DAYS
STAY SALTY ...... means column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
Tatsuro Rokudo Column
For Enjoying Toyama Life !
from Toyama / Japan
六渡達郎
太陽珈琲焙煎本舗
大学在学中より演劇の制作に携わり、一方では雑誌や広告の写真撮影を生業にすると共に、数々の舞台に関わる写真を撮影。
1999年写真展『小笠原生活様式』銀座コダックフォトサロン、2000年写真集『小笠原ターザン』を出版。
その後、2005年生活拠点を北京に移し、2007年「Caffè il Sole Beijing」開業。
中国人も驚く「神奇的杏仁豆腐」で巷では有名なお店となる。
北京在住の日本人中国人有志と共に2010年北京で自分の夢を追い求め奮闘する若者を描いた日本語喜劇『咖啡店的太太〜Catch the Beijing Dream』を企画演出し好評を博す。翌2011年再演。
その後も舞台演出、アフレコ、中国TVドラマ出演なども。2013年「Caffè il Sole Beijing」閉店。
日本スペシャルティコーヒー協会SCAJコーヒーマイスターの資格を取得。
2014年10月富山へ。2015年12月、コーヒー豆の焙煎加工を行う「太陽珈琲焙煎本舗」を開業。
2019年 タニノクロウ演出作品『ダークマスター2019TOYAMA』出演(主演ダークマスター役)富山オーバードホール
12.5.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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ジャン・レノって俳優さん知ってる?
周りに居た仲間は皆演劇に携わってる者たちばかりだったので、当然の共通認識として会話は進む。
ところが、自分の息子かとも思えるような歳の離れた世代の人物にとっては「 LEON」を観ていなければ「グラン・ブルー」も全く知らない。
驚愕してしまった。
ジェネレーションギャップ、カルチャーギャップ、ジェンダーギャップ、、、、自己と他者の間に必ず生じるギャップ。
それを楽しめるものであればまったく問題無いのであるが、違う価値観を嘆いてみたり時には相手を排除してしまいたいとも思ったりする。
お互いの共通認識となってさえいなければ生まれなかったトラブルがある。
そのように考えると、普段から映画や演劇やアニメに触れる生活をするというのは「不要不急」などと簡単に片付けられて良いものではない。
むしろ普段から生活の中で吸収しておかねばならない重要な知識の栄養なのだ。
不条理劇の代表作ベケット『ゴドーを待ちながら』を元に(?)、1990年劇団南河内万歳一座率いる内藤裕敬氏によって即興劇『青木さん家の奥さん』が作られた。
更にそれを元に、もう原型を留めないくらいに作り替え書き換え、富山テイストを盛り盛りに詰め込んだ『Naanの本懐―the Success inTOYAMA』。
富山発信型の不条理喜劇エンターテインメントとして、多くの人の共通認識として、御覧いただければ幸いです。
2024年11/22~27『Naanの本懐 - the Success in TOYAMA 』
チラシ裏掲載のステイトメントより
9.10.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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RELOADED
2024年11月22日から27日、富山県民小劇場オルビスにて、『Naanの本懐 ーthe Success in TOYAMA』の公演を行うことを決めた。
原作は,大阪の劇団南河内万歳一座の主宰内藤裕敬氏の「青木さん家の奥さん」。
この「青木さん家の奥さん」は1990年に即興芝居として作られたもの。
ストーリーの主要な部分は決められてはいるものの、ほとんどの部分はアドリブで展開される。
何度も何度も再演される中、ある時期の東京公演が行われた何度かは自分も舞台写真撮影のスタッフとして稽古場や本番の開場で共に過ごしていたこともある。
2009年北京在住の頃、現地に住む日本人と中国人の有志が集まってこの「青木さん家の奥さん」を上演した。
有志が集まったと言っても舞台経験が豊富にある役者ではなく、誘われて日本語の演劇を面白がって付き合ってくれた舞台初心者だった。
実際見てきた長けた経験者のようにアドリブで90分以上もの上演時間を展開出来るはずはないと判断して、原作を元にしっかりした台本を作った。
それで良かったのは、劇中のシチュエーションを北京の街に置き換え、演じる者や観劇するお客さんが身近に感じられる情報を織り込む事が出来た。
更に、ほぼ素人と言っていい役者に合わせて都合の良いように台詞を作り替え、極力身近でリアルな台詞に修正して生きた言葉にすることが出来た。
それらが功を奏したのかどうか判らないが、2011年に北京の別の劇場で再演を果たすことも出来た。
驚く事に「人民中国ネット版」「CRI online」が10年以上経った今でも当時の記事を残してくれているようだ。
以前から富山に於いても演劇のワークショップやイベントを繰り返し開催してきた。
そんな中でコロナ禍に陥り、演劇に関わるイベントが不要不急を指摘され自粛を余儀なくされてしまった。
そうしたどこへぶつけて良いのやら判らない怒りの腹いせ、もしくは復讐といったものがモチベーションの発端になっているような気がしないでもない。
更に、昨年令和5年富山県主催の「とやま観光塾・魅力アップコース」セミナーに参加してみて、富山の観光をどのように盛り上げるかといったプレゼンを考える中で「富山に於けるシアターツーリズム」という構想を提案していた。
「寿司と言えば富山県」というブランディングの推進を考えたりするように、富山のイメージをアップして他府県や海外からの観光客にどのように足を運んでもらうか、どのようにリピートしてもらえるかを考えるものだった。
イベントと言えば、都会からメディアで既に活躍されている有名芸能人を招いて集客を図るものがほとんど。
だが、そうした場合都会に地域のお金が流れてしまうだけで、一過性の盛り上がったイベントに過ぎないのだ。
ネットが発達しテレビのようなメディアの陰りを感じる現代に於いては、地方でこそ都会に無いものをアピールし発信する価値があるに違いない。
先ずは、富山在住の舞台俳優を集め、演劇公演を小規模な人数が関わるだけのものではなく、あくまで富山発信型で、しっかりまとまった動員を図って、多くの関係者が第一に楽しめる企画でなければいけない。
県外からの来場者が芝居を観た観劇後、一度は寿司を食べて帰ってもらわなければならない。
アルコール摂取に問題が無い人なら、富山の美味しい水で作られた日本酒も飲んで行ってもらわなければいけない。
そうすると、クルマを運転して帰ることも出来ないので、最寄りのホテルなど宿泊施設に泊まっていただかなくてはならない。
せめて一泊はして、翌日にまた別の観光巡りをしてもらいながらお土産を買ってもらいつつ楽しんでもらわなければいけない。
…………などとセミナー受講期間中に考え、県知事の前でプレゼンをすべくパワーポイントを駆使したりもしていたのだ。結局のところ、知事の前でプレゼンをしようがセミナー参加者の中から最優秀賞を獲得しようが、根本的な「集客」が出来ないと何もならない。
何の成果もえられなかったと判断せざるを得ないのだ。
それに気が付いたときに、机上の空論にかまけていないで、実践有るのみと自分が経験して来たことを再びカタチにしてみたいと思った。
7.1.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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A MUJINA
2022年の1月18日だったと思う。丸の内の店舗で事務作業をしてて脳梗塞になったのは。
リハビリも含め一ヶ月くらい入院することにり、それ以来高血圧という理由で何種類かの降圧剤を飲み続けることになった。
医者に見立ててもらうまでも無く元々母方の遺伝的な高血圧で、2005年1月に北京に移住して引っ越し直後に高熱を発して倒れた時に血圧を測ってもらい、その北京の外国人対応のクリニックで「血圧が高い!」と言われ、その頃から少しだけ意識するようになり、高血圧の自覚はあった。
でも特に身体のどこかに痛みがある訳でもないので、身体を顧みることもなく、塩分を控えるとか食事に気をつけることなど全く配慮するようなことは無かった。
その10年以上も何も配慮しない生活を続けていたところに、脳梗塞がキッカケとなり降圧剤を施し、普段は170 越えの血圧を強制的に血圧を140 くらいまで下げてしまうと、逆に低血圧の女子のように具合が悪くなってしまう。
体育館でバタッと倒れないまでも、薬を飲んでいる所為で午前中はグッタリしてしまって動けなくなってることが多かった。
この二年間は、血をサラサラにする効果を期待するあまり、午前中を犠牲にしても致し方が無いという判断をくだされていた。
月イチの通院の際、朝食後に飲む薬の量や種類について散々不具合を訴え続けて来たのだが、一時は薬の量を減らしてみたり飲む時間帯を変更したりしてくれてはいたが、結局血圧の数値に良い風に反映されないため薬の量を増やされてしまう。
薬のために調子が悪くなっている患者の言い分など大して聞き入れてもらえなかったように思う。
薬を毎日忘れずに飲み続けてさえいれば表面的な数値が良かったりするだけで、体調は脱力してグッタリしてしまい、生活に支障が来しているのだ。
これがイレギュラーなイベントが続いたりして生活のリズムが狂い、薬を飲み忘れてしまったりすると、血圧の数値はしっかり確実に世間で言われる高い数値に戻ってしまう。
それ見たことか!? とまた薬を処方されてしまう。
もっと根本的に、しっかり体質改善をするような対策を講じなければ、病気が治ったということにはならないのだ。
そこへ、この2024年4月、高血圧の基準値が変更されることになった。
( いったい誰がどんな意図をもって基準値を変更するのだろう?)
収縮期 上160 拡張期 下100となったのだ。
続いて調べてみると、1960年代は「 年齢+90 」。
1987年は「100~180」。
2000年には「90~140」。
2019年には「80~130」と変遷している。
かつて130で高血圧と見なされていた人は降圧剤を処方され午前中グッタリして過ごしていたのが、今年4月からは問題がクリアされてしまったことになる。
そこには月イチで通院し薬を処方され5000~6000円掛かっていた薬代が浮くことになる。
この血圧の上の数値を繰り上げを製薬会社がよく了承したもんだな~。
製薬会社のサブスクが減少してしまうではないか!?
世の中の高血圧基準値がそのように変わったことを、シレッとして通院している患者に伝えない医者も同じ穴のムジナだということだ。
もう病院に通院するのは止める!
コロナワクチン接種についても不信感満載だった。
世の中の雰囲気に流されるものか。
本気でウイルス感染を防ぐつもりがあるのなら、マスクは息苦しくても「PN95」のマスクを付けなければいけないだろう。
ましてや政府支給のアホノマスクは120%役立たずだった。
政治家の身内もしくは関係者が経営する会社が独占的に儲かる仕組みに他ならない。
自己責任の日本に住み続ける限りは、根本的な血液の体質改善を目指すべく、先ず富山市の老舗城石薬局へ行き「松寿仙」という名の松葉エキスを手に入れた。
ヒトの新陳代謝は、一定の周期で繰り返される。
スキンケアでよく言われる「お肌の細胞は28日で入れ替わる」という。
ほかにも、胃腸の細胞はや約5日、筋肉や肝臓は約2カ月、骨の細胞は約3ヶ月の周期で入れ替わるとされている。
多めに見積もって4ヶ月で身体の細胞が入れ替わっているはず。
この2年余り飲み続けた西洋系の降圧剤では改善されなかったため、和漢薬「松寿仙」をメインに取り入れ、同様の主な成分を含むクマザサ茶、赤松茶、高麗人参茶などの効能を期待して、先ずは飲む習慣を身につけようと思う。
飲んでしばらく時間をおいた後、血圧を測ってみると、嬉しいことに多少の効果が反映されているような数値を表してくれている。
強制的に血圧を下げてしまったような脱力感も無い。
少なくとも病院に通っていた頃よりは良くなるような気がする。
4.15.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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INPUT
丸の内2丁目からの引っ越しで荷物の移動はなんとか完了させられた。
次なる課題の、新住所での消防署へ防火対象物使用開始届を提出するまでの内装工事を含めた防火対策がより大きな壁として立ちはだかっている。
想定外の出費となるため、引っ越しの荷物移動と同時進行で内装工事を施工してもらう訳にはいかなかった。
今回の内装工事の監督は、能登地震被害の復興の影響で職人さん達が忙しくなるに違いないと言いながら、施工費用の見積もりも出さずに工事を始めたがる様子がやや垣間見られた。
かつて、今の自宅となっている祖父が住んでいた古い木造家屋を修繕する際も、その時の施工業者は見積もりも出さずに成り行きで工事を進め、あそこもここも問題があるとして次々と改修を進め最終的には雪だるまと化した施工費用を請求されるという、こちらが依頼主にも関わらず業者側の言いなりにならなければいけない立場に置かれてしまったことがあった。
前回2014年から取り掛かった丸の内店舗の内装工事の時も、別の業者だったのだが、大した見積もりも出してくれないまま施工期間やしっかりした契約書のようなものも無いまま成り行きで工事が展開され、最終的に予想を超えた金額の請求書を受け取ることになった。
北京在住の頃、内装工事は部屋の中の、水道の蛇口から電灯のスイッチに至るまで、すべての新しくする部分の器具のカタログや名称、値段をリストにして何を使うか伝えてもらい、了承を得た上で更に見積もりをもらって、施行期限を決めて実行してもらっていた。
どうも富山での内装工事は、土地柄というものがあるのか、北京の時のようなキチッと明確化された展開にはならなさそうな雰囲気だ。
こちら依頼主側がガタガタ面倒臭い要求をする分、それだけ工事の取りかかりが遅くなっているような気がしてならない。
結局、この3月中は確定申告があるとか年度末だとかで、ほぼ工事は進まなかった。
内装工事には新しくLPガスや水道の配管工事も含まれているため、ずっとコーヒー焙煎機が稼働出来ていない。
このタイミングで、焙煎機の釜内の温度をパソコンにグラフ化して表示しコーヒー生豆の温度変化を可視化すべく、デジタル温度計やインターフェイスなど細々と買い揃え準備万端でワクワクしているところなのだが。
コロナ禍以降毎日店に出勤する習慣が完全に乱れたからなのか、脳梗塞を患って以降自律神経や血圧が不安定だからなのか、朝起きて朝食を摂って、、、その後が体調不良とも言い難いような自分自身でも説明出来ない、怠け癖のような状態が身に染みてしまって、以前の作業処理能力の30%程度しか出来なくなっているような気がする。
単に「歳を取った」ということなのかもしれないが。
それだけに、意識して新しいことに取り組まないといけないのではないかと思い立ち、店舗が稼働してしまうと出来なくなってしまうと思われる、今のうちにやっておかなければいけないこととして。
富山市からクルマを走らせて約40分。
富山県砺波市の「大門素麺」の作ってる様子を見学させてもらいに行って来た。
知る人ぞ知る富山の有名な素麺なのだが、実際自宅で食べてみてコシがあって美味しいということ以外は長い間富山県民をやっているくせに何も知らなかったのだ。
富山に生まれて富山で育っている者としては、子供の頃から普通に有った美味しいものでしかなかったので、特に気に留めて感心するものでも無かったのだが、富山を離れ日本を離れた生活を経てみて「あの時食べたアレが美味かったな~」と広く世の中を知ったことによって、故郷富山の産物が美味いものだったことを再認識することとなった。
江戸時代末期の嘉永初年(1848年)で、能登国高松(現かほく市高松)から素麺製造の技術が伝えられたと言われている。2m近い細く長い麺を丸まげ状に丸めた形で、和紙で包んだ独特の形状で販売されている。
砺波には「立山酒造」「若鶴酒造」「北陸コカコーラ」など酒や飲料メーカーが有り、水が良い地域とされている。
そうした良質の水を使って小麦を何回もこね、何回もよりをかけながら細く延ばしていくことで、強いコシとなめらかな喉ごしを生み出し、冬の寒さと山から吹き降ろす寒風にさらして乾燥させることで美味しさが極められるようだ。
メーカー工場のようなところで量産されるのではなく、砺波市内の大門地区と呼ばれるエリアで、農閑期とされる10月から3月にかけて冬場の農家の副業として作業されている。
全国には乾麺が普及しているようだが、最近は「半生麺」というカテゴリーの麺も売りに出されており乾麺とはまた異なる食感で楽しませてくれる。
今回はラッキーなことに現地で試食もさせてもらったが、夏を待たずに最寄りのスーパーマーケットで見掛け次第、自宅の常備食として買っておきたいと思っている。
2.10.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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想定外の展開に
きっと焙煎機の移設が最も大変な作業になるだろう。
そりゃそうだ。
コーヒー豆の焙煎屋の心臓部、メインの最重要の機器なのだから、当然の話である。
本体だけの重さが310kg。男二人で持ち上げて2tトラックに乗せて簡単に移動させられるものではない。
丸の内の店舗に設置した時は、まだ内装工事が終わってない頃の店内には何も物が入ってない状態だった。
表のシャッターやドアは全開。
そこへクレーンが付いたトラックを横付けにし、焙煎機を釣り上げてトラックの荷台から降ろした後、ハンドリフトを使って店内に運び入れていた。
焙煎機が大阪のメーカーだったこともあるが、設置する業者がわざわざ大阪からやって来て、運搬料として35万円くらい掛かったような記憶がある。
コロナ禍明けで店の経営を立て直す思いでする引っ越しに、ふんだんに経費を投じたくはない。
少しでも経費節約するべく、パワーゲート(テールゲートリフター昇降装置)付きトラックをレンタカーして、ヤフオク等で400kg対応のハンドリフトを購入し、屈強な男を二人ばかり連れて来て、、、と思ったのだが。
焙煎機には煙突が付いていて、その煙突の取り外しと防火の対策を施した設置にも手間が掛かってしまう。
400kg対応のハンドリフトならば、その本体自体もそれなりの重量になるに違いないだろし、購入した後所持していても使い道や置き場所に困ってしまう。
そして、100kgを越える運搬となると単純に危険な作業だ。
素人がお金をケチって大怪我してしまう羽目に陥らないとも限らない。
やはり専門業者に依頼しなければいけない案件だ。
そう思い焙煎機メーカーが奨めてくれる設置業者に依頼する方法を選ぶつもりだったが、作業日程の予約など詳細を擦り併せていくと、こちらの引っ越しの日程にどうも上手く合わず。
厨房にある業務用冷凍冷蔵庫も移動させなくてはいけなかったこともあり、厨房機器の移動を得意とする運送業者に任せることになった。
焙煎機からは太めの直径150mmと細めの直径100mmのダクトが付いており、それが室内から壁を突き抜けて屋外で煙突となって焙煎中に出る煙を排出する作りになっている。
煙はコーヒーの匂いがする。
悪臭では無いものの、ベランダで洗濯物を干しているご近所さんにとってコーヒー臭が染み付いた衣服は耐え難いものだろう。
そんな近隣住民に迷惑が掛からないと思われる物件を探していたつもりだった。
まず不動産屋には飲食店の営業が可能かどうかを確かめて、実はコーヒー豆の焙煎屋の営業をするつもりだと言うことを伝え、契約をする前に物件のオーナーにも確認を取ってもらった。
希望する店舗面積が充分満たしてる物件だったとしても、マンションの一階だったりすると、焙煎機の煙突を立てられる条件に合わず、階上に住む住民達の理解を得るのが困難と思われ、その物件は諦めざるを得ない。
2014年に富山に戻って来て店舗物件を探していた頃よりやがて10年を経て、ネットによる情報が整理されており、街中を歩き回って空き物件の看板を探して不動産屋に連絡を取る方法ではなくなっているように感じた。
まずネットで条件に見合う物件を探し出し、担当している不動産屋に問い合わせをする。
コロナ禍を経て営業を取り止める店が街に溢れているような気がしていたが、煙突を立てて近隣に配慮しなければならない条件付きとなると、なかなか思い通りの物件には巡り合えなかった。
丸の内を引き払うタイムリミットは12月31日、年内には退出すると宣言してしまった。
年末ギリギリになると引っ越し業者や内装工事の業者など仕事納めを迎え、通常の感覚では予定が組めなくなる恐れもある。
11月末には新しい物件の契約を済ませるつもりでいたが、結局新しい場所が決まったのは12月上旬のことだった。
引っ越しの荷物を移動させる前、そして不動産の契約を済ませる前、新しい物件に於いても焙煎機を設置し煙突を立てた後になって、周囲に迷惑を掛けることになってはいけないと思い、一応そのエリアの管轄にあたる消防署に確認に行くことにした。
イベント等の野外出店でかつて火気使用届を出したりすることもあったため、最寄りの消防署がどこなのかということも把握していた。
ネット上に公開されていた物件の情報をプリントアウトして、馴染みの消防署へ。
一階に設置されてる受付用の電話を使い、エリア担当なのか担当の部署なのか、身構えることなく先ずは話を聞いてみることにした。
イメージしているのはコーヒー豆の焙煎をする作業場としての利用であって、カフェや喫茶店のような通行人がフラッと店に入って来てコーヒーを飲んで時間潰しをするような店ではない。
それでも、イベント等でカレーや魯肉飯を作って販売することもあるだろう。
それにケーキを焼いたりその他のスイーツを作る可能性も充分ある。
一階受付に降りて来てくれた消防士にそんなイメージをつらつら説明して、20人以下の少数人数相手の飲食店なら各階に消火器を設置する程度で営業出来るでしょうといった大まかなアドバイスをもらいつつ。
今日のところはエリア担当ではないので日を改めて、物件が決まって焙煎機の設置する位置が決定したら、予め電話連絡をしてまた来てくださいとのことで。
やっと引っ越しが出来そうな物件に出会えて安心して早々に不動産契約をすることにした。
ところが、契約した後店舗の内装工事も含めどのように手を加えるか、業者さんを交えて内観を確認し始めたところから、「おや?」と思えるような軽い違和感を覚える事象が出て来た。
先ず焙煎機で使うプロパンガスの配管をどのように引くか。元々建物には都市ガスが通っている条件のはずで、中を通ってるガス管をそのまま利用するつもりだったのだがガス会社のメーターが見つからない。
電気のメーターらしきボックスが建物の脇にはあるが鍵が掛かっていて開けない。
建物の外壁は全面トタンで包まれており建物の外壁の材質が外から見ただけではわからない。
建物の一階に以前の入居者が使っていたと思われる使えなくなった古いエアコンがそのまま残されている。
奥の厨房エリアには、これも古くて既に使われなくなって時間が経っている簡単に動かせないような大きた冷蔵庫がある。
それらを不動産屋に問い合わせてみたが、現状のままの賃貸で新たな入居者がどのように手を加えても良いという条件なので、それらも含めそういう現状ということだった。
下見をした時にエアコンと冷蔵庫の撤去をよく考えて判断するべきだったのだ。
単なる業務用電化製品ではない。
どちらもフロンガスを冷媒に使っているものである。
フロンガスは、炭素とフッ素の化合物で、無毒性、不燃性、化学的安定性といった優れた性質をもっており、それによって空調機器や冷凍庫・冷蔵庫などの冷媒として広く一般的に使用されている。
オゾン層を破壊する物質として法律で大気放出が厳しく禁止され、段階的に製造が縮小・中止されている。
また地球温暖化にも悪影響があるため、順次影響の少ないものへの切替えが進められている物質だ。
要するに、撤去するためには専門業者に処理してもらわなければならず、少なからず撤去料が派生する。
誰がその撤去料を持つのかということだ。
そして、焙煎機の設置位置の再確認するため、再び消防署へ足を運んだ。
本来のエリア担当の確認を得るべく部屋の間取りを示す見取り図と焙煎機の仕様書をコピーして持参した。
だが、飲食店を開業する時は消防法に定められた義務として届出をする必要があり、改めてエリア担当に確認してもらうのはそれら書類の届出をしろということだったのだ。
カフェではない、喫茶店ではないと業態を説明しても、衛生の関係で保健所の方は飲食店の登録をするつもりだと言うと「飲食店」のカテゴリーにされてしまったようだ。
そして、焙煎機の位置は五方向の壁から1mは離して設置しなければいけない。
天井の最も低いところから焙煎機の最も高い部分の間隔を100cm取らなければいけないのだ。
焙煎機というものは、電動で回転する釜の部分が230℃くらいまで上昇することもあるが、最も上部にあるコーヒー生豆を投入する部分や釜から焼き上がった豆を排出し冷却する部分の端っこの部分などは常に室温で熱を帯びるところではない。
また、ちょうどこの頃に富山市街の老舗喫茶店で火事があり全焼したのも、何かしら厳しいことを言われてしまうことに影響を及ぼしているような気がしないでもない。( しかも、1月1日能登半島地震も起こってしまったし。)
改めて正式に必要書類の提出を要求されてしまった。
消防用設備等設置届出書
防火対象物使用開始届出書
図面
・付近見取り図
・敷地配置図
・平面図(1階~3階)
・立面図
・建具表
・LVS計算について
・有窓判定計算について
焙煎機の仕様書
焙煎機の排気温度について
煙突の施工について
この後、幾度となく消防署へ足を運び、担当者が居たり居なかったり時にはエリアで火災が起きて出動していたり、それぞれの届出の説明を請い、書き方を細かく説明してもらい、ついには素人では対応しかねるとも言われ、一級建築士を呼んできて図面を起こしてもらわなければいかず、どんどん話が大きなものに膨張していった。
そして、専門業者が登場するとなると図面を描いてもらうのに一枚10,000円程度で済む訳がない。
ネットのホームページをプロにお願いして作ってもらうにしても、今ページ10,000円では作ってもらえないだろう。
提出するに必要な図面は、ざっと数十枚は必要と思われ。
仕事に取り掛かってもらわないことには全容が見えないだけに、果たして幾ら掛かってしまうのだろうか、もうアタマを抱えるしかない。
なんとか年末年始でサクッと荷物を移動させて、年明け早々に年始の御挨拶と共に「太陽珈琲焙煎本舗リニューアルオープン!」と触れ回るつもりだったのだが、完全に想定外の展開に陥ってしまった。
店舗の引っ越しというのは個人宅の引っ越しとは訳が違うようだ。
昨年末までは、とにかく引っ越しを優先して完了させるべく荷物の移動を重視していたのだが、年が明けて新住所の物件の方での営業を再開するまでに、果たしてどのくらいの出費になるのか想像も出来ない。
一旦歩みを止めて、その間は当然そのまま営業もストップしている訳で、焙煎機は置いただけ、ガスの設置なども果たせてないので全く稼働出来ず、コーヒー豆の販売に至るまではまだまだ程遠いのだが。
先ずは消防署に提出する図面等の書類を作成するための見積もりを出してもらうことにした。
能登地震ため職人さんは忙しくなったらしく、そのうえ年度末も控えているのは判っているのだが。
12.10.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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店舗移転 !?
コロナ禍明け(?)と言う訳ではないのだけれど、令和5年5月8日から「5類感染症」に移行されたこともあって、世の中が再び動き出したと如実に感じ取れるようになってきた。
コロナ禍の為に世界は歩みを止められ動きたくても動けない状況だったのだけれども、自分の場合は2020年の1月に脳梗塞で入院してしまったので、ある意味世の中のスピードがスローダウンしてしまうことは好都合にも感じられた。
退院後も降圧剤がどうも身体に合わず、朝食後の薬を飲んでしまうと午前中は動けなくなって仕事にならない状態がしばらく続いた。
その後も通院先の医者に五月蠅く言って、朝夕一日に飲む薬の配分を変えることによって、少しずつ通常の動きを取り戻せるようになったような気がするものの、今度は午前中はゆっくり過ごす悪習慣から離れられなくなっていた。
太陽珈琲焙煎本舗の 丸の内2丁目 に有る店舗をあらためて見直して見ると、隣にあったフィルム映画の上映にこだわりのあった映画関係の会社はコロナ禍早々に廃業され、ウチの上にあった某写真ギャラリーのオーナーが切り盛りされていた写真サークル団体の事務所(きっと、サークルで管理されていた写真暗室があったはず)がオーナーの急逝と共に解散されたのか、間もなく退去された様子で、気が付けば建物の中にはウチだけが残っている状態となっていた。
そうした魅力的に惹かれたご近所さんへの興味がこの 丸の内2丁目 に店舗を構える決定打となっていたはずが、結局のところ交流出来ないままもう再会することも出来ない事態になってしまっていた。
ネット上で店の所在を表し紹介してくれるGoogleも、しきりに営業の状態を尋ねるメッセージを送りつけて来る。
イベント等による屋外のテント出店などには積極的に参加しているものの、実店舗に不特定多数のお客様を迎え入れてコーヒー豆を購入してもらったり試飲してもらったりするような、いわゆるカフェのような営業を止めていたからだろう。
店の外に看板のように掲げていた「太陽珈琲焙煎本舗のロゴ」のタペストリーもボロボロになってしまったので、今年になって降ろしてしまって、新しく掲げ直していないからだろう。
イベントに出店している時に、実店舗を知っているお客さんからも「止められたんですか?」とか「移転されたんですか?」と何度か尋ねられたりもしていた。
そんなこともあって、実店舗をどのように再開したものか考えあぐねていたところだ。
拠点を移すことによって、潮目を変えられるのではないか!?
「そうだ。移転しよう。」と思いつき、店舗の賃貸契約を更新しないことを決定した。
店舗の荷物を全て移動させる引っ越し完了のタイムリミットは、2023年12月31日。
次の引っ越し先を決めないまま移転を決定し、契約を更新しなかったことがどれほど大変で無謀なことであったか、理屈の上では判っていたはずなのだが、やはり実体験しないと学習出来ないのか、舐めていたのか、楽天的なのか、、、。
コーヒー豆の焙煎機が相当な重量があると言うことは知っていた、認識していた、つもりだった。丸の内2丁目、現在の住所に店舗を設ける時、業者さんに関西方面から焙煎機を届けてもらい軽トラックの荷台からハンドリフトを使って地面に降ろし、店舗内の今の場所に設置してもらったところは目の当たりにしていたのだが。
今回あらためて焙煎機の取扱説明書を見直してみると、なんと 310kg と書いてある。
ネットで簡単に購入出来るハンドリフトは100kg前後、もうワンランク上のタイプが必要になって来ると容易に想像出来る。
そして更に、焙煎時には煙が出て煙突が必要なので。
悪臭では無いながらも少なからず排出する煙のやり場を考慮しないといけない。
丸の内2丁目の店舗を決めた時は、きっと運が良かったのだろう。
市電に乗っていて、自宅から歩いても行けなくもない距離のところに、映画と写真の関係の会社が入ってる建物に空き物件があるを見付け、ドアに付いていた不動産屋さんの情報をスマホで撮影して。
物件を探して、賃貸契約をして、内装工事に取り掛かるまで然程の苦労は感じなかった。
先ず「富山市」内の物件だろう。
山の中で自然に囲まれオーガニックのコーヒー豆しか扱わないような店、にするつもりは無い。
イベント出店して飲みに来てくれるお客さんと言葉を交わしコミュニケーションを取るのは嫌ではないのだが、店舗を構えて毎日同じ職場に通い同じ空間に缶詰になって常連のお客さんの応対をする、同じことをする繰り返しが耐えられない。
自分でも不思議でならない。
今後は黙々と焙煎をしてネットを最大限に利用した通販をメインにしたコーヒー豆の焙煎屋を目指したい。
富山に構える店舗ならば、駐車場は必須。
無料の駐車場が無ければ立ち寄りたくもないのが富山のお客さん。
今後通販メインの営業方針に変更するならば、物件に数台分の駐車場有りの縛りからも解放される。
次に、その方針ならば富山市内の商業エリアに店を構える必要もない。
御多分に漏れず地方都市富山はクルマ社会であり、クルマが有るから商品に魅力が有れば何処に店を構えようが客足に影響するものでは無い。
とは言いながらも、焙煎機から煙が出る匂いが出ることを考慮すると住宅街にコーヒー豆の焙煎作業場を設けるのは潔しとしない。
焙煎機の重量が310kgある為、建物の一階であること。
出来ることならコンクリートの土間になってるのが理想的。
今回の物件の第一条件である。
丸の内2丁目の物件を見付けた時のように、普段の行動範囲を些か広げた動きで街を見回してみたもののサッパリ条件に合うような物件に出会えるような事が無く、次なるはネットにある不動産物件情報から富山市内にある空き店舗物件の検索を始めてみることにした。
そうした検索結果から、家賃に見合うもの、店舗面積が叶うもの、そして紹介されている住所に実際に足を運んでみて、なんとなく良さそうに感じたところの不動産屋さんに電話をしてみる。
電話の向こうの担当者となる人物がどう動いてくれるか、互いの言動のひとつひとつが良い物件に巡り会うキッカケとなる。
「建物の一階で約60平米」「煙突を立てもOK」の条件だけでも、かなり篩に掛けられてしまう。
第一希望の物件は、マンションの一階だったために建物の持ち主であるオーナーに確認を取ってもらいたく不動産屋社員に電話連絡を取ってみた訳だが、一週間経っても返事が無い。
こちらから再度担当者に催促の電話しても、定休日だから不在だとかで話が一向に進まなかったりもした。
結局のところ、物件の外観からは見極められないような、建物が原因不明の雨漏りをしているという理由から諦めざるを得なくなった。
ひとつめの物件の進捗状況があまりにもイマイチだったので、第二希望の物件も同時に天秤に掛けて、別の不動産屋に問い合わせ物件の詳細を伺ったりもした。
今回、物件を探すにあたって、最大で有力な協力者となってくれている人物が居る。
富山でリフォーム業を本業にしながら、かつて飲食業にも携わり居酒屋を経営していた経験を持ち、尚且つフィルムで撮影する写真が好きで仕事にではなくプライベートで Sinar の 8 x 10 を使っているという、一般的とは言いがたい偏屈なオジサンである。
だが、劉備元徳が諸葛孔明と知り合ったのに相当するくらいの出遭いだったと補足しておきたい。
第二希望の物件は、建物の築年数が経っている代わりに、借り手が如何なるようにも作り替えて良いというオーナーの許可が出ていた。
その分、家賃が破格に安い。
幽霊が出るような事故物件なんじゃないかと疑いたくなるほど。
だが、良い方に解釈すると錆びたトタン張りのバラックな隠れ家のような外観。
2000年頃だったか、渋谷区恵比寿のマンションに住んでた頃。
裏に ZEST CANYINA と呼ばれるメキシコ料理に近いアメリカンな雰囲気のレストラン(?)居酒屋(?)のような店があって、、、。
この富山の幽霊屋敷の錆びたトタンの外観も綺麗に手入れさえすれば、オサレなZESTのような店にも成り得るのではないかと、一瞬夢を膨らませてしまった。
そこは諸葛孔明「家賃が安いくても焙煎作業場とは言え客商売ですし満足に内外を整え始めたら内装工事費が嵩んでしまいますよ」と宣うので、此度の経営再建には不向きな物件と判断することにした。
第三、第四と次々と葛藤を繰り返し悩みに悩んだ挙げ句、やっと次なる移転先が決まったのは11月入ってからの事だった。
引っ越し完了までのタイムリミットは2ヶ月足らず。
家賃はそこそこ、面積は充分、引っ越すには楽しみと思えるような条件が揃い、、、。
正直なところ、半ば焦って契約してしまったのも否めない。w
そこは、かつて一階が寿司屋だった物件らしい。
10.15.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
カレー無いんですか?
「今日は、カレー無いんですか?京都から来たんですけど 。」
そう言われても用意していないものは無い。
この日は 牛すじハヤシライス に変更していた。
毎月の定例になってる第四日曜日「越中大手市場」。
いつものように数種類のコーヒー豆を用意して、屋外で食べられるフードとして前日に仕込んでイベントに臨んでいた。
普段だったら定番の ハニーバターチキンカレー を出しているところだった。
昨年秋頃から食材に限らずあらゆるものが値上がりし、やっと最近になって価格が落ち着いたと思われ、久しぶりに牛すじを購入したい衝動に駆られ、その流れでメニューが 牛すじハヤシライス に変更となったのだ。
確かに、京都からわざわざお越しのお客さんには大変申し訳ない、突然の気まぐれな変更だった。
何度も来店していただいてる常連さんならば空かさず「ぶぶ漬け でもどうどす?」とふざけた提案をして場を和ませようとしそうなものなのだが、初めてのお客さんだ。
何か取っ掛かりが無いものかとお客さんの姿を見直してみると。
首から一台のレンジファインダーのカメラをぶら下げている。
パッと見ではカメラメーカのロゴまではよく見えなかった。
レンズには今の時代には必要ないはずのオレンジフィルターが付けられている。
モノクロ!? フィルム? アナログ、、、、ではなさそうだ。
となると、ライカのデジタルモノクロームの可能性大。
オレンジフィルターを付けてる時点で完璧にモノクロ仕様だ。
「ライカデジタルモノクロームですか? M11ですよね? 日本人で持ってる人を初めて見ましたよ!」と口を突いて出てしまった。
ひょっとしたら日本語が堪能なアジア人だったかもしれないのに。
以前ライカデジタルモノクロームを見掛けたのは、もう8年程前。
未だ北京に居た頃。
北京に旅行に来てる、明らかに富裕層と思われるリッチな香港人が首からぶら下げていた。
ボディだけで80万円くらい。
そして、デジタルカメラなのにモノクロでしか撮れない。
他の接客の手を止めて、矢継ぎ早にいろいろ質問を浴びせかけたかったが、屋外イベント出店とはいえコーヒー屋としての営業中。
しかも、初めてのお客さんに立ち話で問うにはディープ過ぎる質問であると判断して止めておいた。
ライカ M11 モノクローム。
後になってネットで情報を確認してみると、2023年4月22日に発売が始まり、価格は税込み138万6000円。
本体のCMOSセンサーはカラーのものと同じものを採用していながら、カラーフィルターを取り除き解像度をアップさせたモノクロ専用機である。
6300万画素という高解像度で、一度シャッターを押して得られるデータ量はRAWモードで60MBだそうだ。
モノクロのポスターを撮影するカメラマン専用のカメラと言って良い。
カラーデジタルの一眼レフを使って一回シャッターを切って8MBくらいのデータならば、コンビニのコピー機でポピュラーなL判サイズ(89x127mm)で出力出来るはずだ。
普段徒歩でプラプラ歩いて最寄りのコンビニに行ってアイスクリームを買いに行くところを、わざわざ大型トラックで駐車場に乗り付けて買いに行ったような感覚である。
兎に角一般の人にとってはもの凄いオーバースペックなカメラなのだ。
他にもデジタルモノクロ専用機を出しているカメラメーカーがあるが、いずれもマニアックで唸らされる。
PENTAX K-3 Mark Ⅲ (2023/04/28発売) 最安価格 299700円。
SIGMA sd Quattro はミラーレスのタイプで2016年に発売されたが既に生産終了している。
それぞれデジタルでモノクロに仕上がるはずで、各機種独自のモノクロテイストの仕上げが有ると思われる。
だが、結局撮影後にRAWデータをパソコンに移しパソコン上で現像を施す作業を行うならば、大型トラックでコンビニ駐車場に乗り付けなくても良いのではないか!?
デジタルカラーのカメラボディで撮影したカラーRAWデータをパソコン上で現像した後、Photoshop等でグレースケールに変換するかもしくはモノクロ変換ソフトを使えば良い。
同様の結果を求められるはずだ。
デジタルの世界に於いてパソコン処理してしてしまうので、光学的にレンズ前にオレンジフィルターを設置したとしても蛇足なのではないか!?
理屈ではそうなってしまうが、写真作品を作るとなると、作業上の満足度も重要であり作品を作り続けるモチベーションを維持するための一翼を担う要素とも考えられる。
果たして自分だったらどんなアプローチを選択するのだろう。
間もなくして、かつてシルバーゼラチンプリントを教えてもらった 大坂寛氏の写真展があることを知った。
大坂寛 写真展「樹霊」2023/06/28 ~ 2023/07/16 西麻布EMギャラリー だ。
2014年に北京から戻って来て、その間も何度か写真展を行われていたがタイミングが合わず現地に足を運ぶことが出来なかった。
少なくとも2005年以降は日本に居なかったため直接会うことも出来なかった。
その間の18年はアッという間に過ぎ去ったのである。
北京在住の頃、北京出張がある度に会いに来てくれていたコイケ君とも直ぐに連絡が取れて、難無く西麻布で再会を果たした。
コイケ君は鶏卵紙を使ったアルヴュメンプリントという方法のプリントをして精力的に写真作品を作っている。
コロナ禍の驚異が過ぎ去り(?)、思ったときに人と会えるようになって、何かが再び動き出したような感覚になった。
小笠原を撮影した一連の写真をまとめた『六渡達郎写真集 小笠原ターザン』が出てから既に23年。
フィルムを使って、自分の作品を作るのはもう終わりだと思っていたが。
このところの周囲の写真事情に影響を受けて、また何かしらの方法で、自分のオリジナルプリントを作りたいという衝動が芽生えたような気がした。
6.10.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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“ 羊肉串儿 ” の宴 ①
最寄りのコストコに行っても、高くて手が出せないなと横目で眺め通り過ぎていた。
羊肉。
無きゃ無いで食べなくて良い。
寒くなると北京に居た頃の習慣で、涮羊肉(薄切り羊肉のしゃぶしゃぶ)を食べたくなったりもするが、羊肉が身近に無いなら牛肉や豚肉でも充分に欲求は満たされる。
以前に羊肉を買ったのはいつの事だったろう。
おそらくコロナ前。
毎週のようにテント出店を繰り返し、そこで毎週異なるカレーを提供していて、食材を変えてラムカレーを作った事があった。
その後は、コストコでも羊肉を見掛けなくなっていた。
ところが、手に入らない。
無い。
となると,逆に欲しい食べたい欲求が湧いて出て来る。
北京に移住して間もない頃、” 沙漏咖啡 “ (砂時計コーヒー)という名のカフェに良く通っていた。
いや、毎日通っていた。
場所は、紫禁城があるところのチョット北側。
辺りに時を知らせる為に作られた建物、“ 鼓楼 “がある。
そこから徒歩数分の場所に “ 中央戏剧学院 “ (中央戯劇学院)という、中国の俳優や映画監督の殆どを輩出している大学があった。
東京で言うなら日芸大学がある江古田のような学生街だ。
2008年北京オリンピックの為に北京の至るところが開発され殆どの道路はアスファルトで舗装され綺麗になったが、その2、3年前、戯劇学院周辺はまだ街路樹が生い茂り、道路は凸凹、雨が降れば大きな水溜まりが出来、夜は街灯も無く薄暗い古い胡同の街だった。
中央戯劇学院では、中国の標準語となる中国語を教えており併せて外国人を受け入れていた。
オリンピックを控えていた事もあって、いろんな国からやって来た外国人の語学留学生達がおり、集まってくるお客の所為でカフェは中国人経営の、単なる胡同をリノベーションして作られた店ではなくなっていた。
経営は海外留学を経験している若い漢族の中国人。
店長として店を管理しているのが内蒙古出身の蒙古族。
そこに、バイトの店員として日本人の留学生の女の子が入っていた。
2005年オリンピック前の急成長を間近に体感したくて北京に移住を決意したものの、強力なコネがあった訳でもなく、流暢な中国語で自己主張を捲し立てるでもなく、写真を生業にするカメラマンは直ぐに仕事に就けるはずもなく、何か有益な情報はないかと、有象無象が集まるカフェに足を踏み入れることになったのだ。
カフェと言っても、美味しいコーヒーが飲める店ではなかった。
カウンターの中には、おそらく中国に進出して来て間もないアメリカの家電メーカー “ Cuisinart “ のエスプレッソマシンが鎮座していた。
当時のコーヒーのシロウト目で見ても、それは家電のコーヒーメーカーであり業務用のプロフェッショナルな機械ではないと判断出来た。
それでも、一応コーヒー豆の種類がいくつか用意してあって、一袋500gくらいの豆が入っているパッケージになっており、“ 巴西 ”(ブラジル)、“ 哥伦比亚 ”(コロンビア)、“ 蓝山 ”(ブルーマウンテン)、、、中身はどれも凄い深煎りで、見た目も味も区別が付かないようなシロモノだった。
そう、当時の中国はコーヒー後進国、発展途上国だったのだ。
スタバも既に中国進出を果たしてはいたが、コーヒーを飲むような場所ではなく、“ 富二代 ”(新興富裕層の子供たち)がデートの待ち合わせに使う流行のイケてる場所でしかなかった。
今から50年前の日本と同様、「コーヒーは身体に悪いもの」という民間の常識がその時の北京にもあった。
それ故、基本的に皆コーヒーを飲まない。
あまり見掛けることがなかったメニューには、“ 铁观音 ”(鉄観音茶)、“ 普洱 ”(プーアル茶)、“ 菊花 ”(菊花茶)と、” 可乐 “(コーラ)、” 雪碧 “(スプライト)、、、くらいだったような。
カフェなのに、通常なら暗黙の了解で何かしら飲み物をオーダーしそうなものなのだが、店長 ULA の大らかさなのか、顔見知りになりさえすれば居ることを許されるというシステムが成立していた。
いつも誰かしら店内には居て、むしろ外国人留学生の方が常連で、時折現地の中国人学生が間違えて入って来たりすると「何者だ!? お前ら~」と言わんばかりの視線を浴びせる。
ところが、中国人は元々他人の目を気にしないタイプが多いので、ずかずか店内に入り込み数人が座れる一角を陣取り、その数人で一種類のお茶のポットをオーダーしてトランプを始める。
お茶がポットサービスの習慣なので、数人が一種類のお茶で数時間もトランプを興じる場所になってしまう事もしばしばあった。
日本人である自分の感覚では信じられない光景だったりするので、カウンターの中で ULA に尋ねてみると、蒙古人としても一種のお茶で長居され周囲を顧みず大騒ぎされるのは不快らしく文句を言ったりすることもあった。
でも、そのお陰で外国人チームも長居が出来ていた訳で。
殆ど中国語が出来ないにも関わらず、皆よく受け入れて長居させてくれていたものだと今更ながらに感謝する。
店のカウンターに入って、バイトをしていた日本人留学生の SAKI がいろいろ紹介してくれた功績が大きい。
それに加え、ULA 自身が親日的でいずれ日本に留学しようと思っていたからなのか、何かにつけて良くしてくれていた。
その頃、北京に移住して初めて生活をすることになったマンション?アパート?は “ 西单 ” という、東京で例えるなら新宿や渋谷のような、北京の西の大きな繁華街。
そこから20分くらいタクシーに乗って、後に代官山のようなオシャレストリートになる“ 南锣鼓巷 ”という江古田の学生街になる” 沙漏咖啡 “ に毎日、毎日通っていた。
仕事も無く、語学学校に通うでもなく、他にする事が無かったからに他ならないが、混沌とした空間で、只、只、毎日が楽しくて仕方がない数ヶ月だった。
皆、昼間は何かしらそれぞれのやるべき事をやっていたはずだ。
そして、夕方になると約束をした訳でもないのに自然とカフェに集まって来る。
フランス人、イギリス人、オーストラリア人、デンマーク人、、、それぞれが目的を持って北京にやって来て、高度成長期の北京ドリームを夢見ていたと思う。
間もなく夕食時になると、誰かしらが近所の中華食堂に電話してお惣菜やら炒飯やらスープを注文し、皆で箸を突き合って食べていた。
“ 糖醋里脊 ” 、” 宫保鸡丁 “、” 辣子鸡 “、” 萝卜干腊肉 “ 、” 地三鲜 “ 、、、( 食べていたものを全て列挙したいところだが次の機会にする)。
更に、夜が深まり23時頃になると、誰かが突然「ヤンロー タイム ( “羊肉”TIME )!」と叫ぶ。
そして、近所の “ 新疆菜 ”(ウイグル料理)の店に電話を掛けて数十本の “ 羊肉串 ” をオーダーする。
30cmくらいの竹串に2cm角くらい羊肉の塊が5個くらい刺されていて、味は “ 孜然 ”(クミン)と塩と“ 辣椒 ”(唐辛子)、そしてたっぷりの“ 味精 ”(通称: 味の素、グルタミン酸ナトリウム)。
まだ派手に弾圧されていなかったからか、“ 南锣鼓巷 ”のストリートには3、4軒の“ 新疆人 ”(ウイグル人)の店があり、中華とも違う大陸の西の料理をも楽しめた。
電話注文をした後30分もすると、いつも店の手伝いをしている、10歳にも満たない ハッサン が“ 羊肉串 ” を届けにやって来る。
夕食のお惣菜もそうだが、中国の習慣では他店の会計済みの料理は他店であっても 持ち込み可 なのだ。
代金の支払いは、毎回異なるが誰かしらが自発的に払っていた。
ルールが有る訳でも誰かに負担を強いることもなく。
どちらかと言うと、割り勘をするのは無粋とされる雰囲気があった。
皆がとても満足して、白熱して幸せな毎日が続いていた。
4.10.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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サックスを吹いてみたい!
昨年末からコロナに感染してしまい40℃にも達する熱で寝込んでる間、閃くように「サックスを吹いてみたい!」といった気持ちが噴出した。
学生時代に吹奏楽部に所属していた訳でもなく、リードを使った楽器など口にしたことすら全く無いにも関わらずだ。
敢えて挙げるなら、某レコード会社の関係でライブハウスでの写真撮影をしていてジャズ系ビッグバンドの演奏でサックス奏者がカッコイイと思っていたことに起因するのかもしれない。
そして、何故かテナーサックス奏者のハンス・ダルファーのCDを持っていたりする。
アルトサックスを吹く娘のキャンディー・ダルファーではない。
正月が明けた頃、そのまま勢いに任せサックスの知識など全く無いまま、ヤフオクで安い中古のテナーサックスを落札してしまった。
コロナで高熱を出していたからという事にしておこう。
間もなく送られて来た実物の中古テナーサックスを目の当たりにして、やや我に返るものがあった。
シロウト目に見ても直ぐにそのまま使えるような道具では無いと一瞬にして悟ってしまったのだ。
サックス初心者ならば、クセが付いていないニュートラルな状態でスタートした方が良いに違いない。
道具をベストな状態にして自分の責任として修練するべきものである。
病み上がり少々冷静になって自分の明らかなフライングに後悔してしまった。
YouTubeで「サックス 初心者」を検索してみたり、「初心者必見!」といったタイトルの動画を観てみると、ほぼ皆が新しい楽器の購入を勧めている。
ネットから中古楽器を購入することを勧めている動画は皆無と言って良い。
それほど楽器がデリケートなもので、サックスが金属で出来ていようとも経年劣化するものであり、細かな部分に至るまでの定期的な調整が必要だと説いている。
サックスを吹いて生業にするつもりは決して無いのだが、全くの初心者としては素直に耳を傾けておきたいところだ。
一旦目の前の中古テナーサックスは忘れて、世間ではよりポピュラーなアルトサックスから始めることにして、ちゃんとしたリアル店舗の楽器屋で多少安価な新品アルトサックスを購入し直してはどうだろうかとも考えた。
後から判って来たことだが、アルトサックスの方が楽器の大きさが小振りでその分出費が小さく済んだりもする。
また教則本のような書籍が多かったり情報が得やすいようなのだ。
とは言え、手元に既に錆び錆びのテナーサックスがあるので、先ずは修理の見積もりを出してもらうことにした。
判らないながらも明らかに治してもらう必要がありそうな部分の写真を撮って、メールで問い合わせてみることにした。
既に型が古く部品の取り寄せが出来ない等、修理不能をも予想され半ば諦め掛けてたのだが、なんとか新品のテナーサックスを買い直すよりは少ない出費でオーバーホールしてもらえそうな見積もりが返ってきた。
一ヶ月くらいを経て、初心者が気持ちよく始められるニュートラルな状態にまで治してもらえそうだ。
たまたまOpenAI Inc.が2023年3月14日、Generative Pretrained Transformer 4 (GPT-4)のリリースを発表したこともあり、早速AIに尋ねてみたりもした。
Q: テナーサックスを始めたいと思っているが、まず何をするべきか?
A: 1/ 2 テナーサックスを始めることは楽しい冒険になるかもしれません! テナーサックスは、音楽愛好家にとって非常に魅力的であり、様々な音楽スタイルで使用されています。
以下は、テナーサックスを始めるために考慮すべきいくつかのステップです。
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テナーサックスを手に入れる 最初にすべきことは、テナーサックスを手に入れることです。サックスを所有することができない場合は、レンタルすることもできます。購入またはレンタルする際には、アクセサリー、例えばリード、ストラップ、クリーニングキットなども購入する必要があります。
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基本的な音楽理論を学ぶ サックスを演奏する前に、基本的な音楽理論を学ぶことが重要です。音楽理論を理解することで、楽譜の読み方や音符の長さ、音程、リズムなどを理解することができます。
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レッスンを受ける プロの指導を受けることは、初心者にとって非常に役立ちます。質の高いレッスンを受けることで、正しい姿勢、息の使い方、フィンガリングなどの基本的な技術を学ぶことができます。
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練習する テナーサックスを始めるには、継続的な練習が必要です。毎日少なくとも30分から1時間の練習を行うことをお勧めします。練習することで、音質を向上させ、演奏技術を向上させることができます。
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演奏する機会を得る 演奏する機会を得ることで、自分の演奏を評価し、自信をつけることができます。学校の音楽会やコミュニティの演奏会に参加することを検討してみてください。
2 / 2 テナーサックスを始めることは、やりがいのある冒険になるかもしれませんが、最初のステップは始めることです。継続的な練習とプロの指導を受けることで、技術を向上させ、音楽的なスキルを発展させることができ
テナーサックスを始める前に、以下のステップを踏むことをお勧めします。
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テナーサックスのレンタルまたは購入 まずは、テナーサックスを手に入れる必要があります。初心者には、レンタルがお勧めです。レンタルしてから、練習を続けることができるかどうか確認してから、購入することもできます。
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楽器に慣れる テナーサックスを持ってみて、楽器に慣れることから始めましょう。テナーサックスは、他の楽器に比べて重いため、正しい姿勢で演奏することが重要です。まずは、楽器を支える方法を学び、ゆっくりと楽器を吹いてみましょう。
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基本的な演奏技術を学ぶ テナーサックスを始めるためには、基本的な演奏技術を学ぶ必要があります。これには、息の使い方、音の出し方、フィンガリング、そして楽譜の読み方が含まれます。教則本やオンラインのレッスンを利用することで、基本的な演奏技術を学ぶことができます。
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練習する 練習は、テナーサックスをマスターするために非常に重要です。毎日練習することで、演奏技術を改善し、音楽的な表現力を向上させることができます。練習のスケジュールを立て、定期的に練習することをお勧めします。
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演奏する機会を探す 演奏する機会を探すことで、自分の演奏技術を試し、より上達することができます。音楽スクールやミュージックイベントでの演奏や、オンラインの演奏会などがあります。
以上のステップを踏み、継続的に練習することで、テナーサックスを始めることができます。
あまりの的確な応答に納得し驚いてしまった。
テナーサックスが調整されて手元に戻って来て、今度は実際に吹いてみたりもして。
果たして、自分のモチベーションがどこまで維持出来るものなのか。
大して習い事などの経験も無いので、どうなることやら。一年も経たずに行き詰まってしまって、 Chat GPT に悩み相談をしているような気がしないでもない。
2.8.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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云南咖啡豆
何気なくHDDを整理していたら、「雲南pics」という名前のフォルダを見つけてしまった。
中の写真データの記録をそれぞれチェックしてみたら、2013年11月に撮影している。
詳細をすっかり忘れていた。10年前のことである。
2013年10月、北京の東北エリアに位置する「麦子店」という名の街、日本大使館から徒歩で10分も掛からない場所の龍宝大厦マンションの一階で営業していた Caffè il Sole をクローズして間もない頃のことである。その後、北京を後にして日本に本帰国するまで一年足らずの時間があるのだが、店を閉じてスグに雲南省にあるはずのコーヒー農園の視察が第一目的の旅行だった。
多くの人が思う通り「中国はお茶の文化」のイメージが強い。
そもそも自分が北京に移住するに至ったキッカケのひとつ。北京のド真ん中にある故宮(紫禁城)の敷地内に作られたスターバックスの店舗の存在が大きく影響している。
中華人民共和国の成立は1949年10月1日。( 偶然にも10月1日は国際的に「コーヒーの日」だったりする。w ) それよりも以前の明の時代1406年永楽帝が先の元王朝から跡を引き継ぎ、礼儀宮殿・後宮・政治議事堂などの機能を加えたところであり、更に清の時代も経て数百年もの間中国皇帝の宮殿だった場所である。
記憶が定かでないが、2001年、北京が2008年のオリンピック開催地に決定した後、故宮の中にスターバックスが作られた。おそらくフランチャイズだろうが、中国の象徴とも言える場所にアメリカの、今やマクドナルドに勝るとも劣らないアイコンとなっているスターバックスが出来たというニュースを耳にしたのだ。自宅のケーブルテレビで、たまたま付いていたBBCのニュース番組だったと思う。そして、理屈抜きの、単純に自分の目で確かめたいという動機で、北京のスターバックスの視察旅行を決行することになる。2005年以降実際北京に移住した後もしばらくは「コーヒーは身体に良くない」という認識の中国人は多かった。日本の40年くらい前と同様だと思った。
2006年、成り行きと勢いだけで北京にカフェを作ってしまったが、人並みにコーヒーが好きだっただけで、特別な知識を持っていた訳でも喫茶店でのバイト経験があった訳でもなかった。
北京市内を駆けずり回って美味しいコーヒー豆を探し求めたが、日本人と中国人のコーヒーの好みが違うように感じたし、自分自身で自分に淹れるコーヒーを満足していても店に来てくれるお客さんがどんなコーヒーを望んでいるのか。コーヒーという飲み物は何によって美味しいとされるものなのか、只々闇雲にやってるに過ぎなかった。
北京の東北エリアには日本人を始め外国人達が多く住むエリアでもあったため、成城石井のような外国人御用達のスーパーマーケット「婕妮璐(Jenny Lou's ジェニールー)」に行って買い物をすることが多かった。チーズやベーコン、ケーキを作る材料など、ローカルの超市では手に入らないものを調達する店として重宝していた。
その店の陳列棚には、雀巣( Nestle ネスレ )と意利( illy イリー )と並んで「云南小粒咖啡」という名で中国国産雲南省のコーヒー豆が輸入物の5分の一くらいの値段で売られていた。エチオピアのコーヒー豆のように小粒で、アズキ豆のようなコーヒー豆だ。飲んでも特に特徴が無い豆で、他に飲めるコーヒーが無いなら飲んでも良いのだが、取り立てて香りが良い訳でもなく、選択肢があるなら選ばないテイストだった。
そうは言っても、広い中国の国土の一画でコーヒー豆が獲れるということで、かねてから時間に余裕が出来た時には雲南のコーヒー農園に行って「コーヒーの木」を目の当たりにしたいと思ってたのだ。
コーヒーの栽培とお茶の栽培は、気候条件が似通っているようで、どこの国に於いても隣接した土地で作られていたりする。お茶が多く栽培されていた雲南では、北京政府から遠く離れていることを良しとして、栽培や製茶に手間を掛けるより儲けになる大麻を育てる輩が増えた時期があったそうだ。アヘン戦争のトラウマが有るのか無いのかは知らないが、大麻栽培の対策として雲南省はコーヒー栽培を奨励し、それらのコーヒー豆をネスレやマクドナルド、スターバックスがまとめて買い上げる保証をすることによって定着させたと聞いた。
富山に戻って「太陽珈琲焙煎本舗」としてコーヒー豆の焙煎をするようになってからも、雲南産のコーヒー豆のことは積極的では無いにしろ多少は気には掛けていた。何しろ最初に訪れたコーヒーの地である。
そこへ一昨年だったか、雲南のコーヒー豆のサンプルが配布されるとの情報を得て、早々に送ってもらい自分の店でカッピングしたところ、かつてのイメージを覆すようなスペシャルティを感じさせる仕上がりの豆だったため、スグに生豆を仕入れることにした。ネスレのような多国籍企業の投資によって、コーヒー生産のインフラが構築されて久しく、そのビジネス環境に加えコーヒー豆の質と量を両立させ、輸出可能なレベルにまで改良を繰り返したらしい。
昨年はコロナ禍に加え1月は脳梗塞で入院し12月末にはコロナに感染してしまうという、思うように身動きが取れない年だったこともあり、年が明け、1月22日には春節(旧正月)を迎えるタイミングで雲南のスペシャルティコーヒー豆を焙煎出来て、とても良い気分に浸っている。
12.15.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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コハダは大トロより儲かる
思いがけず12/11(日)のマルシェ、越中大手市場が中止になってしまった。
2022年最後のテント出店の予定だったのだが。
原因は、流行のコロナ感染拡大ではなく最大風速10mをも越えるかもしれない強風が予想されたからだ。
風速5mくらいでマルシェで使っているテントなどあっさり飛んでしまう。
コーヒーのハンドドリップ抽出をしている時に集中出来ないし、危険極まりない。
人の安全に関わる。当然の判断である。
屋外のテント出店は常に天候に左右される。
今に始まったことではない。
華奢なテントの場合に限らず、この雪国富山に於いては冬場の大雪に見舞われると即客足に悪影響を及ぼし、ダイレクトに売上が落ち込み大打撃となる。
とは言え、店舗を構えている立場では、店にいつ訪れるか判らない通りすがりの一般客のために店内は充分な暖房を施しておかねばならなかったりする。
しかも今は燃料代が高騰している。
世にコロナが蔓延してからは、そういった不安定が顕著になった。
災難が過ぎ去るまではミニマムにやり過ごすに限ると考え、店舗自体は意図をもって休業状態にすることにした。
店内はコーヒー焙煎の作業場になり、ひと月に数回あるマルシェなどイベントのテント出店が主たる現金の収入原となった。
地方都市である富山県に限った話ではないだろうが、店舗を持ったからと言って、そこは決してゴール地点などではなく、暢気に胡坐をかいていられるような場所ではないのだ。
少しでも人が集まるようなチャンスが有れば、店側がこちらから出向いて商いしなければならないのだ。
シンプルな屋台の営業は数を増やせば増やすだけ売上は単純に増えてくれるのだが、天候に大きく左右されてしまう難点は相変わらずだ。
そして、今年1月にやった脳梗塞も軽症だったとは言え少なからずダメージを残している。
昨年までは出店の準備のため前夜の作業は深夜に至ることはおろか丸々徹夜に及ぶこともしばしばだった。
退院して早10ヶ月。
降圧剤は飲み続けており、そうした体力を要する仕事がスッカリ出来なくなってしまった。
おそらくもう元には戻らないのだろう。
二日間連続のイベントに参加した時も自分自身の身体がままならない。
コーヒードリップをしている最中、右手に持ったドリップポットでコーヒーの粉にお湯の円を描いて注している時に意識が飛んでしまったりしていた事があった。
それ以前に、屋外で全然立っていられないのだ。
いわゆる自律神経や体感のようなものが衰えてしまったようだ。
アウトドアの折りたたみ式キャンバスチェアに座り込んでしまって、そのまま立てなくなってしまう。
そんなこともあって、毎年恒例になっていた越中稲荷神社の初詣出店も断念することにした。
大晦日22時頃から年越しで初詣客向けにコーヒーを淹れる。
病み上がりの身、寒い中のロングラン出店を強行するのは得策ではない。
久々に御節の準備に時間を費やし、大して興味が無いNHK紅白を眺めながら家族と共に過ごす大晦日になりそうだ。
出来ることならコーヒー豆の焙煎作業に没頭していたい。
テント出店に体力の限界を感じるようになって来た以上、新たな豆の販売方法を模索したいところ。
きっと中小企業診断士や商工会議所などに言わせるなら、とりあえず「ホームページを作りましょう」「LINEアカウントを作りましょう」「Instaを始めましょう」と見え透いたことを言われてしまいそうだ。
この今年夏以降ガソリンがジワジワ値上がり、次第にあらゆるモノが値上がりし御多分に漏れずコーヒー生豆もしっかり2割3割と値上がった。
かと言って、そのまま焙煎後のコーヒー豆の価格を2割3割値上げて反映させて良いものやら。
2014年店を作った頃一時的な業界内のコーヒーブームと思いきや、今や護國神社 とやま のみの市にやって来るお客さんも「話題のゲイシャをください」と宣うようになり、スペシャルティコーヒーの名前が随分世の中に浸透したように思われる。
それでもテントにやって来るお客さんの殆どが「酸味は好きじゃありません」と枕詞のように言い放って止まない。
お客さんのお好みを伺って酸味NGとなると、扱ってるコーヒー豆の三分の二はオススメ出来なくなる。
また、業界的に話題の人気豆がお客さんのお好みと合致するとは限らない。
焙煎屋の製品であるため、各々の好みに加え、豆の価格と見合うかコストパフォーマンスが高いか低いかによって消費してもらえるかどうかが変わって来る。
毎日習慣として飲む日常コーヒーもあれば、ここぞと言ったハレの日に飲みたい高額なコーヒーもあり、消費者の選択は多岐にわたる。
お寿司屋さんに因れば、コハダは大トロより儲かるとのこと。
自動車業界で言うなら、コハダはカローラ、大トロはロールスロイスと言ったところか!?
そのまま太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆に言い換えるなら、「ブラジル セラード カラメリッチ #18」と「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」が当てはまる。
「ブラジル セラード カラメリッチ#18」は、昨今の値上げに伴い最も格安のコーヒーではなくなってしまったが、標準的で馴染み深いコーヒーらしいブラジルの豆にほのかな甘みを併せ持った飲みやすいタイプ。
「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」はコーヒー業界に革命的な新風を吹き込んだクリアでフルーティーでありベルガモットのような香り高さの中に甘みやカラメル感も持つスペシャルティコーヒーの筆頭格に当たる豆だ。
11.7.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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COMANDANTEを選ぶ理由
コーヒーを美味しく淹れるポイントのひとつとして「直前に豆を挽く」ことが重要だ。
焙煎されたコーヒー豆はその時点から劣化が始まると言って過言ではない。
豆から粉の状態に変わると単純に表面積が拡大し空気に触れる部分が増える。
よって酸化速度が倍増し劣化が早まってしまう。
スーパーマーケット等で売られている大手コーヒーメーカーのコーヒーは粉の状態でも売られているが、そうした場合はパッケージ袋に詰める際に窒素と共に充填するか酸化防止剤を入れたりしている。
コーヒー豆の焙煎屋としては、お客さんには自宅でコーヒーを淹れる直前にミル(グラインダー)で粉にしてもらいたい。
些細なことなのだが、コーヒーを美味しく淹れるポイントはこうした些細な選択の積み重ねで違いが出て来る。
目的地までの移動手段としてクルマを使う場合、ランボルギーニやフェラーリのようなスポーツカーをぶっ飛ばして行く方法もあればメルセデスベンツのような高級車の満足感を得ながら運転する方法もあれば、トヨタカローラのようなロングセラーで大人気の車種を選択することもある。
似たようなもので、単にコーヒー豆を粉にするという方法だけでも迷ってしまうくらい多岐にわたる。
何も考えず豆が粉になれば何でも良いと言う選択をするなら、販売価格の安い電動のプロペラ式ミルになるのだが、焙煎豆屋としてはオススメしたくない。
スイッチボタンを押してジャーってやってしまえば早いと思われがちだが、電動によるモーター音がうるさいうえ粉の粒度が安定せずバラツキが激しい。
ウチを訪れてミルを購入したいと言われるお客さんには習慣的にコーヒーを飲む頻度や量を聞いて、今まではまず手動のコニカル式セラミック刃のミルを薦めることが多かった。
一人でコーヒーを飲むことが多く一杯ずつ淹れられる方にオススメしていた。
セラミック刃の場合、使い終わった後のコーヒーの粉が刃に付着していても洗えば容易く落とせる。
そして錆びない。
一方家族が居て一度に数杯分を一挙に抽出する可能性が高い人には、まず容量が大きめの手動セラミック刃ミルを薦めていた。
そして多くの人は習慣として朝にコーヒーを飲むことが多く、出勤や通学のために朝食時の時間はとても貴重だったりすることから、手動ミルをゴリゴリ数分も掛けて回している時間がもったいないと感じられることもあるだろう。
そんな人には少々奮発してもらって電動のコニカル式や臼式を購入していただく。
それで、直ぐに淹れて飲みたい、一度に数杯分を抽出したいという思いはストレス無く叶えられるのだが。
そんな電動ミルにもデメリットはなくは無い。
モーターで刃が高速回転する機械であるため、長時間もしくは大量にコーヒー豆を粉砕し続けていると熱を帯びてしまうのだ。
これがコーヒー豆に悪影響を及ぼす。
またその粉砕している際に細かな微粉を出してしまう。
コーヒーを抽出する際、コーヒー粉の粒度が揃っていることを重視するならば微粉は避けたい要因なのだ。
この微粉が抽出したコーヒーに雑味を及ぼす原因となったりするのである。
日常生活でのコーヒーでは気にする程の事では無い取るに足らないことかもしれないが、コーヒー業界の中にあるSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)のような団体が主催するハンドドリップ競技会などでは、ミルした後の粉を茶漉しのような細かな目の篩を使い微粉を取り除いて雑味を極力少なくする手間隙を加えたりもするのである。
なので、必ずしも電動のミルが優れてるとは言い難い点もあるのだ。
かつて、手動ミルではフランスのPeugeot(プジョー)とドイツのZassennhaus(ザッセンハウス)が有名で、どちらも硬質な鉄系の刃が付いており比較されたものだ。
ここへ来て、数年前からドイツの手動ミル「COMANDANTE(コマンダンテ)」が話題になっている。
新しく開発されたNitro Blade(ニトロブレード)と呼ばれる刃の部分によってコーヒー豆の粒度が非常に良い状態に仕上げられるのだ。
ドイツからの輸入商品ということもあってか、販売価格も40,000円前後。
価格と共に世界最高峰だ。
小さめの電動ミルが充分買えてしまう値段だ。
1990年代まだ普通にフィルムのカメラを使って撮影していた頃、Nikon一眼レフの旗艦機種がF3からF4に移行し、伴ってカメラマン達は新しいF4ボディをメイン機として仕事の撮影するべきか否かを躊躇していた時期があった。
バブルが弾けて間もない頃だったのもあるかもしれない。
カメラメーカーの一眼レフでフラッグシップモデルとなると、流石にポケットから気軽に出て来る金額ではなく。
ところが、一般向けにも売られていてハイアマチュアなカメラマンやカメラ好きなオジサン、オタクや鉄ちゃんも同様な立場で購入可能な機種だったりもする。
そんな中、フリーのカメラマンだからと言って、機材に掛かる経費をケチって二番手のカメラを選んではいけないのだ。
いつもいつも芸能人やプロのモデルの撮影ばかりをしている訳ではない。
知人からの紹介で一般の方の結婚式の撮影依頼を請けて出向くこともあるかもしれない。
そんな時、人生に於ける数少ないハレの日に、せっかくプロのカメラマンに撮影してもらえるのだとしたら。
少しでもカメラのことを知ってる人が近くにいて、わざわざプロカメラマンを呼んで撮影に来てもらってるという事態を知ったとしたなら。
そこは二番手のカメラではなく、少なくともその時の最高機種Nikon一眼レフでF4sで撮るというパフォーマンスをしないことにはいけないだろう。
一期一会なのだ。
それがプロの心意気というものだ。
またその時代の最高の機材を使うことで、機材に因る落ち度は決して無いものとして、もし問題が有るとすれば撮影者本人の問題として受け止められるよう最高の機材を用いるよう心掛けていたものだ。
30年後の今でこそ、デジタルカメラの最高峰と思われるものは100万円を超える値段になり、自分の撮影では使うことのないようなオーバースペックな機能が付いているカメラを選択してしまうのはメーカーの策略に踊らされて馬鹿げている行為のようにも思えるのだが。
そして、カメラメーカー各社はデジタルの一眼レフカメラの開発を止めてしまうくらいに時代は移り変わってしまっている。
とは言え、そうした経験を思い返すなら、コーヒー豆の焙煎屋としても、ここはNitroBladeの刃を持ち合わせている手動の COMANDANTE を選ばない訳にはいかない。
10.7.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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R.I.P. CHAPPY
9月18日 14:39 、凄く久しぶりにボビ男からの Facebook Messenger を受け取った。
→→→→ ご無沙汰しています。 残念なお知らせですが、 今日午前、チャッピー君 亡くなってしまいました。
→→→→ 一人で、ドラゴンアウトサイド(みやのはまの外洋)にサーフィンに出かけて、浮いている所をダイビング船に見つけられて、保安庁の船に引き上げられましたが、もう心肺停止だったそうです。
→→→→ さっき、診療所で会ってきましたが、まだ手も温かく今にも起き上がりそうでした、とても穏やかな表情でした。 僕もまだ、信じられません、残念です。
この時期、台風が生まれ沖縄の方を北上すると、小笠原諸島の父島には良い波が来る。
16日くらいから沖縄は台風14号の暴風域内に入り、そのままゆっくりと北上を続け、18日には九州に上陸していたことから、父島にはちょうど秋のビッグウェイブがやって来ていたに違いない。
享年54歳。
思い返すと、1995年父島に撮影に行って出会った頃からずっと波に乗ってるサーファーだから、CHAPPYらしいと言えばCHAPPYらしいのだが。
唯々寡黙に波に乗っている島の男、島の中でも代表的な BONIN ISLANDS SAFER だっただけに、もう島に渡ってもCHAPPYに会えないというのは信じがたい。
ところが、時間差で父島の仲間達から、FacebookやらInstagram やら、次々と容赦ない訃報が受け取った。
翌19日になって、SNSで知らされる話題は同世代の仲間達で作り上げられるお別れ会の予定に移り変わっていた。
写真集「小笠原ターザン」の表紙を飾っていたのが CHAPPY だっただけに、お別れ会でも島で最も大きく出来るプリンターでプリント出力したいとのこと。
今Macの中に入ってるスグに扱える写真データは、自己紹介用のファイルに入ったサムネイル的なラフなものしかない。
とてもA0サイズのプリントアウトに耐えられるデータではない。
幸い丁寧に暗室作業をしてブックマットを作り額装までしてるものが自宅にあった。
実家の倉庫として使ってる家が雨漏りする恐れがあるため、2014年に帰国して早々に写真だけ避難させたものの一部である。
暗室作業としてプリントしたのは1998年。
当時入会したばかりのAPA(日本広告写真家協会)の写真展のために焼いたものだったろうか。
FB(ファイバーコットン)のバライタ紙を使って丁寧に現像や水洗や調色を施し、無酸性のミューズコットンと呼ばれる厚手のボードでブックマットを作っていたので、写真面は20年以上経ていても全く変色も無く、自分でも驚くほど非常に綺麗な状態で残っていた。
倉庫の雨漏りから逃れたものの自宅での保存は自慢出来たものではない。
室温や湿度などお構いなし、成り行きのまま全く気を遣っていなかった。
しかし、恐るべしアーカイバルプリントだ。
それを今手元にあるデジタル一眼レフで再度複写して、ベストコンディションのデジタルデータを作る。
デジタルが主流になって登場することも少なくなってしまったストロボを引っ張り出してきて、スタンドにヘッドをセットする。
自宅で広げるには大き過ぎるレフ板を使いRAWデータで撮る。
今はMacに入ってるPhotoshopに撮影時のレンズのデータを入力してやると、クリックするだけでレンズの収差をデジタル補正してくれる。
Macの画面で大きく拡大して観てみると、当時丁寧にプリントしていたつもりでもしっかりとアラが見えてくる。
アナログケミカルの時代、引き伸ばし機でプリントする際にネガフィルムに付いた埃の影が白く点になって画面上に跡を残してしまう。
それを極力防ぐためにアセテートフィルムに静電気除去の装置の風を当てたりブロアーで吹き飛ばしたりした。
細心の注意を払っても暗室を無塵空間にはなかなか出来ないため、水洗処理を済ませプリントを乾燥した後の白い点を極細の筆を使って写真の粒子を書き込みスポッティング作業をしたものだ。
今はPhotoshopで開かれたRAWデータをA0サイズでのプリントアウトに耐えうるデータに変換する。
そのついでにPhotoshopのコピースタンプツールでスポッティングを施してやる。
図らずも映画等でよく耳にする、所謂デジタルリマスター処理をすることとなった。
最終的に圧縮率の低い tif データで保存し、重たくなったデータはギガファイル便で父島へ送った。
23日午前9時より、父島の小笠原聖ジョージ教会でお別れ会が行われた。
生涯サーフィンを愛し続けた小笠原の CHAPPY がサーファーとして海へと帰って行った。
9.6.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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2022年9月になって
コロナ禍になる前、店がオープンしたばかりの頃からの知り合い。
後輩の松村が紹介してくれた、関西で劇団を主宰しているキホーさんが生業にしている会社勤めの富山出張で、ついでに病後の様子を見に来てくれた。
彼の仕事は富山には似つかわしいとは思えない某猫キャラのライセンス契約を取る営業の仕事。
最後に会ったのがコロナ前。
「ダークマスター2019 TOYAMA 」の稽古が始まって台本を受け取ったばかりの頃だから、正月が明けて間もない頃以来だ。
県外からの来訪者には、せっかくなら富山近郊で獲れる海鮮を食べてもらいたいと思うので、太陽珈琲焙煎本舗の店舗の近所、数百mのところにある美乃鮨さんへランチに行く事にした。
富山湾は3000m級の立山連峰からミネラルを含んだ雪解け水が流れ込むことから天然の生け簀と呼ばれている。
そんな富山湾で獲れる魚をネタにした「富山湾鮨」を提供してくれる。
ミシュランガイド北陸2021でも紹介され、東京からわざわざ訪れる利用者も多く、最近銀座クラブホステスに乱暴をして巷を賑わしている俳優さんも訪れる店でもあり、普段からなかなか予約の取れないところなのだ。
暖簾をくぐると大将が「もう身体は大丈夫ですか?」と透かさずカウンター越しに声を掛けてくれた。
退院して早半年以上が経ち、外見からは全く病人の体を成していない者としては、不意を突かれて気遣われてしまうともはや恥ずかしい気分になる。
実際は、未だ右手を使って文字が書けない。
箸はなんとか使えるのだが。
そして、自分でも自覚し辛いのだが、なんとなく集中力の持続が短くなってしまったような気がする。
その二日後。
2022年になって初めて、カターレ富山のホームゲームでスタジアム周辺でのテント出店する事になった。
退院して間もなく、第一日曜日の「護國神社 とやま のみの市」、第四日曜日の「越中大手市場」と月2回の出店は再開させたのだが、屋外でのイベントでその場に居続けることが体力的に不安だったり出来なかったりするのだ。
今まで何の迷いもなく普通に出来ていた事が不意に出来なかったりする。
二人前のカレーを更に盛り付けて、両手でひとつずつ持って何歩か移動しようとして、右手の握力はだいぶ戻って来たと思っていたが、突然意思とは関係なく手指の力が抜けて、皿を落として割ってしまいカレーを地面にぶちまけてしまう。
通院していた病院のリハビリも、先月の時点で退院して半年経ったという事もあって一段落した。
今後は独自に生活の中でのリハビリを意識しながら仕事の復帰を目指す段階となる。
そんなこともあって、今までなら夫婦二人でテント出店を切り盛りしていたところを、大事を取って男性一人をヘルプ要員として加わってもらうことにした。
何ともないなら、二十代の愛想の良さそうなカワイイ女の子にバイトに来てもらい、店主自身のモチベーションをアップすると共にお客様の印象の向上を図るところなのだが、カターレ富山の出店は荷物が多く重い物が有ったりする。
コーヒーグラインダーを動かすための電源は持参の発電機を動かさなければいけない。
それが中にガソリンを入れた状態にした場合30kgを越える重量になってしまい、搬入搬出時には運転してきたクルマから上げ下ろししなければならず、ヘルプ要員は愛想やビジュアルを重視する訳にもいかない状況であると判断するに至った。
カターレの出店では、いつもの出店のようにカレーこそ出さないが、カレーに変わる「台湾魯肉飯」を出すことに決めている。
他にも10店舗以上の出店者がいて中には移動販売車で乗り付けてキッチンを現場に用意出来てる店があったりする。
この場所に於いては、カレーなど珍しくもなんともないのだ。
そして、魯肉飯も仕込みはカレー同様、前夜の作業となる。
約40人前を目安に、豚バラ肉を10kg買っておいた。
今年になって初めての購入。
9ヶ月ぶりの豚肉は、このところの情勢や物価高騰もあってか、以前の価格から20%も値上がりしていた。
これは魯肉飯の販売価格もそのまま反映して値上げして良いのではないか!? とも思ったのだけれども、今回で復活する久々の出店ということもあって、なんとなく値上げはしたくなかった。
ブツブツ文句を呟きながらも魯肉飯を仕込むためには豚バラの塊を切らなければいけない。
10kgの肉をおおよそ2cm角に切るのは右手がマトモに動いていたとしても単純に時間が掛かる作業だ。
溜め息を付いていても作業は捗らない。
重たくてウッカリ落としそうになる豚バラを無心になって切る。
先ず10L鍋に入る程良い大きさに切って、火が通る程度に下茹でをする。
その茹でたものを氷で冷やし、もしくは冷蔵庫で冷やしたものを包丁で切る。
生肉を切ることも出来なくはないが、脂身を蓄えた生のバラ肉は柔らかく脂で滑って切りにくい。
茹でて低温で堅くしたものを切るのが効率的だ。
途中何度も包丁を研いで、何度も湯で刃を洗う。
ステンレスの包丁が良くないのか!?
北京にいた頃、市場で肉屋の阿姨( アーイー:おばちゃん )が切り分けてくれる時の包丁はどこにでもあるような鉄製の錆びて焦げ茶色になった包丁だったが、驚くほど良く切れるものだった。
一度手を動かすだけでシャーッと切れていた。
切れない包丁を使うときは、包丁を鋸のようにギコギコやってしまう。
今のところ、下茹でして低温にした肉を切る方法がベストと思われるが、果たしてどうなんだろう。
とにかく右手を動かして切り続けるのが、生活の中でのリハビリとなる。
9月3日カターレ出店の当日は、生憎の雨。
それも結構真剣に降っている。
出店の準備の時だけでも止んでもらいたいが、自然相手では容赦ない。
店からコーヒーの道具や魯肉飯の鍋やらテントやテーブル、、、、久しぶりの出店でクルマに荷物を積み込む段取りが上手くいかず、出発をするまでに酷く時間が掛かってしまった。
決められた搬入時間を厳守しないと、スタジアム周辺に集まり行き交う観客の邪魔をしながらクルマを侵入させなければならず、場内を誘導する警備員さん達に大迷惑をかけてしまう。
だがしかし、スタジアムまでの道路は雨のため、富山市では珍しい渋滞を起こしている。
ワイパーを速く動かしても視界が悪く運転していて無性にイライラする。
事故になったりしないよう気持ちを落ち着かせ、なんとか搬入時間の締め切りを8分過ぎてスタジアムの入り口に到着。
ゲートに立ってる一人目の警備員さんに「すみません!遅れました!搬入に来ました!太陽珈琲焙煎本舗です!」と声を掛けたら、予定されてるテントの位置までの脇道へ誘導してくれた。
そのまま徐行して進んでみると、顔見知りの警備員さんが待ち構えていてくれた。
クルマのドアのウインドウを開け「すみませ~ん!遅れました~!」と叫び、小言のひとつも言われるんじゃないかと思いきや。
雨の中彼は小走りに近寄って来て満面の笑みを浮かべながら「お帰りなさ~い」と言って迎えてくれた。
今月半ば頃、北京から長期出張で主に東京に滞在している于智为が富山にやって来る。
美味しいものを食べにとは言ってるが、結局のところ脳梗塞を患ったオヤジの様子を見に来てくれるのだ。
7.11.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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入院
予想していた通り脳梗塞と診断され、直ぐに幾つかの錠剤を飲まされ点滴が始まった。
脳細胞のダメージがより大きくならないよう血液をサラサラにする薬を投与された。
ストレッチャーに寝かされたまま数人の看護師さんに囲まれ、「へぇ~、太陽珈琲さんだ!? 」「あの市電通り沿いのお店やろ? 」「前から気になっとたんよねぇ~」と歓迎しているがごとく愛想の良い対応してくれていた。
それぞれが現在の麻痺の症状を把握するために「私の手をギュッと握ってください」と言って来るので握り返そうとするのだが全然力が入らない。
病院に到着してから数時間の間もずっと緩やかに、状態は悪い方に進行し続けていたようだ。
そのまま入院することが決まって病室に運ばれた頃は既に12時を回ってたように記憶している。
当直の研修医のデスクの上に乗ってるモニターで、CT画像を見せられ脳の左側に霞が掛かっているその辺りにダメージが有るという事を確認した。
説明してもらわないと何も判らない。
当人自身には全く痛み等無い。
右半身が全体的に重たく感じ、右目の瞼が意図することなく下がって来る。
唇にも右側が歯医者に行った時に掛けられた麻酔のような痺れ、普段とは違う動きの鈍さを感じていた。
そのためなのか看護師さん達と話をするにもどことなく話しづらい。
もどかしい。
これが「ろれつが回らない」ということか!?
病室に入って少し落ち着いたところで、ふと我に返り、先行きが判らず不安に陥ってみたりし勝ちなものだと思うが、急に睡魔に襲われ寝てしまった。
左手は点滴右手は麻痺で身動きも出来ない。
テレビを見るでもない。
スマホでネットを見るでもない。
今後果てしない退屈な状態を過ごさなければならないのだろうと情けない気持ちになりながら落胆しつつも腹を括った。
とは言え、今まで体験したことのない新鮮な出来事に直面している。
一寝入りして、目が覚めてももちろん病室のベッドの上に居ることには変わりがないが、今を思えば差ほど気落ちしている風ではなかった。
午前3時頃だっただろうか、脳梗塞になっても当然尿意を催すものである。
病室に入った時に「何かあったらコレ押してくださいね~」と動かしづらい手元の近くに置いてもらったナースコールのボタンを思い出した。
でも、思った通りに手は動かない。
立ってトイレに行くことも出来ないに違いない状態で、どうやってオシッコするんだろう?
点滴をしている最中ということもあって、身体から管が出ているイメージが先行してしまい、このままベッドの上で尿を排出させるための「尿道カテーテル」を施されてしまう!? と勝手な妄想で占められてしまっていた。
何らかの原因で自力での排尿が困難な場合、尿道口から膀胱へチューブを挿入し、人工的に尿を排出させる方法だ。
10年くらい前だったか、まだ北京で生活していた頃、PM2.5の影響か何かで喉に違和感を感じて診てもらった時に鼻から胃カメラを入れられた事があった。
喉の様子を診るための内視鏡だ。
いわゆる口から飲む胃カメラのような黒い太い管状のものではなかったが、鼻は呼吸をするための場所であって管を出し入れするようには出来ていない。
かつて味わったことのない苦痛を強いられた記憶だけが残っている。
鼻はズルズル、目から涙も出てた。
それが、今度は尿道口から膀胱まで。
いったい何センチ有るんだ!?
想像を絶する苦痛を強いられる気がしてならない。
苦痛を恐れるあまりナースコールのボタンが押す気にならない。
でも、精神的な緊張感と共に容赦なく尿意が高まっていく。
もう少し待つか、今押すべきか!?
タイミング良く点滴の交換をするために看護師さんが来てくれた。
幸い少し年配の経験も充分そうな、婦長さんかもしれない威厳を持ち合わせた方だった。
点滴の交換が終わるのを見計らって、「あの……、トイレに行きたいんですけど」と恐る恐る申し出てみたら。
「あ、まだ動けないでしょ!? 尿器使ってね。」
とベットの脇に準備されていた柔らかい乳白色のプラ製尿瓶を差し出された。
「使った事無いんですけど……」
と応えると、
「ちょっと待ってねぇ~」
とすかさず新型コロナ対策なのか部屋の入り口に置いてあるビニール製の透明エプロンを付け、薄いラテックス製の手袋を嵌めながら、準備万端と言わんばかりに手袋の端をパチンと鳴らした。
婦長さんには全く躊躇は見られない。
むしろ戦闘態勢のスイッチが入った。
有無も言わさず掛け布団を剥ぎ、病衣の下からトランクスを下ろし、迷いの無い慣れた手つきで、親指と人差し指二本でひょい摘まんで尿器の入り口にあてがわれた。
不意を突かれ、声には出なかったが「ひぃ~っ!」って悲鳴を上げそうになった。
婦長さんは、再び上に覆うかのように掛け布団を掛けて「少ししたら戻って来ますね~」と言って部屋を出て行った。今のうちに用を足しておけと言うことか。
そうは言っても、半世紀余り生きて来て横になった状態で用を足した記憶が無い。
婦長さんの手際の良さのあまり、先程のように高まっていた尿意が一瞬落ち着いてしまったようだった。
些か踏ん張るかの如くなんとか尿器に用を足し、さてどうしたものかとひと息付くや否や婦長さんが「おつかされさま~」と再登場。
ドアの外で控えて待ってたのかと思うぐらいの絶妙で無駄の無い間での登場だった。
お陰で、入院第一夜、ダメージを受けていると思われる頭の中で膨らんでいたカテーテル導入の恐怖からはあっさりと逃れられ、そのまましっかり静かに眠りに就けた。
しかし、普段の生活に比べ病院の朝は早い。
一寝入りすると、朝食の配膳のために廊下を行き交う人達がいて自然と目が覚めた。
思いの外、病院食が美味く感じられた。
4.5.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
OH, NO !
コロナ禍において丸の内店舗の営業はしばらくしない。
そう決めてから店舗内は、テント出店のための道具やら荷物やらで倉庫としての様相を呈している。
コーヒーを試飲してもらうお客さえも招き入れない方針なのだから、冬場の気温が低い日でも暖房は石油ファンヒーターで作業するときの自分の足下を温める程度にしていた。
今思うと、それも良くない原因のひとつだったのかもしれない。
お金を稼ぐのが仕事なのだから、請求書を書くのは「楽しい」という感情の部類にカテゴライズされモチベーションがいっそう上がっても良さそうなものなのだが、苦手な事務作業の中でも最も時間が掛かってしまい一向に捗ることがない。
区切りの良いところで一旦止めてランチにしておけば良かったのだが、ゴールがまったく見えて来ない嫌いな会計作業という事もあり沼に嵌まってしまって食べ損ねていた。
カウンター奥のコールドテーブルの中に何かあるかもしれないと漁ってみたら、カマンベールチーズが手付かずで丸々残っていた。
お手軽なので包み紙を剝いて一口齧り付き、再び作業に戻ろうとテーブルに戻ろうとしたら、ウッカリ右手の親指と人差し指からポロッと食べかけのチーズを床に落としてしまった。
「あ~~勿体ない! まだ一口しか食べてないのに!」と思いながら、しゃがみ込んで椅子の下に転がってしまったカマンベールを拾った。
「…………なんだ!?」
普段手に持ってるモノを落としてしまう事なんて滅多に無いので、瞬間的に不思議な違和感を感じた。
チーズを拾って、そのままゴミ箱へ捨てに行こうと一、二歩動いた途端、今度は目の前のAmazonの段ボールの空箱を積み上げた山へ頭から突っ込んだ。
その時は「くそっ!」と思いながらも、足がもつれたのは気になする事も無く、今度はチーズをつまんだままになってる右手の指が不思議と感覚が鈍いように思え気がかりとなった。
何かに手を打ち付けた記憶はない。
特に痛みが有る訳でもない。
そして、もう会計作業を続ける気は失せてしまった。
「とりあえず、コーヒーを飲もう!」
カウンター上に置いてあるデロンギの全自動コーヒーメーカーマグニフィカSのスイッチを入れた。
基本的にハンドドリップでコーヒーを淹れるのだが、ウチのコーヒー豆を定期的に購入してくれる飲食店さんが使ってるコーヒーマシンなので、店でもテイストやフレーバーを確認するために置いてみたがのだ。
これがスイッチを入れて間もなくボタンを押すだけでホットコーヒーを淹れられるのだから、ラクに使える余りそのままカウンターの上に鎮座しているシロモノだ。
そして、この日は、19:00~21:00で越中大手市場の定例オンラインミーティングの日でもあった。
18:00頃になって、妻が勤めている会社の退社時間が過ぎて良い頃合いになったので、一応オンラインミーティングがあるため、帰宅せずにそのまま店に残ることをメッセンジャーで伝えようとした。
スマホの文字を打つのにどうもミスタッチが多い。
捗らないのだ。指が太いからというような原因ではないミスだ。
指が痺れるという表現は的を射てない。
メッセージを打つ右手の指の感覚が鈍いのだ。
メッセージを打ちながら、この後店に残ることを伝える内容から右手の感覚が鈍いという内容に変化し、病院へ行ってみた方が良いというところまでの展開となった。
やがて30分程後、妻は会社から自転車を飛ばしてやって来てくれた。
店のテーブルに広げていた会計の書類やパソコンを片付け、暖房を消し電灯を消しながら病院へいく準備をする。
何かが進行して緩やかに体調が悪くなっていくような身体が重くなっていくようにも感じられた。
自家用車のN-VANを自分で運転して病院に到達出来たとしても、自走して帰って来られる自信はすっかり失われていた。
富タクへ電話してもらって、タクシーに店まで来てもらうことに。
東京と違って富山で流しのタクシーを都合良く捕まえられる事はまず無いと思って良い。
待ってる間、暖房を消してしまった店内は結構気温が下がり寒さを感じるくらいにまでなっていた。
ミーティングをドタキャンしてしまうことをメッセンジャーグループに送信し、タクシーを待った。
前もって銀行に寄ることも出来なかったので、タクシー代を支払う現金が足りなくなるのではと少々心配をしていたのだが、運転席の後ろのアクリルボードにPayPayが使えることを示すステッカーが貼ってあったので、安心して後部座席にぐったりして倒れ込んでいられた。
どんどん体調が思わしくない方へ向かい右半身が鈍くなって、顔や口でも麻痺を感じられるようになって来てるので、自分自身でも「いわゆる脳梗塞というヤツだ!」と判断するに至った。
ちょうど一年前、大学時代の同期のヤマグチが罹ったやつだ。
たまたま上京する用事があったので、病室まで見舞いに行って「血圧が高いのってヤバイよね~。明日は我が身だぁ~!」と、口では言っていたものの、まさかその一年後に本当に自分自身の身に降り掛かる事になるとは。全くの想定外の事だった。
緊急を要する事態とはこれっぽっちも考えずに「富山中央病院へ」と行き先を伝えたのだが、着いてみたら病院の受付で「今日は救急お休みなんですよ!」と残酷な返答。
富山市では、救急を受け持つ病院が定期的に交替するらしい。
呆れて冗談交じりに「死んだらどうすんだよ!?」と苦笑してしまった。
仕方なく富山市民病院へ移動せざるを得ない事態に陥り、あらためて妻にタクシーを呼んでもらった。
今を思えば、最初から太陽珈琲の店舗へ救急車を呼ぶべきだった。
そして、中央病院からも救急車に乗るべきだったのかもしれない。
かつて脳卒中と呼ばれる脳血管障害は、発症したと思われた時点から身体を動かさず安静にしなければならないとされていたようだ。
ところが、現代医療では対応がアップデートされ、発症からとにかく早期に発見され対処されることにより重症化を避けることが出来るとされている。
結局、富山市民病院の救急センターで診てもらえたのが右手からチーズを落として4時間後。
救急の医者の第一声は、その場に居合わせている患者の気持ちに対して配慮している暇など無いからなのか「発症したのは何時? ギリギリだなぁ~!?」というオブラートに包まれていないナマの発言を聞かされる事になった。
救急外来のエリアでは何人もの患者と思われる人が横たわっており、医者や看護士が小走りに動き回って対処している。
家族は中に入れてもらえず廊下で待っていなければいけなかったようで。
自分は気が付くと、いつの間にか着ていた服を全部脱がされ、前開きの浴衣のような病衣に着替えさせられていた。
部屋の奥の方では、小さな女の子が「イターイ~、イターイ~」と泣いていたり、首が動かせる範囲の見えるところでは頭から血を流してる老人が呻き声を上げていた。
ドラマや映画で見たことのあるような光景の中、ストレチャーに乗せられたまま病院の廊下を移動して、CTやら心電図やら採られていた。
ストレッチャーに乗ったまま仰向けになって目を開けてると、移動してるからなのか具合が悪いからなのか、目が回るようで気持ちが悪い。
就いてくれた研修医がモニターでモノクロのCT画像を見せてくれた。
自分自身で上から見たの脳幹部の左側に薄黒くくすんだ部分を確認した頃には、しっかり右半身の麻痺をも自覚出来るくらいになっていた。
当然そのまま入院することになり、いろいろな手続きが進められる中、看護士が書類を持って来て、なんの気兼ねもなく「臓器提供の意思登録されてますか?」と尋ねられた。
つい先程まで右手から落としたチーズを勿体ないと思っていたところに臓器提供とは、思いも因らない質問に不意を突かれ、一瞬時が止まった。
最近では運転免許証の裏面に臓器提供意思表示記入欄が儲けられており、意思表示出来るようになっていることは知識としては知っていた。
また、それで意思表示をしてはいなかったものの、提供するなら煙草を吸う習慣がなかった者としては肺が綺麗に違いない。
ぷりぷりで断然オススメだなとも思っていた。
だが、「エッ!? 脳死の可能性があるの?」と思わず問い返してしまった。
それくらい、今自分が置かれている現状に対する認識が伴っていなかった。
普段から血圧が普通より高いという自覚はあったが、健康診断など10年以上受けたことがなかったし人間ドックなど考えたこともなかった。
「病気」というものは、医者の診断によて病名を名付けられるから病気になるものだと思っていた。
入院が決まって、病室のベッドの上で測ってもらった血圧は上が220。
自分でも今まで聞いたことがない数値だった。
2.5.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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越中稲荷神社
七年目となる越中稲荷神社での初詣テント出店。
毎年やることは同じでも、年齢を重ねるごとに体力的にキツく感じるようになってきている。
逆に、テント出店せずに新年を迎えた感じになれなかったりもする。
それにしても、去年は辛かった。
例によって夫婦して大晦日よりテントを設営し早々に訪れる初詣客を迎えた後、人が途絶えたのを見計らって一端休憩の為その場を離れた。
その後の予想を遙かに上回る大雪に、柔なタープテントは数時間降り続いた雪の重みに耐えかね、それぞれの足がグニャリと曲がり開脚してしまって潰れて全く用をなさなくなってしまっていた。
そのため、しばらくしてその場に戻って来て、一月一日の元旦から雪で潰されたテントの残骸の中からコーヒー機器を救出し、壊れたテントを束ねて処理し、疲れ果てて営業再開に漕ぎ着けるという無駄な労力を使うことになってしまった。
その後も大雪は続き、富山市の主要道路は除雪が全く追いついておらず、自分も4WDのエルグランドに乗っていながら雪に足を取られスタックし、保険会社のロードサービスにレスキューコールするもロードサービスの車両自体も現場に駆けつけられないという理由で、結果的にロードサービスにも見捨てられてしまった忘れられない大雪の日、1月18日だった。
そして、今年2022年寅年。
聞いたこともなかったラニーニャ現象だかの影響で早々にまた大雪になる事が予想され、学習した富山県民は、雪で屋内に閉じ込められても良いようにと非常食や水、インスタントラーメンを買い込んだ。
自営業で客商売を営む者は広い面積の駐車場を所持し管理していがちなものなので、秋くらいから大型特殊免許を取得し除雪用のホイールローダーを操作できるように備えたりしていた。
果たして、不意を突かれた去年と比べると全く足下に及ぶものではなかったのだが。
ウチの場合は、昨年まで乗っていたお気に入りのディーゼルのエルグランド4WDは5月に車検がやって来てしまって、幾つかの修理箇所を直して車検を通すよりかは新しいクルマのローンの足しにするべく修理代を新車に充てた方が経済的だと周囲から説明され、苦楽を共にしたエルグランドと別れ、泣く泣く乗り換えることを決意した。
次に選ぶは N-VAN 。
軽自動車にしたのはいつまで続くかサッパリな景気への燃料費軽減対策とペーパードライバーと化して移動にいささか不自由に感じ始めている妻が運転を試みるキッカケになればという思いから。
日本に於ける車検制度を踏まえると、お気に入りなクルマがあったとしても古くなって乗り続けるのが難しい。
古くなったクルマを直しながら乗るというよりは、どんどん新しいクルマに乗り換えさせる方針なのだと感じた。
そういう国策なのだ。
そして、今後、燃料など日本独自で価格を決められるものではない。
ましてや世界は電気自動車にシフトしつつある。
10年後ガソリンエンジンの自家用車に乗っていられるとも限らない。
とはいえ新しい電気自動車には飛びつけないし、そもそも好きじゃない。
むしろ嫌いだ。
日常の移動手段として使う道具としては経済的でエコで進歩的でもある。
でも、クルマは何か有った時の非常時にこそ役立って欲しい道具である。
洪水で辺りが水没した時、土砂崩れや地震や災害時の足場が悪いところ、富山のように大雪が降ったりする地域にとって自然に対して気を引き締めて生活しないといけないツールである。
そう考えると電気自動車というものは大きく考えの偏りがあり、イザとなった時には使えない粗大ゴミとなったりする。
そして、この新しい N-VAN 。
このコロナ禍の御時世なのか世界情勢なのか、半導体やら部品が工場に揃わないという理由で、納車までに6ヶ月余り、12月上旬になってやっと富山の路上で運転出来るようになったのだった。
当然言うまでも無くこの N-VAN も4WD。
冬のデビューとなってしまったが何の心配も要らない。
重要なのはテント出店で持ち運ぶ荷物たちを積んで現場まで運べる能力。
カジュアル系軽貨物自動車なので、荷物のレイアウトを工夫すれば先のエルグランドとほぼ同じくらいの荷物を載せられる。
更に、燃費も良い。
優秀君だ。
大晦日。
荷物を積んでイザ越中稲荷神社へ。
既に30cm近くの積雪があったが、非常に首尾良く22時には営業を始められていた。
店開きを終えるまで N-VAN を設営したテントに横付けにしていたでので、傍若無人にいつまででも駐めておける訳もなく、予定していた駐車場へと移動させることにした。
行ってみると、その駐車場いや、もとい空き地だ。
その空き地は、入り口から辺り一面に真っ白のフワフワの新雪になっていた。
そういう綺麗な新雪には無防備に身を預け、思い切ってダイブしたいもの。
今回運転し慣れていない N-VAN に乗っていたにも関わらず、そんな衝動に駆られてしまったのだ。
新雪の中に、新しい N-VAN で「うぇ~~~ぃ!」だ。
N-VAN はちょうどクルマ一台分くらい突っ込んだ所で止まった。
全然問題ない。
この N-VAN は四駆なんだぞ。
、、、、、、、「あれっ!?」
最近の新しいクルマはデジタル制御されていて、空回りのようなタイヤに無駄な動きをさせないためなのか理由はさっぱり解らないが、アクセルを踏み込んでもタイヤが回ってくれる気配が無い。
スタックしたぁ!!!!
首尾良く開店出来たので,スタックから脱出するのに時間を費やすのは勿体ない。
N-VAN をそのままにして、徒歩でテントに戻り、カウントダウンをする間もなく新年2022年を迎えた。
2021年1月18日、大雪でエルグランドが動けなくなってしまい、ロードサービスを呼んでも来てもらえなかったことを決して忘れない。
あの時ほど大雪ではないにしても今回の N-VAN のスタックは、1月1日元旦である。
世の中の動きが止まっている日。
多くの人々はお雑煮喰ってお屠蘇飲んでテレビ見てゴロゴロしてるに違いない。
誰か初詣に来るついでにレスキューしてもらおうと思いつき、Facebookのタイムラインを見た。そうしたら、土偶が、自宅玄関先に積もった雪を除雪してる様子をアップしたばかりだった。
2022年令和4年初のラッキーが訪れてくれた。
午前中のうちに牽引ロープを携えハイエース4WDで駆けつけてくれ、 N-VAN は難無くスタックから脱出することが出来た。
12.5.2021
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太陽珈琲PANGBIAN
2021年11月30日午前0時から当面年末まで、日本は全世界からの外国人の入国を原則停止することを決めた。
新型コロナウイルスの新たな変質株「オミクロン株」の感染が各国に広がっている為だ。
富山県に住んでる者としては、正直なところ報道や都会の様子との温度差を感じざるを得ない。
11月に入ってからの富山県は新規感染者0人の日が長く続いており、27日県外の滞在歴がない70代男性が1人軽症で入院されたことが26日振りのニュースとなった程度なのである。
天気に恵まれた日曜日11/28の毎月レギュラーで参加しているイベントでは、普通に外出出来ることを待ち侘びていた親子連れで溢れかえった。
街に人出が戻り、閑散としていた飲食店にも少しずつ人が戻って来ている様子。
この秋で、太陽珈琲焙煎本舗が入ってる建物の他のテナントさん達は廃業され、最終的にウチだけが残ってしまった。この建物の大家さんは、冗談交じりに「隣も借りてくれないか!?」と言うが、今のこの場所の集客能力と家賃が見合わないと思っている最中、店舗面積と共に固定費の家賃を二倍にしてマトモに存続出来る自信がない。
もうこの場所で、コロナ禍以前と同じようにコーヒー豆の焙煎をして販売する店を再開する気になれないのだ。
そして、異常気象の影響か日本海側に、昨年に引き続き今年もラニーニャ現象で大雪が予想されている。
昨年の災害レベルのような大雪をイメージするなら、一般庶民は自宅に閉じ込められ生活必需品すらも買い物に出掛けられなくなる。
もう元には戻れないのだ。
店を構えて胡坐をかいてお客を待っている場合ではないのだ。
今は、人が集まる場所やイベントに出向いて出店する方法を選んで、ギリギリなんとか存続出来ている。
今後この状況を更に好転させるには、、、。
時を同じくして、ひとりの演劇人からメッセンジャーに連絡が入った。
「六渡さん、お元気でしょうか? 11月終わりから12月第一週までのどこかで富山でステージやらせていただくことは出来ますでしょうか。」
コレは、富山のステージを牛耳っているヤツ宛のメッセージなのか!?
次の一手を考えあぐねている矢先だっただけに、思わず笑ってしまった。
忘れもしない2020年3月28日、公演予定だった『ひょうげば富山+しめんげき』公演の中止を余儀なくされ、今度は2021年12月19日『清水宏の帰ってきたスタンダップコメディ~富山の皆さんお久しぶりです公演!』で演劇部門を再始動することになった。
俳優でありスタンダップコメディアンである清水宏氏の三度目の来県となる。
彼の事は知る人ぞ知る、2010年から英語でスタンダップコメデイを始め、世界最大のシアターフェス、イギリスのエジンバラ・フリンジ・フェスティバルに参加。
英国の大手新聞社THE TIMESの取材を受け、全国版に特集された程の人物だ。
前回富山に来てもらった時は、太陽珈琲焙煎本舗の店内にぎゅうぎゅう詰めで25人程。
駅前にある小劇場やホールを持つ地方公共団体の施設は、コロナの影響に非常に敏感で利用するにはリスクも大きい。今回は、当店の隣の物件がちょうど空いているので短期間借りることにして。
会場名は「PANGBIAN」中国語で「 旁边 (隣) 」の意味。
密を避けて30人程2ステージ行う。
中止した『ひょうげば富山+しめんげき』公演の時と同様、新型コロナ感染防止対策は抜かりなくしっかりやるつもりだ。
動員数は多いとは言えない数だけれど、自分の意思を持ってフットワーク良く出来るところから、少しずつ動き出す。もし再びコロナが蔓延して状況が悪い方向へ向いたとしてもなんとか切り抜けられる感がある。
そんな現状に突破口を開いてくれるような熱い男が富山にやって来る。
11.5.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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直径32cmの半寸胴鍋
既に記憶が曖昧になってきているが、2020年3月28日に企画していた『ひょうげば富山+しめんげき』公演を新型コロナ感染拡大防止を鑑みて泣く泣く中止にして、その流れの中で太陽珈琲焙煎本舗の丸の内の店舗営業も自粛を理由に一般向けには休業にしてしまって久しい。
一方で、屋外に於けるマルシェやイベントのテント出店を積極的に行っているため、店内はそれらの荷物の置き場所となりコーヒー豆の焙煎作業場&倉庫と化している。
ある時から思い立ってスパイスを使ったカレーを作るようになり、それをテント出店の場でも提供するようになった。
客単価を上げるためというのが建前のひとつで、実のところは作っていて楽しいからでしかない。
今日は、某社の社員寮で行われる「カレーの日」イベントで提供される何種類かの一部として、2種類のカレーを50人前ずつ作って納品した。
「バターチキンカレー」と「豚肉と大根のカレー」。
どちらも50人前となると相当な量になる。
いつも使っている直径32cmの半寸胴鍋が23Lなので、確実に20L以上の内容になっており重さは20kgを越えるものとなっている。
高さが80cm程あるガスコンロからその鍋を下ろす時、一瞬たじろいでしまった。
重いのである。
重い物を持つ時は、気合いを入れて膝を曲げて真上に立ち上がるようにする。
決して腰を支点にして持ち上げてはならない。
もうこれは、コーヒー屋の仕事じゃないな。
新型コロナに直面して、世の中はもう以前のような元通りのカタチに戻れないだろうし、業態を変えてしまう事くらいを考え、やれる事をやって生き残れば良いと思う。
もう25年も前のこと。
90年代。
まだフィルムを使って撮影をする時代だったこともあり、写真を撮影するためには多くの重たい機材を持って出掛けなければならなかった。
今でこそ撮影するカメラはデジタルになり、照明機材はコンパクトになり軽量化された別のものに変わった。
当時周囲の先輩カメラマン達に「カメラマンは30前後で必ず腰を痛めるから」と散々注意を促されていた。
世の中がバブルで景気が良かったこともあって、まずは自分なりの腰痛対策としてスポーツジムに通うことにした。
新宿高層ビルの中にあるジムで入会金だけでも30万円くらい払った記憶がある。
「職業、フォトグラファー。仕事の後はスカッシュ。UFO信じる。……」
バブル時代の広告のコピーに習ったつもりは無かったが、特に何も考えずスカッシュを始めることにした。
でも、これがいけなかった。
右手にラケットを持ってスウィングする。
この片方向に偏る運動を繰り返すために、やや腰痛を抱え始めた者にとって本格的な腰痛持ちになってしまったのである。
後に、結局三日坊主のごとくスポーツジムには行かなくなってしまうのだが。
次に、何かメンテナンスを施さなくてはと思い、当時住んでいた恵比寿から徒歩で通える整体院を探し出した。
今のようにネットを使って評判を検索する術も無かったので、電話帳を使って恵比寿周辺の何軒かに電話して様子を伺った。
一度に回数券を購入させられるところもあれば、健康保険が利くところもあり、いろいろ選択に迷うところではあったが、一軒だけ掛けると留守番電話になり「施術中は電話に出られません。こちらから折り返し電話をしますので電話番号をお知らせください。」といった内容のメッセージが流れた。
単純に一人だけで営業しているのだと想像出来るが、施術を中断されるであろう電話を取らずに目の当たりにしている患者を一心不乱に診てくれるような気がして、そこに行く事に決めた。
その後、何かに付けて整体に行くようになり、その頃はいわゆるギックリ腰にはならずに生活することが出来ていた。
2005年より北京に移住して。
2008年の北京オリンピックを終えるまでは日本から依頼される写真の仕事で辛うじて食いつないでいた。
時折、現地の雑誌の仕事もしたりして、未だフィルム撮影もしていたけれど、現像所の仕事が粗い。
シビアなオーダーをしても応えてもらえない様子だった。
自然とデジタルでの撮影の比重が多くなった。
一眼レフで撮影するスタイルは大して変わるものではないが、メディアが変わるだけで持ち歩く撮影機材が変わっていった。
フィルムに対するノスタルジックな思いを抱えながらも、撮ってイメージを伝える作業には変わりがないんだと自分に言い聞かせ次第に移行していった。
そして、2006年頃からカフェに興味を持ち始める。
普段の生活の中で、基本的な移動はタクシーを使うのが便利だった。
バスは更に安い料金で利用出来たはずだったが、バス停でバスが来る時間を待つのが嫌で我慢出来なかった。
日本で生活していた頃のように重たい写真機材を持ち歩く機会が少なくなったとはいえ、やはり腰に不安を覚える事は多々有り、いくつかの鍼灸治療院と出会うことになる。
大企業の駐在員さんならば会社の経費でセキュリティがしっかりしている綺麗なマンションに住むのが普通なのだが、こちらは物好きな個人が海外生活をしたいがために渡航しているので、経済的理由から普通の中国人が住むローカルのアパートに住んでいた。
日本では殆どの家庭に風呂があり、風呂場には湯船があるのが疑いようのないのスタイルだ。
海外でしっかりしたホテルは別として、安いホテルやアパートにはシャワールームが有ってもたっぷりお湯を使う湯船があるところは滅多に見掛ける事は無い。
北京で住んでいたローカルアパートも御多分に漏れず、シャワールームには湯船が備え付けられていなかった。
入居した当時は北京オリンピック前で未だ物価が安かった事もあり、湯船だけ自前で購入しようかとも考えたのだが、排水溝の作りがあまりに陳腐で、仮に湯船をシャワールームに入れられたとしても湯船に溜めた湯を一気に排水した場合排水が追いつかずシャワルームから大量の湯が溢れ出てしまう事が明らかで、湯船の購入は断念せざるを得なかった。
北海道よりも寒いかもしれない北京に於いて風呂が無い生活は、たまに高級マンションの敷地の一角に有るスーパー銭湯のような場所を利用してはいたものの、日頃の生活から自然とカラダが冷えてしまい、特にウィークポイントになりがちな腰にはかなりのダメージを与えていたと思われる。
また丁度四十肩に見舞われてしまう年齢でもあった。
実際、北京で生活している時に初めてギックリ腰になってしまう。
初めての体験でも、これがギックリ腰なんだと瞬時に自覚出来るくらいピキッと来るものだった。
そして直ぐに痛みのあまり動けなくなった。
仕方なく最寄りの鍼灸治療院で評判の良い中国人の先生の治療を体験する。
疲れが溜まったた腰の部分の良くない悪血を出す治療で、腰の患部の辺りを鍼で傷つけガラス製カップを使って悪血を吸引するのである。
その時は、ハンカチくらいの白い布が真っ赤になるくらいの血が出た。
加えて整体のような治療も受けて、その時は比較的短時間で難を逃れられたと思われる。
その後、中国に鍼灸を学びに留学している日本人の先生と出会えたのは本当に運が良かったとしか言いようがない。
確実に言葉が通じて微妙なところを理解してもらえる安心感は非常に大きなものだった。
お陰でその先生には腰や肩の痛みに限らず、主治医のごとく何かにつけカラダにネガティブな感覚を覚える度に診てもらっていた。
風邪が悪化して高熱を発している時は、耳から悪血を出して解熱を促したり、花粉症の時は箸のように長いステンレスの鍼で鼻の奥の炎症に働きかけてくれたりもした。
西洋医学の薬は痛みに対して、痛くないように薬で対処するものだが、この東洋医学はカラダの痛みの原因を改善するように働きかけてくれるものだった。
特にこの先生の鍼に関しては、カラダの中で眠っている神経を鍼の刺激によって呼び覚まして元気を与えてくれるものだった。
秋が深まり気温がグッと下がり始める季節になると、ぼちぼちカラダのメンテナンスが必要だと感じる。
10.5.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
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黒いやつらがやって来た!
新型コロナが蔓延し始めた2020年春より、太陽珈琲焙煎本舗の丸の内ある店舗は通常の営業を止め、店以外の屋外イベント、マルシェや蚤の市での出店を積極的に行ってきた。
当店はコーヒー豆の販売とコーヒーの抽出機器の販売が主で、有料によるコーヒーの試飲を目的として来店されるお客も若干数ながらいた。
富山でも地方自治体の助成金を申請して店内にコロナ拡散防止対策考慮した工事を早々に施すお店が多い中、新型コロナが終息したとしても、もう世の中は元通りには戻らないと踏んだ。
しばらくはヤレることをヤルのみ。
様子を見ることにして、場合によっては業態を大胆に大きく変更をする必要もあるかもしれない!? と。
毎週土曜日は黒崎屋さんの店先に出店させてもらっている。
富山市と高岡市を結ぶ国道8号線の南側に位置している魚屋さん。
独自の仕入れルートがあったり、魚を神経締めする手間を惜しまないからなのか、普通のスーパーマーケットに入ってる魚屋さんなどとは大きく差を付けて身が締まった刺身を提供してくれる。
全然違うのだ!
黒崎屋さんの営業は月曜から土曜、09:00~19:00。日曜は河岸がお休みなのでお休み。
富山市内の多くの飲食店さん、時にはお寿司屋さんまでもが開店前から店先に並んで扉が開くのを待っている。
朝イチの09:00に扉が開く前に並ばれる飲食店さん達は、魚丸ごと一匹とか柵で購入される。
特別な予め注文が入ってる魚達は裏口からやり取りされ、午後になると一般のお客さん用にお造りにされたパッケージされた状態で店先に並ぶのである。
そして、富山市近郊の農家で栽培されている季節の野菜や風変わりな野菜も売られている事も忘れてはいけない。
赤い大根や白い苦瓜など単純に珍しい野菜が並ぶので店内を見るだけでも楽しい。
それら、富山県内のいくつものミシュラン星獲得レストランの食材として提供されている。
( あ! 太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆も、ミシュランの星を獲得されてるレストランに卸してます。)
そんな農家さんの一人、青ちゃんの家で7月30日猫が12匹生まれた。
以前から、何気なく「黒い猫が欲しいな~!」などと言ってた事を覚えてもらっていたらしく、その12匹の中に「黒っぽいやつが2匹いるよ!」と連絡をもらい、即決。
迷わず2匹とも引き取ることにした。
大学を卒業した頃、東京で生まれて目が開いたばかりの子猫を2匹拾ってしまって、そのまま育てることになった経緯もあったので、今回も何かしらの縁があったように思えた。
生後4週間後親猫の母乳でしばらく育てられてから、2匹はウチにやって来た。
ちょうどミルクから離乳食へ移行するタイミング。
30年前飼っていた子猫達にも哺乳瓶でミルクをやっていた記憶があるが、離乳食などどうしていたのか全然覚えていない。
あらためてネットのブログやらYouTubeで確認してみると、時代が変わって猫達の地位はカナリ向上したように思える。
まず出自がハッキリしない野良猫に近い立場の猫は、獣医師に診てもらって健康診断してもらうべきだという事を知った。
猫もHIVや寄生虫など感染症に罹ってる可能性があるので、血液検査をしてもらったり身体検査、尿検査、便検査をしてもらうようだ。
それに、ミルクの後は適当に猫マンマを与えておけば良いという安易な認識だったが、どうも人間の食べ物を与える事が猫にとっては塩分の関係で腎臓に悪影響を及ぼしてしまうらしい。
良いタイミングで猫用ケージを譲ってもらったりもして、2匹は自宅で留守番をする形で飼う予定だったのだが、トイレの習慣を身に付けてもらわなくてはいけないし食事の時間や回数の事もあるので、しばらくキャリーバッグに入って一緒に出勤している。
店に置いてあるケージの中で寝ている時は静かで何の問題も無いのだが、起きてる時はケージの中で走り回って大運動会である。
こちらが焙煎をし終えた後ケージを覗いて目が合ったりすると、「腹減った~!」とか「ココから出せ~!」とか「遊んでくれ~!」とか、2匹揃って容赦なくニャーニャー訴えて来る。
そうなると、ほぼ根負けして彼らの言うことを聞き入れてしまう。
彼らがウチにやって来て一ヶ月足らず、すっかり猫の親バカの出来上がり。
2匹とも雄。
クロネコの大和 ( ヤマト ) とクロネコの端午 ( タンゴ ) と名付け、家内安全、商売繁盛、ウチの招き猫に就任した。
9.5.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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コロナ禍のオーディション
北陸の中でも比較的人流が少ない富山ならばきっと大丈夫だろうと誰もが思っていたはずだ。
今までは常に石川の方が感染者数は多く、北陸の中でも観光地であり普段から人流が絶えることがない金沢がダントツで密になる都市である限り、富山の感染者数はそれらの足下にも及ばないものだとばかり思っていた。
そうして、五輪が実施されるなら、夏休みが始まったから、お盆になったからと8月に入った途端、富山市内の主要な道路では県外ナンバーのクルマを頻繁に見掛けるようになり、家族ぐるみで利用するようなファミレスや店舗面積の広い回転寿司屋などが書き入れ時の時間帯になると普通に満席になるようになっていた。
そして当然の結果、富山県内の一日の感染者数は100人を超えるようになった。
今年2021年8月10日には県内で感染者や入院者の増加が続いているとして、県独自の感染拡大特別警報(富山アラート)を発令したが、その後も県内の感染拡大に歯止めが掛からず、8月16日には富山県感染拡大特別警報の警戒レベルはステージ3に引き上げられた。
また、8月20日から9月12日まで県内全域の約4千店を対象に午後8時以降の営業自粛を要請。
富山市を軸に まん延防止等重点措置の適用地域となった。
こんな最悪な状況まで想定されていたかどうかは判らないが、富山県と石川県で某映画のキャスト、エキストラの選出目的での公開オーディションが8月27日、28日、29日の三日間予定されていた。
公募要項には、コロナ禍であることを考慮し動画審査の受付も⾏うとも書いてあった。
となると、直接面接を受けるより、動画での応募者の方が応募者側に手間が掛かるだけに、監督を始め審査をするスタッフに印象深く目に留めてもらえる可能性が高いと推測される。あとは日程さえ合うのなら、映像を送った後に駄目押しで直接面接会場に出向きオーディションを受けても良いのだ。
まずは自分で印象深い動画を撮ることが必要だ。
昨年から興味を抱いて最近購入したiPhone用ジンバル・スタビライザーを使って動画の撮影をしようと思いついた。
iPhoneのお陰で写真も動画もお気軽に撮影出来るものになって久しい。そのiPhoneの動画の撮影とはいえ、スタビライザーを付けて映像を見る時に煩わしく感じる手ブレ振動を除去してやりさえすれば、整然とすっきりした映像に見えるはずだ。
ましてや映像のプロならそれらの映像の工夫が加えられたものだと気付くに違いない。
むしろ気付かないような撮影組には関わらない方が良いはずだ。
DJI OM 4 COMBO、iPhoneに専用アプリをインストールして起動させると、かなり優秀なビデオシステムになってくれる。
ひとりで撮影するので、自撮りモードにして内側のカメラを使い、自分の顔を認識記憶させてやるとその後はそのまま被写体の顔の位置を把握し追尾フォローしてくれる。
テーブルの上に付属の小さな三脚を立てて固定してやれば、人物の上半身のちょっとした動きに応じカメラ任せで顔を追いかけてくれる。
機能を判っていて購入しているのに実際チョコチョコっと設定して期待している映像が撮れてしまうと「オ〜〜!」と自然と声が漏れてしまう。
収録する内容は、「自己紹介(約30秒)」「好きな映画、ドラマの台詞の朗読(約30秒)」
「特技・アピール(3分以内)」3点にも関わらず、カメラの追尾機能が面白くて無駄に動いて撮ってしまった。
映っているのは、オーディションの領域から大きく外れ、もう単なる挙動不審なオッサンでしかない。
世の中的にあまり実績が無いと思われる動画審査なだけに、何かデータに問題が有った時のため、締め切りを待たず映像データを制作会社の担当者宛でギガファイル便を使って送った。
案の定、映像データ送信後数日経ってもギガファイル便の送り先相手がデータをダウンロードした確認の通知が全然こちらに届かない。
絶対何か問題があったに違いない。
まぁ、写真撮影の仕事をする時にもなんら起こり得るトラブルだ。
想定内のこと。
そうこうしている内に、周囲のオーディション仲間たちの何人かは面接の日が決定したとか、オーディション会場はどこ