


海瀬葉子
Official French Government Guide
1998年よりフランス在住。
リヨンやボルドーにも滞在経験があるが、現在はパリで通訳ガイドとして働いており、ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿等案内、解説を中心に、
更にはワイン、ガストロノミーが得意分野で、各地を巡るツアーも常に企画中。
9.5.2022
DAYS / Yoko Kaise Column
最大の喜び
パリだと思ったらジャングルだった

2022年8月13日土曜日。
今日も暑かった。
8月に入ってから毎土曜日は近所の、と言っても徒歩15分位かかるところを更に写真撮るために花を探しながらタラタラと歩く。
今年は猛暑のせいで乾燥が酷く、私の肌も、そして街中の花や木も辛そうだ。
歩く途中の道の至るところに水飲み場があるのだが、結構人が並んでいたりするので使い辛い。
いつもよりジョギングする人も少ないみたいで、しかも多くの人が辛そうな息をして私を追い抜いていく。
そこまでしてやらなくてもいいではないかと思うのだが、一度やめたら再開するのって結構大変なのもわかる。
そんな私も帰りはバスに乗ろうかなと考えだした。
この日も最高34℃まで気温が上がるらしいし、またこの数字は日陰温度であって、日向はもっと暑いのだ。
ここのところ数日こんな日が続いたので頻繁に救急車のサイレンを聞いた。
こんな時は扇風機などあまり役に立たない。
先日友人とポンピドゥー・センターで待ち合わせた時、深く考えずに館内にしてもらったことはラッキーであった。
座り心地の良い椅子が空いていたので一時間くらい冷房が効いたところで作業もはかどった。
やれやれ、救われた。
なにかのニュースで2050年には50℃まで気温が上がる可能性がある、と。
冗談でしょ?
まだコロナ問題が終わっていないのに。
もうまた次の問題が?
いや、気温上昇の話は今始まったわけではない。
とにかく問題のない世の中なんて考えられなくなってきた今日この頃、何とかしなくてはと皆取り敢えず、ない知恵を絞っている。

そこでパリに関してはいくつか気がついたことがある。
それは同時に起こったというより段階的にそして熊のぬいぐるみ以外は誰がイニシアティブをとったのか知られていない。
熊のぬいぐるみに関してはその名を<コブランの熊ちゃん>という呼び名がついている。
ゴブラン(Goblin)とはパリ13区にある地域名である。
そこにある書店の主人が最初に発案したのでその名がついた。
その頃はコロナ禍が原因で地域の住民も、また商店も丁度一番辛いときであったので話題になった。
まずはカフェやレストランで各テーブルや椅子の感覚を空けるために大きな熊のぬいぐるみを座らせて客同士が近づかないように工夫した。
やがて飲食店クローズ、あるいはテイクアウトのみの制限が課せられた際には店内にいくつかのぬいぐるみをおいて、ディスプレイ兼客へのメッセージの為に役立てた。
確かに当時は飲食関係で働いている人は勿論、すべての人がレストランに行けないイコール友達や好きな人と楽しく食事ができない、朝のカフェなど一日の大切なルーティンを奪われてしまったなど、絶望の底に落ち込んでいたときなので、熊ちゃんの存在は大きかった。
しかしながら再び飲食店再開の時に熊ちゃん達が受けた扱いは腑に落ちないものがあった。
パリから突然熊ちゃん達が消えたのだ。
いや、おそらくどこかにしまわれていたのだと思うが、あんなに世話になっておきながら、急に手のひらを返すように飲食店オープン許可とともに熊ちゃん達の姿を見なくなった。
まるで熊ちゃん達が諸悪の根源であるかのように。



その代わりと言っては何だが、パリのカフェやレストランで不思議なものを見るようになった。
それは建物の屋根のひさしのところに飾られ出したもじゃもじゃの花である。
一番最初にそれを見たのはインターネットでのニュース記事であったが、あっという間にその情報は広がり、特に注目されたレストランの前は待ち行列が出来るようになった。
そこに食事に行ったという友人は感激して色々と話してくれた。
料理は一般的なカフェ料理であったらしいが、滝のように流れる花飾りに、かなり興奮していた。
そこで私もわざわざ写真を撮りにそこまで足を運んだのであるが、やはりそういったヒマ人モノ好きは他にも沢山いて、店の中も満員だったし、外にもずらりと特に私以外若い女の子達が並んで写真撮影に夢中になっていた。
その話を聞いて、中にはそんなところに行って密の中で感染に巻き込まれたらどうするのかと当時は批判的な人も多かったが、特に私個人的には趣味に合うかどうかは別にして、盛り上がりたいという気持ちが強かったことは否めない。
もじゃもじゃ花飾りはどんどん街中の飲食店、あとは一部の花屋等に広がっていった。
最初のうちは喜んで写真を撮りまくっていた私であったが、徐々に飽きてきた。
それでも街の至るところでお目にかかるようになってきた。
一体これは誰が最初に考えたのであろうか?
ゴブランの熊ちゃんのようなミニストーリーがあったのだろうか?
何か残された記録などは無いものであろうかと思い、調べてみた。
あるある。
しかも大収穫。
それは凱旋門近くの花屋、というよりフラワー・アーティストの存在発見という思いがけない出来事に繋がった。
アーティストの名はリュック・デシャン、パリ17区の<フルーリスト・デシャン>がどうも私の言うもじゃもじゃの発案者らしい。
リュック・デシャンは独学でフラワー・アレンジメントを学び、もじゃもじゃの他にも<帽子ケース(la boîte à châpeau)>、<ル・パイヨン(麦わら)>、<小鉢(les petits pots)>やドライフラワーなどでも知られている。
これは花好きにはたまらない。
更に最近では花ではなくて草の、要するに緑一色のもじゃもじゃをアチラコチラで見かける様になった。
まるでパリがジャングルになったよう。
これはツクリモノではないので、枯れてくると少し見た目にはお世辞にも美しいとは言い難いものがある。
おそらく布で出来た花に賛成していない人たちの訴えのようだが、このジャングルスタイルはかなり前からジャン・ヌーヴェルという20世紀のスター建築家のアイディアで、例えばパリだったらケ・ブランリ・ジャック・シラック博物館(2006年オープン)やカルティエ現代美術財団(1994年オープン)等で見られていた。
ごくごく最近では熊ちゃん達も一部のカフェやレストランに戻りつつあるようでホッとしている。
2024年のオリンピック開催にめがけてパリを大変身させようと、現市長を始めとして様々な機関が必死になっているところ、やはりカフェやレストラン等が立ち直って、更に盛り上がる事は必要不可欠なのだなとヒシヒシと思わざるをえない今日このごろ、応援しなくてはと思う反面、何か街がパリらしさを失ってしまったらどうしようという少々の懸念も見え隠れする私であった。
7.11.2022
DAYS / Yoko Kaise Column
最大の喜び
クレ・ヴェルトはご存知?

フランスの天気予報は様々。
当たったり当たらなかったり。
また、国土が広いので地域によっての差は否めない。
そんな中で私は今年の夏も大半をパリで過ごすことになりそう。
快適か否か。
以前は夏は主に南仏に出かけて泳いだりしたものだけどここ2..3年はパリ周辺からあまり離れていない。
特に8月辺りは相変わらず何もないパリでどうやって楽しく生きるか。
よくウチの庭と呼んでいるベルシー公園の活用はもちろんのこと、今年もクレ・ヴェルトにもお世話にならないと。
「クレ・ヴェルト(Coulée Verte)って何?」
という質問が矢のように飛んでくるのは覚悟のこと。
意外と知られていないが、わかりやすく言うと別名<プロムナード・プランテ>、昔はバスティーユからポルト・ド・ヴァンセンヌまで電車が通った線路を開発してそこを散歩道にしたのだ。
下の鉄橋部分にはショップ、レストラン、アート・ギャラリーを入れたのでその名を<ヴィアドュック・デ・ザール(Viaduc des Arts)と呼んでいる。
面白いのは大半の店が家具、楽器等の職人のショールームになっていて呼鈴を鳴らして入れてくれるのを待つか、予約を取るかしないと相手にしてもらえないところ。
それでも雑貨店、衣類、アクセサリーの店数店が突然の訪問でも相手にしてくれるのでクレ・ヴェルトを散歩したあとにこのヴィアデュック・デ・ザールで食事したりショップ巡りしたりも実に楽しい。
さて、どこからスタートするかだが、私はいつもメトロのDaumesnil駅からAvenue Daumesnil をバスティーユ方向に坂道を下り、1つ目を右に曲って更に突き当たりを左に曲がる。
少し進むとメリー・ゴーランドがあり、その先の橋を渡ったら後は真っ直ぐ。
行き方はその他にも色々あるし、ガール・ド・リヨン(Gare de Lyon、パリのリヨン駅)も近いし、ところどころにエレヴェーターもある、がこれは使えないことが多いからあまりあてにはならないかも。
また、バスティーユ側からも勿論入れるが、これはわかりにくい。
さてでは橋を渡ったところからスタート。何せ少し空に近いところを歩くので帽子は必需品。水も忘れてはいけない。
景色はとにかく良いし気持ち良い。
花のアーチや小さな池、5月にはあやめがきれいだった。植物は薔薇を中心に全部でいったい何種類あるのやら。花以外に竹藪、柳などもあって涼しさを演出してくれる。
ベンチも至るところにあるので疲れたら座って休めばいい。
だけどお弁当パクパク食べてる人にはあまり会わないかも。
フランスの公園での問題はピクニックしてゴミをその辺ボイ捨てがいかに多いかということ。
実はネズミ発生問題があとをたたない。
時々花や木の手入れをしてくれるスタッフを見かけるが、あの方達はゴミのために働いているのではないことを理解しよう。
さて、15分位歩いたところ左側を気をつけて見ていると「おや?」と言うものが視界に入ってくる。

「あれは…?」と言えた人は取り敢えず合格。
何に合格かというと私にアート愛好家として認められるかどうかと言うことであって何の役にもたたない。
「ルーヴル美術館だっけ?」なんて答えてくれたら握手したい。
更に「でもあれってもう一体あったはず。」なんて言ってくれたらもう王冠進呈かな。
そう、あのミケランジェロの彫刻、2体の<奴隷>。、もう一体は<反逆の奴隷>、そして貴方が見ている建物に飾られているおよそ15体ほどの作品は
<瀕死の奴隷>。
「なんでこんなところに?」
この建物は警察署である。
何でだったか忘れたがおそらく盗難届けのためだったか一度だけ中に入ったことがあったが、その時や、まして外で立っているお巡りさんに聞けるほどフレンドリーな雰囲気でもない。
予想すると、この建物の元々の所有者のアイディアだったのか?
今のところ謎である。
さて、更に進んでいくと今度は右手にユニークなベンチが3つ。

これは以前パリ12区が主催したコンクールで優勝したインスタレーションである。
実に良く出来ていて実際に座ることもできる。
この間もカップルが座っていていちゃいちゃしていた。


さらに建築好きな人が気に入りそうなのが、例えば左の家並みはオスマニアンスタイルの邸宅(貴族が住むようなクラシックスタイル)が並んでいるのだが右側にはブリティッシュ・スタイルの邸宅がズラリ、これを同時に見ながら散歩することが出来るところもあり、
また全然何の関連もなく偶然団地が雑然と並んで建てられているところもある。
そんなところからは昼時になるとスパイシーな揚げ物の匂いがしてくる。
アクラだ。
アクラとはカリビアン料理で、干し鱈の揚げ物である。ハーブやスパイスの味付けがピリッときて暑い夏でもアルコール・ドリンクがすすむ一品。
実はうちのアパルトマンの管理人さんは一階に住み込みなのだが食事時にいつも揚げ物をしている。
私も日に日にこの匂いに慣れてきた。
アクラはフランスでポピュラーな一品だと思う。
実は昔はあまり得意ではなかった私も今では特にビールのおつまみとして好むようになった。
な〜んて考えながら、また写真撮影も太陽の具合によって、例えば同じ景色でも逆光を上手く利用して2枚の全く違う風景を楽しむことも可能。
例えば「竹藪のところは逆光のほうがいい感じ。」なんて呟きながら。
そして最後は突き当たり。
ストリートアートが迎えてくれるのですぐわかる。
階段をおりたらそのまま少し歩けばバスティーユ、或いは折り返して一階のヴィアドュック・デ・ザールで買い物というかほとんど見るだけかもしれないけれど。
さてちょうどランチ時であったら近くには何軒かカフェやレストランもあるが、せっかくパリのハズレまで来たのだからシャンゼリゼとかオペラにはないような店のご紹介。
勿論すぐ近くのガール・ド・リヨン駅構内にある<ル・トラン・ブルー>は有名だからフランス伝統料理を体験したかったら、また内装も素晴らしいので値段は少々高くても行ってみても良いし、また、全然タイプは違うけれど和食っぽい弁当屋さんもお勧め。
シェフは日本人だけど、無理に日本から本場の材料を取り寄せずに、でも日本食っぽく美味しいので地元の日本人や、勿論フランス人にも人気。
狭いけれどイートインも可能である。
<Le Train Bleu>
Place Louis-Armand 75012
Paris Gare de Lyon
tél ÷33 (0)143430906
無休
そして<KOTO- KOTO>
128、Rue de Charenton 75012
tél +33(0)143444729
土日休 営業ランチのみ
よかったら参考までに。
さて今回はこのようなお役立ち(かどうかはあなた次第)情報満載にしてみたが、特にクレ・ヴェルトは絶対お勧めだから散歩以外にジョギングしても良いのでパリに来たら一度はお試しあれ。

