーヒーは身体に良くない」という認識の中国人は多かった。日本の40年くらい前と同様だと思った。

 

 2006年、成り行きと勢いだけで北京にカフェを作ってしまったが、人並みにコーヒーが好きだっただけで、特別な知識を持っていた訳でも喫茶店でのバイト経験があった訳でもなかった。
北京市内を駆けずり回って美味しいコーヒー豆を探し求めたが、日本人と中国人のコーヒーの好みが違うように感じたし、自分自身で自分に淹れるコーヒーを満足していても店に来てくれるお客さんがどんなコーヒーを望んでいるのか。コーヒーという飲み物は何によって美味しいとされるものなのか、只々闇雲にやってるに過ぎなかった。
北京の東北エリアには日本人を始め外国人達が多く住むエリアでもあったため、成城石井のような外国人御用達のスーパーマーケット「婕妮璐(Jenny Lou's ジェニールー)」に行って買い物をすることが多かった。チーズやベーコン、ケーキを作る材料など、ローカルの超市では手に入らないものを調達する店として重宝していた。
その店の陳列棚には、雀巣( Nestle ネスレ )と意利( illy イリー )と並んで「云南小粒咖啡」という名で中国国産雲南省のコーヒー豆が輸入物の5分の一くらいの値段で売られていた。エチオピアのコーヒー豆のように小粒で、アズキ豆のようなコーヒー豆だ。飲んでも特に特徴が無い豆で、他に飲めるコーヒーが無いなら飲んでも良いのだが、取り立てて香りが良い訳でもなく、選択肢があるなら選ばないテイストだった。

 

 そうは言っても、広い中国の国土の一画でコーヒー豆が獲れるということで、かねてから時間に余裕が出来た時には雲南のコーヒー農園に行って「コーヒーの木」を目の当たりにしたいと思ってたのだ。

 

 コーヒーの栽培とお茶の栽培は、気候条件が似通っているようで、どこの国に於いても隣接した土地で作られていたりする。お茶が多く栽培されていた雲南では、北京政府から遠く離れていることを良しとして、栽培や製茶に手間を掛けるより儲けになる大麻を育てる輩が増えた時期があったそうだ。アヘン戦争のトラウマが有るのか無いのかは知らないが、大麻栽培の対策として雲南省はコーヒー栽培を奨励し、それらのコーヒー豆をネスレやマクドナルド、スターバックスがまとめて買い上げる保証をすることによって定着させたと聞いた。

 富山に戻って「太陽珈琲焙煎本舗」としてコーヒー豆の焙煎をするようになってからも、雲南産のコーヒー豆のことは積極的では無いにしろ多少は気には掛けていた。何しろ最初に訪れたコーヒーの地である。

そこへ一昨年だったか、雲南のコーヒー豆のサンプルが配布されるとの情報を得て、早々に送ってもらい自分の店でカッピングしたところ、かつてのイメージを覆すようなスペシャルティを感じさせる仕上がりの豆だったため、スグに生豆を仕入れることにした。ネスレのような多国籍企業の投資によって、コーヒー生産のインフラが構築されて久しく、そのビジネス環境に加えコーヒー豆の質と量を両立させ、輸出可能なレベルにまで改良を繰り返したらしい。

 

 昨年はコロナ禍に加え1月は脳梗塞で入院し12月末にはコロナに感染してしまうという、思うように身動きが取れない年だったこともあり、年が明け、1月22日には春節(旧正月)を迎えるタイミングで雲南のスペシャルティコーヒー豆を焙煎出来て、とても良い気分に浸っている。

コハダは大トロより儲かる

12.15.2022

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コハダは大トロより儲かる

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思いがけず12/11(日)のマルシェ、越中大手市場が中止になってしまった。

2022年最後のテント出店の予定だったのだが。

原因は、流行のコロナ感染拡大ではなく最大風速10mをも越えるかもしれない強風が予想されたからだ。

風速5mくらいでマルシェで使っているテントなどあっさり飛んでしまう。

コーヒーのハンドドリップ抽出をしている時に集中出来ないし、危険極まりない。

人の安全に関わる。当然の判断である。

屋外のテント出店は常に天候に左右される。

今に始まったことではない。

華奢なテントの場合に限らず、この雪国富山に於いては冬場の大雪に見舞われると即客足に悪影響を及ぼし、ダイレクトに売上が落ち込み大打撃となる。

とは言え、店舗を構えている立場では、店にいつ訪れるか判らない通りすがりの一般客のために店内は充分な暖房を施しておかねばならなかったりする。

しかも今は燃料代が高騰している。

世にコロナが蔓延してからは、そういった不安定が顕著になった。

災難が過ぎ去るまではミニマムにやり過ごすに限ると考え、店舗自体は意図をもって休業状態にすることにした。

店内はコーヒー焙煎の作業場になり、ひと月に数回あるマルシェなどイベントのテント出店が主たる現金の収入原となった。

地方都市である富山県に限った話ではないだろうが、店舗を持ったからと言って、そこは決してゴール地点などではなく、暢気に胡坐をかいていられるような場所ではないのだ。

少しでも人が集まるようなチャンスが有れば、店側がこちらから出向いて商いしなければならないのだ。

シンプルな屋台の営業は数を増やせば増やすだけ売上は単純に増えてくれるのだが、天候に大きく左右されてしまう難点は相変わらずだ。
 

そして、今年1月にやった脳梗塞も軽症だったとは言え少なからずダメージを残している。

昨年までは出店の準備のため前夜の作業は深夜に至ることはおろか丸々徹夜に及ぶこともしばしばだった。

退院して早10ヶ月。

降圧剤は飲み続けており、そうした体力を要する仕事がスッカリ出来なくなってしまった。

おそらくもう元には戻らないのだろう。

二日間連続のイベントに参加した時も自分自身の身体がままならない。

コーヒードリップをしている最中、右手に持ったドリップポットでコーヒーの粉にお湯の円を描いて注している時に意識が飛んでしまったりしていた事があった。

それ以前に、屋外で全然立っていられないのだ。

いわゆる自律神経や体感のようなものが衰えてしまったようだ。

アウトドアの折りたたみ式キャンバスチェアに座り込んでしまって、そのまま立てなくなってしまう。

そんなこともあって、毎年恒例になっていた越中稲荷神社の初詣出店も断念することにした。

大晦日22時頃から年越しで初詣客向けにコーヒーを淹れる。

病み上がりの身、寒い中のロングラン出店を強行するのは得策ではない。

久々に御節の準備に時間を費やし、大して興味が無いNHK紅白を眺めながら家族と共に過ごす大晦日になりそうだ。

 

出来ることならコーヒー豆の焙煎作業に没頭していたい。

テント出店に体力の限界を感じるようになって来た以上、新たな豆の販売方法を模索したいところ。

きっと中小企業診断士や商工会議所などに言わせるなら、とりあえず「ホームページを作りましょう」「LINEアカウントを作りましょう」「Instaを始めましょう」と見え透いたことを言われてしまいそうだ。
この今年夏以降ガソリンがジワジワ値上がり、次第にあらゆるモノが値上がりし御多分に漏れずコーヒー生豆もしっかり2割3割と値上がった。

かと言って、そのまま焙煎後のコーヒー豆の価格を2割3割値上げて反映させて良いものやら。

 

2014年店を作った頃一時的な業界内のコーヒーブームと思いきや、今や護國神社 とやま のみの市にやって来るお客さんも「話題のゲイシャをください」と宣うようになり、スペシャルティコーヒーの名前が随分世の中に浸透したように思われる。

それでもテントにやって来るお客さんの殆どが「酸味は好きじゃありません」と枕詞のように言い放って止まない。

お客さんのお好みを伺って酸味NGとなると、扱ってるコーヒー豆の三分の二はオススメ出来なくなる。

また、業界的に話題の人気豆がお客さんのお好みと合致するとは限らない。

焙煎屋の製品であるため、各々の好みに加え、豆の価格と見合うかコストパフォーマンスが高いか低いかによって消費してもらえるかどうかが変わって来る。

毎日習慣として飲む日常コーヒーもあれば、ここぞと言ったハレの日に飲みたい高額なコーヒーもあり、消費者の選択は多岐にわたる。

 

お寿司屋さんに因れば、コハダは大トロより儲かるとのこと。

自動車業界で言うなら、コハダはカローラ、大トロはロールスロイスと言ったところか!? 

そのまま太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆に言い換えるなら、「ブラジル セラード カラメリッチ #18」と「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」が当てはまる。

 

「ブラジル セラード カラメリッチ#18」は、昨今の値上げに伴い最も格安のコーヒーではなくなってしまったが、標準的で馴染み深いコーヒーらしいブラジルの豆にほのかな甘みを併せ持った飲みやすいタイプ。

「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」はコーヒー業界に革命的な新風を吹き込んだクリアでフルーティーでありベルガモットのような香り高さの中に甘みやカラメル感も持つスペシャルティコーヒーの筆頭格に当たる豆だ。

COMANDANTEを選ぶ理由

11.7.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

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COMANDANTEを選ぶ理由

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コーヒーを美味しく淹れるポイントのひとつとして「直前に豆を挽く」ことが重要だ。

焙煎されたコーヒー豆はその時点から劣化が始まると言って過言ではない。

豆から粉の状態に変わると単純に表面積が拡大し空気に触れる部分が増える。

よって酸化速度が倍増し劣化が早まってしまう。

スーパーマーケット等で売られている大手コーヒーメーカーのコーヒーは粉の状態でも売られているが、そうした場合はパッケージ袋に詰める際に窒素と共に充填するか酸化防止剤を入れたりしている。

コーヒー豆の焙煎屋としては、お客さんには自宅でコーヒーを淹れる直前にミル(グラインダー)で粉にしてもらいたい。

些細なことなのだが、コーヒーを美味しく淹れるポイントはこうした些細な選択の積み重ねで違いが出て来る。

目的地までの移動手段としてクルマを使う場合、ランボルギーニやフェラーリのようなスポーツカーをぶっ飛ばして行く方法もあればメルセデスベンツのような高級車の満足感を得ながら運転する方法もあれば、トヨタカローラのようなロングセラーで大人気の車種を選択することもある。
似たようなもので、単にコーヒー豆を粉にするという方法だけでも迷ってしまうくらい多岐にわたる。

何も考えず豆が粉になれば何でも良いと言う選択をするなら、販売価格の安い電動のプロペラ式ミルになるのだが、焙煎豆屋としてはオススメしたくない。

スイッチボタンを押してジャーってやってしまえば早いと思われがちだが、電動によるモーター音がうるさいうえ粉の粒度が安定せずバラツキが激しい。

ウチを訪れてミルを購入したいと言われるお客さんには習慣的にコーヒーを飲む頻度や量を聞いて、今まではまず手動のコニカル式セラミック刃のミルを薦めることが多かった。

一人でコーヒーを飲むことが多く一杯ずつ淹れられる方にオススメしていた。

セラミック刃の場合、使い終わった後のコーヒーの粉が刃に付着していても洗えば容易く落とせる。

そして錆びない。

一方家族が居て一度に数杯分を一挙に抽出する可能性が高い人には、まず容量が大きめの手動セラミック刃ミルを薦めていた。

そして多くの人は習慣として朝にコーヒーを飲むことが多く、出勤や通学のために朝食時の時間はとても貴重だったりすることから、手動ミルをゴリゴリ数分も掛けて回している時間がもったいないと感じられることもあるだろう。

そんな人には少々奮発してもらって電動のコニカル式や臼式を購入していただく。

それで、直ぐに淹れて飲みたい、一度に数杯分を抽出したいという思いはストレス無く叶えられるのだが。

そんな電動ミルにもデメリットはなくは無い。

モーターで刃が高速回転する機械であるため、長時間もしくは大量にコーヒー豆を粉砕し続けていると熱を帯びてしまうのだ。

これがコーヒー豆に悪影響を及ぼす。

またその粉砕している際に細かな微粉を出してしまう。
コーヒーを抽出する際、コーヒー粉の粒度が揃っていることを重視するならば微粉は避けたい要因なのだ。

この微粉が抽出したコーヒーに雑味を及ぼす原因となったりするのである。

日常生活でのコーヒーでは気にする程の事では無い取るに足らないことかもしれないが、コーヒー業界の中にあるSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)のような団体が主催するハンドドリップ競技会などでは、ミルした後の粉を茶漉しのような細かな目の篩を使い微粉を取り除いて雑味を極力少なくする手間隙を加えたりもするのである。

なので、必ずしも電動のミルが優れてるとは言い難い点もあるのだ。

かつて、手動ミルではフランスのPeugeot(プジョー)とドイツのZassennhaus(ザッセンハウス)が有名で、どちらも硬質な鉄系の刃が付いており比較されたものだ。

ここへ来て、数年前からドイツの手動ミル「COMANDANTE(コマンダンテ)」が話題になっている。

新しく開発されたNitro Blade(ニトロブレード)と呼ばれる刃の部分によってコーヒー豆の粒度が非常に良い状態に仕上げられるのだ。

ドイツからの輸入商品ということもあってか、販売価格も40,000円前後。

価格と共に世界最高峰だ。

小さめの電動ミルが充分買えてしまう値段だ。

1990年代まだ普通にフィルムのカメラを使って撮影していた頃、Nikon一眼レフの旗艦機種がF3からF4に移行し、伴ってカメラマン達は新しいF4ボディをメイン機として仕事の撮影するべきか否かを躊躇していた時期があった。

バブルが弾けて間もない頃だったのもあるかもしれない。
カメラメーカーの一眼レフでフラッグシップモデルとなると、流石にポケットから気軽に出て来る金額ではなく。

ところが、一般向けにも売られていてハイアマチュアなカメラマンやカメラ好きなオジサン、オタクや鉄ちゃんも同様な立場で購入可能な機種だったりもする。

そんな中、フリーのカメラマンだからと言って、機材に掛かる経費をケチって二番手のカメラを選んではいけないのだ。

いつもいつも芸能人やプロのモデルの撮影ばかりをしている訳ではない。

知人からの紹介で一般の方の結婚式の撮影依頼を請けて出向くこともあるかもしれない。

そんな時、人生に於ける数少ないハレの日に、せっかくプロのカメラマンに撮影してもらえるのだとしたら。

少しでもカメラのことを知ってる人が近くにいて、わざわざプロカメラマンを呼んで撮影に来てもらってるという事態を知ったとしたなら。

そこは二番手のカメラではなく、少なくともその時の最高機種Nikon一眼レフでF4sで撮るというパフォーマンスをしないことにはいけないだろう。

一期一会なのだ。

それがプロの心意気というものだ。

またその時代の最高の機材を使うことで、機材に因る落ち度は決して無いものとして、もし問題が有るとすれば撮影者本人の問題として受け止められるよう最高の機材を用いるよう心掛けていたものだ。
30年後の今でこそ、デジタルカメラの最高峰と思われるものは100万円を超える値段になり、自分の撮影では使うことのないようなオーバースペックな機能が付いているカメラを選択してしまうのはメーカーの策略に踊らされて馬鹿げている行為のようにも思えるのだが。
そして、カメラメーカー各社はデジタルの一眼レフカメラの開発を止めてしまうくらいに時代は移り変わってしまっている。

とは言え、そうした経験を思い返すなら、コーヒー豆の焙煎屋としても、ここはNitroBladeの刃を持ち合わせている手動の COMANDANTE を選ばない訳にはいかない。

R.I.P. CHAPPY

10.7.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

For Enjoying Toyama Life !

R.I.P.  CHAPPY

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9月18日  14:39 、凄く久しぶりにボビ男からの Facebook Messenger を受け取った。

→→→→ ご無沙汰しています。 残念なお知らせですが、 今日午前、チャッピー君 亡くなってしまいました。

 

→→→→ 一人で、ドラゴンアウトサイド(みやのはまの外洋)にサーフィンに出かけて、浮いている所をダイビング船に見つけられて、保安庁の船に引き上げられましたが、もう心肺停止だったそうです。

 

→→→→ さっき、診療所で会ってきましたが、まだ手も温かく今にも起き上がりそうでした、とても穏やかな表情でした。 僕もまだ、信じられません、残念です。

 

 

この時期、台風が生まれ沖縄の方を北上すると、小笠原諸島の父島には良い波が来る。
16日くらいから沖縄は台風14号の暴風域内に入り、そのままゆっくりと北上を続け、18日には九州に上陸していたことから、父島にはちょうど秋のビッグウェイブがやって来ていたに違いない。
享年54歳。

思い返すと、1995年父島に撮影に行って出会った頃からずっと波に乗ってるサーファーだから、CHAPPYらしいと言えばCHAPPYらしいのだが。

唯々寡黙に波に乗っている島の男、島の中でも代表的な BONIN ISLANDS SAFER だっただけに、もう島に渡ってもCHAPPYに会えないというのは信じがたい。
ところが、時間差で父島の仲間達から、FacebookやらInstagram やら、次々と容赦ない訃報が受け取った。

翌19日になって、SNSで知らされる話題は同世代の仲間達で作り上げられるお別れ会の予定に移り変わっていた。

写真集「小笠原ターザン」の表紙を飾っていたのが CHAPPY だっただけに、お別れ会でも島で最も大きく出来るプリンターでプリント出力したいとのこと。
今Macの中に入ってるスグに扱える写真データは、自己紹介用のファイルに入ったサムネイル的なラフなものしかない。

とてもA0サイズのプリントアウトに耐えられるデータではない。

幸い丁寧に暗室作業をしてブックマットを作り額装までしてるものが自宅にあった。

実家の倉庫として使ってる家が雨漏りする恐れがあるため、2014年に帰国して早々に写真だけ避難させたものの一部である。
暗室作業としてプリントしたのは1998年。

当時入会したばかりのAPA(日本広告写真家協会)の写真展のために焼いたものだったろうか。

FB(ファイバーコットン)のバライタ紙を使って丁寧に現像や水洗や調色を施し、無酸性のミューズコットンと呼ばれる厚手のボードでブックマットを作っていたので、写真面は20年以上経ていても全く変色も無く、自分でも驚くほど非常に綺麗な状態で残っていた。

倉庫の雨漏りから逃れたものの自宅での保存は自慢出来たものではない。

室温や湿度などお構いなし、成り行きのまま全く気を遣っていなかった。

しかし、恐るべしアーカイバルプリントだ。

 

それを今手元にあるデジタル一眼レフで再度複写して、ベストコンディションのデジタルデータを作る。

デジタルが主流になって登場することも少なくなってしまったストロボを引っ張り出してきて、スタンドにヘッドをセットする。

自宅で広げるには大き過ぎるレフ板を使いRAWデータで撮る。

今はMacに入ってるPhotoshopに撮影時のレンズのデータを入力してやると、クリックするだけでレンズの収差をデジタル補正してくれる。

Macの画面で大きく拡大して観てみると、当時丁寧にプリントしていたつもりでもしっかりとアラが見えてくる。

アナログケミカルの時代、引き伸ばし機でプリントする際にネガフィルムに付いた埃の影が白く点になって画面上に跡を残してしまう。

それを極力防ぐためにアセテートフィルムに静電気除去の装置の風を当てたりブロアーで吹き飛ばしたりした。

細心の注意を払っても暗室を無塵空間にはなかなか出来ないため、水洗処理を済ませプリントを乾燥した後の白い点を極細の筆を使って写真の粒子を書き込みスポッティング作業をしたものだ。

今はPhotoshopで開かれたRAWデータをA0サイズでのプリントアウトに耐えうるデータに変換する。

そのついでにPhotoshopのコピースタンプツールでスポッティングを施してやる。
図らずも映画等でよく耳にする、所謂デジタルリマスター処理をすることとなった。

最終的に圧縮率の低い tif データで保存し、重たくなったデータはギガファイル便で父島へ送った。

 

23日午前9時より、父島の小笠原聖ジョージ教会でお別れ会が行われた。

生涯サーフィンを愛し続けた小笠原の CHAPPY がサーファーとして海へと帰って行った。

2022年9月になって

9.6.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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2022年9月になって

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コロナ禍になる前、店がオープンしたばかりの頃からの知り合い。

後輩の松村が紹介してくれた、関西で劇団を主宰しているキホーさんが生業にしている会社勤めの富山出張で、ついでに病後の様子を見に来てくれた。

彼の仕事は富山には似つかわしいとは思えない某猫キャラのライセンス契約を取る営業の仕事。

最後に会ったのがコロナ前。

「ダークマスター2019 TOYAMA 」の稽古が始まって台本を受け取ったばかりの頃だから、正月が明けて間もない頃以来だ。

 

県外からの来訪者には、せっかくなら富山近郊で獲れる海鮮を食べてもらいたいと思うので、太陽珈琲焙煎本舗の店舗の近所、数百mのところにある美乃鮨さんへランチに行く事にした。

富山湾は3000m級の立山連峰からミネラルを含んだ雪解け水が流れ込むことから天然の生け簀と呼ばれている。

そんな富山湾で獲れる魚をネタにした「富山湾鮨」を提供してくれる。

ミシュランガイド北陸2021でも紹介され、東京からわざわざ訪れる利用者も多く、最近銀座クラブホステスに乱暴をして巷を賑わしている俳優さんも訪れる店でもあり、普段からなかなか予約の取れないところなのだ。

 

暖簾をくぐると大将が「もう身体は大丈夫ですか?」と透かさずカウンター越しに声を掛けてくれた。

退院して早半年以上が経ち、外見からは全く病人の体を成していない者としては、不意を突かれて気遣われてしまうともはや恥ずかしい気分になる。

実際は、未だ右手を使って文字が書けない。

箸はなんとか使えるのだが。

そして、自分でも自覚し辛いのだが、なんとなく集中力の持続が短くなってしまったような気がする。


その二日後。

2022年になって初めて、カターレ富山のホームゲームでスタジアム周辺でのテント出店する事になった。

退院して間もなく、第一日曜日の「護國神社 とやま のみの市」、第四日曜日の「越中大手市場」と月2回の出店は再開させたのだが、屋外でのイベントでその場に居続けることが体力的に不安だったり出来なかったりするのだ。

今まで何の迷いもなく普通に出来ていた事が不意に出来なかったりする。

二人前のカレーを更に盛り付けて、両手でひとつずつ持って何歩か移動しようとして、右手の握力はだいぶ戻って来たと思っていたが、突然意思とは関係なく手指の力が抜けて、皿を落として割ってしまいカレーを地面にぶちまけてしまう。

 

通院していた病院のリハビリも、先月の時点で退院して半年経ったという事もあって一段落した。

今後は独自に生活の中でのリハビリを意識しながら仕事の復帰を目指す段階となる。

 

そんなこともあって、今までなら夫婦二人でテント出店を切り盛りしていたところを、大事を取って男性一人をヘルプ要員として加わってもらうことにした。

何ともないなら、二十代の愛想の良さそうなカワイイ女の子にバイトに来てもらい、店主自身のモチベーションをアップすると共にお客様の印象の向上を図るところなのだが、カターレ富山の出店は荷物が多く重い物が有ったりする。

コーヒーグラインダーを動かすための電源は持参の発電機を動かさなければいけない。

それが中にガソリンを入れた状態にした場合30kgを越える重量になってしまい、搬入搬出時には運転してきたクルマから上げ下ろししなければならず、ヘルプ要員は愛想やビジュアルを重視する訳にもいかない状況であると判断するに至った。

 

カターレの出店では、いつもの出店のようにカレーこそ出さないが、カレーに変わる「台湾魯肉飯」を出すことに決めている。

他にも10店舗以上の出店者がいて中には移動販売車で乗り付けてキッチンを現場に用意出来てる店があったりする。

この場所に於いては、カレーなど珍しくもなんともないのだ。

そして、魯肉飯も仕込みはカレー同様、前夜の作業となる。

 

約40人前を目安に、豚バラ肉を10kg買っておいた。

今年になって初めての購入。

9ヶ月ぶりの豚肉は、このところの情勢や物価高騰もあってか、以前の価格から20%も値上がりしていた。

これは魯肉飯の販売価格もそのまま反映して値上げして良いのではないか!? とも思ったのだけれども、今回で復活する久々の出店ということもあって、なんとなく値上げはしたくなかった。

ブツブツ文句を呟きながらも魯肉飯を仕込むためには豚バラの塊を切らなければいけない。

10kgの肉をおおよそ2cm角に切るのは右手がマトモに動いていたとしても単純に時間が掛かる作業だ。

溜め息を付いていても作業は捗らない。

重たくてウッカリ落としそうになる豚バラを無心になって切る。

先ず10L鍋に入る程良い大きさに切って、火が通る程度に下茹でをする。

その茹でたものを氷で冷やし、もしくは冷蔵庫で冷やしたものを包丁で切る。

生肉を切ることも出来なくはないが、脂身を蓄えた生のバラ肉は柔らかく脂で滑って切りにくい。

茹でて低温で堅くしたものを切るのが効率的だ。

途中何度も包丁を研いで、何度も湯で刃を洗う。

ステンレスの包丁が良くないのか!? 

北京にいた頃、市場で肉屋の阿姨( アーイー:おばちゃん )が切り分けてくれる時の包丁はどこにでもあるような鉄製の錆びて焦げ茶色になった包丁だったが、驚くほど良く切れるものだった。

一度手を動かすだけでシャーッと切れていた。

切れない包丁を使うときは、包丁を鋸のようにギコギコやってしまう。
今のところ、下茹でして低温にした肉を切る方法がベストと思われるが、果たしてどうなんだろう。

とにかく右手を動かして切り続けるのが、生活の中でのリハビリとなる。

 

9月3日カターレ出店の当日は、生憎の雨。

それも結構真剣に降っている。

出店の準備の時だけでも止んでもらいたいが、自然相手では容赦ない。

店からコーヒーの道具や魯肉飯の鍋やらテントやテーブル、、、、久しぶりの出店でクルマに荷物を積み込む段取りが上手くいかず、出発をするまでに酷く時間が掛かってしまった。

決められた搬入時間を厳守しないと、スタジアム周辺に集まり行き交う観客の邪魔をしながらクルマを侵入させなければならず、場内を誘導する警備員さん達に大迷惑をかけてしまう。

だがしかし、スタジアムまでの道路は雨のため、富山市では珍しい渋滞を起こしている。

ワイパーを速く動かしても視界が悪く運転していて無性にイライラする。

 

事故になったりしないよう気持ちを落ち着かせ、なんとか搬入時間の締め切りを8分過ぎてスタジアムの入り口に到着。

ゲートに立ってる一人目の警備員さんに「すみません!遅れました!搬入に来ました!太陽珈琲焙煎本舗です!」と声を掛けたら、予定されてるテントの位置までの脇道へ誘導してくれた。

そのまま徐行して進んでみると、顔見知りの警備員さんが待ち構えていてくれた。

クルマのドアのウインドウを開け「すみませ~ん!遅れました~!」と叫び、小言のひとつも言われるんじゃないかと思いきや。

雨の中彼は小走りに近寄って来て満面の笑みを浮かべながら「お帰りなさ~い」と言って迎えてくれた。

 

今月半ば頃、北京から長期出張で主に東京に滞在している于智为が富山にやって来る。

美味しいものを食べにとは言ってるが、結局のところ脳梗塞を患ったオヤジの様子を見に来てくれるのだ。

入院

7.11.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

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入院

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予想していた通り脳梗塞と診断され、直ぐに幾つかの錠剤を飲まされ点滴が始まった。

脳細胞のダメージがより大きくならないよう血液をサラサラにする薬を投与された。

ストレッチャーに寝かされたまま数人の看護師さんに囲まれ、「へぇ~、太陽珈琲さんだ!? 」「あの市電通り沿いのお店やろ? 」「前から気になっとたんよねぇ~」と歓迎しているがごとく愛想の良い対応してくれていた。

それぞれが現在の麻痺の症状を把握するために「私の手をギュッと握ってください」と言って来るので握り返そうとするのだが全然力が入らない。

病院に到着してから数時間の間もずっと緩やかに、状態は悪い方に進行し続けていたようだ。

そのまま入院することが決まって病室に運ばれた頃は既に12時を回ってたように記憶している。

当直の研修医のデスクの上に乗ってるモニターで、CT画像を見せられ脳の左側に霞が掛かっているその辺りにダメージが有るという事を確認した。

説明してもらわないと何も判らない。

当人自身には全く痛み等無い。

右半身が全体的に重たく感じ、右目の瞼が意図することなく下がって来る。

唇にも右側が歯医者に行った時に掛けられた麻酔のような痺れ、普段とは違う動きの鈍さを感じていた。

そのためなのか看護師さん達と話をするにもどことなく話しづらい。

もどかしい。

これが「ろれつが回らない」ということか!?
病室に入って少し落ち着いたところで、ふと我に返り、先行きが判らず不安に陥ってみたりし勝ちなものだと思うが、急に睡魔に襲われ寝てしまった。

左手は点滴右手は麻痺で身動きも出来ない。

テレビを見るでもない。

スマホでネットを見るでもない。

今後果てしない退屈な状態を過ごさなければならないのだろうと情けない気持ちになりながら落胆しつつも腹を括った。
とは言え、今まで体験したことのない新鮮な出来事に直面している。

一寝入りして、目が覚めてももちろん病室のベッドの上に居ることには変わりがないが、今を思えば差ほど気落ちしている風ではなかった。

午前3時頃だっただろうか、脳梗塞になっても当然尿意を催すものである。

病室に入った時に「何かあったらコレ押してくださいね~」と動かしづらい手元の近くに置いてもらったナースコールのボタンを思い出した。

でも、思った通りに手は動かない。

立ってトイレに行くことも出来ないに違いない状態で、どうやってオシッコするんだろう?

点滴をしている最中ということもあって、身体から管が出ているイメージが先行してしまい、このままベッドの上で尿を排出させるための「尿道カテーテル」を施されてしまう!? と勝手な妄想で占められてしまっていた。

何らかの原因で自力での排尿が困難な場合、尿道口から膀胱へチューブを挿入し、人工的に尿を排出させる方法だ。

10年くらい前だったか、まだ北京で生活していた頃、PM2.5の影響か何かで喉に違和感を感じて診てもらった時に鼻から胃カメラを入れられた事があった。

喉の様子を診るための内視鏡だ。

いわゆる口から飲む胃カメラのような黒い太い管状のものではなかったが、鼻は呼吸をするための場所であって管を出し入れするようには出来ていない。

かつて味わったことのない苦痛を強いられた記憶だけが残っている。

鼻はズルズル、目から涙も出てた。
それが、今度は尿道口から膀胱まで。

いったい何センチ有るんだ!?

想像を絶する苦痛を強いられる気がしてならない。

苦痛を恐れるあまりナースコールのボタンが押す気にならない。

でも、精神的な緊張感と共に容赦なく尿意が高まっていく。

もう少し待つか、今押すべきか!?

タイミング良く点滴の交換をするために看護師さんが来てくれた。

幸い少し年配の経験も充分そうな、婦長さんかもしれない威厳を持ち合わせた方だった。

点滴の交換が終わるのを見計らって、「あの……、トイレに行きたいんですけど」と恐る恐る申し出てみたら。

「あ、まだ動けないでしょ!? 尿器使ってね。」

とベットの脇に準備されていた柔らかい乳白色のプラ製尿瓶を差し出された。

「使った事無いんですけど……」

と応えると、

「ちょっと待ってねぇ~」

とすかさず新型コロナ対策なのか部屋の入り口に置いてあるビニール製の透明エプロンを付け、薄いラテックス製の手袋を嵌めながら、準備万端と言わんばかりに手袋の端をパチンと鳴らした。

婦長さんには全く躊躇は見られない。

むしろ戦闘態勢のスイッチが入った。

有無も言わさず掛け布団を剥ぎ、病衣の下からトランクスを下ろし、迷いの無い慣れた手つきで、親指と人差し指二本でひょい摘まんで尿器の入り口にあてがわれた。

不意を突かれ、声には出なかったが「ひぃ~っ!」って悲鳴を上げそうになった。

婦長さんは、再び上に覆うかのように掛け布団を掛けて「少ししたら戻って来ますね~」と言って部屋を出て行った。今のうちに用を足しておけと言うことか。

そうは言っても、半世紀余り生きて来て横になった状態で用を足した記憶が無い。

婦長さんの手際の良さのあまり、先程のように高まっていた尿意が一瞬落ち着いてしまったようだった。

些か踏ん張るかの如くなんとか尿器に用を足し、さてどうしたものかとひと息付くや否や婦長さんが「おつかされさま~」と再登場。

ドアの外で控えて待ってたのかと思うぐらいの絶妙で無駄の無い間での登場だった。
お陰で、入院第一夜、ダメージを受けていると思われる頭の中で膨らんでいたカテーテル導入の恐怖からはあっさりと逃れられ、そのまましっかり静かに眠りに就けた。

しかし、普段の生活に比べ病院の朝は早い。

一寝入りすると、朝食の配膳のために廊下を行き交う人達がいて自然と目が覚めた。
思いの外、病院食が美味く感じられた。

病院なう。

5.5.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

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病院なう。

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右手に持っていたチーズをポロッと落とし、Amazonの段ボール箱に倒れ込んでから4時間後。

富山市民病院の救急センターで測った血圧は上が 220 。

一昔前は「動かしちゃダメ!」と言われていた脳卒中(急性期脳血管障害)だが、いつの間にか病衣に着替えさせられ、ストレッチャーに横たわったまま移動しCTやMRIや心電図を採られ、当直の研修医には「ギリギリだなぁ~!」と言われつつ、血液をサラサラにする効果の点滴をつなげられ、そのまま即入院となった。


医者のデスクの上にあるモニターにはモノクロのCT画像が出されており、左脳の辺りが黒く曇りがかっている。

発症から病院に来るまでの間で右半身が重たくなり、右目が開きにくくなり口も呂律が回りにくい。

納得の右半身の麻痺。

緩やかだが進行している。

 

診察を受ける前に受付で書かされた書類の中に臓器移植提供の意思確認をするものがありヒヤッとさせられたのだが、考えてみれば脳の血管が詰まったり破れたりする脳梗塞や脳出血により脳が司っていた身体機能や言語機能が失われたりする可能性は充分有り、場合によっては生理機能に問題が生じ死に至る可能性も無くは無い。


少しずつヤバイ事態に陥ってしまった事を自覚せざるを得ない。

病棟に移る際には付き添って来てくれていた妻とも別れ帰宅してもらう。

コロナ禍でなければ病室まで来てもらい身の回りの事など整えてもらえるようなのだが、時節柄それらは叶わない。

病院に来た時まで来ていた服、コートやトレーナーやシャツ、ズボンや履き物に至まで全て45L以上のゴミ袋に詰め込まれ持って帰ってもらうことになった。

既に深夜になってるにも関わらず流れるように何人もの看護師さん達の手によって病室に運ばれ一段落。

手元に残してもらえたのはスマホを含めた財布などいつも持ち歩いてるバッグだけ。

ひとりになって何もする事が無い。

かと言ってベッドの上では左腕にずっと点滴につなげられ右半身の麻痺の進行もあって、寝返りを打つのがやっと。

動かしづらい右手でスマホのカメラを操作し、点滴されてる様子を撮影しFacebookに「病院なう。」と状況をアップした。

まんじりともせず。

 


ところが入院したばかりの第一夜。

夜勤の看護師さん達は絶え間なく点滴を交換に来てくれる。

患者の名前を確認し、体温を測り血圧を測り、血糖値を測り、足の曲げ伸ばし具合をチェックして、「私の手をギュッと握ってください」と手の握力を確認し、腕の上がり具合や目の動きも観察してくれる。

通常市民病院の看護師さんは一日2人がペアになっていて3交代。

一日6人が熱心に様子を伺いに来てくれる。

更に医師の診察があり、日によってはX線や心電図の検査が加わったりする。

そして、一日3食きっちり食事が運ばれて来る。

入院患者の一日は想像していたものとは打って変わって、何かと慌ただしく忙しいものなのだと実体験する事になった。

OH, NO !

4.5.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

For Enjoying Toyama Life !

OH, NO !

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コロナ禍において丸の内店舗の営業はしばらくしない。
そう決めてから店舗内は、テント出店のための道具やら荷物やらで倉庫としての様相を呈している。

コーヒーを試飲してもらうお客さえも招き入れない方針なのだから、冬場の気温が低い日でも暖房は石油ファンヒーターで作業するときの自分の足下を温める程度にしていた。
今思うと、それも良くない原因のひとつだったのかもしれない。

 

お金を稼ぐのが仕事なのだから、請求書を書くのは「楽しい」という感情の部類にカテゴライズされモチベーションがいっそう上がっても良さそうなものなのだが、苦手な事務作業の中でも最も時間が掛かってしまい一向に捗ることがない。

区切りの良いところで一旦止めてランチにしておけば良かったのだが、ゴールがまったく見えて来ない嫌いな会計作業という事もあり沼に嵌まってしまって食べ損ねていた。

カウンター奥のコールドテーブルの中に何かあるかもしれないと漁ってみたら、カマンベールチーズが手付かずで丸々残っていた。

お手軽なので包み紙を剝いて一口齧り付き、再び作業に戻ろうとテーブルに戻ろうとしたら、ウッカリ右手の親指と人差し指からポロッと食べかけのチーズを床に落としてしまった。

 

「あ~~勿体ない! まだ一口しか食べてないのに!」と思いながら、しゃがみ込んで椅子の下に転がってしまったカマンベールを拾った。

「…………なんだ!?」

普段手に持ってるモノを落としてしまう事なんて滅多に無いので、瞬間的に不思議な違和感を感じた。

チーズを拾って、そのままゴミ箱へ捨てに行こうと一、二歩動いた途端、今度は目の前のAmazonの段ボールの空箱を積み上げた山へ頭から突っ込んだ。

その時は「くそっ!」と思いながらも、足がもつれたのは気になする事も無く、今度はチーズをつまんだままになってる右手の指が不思議と感覚が鈍いように思え気がかりとなった。

何かに手を打ち付けた記憶はない。

特に痛みが有る訳でもない。

そして、もう会計作業を続ける気は失せてしまった。

「とりあえず、コーヒーを飲もう!」

カウンター上に置いてあるデロンギの全自動コーヒーメーカーマグニフィカSのスイッチを入れた。
基本的にハンドドリップでコーヒーを淹れるのだが、ウチのコーヒー豆を定期的に購入してくれる飲食店さんが使ってるコーヒーマシンなので、店でもテイストやフレーバーを確認するために置いてみたがのだ。

これがスイッチを入れて間もなくボタンを押すだけでホットコーヒーを淹れられるのだから、ラクに使える余りそのままカウンターの上に鎮座しているシロモノだ。

そして、この日は、19:00~21:00で越中大手市場の定例オンラインミーティングの日でもあった。

18:00頃になって、妻が勤めている会社の退社時間が過ぎて良い頃合いになったので、一応オンラインミーティングがあるため、帰宅せずにそのまま店に残ることをメッセンジャーで伝えようとした。

スマホの文字を打つのにどうもミスタッチが多い。

捗らないのだ。指が太いからというような原因ではないミスだ。

指が痺れるという表現は的を射てない。

メッセージを打つ右手の指の感覚が鈍いのだ。

メッセージを打ちながら、この後店に残ることを伝える内容から右手の感覚が鈍いという内容に変化し、病院へ行ってみた方が良いというところまでの展開となった。

やがて30分程後、妻は会社から自転車を飛ばしてやって来てくれた。
店のテーブルに広げていた会計の書類やパソコンを片付け、暖房を消し電灯を消しながら病院へいく準備をする。

何かが進行して緩やかに体調が悪くなっていくような身体が重くなっていくようにも感じられた。

自家用車のN-VANを自分で運転して病院に到達出来たとしても、自走して帰って来られる自信はすっかり失われていた。
富タクへ電話してもらって、タクシーに店まで来てもらうことに。

東京と違って富山で流しのタクシーを都合良く捕まえられる事はまず無いと思って良い。

待ってる間、暖房を消してしまった店内は結構気温が下がり寒さを感じるくらいにまでなっていた。

ミーティングをドタキャンしてしまうことをメッセンジャーグループに送信し、タクシーを待った。

前もって銀行に寄ることも出来なかったので、タクシー代を支払う現金が足りなくなるのではと少々心配をしていたのだが、運転席の後ろのアクリルボードにPayPayが使えることを示すステッカーが貼ってあったので、安心して後部座席にぐったりして倒れ込んでいられた。
どんどん体調が思わしくない方へ向かい右半身が鈍くなって、顔や口でも麻痺を感じられるようになって来てるので、自分自身でも「いわゆる脳梗塞というヤツだ!」と判断するに至った。
ちょうど一年前、大学時代の同期のヤマグチが罹ったやつだ。

たまたま上京する用事があったので、病室まで見舞いに行って「血圧が高いのってヤバイよね~。明日は我が身だぁ~!」と、口では言っていたものの、まさかその一年後に本当に自分自身の身に降り掛かる事になるとは。全くの想定外の事だった。
緊急を要する事態とはこれっぽっちも考えずに「富山中央病院へ」と行き先を伝えたのだが、着いてみたら病院の受付で「今日は救急お休みなんですよ!」と残酷な返答。

富山市では、救急を受け持つ病院が定期的に交替するらしい。

呆れて冗談交じりに「死んだらどうすんだよ!?」と苦笑してしまった。

仕方なく富山市民病院へ移動せざるを得ない事態に陥り、あらためて妻にタクシーを呼んでもらった。

今を思えば、最初から太陽珈琲の店舗へ救急車を呼ぶべきだった。

そして、中央病院からも救急車に乗るべきだったのかもしれない。

かつて脳卒中と呼ばれる脳血管障害は、発症したと思われた時点から身体を動かさず安静にしなければならないとされていたようだ。

ところが、現代医療では対応がアップデートされ、発症からとにかく早期に発見され対処されることにより重症化を避けることが出来るとされている。

結局、富山市民病院の救急センターで診てもらえたのが右手からチーズを落として4時間後。

救急の医者の第一声は、その場に居合わせている患者の気持ちに対して配慮している暇など無いからなのか「発症したのは何時? ギリギリだなぁ~!?」というオブラートに包まれていないナマの発言を聞かされる事になった。

救急外来のエリアでは何人もの患者と思われる人が横たわっており、医者や看護士が小走りに動き回って対処している。

家族は中に入れてもらえず廊下で待っていなければいけなかったようで。

自分は気が付くと、いつの間にか着ていた服を全部脱がされ、前開きの浴衣のような病衣に着替えさせられていた。

部屋の奥の方では、小さな女の子が「イターイ~、イターイ~」と泣いていたり、首が動かせる範囲の見えるところでは頭から血を流してる老人が呻き声を上げていた。

ドラマや映画で見たことのあるような光景の中、ストレチャーに乗せられたまま病院の廊下を移動して、CTやら心電図やら採られていた。

ストレッチャーに乗ったまま仰向けになって目を開けてると、移動してるからなのか具合が悪いからなのか、目が回るようで気持ちが悪い。

就いてくれた研修医がモニターでモノクロのCT画像を見せてくれた。

自分自身で上から見たの脳幹部の左側に薄黒くくすんだ部分を確認した頃には、しっかり右半身の麻痺をも自覚出来るくらいになっていた。
当然そのまま入院することになり、いろいろな手続きが進められる中、看護士が書類を持って来て、なんの気兼ねもなく「臓器提供の意思登録されてますか?」と尋ねられた。

つい先程まで右手から落としたチーズを勿体ないと思っていたところに臓器提供とは、思いも因らない質問に不意を突かれ、一瞬時が止まった。

最近では運転免許証の裏面に臓器提供意思表示記入欄が儲けられており、意思表示出来るようになっていることは知識としては知っていた。

また、それで意思表示をしてはいなかったものの、提供するなら煙草を吸う習慣がなかった者としては肺が綺麗に違いない。

ぷりぷりで断然オススメだなとも思っていた。
だが、「エッ!? 脳死の可能性があるの?」と思わず問い返してしまった。
それくらい、今自分が置かれている現状に対する認識が伴っていなかった。
普段から血圧が普通より高いという自覚はあったが、健康診断など10年以上受けたことがなかったし人間ドックなど考えたこともなかった。
「病気」というものは、医者の診断によて病名を名付けられるから病気になるものだと思っていた。

 

入院が決まって、病室のベッドの上で測ってもらった血圧は上が220。

自分でも今まで聞いたことがない数値だった。

越中稲荷神社

2.5.2022

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

For Enjoying Toyama Life !

越中稲荷神社

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七年目となる越中稲荷神社での初詣テント出店。

毎年やることは同じでも、年齢を重ねるごとに体力的にキツく感じるようになってきている。

逆に、テント出店せずに新年を迎えた感じになれなかったりもする。

 

それにしても、去年は辛かった。

例によって夫婦して大晦日よりテントを設営し早々に訪れる初詣客を迎えた後、人が途絶えたのを見計らって一端休憩の為その場を離れた。

その後の予想を遙かに上回る大雪に、柔なタープテントは数時間降り続いた雪の重みに耐えかね、それぞれの足がグニャリと曲がり開脚してしまって潰れて全く用をなさなくなってしまっていた。

そのため、しばらくしてその場に戻って来て、一月一日の元旦から雪で潰されたテントの残骸の中からコーヒー機器を救出し、壊れたテントを束ねて処理し、疲れ果てて営業再開に漕ぎ着けるという無駄な労力を使うことになってしまった。

その後も大雪は続き、富山市の主要道路は除雪が全く追いついておらず、自分も4WDのエルグランドに乗っていながら雪に足を取られスタックし、保険会社のロードサービスにレスキューコールするもロードサービスの車両自体も現場に駆けつけられないという理由で、結果的にロードサービスにも見捨てられてしまった忘れられない大雪の日、1月18日だった。

 

そして、今年2022年寅年。

聞いたこともなかったラニーニャ現象だかの影響で早々にまた大雪になる事が予想され、学習した富山県民は、雪で屋内に閉じ込められても良いようにと非常食や水、インスタントラーメンを買い込んだ。

自営業で客商売を営む者は広い面積の駐車場を所持し管理していがちなものなので、秋くらいから大型特殊免許を取得し除雪用のホイールローダーを操作できるように備えたりしていた。

果たして、不意を突かれた去年と比べると全く足下に及ぶものではなかったのだが。

ウチの場合は、昨年まで乗っていたお気に入りのディーゼルのエルグランド4WDは5月に車検がやって来てしまって、幾つかの修理箇所を直して車検を通すよりかは新しいクルマのローンの足しにするべく修理代を新車に充てた方が経済的だと周囲から説明され、苦楽を共にしたエルグランドと別れ、泣く泣く乗り換えることを決意した。

 

次に選ぶは  N-VAN  。

軽自動車にしたのはいつまで続くかサッパリな景気への燃料費軽減対策とペーパードライバーと化して移動にいささか不自由に感じ始めている妻が運転を試みるキッカケになればという思いから。

日本に於ける車検制度を踏まえると、お気に入りなクルマがあったとしても古くなって乗り続けるのが難しい。

古くなったクルマを直しながら乗るというよりは、どんどん新しいクルマに乗り換えさせる方針なのだと感じた。

そういう国策なのだ。

そして、今後、燃料など日本独自で価格を決められるものではない。

ましてや世界は電気自動車にシフトしつつある。

10年後ガソリンエンジンの自家用車に乗っていられるとも限らない。

とはいえ新しい電気自動車には飛びつけないし、そもそも好きじゃない。

むしろ嫌いだ。

日常の移動手段として使う道具としては経済的でエコで進歩的でもある。

でも、クルマは何か有った時の非常時にこそ役立って欲しい道具である。

洪水で辺りが水没した時、土砂崩れや地震や災害時の足場が悪いところ、富山のように大雪が降ったりする地域にとって自然に対して気を引き締めて生活しないといけないツールである。

そう考えると電気自動車というものは大きく考えの偏りがあり、イザとなった時には使えない粗大ゴミとなったりする。

 

そして、この新しい N-VAN 。

このコロナ禍の御時世なのか世界情勢なのか、半導体やら部品が工場に揃わないという理由で、納車までに6ヶ月余り、12月上旬になってやっと富山の路上で運転出来るようになったのだった。

 

当然言うまでも無くこの N-VAN も4WD。

冬のデビューとなってしまったが何の心配も要らない。

重要なのはテント出店で持ち運ぶ荷物たちを積んで現場まで運べる能力。

カジュアル系軽貨物自動車なので、荷物のレイアウトを工夫すれば先のエルグランドとほぼ同じくらいの荷物を載せられる。

更に、燃費も良い。

優秀君だ。

 

大晦日。

荷物を積んでイザ越中稲荷神社へ。

既に30cm近くの積雪があったが、非常に首尾良く22時には営業を始められていた。

店開きを終えるまで N-VAN を設営したテントに横付けにしていたでので、傍若無人にいつまででも駐めておける訳もなく、予定していた駐車場へと移動させることにした。

行ってみると、その駐車場いや、もとい空き地だ。

その空き地は、入り口から辺り一面に真っ白のフワフワの新雪になっていた。

そういう綺麗な新雪には無防備に身を預け、思い切ってダイブしたいもの。

今回運転し慣れていない N-VAN に乗っていたにも関わらず、そんな衝動に駆られてしまったのだ。

新雪の中に、新しい N-VAN で「うぇ~~~ぃ!」だ。

N-VAN はちょうどクルマ一台分くらい突っ込んだ所で止まった。

全然問題ない。

この N-VAN は四駆なんだぞ。

、、、、、、、「あれっ!?」

最近の新しいクルマはデジタル制御されていて、空回りのようなタイヤに無駄な動きをさせないためなのか理由はさっぱり解らないが、アクセルを踏み込んでもタイヤが回ってくれる気配が無い。

スタックしたぁ!!!!

首尾良く開店出来たので,スタックから脱出するのに時間を費やすのは勿体ない。

N-VAN をそのままにして、徒歩でテントに戻り、カウントダウンをする間もなく新年2022年を迎えた。

 

2021年1月18日、大雪でエルグランドが動けなくなってしまい、ロードサービスを呼んでも来てもらえなかったことを決して忘れない。

あの時ほど大雪ではないにしても今回の N-VAN のスタックは、1月1日元旦である。

世の中の動きが止まっている日。

多くの人々はお雑煮喰ってお屠蘇飲んでテレビ見てゴロゴロしてるに違いない。

誰か初詣に来るついでにレスキューしてもらおうと思いつき、Facebookのタイムラインを見た。そうしたら、土偶が、自宅玄関先に積もった雪を除雪してる様子をアップしたばかりだった。

2022年令和4年初のラッキーが訪れてくれた。

午前中のうちに牽引ロープを携えハイエース4WDで駆けつけてくれ、 N-VAN は難無くスタックから脱出することが出来た。

太陽珈琲PANGBIAN

12.5.2021

DAYS / Tatsuro Rokudo Column

Coffee +

コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。

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太陽珈琲PANGBIAN

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2021年11月30日午前0時から当面年末まで、日本は全世界からの外国人の入国を原則停止することを決めた。

新型コロナウイルスの新たな変質株「オミクロン株」の感染が各国に広がっている為だ。


富山県に住んでる者としては、正直なところ報道や都会の様子との温度差を感じざるを得ない。

11月に入ってからの富山県は新規感染者0人の日が長く続いており、27日県外の滞在歴がない70代男性が1人軽症で入院されたことが26日振りのニュースとなった程度なのである。

天気に恵まれた日曜日11/28の毎月レギュラーで参加し