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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Yurino Oshima Column

Guided Journey

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大島由梨乃
俳優 / デザイナー

ウィーン在住。欧州と日本を拠点とする俳優、デザイナー。

座右の銘は「FAITH, HOPE, AND LOVE - 信仰、希望、愛 ♡ 」

クリスチャンとして信仰的な視点で見つめる世界について書いています。

出演: イギリス映画「OSAKA」(主演)、ギリシャ映画「PERSEPHONE」、CF 「Philips Sonicare」等。

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呼応がいざなったロンドン映画撮影と現在地

8.5.2023

DAYS /  Yurino Oshima Column

Guided Journey

呼応がいざなったロンドン映画撮影と現在地

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長らく停滞していた中で、急にコトの運びが良くなるタイミングというのがある。

 

今年春 “今後の身の振り方“を模索するため日本へ一時帰国する手前、ロンドンで撮影する映画の日本人主演俳優募集を見つけた。

俳優活動再開に首を傾げていた時期ながら、ヨーロッパでこのような募集は極稀。

内容にも強く惹かれ、このオーディションへの参加を決めた。

 

Hank Orion監督のインディペンデント映画「OSAKA」ー '大坂'という女性が日本での在り方の葛藤から単身ロンドンへ移り住んだものの、想定以上に困難を極め突破口が見つからない。

そんな日々の思考模索について描いた作品。

 

ー 「20代後半を丸ごと異国で四苦八苦し、やっと(家庭バランスにおける)挑戦の自由と自分自身を取り戻し始めた今の私でこそ、この感情の機敏を演じたい。というかほぼ再現だ。」と、キャスティングのやり取り中にもそれを伝えた。

そして自宅で撮影し送信した課題シーンに対し「まさにOSAKAのイメージ通りだ。」との応答を得て、生意気ながら「やっぱり!」と感激した。

 

でもこの時点での安堵は出来ない。

国を越えた選考や事前ミーティングはオンライン上でのみ行われ、チームに初対面するのは撮影当日現地というのは結構珍しくない。

今回もそうだった。

それは無論お互いにとってリスクであり、綿密な調査や準備を重ねても最終博打のようなもの。

文化や勝手の違う異国・異人種同士でなら一層の緊張感がある。

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ロンドン渡航は10年ぶり。

21歳の時に参加したヨーロッパ14都市を周る格安バスツアーの出発地と解散地がロンドンだった。

「いつかは色んな国を飛び回って映画に出る。」と野望を持ち出逢う人々にも語ってた頃。

 

ヒースロー空港から中心地へ、長い長い地下鉄を利用し向かったのは今回が初。

方向音痴なりに日頃から早め行動を心掛けてるものの、初っぱな撮影前の打ち合わせ場所へと向かうバスが大遅延。

いつまで経っても来ないので一般ドライバーによるライドシェアBoltを呼んでもらい、お陰で時間前にたどり着けた。

 

監督Hankはウクライナ生まれでイタリアやロサンゼルスを経由しロンドン在住、日本人の婚約者が居る。

アシスタントJessicaはロンドン育ちの香港人で、「アジア人がメインのプロジェクトということに感銘を受け参加した。」と語っていた。

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ロンドンはどデカい。

と言っても実は東京の方が大きく、23区はロンドン中心部面積の2倍というから驚いた。

撮影は人々でごった返すタワーブリッジやバラ・マーケット等、ロンドンの主要スポットを含め20箇所以上をチームで練り回った。

タイトなスケジュールで、撮り直しはしても3、4回まで。監督Hankの意向でその場での確認は無し・作品形式からサウンドは全て後にボイスオーバーという、低予算で超実験的映画ゆえかなりユニークな撮影進行だった。

 

移動/休憩中は彼らがあちこち指差しガイドしてくれ、短期間でロンドンの主要スポットの多くを網羅した。

他にも欧州の映画業界事情や私的な近況について話しながら、始終なんとも平和で気持ちの良い仕事環境だった。

彼らのフレンドリーさと押し付けがましくない心遣いに沢山救われた。

 

“お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。” - テサロニケ人への第一の手紙 5:15-18

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オフ日は7年ぶりに、友人であり主に彼女も映画監督をしているMeg Igarashiに会えた。

中心地から少し外れたキューガーデンという美しい王立植物園を歩きながら、日照りと雨の洗礼を交互に受け座ったり走ったりしながら... 流れた時が変えたことと変えなかったことが浮かび上がった。

 

彼女の前向きさと愛情深さは作品にもそのまま表れてて、元気をもらえる。

良い友達とは必ずしも過ごした時間や連絡頻度に限らず、ここぞという時ハッとするような形で励まし合えることがある。

そんな結び付きに生かされてると感じる。

 

ウィーンへ帰って来てからはボイスオーバーの収録等に励む日々を一ヶ月間過ごし、この連載を書いてる今思う。

技術的にはまだヒヨコでも、俳優・執筆活動を再開してから充足感と幸せを感じられる時間が格段に増えた。

 

「得意もだけど、好きだって与えられたものだから大事にしてね。」なんて大人になると中々言ってもらえない。

だから自分で言おう。そして「好きこそ物の上手なれ。」をきっと体現できると信じよう。

 

楽しく、健やかに。

ミッション探しの一時帰国と再挑戦

6.10.2023

DAYS /  Yurino Oshima Column

Guided Journey

ミッション探しの一時帰国と再挑戦

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6年ぶりに一ヶ月超、単身で東京に滞在していた。

 

当初の予定より長くなっている欧州生活。

元々は5年以内に日本へ戻るという話だったから、その時期を過ぎた頃、心に張り詰めていた糸がプツンと切れた。

腑抜け状態になり、八方塞がり感に苛まされ、生きてる心地がしなかった。

 

今住んでいるウィーンでは、コロナ禍の影響により窮地に追い込まれた生活から抜け出し、デザイナーとしては時季ごとにGottkennenという使命感を持って取り組めるプロジェクトに参画している。

気軽にお茶するお友達も出来たし、ご近所さんとは日本語バイブルスタディも始めて、様々な人種の良い仲間に恵まれている。

オーストリアはどこもかしこも美しくて好きだし、それに加えて連休には近隣国に出掛け気分転換する等、一見充実した日々を送っていたはずなのだけど。

 

では何が私の心を窮屈にしていたのか。

それは数言ではとても言い表せない色々が積み重なった結果なのだけど、根本にあったのは間違いなく「自分という人間をフルパワーで生きられてない。」、即ち「自分に与えられている資質、時間やエネルギーを持て余している。」と感じていたこと。

そしてそれらを注ぎたい・注ぐべき先は、以前から抱いていた思いと変わらず「主に母国日本にある。」「“ 日本人として”というところにある。」と直感していた。

 

~長めの一時帰国をして、今の日本、特に東京の状況を知りたい。

今の自分が具体的に何を“情熱と喜びを持って”出来るのかを知りたい。

そして本帰国前から、一時帰国を繰り返す中でもそれをしたい。

愛しの母国ともっと繋がっていたい!! ~

 

そう志しながらも、問題が発生していた。

旅資金にしようと決めていた、1ヶ月半分のとあるデザインプロジェクトの給与が長らく延滞されている。

東京ではカプセルホテルでさえも一泊5000円以上と宿泊代高騰していたから、それがなければとても行けない。

でも、「今この時に行きたい。4月9日は母教会の復活祭に出席したい。あの人やこの人達に会いたい。桜も見たい。」

「そんな願いは単なるわがままなのだろうか?」

「でも長らく多くのことを忍耐し続けて、やっと実現しそうなタイミングだったのに・・・あんまりだ。」

等と呟きながら、神様に祈り、Instagramストーリーを通して人々にも助けを求めた。

 

「どうしても日本に行きたいんです。これだけの予算しかありませんが、東京都市部で一ヶ月程宿泊できる場所を知りませんか?」

ダメ元だったそんな呟きに、メッセージを下さったTさんという方が居た。

Tさんはいつも私のストーリーを見ていた訳でなく、「丁度その時は見ていた」そうだ。

以前からクリスチャンという共通点から各種SNSで繋がっていたけど、お会いしたことはなかった。

けれど結構な期間その方の発信の多くに共鳴を感じていたから、「この方なら。」そう思い有り難く詳しい話を伺った。

そしてトントン拍子に、Tさんの奉仕されている教会に所属する方が持つ空き部屋に、とんでもなく良い条件で住まわせて頂けることになった。

泣いた。

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“求めよ。さらば与えられん。”

人々の厚意によって開かれたドアも、「御心であった。」ということだと、私は信じる。

Tさんもお部屋のオーナーの方も、特定の信仰を持っていない方々でさえも、今回の旅については口を揃えてそう仰った。

何故なら結論を先に言うと、当初願い求めてたこと全て、寧ろそれ以上のことがこの旅を通して叶えられたのだから。

 

ただ旅にちょっとしたトラブルはつきもので、渡航前に普段壊さない肩を痛めたり風邪を引いたりしてしまった。

それでもなんとか肩の痛みは減少し、PCR検査も陰性。

よしっ!と、ウィーンからはフランクフルト経由で、後は順調かのように思われた。

ものの、フランクフルトからの飛行機が繁忙期のオーバーブッキングで乗れないことに。

次も明日も乗れない可能性があると言われ、どうにか心を落ち着けながら、5時間ほどの待ち時間に“イエスキリストの受難と復活”に思いを馳せた時間は充実した。

次の飛行機には乗れるとわかった時の安堵と勝利感と言ったらなかった。

 

機内で隣の席に座っていた初老の日本人マグロ漁師は、私がイヤフォンを付けず目を開けてる限り話しかけてきた。

「魚を釣るときは魚の気持ちを考える。釣りたい魚の性格とか必要なものを想像する・・・そうすると釣れる。それは仕事とか人生における求めを得る方法と同じなんだよ。面白いよ~。」と、遠征帰りの日焼け顔で語っていた。

機内エンターテイメントにラインナップされていた、映画 ホイットニーヒューストンに出てきた台詞「神に授かった才能は正しく使って。」が心にしっくりと響いた。

 

そうこうしている間に羽田空港到着。

「ただいま~♪」と確か呟き、預け荷物やSIMカードの受け取り・換金を済ませ、リムジンバスで例の部屋の最寄り駅へ。

駅にはTさんが車で迎えに来て下さった。

アクセスの良い都市部で8畳間程のレトロな部屋の中は、Tさんがご家族の所持品を運び無理なく生活を始められる状態に整えられていた。

私、タオルでも掛けて寝れたら上等と思ってたくらいのサバイバルモードだったのに・・・布団も敷物もテーブルも椅子も洗濯用具も... 食器やストーブに至るまで準備して下さっていた。

お陰でとても心地の良い空間で、すぐに自分の居場所と感じられた。

 

晩御飯にと最寄りスーパーで購入した400円に届かない格安和食弁当も絶品で、「安過ぎる。

顔も名前も知らないけど、この弁当作りに関わった方々全員にチップを差し上げたい。」と心の底から思った。

喜びと期待でいっぱいの初日だった。

「今日も明日も明後日も、絶対に素敵な毎日になる。そして最後には必ず素晴らしい経験や次の扉への鍵を持ち帰れる。」

こんな前向きな確信に満ちた心持ち、本当に久しぶりだった。

 

東京では殆ど休息することなく、毎日会えるだけの人々に会い、縁ある・気になる場に顔を出し続け、そして会う人がまた人をと繋げてくれた。

旧友人知人、大御所俳優、ミュージカル女優、ラジオパーソナリティ、ライター、書籍編集者、音楽事務所の社長、映画プロデューサー、会社員をしながら使命的な活動に没頭してる人々…等と、書き切れないほどの多くの出逢いと語り合いの機会に恵まれた。

 

全てが欧州に居る時とは相反するスピード感。

それは人々の歩く速さやファッション、渋谷や池袋等の街の変化にもはっきり表れていた。

「あぁ、東京での毎日ってこんな感じだったな。」

懐かしく愛おしく最高に楽しく、同時にその慌ただしさや抜け目のなさにお節介な心配をしてしまう瞬間もあった。

自分自身も「忙しさ・華やかさの中では特にしっかりしてないとね。

元の主旨を見失わないように・・・。」と、時折身を引き締めながら。

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6年の年月の経過により人々から“大人扱い”されるようになっていることにも気付かされた。

こそばゆいような、嬉しいような切ないような・・・で、「日本では特に、私はもう所謂“若者”ではない。東京では個性こそ大目に見てもらえても、日本式の礼節やマナーと共に大人らしく振る舞わないと、違和感たっぷりな人になってしまう。気を付けよう。」と思わされた。

でも大人前提認定があるから砕けられる部分もあるのは、大人得。

以前は持ち得ていなかった経験や生活背景を、意外なところで面白がって貰えることにも気付かされた。

 

そうやって今の東京と自分の立ち位置を確認しながら、多種多様な人々に現在胸の中にあるありのままを語っていった。

以前なら素直に答えを聞けなかったかもしれない問いも投げかけた。

日本での生活を含めた色々にブランクのある30過ぎの自分に、尚情熱と喜びを持って役に立てることが何なのか、本当のことが知りたかった。

そして様々頂ける意見や提案に、長らく抑え込んでいた自分の感性がどう動くのかを見ていた。

 

最終的に、私は主に日本での演劇や文章を用いた表現活動の再挑戦を決めた。

一ヶ月超を生きる中で、「その道に導かれていて、そこに適性がある。」と感じられたから。

日々の出来事を報告する中で、長い間首を縦に振らなかったパートナーにも納得してもらえたから。

それに「過去にその道への自信を失わせた出来事や止まっているセルフイメージというのは、今やこの先の自分にとって重要でない。だって今と昔の自分は違うから。」と言い切れる出来事の連続だった。

まさに“時が来た”という感じで、「自分で自分の限界を決め付けず、今私に仕事を任せてくれる人・神様の導きに信頼し尽力したい。」と思う。

 

旧師を通して出逢った方から、今秋東京で公演する朗読劇の機会を与えて頂け、既に台本も読み始めた。

その前にもうすぐロンドンでの映画撮影もあり、翻訳作業や役作り等の準備で結構忙しいのだけど・・・

使命と信じられることへの没頭や努力というのは、困難の中にも喜びがある。

それにどちらもこの6年間の苦悩があってこそ深く寄り添えると感じる役柄であり、希望のストーリーだ。

私が文学的な芸術を愛しているのは、「人間」「人生」ということを大きなスケールで考えさせられ、真理が真理たることを再見し励まされるからだ。

 

このような文章に関しては昔から息をするように書き続けてるけど、公にしてきたのはほんの一部。

しかし今回、自分の内から湧き上がる言葉をもっと表を出していく意義と勇気も与えられた。

そして帰国してすぐ、以前noteを通して知り合い特集して下さった、このSTAY SALTYのアートディレクターであり編集長の木ノ下さんに「連載させて下さい。」とメールを通して頼み込んだ。

すぐに快く承諾して下さって、本当に嬉しかった。

 

旅することは、大なり小なり印象的な転機を迎えることだと思う。

日常を離れ新しい風を受けると、思いもよらぬ方向に人生を豊かにされる。

トラブルや困難だって、振り返れば「あれがあったからこそ」と思える収穫が後にある。

今回だってTさんに出逢えてなければまだ日本に行けてなかったかもしれず、給料の延滞がなければ全然違う旅になってたはずで、今ある自分とは絶対に違うから。

此処ではそんな連載を、脚色なくさせて頂きたいと思っている。

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