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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

from  Cairns / Australia

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秋澤月枝
essayist

2002年から日本人の夫とともにオーストラリアに暮らす。

単身、ニューサウスウェールズ州の民泊で半年間のホームステイ体験後、夫が就職したクイーンズランド州のワイナリーに合流。

ケアンズにあるホテルの客室清掃員を経て、現在は友人のセレクトショップを手伝う。

 

お菓子作り、編みぐるみや折り紙などの手仕事が趣味。

小学生と高校生の子供をもつ母でもあり、彼らの描く絵の1番のファン。

 

7.2.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

コルクスクリューとオーストラリアの日々

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2002年 勤務先・ワイナリー

 

オーストラリアに来たのは2002年2月。
6ヶ月のホームステイ生活を終え、夫の働くワイナリーに合流した。

夫はもともとお酒が好きで、日本では酒屋で働いており、アルバイトの子に少しでも知識を増やしてもらいたいとミニクイズを出す立場の人だった。
ワイナリーに合流したての私は、そんな話を聞きかじっていたものの、お酒の知識はほとんどなかったし、あまり強くもなかった。

そんな状況だったから、ワイナリーで知るさまざまな知識は新鮮で、また、それを日本ではなくオーストラリアで経験しているということ自体が刺激的だった。
販売エリアであるセラドアーから、製造エリアにあるステンレスタンクや樽を見ながら、お客様が試飲ができる環境は、あるべき姿だなと誇らしく思っていた。

ワインの基本的な作り方や醸造酒と蒸留酒の違いを知り、ブドウを育てることとワイン醸造は、必ずしも同じワイナリーで完結しないということを理解した。
ブリスベンの農業祭・エッカなどで行われるワイン品評会で、オーストラリアワインのムーブメントを体感することもあった。

お祭りなどでは出張試飲販売に出向き、ワイナリーではワイン樽に囲まれた中で各種パーティーを開く。
そして市販品から製造途中のものまで、日常的にワインを飲み、味を覚えていく生活。

ワイナリーの雑用係として、さまざまな裏方作業を手伝いながら、同時にオーストラリアのカルチャーをも垣間見ることができた期間だった。

ある時、私たちの生活は「自宅、職場、スーパーマーケットの往復」だけだと気づいたことがある。

しかし取り立てて不満に思えなかった。

職場に行けば、(必要に迫られた)さまざまな体験をさせてもらえたし、現地の少数の日系コミュニティーも居心地が良かった。
ワイナリーのオーナー夫婦はカナダからの移民だったので、お互いに自国にしか家族のいない仲間のような感じで、イベントごとに集まってお祝いをした。
私には保護者のような存在であり、とても心強かった。

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2010年 ケアンズへ

 

ワイナリーに籍を置きながら、私は二人の子どもを産んでいた。
そして二人目の子どもを産んですぐ、夫はワイナリーを退職しようと決断していた。

折しもオーストラリア全土でワインが生産過剰となり、その影響を受けてワイナリーの経営が厳しくなりつつあった。


私は子育てにかかりきりで、月に一度、書類の整理をするためだけに数時間出勤するような状態だったし、ワイン醸造スタッフも少しずつ削られているところだった。

いずれ自分のワイナリーを持ちたいと公言していた夫だったが、自分に子どもができたことで、家族をメインとした生活を送りたいと考えたようだ。


日本に帰りやすいケアンズへ、移動することを決めた。

無職の状態で引っ越したからかもしれないが、ケアンズは完全にアウェーの土地だった。

一番ショックだったのは、スーパーなどで日系の人を見かけても、みな目をそらすことだった。
それまで住んでいたイプスウィッチという町は、人口の規模はケアンズと同じくらいだが、日系の家族は数えられる程度でほとんどが知り合いだったので、スーパーで見かけない日本人を発見したら、とりあえず声をかけてしまうような地域だった。

ケアンズは日本人観光客やワーキングホリデーの若者も多く、誰が旅行者で、誰が地元の人かの区別が難しい。
日系人は3000人ほど住んでいるという。
日本人を見かけること自体、全く珍しくないし、わざわざ日本人のお友達を増やす必要のない人ばかりなのである。

それでも、私がこの地に馴染むことができたのは、当時もうすぐ4歳になる息子と5ヶ月の娘のおかげだった。
予防接種を受けに行った保健所で日本人プレイグループの存在を知り、少しずつ顔見知りのママさんが増えた。
夫は醸造業をあきらめて、再び酒屋に就職し、店舗スタッフとクリスマスパーティーを開くまで仲良くなっていった。

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2021年 今現在

 

必死にふたりの子育てをしながら、考えるよりもまず体を動かす仕事である、ホテルのハウスキーピングを6年半勤めたのち、現在はちょっと立ち止まったような時間帯を過ごしている。
子ども達もそれぞれ、15歳と11歳に成長した。
ほとんど、手がかからない。

昨年はじめ、昨今の事態に落ちいる直前に、10年ぶりにイプスウィッチを訪ねている。
3泊4日の強行スケジュールだったが、1泊ごとに違う友人のお宅にお世話になって、再会を喜ぶことができた。

そして、子ども達の生まれた病院、通った保育園、住んでいた家などをまわり、ワイナリーのあった場所を訪れた。

ワイナリーは2011年に倒産しているが、現在は、元オーナー夫婦が住んでいる。
また同僚だったスタッフは、ワイナリーの一部を使って蒸留所を立ち上げ、高品質なジンやブランデーを少量生産している。

ワイナリーから見た景色は、牛が草を食むばかりの牧草地で牧歌的なものであったが、10年後に見た景色は、動物病院や住宅などの建物が増えていて、現実に引き戻される感覚がした。

近所にあった日用品屋さんは、オーナーが、レジェンドと言われていた中国人からインド人に変わっており、大好きだったオーストラリア名物のビーフパイを販売していた場所には、チェーン店のガソリンスタンドが大きな顔をして建っていた。

10年もあれば、当たり前だが、いろんなことが変わっていた。

ワイナリーで経験したさまざまな出来事は、私にとって、オーストラリア生活の足がかりになる体験だった。私が初めの半年間を過ごしたBed & Breakfastのホームステイ先も売り払われて、現在はリタイヤされている。もう訪れることはないだろう。

 

手元にあるコルクスクリューを、久しぶりに太陽の下に出してみた。
2002年当初は、オーストラリアワインのまだ多くがコルクを使っていたので、コルクスクリューを使って、一生懸命に開け方を覚えた。だんだん指も切らなくなった。

しかしそのうちスクリューキャップが主流になり、ひねれば簡単に開くようになって、コルクスクリューの出番はめっきりなくなってしまった(その分、コルク臭のするワインも消えた)。

私たちの、オーストラリア生活の初期を象徴するようなコルクスクリュー。
使うことはもうほとんどないけれど、捨てることもないだろう。

ほんの少し前の出来事だと思っていたことが、気づいたらすっかり過去だったと思い知らされたけれど、「受け入れられ、努力してきた」ことを心に、これからの日々を過ごしていこうと思っている。

これが決して、走馬灯を見ているわけでないことを祈る。

 

6.2.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

手作りのゆたかさ

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家庭料理で文化交流

オーストラリアに足を踏み入れたのは、2002年。

初めの半年間は、夫と離れてのホームステイ生活でした。

私の滞在は、家庭料理の文化交流を目的としていましたので、必然的にステイ先で日本食をふるまう機会が多くありました。

山の中の一軒家のような場所で、手に入る日本料理用の食材は限られており、アジア食材店も車で1時間以上かかる場所にありました。

それでもホストファミリーは、すでに味噌やみりん、醤油といった調味料を持っており、私は滞在初期から和食を作ることができました。

 

ただし和食といっても、白ネギや蓮根やごぼう、たけのこといった野菜類は、簡単には手に入りません。

大根もなかなかお目にかかれない野菜ですが、ラッキーなことにステイ先の近所では売られていました。

 

ホストファミリーは、新しい食材に挑戦するタイプの人たちでした。

でも大根は食べたことがなかったそうなので、思わず腕まくりをしましたよ。

 

はじめは大根おろしにして、ハンバーグの和風ソースとして使いました。

常にかたまり肉しか調理しないご家庭だったので、ハンバーグというひき肉料理に難色を示されましたが、かたまり肉をミンチにすることで納得してもらいました。

大根おろしはさっぱりとした後味で、喜んでもらえたと記憶しています。

 

次に、大根自体の美味しさを味わってもらいたいと思い、干し椎茸とともに風呂吹き大根風の煮物にしました。

米のとぎ汁で下茹でをしていると、独特の匂いにびっくりしたホストマザーが鼻をひくつかせてキッチンにやってきました。

しかし、夕食で一口食べてみると

「あら美味しい」

大根からジュワッとしみでる出し汁とともに、あっさりクセのない味がお気に召していただけた様子。

好まれない匂いの記憶が、帳消しになった瞬間でした。

 

それから、よく作ったのは巻き寿司です。

こちらの人にとって、巻き寿司は健康的な食べ物という認識で、スーパーには寿司用のお米や海苔などが、国際食品コーナーに売られていました。

照り焼きチキンやツナマヨ、スモークサーモンでお寿司を作りましたが、これらは手に入りやすい食材であり、また食べやすいため、20年近くたった今も我が家の定番となっています。

 

寿司巻きはちょうど良い文化交流のアクティビティになり、ご近所さんや家族を招いて寿司パーティーを開きました。

巻き簾を使って巻き寿司を作るのは、在住日本人でも得意でなかったりします。

それこそ、初めて挑戦するオージーの皆さんとは、

「できるの?」

「どうやるの?」

ってやいのやいの言いながらつくります。

ちょっといびつに巻き上がったお寿司を食べるのは、とても楽しい時間でした。

 

それから、ホストファミリーのお孫さんが遊びに来ていた時は、椎茸、鶏肉、にんじん、カブで炊き込みご飯を作りました。

まだ離乳食明けと言ってもおかしくない年齢のお孫さんでしたが、醤油味の炊き込みご飯が口にあったようで、何度もおかわりをしてくれたのが嬉しく、私の記憶に残っています。

 

肉じゃが、牛丼、鶏の照り焼き、かぼちゃの煮物、ほうれん草のおひたし、蛇腹きゅうりの酢の物、お味噌汁、チャーハン…滞在中は、日本の家庭でごく一般的に作られる、このような料理をつくりました。

私たちから見るとフツーの料理でも、オーストラリアで披露すると文化交流になるという面白さ。

 

逆に、オーストラリアでは一般的な、オーブンでかたまり肉と野菜を焼くロースト料理の夕食が、私には新鮮に映りました。

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手作りをするということ

 

滞在の初めから「積極的に料理をする」という環境でしたから、その後夫と再び合流してからも、手作りに抵抗のない生活が続きました。

 

実際のところ、手作りを余儀なくされるのは「海外に移り住んだ日本人あるある」かもしれません。

 

大都市やケアンズのように日本人が多く住む地域には、日本食のレストランや食べ物屋さんは存在します。

また、アジア食材店、日本食材店もあります。

しかし、現実的に値段が高い。

そして、自分の好みの味かどうかは相性があります。

 

故郷の味を恋しがるなら、自分で作ってしまう方が手っ取り早い。

 

ありがたいことに、こちらで勤め人をしていれば、性別関係なく大体定時で帰れます。

毎日、料理をする時間がとれるのです。

 

夫は、私の出産を機に本格的に夕食作りを始めました。

 

上の子が15歳になる今では、バターと小麦粉でホワイトソースを作れるようになっています。

これまでも、ラーメンの麺とスープの両方にチャレンジしたり、納豆も作りました。この前は、炊いた餅米を麺棒でついてお餅にしていました。

私は、パンやケーキ、おまんじゅうなどのお菓子をよく作ります。

 

もちろん出来合いの食べ物を買うこともありますし、ケーキ屋さんのスイーツも大好きです。

作る過程を知っている分、余計に美味しく感じますし、ありがたいなと思います。

 

 

時々考えるのです。

もし日本で生活をしていたら、ここまで自分で作ろうと思っただろうか?

 

大学生の頃、一口コンロの狭いキッチンで、友人が器用に揚げ物の夕食を作っていました。

素晴らしいと思いながらも、私は揚げ物を自宅では作りませんでした。

外食で食べることが多く、スーパーなどでも簡単に手に入るからです。

 

今度は同じ友人が、手ごねパンの生地をテーブルにペタペタ打ちつけていました。

私はまたもや感嘆しながら、「パンは時間がががるうえ、すぐそこの店で簡単に買えてしまうしなあ」と思っていました。

 

結婚してからも、仕事帰りの夫と赤暖簾で待ち合わせたり、中華屋さんで夜ご飯を食べることが多くありました。

 

作ってみたいなあという気持ちはあっても、便利さに流されていたように思います。

「誰かが用意してくれた便利さ」があったからこその生活でしたが、日本を出て恋しくなってようやく、「自分で作ろう、やってみたい」という思考を得ました。

食べるものだけでなく、アクリルたわしや石けん、化粧水などにも挑戦してきました。

 

ホームステイ中、オーストラリア人のホストマザーは、自分のツーピース・スーツを縫っていました。

ホストファーザーは、もともと木材の仕事をしていたそうですが、自宅に木材加工場を持ち、タンスなどの家具を作っていました。

住んでいた家と、家にある家具のほとんどを自分たちで作ったと聞いています。

 

 

当たり前のように手を動かす人の中に身を置いて、私の考え方が自然と変化したのかもしれません。

 

私は県境にある田舎で育ちました。

自宅で調理される食事は、主に家庭菜園で採れた野菜。

梅干しも漬物も自家製。

汲み取り式のトイレ。

 

私が多感な中高生の頃に、バブルの好景気がやってきました。

様々な消費を促すたくさんの広告が、私たちの周りにあふれていました。

知らず知らずのうちに

「なんでも手作り=田舎=古臭い=なんだか恥ずかしい」

というイメージを持ってしまっていたようです。

 

 

様々なものを「自分で作ってみよう」と積極的に思えるようになった今では、自分が欲しいと思うものを自分で作り出せるということは、とても豊かなことだと感じています。

誰も盗むことができない、大切な財産です。

 

そしてそれは、「自分でコントロールできること」でもあります。

 

私にとって海外に出るという行動は、単に「居心地の良い環境から離れた」だけではなく、「自分軸で行動できる」きっかけを得るものであったと、しみじみ思っています。

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5.2.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

朝が好き

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朝が好きだ。

30才を過ぎる頃までは朝寝坊だったので、昔の私を知る人はびっくりするかもしれないけど、朝が好きだ。

5:45の目覚ましアラームが鳴る1時間くらい前から、お腹の空いた飼い猫が二匹ともベッドへやってくる。

ベッドの上をもぞもぞ歩いたり、私の指をなめたり、そばでクルンと横たわったりして私が起きるのを待っている。

 

なんとか目を覚まし、朝一でネコたちに餌を与え、猫のトイレ掃除をして庭に出ると、運が良ければとても綺麗な朝焼けが見られる。

近くで遠くで、鳥たちのさえずりも聞こえる。

それだけで、今、この瞬間に起きていてよかったと思う。

 

 

結婚当初、夫は朝早くに出勤することが多かった。

まだ日本にいた頃だ。

夫より早く起きて朝ごはんの準備をする、というのがいわゆる「主婦・パート」の私に期待される役割だったのかもしれない。

しかし、私はその辺りはルーズで、自分の都合で起きていたし、夫もその辺りは気にしないタイプの人でたいへんありがたかった。

おかげで「早起きをして夫の面倒を見なければ」という義務感や切迫感にとらわれることがなかった。

 

 

オーストラリアに来て夫とは別々になって、6ヶ月間のホームステイ中は、毎日のルーティンがなんとなく決まっていた。

朝7時に起きて、ホストファミリーと一緒に朝食を作る。

午前中のモーニングティー、ランチ、アフタヌーンティー。

夕方5時過ぎからは夕食作り。

そのまま10時ごろまでリビングでのんびり過ごして、自分の部屋へ行く。

これの繰り返し。

英語は苦手だったけど、毎日同じ時間に起きて、同じルーティンで生活するって思ったより快適なんだな、ということに気づく。

生活の枠組みが決まっていることに対する息苦しさはなくて、

『今日は、空いた時間に何をしようかな?』 

って考えることができた。

(手芸のクロスステッチとか、料理本を読んだりキッチンを借りて料理を一人で作ってみたり、お手伝いをしたり、ごくたまに英語の辞書を開いてみたりといった、自分の収入のための仕事をしない、若いのにおよそ俗世を離れたような暮らしだった。)

 

 

夫と合流し子供が生まれると、今度は責任感が出てきて朝起きられるようになった。

小学生の夏休みの朝のラジオ体操。

5年生までは、ほぼ起きられた試しがなかったのに、6年生になって自分の地域を任されたとたん、毎朝起きて、みんなの前で体操ができるようになっていた。

あの時とちょっと似ているなと、ひとりごちた。

相変わらず、夫は自分のことは自分でして出勤していたので、朝ご飯の後、ぽっかりと時間が空いた。

ひまだし、毎日ベビーカーを押してお散歩に出ていたら毎日のルーティンができで、そうなると子育て中の生活でも精神的に余裕が生まれることを覚えた。

 

 

下の子が3才になり、ホテルの客室清掃の仕事を始めてからは、二人の子供たちを、幼稚園と小学校の学童へ預けるために、はじめのうちは朝6:45に家を出ていた。

さすがにこの頃は朝早く起きられて嬉しいというよりも、ひたすら義務感で起きていた。

自分の立てたスケジュールをそつなくこなすために、早く起きていた。

当時3-4才と7-8才くらいの子が、6時に起きて45分後に家を出る生活に付き合ってくれたことは、今考えると奇跡的に思えるし、感謝しかない。

 

いつも同じ時間に子供たちを車に乗せて走っていると、日の出の時間の変化がよくわかった。

蒸し暑い夏から朝晩が肌寒い季節に移り変わる時、東からの太陽がまぶしくて車のサンバイザーを下ろす日々がはじまる。

ホテルには6年半在籍していたので、毎年、サンバイザーを下ろしながら

「いよいよ気持ちのいい季節が来るな」

と、まぶしさに目を細めながら思っていた。

 

 

5:45に目覚ましアラームが鳴る今、起きてから少しのんびりする時間がある。

そのおかげで猫のお世話をしたり、そのついでに日の出の綺麗な空の色をカメラに収めることができる。

休みの日なら、そのまま海を見に行くことだってできる。

20代の頃のように、夜、無理をするのが辛くなってきた今、朝はエネルギーに満ちた「希望」の時間だ。

 

だから、私は朝が好きだ。

 

4.1.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

ハイスクールのドラマ

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Improvisation night

 

昨夜は、息子の通うハイスクールへ行ってきた。

 

オーストラリアのハイスクールは、基本的に中高一貫だ。

11、12歳から17、18歳までの生徒が通う。

5月生まれの息子は、日本であれば今年中学3年生だが、こちらでは高校1年生となる。

学年は1月始まりのため、特に1月から3月の間は日本とオーストラリアで2学年も違うことになり、分かっているのにいつも驚いてしまう。息子が小学校に準備学年として入学した時は、たった4歳だった。

 

ハイスクールに話を戻そう。

息子の友人がドラマ(演劇)のイベントに出演するから観に行きたいという。

11歳の娘も観たがったので、私もついていくことにした。

ハイスクールの講堂でおこなわれた、Improvisation night。

即興劇だった。

学校でドラマを習っている生徒のうち、年齢の高い子たちがチームに分かれて、その場で選んだお題のドラマゲームに挑戦し、点数を競う。

まだ年齢の低い生徒は、事前に練習してきたオリジナルの寸劇を、そのドラマゲームの合間に披露していた。

 

実際にどんなゲームが行われていたかというと、

・同じ内容のストーリーを、「激しく」「ネガティブに」「ロマンチックに」などと色合いを変えて演じるもの

・演技を続けながら参加する人数を一人ずつ増やしていき、全員で演技したらまた一人ずつ減らしていくというもの

・演技をしながら、サポーターのパントマイムを見てキーワードを推理し台詞に使うもの

などなど、大人顔負けの内容だった。

 

私も小・中学校では、文化祭の出し物やクラブ活動で劇に参加したことはある。

日本の学校で、演劇に参加したことのある人は少なくないだろう。

それでも演劇を専門的に習ったことのない私にとっては、ただただ生徒たちの達者な様子に圧倒されるばかりだった。

そんな昨夜のイベントだったが、彼らにとっては観客の入った公開レッスンと言えなくもないだろう。

なぜなら彼らの「本番」といえば、市の劇場で開催予定のミュージカルだからだ。

 

2年前に「雨に唄えば」を観に行った時、彼らは堂々とした演技で観客を圧倒していた。

ミュージカルだから、歌が上手いのは当たり前。

ロマンティックな演技すらこなす。

ダンスチームの踊りも素晴らしかったし、ステージ上では実際に雨も降って、地元紙の話題になっていた。

本当にみんな、放課後はそこら辺を歩いている高校生なのだろうかと何度も思った。

おまけに地元のラジオ番組に出演した時は、受け答えの明瞭さにも驚かされた。

どれだけしっかりしてるんだ。

そう言えば、「ハイスクールミュージカル」というディズニー映画を観たことを思い出した。

英語圏では、達者な演技をする高校生というものは一般的な存在なのかもしれない。

 

 

Programs of Excellence in 2022

 

一緒に昨夜のドラマを見たいと言った娘は、現在こちらの小学6年生。

娘の場合は11月生まれなので、日本でも4月から6年生であるのは同じ、現在11歳。

今、6年生はハイスクールのお受験シーズン真っ最中。

と言っても通常、校区内の公立学校には受験をしなくても通うことができる。

ただ、先に書いたドラマのような活動に参加したい生徒は、エクセレンスプログラムと呼ばれる課外活動の受験が必須となる。

またこの受験は、校区外の学校へ越境入学したい場合の一般的なルートともなっている。

少なくともケアンズではそうだ。

学校によって科目に多少の違いがあるが、息子の通うハイスクールのエクセレンスプログラムには、STEM(学問)、ミュージック(合唱・楽器)、スポーツ(サッカー、ホッケー、バスケットボール)、美術、演劇、ダンスがあり、いくつでも受験できる。

 

ドラマを見たいと言った娘は、このドラマの受験に参加する。

クラス担任との面談時にドラマ受験の話をしたら、「クラスではおとなしいから想像ができない」と言われたが、クラスで一人ずつ行う発表に比べたら、みんなで演じるドラマの方が恥ずかしくないそうだ。

それを聞いて、素晴らしい演技をする役者さんが、ひとたびコメントを求められるとモゴモゴしてしまう様子を思い出してしまった。

まだこれからの娘と、すでに実力のある役者さんを同じラインに並べるのは、親バカ以外のなにものでもないのだけれど。

 

「演技を習う」

 

日本だったら子役タレントさんをイメージしてしまうが、ドラマはケアンズのポピュラーな習い事のひとつとなっている。

自己表現力、記憶力、胆力、発想力、応用力などが鍛えられるからだろうか。

将来、どんな職業についたとしても役に立つのかもしれない。きっとそうだ。

娘のドラマの受験では、ひと段落分の文章を覚えて発表するのが当日の課題。

課題の用紙はすでに娘に渡してあるので、自分なりのペースで進めて欲しいと思っている。

昨夜の、見る側は面白かったけれど、演じる方は簡単でない即興劇を見た後でも、娘は受験のやる気を無くしていなかったので、頼もしいなと少し思った。