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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

from  Cairns / Australia

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秋澤月枝
essayist

日本人の夫と、2002年からオーストラリアに移住。

最初の半年は、単身、ニューサウスウェールズ州のBed and Breakfastで家庭料理を学ぶホームステイを体験。その後、夫が就職したクイーンズランド州のワイナリーに合流。

現在は、家族とケアンズに暮らす。

 

お菓子作り、編みぐるみや折り紙などの手仕事が趣味。

中学生と高校生の子どもを持つ母でもあり、彼らの描く絵の1番のファン。

実感する師走

 12.15.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

実感する師走

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1. 二つ目の仕事

 

一年前の今頃は、時間が余っていた。

 

当時新しく始めた仕事は、ケアンズで医療を受けるために遠隔地からやってきた人やその家族のための宿泊施設の清掃。

ホテルのお部屋を6年半掃除してきた経験から、清掃の仕事はいつも人手が足りないイメージをもっていたが、この職場では3ー4時間も働けば1日の仕事が終わる。

仲間の清掃スタッフも、基本的に3時間で帰ってしまう。

もちろん仕事量が多い日もあるが、翌日に持ち越したりと工夫して短時間で終える。

 

オーストラリアでの1日の最低労働時間は、3時間と決まっている。

確かに面接時に「3時間は確保する」と言われたが聞き流していた。

集中して体を動かす仕事のため、時間が短くても疲労するので、そういった配慮があるのかもしれない(皆の年齢は私よりも高い)。

しかしランチタイムの街中に開放されると、稼ぎに行ったはずが出費のほうに傾いてしまうので困る。

 

そんなこんなで今年の前半は、平日の午前中は不可という条件で二つ目の仕事探しに奔走し、最終的にスーパーの青果部門でのお仕事を得た。

 

こちらの仕事では、一度に6ー7時間というまとまった時間がもらえる。

勤務日は週2、3日で、清掃の仕事もある日は合計10時間勤務を超えることになるが、週末があったりどちらかだけだったりとバラエティがあった。

 

この仕事の組み合わせだと、働いていてもまだ空いている時間に友人とランチを食べに行く予定を立てられたり、髪を切りに行く都合もつけやすいという利点があった。収入が増えたので、こういった出費も安心してできる。

 

やっと落ち着いたと思った。

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2. 加速

 

安定を感じていた頃、スーパーの部門責任者が変わった。

オーストラリアではよくあることだが、仕事が理由ではない引っ越しや、単純にキャリアを変えたくなったという理由で退職する人は多い。

特に管理者サイドに多い傾向があると感じている。

ヒラのスタッフの場合、時々同じ職場に舞い戻る人もいる。

そしてまた辞めたり戻ったりを繰り返すなんて話も聞くが、それはさすがに稀か……。

 

そのあたりから人手が少しだけ手薄になり、私の勤務日数が週3、4日に増えた。

急な病欠の人が出れば「今日働けないか?」という問い合わせや「出勤時間を前倒ししてくれないか?」という連絡も増えた。

朝、目一杯働いている日が多いので、地味にきつい。

しかし、その後出勤して仕事量に困るのは自分なので、また悩ましいところなのである。

最低賃金が世界でもトップクラスのオーストラリアで、雇われ仕事があるだけよいのですがね。

 

 

話は変わって、ここのエッセイを読んでいただけたからなのか、今年の初めに「書くお仕事をしませんか?」というお誘いを知人から受けた。

対象者を探してから話が進むお仕事で、ずっと探していた候補者がようやく見つかったのが奇しくもこの時期。

応募書類を作成したり、そのためのインタビューのスケジュールを組むなど、それまでの空いた時間はMacBookの前で思考をすることが増えた。

 

実は、書くお仕事というのはぼんやりとだが「いいな」と思っていた。

20年前に来豪してから自分のウェブサイトを作ったり、日記サイトやブログなどに文章を書きなぐってきたこともあり、書いたり表現することは好きだ。

 

中学生の頃、将来のなりたい職業を発表する授業があって、編集者を選んだことがある。

子どもの頃は、アイドル雑誌やバンド系音楽雑誌を読むのが大好きで、特に音楽雑誌では、通常のアーティスト記事のほかに編集者の発言もよく載っていたのが楽しそうに見えた。

しかし「編集者」を選んではみたものの「競争率が高い」という一文を見て、発表には使ったが実際に目指すのは辞めた。

基本的にそういう競争は、好きではなかった。

 

なので、書くお仕事に誘っていただけた時は嬉しく、また、その内容も楽しいものであったため取り組みたいと思った。

 

もちろん、昨年このStay Saltyにエッセイを書きませんかと誘っていただいた時も、大変嬉しかったし同時に緊張をした。

なにぶん、ほかの方の領域に私の文章が載ることなど、これまでほとんどなかったし、デザインをお仕事にされている方に、私が撮った写真を渡すのも勇気が必要だった。

 

それでも掃除や品出しで肉体を使い、書くことで頭を使うというのは、努力の方向が分散していて面白いと思っている。

3. そして、グリーティングカード

もう一つ書くと、私は地元の週末マーケットで、ブースを持ってみたいと思っていた。

そこで販売するのは、子どもたちが描いた絵を印刷した、お手製のグリーティングカード。

「Happy birthday」や 「Merry Christmas」「Thank you」などと書かれていたり、また文字のないオールマイティーなものを中心に考えている。

種類が少ないかなと思ったので、これまで私が撮ってきた写真でも作ることにした。

カードの活動は、2年前からできたらいいなと考えていて、でも実行できなかったことだった。

それがさまざまな勇気の後押しをいただき、実際に行動に移せたのは、やはり忙しくなったこの時期。

 

週末マーケットでの販売ブース予約はなかなか取れず、手元には出番を待つカードの種類が増えるばかりだったけれど、ついに今月半ばに開催される『クリスマス・クラフトマーケット』に出店が決まった。

先月も行われたこのクラフトマーケットを視察した際、週末マーケットにいる人々より素人感が強いブースも少なくないと感じた。

プロのようなディスプレイは無理だと不安だったので、敷居が低くなった分、趣味の一環であるこの活動を単純にたのしめる気がしている。

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現在は忙しさの佳境で、今月のエッセイもそのことを書くしかない状態なのだけれど、私がこの状態でいられるのはすべて家族のおかげ。

 

子どもたちはそれなりに自分のことができるようになり、多少の家事も頼める。

とりわけ感謝をしているのは夫で、フルタイムの安定した仕事を続けながら、毎晩美味しい食事を作ってくれている。

私の体調も心配してくれる。

 

私が言う「忙しい」には、肉体労働からの体力を回復させるための時間も含まれているので、なおさら時間がないのだけれど、そういったことに罪悪感を感じなくても「忙しい」に集中できる現在が有難いなと思う。

 

ちょっとした無理がきくのも今のうちという意識があるので、それを楽しんでおきたい。

 

そして、

 

年が明けたら私のホリデーだ!

 

HAVE A WONDERFUL FESTIVE SEASON!!

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マンゴーの季節

 11.7.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

マンゴーの季節

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1. 初めて食べる

 

有名ギフトショップによる日本への宅配マンゴーの予約販売が、今年も始まった。

 

この宣伝文句を見かけると

「ああ、もうお歳暮のシーズンか」

としみじみ思う。

 

時を同じくして、スーパーにも早稲の品種が並びはじめた。

そして近所の大きなマンゴーの木には、これでもかというほど青い実が鈴なりにぶらさがっているので、野生の小動物たちは、熟れるのを今か今かと待っていることだろう。

私がオーストラリアに越してきた当時、まだ日本では、マンゴーもアボカドも一般的に出回るような食品ではなかった。

そのため、こちらの八百屋さんで見かけたとき、恐る恐る手に取ってみるという感じだった。

それこそアボカドをフルーツだと思い買ってみて

「甘くない」

と、食べ方がわからず途方に暮れた経験もある。

当時はまだ、納豆や巻き寿司に入れるとおいしい、ということを知らなかったのだ。もったいなかったなあと、今になっては思うけど。

マンゴーに関しては、幼い頃にドライマンゴーを食べたことがあった。

家族のフィリピン土産で、肉厚な半生タイプ。表面には白い粉が吹いており、ハズレにあたると筋ばかりで悔しかった思い出がある。

私はその甘酸っぱいドライマンゴーが好きでよく食べたけれど、生のマンゴーを食べる機会は日本ではついぞ訪れなかった。

 

こちらで初めて食べた時の記憶はもうなくて、でも格子状に切り込みを入れて、プリンっとひっくり返して食べたのは間違いないと思う。

美味しかったと思う。

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2. 自宅にあるマンゴーの木

 

イプスウィッチの家に住んでいた頃、裏庭にマンゴーの木があった。

金婚式を迎えたご夫婦が住むお隣の木は、彼らの歴史を象徴するかのように巨大で見事だった。

並んで、我が家のものは植えてからまだそんなに経っていなかったようで、私の背丈ほどの小ぶりな木に、実が二、三個つく程度だった。

しかしとても美味しそうに生っていたので、ポッサムやコウモリに食べられないように、熟すまでビニール袋をかぶせてみたことがある。

そのままおいしく熟した実もあったし、袋ごとかじられた実もあったはず。

美味しいものへの執念があるのは、人間だけじゃないんだなと思ったと同時に、硬いプラ容器を使って入れば食べられなかったはず、と悔しくなった。

私の方が執念がすごい。

ケアンズでは、メゾネットタイプの家に住んでいたときに、裏庭のフェンスの向こう側に大きな木があった。

我が家の屋根を覆うように茂っていたので、夜寝ていると

 

ゴン、ゴンっ

 

とマンゴーが落下して屋根に当たる音が聞こえる時期があった。

翌朝裏庭に出ると、落ちた時の衝撃で潰れているものからきれいな形をそのまま保っているものまで、さまざまな状態のマンゴーが転がっていた。

 

私にとっては宝の山。

これは幸いとばかりに、状態の良いものを厳選して収穫した。

ダメなものはフェンスの向こう側へ投げた。

もともと向こう側に木があるのだし、市が管理している雨が降ると川になるシーズナルクリークで問題はないので、念のため。

 

食べきれない量を収穫した時は、皮をむいてから冷凍する。

冷凍したものはそのまま食べるというより、マンゴープリンなどのスイーツを作るときに重宝するので便利。スムージーに入れる人もいるだろうけど、一瞬で無くなるのがもったいないという気持ちになり、スイーツにしてしまう。

まあ、スイーツにしたところで、瞬殺なのは変わらないか……

 

しかし、スイーツにしてもしなくても、我が家でマンゴーを食べるのは私だけ。

子どもたちはもともと興味がなかったところに、学校でマンゴーの木の下の掃除を手伝わされて嫌いになってしまった。つぶれて、発酵した時の匂いが強烈すぎたらしい。

 

ケアンズに住んでいれば、いたるところにマンゴーの木があるので、このような経験から嫌いになってしまった子が一定数いるのではないか? と私はにらんでいる。

マンゴーは、独特な香りを放つ開花の時期も、実がなる時期も存在感が強い。

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3. 日本にて

ところで屋根にマンゴーが落ちる家に住んでいた頃、日本へ一時帰国した際にマンゴー売りのお兄さんに出会った。2011年ごろだと思う。

近視の手術をして病院を出た直後に、路上で声をかけられたのだ。

 

「国産の高級マンゴーを売り切らないと帰れない。買ってください」

などと言いながら近寄ってきた。商品保証をすると言われたような気もする。

要は押し売りなんだけど、扱っているフルーツがマンゴーだというのに心ひかれた。しかも日本産は食べたことがなかった。

 

ひとつ三千円ほどしたと思う。

 

「オーストラリアの自宅には、マンゴーの木があるんですけどねえ」

と言いながらも、二つ買ってしまった。

 

高額な手術をしたあとというのが、普段とは違う状況だった。

おそらく売り手はそれを狙っていたんだろうと思う。

 

しかし重ねて言うが、扱っていたのが日本産マンゴーだったから買ってしまった。

義両親家での夕食後のおやつに、ちょうどよさそうだった。

幸運なことにとても美味しかったし、ちゃんとした商品でよかったと胸を撫で下ろした。

(商品自体に罪はないけれど、今売りに来たなら絶対に買わない)

現在の自宅には、残念ながらマンゴーの木はない。

お店で購入するか、誰かからのお裾分けをもらえたらラッキーという感じだ。

特に誰かのお家でとれたマンゴーは、地産地消というと大袈裟かもしれないけれど、地域のパワーが宿るような気がする。

 

そろそろまた、マンゴースイーツが食べたいなあ。

今度は何を作ろうか?

そんなことを考えるのも、楽しいひと時だなと思う。

日本行きのチケット

 10.7.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

日本行きのチケット

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1. 幻の2020年9月

 

子どもたちが学校に通いはじめてから、日本へ一時帰国するのは決まってスクールホリデーのシーズンだった。

 

3~4月のイースターホリデー(秋休み)、6~7月の冬休み。

9~10月の春休み、もしくは12~1月の夏休みのうちのどれか。

 

そのなかでもクリスマスシーズンは、私たち親の仕事の都合でむずかしく、また、寒いのが嫌だという理由もあって、常に却下されてきた。

「そのうちに!」と思っているのだが、来豪以来、日本で年末年始を過ごしたことはない。

 

このシーズンにしか食べられない故郷の味「かぶらずし」を食べられるのは、いったいいつなんだ? 

 

そんなことを思いながら、暑いケアンズの夏に溶けている。

 

日本のお花見シーズンにも重なるイースターホリデーは、いつも人気で、航空券の安売りはなかなかお目にかからない。ケアンズにいるオーストラリア人にも

「サクラ!」

「ハナミ!」

と言わせる時期のため、セールに出すまでもないのだろう。

 

我が家は安い時しか購入しないので、選べる日付は、いつもオーストラリアの冬休みか春休みばかりだった。

 

2020年1月末にセールが出た時も、購入したのは、春休みである9月のチケット。

 

しかも今までで一番お値打ちな金額で、家族4人で約1400AUD。一人当たり350ドルで日本を往復する計算になる。

「よい買い物ができた。帰りは100キロの荷物もつけたし~」と浮かれていたのもごくわずかのあいだ。

 

みなさまもご存知の通りの、パンデミック宣言。

国際線の運行は軒並み運休となり、2年ぶりの一時帰国は泡と消えた。

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2. バウチャー

 

約1400ドル分のチケットは、航空会社のバウチャーになっていた。

使用期限は一年だったので、なんとか使いたい。

もったいない。

 

日本へ帰るはずだった時期、代わりに近場の旅行を計画した。

そういえば、航空会社のウェブサイトでは、ホテルやレンタカーの手配もできる。

だったら、ケアンズ近郊にある高原、テーブルランドエリアの宿を予約する時に、バウチャーが使えるかもしれない!

 

一縷の望みをかけてコンピュータに向かったが、航空券とセットにしてくださいという案内が出て撃沈。

宿は、普通に予約して、普通に支払った。

 

同じように、海外に行けなくなった人々が、近場の国内旅行に切り替えて発散しているようだった。それまではすいていたキャンプ場も、パンデミック以降、ホリデーシーズンは満室で、予約が取りづらくなったと聞いた。

 

私たちが利用したのもキャンプ場のキャビンで、1LDKタイプだった。

美しい湖畔を眺めながらも、

「本当なら日本にいて、家族や友人と会っているはずだったのに」

という思いが頭をかすめたりした。

 

それでもまだまだ不安な時期に、カモノハシを探したり、湖の周りを散策して、家族でリフレッシュできたのでそれはよかった。

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3. 2021年6月のブリスベン

ステイホームが推奨されたり、ロックダウンが何度かおこなわれるなか、バウチャーの使用期限は迫ってくる。

 

依然として日本への国際線は運休を続けており、そちらに使うことはできない。

 

そもそも出国するためには、国の許可が必要な時期。

「親族が危篤」ではダメで「死亡が確認されて、はじめて許可が降りる」という話を、多方面から聞かされていた。

 

やはり国内旅行か。

 

そのうち「一度はスターバックスに行ってみたい」と娘が言いだした。

ケアンズにスタバはないので、ブリスベンへ行く必要がある。

 

そうか、ブリスベンならユニクロやH&Mもあるぞ!

 

子どもたちは洋服を買うのに中途半端な年齢で、試着の必要がある。

日本にいる間に、まとめて洋服を買う習慣になっている我が家は、そのチャンスを逃してしまい、ちょっと困っていた。

 

問題なのは、ブリスベンはこの時期、スクールホリデーのたびロックダウンになっていたことだ。

 

つまり、学校のある時期に旅行へ行くしかない。

ただし、息子は学校を休みたくない人間。

 

その結果、土曜の朝にケアンズを発って、日曜の早朝にブリスベンのホテルを出るという強行スケジュールが組み上がった。

日曜の真夜中にケアンズに戻るという選択肢もあったけれど、さすがにそれは現実的ではないという判断で。

 

猫を飼いはじめたこともあり、夫が留守番を申し出てくれたので、私と子どもの3人分を予約した。

 

バウチャーをなるべく使い切ろうと、飛行機の座席指定を少しグレードアップしたり、五つ星ホテルを予約して、なんとか1360ドルまで積み上げた。

 

40ドルほどまだ残っていたが、さすがにもうあきらめた。

息子用の追加ベッド台とほぼ同額だったが、それだけは現地払いと表示されたので、募金の気持ちであきらめた。

 

一泊半日の短い旅行のなか、スタバ、ユニクロ、H&M、そしてラーメン屋さんという、日本に帰っていたら通ったであろうお店をハシゴすることができた。

締めはクリスピークリームドーナッツを空港で受け取ったことで、こればかりは田舎に住むオージーっぽい行動だなと思った。

 

ミッション・コンプリート。

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4. 期待の2023年4月

募金だとあきらめたバウチャーの残りは、知らないうちに使用期限が延長されていた。

 

それに気づいたのは、つい最近のことである。

今年に入ってから、ケアンズ・日本間の直行便が復活し、いよいよ我が家も日本へ一時帰国する計画を立てたのだ。

来年の4月のイースターホリデー。

その2週間滞在できるチケットを、確保することができた。

現在の最低価格の日付で選んだのだが、支払った金額は、前回バウチャーになった分の3倍ほどにふくらんでいた。

それでも、日本の桜のシーズンに、良い日付で予約できたのはラッキーだったと思う。

 

実は、日本のマスク人口の高さや、入国時におけるワクチン証明書もしくはPCR検査の結果を求められることなど、帰国するにはまだ敷居が高いと思っていた。

 

それでもチケットを買う気になったのは、日本に住む家族から、遠い親戚が若くしてお亡くなりになったという話を聞いたのがきっかけだ。

 

「会えるうちに会っておかないと」

「チャンスのあるうちに帰国しておかないと」

と強く思った。

 

実際に帰国する半年後は、日本側の入国の条件がゆるい方向に変わっているかもしれないという期待を、ほのかに持っている。

 

そうならなかったとしても、5年ぶりに家族と会えるのは単純に嬉しい。

実家にいるあいだに、世界一美しいと称されるスタバにも足を運べるといいな、なんて思ったりしている。

夫側の実家にいるときは、やはり金華山だろうか。

薄墨桜は、まだ散っていないだろうか。

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バナナを買う

 9.5.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

バナナを買う

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1. オーストラリアの無人販売所

 

野菜の無人販売所。

 

日本人だったら

「あーあ、見たことあるよ」

「畑の片隅に小屋を建てて売ってるとこでしょ?」

って、自分の記憶をたどる人が多いのではないかと思う。そして、

「日本は平和で真面目な人種だからできるけど、他の国にはないでしょ?」

なんて思ってしまうことも。

 

日本には、あらゆる自動販売機がさまざまな場所に設置されている。

そして、売上を立てることができるのは、壊そうとする人がいないからだ、なんて聞く。

オーストラリアでは、屋外で自動販売機を見かけることがほぼ無いので、『そんなものかな?』と思っていた。

『無人販売所も無いよね』とも。

 

いつの頃からだろうか、私がほぼ毎日通るハイウェイの脇に、トレーラいっぱいのバナナが置かれるようになった。

 

そこは、ハイウェイを運転する人が、大型車でも停まって休憩できるような少し広めの場所になっている。

ケアンズの街中から、北へ向かって進む側にあり、この先の主要な町の名前が記された大型の看板も立っている。

 

11年前に私たちが引っ越してきた頃は、そこに小さなフルーツの有人販売所があった。

バナナ、マンゴー、パイナップルなど南国のフルーツが並ぶ。

ケアンズ近郊ではフルーツ農園を見かけることが多く、その販売所はそういった農家のメインビジネスなのか、

お小遣い稼ぎなのか、とにかく、直販っぽい感じがいいなあと思っていた。

 

しかしそのうちフルーツの販売所は消え、気づいたら、バナナがいっぱい詰まったトレーラが無人でぽつんと置かれるようになっていた。

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2. 無人で大丈夫なのか?

 

比較的治安が良いとはいえ、軽犯罪自体は少ないとは言い難く、近年子どもたちによるゲーム感覚の車の窃盗・破壊が深刻な社会問題になっているケアンズ。

ハイウェイ脇にも、乗り捨てられた車を見ない日がないような状態である。

 

そんな中で、無人のバナナ販売? 

悪さをする人はいないのか?

 

無人販売が長く続いている理由について、私の勝手な主観になるが、少し考えてみたのでおつきあい願いたい。

 

まず、基本的に車でなければ来られない場所であるということ。

 

ハイウェイと言っても日本の高速道路と違い、一般の道路と縦横無尽に繋がっている。

それでも人口が密集しているエリアから少し離れており、頑張って自転車で来られるかな? という感じだ。

 

ハイウェイとは反対の側に、歩行者・自転車専用道路が通っているが、太陽の日差しがきついことが多いので、体力的にどうだろうか。

ちなみにハイウェイの時速は80km/h。

 

そして、ここはハイウェイの両側からも見晴らしの良い、開けた場所である。

バナナを購入する人は、基本的に走っている車に背を向けた状態になるので、誰に見られているか、わからない。

 

それから、バナナの入ったトレーラは夜になると回収される。

朝、通勤通学の時間帯には、すでにそこにある。

しかし、夜少し遅い時間に通ると、トレーラは回収されてなくなっていた。

夕方にはトレーラ内のバナナが見えなくなるくらい売れていることがあるので、補充と料金回収を毎日行なっているようだ。

 

また、この場所にはオーストラリア名物のビーフパイを売る移動車が、いつも停まっている。

単純に休憩目的の大型車なども停まるが、パイを購入する人も停まる。

それよりなにより、このバナナ販売所、とっても人気だ。

 

何台も車が止まっていて、トレーラに向かって行列をなしている光景は一般的。

パンデミック禍でも、行列は消えなかった。

 

これだけ人気なら人目があるので、お金を入れずにバナナを持っていく人は少ないだろう。

あるSNSで「私は先にお金を入れてからバナナを選んだのに、支払いをしてないと後ろの人に言われて嫌だった」という投稿を見た。

誤解はあっても、とりあえずお互いに監視の目が働いているのだなと思った。

 

最後に、売っているのが重くて安いバナナだというのも、無人販売にできる条件なのかもしれない。

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3. ここでバナナを購入してみた

さて、我が子どもたちはバナナを食べないため、私はいつも素通りするだけだったが、先日勇気を出して(!)車を停めた。

 

季節が冬のケアンズでは、大手スーパーでもバナナの価格が現在$4.50/kg前後。

しかし、この販売所では$2.00/kgと表記されていた。

シーズンになったら、もっと安かったような気がする。

 

私は、午後の仕事として、スーパーの青果コーナーで品出しをしているので、普段からバナナがよく売れるのを体感している。

金額がその半分以下だったら、合流が面倒なハイウェイ脇でも、車を停めて買いたいと思うだろう。

 

私がここを訪れたのは、子どもたちを学校に送った帰りで、朝9時にならない時間帯。

反対側はまだ渋滞しているが、私の進行方向の車はまばらだった。

それが「停まってみようかな」と思う後押しになった。

 

ただ、ほんの気まぐれで立ち寄ったので、現金の持ち合わせが車の小銭しかない。

 

2ドルを握りしめてトレーラに向かったら、その手前で、パイナップルを売るおじさんも見てしまった。

奥には、いつものビーフパイを売るおじさんが座っている。

 

パイ屋さんではカードが使えるのを知っているけど、いやいや、今日はフルーツだけなんだ。

わざわざ停まったからと、欲が出そうになるのを抑える。

 

1ドル分のバナナ2本と、格安1ドルのパイナップルを入手した。

そして、気さくなパイナップルのおじさんの写真も!

 

ここでは、バレンタインや母の日などのシーズンにお花を売る人もいて、ローカルのちょっとした憩いの場所になっている。

最近は、観光客のかたも再び見かけるようになってきたので、このような場所で、ローカル気分でフルーツを買うのも楽しいだろうと思う。

在豪21年目の文化理解

7.11.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

在豪21年目の文化理解

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1. 非営利団体での仕事

 

このStay Saltyではエッセイストという肩書きを使用しているが、私が現実に収入を得ている仕事は、清掃と店員である。

私たちは21年前に「文化交流」を名目として夫婦で来豪し、そのまま住み着いてしまったのだが、現在でも私の二つの仕事両方で、いまだ、文化交流というか、少なくとも私の視点からの文化理解を継続しているように感じている。

店員の仕事の方は、オーストラリアの他に、インドネシア、韓国、ミャンマー、フィリピンなどさまざまな国からやってきたスタッフと共に働いており、現在のオーストラリアを象徴しているように思う。

もう一方の清掃の仕事については、少し歴史に踏み込むような文化交流かもしれない。

平日の午前中、非営利団体の宿泊施設にて、キッチンなどの共有スペースと各個室をきれいにするのが、私の清掃の仕事だ。

この施設は、遠方に住み、医療にかかる必要のある本人やその家族が利用するという特徴を持つ。料金も安く、政府のサポートと組み合わせると、無料になる利用者もいるそうだ。

ケアンズという場所柄、トレス海峡の島々、北端や内陸、果ては近隣の国からの利用者も過去にはあったと聞く。

 

この仕事は昨年9月に採用され、オンライントレーニングを受講した。

そこで大きく時間が割かれていたのは、人権を蹂躙する違法行為に加担しない、それに気づくということに始まり、オーストラリア先住民に対する知識と理解などであった。

オーストラリアでは、国内に住んでいた「アボリジナル」、北端からニューギニアの間に位置する島々の「トレス海峡諸島民」の二種類のルーツを持つ人々が、先住民と呼ばれている。それぞれに象徴する旗も存在する。

 

以前住んでいたイプスウィッチ(クイーンズランド州・州都ブリスベンの西隣に位置する市)では、西洋人の文化であるワインの仕事に関わっていたためか、先住民と呼ばれる人々との縁はなく、せいぜいブリスベンの観光施設で関わる程度であった。

 

ケアンズに引っ越してきてからも直接の交流はなかったが、街で先住民らしき人々を見かける率が、イプスウィッチの頃よりもぐっと増えた。すぐそばには、ヤラバー(Yarrabah)というアボリジナルのコミュニティ地区もある。

 

そもそも、私が採用された求人募集欄には「先住民優遇」の文字があり、私はダメ元で応募していた。

雇用はタイミングやご縁の要素があるため、現在スタッフの一員として働いているわけだが、なぜ、上記の但し書きがあったのかについては、実際に働き始めてから理解することになる。

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2. 先住民優遇の理由

 

この施設の利用者の大半は、先住民系の人々だ。

 

私が以前、ホテルで清掃員として働いていたことや、同僚に先住民系のスタッフが少なくなかったことなどを面接時に話したため受け入れられたようだ。ホテルで一緒になった仲間のルーツが、この仕事とのご縁を繋いでくれた。偶然とはいえ、彼らに感謝したい。

 

清掃業務には4人のスタッフがおり、2人が先住民系、1人が白人、そしてアジア人の私という構成になっている。

 

ここで働いていると、この施設はホテルよりもスタッフと利用者との距離が近いように感じる。

 

宿泊予約も担当するフロントスタッフと利用者の人々は、体調について話すことが多い。その流れでだろうか、清掃スタッフに対しても利用者のかたから話しかけられることがある。定期的に利用する人がいることも、距離が近くなることの一因だろう。

病気・ケガの話や医療用語などがでてくると、日本語でも知識が少ない分野であるところに苦手な英語が相まって、私はうまく返事ができず、お恥ずかしいところだ。

 

他のスタッフは長く働いていることもあるだろうが、『よくわかるよ』というスタンスで話しているのを見ると、同じバックグランドを持つからだろうかと想像してしまう。掃除スタッフの中で私が一番若いから、というのも病気などの知識が少ない原因かもしれないが。

 

それから、男性利用者の部屋に女性スタッフだけが入ることや、その逆は好まれない文化のコミュニティがあるようで、それぞれに独特な風習があるかもしれないことを知った。

 

実際には、男女混合のチームで清掃をすることが多く「入らないでほしい」

と言われたことはないが、そういった文化的背景を理解するのは、同じルーツを持つ人々の方が、話が早いだろうと思う。また、医療に受診しなければいけない体調のかたが多いわけだから、気持ちも不安定になりやすいだろう。そんな時は、同じ文化圏のスタッフに対してのほうが、親近感がわきやすいかもしれない。

 

もちろん、先住民系の人々の就職先として門戸を開いておきたいという部分は、大前提としてあるだろう。

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3. 他人を理解するということ

アボリジナルコミュニティに関しては、グループが細かく分かれており、それぞれに異なった言語や習慣などがあるという。そのような地図も存在する。

 

例えば子どもたちが通うハイスクールでは、校長先生が「Kurrinyala!(Welcome!)」という言葉をニュースレターの冒頭によく使うが、これはケアンズエリアのアボリジナル・Yidiny peopleの言葉だそうだ。

 

職場の別部署にも先住民系のスタッフが何人もいて、ある男性の出身コミュニティは、ケアンズエリアとは別で離れた所だという。

引っ越し先のこちらのコミュニティをリスペクトしながら生活し、利用者の出身コミュニティに対しても理解を深めていると話してくれた。

 

それぞれのコミュニティに、大切に思っているルールなどが存在する。

 

ケアンズの街を歩いていると、時々、大声を張り上げて叫んだり喧嘩をしている先住民らしき人たちを見かける。

当然のことながら、そういうラフな態度の人ばかりではないと頭では理解しているが、どうしても目立ってしまうのは否めない。そして、普段の生活ではそのような人々ばかりに目がいく。

しかし、悪目立ちをする人ばかりが先住民ではないだろう。

 

実際、この仕事でさまざまな人々に会う機会を得て、少しずつ体験が伴ってきた。

 

宿泊施設利用者の方々が、私が一般的だと思うおだやかな生活をされていたり、部屋をきれいに保とうとしている痕跡を見ることがある。

 

妊娠中のお母さんが、幼児を引き連れている様子。

ご年配の夫婦が、お互いに労っている様子。

共用キッチンから漂う美味しそうな食事の匂いや、のんびりテレビを見たり、話しをしている様子。

私が仕事をしていて、「嫌だなあ」と条件反射で思ってしまうことはある。

 

体調が悪くて部屋を汚してしまうのは、よくあること。

でも、ただ面倒くさくて汚す人、掃除をする人にも感情があることなど気にしない人もいるだろう。それはおそらく、どの国でも人種でも同じ。

 

掃除をするという立場なので、ひどく汚されるとガッカリするし、「なぜ?」という気持ちも湧く。ただ、汚しかたが独特だと、そこにも文化の違いがあるのだろうかという発想は起こる。

 

私には私が育ってきた文化圏の常識があり、それを受け入れてほしいという気持ちがある一方で、別の文化圏の常識を持つ人々が存在し、それによって行動しているのだろうとも思う。

 

アジア人の自分は、この職場ではマイノリティに当たると思うが、だからこそ「理解しよう」という気持ちが働きやすくなっているのかもしれない。

 

まだまだ、私の文化交流・理解は続く。

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ビスコッティ

5.5.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

ビスコッティ

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1. バースデイ・パーティー

 

子ども達が産まれたイプスウィッチからケアンズに引っ越し、上の子が小学校に入ると、年に2回ある子ども達のバースデイ・パーティーをどうすればよいか、ということにいつも頭を悩ませていた。

 

オーストラリアでは大人になってからでも、特に区切りの良い年齢の年は盛大に祝うなどと見聞きしていたので、これは「重要任務」だぞと思っていた。

 

それまで呼ばれたことのあるパーティーといえば、職場の仲間の娘さんが成人になったお祝いも兼ねて、自宅で賑やかに行われる大人向けのものだった。

庭仕事や大工仕事を主に請け負っていた職場の仲間は元ドラマーで、楽器を鳴らしたりミラーボールが回るなか踊ったりしていた。みな、大いにお酒を飲んで「うえーい」と盛り上がって、そのまま雑魚寝して朝を迎えるといった感じ。

彼らの自宅は、隣家が離れたところにしかない田舎にあったため、騒音公害の心配はない。私はいつも、そのノリに完全には乗り切れないタイプだったけれど、十分に楽しんでいた。

当時はワイナリーで働いていたこともあってか、お酒があって、夜は適当に雑魚寝だったり寝具を持ち込んで、といったパーティーが多かったように思う。

 

子どもが産まれてからは、ワイナリーにある旗立てを利用して鯉のぼりを飾り、こどもの日パーティーを開催したことがあった。それ以外にも、日本人プレイグループでバースデイを祝うこともあった。

ワイナリーは、オーストラリアにおける私たちのホームグラウンドだったし、プレイグループはみんなで協力し合う雰囲気が強かったので、個人的なプレッシャーは少なく、楽しみながら準備ができた。

 

ところが、もともと知り合いのいなかったケアンズに来てからのパーティー開催は、全てが自分で、しかも英語で小さい子を仕切るという不安もある「重要任務」。

 

初めてお友達を呼んだパーティーは、近所の公園で、とにかく食べ物だけは子どもにも大人にもたくさん用意することにした。

 

ディップとクラッカー、ひとくちソーセージなどのつまめるものから、唐揚げや、海老のサラダ。

ロリーと呼ばれる甘いグミや、クッキー、ポテトチップスなど定番の菓子も並べた。

 

子ども向けのバースデーケーキは、アイスクリームをケーキの形にデコレーションしたものだったが、それとは別で、小さな子の子育てにいつもお疲れの保護者のため、マロンクリームを使ったロールケーキを焼いた。

トッピングには、コーヒーフレーバーの地元産チョコレートを乗せると、予想以上に私好みに仕上がった。

 

このパーティーから何年も経ったある日、当時参加してくれたママ友であるNさんから

「あの時のビスコッティが美味しかった」

というコメントをいただくことになる。

 

私は、パーティーにビスコッティを焼いていたことすら忘れていたので驚いた。

マロンクリームのロールケーキのことばかり思い出しては、いつかまた作りたいなと思っていたからだ。

 

彼女からの一言で、「私のビスコッティ」作りが始まった。

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2. お惣菜屋さん

 

ビスコッティが美味しかったというコメントをいただき、それならばまた焼いてみようと、手元にあるレシピ本を久しぶりに開いた。

 

ビスコッティはイタリア生まれのとても硬いお菓子だ。

紅茶やコーヒーにひたして食べるのも一般的だろう。

ただ、私の持っているレシピはオーストラリアのもの。

ワーキングホリデー時代の友人が、プレゼントしてくれた本に載っていた方法で作っている。

だからだろうか、私が作ると、クッキーよりは硬いけれど普通に噛める程度に焼きあがってしまう。

 

それでもおいしいと言われれば嬉しいので、一度焼いて、ママ友Nさんにお裾分けをした。

すると彼女の口利きで、日系のお惣菜屋さんで販売したらどうかという話が持ち上がった。

お惣菜屋さんは、別のママ友Mさん1人で切り盛りしていたお店である。

お食事や単品の他に、デザートも置いていた。

しかし、1人でできる作業量は限られている。

ビスコッティは管理が簡単で長持ちするし、ちょっとしたプラスアルファになるということで置いてもらえることになった。

 

私は別に仕事があって、お菓子作りをビジネスにする予定ではなかったので、材料費と光熱費の分をいただいて、時々お菓子を卸した。

作る機会が増えると、作業の手順も安定していった。

ママ友Mさんから、フィードバックがもらえたりして勉強にもなった。

また、本場イタリア人のお客様から「ビスコッティではない、別のお菓子にこのようなものがある」というコメントがあった、とも教えてもらった。

どのお菓子のことだったのかは気になるけれど、どちらにせよ、イタリアのお菓子に変わりはないようで安心した。

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3. マーケット

 

ところで、地元にはいくつかのマーケットがある。

 

我が家に程近いビーチで、毎月一回日曜日に行われるマーケットは、参加費が安いうえ素人にも敷居が低く、日本で言うフリーマーケット的な出店が可能だ。

ビジネスで出店しているところもあるし、非営利団体の活動資金稼ぎや、趣味のクラフトグッズを販売しているブースもあり、賑やかで楽しい。

週末はマーケットを覗いて、屋台の食べ物を食べたりのんびり過ごす、というのもオーストラリア人の一般的なスタイルだと思う。

都会で行われる大規模なものから、田舎の小さなものまで様々で、観光用のパンフレットにもマーケット情報がまず載っている。

 

ある時また別の友人から、着なくなった服を売りたいが、一緒に私の手作り菓子も売らないかと声をかけられた。

もともとワイナリーで働いていた頃は、出張試飲の許可がおりる野外イベントを手伝っていたし、マーケットで自分が売る側に回るのは楽しそうだな、と思って参加した。

 

マーケットでは、使って良いスペースを与えられるので、自分たちでテントとテーブルを用意して、売りたいものを並べる。

友人は、商品に値段のタグをつけ、テントの骨組も利用してディスプレイしていたし、私はケーキ用のスタンドに、見本品を並べて準備した。

 

あまり目立った感じに飾り付けできなかったので、ほとんどは知り合いの方が購入してくださったが、時々それ以外の方にも購入していただけたのも、また、嬉しかった。他のストールの方とも交流できたりして、それもよかった。

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4. 日豪イベント

 

現在、お惣菜屋さんは閉店しているし、マーケットでの販売も2回で終了した。

私は相変わらず、趣味でお菓子を作っては自分で消費している。

ごくたまに、依頼されて作ることがある程度。

 

そんな折、再びママ友Nさんからお誘いがきた。

今度はこどもの日の木曜日の夜、日豪イベントとして「Taste of Japan」と題した居酒屋スタイルの企画に、一緒に参加しようというのである。

 

当日は、本職の日系ビジネスの方々が、日豪のお酒を販売したり、おつまみになる食べ物を色々と用意する。

そんな場所の端っこの方にスペースをいただき、友人のクラフトやイタリアンなおつまみ、そして私のビスコッティを置かせていただく予定になった。

素人の私にとっては場違いな気がしないでもないが、そんなことを言っていては何事も始まらないので、ありがたく挑戦させていただこうと思っている。

 

これまで作ってきたフレーバーは、バニラ、コーヒー、抹茶、ココア、クランベリー味。

日本っぽい味が少ないので、今、きなこや黒糖なども試し焼きをしている。

 

オーストラリアで、日本人がイタリアのお菓子を焼いているというのは不思議な感じがするが、ケアンズではおかしくないのかもしれないと思っている。

なんといっても、家庭で話されている英語以外の言語は、ケアンズにおいてはイタリア語と日本語がほぼ同率首位である、という国勢調査の結果を読んだことがあるからだ。

 

友人が私のビスコッティを褒めてくれてからというもの、私の活動範囲は確実に広まった。

 

ケアンズに越してきて12年になるが、いまだに自分の立ち位置が掴めない。

それでも、このように様々な体験ができていることに感謝したい。

友人が贈ってくれたレシピ本から始まり、自分の焼いたビスコッティを通じて、多くの方と繋がれるご縁を感じているところだ。

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オーストラリアの助産師主導型出産

4.5.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

オーストラリアの助産師主導型出産

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1. オーストラリアで子どもを産む

 

子どもは2人いる。

現在、それぞれ12歳と15歳。

オーストラリアの同じ公立病院で出産した。

 

共に同じ病院を利用させてもらったけれども、その体験は大きく異なる。

 

第一子は、いわゆる通常のステップを踏んだ出産。

最初にGPと呼ばれる一般開業医の妊娠検査を受けて、病院へのレターをもらい、専門医にかかる。

初産のため、来院から出産まで9時間かかった、というのはよくある話だろう。

 

第二子の時は、来院から出産までは1時間半だった。

2人目以降は予想外のスピードで出産が進んだという話もよく聞くため、こちらもまあ、特別な話ではない。

 

大きく違ったのは、第二子の時は「ミッドワイフリー・グループ・プラクティス(MGP)」と呼ばれる、新しいプログラムを利用したことだ。

私たちの住む地域では、利用できるようになってからまだ一年も経っていない、新しい取り組みだった。

 

日本では助産院で産むという選択肢も一般的だが、こちらでは聞いたことがなかったので、「参加を希望しますか?」と医師から尋ねられた時、私は諸手を挙げて同意した。

 

妊娠13週の頃、正式にMGPが利用できるという手紙を受け取り、利用メンバーになることができた。

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2. 助産師さん主導型の出産

 

「ミッドワイフリー・グループ・プラクティス(MGP)」は、助産師さんが主導となって妊婦の面倒を見るというプログラムだ。

 

通常は、定期的に医師と面会して体調を管理するところ、MGPでは、担当の助産師が産後までサポートしてくれる。

いつも決まった助産師さんに体調を診てもらうため、医師と面会するのは最低限で済む。

 

利用できる妊婦にも条件があって、

 

 健康で出産に特別な問題がない。

 自然分娩で産む予定である。

 無痛分娩など特殊な方法を利用予定ではない。

 

という希望が一致しないといけない。

 

第一子の時は、出産時に笑気ガスを吸わせてもらったけれど、MGPではまず、医療介入を減らすための努力を妊婦側に求められる。

まあ努力と言っても、マタニティヨガをしてみる、出産時はバランスボールを使ったり、重力を利用した赤ちゃんが出てきやすい体勢をとってみるというような話で、特別大変なことではない。

 

私たちの担当助産師は、第一子の時に参加した「両親学級」の講師をしてくれた男性だった。

ご夫婦共に、助産師の仕事をしているそうだ。

このプログラムを率先して進めている人物のようで、医療介入の少ない出産、母乳育児推奨などの情報を共有してくれた。

 

確かに、「彼の両親学級」ではそのような話を聞いていたのだが、第一子の時は、ずっと分娩台の上で寝ていたし、母乳の与え方を病院で習うこともなかった。

母乳クリニックというところは、ヘルスプラザに存在したが、実際に参加できたのは産後2週目に入っていた。

今回は私がイメージしていた出産に近づくのか、と楽しみな気持ちになった。

 

通常4週間に一度の健診は8週間に一度、妊娠後期になると2週間に一度の健診でよい。

その代わりに困ったことがあったら、夜中でも担当の助産師さんに繋いでもらえる。

それも心強いことだと思った。

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3. 第二子の出産

 

頼れる人がいる、という安心感からだろうか。

妊娠中の私の体調は比較的安定しており、出産時も、病院に着いてからわずか7、8回の息みを経て第二子は生まれた。

水中出産だった。

娘は、途中まで羊膜に包まれたままだったという。

 

生まれてきた娘は、夫がへその緒を切り、すぐに私の胸で2時間ほどカンガルーケアで過ごす。

さまざまな医療介入は、その後に行われたと記憶している。

これらのことは、第一子では果たせなかった「夢」となっていたので、それが現実になったことで「尊重されている」と感じた。

3歳半の息子も、一緒にそばにいた。

 

出産から4時間半後、帰宅許可が出て、4人になった私たちは家に帰った。

 

そういえば1人目を産んだ時、同室になった女性が立て続けに2人、当日退院を希望して帰っていった。

オーストラリアではよくあることなのだろう。

しかし、日本では1週間程度入院するというではないか。

私も1人目の時は、4泊ほどさせてもらっている。

それが今回は、病室にすら足を踏み入れることがなかった。

 

2回目の出産後は、お産が軽かった分、体力が余っていた。

出産に付き合ってくれた息子に、その場で絵本の読み聞かせをしてあげられたくらいだし、自分で歩いて車に乗ることもできた。

第一子の時は、車椅子を使って病室まで運んでもらったので、これは大きな違いだった。

 

家に帰れば、助産師さんが自宅訪問で我々の様子を確認してくれるのも安心だ。

 

しかしその2日後、私と娘は病院へ舞い戻ることになる。

 

授乳のため、長時間抱きすぎたせいで、娘の体温が39.3℃まで上昇してしまったのだ。

暑い日に、エアコンを使っていなかったのが災いしたらしい。

体温自体は自宅で用意したぬるま湯のお風呂で落ち着いたのだが、念のため病院へむかうことに。

すると娘は、黄疸治療、低体温、再び黄疸治療という理由で、病院に7泊の足止めを食らってしまった。

授乳をしなければいけないので、私も娘と離れた病室で入院をした。

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4. 担当助産師さんの活躍

 

入院8日目、帰れそうなのに許可が出なくてしびれを切らした私は

「まだ退院できないのか?」

と医師に尋ねていた。

 

すると朝イチで採血したばかりなのに、「採血をしなければ」と言って、医師は娘を連れて行ってしまう。

『何度採血をするのだろう』と不安になっていた時に、かの担当助産師さんが様子を見にきてくれた。

 

4日間の休暇を終えても、まだ私たちが入院していることに驚いた彼は、現状を聞きに医師の元へ行ってくれた。

そして、娘を取り返してくれたのだった。

「もう退院できますよ」とも言ってくれた。

 

この時は、彼から後光が見えた気がした。

そして、特定の人が面倒を見てくれると、このようなサポートもあるのかと感謝した。

 

未熟児だらけの特別看護ルームの中、娘は3kgと大きく、黄疸の数値以外は問題のない子だった。

言葉は悪いが、後回しにされている感があった。

娘のかかとの採血の傷跡を見ては、不憫に思っていた私は、家に帰れると聞いて本当に安堵した。

 

お産が軽かったとはいえ、産後の体調が万全とは言い難い状況で、自分の味方と思える人がいるのは心強いと実感した。

 

次回妊娠をしたら、「まず自分の携帯に連絡をしてほしい」という申し出までいただいており、将来にまで気持ちのゆとりを提供してもらえた。

 

ただ残念なことに、その半年後には飛行機で2時間半も離れたケアンズへ引っ越すことを決めてしまったので、次回はこなかった。

 

当時、MGPサービスがまだ始まっていなかったケアンズでは、もう出産は無理だと思ってしまったので、子どもは2人のままである。

 

贅沢を覚えてしまったのかもしれない。

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永住権前後

3.6.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

Green and Gold

永住権前後

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1. 永住権取得の先にあったもの

 

私たち夫婦は、当時日本で貯めたお金の全てを使ってオーストラリアへやってきた。

ワーキングホリデービザなのだから、働けば何とかなるだろうという発想だった。

かつて夫が、カナダのバンクーバーで3ヶ月間の語学留学をしていて、日本人の友人たちがアルバイトをしているのを間近で見ていたため、海外で働くイメージが想像できていたのだと思う。

 

ワイナリーと民泊(Bed & Breakfast)と別々に分かれて、6ヶ月間の文化交流体験をこなしたあと、夫の研修先が、そのままビジネスビザまで請け負ってくれる就職先となった。

 

ワイン醸造は高給取りの職業だという噂は、単なる噂だった。

大手にでも勤めていれば話は違ったのかもしれないが、金銭面においては、長らく自転車操業のような生活をしていた。

しかし若かったこともあり、お金を得る以上の経験をしているのだという意識を持っていて、生活できているから大丈夫という安易な気持ちで生きていた。

また「お給料には反映できないが、色々とサポートはしてあげよう」というオーナーの気持ちを感じていたので、住んでいる家から放り出されるような不安も少なかった。

実際、途中からオーナーが購入した住居に移り住み、家賃も我々が払えるくらいの金額で固定してくれた。

この時期、周りの家賃相場はどんどん上昇していたので、これはありがたかった。

 

四年間のビジネスビザの終わりが見えかけてきた頃、オーナーから永住権の話が出た。

この時期、オーストラリアはまとまった人数の移民受け入れを発表しており、我々ももれなく申請したのは言うまでもない。

 

地方在住の雇用主指名ビザだったが、ワイナリーの建つ場所が地方と地方でないギリギリの場所に存在しており、普段使用している郵便番号が地方であるからとの判断で受け入れられたのはいい思い出だ。

 

結果、2006年の半ば、私たちは永住権を取得した。

そしてその2週間後に、私は1人目の子どもを出産している。

 

ビザ申請に詳しい方なら「あれ?」と思うかもしれない。

健康診断のX線検査は、妊娠中であれば受けられないのではないか?

しかし今回は「出産後に受ける」という約束のもと下りたビザだった。

私たちを担当した移民局の方が融通を利かせてくれたようだが、そのおかげで生まれてきた息子は、自動的にオーストラリア国籍を取得することができた。

 

永住権を持って出産で病院に滞在したのは、3泊ほどだったか。

その間に「医師からの出産証明書をもって、センターリンクへ行くように」と促された。

促してくれたのは、ナースだったのか、それとも事務の人だったのだろうか。

いつまで経ってもわからないことだらけの中で、言われた通りに足を運んだ。

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2. センターリンクという所

 

それまで、「自宅」「職場」「スーパーマーケット」のほかに、出産のための「病院」が増えただけの地味な生活をしていた我々だ。

センターリンクが何をするところなのか、よくわかっていなかった。

身近な職場のオーナーは子どものいない共稼ぎで、縁がないようだった。

 

センターリンクは政府の機関だ。

さまざまな状況の人へ、金銭的なサポートを行う。

 

「失業手当」「ひとり親家庭へのサポート」「子育て世帯へのサポート」「老齢年金」「若者へのサポート」「大人になって学生に戻った人へのサポート」など、書き出すとキリがないくらい種類がある。

 

そのせいか様々な人が利用しており、自分の順番が来るまで、それなりに待たされた。

生まれたばかりの乳児をあやしながら、正直、少しストレスを感じていたのだが、我々の順番が来て話を聞くと、どうやら手続きをすることで定期的にお金が振り込まれる、ということがわかった。

 

そして我々は「低所得者むけの子育て世帯への追加補助」を受け取る資格のある年収かもしれないと言われたが、永住権取得から2年以上経過している必要があり、こちらの申請は叶わなかった。

 

渡したばかりの出産証明書を秒で無くすという、不可解なミスをしたセンターリンクの職員だったが、それでもさまざまな情報と金銭的なサポートをくれた。

 

しかも出生率の増加に力を入れている時期だったようで、出産一時金として3000豪ドルほどの金額をもらえるという。

数年前なら桁が一つ少なかったと聞いたので、偶然だが、タイミングも良かった。

 

少し前、永住権の申請費用を払ったその瞬間から、この国の健康保険が使えることになっていた。

それまで実費だった出産前検診が無料に、そして出産入院費用までもが全額カバーされている。

 

それに加えて、子どもがいるだけで、国がもっと金銭的サポートをしようというのだ。

オーストラリアで子どもを持つということは、金の卵を産む鶏を持つことなのか?

 

一瞬頭がクラクラしたが、素直にサポートを受け取ることにした(受け取らない理由を知りたい)。

残念ながら、上記の通り我が家は裕福ではない。

国からのサポートのおかげで、日本の家族へ孫の顔を見せに帰ることが、より早く実現した。息子が5ヶ月の頃だった。

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3. 恩返し

 

政府からのこのようなサポートに対して、お金が出るから子どもを産むというカップルも一定数いたようだ。

しかも、乳児にかかりっきりの母親を出し抜いて、一括で支払われた出産一時金を持ち逃げした父親がいるらしいという噂も出ていた。

2009年に娘を出産した際は、一時金の支払いが分割に変更されたいたので、あながち嘘でもないのだろう。

 

現在は制度も変わり、金額も一桁少ない額に戻っている。

あの頃、移民を受け入れたり、出産を奨励したりと、国は人口を増やしたかったのだろうと思われる。

さて、これまで我が家がセンターリンクからサポートを受けたものは以下の通り。

 

「出産一時金」

「子育て世帯補助金」

「賃貸家賃補助」

「低所得者証明カード(ほとんど利用した記憶はない)」

「保育園の費用補助」

「学資補助(一時金)」

これ以外に災害時の一時金など、子どもがいなくてももらえるものもあった。

初めに案内された「低所得者むけの子育て世帯への追加補助」は利用していない。

 

一時期、私が週5でホテル勤務をしていた頃、夫とのダブルインカムでさすがに補助の対象外になった。

サポートには世帯収入に上限があるのだ。

夫と2人で「ようやく独立した感じだ」と言い合っていたのだが、私のわがままで、また収入が減ってしまった。

 

子どもたちが中高生になった今、残念ながら再びセンターリンクのお世話になっている。

子どもが中高生の方が、補助額がより高いというのはオーストラリアの特徴なのではないかと思う。

ハイスクールでは、個人のコンピュータやデバイスが勉強に必須となっているので、支出がどうしても大きくなるのを見越してのことだろう。

それでも、お世話にならずに済むのが本当は良いのだが…

 

オーストラリアの財政が厳しくなって、市民権保持者ではない永住者に、同じだけのサポートを与えるのはいかがなものかという意見があるのだという。

 

日本人は重国籍が認められていないので、どうしても永住者にとどまる人がほとんどだ。

出生地によって国籍を得た子どもたちと違い、我々夫婦も永住者止まり。

こちらでの選挙権もなく、よって自分の意見を投票することもできない。

 

しかしまあ、今までこの国にお世話になってきた分くらいは、質の高い労働力と納税と子育てでお返しができるといいなと思っている。

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State-of-the-art とは

2.5.2022

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

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State-of-the-art とは

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悩む

 

State-of-the-art

 

この言葉を初めて知ったのは、ワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアに残る、そのきっかけとなったワイナリーでのことだ。

私たち夫婦が勤務していたワイナリーの宣伝用パンフレットに 、State-of-the-art winery と書いてあった。

 

勢いで海外に出てみたものの、英語に興味が薄く触れる経験の少なかった私にとっては、初めて聞く言葉。

 

はてさて、どういう意味だろう?

 

artとつくからには、きっとなにか優美でエレガントな意味があるに違いない。

stateは、州という意味しか思い浮かばない。

この二つの単語を合わせているのだから、そうだな『芸術的に素晴らしい代表的な場所』みたいな感じで使われているのだろうか。

 

ちょっとお上品でお洒落な場所であることを、印象付けたい時の言葉なのかもしれない。

もしくは熟練したものの持つ素晴らしさが、芸術的ということかもしれない。

ワインは、味わいを例える時に様々な表現をするし、それ自体が作品として扱われることもある。

 

だからアートなのか。

私は勝手に、そのような解釈で自己解決していた。

パンフレットにこの言葉を使ったワイナリーのオーナーに、言葉の意味を尋ねれば手っ取り早く理解できたのだろうが、なぜだろうか、聞くような事ではないと感じ、調べようとも思わなかった。

 

なんとなく、心で理解しなければいけない言葉なのだという気がして、自分の中に仕舞っておいた。

ただ時々思い出しては、

 

この事象は、State-of-the-artという表現がふさわしいだろうか? 

 

という検証は時々していた。

あまりしっくりくるものはなかった。

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閃く

 

話は、その後私がケアンズに引っ越し、ホテルのベッドメイキングをしていた頃に飛ぶ。

 

私が働いていたホテルの部屋の造りは、スイートルームを除けばほとんど同じで、掃除をする手順は、どの部屋でも違いは少なかった。

 

ホテルという性質上、お客様視点から、見るからに美しく部屋を仕上げることを要求されるが、それと同時に、事業者視点からは、決められた時間内で仕上げるようプレッシャーも与えられている。

 

ちなみに、12部屋で5時間というのが業界の基準だと言われていた。

これはペアではなく1人で掃除を行う時の基準で、綺麗にするのに時間のかかるチェックアウトの部屋も、お客様から「今日は掃除は要らない」と言われるかもしれない使用中の部屋も含めた混合の数である。

 

短時間で、美しく、そして抜かりなく。

これらの相反する要求に応えるためには、自分の体の動きを『半自動化』するしかない。

どのような順番でどのような動作をすれば、見逃しを防ぎ、効率的に掃除ができるのか、ということをいつも考えていた。試行錯誤を繰り返し、考える前に体が勝手に動くように努力した。

 

そのうち私が担当するフロアーが出来、毎日だいたい同じ部屋を掃除するという条件が整った時、私は客室のドアを開けた後、踊るような感覚でいつも同じように体を動かしていることに気がついた。

 

自分の体の動きだけではない。

 

部屋をセットアップするのに必要な、アメニティやシーツ、タオルなどを運ぶワゴンも、自分好みに整理整頓していて、コントロールできていると思った。

 

その時、私はいまState-of-the-artの状態なのではないか、と感じた。

 

State-of-the-art housekeepingとでも言おうか。

 

 

さて、自分に都合の良いことばかりを書いてしまったので、時間に関しては、綺麗さに重きを置くあまり、どうしても遅れがちであったことは告白しておきたい。

 

しかしそれを差し引いても、掃除をする私の動作は、自分史上、かなり理想的に感じられた。

 

私の中で、State-of-the-artというのは『理想的』という日本語に変換されていた。

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真実

 

さて、それではState-of-the-artの本来の意味は何だろうか。

実は先ほど、初めて調べた。

 

State-of-the-art = 最先端、最新の(技術、設備など)

 

artは芸術ではなく技術という意味で、stateは状態を表すそう。

theはひとつしかない物の前につける冠詞なので、この使い方では唯一無二という意味合いを持つらしい。

「最先端」が「理想的」なら、私の解釈もあながち間違いではないが、思ったよりもエレガントではなかった。

どちらかというと、シャープで尖った感じがする。

言葉だけを見て、勝手にロココ朝の雰囲気を感じ取っていたが、テクノロジーが似合うような意味合いであった。

英語脳になれない自分を披露しているようで、なんだか少し恥ずかしい。

さて、今回の答え合わせをするのに、20年近くの時を経ている。

私たちがオーストラリアに足を踏み入れたのは、2002年2月。

私がワイナリーで冒頭の言葉にはじめて触れたのは、その1ヶ月後のことだ。

あまり目にする機会が少ない言葉とはいえ、調べることなく、よくここまで想像だけでやり過ごしてきたなと思う。他にも、調べてみると想像とは全く異なる意味だった単語は少なくない。

高校生の頃から、英単語の暗記を脳が拒否してきた代償だろう。

20年というオーストラリア滞在年数に対して、それに見合う英語力が全くついていないため、申し訳ないような気持ちをいつも感じる。

普段、私のよくわからない英語に付き合ってくださる皆さんには、本当に感謝しかない。

 

20年といえば、人ひとりが成人になるとされる年数だが(今年から18歳が成人に変わるけれども)、私の英語に関してはいつまで経っても成人になる気配はない。

しかしそれでも、State-of-the-artという単語を付けられるような、最新の何かに触れることができたら、人生は楽しいだろうと思う。

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街のベーカリー

12.5.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

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街のベーカリー

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2010年、ケアンズに引っ越してきて嬉しい誤算だったのは、おいしいケーキやスイーツがいろんなお店で簡単に手に入ることでした。

観光地なので、おしゃれなカフェもたくさんあるし、いろんな国出身の人が各自ルーツの甘いものを提供してくれます。

ですから「自分で作らなければ…」と思わなくても、そういったお店に出向くことで満足できてしまいます。

私の場合は、ケアンズ以前で過ごした日々の積み重ねもあるので、買うだけでなく自分で作る楽しみもやめられませんでしたが、そのための「勉強」という名目で、ケーキ屋さんに出向くこともやめられません。

ただこれは観光地ケアンズだからであって、そうではない地域の人は、みんな自分で作って、甘いものへの欲求を満足させているのかといえばそういうわけでもなく、甘いものが欲しくなったら立ち寄るお店があります。

 

それは、ベーカリー(パン屋さん)。

 

2002年に半年間ホームステイしていた場所は、ニューキャッスルから車で30分、シドニーからだと一時間半のドライブを経て到着する、湖と山に囲まれた田舎にありました。

そしてそこに住むホストファミリーはほとんど外食をせず、毎晩できたてのおいしい夕食を食べていました。

デザートも、結構な頻度で一緒に作りました。

それでも一度、お友達の家に持参するために、地元のベーカリーで甘いお菓子を見繕ったことがありました。

こういう場所で甘いものを買うのかということと、そのスイーツがとても甘かった記憶が残っています。

アップル・ターン・オーバー

ホームステイが終わった後に引っ越したイプスウィッチは、州都ブリスベンの西隣に位置していました。

しかし、都会のそばにあるエリアの割に、スイーツが並ぶおしゃれなお店は見あたらず、砂糖の塊のようなチーズケーキを出すカフェが、繁華街にようやくあるような感じでした。

ブリスベンに気軽に行ける距離のため、逆に発展を逃していたのかもしれません(今は人口も随分と増え、様変わりをしているはずですが)。

そんな地域でも、いわゆる「近所のベーカリー」にはスイーツが置いてありました。

駅前にあったお店で、見た目で選んで買ってみたのは「アップル・ターン・オーバー」というお菓子。

丸い形のパイ生地を半分に折って、中に煮りんごを挟んだものです。

アップルパイのように、縁をぎゅっと閉じることはせずに焼いてありました。

そのままの状態のものと、生クリームを間に絞ったものとが選べます。

甘いもの好きのオーストラリア人ですが、驚いたことにここに絞られていた生クリームは無糖でした。

甘くないと逆に塩味を感じてしまい、とても不思議な気持ちになります。

さくさくパイ生地と、甘酸っぱい煮りんご、そして生クリームの濃厚さがクセになる一品でした。

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ラミントン

 

また、イプスウィッチ在住時は知り合いが家族でベーカリーを経営していて、新店ができたと聞いて寄らせていただいたことがあります。

その時に買ったのは、ラミントンでした。

ラミントンは四角いスポンジケーキを、チョコレートやココアアイシングでコーティングして、ココナッツをまぶしたお菓子で、オーストラリアのスイーツとして有名。

ベーカリーで買うラミントンはいつもふわふわの口当たりで、どうやったらあんなに軽くてきめの細かいスポンジを焼けるのだろう、と羨ましく思いながら食べる一品です。

ケアンズに来てからお友達と一緒に作ったことがありますが、あのふわふわ感は出せませんでした。

残念。

いつか、もう一度挑戦したいと思っています。

このラミントン、実は発祥が我がクイーンズランド州で、一説によると「ブリスベンでできた」「いやいやトゥーウーンバだ」などと言われているそうです。

それを知った時、私は中間地点にあるイプスウィッチで初めて食べたのかと、しみじみしてしまいました。

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ベーカリーのスイーツ探訪

 

ケアンズに来てからは、目を引くケーキ屋さんやカフェに心を奪われ、街のベーカリーでスイーツを買う機会はほとんどありませんでした。

 

ある時、時間調整のために立ち寄ったショッピングセンターにチェーン店ではないベーカリーがあり、友人宅へのお持たせをそこで買ってみようと思いました。

 

ショーケースにはカップケーキや、コッペパンの上にアイシングがたっぷり乗った甘いパンなど、お決まりの品が並びます。その時は、お持たせの条件に合う手軽で手頃なミニタルトを選びました。

 

そうだった、そうだった、

 

ベーカリーのスイーツも忘れちゃあいけませんでした。

派手さはあまりないけれど、確実に国民のお腹を満たしてきた甘いものがそこにはあります。

 

 

せっかくなので、今まで行ったことのないケアンズの街のベーカリーで甘いものを探そう! と思い立ちました。

職場のスタッフがよく行くというお店を訪れてみると、なんだか懐かしい雰囲気の店内。

 

奥の棚には食パンやディナーロールなど、日常的に食べられるパンが並び、手前のショーケースには、サンドイッチや惣菜パン、スイーツなどが並んでいます。

想像以上に、いろんな種類の甘いものが置いてありました。

 

ラミントン、アップルターンオーバー、バニラスライス、ドーナッツ、ヘッジホグスライス、ロッキーロードスライス、キャラメルタルト、ミンスパイ、マッドケーキスライス、エクレア、カップケーキ、フィンガーバン(アイシングを載せたコッペパン)、クリームバン(生クリームを挟んだコッペパン)などなど……

 

ワクワクしていたので、値段を見ずに4つほど甘いものを選んだところ、合計がなんと10ドルを切っていました。カフェでケーキを頼もうものなら、一つ8ドルは平気でとられるこのご時世に、です。

 

その後、欲が出た私は、別の場所にあるチェーン店のベーカリーにも突撃し、新たに3つ、手に入れる有様。甘いものには目がありません。

 

これからのクリスマスシーズン、オーストラリアでは定番のフルーツケーキやジンジャーブレッド以外に、普段は手に取らないスイーツを食べてみるのも悪くないなあと思う今日この頃です。

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小学校で最後のお祭り

11.5.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

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小学校で最後のお祭り

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1.ロックダウン

8月のお盆の時期、娘の通う小学校ではフェイトと呼ばれるお祭りが行われるはずだった。

これまで私がどのようにフェイトに関わってきたのか、今年はいつ行われるのか、ということは8月号に書いている。しかしその記事を寄稿した後、開催予定日のちょうど1週間前に、ケアンズはロックダウンになった。

3日間のロックダウンが明けて小学校は再開されたが、送り迎えの保護者が2週間は学校施設内に立ち入れない制限がかけられたこともあり、その状況下でのフェイト開催は難しいとの判断がなされた。

1週間前であったから、当然さまざまな準備は進んでおり、企業・団体からの寄付やラッフルチケットの販売、当日やってくる移動遊園地のフリーパス券販売などもすでに行われていた。

よって、中止ではなく延期。

ただでさえ忙しい最終学期である4学期、10月後半の土曜日、午後3時から8時までが新しいフェイトの日付となった。

2.仕切り直し

フェイトの数ある出し物の中で、私は「巻きズシ」ストールの共同責任者を担当している。

8月のフェイト延期が決まった頃、スシストールは一体どのような状況だったのか?

各家庭からの炊飯器、前日の仕込み・当日朝のスシ巻き・当日午後の販売スタッフを募り、人数調整や追加募集を行っているところだった。

食材に関しては、長期保存の効くものは既に入手済みで、そろそろ野菜を購入しようかというタイミング。おかげさまで、10月に延期されても食品に関してのロスは出なかったが、日をあらためたことによる新たな問題が発生した。

現在、世界的なムーブメントになっている「脱プラスティック」。

我々の住む地域では、9月1日から食品を販売する際の使い捨てプラ容器が原則禁止となったのだ。

元々の開催日時であれば、確保済みのプラスティック容器を使用できたのだが、日を改めたことで新しく紙の容器を購入するはめになったのである。

現在手元にある容器は使用できず、新たな製品を購入するという、エコとは言い難い状況になったのは皮肉なことだ。

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3.参加者を集める

 

新しい日付のフェイト1週間前。

今回はロックダウンなどもなく、無事に準備を継続することができた。

昨年からのパンデミックが引き続き世界を賑わしているせいか、フェイトのボランティアは例年になく集まりが悪いようだった。

感染者が1人出ただけでロックダウンになったケアンズでも、人数が集まるイベントには参加を躊躇する人が多いのかもしれない。

娘のクラスの担当ストールは古本販売だったが、責任者と話をすると人手がまだまだ足りていなかった。

私はスシの責任者だが、販売の時間帯はほとんど体が空いているため、2時間参加することにした。娘は最上級生で、お祭りの間の付き添いが必要な年齢ではない。

そして私は、ケーキストールに寄せられた各家庭からのケーキを見ることができさえすれば、あとはボランティア仕事であっても構わない。

 

午前中にスシ巻きをしてくれた人で、自分の子どものクラスが担当しているストールにも参加している保護者は多い。それを見ていると、特定の人々の善意で成り立っている、とつい言いたくなってしまう。(やる気はあっても、家庭や仕事の都合で参加できない方も当然いるのだが)

今まで参加したことのない人も、時々しか参加しない人も巻き込んで作り上げるのが理想だろうが、我々だって一介の保護者であって、イベント開催の特別なスキルを持ったスペシャリストではない。普通に告知をして、参加を募ることしかできない。

スシストールでも、スシ巻き・販売・炊飯器は改めて募集しなおしたが、希望する数になるまでに時間がかかった。フェイトの主催者にも手伝ってもらい、Facebookやニュースレターで募集をかけてもらったところ、今年は例年になく日系以外のボランティアの方からメッセージをいただくことができた。

そのため今年は、当日の作業内容の手引書を、日本語だけでなく英語でも書き足すことにした。

4.フェイト当日

 

当日がやってきた。

前日から仕込みは始まっており、照り焼きチキン調理や荷物をスシ巻き会場に移動する作業を終えていた。

朝8時、もう1人の責任者と私で、スシ巻き会場である学童の施設のセッティングから開始。

テーブルを移動し、各電源に2台ずつ計12台の炊飯器を設置。

それから8時半には最初の参加者のかたがやってくるので、それに間に合うように、サインしてもらうタイムシートや手引書、衛生管理に関するパンフレットをわかりやすく並べる。

 

最初にお願いするのは、スシに巻く具材の準備。

ツナマヨを作り、野菜(きゅうり、にんじん、アボカド)を切る作業だ。

この野菜、実は購入後に我が家で管理していたため、嫁に出すような気持ちで今回持参した。

きゅうりは、購入後すぐ冷蔵庫に入れておいたら、危うく凍りかけていたのを発見。

すぐに取り出して、表面に結露する水分をとりつつ室温に戻し、クーラーボックスに入れたり冷蔵庫に戻したりを繰り返し、様子を見ていた。

購入時の見た目が良かったアボカドは、袋から出してみると、まだ硬いものが多かった。

バナナを入れると追熟が促されると聞いたので、家にあった熟れすぎているバナナを、とりあえずアボカドの間に差し込んでみた。

毎日硬さをチェックしていたが、土曜日になっても、まだベストな状態とは言い難いものが半分近く。

切ったら良い感じでありますように!

野菜のその後は、参加者のかたにお任せすることにして、私は、全体の進行が滞りなく進むことに意識を向ける。

 

お米は無事に炊けているか?

次々とやってくる方に、わかりやすいようなテーブルセッティングか?

朝から一緒に連れてきた子ども達(15歳と11歳)にも仕事はあるか?

スシ売り場に保管用の冷蔵庫は届いているか? 冷えているか?

今、どのくらいスシができている?

「あ、今仕事がないんです。何をしてもらいましょうか…」

「では、そろそろ売り場に運びますか」

 

このような感じであたふたしていたら、あっという間に予定数の寿司が出来上がっていた。

私が実際に巻いた寿司は、5本くらいだっただろうか。

材料が余っていたので、まだ数が足りていないと勘違いした私は、

お米が足りない! 

と騒いでしまったが、すでに十分足りていた。事前に1合2本で計算・準備していた、米の量を信用して良かったのだと思った。

過去のスシ巻きでは、何かしらのトラブルがいつも起こっていたので、スムーズな進行に慣れていなかったように思う。

余った食材で、みんなのランチを作った。

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5.スシ完売!

 

スシは完成してしまえば、後はこっちのものだ。

販売は、お金がわりのスティックとスシを交換すれば良いだけ。

「ツナマヨ&きゅうり」「照り焼きチキン&アボカド」「きゅうり、アボカド&にんじんのベジタリアン」から選んでもらえる。

私は子どものクラスのお手伝いに抜けてしまったが、もう1人の責任者のかたが何かと気をかけてくださり、つつがなく売れていた。

 

300本以上作った年は、最後の1時間を売り子が練り歩いたこともあるが、今年は200本と数を控えめにしている。

そのおかげで、売り切った後に片付け・解散となっても、まだ祭りは終わっていなかった。

今年は私にとって11年目のフェイトで、そして小学校の保護者として関わる最後のフェイト。

日系の保護者、スシストール担当クラスの保護者、担当クラスの先生(偶然にも日系のかた)、学校の日本語の先生、そして、学校からの参加者募集の呼びかけを見て参加してくれた保護者の方々、おまけにそれぞれの子ども達まで。

人が足りないと騒いでいたが、結果、こんなにたくさんの方々の協力を得て、スシストールは無事に終わった。

余った食材で作ったスシを食べていると、薄く切られたアボカドがまだ少し硬かった。

薄く切って食べやすくしてある工夫に感謝しつつ、どこかちょっと抜けのある、これぞフェイトのスシだなとしみじみ味わった。

ペットを飼うということ

10.5.2021

DAYS /  Tsukie Akizawa Column

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ペットを飼うということ

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1.ペットが欲しい

 

「うちにも犬か猫が欲しい」

娘からいつも言われていた言葉だ。

そう言われるたびに、

「猫はお父さんが好きじゃないし、犬はうちのフェンスをしっかりして、日陰になる場所を外に用意してあげないと無理」

と断っていた。

オーストラリアで、ペットを飼っている家は多い。

 

私が初めてホームステイをした家には猫と馬がいたし、夫のステイ先には犬が2頭いた。

現在住んでいる家の近所を見渡しても、首輪をつけた猫が道路を歩き、散歩をすればフェンス越しに吠えてくる犬、勝手に抜け出して歩き回っている犬もいる。飼い主の車(トラック)の荷台に繋がれて、一緒に出勤する犬も時々見かける。

お友達の家から

「鳥を飼い始めたよ」

「ギニーピッグ(モルモット)を育てているよ」

なんて声もちらほら。

 

周りにはこんなにたくさんの人がペットと一緒に暮らしているのに、なぜ我が家はダメなのかと不満タラタラの娘だったが、今年のお正月に夫が

「猫なら飼ってもいいかもしれない」

と言い始めたので私はびっくりした。

 

娘は大喜びだ。

白状すると、私がどこまでの負担に耐えられるのかというのが、ペットを飼う時の1番のポイントだと思っている。

我が家にはすでに金魚がいる(実はもう「ペット」はいた)。

朝晩2回のえさやりと、時々水槽の掃除をすれば良いという、お世話の簡単なペットだ。水質もあまりこだわらなくてよい。

金魚は5年ほど前の息子の誕生日に五匹買ったもので、「これはおれの金魚にしよう」と夫が言っていた黒い出目金一匹だけが、現在も生き延びている。

しかし気がつけば、毎日のお世話をしているのが息子でも夫でもなく、母で妻の私だというのは、まあ、よくある話だろう。

 

犬にしろ猫にしろ、我が家でなにかを飼うのであれば、最終的には私の責任感が最後の砦となる。

そんなプレッシャーを感じつつ、それでも猫を飼えるとなって嬉しかった。

私は生まれた頃から、家に猫がいた。

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2.猫を迎える

 

我が家からそれほど遠くない場所に、動物の保護施設RSPCAがある。私たちは、将来家族になる猫をそこで探した。

保護施設で希望を伝えると、まず、猫を迎える条件が整っているか、スタッフの人に確認される。

子どもがそれなりの年齢になっていること、ペットの飼育に制限のない持ち家であること、完全室内飼いができることなどの条件を満たし、晴れて我が家にやってきたのは、生後六ヶ月のキジトラの兄弟猫が二匹。

飼うのは元々一匹のつもりだったが、兄弟で一緒にいるところを見てしまうと、そこから一匹だけを選ぶことはできなかった。

私たち人間が家を留守にしている間、生まれた時からの兄弟と一緒なら、お互いに寂しくないかもしれないという算段もあった。

私たち家族は大人二人、子供二人。そこに猫も二匹なら、バランスが取れているではないか!

兄弟たちは実際に、ケンカしたりシンクロしたり運動会を始めたり、人間がいなくても楽しそうにやっている(ように見える)。

 

生後六ヶ月だと、来た時から体もそれなりに大きく、トイレの場所も勝手に覚えてくれて手がかからなかった。

初めに液体状のおやつを舐めさせてあげたら、どことなく緊張していた二匹もリラックスしたようだった。

私たちが、エサと新鮮な水ときれいなトイレを提供しておけば、あとは好き勝手に過ごしてくれた。

私たち人間は、喜んでたくさんの写真を撮った。

 

猫を飼うことについて昔と違うと感じたのは、完全室内飼いであるという点だろうか。

気ままに外を歩く近所の猫も少なくないのだが、野生・飼い猫の区別なく、猫はオーストラリア固有の野生生物を殺し過ぎてしまう観点から、完全室内飼いを推奨されている。

 

確かに、猫たちがやってくるまでは家の中にヤモリがいたが、今や室内には見当たらなくなってしまった。いつものんびりしているように見える猫だが、なかなかのハンターであることは間違いない。

 

外に出して誰かに捕獲されてしまうのも困るので、小さな家の内側で過ごしてもらっている。

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3.ペットの病気

 

猫を譲渡された時の書類に、誕生日の記載があった。

誕生日がわかっているということは、妊娠中の母猫が保護されていたのかもしれないが、まあそれはともかく、7月の半ば、家族でお祝いをすることにした。

 

普段はドライフードとウェットフードを半々で与えていたが、その日は値段の高い缶詰を買い、そのうえに液体状のおやつで名前を書いたものが祝いの膳。

 

私たち人間は猫のアート大会を行い、本人たちは知るよしもないバースデーカードを作って楽しんでいたのだが、片方の猫に異変が。

急にいろんな場所で少しずつおしっこをするようになり、それに血が混じっていたのだ。

 

楽しい誕生日のは