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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Yoko Kaise Column

最大の喜び

from  Paris / France

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海瀬葉子
Official French Government Guide

1998年よりフランス在住。
リヨンやボルドーにも滞在経験があるが、現在はパリで通訳ガイドとして働いており、ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿等案内、解説を中心に、

更にはワイン、ガストロノミーが得意分野で、各地を巡るツアーも常に企画中。

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5.5.2022

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

ビズする人達

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フランス人の友人とお茶をしていた時ふと話題になったのだけど、今回のコロナ禍でフランスがかなり大きな被害を被ったのは何故か?

それに対して日本は意外にも最悪の事態を免れたようであるがその違いは何か?

各国によって様々な異なる点はあるし、民族性から来る生活習慣の違いも原因のうちの一つかも知れないと考えるのはそう悪いことでもないかと思う。

勿論日本とフランスでは地理的条件から歴史的等根本的な違いは大きい。

そういったところも当然生活習慣や考え方にまで影響を及ぼすのは疑う余地もない。

気候的条件もそうであろう。

その違い全てについて考えるときりがないので今回は身近な事について的を絞ってみよう。

 

 

例えばフランス人は体を洗うとき浴槽に浸からないとかトイレでは先に手を洗って出て行く時は洗わないとかよく耳にする。 

確かに浴槽の無い家は結構あるし、ホテルではシャワーしかない所も多い。

その代わりシャワーで一時間とか、長いこと丁寧に洗う人も少なくはないので水道代節約にはあまり繋がらない。

トイレで先に手を洗うのは別にいいけれど、出ていく時に洗わない人が結構いるのはどうしてか私にもわからない。

誰か教えて。

私のまわりのフランス人は皆洗うし。

個人主義が多いと言うけど確かにこの国が人によって極端なのは認める。

言い方を変えれば「人それぞれ」ということだと思う。

決してフランスが不衛生とは言っていない。

 

 

次に浮かぶのは、今回の感染対策に対してうがいを意識していなかった人が意外に存在したこと。

手を洗う事とうがいをこまめにすることが大事だと日本ではよく言っていたらしいが、こちらではうがいはあまり言わなかったと思う。

個人的には丁度歯の治療に何回も通っていたので当然そのへんのケアは万全だった。

その点が不幸中の幸いだったのか今のところ健康に問題なく生活しているが、あの完璧なうがいのおかげだったのかどうかはまだ説得力に欠ける。

そのフランス人の友人は最初からしばしば「日本はどうして?」を繰り返していた。

実は彼女は医療関係の仕事をしていて、日増しに仕事は忙しくなり、その時期はフランスではたとえ医療従事者でもマスクの不足が問題になっていたのでかなり困っていた。

ユニフォームも不足していて、ゴミ袋をリフォームして使用していたと言うのだが、これには驚いた。

そんな状況で感染を避けながらやり抜けて行くのはさぞかし容易では無かったであろうに。

 

「こんな事体では無理。」

とSMSを送って来た事もあった。

「やはりマスクが有るかどうかの違いは大きいのではないのかね。」と言った事もあった。

 

その後フランスでも、いや世界中でマスクの重要性について騒ぎ出したのでその友人は私に何かと聞いてくるようになったが、私だって100%確信があったわけではない。

最近になって別の友人と話していてあることにふと気がついた。

フランスでは一日の朝の始まりは家族や同居人に「おはようございます。」と挨拶する代わりにほっぺたに「チュッ」とビズをすることからであり、会社で同僚或いは学校などでも同様であり、意外かもしれないが、これは礼儀でもあるのでしないと失礼にあたる。

男性同士では握手する事も多いが、男女間或いは女性同士は大人も子供もビズをするのである。

 

「あーた、お宅はどうしていたの?」と聞くと「コロナだからって生まれてきた時からの大事な習慣を止めるわけにはいかないでしょ。」と、キッパリ答えた。

彼女にとってはコロナに感染するよりビズを家族同士でしなくなる方が大問題だと言うのだ。

 

そう言えば若い時東京でフランス料理教室に通っていたが、その時の製パンコースの教授はノルマンディー出身で林檎の様な赤いほっぺで体重100kgはあるかもしれない若い素朴で優しそうな青年であった。

そんな教授が最後の卒業証書授与の時にもじもじしながら「みんな私にビズをしておくれ。」と言い出したので皆心の中で「ひえ〜」と叫んだ。

教授は良い人だけどやはり日本にはそんな習慣がないので躊躇した。

 

すると「皆さんがそんな態度をとるなら証書はあげませんよ。」と、怒り出し、ただでさえ真っ赤な林檎のホッペが凄い状態になった。

今考えると、その林檎くんにとっては自分は皆にあまり好かれていなかったのかと思い込んでショックで動揺してあのような状態になったのかと理解出来るが、あのときは何でそこまで怒ったのか想像もつかなかった。

流石に最年長のマダムが「じゃあ私が最初にするから皆続くのよ。」と言いながら身を投じた。

若い子も多かったが皆イヤイヤ続いた。

<清水の舞台から飛び降りる>

とはこういう事だと思った。

今から20年以上前の事であった。

なのにコロナ感染対策以来、ビズをしている人はほとんど見なくなった。

もちろん握手も。

道端でも朝のカフェ内でも見なくなった。

何かパリが見知らぬ者に支配されているようだ。

フランスの微笑ましい光景を一つ奪われてしまったような気さえする。

話しは一番最初の友人との会話に戻るが、日本びいきの彼女でさえ日本では基本的にビズで挨拶をしないと何度言っても未だに理解できないようだ。

それなのにある日突然日本旅行に行きたいと言い出した事があった。

一度か二度、一時帰国(と言っても私の場合学業や仕事の都合で二週間くらい)した際にお茶をお土産にあげたら飛び跳ねんばかりに大喜びした。

梅干しも好きだし、そうそう一緒にお茶したあと「ちょっとあの店によってもいいかしら。」というので「いいよ、混んでるから出口で待ってるね。」と言ってから5分くらい経ったであろうか。

 

「お待たせ〜。」

と嬉しそうに出てきた彼女の片手には大福が…。

「胡麻大福って知ってる?とてもおいしいのよ。歩きながら食べちゃおうっと。」

私と待ち合わせする前にクラシックバレエのレッスン受けてきたと言っていたのでお腹が空いていただろうし、何より今日はオペラで待ち合わせだからあの店で胡麻大福を買うのをさぞかし楽しみにしていたのだろうな。

 

そういえばパリでの<mochi>の進出展開のスピードは目を見張るものがある。

ちょっと前はどら焼きだったと思うけど、今ではちょっとあんこが食べたいなと思うとお金さえ出せば意外に簡単に手に入る。

その後お茶屋さんに行ったら満席。

大福の後どうしてもお茶がないと嫌だと言うので15分歩いて日本でも有名な某茶寮に行くことに。

その時友人は満足したが、日本だったら食事をすれば無料でついてくるお茶に千円位払った私は少し悲しかった。

我が家にお茶があれば招待したいところであったが、なにせ2年以上日本に帰っていないのでフランスの我が家にはお茶が全く無い。

私は今美味しい緑茶欠乏症で実は泣きたい気分位なのであるが、でも日本人でもお茶がなくても平気な人いるだろうし。

それに関連しているかどうかは疑問であるが親しい人にビズの出来ないフランス人はどんな気持ちなんだろうなと考えさせられるものがあった。

もし友人が実際に日本に来ることになったとして、突然「ビズ〜。」といいながら襲いかかったら、私の友人は皆理解があるから前もって話しておけば問題ないと思うが、万が一どこかでビックリされたりしたらと考えたらちょっと複雑だった。

結局私達はこの話に関して結論らしき所までたどりつかなかったが、この問題は思っていたよりかなり奥深いものだという所は納得したのであった。

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4.5.2022

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

モロゾフ展その後

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一度延長されたパリのルイヴィトン美術館でのモロゾフ展もとうとう終了(2022年4月3日迄)。

 

前々回の記事ではほとんどコンテンポラリーのフランス絵画について書いた訳であるが、なにせ全体の展示作品数が多くて自分の好きなアーティストの作品のオリジナルが観られるなんて、この先ロシアに行かない限りありえないだろうなと思ったからこそ、まるで食いつくようにルノワールやマチス、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンと観て回った。

 

その為にはロシアのコーナーは軽く流しただけに終わったのを後悔した。

それと、この展覧会の企画では莫大な数のアーティストの作品が観られるのだが、セザンヌに関して特に重要性を感じた割には時間をかけて観なかったのでやはり悔いが残った。

 

 

そんなわけで今回はモロゾフ展コレクションに対する理解をより深める為に事前に小冊子をざっと読み直して再挑戦を決めた。

 

やはりセザンヌのコーナーは外せない。また、この展覧会の見事な作品群はロシア人であるモロゾフ兄弟の所有であったことと、自分は今の今までロシア近代絵画にさほど強い関心を持ってはいなかったが、特に19世紀以降のフランスアートとの絡みを考えるとすると、今のこの状況でロシアやウクライナの文化について見直しするのは欠かせない事だと痛感したのである。

 

 

当日はやはり予想した通り混んでいたが、作品が見えない程ではなかった。少し待てば写真も撮れる程度であった。

 

監視のスタッフからは緊張の度合いが伺えた。こんな時期だから、万が一作品に傷でもつけたら恐ろしい事になるだろうし。

また、前回はどのようだったのか覚えていないが、水のプラスチックボトルはセキュリティコントロールの前に捨てるようにという指示があった。

 

会場内でも作品に近づくとアラームが鳴るようになっていた。

私を含め、多くの人が何かしらの理由で注意された。

いつになくセキュリティの監視が細かくて厳しかった。

 

見学コースは11のギャラリーに別れていて、ロシアの作品は主にギャラリー2に並んでいた。その部屋はほとんど肖像画であった。

あとはほとんどがフランス絵画で、その中にロシアが時々混ざっているという具合であった。

そうすることで違いが比べやすいからであろう。

 

実はカズィミール・マレヴィッチ以外の名は初めて聞いた。

マレヴィッチがウクライナで生まれた事さえ知らなかった。

 

ただし今回はモロゾフ兄弟のコレクションの中の多数がフランス印象派だったので、関わりの深いコンスタンティン・コローヴィン(1861−1939)、ヴァレンティン・セロフ(1865-1911)、ピョートル・コンチャロフスキー(1876-1956)あたりが中心でマレヴィッチの作品は2点のみであった。

 

コローヴィンは1900年のパリでの世界博覧会の際のロシアのパヴィリオンの建物の装飾をしており、フランス政府より名誉勲章を授与されている。

絵画のスタイルとしては実にフランス、特に印象派あたりの影響を受けている。ロシアの印象派を代表するとも言われているが、これに関してはあまり触れないでおこう。

彼はモスクワの美術学校で学んだが、1886年から数回に渡りフランスやスペインなどを旅行した。

一度モスクワに戻るが、結局1923年からはフランスで生活した。

 

多数の作品の中で、とくに<ボートで(1888年)>というタイトルの絵を一目みるなり、生意気にも私はハッという感情が喉から溢れ出そうであった。

色彩の鮮やかさはもちろんのこと、漂う空気に存在感を感じた。

印象派のエスブリが明らかに感じ取られた。

 

彼がパリでどんな人たちと出会ってどんな話をしたのか知りたくなった。

 

それはまたの機会に追求することにして、具体的にロシアとフランスのアートに関してもう少し良く知る為に、ここでもう一人のアーティストについて情報集めをしてみた。

 

ピョートル・コンチャロフスキーは生まれはウクライナであるが、やはりフランス絵画に深く興味を持っていた。

1895年にモスクワで開催されたフランスのアートと産業の展示会で、印象派の作品を直接目のあたりにして影響を受ける。

その後パリに行ってルーヴル美術館等にも足を運ぶが、満足するには程遠く、「どうしてもセザンヌの絵を観なければ納得しない。」と、探し回る。

 

その後ロシアに戻ったものの、1896年から1898年の間にパリに数回に渡ってロシアとの間を行き来し、パリの私立芸術学校アカデミー・ジュリアンで学んだりもした。

まだその頃にはオルセー美術館はなかったし、情報集めも容易でなかった。第一にロシアからパリに来るのだってどんなに大変だったかなぁと思うと、アーティストの情熱は想像の範囲を超えるものである。

 

そこまで慕われたセザンヌであるが、今回のモロゾフ展ではとても大きく扱われた。

先ずは自然の緑と土の色、空の青が目立った、素朴で力強い空気、自然、光が会場に行き渡った作品群。その代表として<サン・ヴィクトワール山>をあげよう。そう、風景画がズラッと並んだスペース。

 

そしてポートレート。とくに男性を力強く描いたものをモロゾフ兄弟は好んだようだ。

明らかにセザンヌ特有のスタイルに影響を受けたであろうと思えるアーティストの数点の肖像画が展示されており、中でもコンチャロフスキーのダイナミックな男性像はまさに自らのスタイルを保ちながらも、一見セザンヌが描いたのではと思わせる節のある作品であった。

 

 

全体を通して、静物画が少なかったが、改めてセザンヌの中で比べてみると、幅の広さをつくづく感じる。 

常にオリジナリティがあって、それは印象派と言われる中でも他の画家達とは違う、一見大胆さの中に宿る穏やかさ、しなやかさが心地よい彼だけのものなのだ。

 

ここまで一人の画家の作品を集めて見る機会はなかなかない。

この企画に感謝することはあっても批判することはありえないであろう。

ところがあと少しでこの展覧会が終了すると、当然作品はロシアに戻さなくてはならない。

いままでだったら問題なかったであろうが、ここ一ヶ月の状況を考えるとすると、まずは作品が無事に元の場所に返されるのであろうか心配になってくる。

フランスに置いておくわけにもいかない。

 

ただ、ロシアに戻る途中、或いは戻った後に無事に保管されるかという危険に対しての懸念があまりにも明らかなのである。

ロシア軍がウクライナの美術館を攻撃した際に、ウクライナの国民的画家であるマリア・プリマチェンコ(1908-1997)の作品が複数焼失した話だってある。

こうなってしまっては為す術もない。

 

一度失ったものは元通りに帰っては来ないのだ。

 

今回、モロゾフ兄弟のコレクションは我々にとてつもなく大きな感動と発見を与えてくれた。これだけの数の、また見事な作品を並べて観ることが出来た我々は幸運であった。

また、そのコレクションから選択し、さらに分類して展示をした企画者には心から感謝したい。

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3.6.2022

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

綺麗なものが見たい

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コロナ禍が世界中に広がって既に2年が経とうとしている。

 

多くの人が亡くなり、多くの人が家族や身内を失い、世界中の経済はガタガタ、教育システムもボロボロ…、子どもたちはどうしたらよいのだろう。

大人たちは何とか解決法を探しているが、今のところどうにもならない。

それどころか悪い方向に向かっているようにもみえるし、最悪なのはこの状況を悪用しようとしている人達もいるように見えることだ。

こんなご時世で人々は皆疲れ切っている。肉体的にどうすることもできない。

でも精神的に解決法を見つけなくてはいけないと人々は思い始めた。

誰かがふと呟いた。

「綺麗なものが見たい。」

その一言に動かされて頭の中に浮かんだのはボッティチェリ展である。

ボッティチェリ展へは開催中に2度もいった。

一度目に行ったときにあまりにも人が多すぎて作品がよく見えなかったから二度目の見学を予約したのである。

二度目の見学を予約した時は一月半ば頃だったから特別展開催も終わりに近づき、かなり混んでいたが何とかインターネット予約成功した。

 

さて、当日私の予約は朝の10時、一番乗りである。

少し早めに行って衛生パス、予約確認証を提示してさっさと会場へ。

常設はもう見慣れているから直にボッティチェリ展に。

解説ヴィデオも一度見ているので飛ばした。

最初の部屋の〈聖母子〉が並んでいるところにたどり着いた。

まずはこれが観たかったのだ。

 

2回目に当たる今回は〈絶対観る作品〉をマークしてきた。

会場はパリの凱旋門とサンラザール駅の間にあり、どちらからも歩ける距離。

〈ジャックマール・アンドレ美術館〉といい、19世紀に建てられたネリー・ジャックマールとエドゥアール・アンドレ夫妻の邸宅を後に改装したもの。

内装とコレクションが常設として見学できる他、狭いながらも一定の場所で特別展が行われる。

特別展はどれも人気で、いつもとくに終盤には予約が取れない位だ。

 

今回の〈ボッティチェリ展〉に関しても予約の取れなかった友人が嘆いていた。

「何故早いうちに予約を取らなかったの?」と聞くと、

「予約取るの面倒だったからつい延ばし延ばしになっちゃって…。」

確かにこの予約制度は今までなかったもので、これが原因で美術館もビジター数にかなり影響がでている。

一日も早く以前のように予約なしでも入場出来るようにならないと、パリの美術館もアチラコチラで悲鳴をあげ始めている。

 

さて話は〈聖母子〉に戻るが、ここではボッティチェリとフィリッポ・リッピの2点の〈聖母子〉が並べられていた。

どちらも穏やかさと溢れ出る母と子の愛情が伝わってくる。

大好きな絵だ。

実はこの美術館にはまさにヴァラエティに富んだコレクションが常設として展示されているのだが中でもイタリアン・コーナーは見応え充分。

その中の〈フィレンツェの部屋〉の中にも聖母子を数点展示しているところがある。

これが類似点と独自性がハッキリとわかるように並んでいて、よーく見比べると吸い込まれそうになる。

もしもこのジャックマール・アンドレ美術館を訪れる機会があったら絶対観て欲しい。

 

さて、また特別展に戻るがその後の構成は7、8の部屋に別れていて、どれも美しい作品で埋もれている。

ハズレなんて無いのだ。

訪れていたのは偶然か、60歳代以上の女性グループ、或いはカップルが多かった。

そちらを観察するのもまた興味深かった。

その時ヴィジターはほとんどフランス語を話す人たち。

よく気をつけて会話に耳をそばだてていると、あまりボッティチェリおたくはいなかった。

そう、私にとって気になっていたのはボッティチェリに関して皆どのくらい、またどんな点が好きでここまで来たのかである。

パリで現在通常でボッティチェリの作品を観賞するチャンスは極めて少ない。

ルーヴル美術館のサモトラケのニケの横にフレスコが2点、その他3点は未公開である。

ジャックマール・アンドレ美術館のフィレンツェの部屋に〈聖母子〉が一点、しかも最初はヴェロッキオのものと見られていた。

また、ヴェネツィアの部屋に〈エジプトへの逃亡〉が一点、以上のみである。

そう、パリでボッティチェリの作品が見られるのはたったの4点のみである。

だから期待も大きかったのだろうな。

 

それとやはり美術館といえば人々の文化的好奇心だけでなく普段見ないような美しいものを見たいという美的欲求を満たしてくれるところでもあるはず。

その意味でこのボッティチェリ展のサブタイトルに〈デザイナー〉とあるがアーティストのクリエイティブな面とともに美に対しての果てしない追求も取り上げているこの特別展は大いなる重要性を持っている。

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ここで全展示作品を披露するわけにはいかないが、特に気に入った2点ほどをおすそ分けしよう。

 

先ずは数点ある聖母子の中から一番惹かれた間違いなくボッティチェリの作品と言われている〈花飾りの下で天使に支えられた聖母子〉、およそ1460年から1465年の間に描かれたものらしい。

ポプラの木のカンバス上にテンペラ(tempera)という卵などを混ぜ合わせて色を作った技法が特徴。

これはルネッサンス時代に見られるもので、色の劣化が少ないので時代を経ても綺麗なはずである。

またこの時期にしては構成が独特である。

聖母が立っている。

ボッティチェリの師匠と言われたフィリッポ・リッピでさえこういうのは描かなかった。

 

もう一点はなんと言っても〈ラ・ベル・シモネッタ(美しいシモネッタ)〉である。

1485年頃のものと言われている。

これは今回の特別展の代表作として、ポスターやカタログの表紙などに使用されている。

 

それだけにこの作品を語らずにしてこの企画を理解することは不可能である。

ここでもテンペラの技法は使用されている。

が、もう一点と比べての大きな違いは油絵の具も使用されているところ。

人目でわかるボリューム感、リアル感が半端ではなく何かを訴えている。

面白いのは髪型である。

今度私も真似してみようかと思わせる。

透き通る様な肌は同じようにはできないが、ペンダントも素敵だ。

 

そう、彼女は私達の時代でも充分に美しい人として注目されるにふさわしい。

モデルはシモネッタ、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人である。

当時フィレンツェで一番の美女として知られていた。

ボッティチェリの名作である<ヴィーナスの誕生>の中でヴィーナスのモデルだと言われてきた人物なので今回の特別展のメイン的存在と言われるのにふさわしい。

 

国境を超えてフランスまでやって来てフランス人を魅了したイタリアのアーティストボッティチェリの作品。

また別の機会に何処かで会いたい好きなアーティストの内の一人として胸の内にしまっておいた。

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2.5.2022

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

2022年への期待

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2022年1月1日は前年の同じ日と少々心構えが違っていた。

天気も良かったし、何よりも気温がこの時期にしては高めだったのでメトロやバスなどの公共交通機関と歩きで一人パリ市内散歩を決意した。

最近ジョギングするのがすっかり苦手になった私はゆっくり写真撮りながらひたすら歩く方が好きになった。

まだ時期的に朝の8時半位までは暗いので9時ちょっと前にバスに乗って、最初にノートルダム大聖堂の広場に到着。

周辺には私以外に2,3人と警備員しかいなかったので静かで気持ちよかった。

空気も澄んでいるみたい。

実は毎年クリスマスの時期にはここに来て夜中にクリスマスツリーを見るのが好きだったのだが2019年の火事以来修復工事が続いているのでご無沙汰していた。

 

9時半 - 周りはすっかり明るくなっていた。

ただし、空の色はハッキリしていなくて、写真の事だけを考えるなら出直してもっと晴れた日に来たほうが良かったかもしれないくらいであった。

それでも昼食前に自宅に戻れば一日のスケジュール的に問題無いので静かなパリを満喫して、出来れば何処かの教会に寄って、私なりの初詣をしようと思っていた。

教会の候補はいくつかあったが、やはりこの近くだったらサン-ジェルマン・デ・プレ教会がいい。

歩いて10〜15分くらいだし、そこまでのカルティエ・ラタンをゆっくり歩いて行きたい。

元旦の朝の街がどんな様子かも気になるし。

 

ノートルダム大聖堂を後にして、セーヌ川沿いに西方面に向かう。

もちろん名物のブキニスト(古本屋)のスタンドは一軒も開いていない。

サン・ミッシェルの広場もシーンとしている。

このあたりからマティスを始めとして複数の画家達になった気分でノートルダム大聖堂を振り返る。

彼らがこの近くから大聖堂を描いたのは100年以上も前のことである。

マティスはこのセーヌ川沿いのアパルトマンをアトリエ兼住居として生活していた時期があり、その時に窓から見えるノートルダム大聖堂を描いていたのである。

今ではその周辺は角のカフェ以外殆ど変わってしまった。

なんか複雑な気分。

最近では界隈にあった<ジベール・ジューヌ>と言う大規模書店も半分以上閉店してしまい、カルティエ・ラタンもここ1、2年の間にすっかり姿を変えてしまった。

この書店に世話になったのはかれこれ20年前のことで、私の場合はもう読まなくなった本を買い取ってもらう為によく来たっけ。

 

川沿いに歩き続けていくとポン・ヌフと言う名のセーヌ川のこの一帯で最古の橋がある。

橋の向こうには<サマリテーヌ>というデパートが見えてくる。

このデパートは一度長い間閉館していた後に去年になって再オープンした。

豪華な内装やその後オープンした高級ホテルなどがパリ中の注目を集めている。

凛々しい姿は日本人建築ユニットのSANAAの設計である。

そんな事もあって完成前からずっと楽しみにしていた。

内装も美しく様々な工夫がされていて訪れる人々に夢を与えてくれる。

これで暫く失われていた活気をもたらせてくれるであろう。

これからもそういうスペースやイヴェントが徐々に市民の、そして訪れる人々にワクワク感を与えてくれることに期待している。

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さて、再び橋を渡って左岸に戻って来るとサンジェルマン、オデオンに近づく。

この辺りもカルティエ・ラタンだ。

古くからのビストロなどのお洒落な建物、新しく外観にも工夫を凝らしたカフェ等はたとえ殆どが閉まっていても見ているだけで楽しい。

 

この中に好きなレストランがあったのだけど暫く来ない内に他の店に変わっていた。

そこのオーナーシェフはいくつか店舗を持っていて、そのうち2店はミシュランの星付きであった。

内装はそれぞれでも料理は同じものもいくつかあって、このサンジェルマン店はスペースは小さいがシェフの自慢料理であるカスレという南西地方のスペシャリティ料理がとても美味しかったのでよく行ったのに…。

最初のうちは20ユーロのランチセットでカスレを選ぶことも出来たのでそればかり食べていた。

ボリューム満点であったがペロリとたいらげてしまえた不思議な一品であった。

いつの間にかタパス屋になって、以前と雰囲気も変わっていた。

カスレは白インゲン豆やソーセージ、肉類を煮込んだとても暖まる料理。

なのにこの時の私の心の中は何かとても淋しい気持ち。

もうあのカスレは食べられないのかぁ…。

 

その後は屋根のないパッサージュ等を通って教会に向かった。

このパッサージュにはパリ最古のカフェがある。

今ではレストランになったが、フランス革命の時代にはロベスピエールなどが話し合いの場に利用したそうだ。

その後にはナポレオン一世も訪れて会計の際に小銭を持ち合わせていなかったからと例のあの帽子を置いて行った話は有名だ。

その帽子は今でも店内のガラスケースの中に保管されている。

その斜め向かいにはパリに要塞があった頃の名残の塔がなんとレストラン内に丸々残されている。

こんな奇妙な形になって一千年前のパリの街を語り継ぐなんて凄い事である。

 

更に進むとまた私の好きなレストランがある。

ここがまた小さくて狭い。

でも美味しいのだ。

デザートも見た目は素朴だが手作り感があって味わいも気に入っている。

私は今のところはどちらかというと痩せ型だけれどそれでもお隣さんとぶつかってしまう。

トイレは地下にあるのだが階段はとても狭くて誰かとすれ違う事すらできない。

でもこれが典型的古い時代のパリの建物なんだなあ。

 

やっとサン-ジェルマン・デ・プレ教会にたどり着いた。

長いこと工事の関係で中は布で覆われていたり、また入れなかった時もあったが今ではすっかり出来上がって美しい内装をゆっくりと眺める事が出来る。

この教会はパリに現存するロマネスク様式の中で最古のもの。

周辺にはゴチック様式が多い中、6世紀に建立された古く味わいのある建物自体と最近修復工事か終わったばかりの内部見学するなら是非ゆっくりと時間を取って欲しい。

すぐ目の前の有名老舗カフェ達もオープンしていた。これらにもパリの歴史や文化がつまっている。

 

 

さてそろそろ戻らなくては。

今回はノートルダム大聖堂からサンジェルマン・デ・プレ教会までカルティエ・ラタンを軽く散歩してみたが、今後何らかの形で詳しくもっとパリを追求して行きたい。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

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12.5.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

今年最大の喜びを集めて

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今年、2021年も残り2ヶ月をあっという間に切ってしまった。

 

早いものだなあとつくづく感じる。

ここ一年、時が経つのを実感する間もなく、何かをやり遂げたと言う手応えもなく一日を無事に過ごすことばかりを考えているような気がする。

 

要するに受け身になってばかりの自分が最近になってかなりうっとおしくなってきたのである。

かといってここで一発どかんと何かをやらかして砕け散ろうという気にはなれないけれど。

 

2、3日前の金曜日に近所のバス停に向かった際にその真ん前の馴染みのブランジュリー(パン製造、そして大抵のところではケーキ類も売っている)のショーウィンドウに気合いが入っているのを発見。

 

色とりどりのホールケーキが20台位盛大に並んでいるのである。

しかも殆どが新作。

スマホを取り出してパチパチと撮り始める。

何時もそこにあるサンドウィッチやサラダ系は横のケースに移動されている。

 

などと見とれている間にバスが到着、年内は本数が少ないそうなので逃したら大変。

慌てて飛び乗ると今度はもうケーキのことは忘れる。

 

それにしても最近のパリはまだ12月になっていないのに慌ただしい感がする。

これは聞いてみたところまわりの友人達も同意見である。

長いこと外出制限やら、この先どうなるのか不安な気持に包まれていたかと思うと今度は急に経済建て直し大作戦なのか、どうも背中を押されている様な気がしてならない。

 

丸ごとケーキは翌々日には半分以上売れていた。

いつもこんなに景気良かったかなあとつくづく頭を悩ませる。

が、まあ良いではないか、人の事だし、いい事なのだから。

 

ボージョレー・ヌーボーはどうだったのか、オスピス・ド・ボーヌのワイン・オークションはどうだったのかなどと、考え出すときりがない。

でもこれらはすべて毎年この時期に欠かせない事柄なのである。

 

昼前に少し時間があったのでコンコルド広場近くのチュイルリー公園でのクリスマス市に寄ってみる。

今年はヨーロッパ全体では既に場所によっては中止決定のところがある中、フランスは今のところ各地スタートしている。

 

会場であるチュイルリー公園の雰囲気と、移動遊園地やクリスマス市のスタンドはそれぞれ独特の雰囲気を持ち、その組み合わせが他では見られない魅力である。

名物観覧車、アイススケートリンク、メリーゴーランドなどはまず人目をひくし、ところどころに見られるホットワイン、シャンパーニュ、ラクレット、バーベキュー、サンタグッズのスタンドなどは様々な年齢層を喜ばせる。

 

ただし一つ気になったのはマスクをしている人達があまりにも少なかったことである。

アルザス地方ではストラスブールやコルマールなど混雑が予想されるところが多いので衛生パス提示とマスク着用義務が入場するに当たっての条件と聞いている。

パリでは衛生パスに関しては会場に表示もなかったが、マスクは着用義務になっている。

それにも関わらず、気がつくと半分以下の着用率とは、この先心配である。

 

先日、我が家の近くで年2回恒例の地方生産者直売市が開催され、フランス全国の(主に南西地方辺りが多かったような気がした)生産者達が集まり、新鮮な果物野菜、お惣菜やワインなどのスタンドで賑わっていて毎回必ず行くようにしているのだが、目当てはいつもなんとセヴェンヌの玉ねぎ屋。

ここの小粒で真っ白な玉ねぎは甘くて美味しい。

いつかはたくさん買ってスープやジャムを自分で作りたいと思っている。

とりあえずはここの玉ねぎのベニエ(この場合はかき揚げのようなもの。粉はひよこ豆を使っている)を毎回必ずゲットするのを楽しみにしているので彼らが来なかったときはかなりがっかりした程である。

 

このマルシェ全体も今回はより盛況で、コロナ禍以来は開催しても特に二日目は人も少なかったりしていたのが、下手すると一日目より賑わっていたりしたかもしれない。

しかも今回は天気も良くなかった中、皆遠くから来てくれて常連勢揃いとなって感激も尚更。

今後も益々繁盛してもらいたい。

 

それ以外文化、娯楽系の回復状況はぼちぼちといったところか。

私はあまり最近ではシネマにも行かなくなったが、よく行く友人の話によるとかなり回復してきたそうだ。

美術館は少しずつ。

ルーヴル美術館は結構見学者が増えてきた。

 

あとは年末に向けてクリスマスプレゼント探しに精を出すかといったところだ。

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今のところ一番気になるのは今年話題のデパートである〈サマリテーヌ〉のアドヴァント・カレンダーである。

建物の絵が描かれた洒落た箱を開けると中に日付がランダムに並んでいて、それぞれの日にちを当日開けると中にミニ・コスメティックやアクセサリーが入っていて、日々のささやかなお楽しみといったところだ。

 

これは女性軍用に是非と思ったのだが値段を見て諦めた。

なんと129ユーロ。

無理無理。

去年はクリスマスのプレゼントにロキシタンのアドヴァント・カレンダーをもらってかなり嬉しかったのになあ、でもサマリテーヌ以外でも素敵なのが見つかるかもしれない。

ちょっと探してみよう。

 

とにかくあれこれと考えるのが楽しいのだが去年はこんな気持ち忘れていたような気がする。

また、特に周りの皆の健康、そして自分の健康をも常に考えることが大切なのだなという感情が蘇ってきた。

 

この冬に向けてフランスでは何とか外出制限などしないでやっていくつもりらしいが、同時にまだまだ油断出来ないことが次から次へと予測されている。

この国で暮らすようになって20年以上経ったが、良いところも、何とかしなくてはいけないところも総て含めて、それでも着実に月日は流れていくのだなとしみじみ感じる今日この頃である。

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11.5.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

最近印象に残った展覧会

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2021年10月7日(木曜日)

朝09時頃に凱旋門ふもとに到着。

近くのフリードラン(Friedland)通りからルイ・ヴィトン財団美術館入り口真ん前行のシャトルバスが出ているので

その行列(その時既に15人程が待っていた)に並んだ。

バスはとても小さいのでインターネットでのチケット予約時についでにバスも購入しておかないと乗る時に後回しにされる。

到着してからも悠長に写真など撮っていると、予約は30分おきであるが、例えば10時枠でもざっと30人以上はいるような気がするのでかなり後ろの方になってしまう。

 

何せ会場はとてつもなく広い。

 

列に並んでいると早速〈衛生パス〉のコントロールがやってくる。

そして10時になると荷物検査が始まる。機械に荷物を通すだけである。

 

そんなに厳しくはないと思った。

 

で、中に入ってチケットコントロール。

漠然と広いので、ここで大抵の人はどうしたらよいのか迷ってウロウロしたりする。

 

正解は、〈受付で案内パンフレットを貰って奥に進む〉であるが、これ知らないとやはり多少なりとも迷う。

案内の看板はほとんどないし、最初はエスカレーターで降りて地下から始まると言うのは珍しい。

でも一度流れに入ってしまえばこちらのもの。

あとは日常を忘れて、先ずはフランス印象派と、ロシア前衛派の世界にどっぷり浸かろう。

 

そもそもモロゾフ・コレクションの

〈モロゾフ〉とはお菓子なのか何なのかと大抵の人は疑問を持つであろう。

かくいう私もそうであるから。

実は人の名前である。

ここではロシア人のミカイル(1870-1903)とイワン(1871-1921)の芸術品収集家兄弟の名字である。

この二人がコレクションした19世紀終わりから20世紀初頭にかけての近代芸術品総数600点あまりのうちの200点ほどが展示されているのである。

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どうしても印象派の絵画に目がいってしまう。

いつもあんなに観ているのに…。

でもフランス以外に展示されているものはまた新鮮である。

最初のうちはルノワールやモネが多数並んでいるのであるが、とにかく量も多ければ質も凄い。

そんな中でも先ずは私の入場チケットに印刷されていたルノワールの〈夢見る人〉あるいは〈ジャンヌ・サマリーのポートレート〉とも言う、若い女性がこれからの自分の輝く未来を想像して目をキラキラさせているこの絵を眺めているとこちらまで楽しくなる。

そして色彩、タッチ等ルノワールらしさが嬉しい限り。

 

チケットは栞として大切に使う事に決めた。

 

その後は再びフランス印象派の作品パレードであるが、ときめき度が半端ではない。

モネの作品にしてもヴァラエティに富んでいる。

ああやはり色の美しさだけではなく、モネのテクニックは凄いと改めて考えさせられる。

 

今回マネやドガの作品は比較的少なかったが、印象派以外でもマティスの友人で知られているアルベール・マルケがマティスと同じセーヌ川沿いのアパートに住んだ時に描いた、窓から見えるノートルダム・ド・パリ(大聖堂)の絵などを見つけたときはやはり感激した。

 

展覧会の見学コースはその後エスカレーター或いは階段を上って行くのであった。

印象派の続き、そしてポスト印象派…、とまだまだ展覧会は続く。

 

全体を通して個人的に、いや殆どの訪問者はゴッホが南仏のサン・レミ・ド・プロヴァンスの精神病院にいた時に、心の中で自分と戦いながら中庭の囚人達の輪を見つめているところを描いた作品〈刑務所の中庭〉にかなりの期待をしていたとおもう。

鉄格子のかかった窓から一人ひとりを眺めて考え込んでいるらしいゴッホの胸の内が我々にも伝わってくるようだ。

 

中庭の囚人達は皆覇気がなく、疲れ切った様子。

なかで一人の金髪の男がこちらを見ている。

一人だけ帽子を被っていない。

どうやらゴッホ本人の様だ。

男の視線は冷めきっていて生きる事への希望すら感じられない。

 

ゴッホはギュスターヴ・ドレの作品をかなり忠実に模倣しているが、やはりゴッホ自身の個性あるスタイルは隠せない。

例えばブルーなどの色使いはまさに彼ならのものである。

 

今回この作品のみ個室展示で人数制限つき。

監視員がつきっきりで指示をしている。

見張っているので近づけない。

まるでルーヴル美術館のモナリザの様な扱いだ。

しかしながらこの作品も普段はロシアのプーシキン美術館所蔵なので私にとってはモナリザより遠い存在なのだ。

そう思うからか感動もひとしお。

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セザンヌやピカソも素晴らしかったが、マティスが自分の作品を背景にモロゾフ兄弟の弟の方、イワンのポートレートを描いている作品も印象深い。

今回の展示作品もほとんどがイワンのコレクションということで、彼の重要性がここでまた明らかになる。

 

今回の展覧会は2022年2月22日までなのでこの先日本からはあまり多くの人に来てもらえないであろうが、今のところ期間延長の話は聞こえてこない。

ルイヴィトン財団美術館の企画の中でも豊富な展示で興味深い内容である事は明らかなのでできる限りの絵画ファンに来てもらいたい。

 

10.5.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

エッフェル塔再び

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すべてのパリ市民に愛されているエッフェル塔。

エレベーターを使っててっぺんまで上るのに以前は3時間かかると言われていた。

何せチケット購入の列の待ち時間にかなり無駄な時間を費やしていたから。

今ではインターネットで時間指定の予約が出来る様になったので大部様子が変わってきたけれど、またこの先いつどうなるかわからない。

それ程の人気者なのである。

 

2024年はパリでオリンピックが行われる。

エッフェル塔周辺でも既に様々な競技が行われることが決定している。

実はまだパリが東京の後の開催地と決定する以前から、ここだけの話だけれどここが選手村の候補地で…、とかかなり内輪では盛り上がっていたので他の国が選ばれたら関係者やパリジャン、パリジェンヌ達はかなり落ち込むであろうと心配していた。

 

実際、現在のパリのプロジェクトは凄まじい位と思えるが、オリンピックを華やかに成功させようという意気込みがかなり反映している。

何せ現在のパリ市長は2022年の大統領選挙に立候補し、しかも市長の方も次の選挙まで任務をまっとうすると言うのでこのやる気を見習わなくてはと改めて尊敬し直したくらいである。

2020年春以降フランスへの旅行者がゼロになって以来の、このままではまずいという気持ちから、特にパリ市内のあまりの変貌の様子にやがて皆さん驚くことであろう。

更にオリンピック開催時までに色々と変わるだろうから住んでいる我々さえもびっくり仰天する事がこれからもあるだろうから常に耳を研ぎ澄ませて、またアンテナ張りめぐらせていないと置いてきぼりくってしまうのである。

 

現在は凱旋門周辺がクリストとジャンヌクロードのアーティストカップルの〈包む〉インスタレーションで良くも悪くも何かと話題になっている。

またノートルダム大聖堂も火災の後修復作業で何かと騒がれていたが、つい最近ではもうこの先は懸念されていた崩れ落ちる心配はないであろうと言う。

現大統領は2024年には修復完成させたいと話していたが、果たして今からどのような展開になっていくのであろうか。

 

 

しかしながら2024年の夏の主役はやはりエッフェル塔とその周辺であるだろうと言うのは明らかである。

そうすると1889年に大急ぎで完成した(2年と2ヶ月と5日間!)あの時(世界博覧会)の様にパリ繁栄に役立つ様に頑張ってもらわなくてはいけない。

 

ところが良い物は常に簡単に満場一致で認められる訳ではない。

現にエッフェル塔だって最初は大変だったそうだ。

1887年にさあこれから集中してギュスターヴ・エッフェルの事務所の設計案をもとに今までにパリに、いや世界の何処にもなかったあの不思議な形の鉄の塔を造るぞといった時にル・タン(Le Temps)という新聞紙でこんな記事が掲載された。

それは50人ほどのアーティストによる署名入の抗議の手紙であった。

アーティストとは画家のウィリアム・ブーグロー、作曲家のシャルル・グノー、建築家のシャルル・ガルニエ、作家のアレクサンドル・デュマ・フィス(アレクサンドル・デュマの息子)や作家のギー・ド・モーパッサンなど、物凄い顔ぶれであった。

エッフェル塔の周りにはまるで城のような石造りのオスマニアン建築をはじめとした優雅なスタイルの建物が密集していたのにそこへあの鉄の塊がど~んとそびえ立つのではみっともないと言うのだ。

それに対してギュスターヴ・エッフェル側はエッフェル塔のここでの必要さを有用性(天文、気象、物理観測の研究に役立つ)とエステティック面(鉄を使って今までにない形、色などの開発)の2つの観点から説明した。

結局建設開始の際に20年後には解体するという、言ってみればその場しのぎの契約でエッフェル塔の建設は始まったのである。

それが今ではスターなのだから世の中どう転ぶかは全くわからないものだ。

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かくいう私も、パリに初めて到着してさあこれから色々とまわって行く予定の人は先ずはエッフェル塔に登る事をお勧めする。

スケジュールの都合が合えば、また予約が取れれば絶対上ってみて「あそこがモンマルトルの丘で〜。」などとパリ全体を眺めるのは感動モノだ。

また、その後は是非外からエッフェル塔の写真を撮るのもお勧め。

朝昼晩、晴れの日雨の日雪の日…、また季節によってもそれなりの写真が撮れる。

ありきたりのものはなるべく避けて自分なりの思い出に残る写真を撮りたいものだ。

私のような素人が取り敢えず納得のいくものをアルバムに加えていくにはひと工夫が必要かと思う。

さてその為には情報収集だが、ここで頼りになるのはやはりパリのドライバーの皆さん。

頻繁に新婚さんのパリ市内観光のお供をしているので皆よく知っている事!

ここで超穴場中の穴場はお教え出来ないが、例えば普通エッフェル塔の写真撮影と言えば今までは大抵トロカデロの広場かセーヌ川を渡ったその反対側のシャン・ド・マルス公園から撮影していた。

しかしながらこの辺りはオリンピックの関係ですでに大分いじられている。

「ああ私の新婚旅行の思い出のエッフェル塔撮影場所が。」などと嘆き悲しまないで。

貴方の写真はこれでもう他の、これからパリに来る人達に真似されることが無い訳だから。

 

いずれにしてもこの辺りはあと数年で大変身するのだからなる様にしかならない。

もう少し待たないとまだまだどうなるのか読めないゾーンである。

セーヌ川沿いはオリンピックの際はビーチバレー競技の会場になどという話しを聞いたりもした。

2024年をワクワクしながら、また少し複雑な気持ちだったりもする。

そう言えば7年毎に塗り替えている塔自体の色も2024年には今までと違った色にするらしい。

また大揉めになるかもしれない。

 

 

最後に先程述べたドライバーお勧めのエッフェル塔写真スポットのうちから2つだけ、

一つはメトロのビル・アケム駅すぐ近くの橋の中央のジャンヌ・ダルクの騎馬像のところからエッフェル塔を写すとどれだけ美しいか。

また、もう一つはアレクサンドル3世橋から。

こちらは被写体に橋の端の階段の真ん中辺りに立ってもらっても良いかと思う。

これどちらもセーヌ川を構図の中に入れることもできるので良き思い出の写真が出来る事請け合い。

今回はこの2つのスポットの写真を添えるので良かったらご参考までに。

 

9.5.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

夏のアペリティフ

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「暑い夏はやっぱり生ビールだよね。」とか、「赤ワインはステーキとか煮込みと合うよねー。

じゃあ冬に飲んだほうがいいかなあ。」とか更には「和食にはやはり日本酒でないと。」「いや、白ワインもいいよ。」などという声をよく耳にする。

 

たしかにどれも正しい。

しかしながら料理とドリンクのマリアージュはその時々、場合によると言うのがもっと食事を楽しめるコツではないかと強く思う。

 

それは別に何でもいいと言うのとはまた違う。

色々と考えて、試してみて始めてわかることではないか。

お酒は広く飲んで楽しまなくては。

でも季節やどんな機会かは決め手になると思うので今回は夏のアペリティフについてあれこれと話してみたい。

 

夏になるとフランスの一日はとても長くなる。

一時的には夜の22時半頃まで明るい。

フランスでは残業をしないので(したところで手当がつかないので残業サーヴィスなんてしない。)職種にもよるけれど普通17時とか18時には仕事が終わる。

さあそうすると仕事仲間、友人、家族同士でアペリティフ(食前酒)を楽しむのだ(もちろん一人でもよし)。

 

勿論冬もそうだけどやはりまだまだ外の明るい(フランスの夏は最高22時30分頃まで明るい)夏にテラスで一杯やりながらお喋りに花を咲かせるのが最高で、もちろんコーヒーとかジュースでも良いし、子供たちも参加出来る。

その場合はここぞとばかりにスナック菓子をもってきたり、ミニ・ヴィエノワズリー(ミニクロワッサンとかミニパン・オ・ショコラなど)をつまんだり、ただ気をつけなくてはいけないのはそこで食べすぎて晩ごはんが胃に入らなくなる恐れがあること。

 

もともとフランスではディナータイムは20時過ぎなのでその前にちょいといっぱいやりながら、むしろお喋りで食欲をわかせて夕食のやる気を起こす習慣なのでこの段階でお腹いっぱいになったら意味が無いのである。

 

しかしながら子供達の「わーいアペロ。」なんて嬉しそうな顔をみてしまうと…。

「はいここまで。」と言いづらくなってしまう。

 

仕事帰りや学生街ではカフェが当然賑わう。

フランスでも〈ハッピーアワー〉を実施しているところは多いので私も学生時代はよく友人とハッピーアワー5分前にカフェに駆け込んで開始時間ピッタリにオーダーしたものであった。

ちゃんとサーヴィスのスタッフに確認するのである。

 

大抵がドリンク50%引きとかであるが、ハッピーアワーでなくともアルコールドリンクを注文するとポテトチップスやポップコーンがついてくるところが結構ある。

ドライソーセージがついてくるなんて気前のよいところもあるのだが、これは出てきてのお楽しみだ。

勿論大抵は何もついてこないので期待はしないけれど。

 

以前バルセロナに行った時のタパスには降参した。

友人を訪ねて行ったのだが、スペインはフランスよりさらにディナータイムが遅めなので、当然食事前にサングリアやビールを飲みながらトルティージャとかパン・コン・トマテ、更にはパタタス・ブラヴァスなどと言うボリューム満点だけど考えてみれば素材はシンプルで作るのも簡単なタパスを何回も食べに行ったっけ。

皆よく食べてよく喋っては笑っていた。

だからバルセロナでは皆明るくて元気だったのかと思った。

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さて話はフランスに戻って、ではどんなものをよく飲むのかというと圧倒的にビールが多い。

ワインもよく見るが、カジュアル価格が多いと思う。

日本にいたときの方が高価なものを飲んでいたと思う。

こちらでは特に地方に行くと〈ポルトゥーヴェルト(porte ouverte)〉と言って普段では直売しない様なワイン生産者が例えば週末限定で年に2回位一日中ヴィジターを迎えてくれる。

要するに一般公開のことでティスティングしたり、カーヴを見学させてくれたりして大抵は皆車でやって来てケース買いしていく。

 

これが意外に楽しい。

 

例えば南西地方ボルドーから河を渡って右岸のあの〈ペトリュス〉で有名なポムロール村なんかもそのポルトゥーヴェルトをやったりするのだから、もちろんペトリュスの一般公開は絶対ありえなくても、ご近所さんが門を開けてくれるのはあり得る。

小さな村なので同じ気候で土壌も近かったりする…、ワクワクするのは当然。

 

話は戻るが、フランスワインはその様にして楽しむことが出来るのだ。

ボルドーに住んでいた時でさえ知り合いのネゴシアン(ワイン商、卸売業者)の事務所にお邪魔したときや、仕事で、或いはプライヴェートでシャトー(ワイン生産者)を訪問した時を除いて高価な、希少なワインを飲む機会は意外と少なかった。

 

日本のレストランでも「お食事前にシャンパーニュなどはいかがでしょうか。」などと勧められることがあると思うが、フランス一般家庭において日常に飲むことはそんなにない。

オペラ座で開幕前あるいは休憩の時(結構20分くらいあって時間に余裕はある)にシャンパーニュを飲む人もいるが、シャンパーニュはアペリティフというイメージが強いのだが、実はいつ飲んでも良い。

値段もピンキリだし、メインディッシュの時にでも、またデザートにも良いと言われる。

食事のひと時を華やかに演出するスグレモノである。

 

また、シャンパーニュはフランスのシャンパーニュ地方のものを指すわけであるが、シャンパーニュ地方の南の方のコート・デ・バール(Cōte des Bar)にはあまり知られていないがお値段抑えめで美味しいシャンパーニュがたくさんある。

さらにはシャンパーニュ地方で作られていないから別の名がついているスパークリングワインもある。

フランスだったらクレマン(Crémant)とか。

あちらこちらでつくられていてクレマン・ダルザス(d'Alsace)とかクレマン・ドゥ・ボルドー(Bordeaux)とか…。

夏の仕事の後や何か嬉しいことがあった時、また逆に嫌なことを忘れたいとき、疲れを吹き飛ばしたいときなどなどに最高である。

 

以前ボルドーに住んでいた時に何故かパスティスをよく飲んでいた友人が多かった。

私はシュズに一時的にはまったけれど。

どちらもフランスのリキュールであるが、それぞれ独特な味わいである。

ボルドー産アペリティフ、リレ(Lillet)は今や日本でもよく見かけると思うので目に止まったら気軽にお試しいただきたい。

また、昔はよくキール(少量のカシスのリキュールに白ワインを注いだもの)を飲んだのも良い思い出。

 

ビールベースの〈モナコ〉や〈パナシェ〉もたまには良いし。

またここ数年ではイタリアから来たアペロールとプロセッコ中心の〈スピリッツ〉が流行っていた。

それ以前は〈モヒート〉なども…、と数え挙げればきりがない。

良いものはどんどん取り入れていこうという感じである。

 

まだまだアペリティフの楽しみ方は数限りない。

しかしあくまでも文字通りディナーの前のお喋りに軽く酒をともなってというだけであって本来夜の主役ではないのだけれどね。

 

今年はあまりパリには暑い夏がなかったが、9月になってもテラスで…、いや庭でも何処でもアペリティフを楽しむ人々の笑い声をもっとたくさん聞いて皆元気で健康維持したいものだ。

 

8.2.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

パリのバーゲン大作戦

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フランスのバーゲンセールは基本的に年2回、夏と冬にある。

 

今年、2021年夏のバーゲンは只今真っ最中であるが、例年に比べて活気は今ひとつ。

それはこの状況からして致し方ない事ではあるが、バーゲンというとちょっとしたお祭り騒ぎ気分も味わえるので、自分にとっても街の雰囲気づくりにしても大切なんだなと今回痛感した。

 

本来なら6月23日に始まったはずなのに今年は一週間遅れで6月30日が初日であった。

 

個人的に毎年バーゲンの時には緻密な計画を立て初日を迎えるという習慣がある。年行事の一部とも言える。

 

先ずはガイドという職業柄、靴がすぐに傷んでしまうので、初日の一週間前からデパートや馴染みの靴屋を探して試しに履いてみて一足選んでおくのである。

 

給料は毎月バラツキがあるので、リッチな時はちょっといい靴を買うか、もう一足買うかであるが、一番投資するのは毎回やはり洋服よりも靴である。

 

フランスに来て驚いたのは意外と皆洋服にお金をかけない。

とくに女性は例えば結婚式に招待された時でもドレスよりむしろアクセサリー、帽子、バッグや靴などのコーディネートでキメるのである。

あらあの人素敵〜と思ったらドレスは例えば50ユーロ以下だったりする。

着こなしのセンスがどれだけこの国では重要か思い知らされる。

 

2つ目にチェックしておくのは化粧品、特に香水である。

話しはズレるが、フランスの香水文化について少しだけ話そう。

ちなみにフランス人は湯舟につからない。

シャワーを長く浴びる人が多いと思う。

昔○○王が一生のうちに数える程しかお風呂に入らなかったとかという話もよく聞く。

香水は体臭を隠すために、と言うよりその人の体臭とミックスさせてオリジナルな香りを生み出す為のものであると聞いたことがある。

 

 

さて、話しをバーゲンに戻そう。

 

バーゲンの良いところは普段手の出ない高価なものがたとえ20%でも割り引きになるところだ。

また、通常入りにくいところでも<soldes>の札を見ると気軽に入れる。

 

フランスのバーゲンには細かく決まりがあり、それを売手側が守らないと罰金問題まで発展する事もあるらしい。

 

バーゲンの開始日の他に期間も定められていて、2020年1月1日より、4週間となった。

それまではもう少し長かったと思う。

 

初日より少なくとも一ヶ月前からバーゲンとして売り出す品を決めておかなくてはいけなくて、またバーゲン対象かそうでないかの表示を明らかにしておく事。

さらにはバーゲン品にしようと思っている品の値段をバーゲン前に上げてはいけない。

などなどである。

 

結構決まりは細かいのである。

 

今年は初日は多くの店が50%引き(よく見ると小さい文字で<最大>と加えてある)から始めていたようだ。

2週目以降はそれに割り引き率が追加され、60. 70%...、最後の週はほぼ叩き売り状態になる。

 

ただし後半になると、もうサイズが大きいものばかりになってしまうので、本当に欲しい物は早くから目をつけておかないと無駄になってしまう。

こちらは36が標準だけど日本人のちよっと小柄でスマートな人は34位が丁度良いと思う。

でも毎回最後に残るのは44とか46なんていうビッグサイズばかり。

 

あと私はmonoprixというスーパーのパジャマや下着が好きである。

下手な専門店のものより作りがしっかりしていると思うのだけど。

ただし素敵なパジャマは滅多に値引きされない。

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また、お菓子などの食料品をゲットするのも楽しい。

スーパーマーケット等でよく見るようになったのは、2個買うとその2個めは50%引きという作戦である。

どういう事かというと、例えば一箱3ユーロのビスケットを2箱買うと4.5ユーロになって一箱あたり2,25ユーロになる。

好きなビスケットだったらお買い得だけど、そうでもなかったら食べきれなくてかえって有難迷惑になる。

 

私はこのやり方にあまり感謝したことがない。

それよりダイレクトに30%引きとかにしてくれた方が嬉しいのである。

 

また、これはいつも恩恵に預かれるものではないのだが高級食料品などもこまめにチェックしておくと良いこともある。

私の例で「ヤッター」と思ったのは、クスミティーという紅茶のブランドのセットがmonoprixでとても安く売られていた事があって、その時は最後の一箱だったが、その後安売りには巡り合っていないのでラッキーだったなと、またボン・マルシェというデパートの食品館でメール(Méert)と言う名の店のゴーフルのヴァニラ・クリームのミニ・サイズが確か一箱1ユーロで売っていたのでこれはたくさん買った。

このゴーフルは日本でも結構好きな人がいるかと思うが、中にクリームが挟んであるので見かけよりあまり日持ちしない。

 

私の場合はすぐに消費してしまったので全く問題なしであった。

 

最後に、最近の傾向としてブライヴェートセールが増えてきたなと思う事。

例えば私はギャラリー・ラファイエットやボン・マルシェのカードを持っているので毎年2回のバーゲン本番前に割り引きを受けられる特典がある。

このカードはフランス居住者なら作れるもので、内容は様々だが、ポイントが貯まってレヴェルが上がっていくにつれて特典も増えていくところもある。

しかしながら場所によってはかなり敷居が高いので(たくさん、あるいは高価な買い物しないと何の意味もないので)実際選ばれた客だけのものかなという気がする。

 

さらに最近はインターネットでの購入も広まり、デパートでも例えばギャラリー・ラファイエットでは最初50%引きから始まると述べたが、インターネットだと60%引きになる。

これは2週目になってもずっと60%のまま、それに対して現場までいくと70から80%引きまでどんどん値は下り、最後は叩き売りという仕組みになる。

これは良いアィディアだと思った。

最初はオンラインで良いものを60%引きで購入して、終わる頃に掘り出し物を漁りまくるのだ。

 

ただし、私個人的にはバーゲンはその場にいってワイワイとやるのが楽しみなのでオンラインは少し淋しい気もする。

いずれにせよ、その人なりのやり方で楽しめば良い。

ちょっとしたコツを習得すればこんな役立つものはない。

 

7.2.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

パリでマルシェを楽しむなら

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フランスに来て一番初めに住んだのはリヨン市で6ヶ月間。

もう20年以上前の事であるが、その時はグルメの話題に主に興味を持っていた。

 

レストラン、近辺のワイナリー巡りも良かったが、日曜日には語学学校のクラスメート達が学校主催の遠足に参加する代わりに私は川沿いのマルシェで買い物をして、大師匠のポール・ボキューズ(もうお亡くなりになってしまったが、フランス料理界を代表するグラン・シェフで特にリヨンと言えば、この名を知らないとモグリである)の料理の本を片手にその中で出来そうなものを作っていた。

そう言えば今ではリヨンには〈マルシェ・ポール・ボキューズ〉という屋内市場があって、地元の質の良い食料品を販売しているのでお勧めである。

 

今はワンパターン料理しかしなくなった私ではあるが、その時は美味しいものを作る事に夢中になっていた。

勿論マルシェでお惣菜を買って味見も欠かさなかったけど。

 

そんな理由からマルシェは私のフランス生活の基本になっていたので、今回はマルシェについて少し話させていただこうかと思う。

現在はパリの端っこに住んでいるのだが地方のマルシェも大好きで、リヨンのマルシェに加えて具体的に例を出すと、2年位前にブルターニュ地方のモルレ(Morlaix)に行った時に偶然朝市にあたり、そこには大きな蟹がわんさと並んでいて驚いたこともあるし、ボルドーに住んでいた時は毎週日曜日には河沿いのマルシェに行き、そこの中央にビュヴェットというワインなどが飲めるカウンター(ただしそういうところでグラン・ヴァン等期待するのは大間違い)があって、まわりの生牡蠣(アルカションの牡蠣は有名)スタンドでテイクアウトして合わせても良いし、そのままワインだけ立呑して友達づくり(その場合オジさんしかいない)も出来る。

 

地方を旅行する時にマルシェの開催日に合わせて計画を立てることもある位私はフランスでのマルシェの存在を高く評価している。

 

とは言っても、それはそれで話し出すときりがないので、今回はパリを中心に触れてみようと思う。

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パリのマルシェと言っても様々である。先ずは

①ー それぞれの地区でおよそ週2回開かれる食料品や衣料、日用雑貨をスタンド形式で販売する屋外マルシェ

②ー 古本市、がらくた市、BIO専門市など週1、年1あるいは2回行われる市場

と2種類に分かれると思う。

そのうち旅行者、大抵の場合フランス短期滞在者が訪れる機会があるのは紛れもなく①である。

同じ①でも内容はだいたい2つに分かれると思う。

一つは場所的にいわゆる観光スポット周辺、要するにエッフェル塔近くなどにあり、値段も断然高いが売られているものには高級食料品やオシャレグッズなどもあり、土産になりそうな物もあったりする。

例を挙げればイエナ地区で水曜日と土曜日の午前中に行われるマルシェなんかまさにそう。

普通に野菜、果物なども売っていて形も整っていて味も鮮度もよい。

はちみつ、洋服、雑貨、お菓子などは土産にも良さそう。

以前ここのトリュフ屋でトリュフクリームを買ってパスタソースを作ったら美味しく出来た。

たまたま都合が合って、ちょっと覗いてみようかなという場合はこういうマルシェがお勧め。

 

去年15区のグルネルのマルシェから徒歩2分のところに引っ越して来た友人は、以前住んでいた郊外のイッシー・レ・ムリノーのマルシェに比べて値段が高いと言って嘆いていた。

でも私は先日偶然そこで見つけたスカーフがずっとお気に入りである。

ここは水曜日と日曜日のみ開催される。

 

屋内のマルシェ以外は皆週2回開催されるのでスケジュールを頭に入れておくと便利だ。

私の家の近くでも毎週火曜日と金曜日にマルシェが出る。

地元の住人気分を味わって見たい人にはこちらが良い。

平均して値段は安く、食料品中心で、特にロティスリーが比較的多く出店しているので価格と質を考慮して自分の家計に合わせて選べるところが気に入っている。

 

例えばうちの向かいの肉屋のローストチキンは量り売りなので、とても美味しいとわかっていても鶏もも一本が一度なんか9ユーロしたことがあった。

フェルミエ(農家の自家製とでも言うか)だからしかたないが、せこいようだがマルシェの行きつけのロティスリーは一本2.30ユーロなので、しかもフェルミエでさえそこでは3ユーロで買えるので、最近ではマルシェでついつい買ってしまう。

 

ここのマルシェは道路を挟んでスタンドが2列になっている。

ロティスリーはなぜか片側に集中している。

そちらの方に惣菜やチーズ、魚屋が数軒。

野菜やフルーツもBIOのものが集中している。

惣菜はラタトゥイユやパエリア、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)などで、特に先日ロティスリーが作っているパエリアを買ってみたけどムール貝や海老の具もフレッシュで、フランスに未だにありがちな米に火が通り過ぎでクタクタにということもなく、アルデンテで美味しかった。

 

道路を挟んでもう片一方は何があるかというと、半分は衣類、日用雑貨で残り半分は野菜フルーツと、一軒だけ魚屋がある。

こちら側の野菜フルーツは皆安い。

同じマルシェでも反対側の列とかなり違う。

例えば今のシーズンスイカがたくさん出てきたが、反対側では1kg2ユーロ以上するが、こちらでは同じ1kgでも1ユーロから1.5ユーロである。

特にモロッコ産が安くて甘い。

ただし以前はよく見ていないと結構おつりが間違っていたり(多くもらったことは一度もなく、その反対である)油断出来ない場合が結構あった。

要するに人を見ているのである。

私も最初は「あれっ?」と思うことがあったが、今では面が割れて地元の住民とわかっているのでごまかされたりはしなくなった。

反対におまけしてくれることが多くなった。

 

全体的に店によっては油断は出来ない。

例えばこれって言ってないのに袋に入れられそうになったりした事もあった。

でもこれはちゃんと見ていない自分が悪いのである。

貰ったお釣りも確認しないといけないのは当然。

たまにあるのはユーロになる前のどこかの国のコインが混ざっていることがあり、あとから気づいても手遅れと言う事も。

 

今では段々スーパーマーケットも自動レジが増えてきたのでそのような心配も少くなってきたが、逆にマルシェではぼんやりしないことと(たとえ高級住宅地でのマルシェにだってスリは出没する)、販売する人とのやり取りを円滑にするコミュニケーションを学ぶこともできると割り切る事が必要である。

 

マルシェには他では経験できない事が多々あるので、このままいつまでも存在し続けて欲しい。

去年の春のロックダウンの時に突然マルシェ禁止されて、勿論マルシェのせいだけではなかったけれど、街中死んだようになった事は一生忘れないだろう。

 

6.2.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

マドモワゼルと呼ばないで

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これはフランスで暮らし始める前からしばしば考えていた事だけれど、フランス人と上手くやっていけるかどうか全く自信がなかったのである。

 

私はフランスが好きでやって来たわけであるが人間社会で問題なく溶け込んでいけるかは不安の塊であった。

ここでは私は一人、自分の事は自分で何とか解決しなくてはいけない。

ここでは人前で自分の意見が言えないと相手にされないとよく言われたものだ。

これは強くならなければと常に思っていた。

 

と言いながらも何とかなるさといつもの事ながら呑気に構えていたところも多々あった事は確かであったけれど。

 

フランスの文化や社会、考え方などで前々から気になっていて納得いかないけれど仕方ないと思うことがたくさんあるのでその内ほんの一部を挙げてみる。

 

最初に、フランス語には男女の区別が意外と多く存在することなのだが、例えば日本語だったら「〜さん」といっただけでは男女の区別は出来ない。 

ところがフランス語では<ムッシュー>というと男性のことであり、年齢に関係なく使う。

女性の場合は少し複雑で、基本的に結婚前の女性には<マドモワゼル>で既婚者には<マダム>と使い分ける。

ところがこれが曲者で、たとえ未婚でもある程度の年齢の女性に<マドモワゼル>と声をかけるのは失礼にあたるそうなのだ。

これは例えば30歳以上の女性に「お嬢ちゃん」と言っているようなものなのである。

 

この使い分けはややっこしい。

行政上の書類等では例えば50歳でも未婚の女性には宛名のところに<マドモワゼル>がつく事があるし、名前の前に<ムッシュー>あるいは<マダム>のどちらかしか選択出来ない場合もある。

 

<マドモワゼル>は何かを決定する権利が無いとみなされてしまうのか?

社会に存在していないと言いたいのか?

 

 

その他、日常生活においてフランスで「おや?」と思ったのは大型車の女性ドライバーが多い事。

市営バスだってかなりの確率である。

また、女性警察官も多い。

ただしこれは慣れてくると段々不自然さを感じなくなってきた。

何かトラブった時に「責任者を呼んで」というと日本だって女性が出てくることが多くなった今日この頃とはいえ、特に体力仕事でこれだけ女性が活躍する事はないのにと呆気に取られたものであったが同時に彼女達がキラキラと輝いて見えることもあった。

 

さて、ここで私の数少ないフランスでの友人(勿論皆素晴しい魅力の持ち主)の中でひときわ輝いているなあと思う女性を紹介しよう。

 

****

 

彼女の名はコリンヌ。

私が一番凄いなあと思うところはとにかく一見は優しくて明るいが、芯が強いこと。

何か困った事があっても決して逃げない。

 

出会いはクラシックバレエのクラス。

2人ともバレエと言うには年を取り過ぎていた。

しかしながらコリンヌは子供の頃からやっていたので長いブランクがあってもなんなく続ける事ができている。

私は無理をし過ぎてあちこち痛め、現在は大人しくしている。

 

コリンヌは肩まである綺麗なブロンドをクルクルパーマしている。

女優出身で現在はアートセラピスト。

具体的にはアート、演劇、ダンス、また簡単なストレッチのクラスを担当したりして患者さんを診察する。

仕事に凄くやり甲斐を感じているのが傍で見ていてもよくわかる。

 

すぐに仲良くなって、バレエクラスの終わったあとは一緒にメトロの最寄りの駅まで喋りながら帰るようになったし、コンサートや講演会など誘いあって行くようになった。

彼女は仕事柄特に<アウトサイダー・アート>に興味があり、やはりこちらも全然興味のない人と行くより面白かったので丁度よかった。

 

一度遠出してとある心理学研究者の講座まで2人で行った事がある。

私は個人的には内容は何とかわかったものの自分の意見を述べるところまで及ばなかった。

私だけでなく、殆どの参加者が完全に聞き手に徹していた。

ところがコリンヌは違った。

自分の意見を私達にもわかりやすく皆の前で(しかも笑顔で)述べたのだ。「流石!」といつも通り感心。

 

しかし研究者は彼女の意見を頭から否定し、聞く耳持たずという感じであった。

第3者の私でさえ明らかにその研究者の許容量の狭さを感じ取った程である。

もし相手が彼女でなくて普通の男性だったらどうであったか?

その時の会場は殆ど女性しかいなかった。

最後まで一方的に彼のペースで進み、まるでコリンヌは余計者扱いと見れた。

 

ガッカリした様子であったし、帰り道は流石に2人でガーガー言いながらも何故研究者は彼女のことを全く相手にしなかったのか最後までわからなかった。

私達が若く見えたのか?マドモワゼルに思えたのか?

 

勿論私達2人の間にも言い争いはあったし、今だって最低月一回位はお茶をして情報交換をするが、その時でさえお互い言いたい放題大声で話す事もある。

 

特にコロナ禍のせいで一年以上一緒にお茶も出来なかったが、彼女のほうから週末にはメッサージをくれたりして、今ではお互い近況を確かめあっている。

 

フランスも状況が良くなりつつ、そろそろご無沙汰の友人達とぼちぼち約束をし始めてカフェのテラスで一杯が楽しみである。

 

勿論コリンヌとも。

 

私達2人とも行政上はマドモワゼルであるが外見も中身も立派な独立したマダムである。

 

5.2.2021

DAYS /  Yoko Kaise Column

最大の喜び

親愛なるマダム・セーヌへ

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フランスに住みだしてかれこれ20年以上、パリ12区の現在の場所に住み始めて早くも6年経った。

基本的には普通の生活を送っているが、ガイドという仕事は不規則で、しかも常に気を引き締めていないといけなく、またパリという街自体がある種の緊張感の漂う場所であることは改めて言うまでもない。

 

2003年まではボルドーに住んでいた。ほんの5年間ではあったが、また、パリに比べればのんびりしていたが、それなりに生活は充実していた。

友達はスポーツクラブに通っていた時に知り合った人が多く、そのうち数人とは今でも時々やり取りをしている。

 

ボルドーでは日本に住んでいた時は殆んど行ったことのなかった海によく行くようになった。

ガイドブックを見て一度行ったラカノーの海に心惹かれるものがあり、また自分にとても合っていると感じたからである。

 

週末は一人の時は早朝バスで一時間かけてラカノーの砂浜で午前中いっぱいゆっくりと読書したり、海をぼんやりと眺めたり、時にはうとうとと半分寝てしまったり、必ず最後に散歩をするのも楽しみであった。

ラカノーは小さな町で、中心部にレストラン、カフェ、ミニスーパーと後は土産物屋が数軒あるだけだったけれどそれらをひやかすのも楽しく、また地元の人達と会話をする事もあったが、当時私はよく日焼けしていたので「サワディカー」と声をかけられた。

 

友人達と出かける時は大抵車だったので、それも楽しかった。早起きしなくて済んだし、サンドウィッチやフルーツを持ってピクニック気分で最高だったし、時には頑張ってカリフォルニアロールを作って持っていく事もあった。

浜辺で食べると実際よりとっても美味しく感じた。

 

パリに引っ越してからは生活的には 安定して忙しかったけれど海はなかった。

パリ・プラージュというタイトルで、セーヌ川沿いの一部を砂浜のようにし、デッキ・チェアやドリンク・スタンド等が用意されていて、仕事の都合などでシーズンの間パリ残留を余儀なくされる人達にもヴァケーションの雰囲気を楽しんでもらおうというアイディアのものもあった。

私は南のモンペリエの観光局で一ヶ月の研修をした事もあり、その時思う存分パラヴァスやグランド・モット等、さらにはもっとスペインよりのコリウールの海(アーティストにも愛された町で、私個人的にもお気に入りでオススメ)をすでに満喫していたのでパリ・プラージュでは物足りない。

それが私のパリ生活での最大の不満であった。

「ヴァケーション気分を味わうにはパリを脱出するしかないのかなあ。」と真剣に考え始めた。

 

 それでも段々と私のパリ生活は様々な発見のおかげで、特にセーヌ川の存在を利用して、遠くまでいかなくても、あまりお金を使わなくても休暇気分を味わえる様に改善されていった。

ストレスもたまり始め、とにかく無理をしないで生活をもう少し楽しむことを考えなくてはいけないと気づき始めた矢先であった。

 

まずは市営プール再発見、パリ市内には39ヶ所ほどあるのだが、それまで行ったところはイマイチ楽しめる感じではなかった。

皆むしろ真剣に泳ぐといった感じ。

ところがセーヌ川に浮かんでいる<ジョゼフィーヌ・ベッカー>という名のプールはガラス張り部分の多い船で、また天井がオープンする時はサンサンと輝く太陽の光を直接浴びながら泳いだり、デッキに出て日光浴したりと、これならボルドー時代の海気分で、しかも自宅から10分内で着ける。

サウナ、ハマム、ジャクジーもあってアクアジム、フィットネスクラブもあるが市営なので料金もかなり安い。

申し訳ないが多少のお金でこんなに楽しめるのなら無料のパリ・プラージュよりも使える。

 

また、その近くには学生食堂の船があって、まだ利用した事はないが、セーヌ川眺めながらの食事なんて、それだけでもサーヴィス料払うのに値すると思う。

 

パリというところは高いお金で贅沢しても良いし、また少々の予算で自分なりの最高の時を過ごす事も可能であると言い切れる。

特にセーヌ川は立って見ているだけでも良いので、是非その素晴らしさに一度は触れて欲しい。

 

 更に違う楽しみ方も思い出した。

ブキニストという、川沿いに深緑のボックスのスタンドを利用して古本を売る人達がいるが、これは昔からあるパリ名物のうちの一つである。

今でも数はかなり少なくなったもののセーヌ川を背景にしてパリならの雰囲気をさらに盛り上げるならこれだ。

販売されているのはおおかた古本、ポスター、ポストカードなどで、そぞろ歩きしながらお気に入りを探すというのもいいのではないか。

 

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コロナ感染予防対策でフランスが去年の春に一度目のロックダウンを課せられた時は今思えば非常に辛く、近所の公園さえも閉鎖されてしまった時は絶望感の塊であった。

しかしながら、私の場合はギリギリでセーヌ川が見えるところが家から1kmだったのでどれだけ救われたことか。

連日見に行っても飽きなかった。

 

また、これは友人から聞いた話しだが、ロックダウン中のある日セーヌ川のほとりのベンチに腰掛けて一杯のシャンパーニュを飲んでいた中年の男性を見たと。

彼は時間を気にしながらも、それでも景色を楽しんでいた様子で、やはりパリジャンにとってセーヌ川はかけがえの無い存在なのであろう。

シャンパーニュというところがまたフランス人らしいなと思った。

 

セーヌ川の水源はブルゴーニュ地方。

パリを横断して、最後はノルマンディー地方のル・アヴルと言う港町で海に注いでいる。

フランスで3番目に長い。

そんな偉大なるセーヌ川だが私にとっても今やなくてはならない家族の様な存在なのである。

親しみやすくて頼りがいのある、これからもお世話にならなくては。