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#03
AUGUST 2020

「ユキオ」くんとの出会い

 

「それは、独立して、1年目の頃。

もう12年くらい前だと思います。
 

上野でのお仕事の合間に時間があったので、ふらりと上野動物園を訪れました。 

久々の動物園はとても静かで、みんな寝ていて。

それまでの動物園のイメージはわたしにとってネガティブな印象しかなく

「檻の中でかわいそう」という苦い気持ちの方がこの頃は大きかったんですね。

そんなことを思いながらさらに進んでいくとホッキョクグマのエリアに到着。
ふと見上げると、何やらホッキョクグマが直立していました。

 

 かわいいじゃないか… !

 

さっきまでは動物園を憂いていたのに、この出会いがすべてを変えてしまったのです。

それがホッキョクグマの「ユキオ」くんとの出会いでした。

 

最初は単純に「ユキオくんがかわいいから」という、とてもシンプルな理由で動物園に通っていました。

そして何度か通ううちに少しずつ動物ごとの生態データ情報が蓄積されていきます。

そのうち、それぞれの個体のキャラクターなどが理解できるようになり、ますます愛おしい存在が増えていったのですね。

動物たちそれぞれへの興味関心が湧いたことで、1つまた1つと動物園へ抱いていたネガティブな感情が消えていきました。

そして「動物園が誕生した理由」「動物園の本当の役割」など少しずつ調べたり、自然と園内で目についた活動報告などの看板や配布物から知るようになったのです。

 

社会生活を送る上で、しかもクリエイターとして生きてゆく上で、お金を稼ぐことや成果物を生み出してゆくことは切っても切れない大切なことです。

でも、その実、その活動内容は刺激にあふれながらも、とても忙しく、疲弊も消耗も伴う日々の大変な営みです。

それはそれで、自分が求める「もう1つの大切なもの」を、ある意味犠牲にしている日々とも言えるわけです。

動物園に行けば、心身ともに自由になれる気がして。

心の中で見て触れて感じることができ、大きく深呼吸をして何ものにも捕われることのない時間を過ごすことができます。

ここに来れば「とてもシンプルで1番大切なこと」を思い出すことができるのですね。

それは言葉にできず、目に見えなくて、とても温かいもの…

わたしたちが生きてやがて死んでいくこと。

この世界の美しさや喜び。

説明できない不思議な出来事や大自然の神秘の力。

自分が求める「もう1つの大切なもの」がここにはあったのです。

そしてこの動物園を巡って、動物たちをカメラに収めるということが、次第にライフワークになっていったんですね。

 

思えば、私がこの仕事を選んだのも「思いつき」でした。

志を持って入社した、クルマの設計デザインをするという、CADエンジニアとして働いていた会社の研修期間中に、ふと降りてきた大きくてとても明るいエネルギーのようなワンダーな思いつき。

ある朝急に「私はカメラマンになる!」と決めたのです。

 

生きていると、道を選んだり、何かを選択する機会の連続だと気づきます。

そんな中で常に何を指針にしたり頼りにするのかは人それぞれだと思います。

もちろん選択の中には経験という大きなエネルギーが欠かせないものもありますが、経験のないことを選んで決断する時に必要なことは、こういう不思議な力の作用というものがあるのではないか。

私にはまさに「センス・オブ・ワンダー」ともいうべき感覚が道を示してくれるような経験が常にあるのですね。

 

役者として生きた経験

 

小学2年生から大学生まで、役者として仕事をしていました。

小学2年生のとき、ミュージカル「アニー」の出演者を募集していたので、親がオーディションに応募してみたらなんと合格して 。

その舞台は役者業未経験の幼い私に、やることなす事全て巨大な壁となって迫ってきていました。

学校も早退したり修学旅行も欠席しました。

演技、歌、ダンスだけではなく、経験値の何もかもがゼロでしたから。

それでも、半年後多くのお客様の前で歌って、演じていました。

スポットライトを浴びたあの時の感動は今でも忘れることができません。

そしてその日々は小さいながらも、「現状をどうしたら打開できるのか」を毎日必死に学ぶ日々でもありました。

どうしたらいいのか、日々淡々とトライ&エラーをしていたと思います。

導いてくれた指導者やスタッフの方々によって示されたその先に見えた答えをなんとか習得しようと必死だったのです。

そういう不器用なトライ&エラーをこの頃から経験できたことは、その後のフリーランスのフォトグラファーとしての活動や、仕事やプロジェクトに立ちはだかった壁たちを乗り越えるために必要な、そういうチカラを身につけることに繋がっていたのかなと感じています。

そして、そこで経験したことが悩みにぶつかっても「なんとかなる」とか「やってやれないことはない」と思えるような今の私に深くつながっていて、今の人生にとって大きなエネルギーと自信になっているのかもしれません。

 

 

新しい命

 

私のお腹の中には今、小さな命が宿っています。

妊娠6ヶ月の安定期を迎えています。

もともと私には「わたしは男性になりたい」というような想いが大きかったのではないかと思っています。

女性としての性を存分に味わい尽くしたいという気持ちと、それを差し置いてでも、自分の人生を自由に生き抜きたいという両極端の気持ち。

わがままなわたし自身と常に戦ってきたように感じています。

多分これはずっと子どもの頃からずっと引きずってきた感覚なのですが、とうとう高齢出産という年齢になってから、後悔だけはしたくないので妊活にトライすることにしたのです。

 

今の日本社会の子育て環境や世界情勢や自然環境などを鑑みて、本能的に近年は子作り自体を躊躇っていたのも事実です。

ただ次の世代には次の価値観が生まれるし、また違う進化をしていく過程のような気がするので

それに対して良し悪しを個人が勝手に判断すべきではないとも思ってもいました。

さらに、ここで1つ妊活で難しい壁が。

旦那さんの仕事柄1年のうちに半年以上、多い時は3/4は海外へ出張へ行ってしまうため、自然妊娠でのタイミングが難しいと感じていたんですね。

数少ないチャンスに一か八かに賭けるには、高齢の今となっては勝てない賭けだと思っていたので、2019年夏に体外受精ができる専門クリニックへ行くことになりました。

その時、わたしは37歳、旦那さんが41歳。

結婚した当初はいつか自然妊娠できたらいいなと思っていましたが、2人の生活そのものが時間と距離を隔てていることが多いので、タイミング法や人工授精ではなく、最初から抵抗なく体外受精スタートを希望。

結局、顕微授精になったのですが、最短コースでトライして、今年2020年3月に無事妊娠することができたのです。

 

妊娠して、お腹の中の子どもと一緒に過ごしていて、今はゆっくり母になっていく変化の時間を味わっているところです。

お腹からノックされるときの不思議な感覚や、今日も元気に育っているのか気になって仕方がない毎日です。

命を育むという神秘的で素晴らしい経験の真っ只中にいるのだと思うと、思い切って妊活に踏み切って良かったと思っています。

 

 

センス・オブ・ワンダー

 

これまで、ただ好きでライフワークにしていたことが自然と仕事に結びついて、動物園と関わる貴重な時間と機会をいただくことも少しずつ増えてきました。

そんな中で、動物園とそれに関わる環境そのものにまつわる様々な問題も知ることになります。

そして、数えあげればキリがないたくさんの課題と密接に、今も精一杯現場で取り組んでいる動物園の方々が多くいることも知るのですね。

何か力になれないかと常に考えている状態なんです。

とにかく、わたしにできることは「動物園に今日も行く」ということしかないと思いました。

かわいい推しメンに会いに行くだけでも元気をもらえますし、原点に立ち返る時間になります。

これからも、書籍、雑誌、アプリや写真教室の開催などで、動物、動物園へ出会う機会を増やして、その楽しさ、素晴らしさを伝えられるのは、わたしにとっては写真しかなかったので、少しずつでもたくさんの方に魅力を発信できるようにこれからも活動していきたいと思います。

 

そして、子どもが産まれた後、これまでと違った価値観に出会うのかなと思っています。

復帰した後もこれまでのがむしゃらな働き方とは変わって、子どもの成長に合わせてスケジュールを組んだり、仕事や撮影内容ももしかしたら変わるのかなと思っています。

写真や動画を通じて、子どもの事を発信していきたいと旦那さんと話していたので、SNSの発信内容もまた変化していくのかもしれません。

 

これまでも興味関心あることに対して、自然と仕事に変わっていったり、次の出会いに結びついてきたので、出産後もまた何かしら違う変化に出会えると確信しています。

それが今から楽しみで仕方ないです。

自身にとって必要なことしか人生に起こらないと思って生きてきたので、最適なタイミングに、出会って別れて、何か失って得ているのかもしれません。

なので、こうして今を存分に葛藤しながら、一瞬一瞬を大事にしていこうと思っています。

そして、そこでまた、「センス・オブ・ワンダー」な感覚と出会えたらいいなと思っています。

 

その感覚はこれからもきっと、私の道しるべであり続けるのかも知れませんから。

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

征く。

Sense of wonder

Yurica Terashima

8.2 2020

photographer  寺島由里佳

センス・オブ・ワンダ

Yurica Terashima

text and photographs -  Yurica Terashima

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photographer

寺島由里佳

Yurica Terashima

ポートレイトを中心に、広告雑誌媒体などで活動中。ライフワークで動物園にいる動物たちを撮り続け、全国・世界の動物園を巡るのが夢。ポストカード、iPhoneケースなど企業とのコラボグッズ開発の他、立教大学の講師、企業・行政とのイベント企画なども行う。

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PEOPLE

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征く。

 

 

When you forgive yourself,

no one can take it away from you 

自分を許すと誰にも奪われない

親譲りではない無鉄砲で大人になっても損ばかりしている。

 

突然、花の仕事をしようと思い立ったのは、

お勤め約10年、フリーランスになって7年ほど経った頃だった。

それまで花屋のバイトすらしたこともなく、

パソコンをいじるだけの全く違う職種だったにもかかわらず、

そんな文字通り頭ん中お花畑状態の発想に至ったのは、

当時気持ちの面で大きな変化があったからかもしれない。

 

 

まだ働き始めて間もない20代の頃、

ある時私がミーティングで出した改善策に周りから反対意見が挙がり、却下となった。

ところが数分後、別の人の発言に皆んなが賛同したと思ったら、

さっき私が言った事と全く同じ内容だった。

反対したその舌の根も乾かない内の掌返しに椅子から転げ落ちそうになりつつも、

 

「ああ、人っていうのは話の内容じゃなくて誰が言ったかを見てるんだ」

 

と衝撃を受けたことを覚えている。

 

実績もなく、周りの信頼も得られていない私が、

たとえ有益なことを言っても何も説得力がないらしい。

それならば、もっと私自身が人生経験を積んで、

もっと発した言葉を真っ向から受け取ってもらえるような重みのある人間にならないと!

そう初々しい私は思い始めることになった。

 

 

さて、その後の私は、長い年月をかけて、

いわゆる多くの人が経験するような酸いも甘いものクエストを次々とクリアしていくことになる。

 

結婚、出産、離婚、子育て鬱、転職、独立。

イタリアの取引先が倒産し、

「お金がないから代わりに僕が飼ってるオウムあげるけど、いる?」

と社長から手紙が届き、債権が回収できないことを知った時もある。

 (オウムは貰わなかった)

 

病気で働けなくなったり、

DV毒親との死別があったり、

子どもとの関係がこじれたり。

 

そんな具合に、まあまあ色々あった事だし、

そろそろあの頃欲しかった経験値的なものが貯まってきたはずだった。

それなのに、結局しんどい思いをしただけで、

何かを成し遂げたわけでもないし、

大したことができるわけでもないし、

特別な経験を積んだわけでもないという実感しかなかった。

仕事はやりがいがあったけれど、

いつも世の中の基準で正解と言われるものを探していて、

プロジェクトを、その場を、失敗ではない方に転がそうと必死だった。

一見、それは仕事だから当たり前に思えるけれど、

実際は、正解に見えることに近づけることや失敗しないことは、成功ではなかった。

 

そして、何よりも

自分が発案して完成までこぎつけたものが

他の人の成果として表向きに発表することになった時、

華やかな会場の外でメディア向けのお土産を地味に用意しながら、

「結局あの頃と変わってないな〜自分」

と愕然としてしまう。

 

そんな自分はやはり経験が足りず、

あるべきレベルに達してないからまだまだ薄っぺらいのだと、

潜在意識の中でさらに「もっと苦労しようよプロジェクト」は加速した。

 

 

しかしながら、そんな折り、あの若かりし頃の

「ミーティングで私と同じ意見が採用される事件」

のアンサーソングともいうべき出来事が頻発したのだった。

 

とある機会での意見交換、

子育てで大事なのはこんな事でと、ある方が熱弁。

周りも私も聞き入って共感したが、その方には子育て経験がなかった。

 

・・・あれ?

 

時はSNS時代に突入。

「○○に行った時の経験を活かしてコンサルタントになりました」

とつぶやく誰かはとっても説得力がある若い起業家だ。

でも、行ったっていうのは1回のようだ。

 

・・・あれ???

 

誰かに自分の言葉を信頼してもらうためには、薄っぺらい自分じゃダメで、

実績だとか、経験に基づいた考えとかが必要なんじゃないのか。

でも、若くても経験が浅くても、

私も共感できたり、信じたい気持ちにさせてくれる人がいる。

どうしてその方たちは、多くの人の信頼を得られたのか。

それはこういう事だった。

たとえ浅い経験でも、

「そこまではやった」という事実を自分に認めてあげられている人は、

それをありのまま成果として伝える事を自分で自分に許している。

今のレベルでできることを心の底から信じている人は強く、信頼できるのだ。

 

当時の私は、経験の浅い分野に対して強く意見することは、

知ったかぶりのようで何となく気が引けていた。

どこかに1回行ったくらいで知ってるような事を言ってはいけないような気もしていた。

でもそれは、誰かに禁止された訳でもなく、自分で自分に許していないだけだった。

せっかく作った自分の成果を奪っていたのは他人ではなく自分だった。

 

とかく、周りの人というものは、自分が自分を扱うように自分を扱ってくるものだ。

自分を粗末に扱えば、周りも自分を粗末に扱ってくる、といった具合に。

つまり、自分を許可できず、認められない私は、

周りにも信じてもらえる訳がなかったのだ。

 

「なんだ、いいんだ自分のこと許しても・・・」

 

私に足りないのは、

苦労して言葉を裏付けるような経験や実績を積むことではなく、

いつもその時点まで自分がやってきた事を認めてやる事、

ただそれだけだった事にようやく気づく事ができた。

それはまるで、

遠い旅先に向けてわらじを編み、

竹皮で包んだおむすびを胸に忍ばせつつ峠をいくつも超え、

血の滲む足がもう一歩も前に出ないと倒れかけた時に、

「じゃあ後はヘリで行こうかぁ」と言われたような気分だった。

それがあるなら最初に言ってよ最初に、という。

 

 

今から数年前のそんな気づきの後、

堰を切ったように、私は自分を信じて見切り発車でも何でもやりたいことをやるようになった。

無鉄砲に始めた花の仕事も、

もちろんまだ何十年も磨いていかなければいけないヒヨッ子である事は認識しているけれど、

それでも卑屈な気持ちは全くない。

ある一定のレベルを到達点にして、

その点との差異がある自分を恥じるのではなく、

「至らないかもしれないけど、でも、今の自分はこれだから」

と堂々と思うことができる。

現状への満足は成長を止めることになりかねないが、

暫定的な今の立ち位置までやってきた自分を許して認めると、

またそこから精進しようという気になるから不思議なものだ。

 

 

ある時、ふとこんな事を思う。

「人間って60兆個もの細胞があって、毎日がん細胞やあらゆる菌を免疫力で死滅させて、怪我したら治してくれて、数十年分もの記憶を蓄えていて、この世にないものを生み出したり問題を解決したりするクリエイティビティがある。こんな奇跡のように高性能で精巧な生き物、宇宙を探してもいないかもしれない。

あっ!でも、その高性能な貴重な生き物、そういえば私も持ってた。この自分!! 」

 

自分はちっともすごくないけれど、

人間っていう生き物はスゴい!という感覚を持つと、自分の未来を信じられる。

試しにいろいろやらせて成長させてみたくなる。

性能を強化していったらどうなるのだろうと。

そうやって自分の先々を良い方に信じて託せるような感覚を

自信というのだろうと思う。

最近は承認欲求という言葉がよく使われるようになったけれど、

誰かに認められることよりも、

自分で自分を認めて許すことで揺るぎない自信がつく。

 

人間の色気みたいなものも同じで、

「いえいえ、私なんか」と卑下したらそこでせき止められるけれど、

「私はこういう所もあるんです」とその人が自分に許したラインまで、

色気はダダ漏れてくるような気もしている。

 

 

草木の花はいずれ散る花。無常の姿。

花を生けることは、

根を絶たれて死へ向かうまでの一瞬の命の煌めきを浮かび上がらせる祈りの行為。

そして、その自然と切り離す作為的な提示によって観る人の感覚に語りかける。

 

人もまた無常の存在であるけれど、

今の瞬間に個性を見い出し、

それでいいと認められたら、

そして、

それをありのままに提示していくことを自分に許せたら、

伸びやかに成長して大輪の花を咲かせるに違いない。

floral designer  杉山香林

8.2 2020

Karin Sugiyama
Karin Sugiyama

text and photographs -  Karin Sugiyama

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floral designer

杉山香林

Karin Sugiyama

撮影でのフラワースタイリング、イベント・ウェディングでの装花、御祝い花などで、固定のスタイルを持たず、コンセプトに応じて多様なデザインを提案するフラワーデザイナー。

広告代理店、IT企業などでマーケティング・コミュニケーションに従事したのち、2008年株式会社アンジュウシを設立、企業の環境保全活動やサスティナブルな社会を創る取り組みへの指針作りやプロジェクトの企画、マネジメントを行う。

その中で、植物の美しさや生きざまに惹かれ、自然界にこそこの世の真理があり、持続可能な社会を築くためには、樹木や草花などの植物に触れ、憧れと畏怖を感じることが必要と考え始める。

2016年4月、装花TOKYOを開業、華道における学びを活かしながら、ヨーロッパでフラワーアーティストに師事したエッセンスも取り入れ、花一輪の個性を活かすスタイリングを目指している。

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BRAND『装花TOKYO』

オートクチュール・フラワーブランド「装花TOKYO」
「装花TOKYO」は、店舗を持たないアトリエスタイルのオートクチュール・フラワーブランドです。命を持つ生花のみにこだわり、特別なシーンのフラワースタイリングをオーダーメイドでご提供しています。

 

​生花の命の煌めきを活かす空間づくり
商品ディスプレイや撮影用プロップ、プロモーションイベントのフォトブース作りなど、特別なシーンにおいて、草花が持つ命のインパクトと視覚的魅力を活かした空間づくりをサポートします。

 

​「アート」ではなく「デザイン」する
装花TOKYOは、「アーティスト」ではなく、「デザイナー」として、クライアントの皆さまとプロジェクトの目的と課題を共有し、草花での解をデザインすることを目指しています。

したがって、1つのスタイルに絞ることなく、花の毒々しさや艶かしさ、可憐さ、草木の清々しさや力強さなど、目的に応じて植物の多様な個性を発揮させていくアプローチ方法を試みます。

入荷可能な場合は、街のお花屋さんであまり見かけないような草花もご提案しています。

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ロックダウン中、そしてこの文章を書いている間、いつも聞いていた曲です:Sleeping at Last – Southern.