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#07
DECEMBER 2020
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

逓る。

Delivering Books and Feeding the Future

writer / editor / book selector  梅田 梓

12.1 2020

Azusa Umeda

本を届けて、未来にむすぶ

『アマゾンの料理人』は小学6年生の男の子。

岩波少年文庫の『おとうさんとぼく』はプレゼント用に。

『新しい須賀敦子』はよく本を買ってくださるあのお客さん。

売上スリップを見る時間は、いつも背筋が伸びる。

自分の仕入れた本が、だれかの手に渡っていく。

この確かな手応えはなんだろう。

 

3年前に東京から長野に移住し、縁あって北軽井沢で「おむすびブックス」という本屋をしている。北軽井沢は浅間山をのぞむ、標高1000mを超える高原地帯。

ここにアスレチック施設を併設するルオムの森があり、築100年の洋館が建っている。

2018年5月、おむすびブックスはその洋館の一室にオープンした。

私は月1回のペースで北軽井沢に通い、売り場の棚を入れ替える。

 

おむすびブックスは、在庫500冊ほどの小さな営みだ。

それを2年半ほど続けて思うのは、ささやかだけれど、この営みにはすごく可能性があるのではないか、ということだ。

毎月たくさんの本が出版されるなか、どんな本を仕入れるかは、いまの社会で起きていることや、そのときの自分の気持ちのありようが反映される。

浅間山麓の北軽井沢という場所、お客さんやルオムの森のスタッフの方との会話も影響する。

目指すのは、並んでいる本を眺めているだけで、何か気づくことがあるような、世界の広がりを感じるような本屋だ。

本のタイトルや装丁を眺めるだけでも、心の中に変化は起きている。

訪れた人の心の風通しをよくする棚を作りたい。

 

例えば、本屋で一冊の本に出合った人が、家に持ち帰り、どこかのタイミングで読みはじめる。

そして一冊読み終えたとき、その人はなんだか優しい気持ちになっていて、

翌日、困っている様子の人がいたら何か声をかけることがあるかもしれない。

普段は聞き流すようなたぐいのニュースを、自分のことのように感じるかもしれない。

そこから世界が変わる可能性だってある。

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おむすびブックスには、私のほかにもう一人、「鮭」という名前で活動しているメンバーがいる。

私たちはかつて、銀座にある小さな編集プロダクションで働いていた。

一緒にコンペに挑戦したり取材に行ったりと、いろいろな思い出があるのだけれど、最後のほうは、激動の日々だった。

会社が解散することになり、仕事は急に慌ただしくなった。

毎日パソコンの前で適当なものを食べ、日付が変わるころ終電に転がり込む。

鮭と深夜の銀座中央通りを何度走ったことだろう。

これからのことについてゆっくり考えたいのに、いつも疲れていて、焦っていて、何から考えていいかわからない。

あーあ、みんなバラバラか。

 

いやはや、あの狂騒と混乱の日々の先に、北軽井沢で一緒に本屋をする未来が待っていようとは!

 

洋館に、取次から鮭と私の注文した本が到着する。

さあ、新しく来た本を並べよう。無限の可能性を秘めた本たちを。

鮭の仕入れた本を眺めると、こんなにも見ている世界が違うのだなあと驚く。

鮭の注文した『退屈をぶっとばせ!』を手に取り(こんな本があったのね)、私の注文した『13歳までにやっておくべき50の冒険』を隣に置いてみる。

タイトルや装丁、本を手にした時の存在感、五感を全開にして本が輝く場所を決める。

二人の異なる視点が響き合い、多様な世界を感じる棚となっていればいいなと思う。

仕入れた本をすべて並べ終え、車を走らせ帰路につく。

道中に通る嬬恋パノラマラインはこの日も見渡す限りの広大なキャベツ畑、その向こうに山々が連なる。

胸のすくような景色がどこまでも続く。

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今年5月、緊急事態宣言下で仕事がストップし、子どもの保育園は登園自粛が続いていた。

そんななか、私は鮭がすすめてくれたカレル・チャペックの『園芸家の一年』を読んでいた。

あの時期、この本にどれほど救われたことか。

『園芸家の一年』には、庭の植物を壮大なスケールで描写する場面がある。

例えば、「芽」という短いエッセイでは、春の芽吹きを行進曲にたとえて、こんなふうに表現していた。

 

<書かれざる行進曲のプレリュードよ、開始せよ!金色の金管楽器よ、日に映えよ。響け、ティンパニ。吹きならせ、フルート。無数のヴァイオリンたちよ、めいめいの音のしずくをまき散らせ。茶色と緑に萌える静かな庭が、凱旋の行進をはじめたのだから。>

※『園芸家の一年』「芽」より引用(カレル・チャペック 著、飯島周 訳/平凡社)

 

私は「芽」を読んだあと、思わず本から顔をあげて、窓の外の山々を見た。

山の緑は夏に向かってぐんぐんその色を濃くしている。

すっかり忘れていたけれど、季節は着々と移り変わっていた。

張り詰めていた緊張がほぐれ、感受性が息を吹き返した。

久しぶりにのびのびとした自由な気持ちになった。

 

この原稿を書いている11月現在、ふたたび感染が拡大し、

じわじわとまた切迫した状況になってきた。

重苦しい気持ちになるような報道がつづく。

それでも私たちは、この世界で言葉を介して、手をたずさえることができるはずだ。

言葉は必ず、誰かのもとに届く。

あきらめず、屈することなく、本と人をむすぶ小さな営みを続けていきたい。

 

さて、そろそろ次回仕入れる本をリストアップしなくては。

2020年最後の棚。

今を見つめ、希望を感じられる本を選びたい。

text and photoprahs - Azusa Umeda

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writer / editor / book selector

梅田 梓

山口県生まれ。大阪芸術大学卒業。編集プロダクションを経て2015年に独立。

ライター、編集者、おむすびブックスとして活動中。

2017年長野県へ移住。夫と2歳の子どもと暮らしている。

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ルオムの森

ルオムとはフィンランド語で「自然に従う生き方」という意味。洋館では北軽井沢産の生はちみつや地元の食材を使った加工食品を販売。またコーヒーなどドリンクも提供しています。ギャラリーでは多彩な企画展が行われ、現在は北軽井沢の暮らしを伝える「あさまのぶんぶん展」を開催中(2021年3月末まで)。※おむすびブックスは1階の奥の部屋にあります。

〒377-1412 群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1984-239

10:00-17:00(冬季営業時間 10:00-16:00)/火・水曜 休

週末おむすびチャンネル

おむすびブックスの二人が毎週行っている読書トークを読み物にしたコンテンツ。毎回1冊の本をとりあげています。週に1回更新中。

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

逓る。

Life is a journey

ライフ・イズ・ア・ジャーニー

*東京からハワイへ

 

私は東京で生まれ育ち、ハワイに来る前は東京で大手ヘアサロンのP.R/ヘアメークアップアーティストのマネジメントをしていました。

仕事は楽しく、やりがいもあって充実していましたが、ある時ふと東京での生活に限界を感じたのです。

ある日、自宅のベランダで遠くの高層ビル街を眺めていると、優しい秋風と共に、”チリリン”と、美しく澄んだ鈴の音が聞こえたのです。

それはまるで、未知の世界からの呼びかけ、ウェイクアップコールのようでした。

 

その鈴の音を聞いた翌年、2008年に渋谷から鎌倉へお引っ越し。

小さな庭付きの古民家を借り、休日はサーフィンしたり、ガーデニングをしたり、物質的な世界から、心とからだ、スピリチャルな世界へと興味がシフトしていったタイミングだったと思います。

 

2010年秋にカリフォルニアの聖山・マウントシャスタを訪れたことで、雄大な大自然の中で暮らしたいという思いが深まりました。

その年末に12年間勤務した会社を退社し、大晦日からL.A経由でシャスタへ、山籠りのような2ヶ月間を過ごしました。

 

そして帰国後まもなく起こった東日本大震災。

電気がダウンし、様々なことがストップした経験から、こんなにも便利な現代社会に生きながら、進化ではなく実は退化しているのでは、と愕然としました。

 

それを機に、食べ物もエネルギーも自給自足する生活を夢見るように。ファーミングベースで、お金を介さず物や知恵や能力を交換し合うバーター制の村を作りたいと考えていました。

 

その年の秋、友人夫妻と初めて訪れたハワイ島とモロカイ島。

モロカイ島ではアーティストの山崎美弥子さん宅にお世話になり、その時に「うちのお手伝いをしに来ない?」とお誘いいただきました。

そしてハワイ島では、ケイコ・フォレストさんのドリーミーなオフグリッドジャングルにステイし、そこでのちにパートナーとなる男性に出会うことに。

 

このたった10日間の旅が、ハワイのジャーニーのプロローグとなるとは。

 

2011年のサンクスギビングデーに降りたったモロカイ島。

空を見ているだけで涙が溢れてくるような、美しく優しいエナジーの島で、美弥子さんの旦那様のレビーさんにアクアポニックス(水耕栽培)やコンポストシステムなど、エコでサスティナブルな暮らしを学ばせてもらいました。

 

そして、前述のハワイ島在住の男性と結婚することになり、ハワイ島プナ地区にあるオヒアフォレストでのオフグリッドジャングル暮らしが始まりました。

トロピカルファーミングやパーマカルチャーについて学んだ時期でした。

ロミロミプラクティショナー  Junka

12.1 2020

Junka
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*Lomilomiとの出会い

 

2012年の秋、アンクルアルバというロミロミクム(先生)との運命的な出会いによりロミロミを学ぶことに。

ハワイ島からオアフ島に移り、正式に弟子入りしました。

師とロミロミオハナ(家族)の大きな愛に触れ、それまでの様々な価値観は一新され、人生の新しいフェーズの始まりとなったのです。

 

師の起こす数々の奇跡を目撃し、ヒーリングはただ肉体を癒すことではなく、ボディ・マインド・スピリットがバランスのとれた状態に戻すことであり、クライアントすなわち私たち自身が起こすことであるということを理解しました。

私もロミロミを通じて自分を癒すことを学び、そこからセルフケアの概念が生まれました。

 

ロミロミと出会い、自分の生きる目的と道を知ったのです。

*現在の活動について

 

ハワイベースで活動し、年に2,3回セッションやWSを行うため日本へ。

 今年はステイホームからモロカイ島に移り、毎日ファーミングや、ロコハワイアンの友人が始めたモロカイ島の植林プロジェクトのお手伝いをしています。

 モロカイでは、魚を持ってきてくれたりするとこちらも庭の野菜でお礼したり、お金を介さないエネルギーの循環が心地良くて。

こうしていると、お金って本当にヴァーチャルというか、あってないようなものに思えて、人と人との有機的なつながりの方が大切だなと感じます。

 

ステイホーム中、”種まきとシェアリング”をしたいと強く感じ、2014年からWSやラジオなどでお話ししてきたことをアーカイヴにしてシェアしていこうと、noteで「Be your true self」というセルフケアマガジンを始めました。

 

*自分の夢と少しだけ未来のこと

のんびり島暮らしはこれからも変わらず、大自然の中でファーミングをしながら”モダン原始人ライフ” を送ること。

都市生活もジャングル生活も経験したからこそ両方の良さがわかるので、程よく現代のエッセンスがありながら、シンプルで身軽なノマドライフが理想です。

 今はZoomなどで世界中どこでもつながれますしね。

 引き続き土地や人々の癒しに携わることはもちろん、いつか子供たちにファーミングとヒーリングを教えられたらいいなと思っています。

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*みなさんへのメッセージ

 

2011年の震災から2018年のキラウエア火山の噴火まで、”大地が揺れる時が動く時”かのように、いつも見えない何かに突き動かされながら、破壊と再生のプロセスを何度も通過してきました。

我ながら怒涛の人生だなって思いますが、「それもありなんだ!」と既成の価値観がガラッと変わるような面白い人生のサンプルとして私は存在しているのかもしれませんね。

 

これからは他人軸とか世間軸ではなく、自分軸で生きる時代。

そんな時代を楽しく生きるために必要だなと思うことがあります。

まず、人とのご縁を大事にすること。

ハワイに来てから辛いこともたくさんありましたが、いつも人に助けられてなんとかなってきました。日本にいる友人たち、クライアントのみなさんも含め、いつも繋がってくれている人たちを大切にすること。

フレキシブルでいること。

これからの時代、変化に柔軟に、発想を柔らかく、でも決める時は決める。

自分の特性を生かすこと。

他の人には真似できない、自分の持ち味を惜しみなく世界とシェアしていく。

既存の世界に自分をあてはめるのではなく、自分が住みたい世界を創っていく。

今はそれが出来る時です。

 

人生って何度でも選び直せます。

明るい未来を思い描いて、信じること。

それはいつか必ず現実になるのですから。

text and photoprahs - Junka

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photo by Aya Sunahara

Lomilomi practitioner

Junka

東京都出身 2011年よりハワイ在住。

現在はモロカイ島でDown-to-Earthな暮らしをしながら、

Lomilomiプラクティショナーとしてハワイと日本の2拠点で活動中。

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#06
NOVEMBER 2020
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PEOPLE

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謳う。

To the timing of each, the time that flows.

それぞれのタイミング、流れる時間へ。

Izumi

2020年、色んなことがありましたね。

まさに、青天の霹靂ってこういう時のためにある言葉?って思いました。

澄み渡る青空に突然の雷鳴、いや青空って思ってたこと自体違うよね?ってことだと思うんですけど。

やっぱり自然からのメッセージだと、わたしは受け止めてます。

人間がやってきたことは、本当にそれで良かったのか、どこまでが自然との共存ラインなのか、改めてひとりひとりが考えてみる機会であればいいなと思いますね。

自然との対峙じゃなくて、共存。

考え方だけ変えるだけでも未来は変わってくるんじゃないかな。

今日の撮影で、波の音が聴けてよかった。

それだけでリラックスするこの感覚を信じて大事にしていきたいですよね。

わたしたちはすべて大きなものの一部なんだなーって、最近よく思います。

 

名前、変えました。

「橘いずみ」で生まれて、

そして結婚して「榊いずみ」になって、

今年になって、初めて芸名らしきものを自分につけてみました。

「和」とかいて、いずみ。

今までも「いずみさん」とか「いずみちゃん」って呼ばれているから、あまり違和感はないんですけどね。

このところ、歳取ってきて“ちゃん”付けしてくれる人も少なくなってる(笑)。

改名ですか?って大仰な感じで言われたりするんですけれど、わたしの感覚は軽く衣装替え的な感じで(笑)。

「いずみでーす」って自己紹介する時、必ず声のトーンが上がる(笑)。

ライトになるんですね。

実はこれってすごく重要なんじゃないかなーと思っていて、名字ってどこか自分がどこの誰だって宣言しているようなもので、それって少し、今の空気には重いんじゃないかなーって。

これは直感です。

どこの誰ってカテゴリーに入れなくても、自分は自分だって思っている。

今年、わたしは改めてそういう看板を上げた訳です。

2020年は、やはり予定していたライブやツアーを軒並み延期にしてしまいました。

やっぱり来てくださる皆さんの健康を害したりするのは忍びなかったし、世の中が奨励するライブのやり方に納得いかないのもありました。

お客さんが声も出せない、歌も歌えない、ソーシャルディスタンスを取りながら歌を聴くことに没頭することなんて出来ない、これがわたしがライブをやる意味がないと感じた一番の理由です。

もちろん他のミュージシャンの皆さんと同じで、ギリギリまで悩みました。

ここを振り切って開催することが革命になるんじゃないか、とかね、色んなことを考えた。

もちろん、わたしは歌を歌ってお金を稼いでいるので、ライブがなくなることのインカム問題も大きい。

本当に悩んだ。

世の中の人たちがライブを敵視する感じにも心が傷つきました。

なにより一番全国のライブハウス関係のみなさんが大変ですよね。

維持費がね、かかっちゃうから。

クラウドファンディングにコメントを寄せたりして、出来ることをやりましたけど、来年以降どうなるかな?みんな音楽界は新しい道を必死で模索してます。

でも大変なことばかりじゃなくて、東京がロックダウンした時に、Instagramを使ってライブ配信をしたんです。

週に2〜3回、夜の9時半から。

それはね、衝動だったんですよね、愛の衝動。

みんな大変だろうなー、お家生活に飽きないように私歌うよーって。

こういう時に世の中に対して自分が出来ることって、やっぱり歌を歌うことだったんですね。

出来ることと求められていることが一致してるって、シンプルなんだけど自分のこの世の役目が分かった!ピカーン!みたいな腑に落ちる感覚がありました。

「仕事」って言葉、取りようによってはクールな言葉なんだけど、わたしの仕事はこれだって誇りを持って思えたんです。それはとても大きな出来事でした。

インスタライブではわたしの曲やカバー曲(菅田将暉くんやあいみょんちゃん、エレカシや民生さんなど)50曲ほど弾き語りだけで歌って、そのことも大きな自信になりましたね。

 

 

2006年に結婚してから、主人の榊英雄が監督をする映画やドラマの作品に、縁あってサウンドトラックを作るという機会が増えたんです。

わたしは意外なんだけど、プロとしてCDをリリースするまでは、言葉よりもメロディーの方が興味があった。

いつもわたしの音楽は言葉が印象的って言われることが多かったんですよね。

でも実は音のほうが俄然楽に作れる。

サウンドトラックを作ることで、また音のほうにぐっと引き寄せられてる感じがありますね。

谷川俊太郎さんの言葉とか、無限の可能性を感じたりしますけど、わたしはそこまでスキルがないというか、まだまだというか。

一生かけて言葉の可能性も追いかけていきたいです、ほらちょっと求道的になっちゃう。

音はもっと遊ぶ感じ。

先日ね、京都まで中1と小3の娘を連れて、車を走らせて楽器を作りに行ったんです。

ソウルサウンドライアーっていう、シュタイナー的な竪琴なんですけど、ちょっと鳴らすだけで場が変わる音。

初めて聴いた時、ちょっとびっくりしちゃって。

この楽器欲しい!え?自分で作れるの?って、2週間後には京都に(笑)。

432hzっていう自然界にある音の周波数帯にチューニングされているんです。

だから聴いていると木漏れ日の下にいるような、海の中のキラキラした光を見ているような幸福感がある。

音でマインドや体をチューニング出来るってすごいなぁと思って、他にもチューニング効果のありそうな楽器をあれこれ試してます。

でもこういうことも、この時期に時間がたくさんあって立ち止まらなければ気づかなかったことですよね。

もっと思えば、もっと以前からここに繋がる布石がたくさんあって、全部が今ここに繋がってるんだなぁって、この前お茶をすすりながらじんわり思ったことがありました(笑)。

なにひとつ突発的なことはないっていうか。

 

 

配信ライブを初めてやります。

映像のこととか、色々新しい要素がいっぱいあって、頭を少しづつクルクル刷新させながら組み立ててます。

その場で歌うということは変わらないけど、新しいメディアを使っていくってことはワクワクしますね。

直接リスナーのみなさんには会えないけれど、新しい試みとして、自分の好きなスペースで好きな人たちと臨場感のあるライブを聴いてほしいです。

 

そうそう、木ノ下さんとカメラマン藤牧さんとは14年前の「Family Tree」というアルバムのアートワークをお願いしたんです。

その時も、榊いずみという名前でこれから始めようという時期だったんですよね。

「そこにいるだけでミュージシャンて違うなぁ」って14年前も今回も木ノ下さんにぼそっと言ってもらえて、その言葉がその時々のメンタリティーとぴったり合って、あぁこれから10年もまた頑張れそうだなってすごく思えた。

うまく言えてるかどうか分からないけど、そんなさりげない言葉のような歌を人に歌っていけたらなぁと思ってます。

また新しい場所へ歩いて行こうって思えるような。

シンガー・ソングライター  和 -Izumi-

11.1 2020

Izumi

text  -  Izumi

photoprahs - Tetsuya Fujimaki

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singer and songwriter

IZUMI

橘いずみとして、1992 年「君なら大丈夫だよ」でソニーレコードからデビュー。

独特の言語感覚と世界観を持つシンガーソングライターとして「失格」「永遠のパズル」「バニラ」「サルの歌」などの大ヒット曲を生み出す。

2006 年、結婚を機に、榊いずみに改名。

そして、2020 年、アーティスト名を「和 (いずみ)」にする。

映画やドラマのサウンドトラックなども手がけ、

NHK みんなのうた「うどんパン」でキッズたちを魅了するなど

カテゴリーにはまらない才能を発揮、ますます活躍が期待されている。

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橘いずみ時代のマスターピース「失格」がアナログ 7inch で発売します!ジャケットには、和による書も!

タイトル:失格/太陽 アーティスト:橘いずみ
発売⽇(発送開始⽇):2020 年 12 ⽉ 7 ⽇(⽉)
品番:DQKL-7120 仕様:7inch/45RPM
価格:¥1,900 +税
収録曲:Side-A「失格(作詞・作曲:橘いずみ 編曲:星 勝)」

              Side-B「太陽(作詞・作曲:橘いずみ 編曲:橘いずみ、須藤 晃)」

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PEOPLE

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謳う。

to follow with the tide, for now

委ねてみる、、今。

20代、私は心底焦っていた。

自分が何者で、何の目的を持って生まれてきたのか、どう生きていけばよいか分からなかった。

短大卒業後、企業に就職、1年以内で退社し、そこから、思いついたことを片っ端からやってみた。

オーストラリア語学留学、ハワイに住んだり、アジアを巡り、土着的暮らしを目指し父島に移住。

でも結局何一つ続かなかった。

それから数年後、スーツケース一つで、救世軍の女性寮から始まったNYでの7年半。

いつのまにか、白髪やシワが増えていた。

そんなことにも気づかないほど、突っ走りガムシャラだった。

そこで、出会ったのが現代アート。

現代アートの仕事、あれから、かれこれ15年以上、今なお、ここ東京で続けている。

 

「何かの架け橋」になりたいという、微かな蝋燭の炎のような明かりだけを頼りに、NYに旅立った。

その何かは分からず、人との出会いや見えない力に導かれるように現代アートの道に進んでいた。

チェルシー街のギャラリーで、アシスタントディレクターとして、勤務し、アートバブルから、2008年のバブル崩壊までを目撃する事になった。

そして、今、アートコーディネーターとして、世界と日本のアートを繋げる架け橋を担っている。

国境を越え、人と人、そして、人とアートを繋げること、それが今の私の仕事だ。

「世界中の人に会いたい。」

子供の頃抱いた夢。

そして、「架け橋になる。」という希望。

気づけば、「夢」と「希望」が叶っているではないか。

だから、やっと今少し、ほっとしている自分がいる。

自分が何者かなんてのは、いまだに分からない。

それでも、何らかの役目がある、それだけで今は十分なんだと、そう自分に言い聞かせて。

 

それにしても、「なんで現代アートだったんだろう?」。。時々ふと思うのだ。

 

「現代アートは難しいから。。」って日本ではよく聞くけれど、難しいことなんてない。

いつの時代もアートは、過去や伝統、古い慣習に疑問を持ち、思想や手法を覆しながらずっと進化してきた。

だから、実は、アートってルネサンス、いや、もっと前から、一つの線で、文脈が繋がっている。

ピカソや、モネが活躍していた頃、彼らが現代アートのアーティストで、彼らが彼らの「現代」を表現していただけ。

そのモネやピカソの作り出したアートを否定し、次世代がまた、概念を壊し、そうやって進化し続け、脈々と続く歴史の一線。

そして、その彼らの現代アートを今の私たちが愛でることできるのは、彼らの時代と私たちの時代の間に、彼らを支えてきたパトロンや、文化人が存在していたから。

 

つまり、今私たちが生きている、まさにこの時代、社会情勢を表しているのが現代アート。

そして新しい考え方、新しい思考、新しい手法、今の現代社会への提言をビジュアルで伝えてくれる。

「なるほど。」とか、「そういう見方もあるね。」とか、「これは新しい!」とか。

言葉では伝わらない、もしくは、言葉以上に何かを伝える強さも持ち、でも、見る側には、解釈の自由が与えられている。

アートに携わる人々は「今」を生き、みんな社会の動向に対して真剣だ。

そんなところが私は好きだ。

そして、一つのアートを愛でる舞台では、国境を超え、性別を超え、年齢を超え、社会的地位を超え、垣根を超えみんなが平等になれる。

さらには、アーティストはアーティストの、パトロンはパトロンの、コレクターはコレクターの、ギャラリーはギャラリーの、美術館は美術館のそれぞれのお役目を全うすることで、今の私たちの現代アートを未来の世代に残すことが可能になる。

そうやってみんなで「今」を生きた証として「時代」を紡いで繋げていく。

素晴らしいではないか! 

現代アートがきっかけに、人生観が変わる事だってあって、実際そういう人々を日本で目撃している。

私の紹介した現代アートの世界で、誰かが少しでも幸せになってくれたら、それが私の糧となる。

だから、ここにいるのは、必然だったのかもしれない。

 

けれど、今年、世界の景色が変わってしまった。

1月下旬、スイス・バーゼルで、毎年恒例の各国のArt Basel VIPレップが集まるコンファレンス、そこで議題にあがっていたのは、コロナではなく、香港のデモの話。

3月のArt Basel 香港は、開催すべきか否かだった。

それが、あれよあれよという間に、新型コロナウィルスが世界中に広まり、Art Basel 含め、ほぼ全ての国際的アートイベントがキャンセル。

私のルーティーンだった海外出張も全滅したし、海外からの来訪者もゼロだ。

アート業界は、オンラインプラットフォームと、ローカル活動に限定して操業している。

みんなが今までと全く違う景色をみているのだ。

誰がこんなことを想像しただろう。

この先のことはまだ、誰にも分からない。

完全なる未知の世界。

でもこういう時こそ、立ち向かっていけるのが、アーティストなのではと思う。

これから、どう、アートが、アーティストがこの「今」と向き合い、作品、制作活動に変換していくのか、これから、それを目撃するのは、とても楽しみだ。

 

そして、私は今真鶴と東京で暮らしている。

今までは、引っ越したいと思った時に引っ越したいからと、できるだけ物を持たず、暮らしていた。

常に動いていたかったし、常に意識が外に向いていた。

それが数年前、生まれて初めて、自分の居場所を見つけ、根を張りたいと思えた。

動き続けることにもう、疲れてしまったのだ。

海のそばに、暮らす。

そういえば、それも、私の一つの夢だった。

 

ここにはまだ半分しか根を張ってない。

ここから、何が生まれるのか、まだ分からない。

後から気づくのが、私のパターンのようだし、自分の心のちょっとしたお喋りに、耳を傾けていくうち、結果は後でついてきた。

 

今、緩い時間が流れている。

都市封鎖の頃、地球は確実に喜んでいた。

ふと夕陽を見ながら思う。

みんなが急ぎすぎていたのかもしれない。

みんなが外に求めすぎていたのかもしれない。

今となれば、あの喧騒こそ、不自然だったのかもしれないし、あの喧騒が遠い昔のように感じる自分もいる。

海の音を聴きながら、風を感じながら、鳥のお喋りを聴きながら、土を弄りながら、夕陽を愛でながら、今、静かに幸せを感じている。

次はなんだろう、どんな世界が待っているのだろうって。

不安はもちろんあるけれど、ワクワクもしている。

 

今はこのひと時のゆるやかな時間に自分をただ託そうと、また、もしかして新たな冒険が始まるのやもしれぬから。

plugin +代表 / Art Basel VIP レプレゼンタティブ日本  武田菜種

11.1 2020

Natane Takeda
Natane Takeda

text and photographs -  Natane Takeda

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plugin + 代表 / Art Basel VIP レプレゼンタティブ日本

武田菜種

 Natane Takeda

東京生まれ。オーストラリア、ハワイ、父島等に点々と移住。

2002年、NYに移りThe New School Universityでアートヒストリーを学ぶ。チェルシーにあるイタリア系コンテポラリーギャラリー、エッソギャラリーに、アシスタントディレクターとして勤務。

自身も、ギャラリー内外にて若手日本人作家を紹介する展覧会を手がけ、又、アートの他、

音楽関係イベントなどの運営のサポートや、DJとしても活動。

 

2010年、東京にてアートコーディネーション・コンサルタント業務を軸にplugin +を立ち上げる。

2012年よりArt Basel•VIP Representative 日本を兼任。

  • ブラックInstagramのアイコン
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OCTOBER 2020
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PEOPLE

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憶う。

A view of the future after

1,000 years

山崎美弥子 interview

 

 

 

 

Q、アートの世界に進もうと思ったきっかけは?  

 

物心ついた頃から、絵を描いていました。

身の回りにある紙切れや鉛筆など何でも使っていつも描いていました。

誰かに言われたわけでもないのに、幼い頃から、自分が描いたものには価値があり、いつか多くの人々が求めるものになるので、たとえしくじってもゴミ箱に捨ててはいけないという、可笑しな思いがありました。

でも、大真面目だったのです。

最近気がついたのですが、わたしは過去生においても絵描きであったことがあるようです。

ですから、絵描きである自分というものを幼い頃から魂が覚えていたのでしょう。

小学生の時は、宿題で描いた絵を持って登校すると、先生に「大人に代わりに描いてもらったんだろう。」と言って叱られました。

現在の作風ではわからないかもしれませんが、絵を上手く描くことが生まれつき得意だったのです。

当然ですよね。

過去生にプロの絵描きのキャリアがあったのだとしたら。 笑。

わたしにとっては、絵を描くということが好きであるという以上に、一番楽に表現が出来る方法だったので、その道をそのまま歩いただけなのです。

美大を卒業し、絵を描いて生きていくことをごく自然に決めました。

でも、どうすれば実際にそれができるのかは見当もつかなかったので、とにかくあてずっぽうに、作品を持って仕事をくださいと歩きまわりました。

そして、最初にいただいたオファーが、書籍の表紙の絵を描くことだったのです。

以来、イラストレーターと呼ばれるようになり、人々が望むものを何でも描いて、満足してもらえることに喜びを見出していました。

ところが二十代の後半に、これからは描きたいものだけを描こうという直感に従い、そのようにすると急に現代美術作家(アーティスト)と呼ばれるようになったというわけなのです。   

  

Q. アーティストの道を決めた時、どんな将来を想像していましたか? それは実現していますか?  

  

本当の自分が誰なのかを、いまだしっかり思い出せなかった若い頃に思い描いた未来は、資本主義社会が作りあげた価値観の中で、世界的に評価され、その価値体系の中で一流とされる、例えばニューヨークの画廊で作品が販売され、オープニングレセプションでは高級ブランドの香水をまとい、華やかにシャンパンを飲んだりすることでした。

それは実現していません。

でも、それがたとえ実現していたとしても、それはわたしの魂が本当に求めるものではなかったということを、現在のわたしは知っています。

その当時のわたしには、想像さえできなかった美しい未来を今、アーティストとして生き、リアリティとして体験しています。  

世界のラグジュアリーホテルよりも素晴らしい、ここちよさの中にいつも自分を置いています。

  

Q. なぜ、ハワイの離島へ移住したのですか? 東京で暮らしていた時との気持ちの変化は? 

  

決めて移住したのではありません。

東京のコンクリートに囲まれて生まれ育ったわたしですが、自分の感覚に嘘をつかず、真実を求めながらも、 流れに身を委ねて生きていました。

同時に自分が知らぬ間に組み込まれた不自然な現代都市社会へ疑問を感じ、いつもそこから向け出せる扉を見つけたいと心の奥で祈っていました。

やがて夫に出会い、気づくと、太平洋で船上生活を始め、四六時中、海と空だけを見つめる日々を送るようになっていたのです。

遂に探していた扉を見つけたと感じました。

そして、この小さな島にたどり着いて住まうことに。 

…思いもしないかたちで、祈りというものは叶うものなのです。

 

船を降り、島に上陸してからは二人の娘を授かり、最初の十数年間は、かつてサンダルウッドの森だったという丘に夫が建てた家で暮らしました。

そして、今から三年前にその家を後にし、現在は、海と空を見渡せる131番地の家で生活しています。

この家には「131番地の天国」というテーマ曲があるのです。

これは、わたしが愛する、それは美しいウクレレのインストゥルメンタル・ナンバー。

かつてこの家で暮らしていたことがある、島生まれのハワイアンミュージシャンが、この家にインスパイヤされ、作曲したナンバーなのです。

自分が愛した曲の、その家のオーナーになるなんて、誰が想像できるでしょうか? 

住み始めてしばらくは、その事実に気がついてさえいませんでした。

なんという祝福。人生は奇跡に満ちています。

 

横たわる水平線。

夜明けの光が山の輪郭から天に突きさすよりも早く、夫が挽いた新鮮なオーガニックコーヒーの幸福な香りに目覚め、 馬や犬、あひるなどの動物たちの世話をします。

それからこの131番地にわたしたちが植えた草花や木々に水を与え、雑草を抜いたり鉢を植え変えたり。

それらをすべて終えてから、ようやくわたしはアトリエでカンバスの前に座ります。

一日の終わりには、まるで映画のクライマックスのようなサンセットを背景にした家族四人のディナーテーブル。

ベッドに滑り込む前には、ガーデンに設置したキャストアイロンのバスタブで、満天の星たちに見つめられながら、ゆったりと一日をふりかえるのです。 

 

隣接した住居の灰色の壁が、窓枠からはみ出す四角い東京の部屋で暮らしていた頃のわたしは、一日中、プレイヤーからの音楽を、絶やさずにはいられませんでした。

幸福感が自然と湧き上がってくるような環境に自分を置いていないという事実を忘れようとするためでした。

でも、この島に暮らして、音楽をかける習慣はなくなりました。

なぜなら、山々から渡ってくる風の歌声、小鳥のさえずり、馬のいななき、海から届く、さざ波のささやき。

そんな音たちに囲まれながら毎日をおくっているからです。 

あれほど愛したお気に入りの曲、「131番地の天国」でさえ、もう、スピーカーから流れて来ることがありません。

その曲の世界の中に、今、わたしたちはこうして生きているから。  

そうです。

わたしたち自身が音楽そのものになってしまったから。

Miyako Yamazaki

10.3 2020

artist  山崎美弥子

1000年後の未来の風景

Miyako Yamazaki
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Champagne Gold Loves Light Blue
New Day
Color of Grass
Light
Painting of Ocean
Moon Above Island

Q.  人生の中で、忘れられない出来事はありましたか?  

 

…もちろん。

でも、それについてここで手短に語らせていただくよりも、10月10日にリトルモアから発売の新刊「モロカイ島の日々〜サンダルウッドの丘の家より〜/山崎美弥子 文・絵」をぜひとも読んでいただきたいです。

 

Q.その新刊について少し教えてください。

 

そうですね…。

2011年、大震災が起きて、日本の人々の胸がざわつき、苦しみ、悲しみ、迷い…、様々なこころの体験をしていた時のことでした。

天界からの声を聞くことができる友人から、不意にメッセージが伝えられたのです。

「待っている人々がいる。本を書いてください」と。

その言葉に急き立てられるようにわたしは書き始めました。

それから一年余りでわたしは本を書き上げることができましたが、その後、書かれたものが実際の本になる機会はなく、九年間ものあいだ静かに眠っていたのです。

ところが、昨年の初め、日本から、二人の女性が島まで訪れ、わたしの描いた海と空の絵をお求めになって帰っていかれました。

のちに彼女たちがわたしの書いたものを本にしたいと、動きはじめたのです。

当初、二人からクラウドファンディングによる出版を提案されましたが、わたしはお断りしました。

クラウドファンディングというものの性質上、もしかしたら、助けてくださろうということで、本を読みたいとは思っていない方々からも資金援助をいただくことになってしまうかもしれない。

そのことに不自然さを感じたからでした。

もちろんそう感じたのは、この本についてのみであり、クラウドファンディング自体は素晴らしいものです。

でも、天界からのメッセージにうながされるように書いたもの。

本当にそれがかたちになる必要があるのなら、おのずと道が開かれるはず…

そんな気持ちがあったわたしは、この本づくりは、あくまでもみずから望んでくださる出版社やスポンサーが現れたらにしたい…と、二人に伝えたのでした。

その後、二人は出版の実現に苦戦します。

でも、2020年、今年の三月、「作りましょう」という出版社が突然に現れたのです。

それはちょうど、世界の国々で日常の変化を強いられはじめ、日本の人々の胸が再びざわつきはじめた頃でした。

…こうして出版のプロセスがスタートした直後、二人の女性のうちの一人が、思いもかけず天に召されてしまったのです。

なんということなのでしょう。

あまりにも驚いて、そのことをどう受けとめればよいのか…。

わたしは、ずっとこたえを探しています。

今というタイミングで、世の中へこの本を送り出すことができる。

…彼女がいたからこそ、この本が出版されることになった事実だけは間違えありません。

…彼女は天使だった…とさえ感じてしまうわたしは不謹慎でしょうか?

そうであるなら、本当にごめんなさい。

でも、魂は肉体の死によって終わりはしない。

ふと、彼女がわたしのそばにいるように感じることがあります。

それは、あたたかくふんわりとした感覚。やさしいミストのように。

 

Q. 絵を描く上で心がけていることはありますか? 

  

作為のないこどものように描くことです。

意識はわたしの中に在る1000年後の未来の風景にフォーカスします。

もしも描いている時に様々な「思考」が浮かんできたら、 絵筆をとめます。

あるいはそれでも描くことをやめなかった場合、その「思考」と、絵を描くという行為をわたしは完全に切り離します。

それはおそらく、臨死体験をしたという人々が、自分の肉体を、魂である自分が空中から眺めたというようなエピソードを読んだり聞いたりしたことがあるかもしれませんが、そのように切り離された感じです。

思考する自分と、絵を描く自分が同時に存在しています。

思考していない方のわたしが描いているのです。

そのようにすることによって、「思考」をカンバスにはのせないようにしています。

なぜそうするかというと、わたしたちの日常にはあらゆる「思考=思い」がすでにあふれかえっているから。

「思い」というものほど、時に邪魔になるものはなく、この世界にもう一つそんなものを増やす必要は無いからなのです。

すなわち、「思い」のこもった絵を描きたくもなければ、わたしは見たくもないのです。

わたしたちが求めているのは「思い=思考」ではなく、真理だから。

今、わたしの目前に広がる海と空に、思いがあるでしょうか。

風景はただ、絶対的に存在しているだけ。

たとえ風景というものに、魂が宿っていたとしても、そこに「思考」はありません。  

そして、それは、…真理ですよね。 

  

Q.  絵を描く時のコンセプトや、インスピレーションは?  

  

わたしは、眩い1000年後の未来の風景を描いています。

こどもたちや、こどものこころを持った大人たちへの道しるべとなるように。

では、1000年後の未来とは、一体どんなところなのでしょう。

それは、無条件にすべての存在が受容される世界…。

海と空を絵描くときも、花を絵描く時も、いつもわたしがこどもの頃に一度だけ神様に見せてもらったことのある、1000年後の風景の真ん中にわたしは立つようにしています。

四角いカンバスは時空を超えた窓。その先に広がる世界は、1000年後の未来であると同時に、もしかしたら1000年前の過去であるかもしれません。

そして、たった今の、この瞬間でもあるのです。

カンバスの、窓枠のような四角の向こうに、視線を投げれば、そこには、一切の条件も無く、わたしやあなたを、どんな時も受け入てくれる世界が果てもなく広がっているのです。  

  

Q.  実際の風景、特定の場面などを切り取って描いているのでしょうか?  

    

実は、こどもの頃に神様に見せてもらった1000年後の風景には、色や形はありませんでした。

それは無色無形の一元の世界だったのです。 

…それでもあえて、かたちあるわたしたちのこの世界でそれを表現しようとした時、このような色彩が生まれたのです。

そして同時に、その色たちは、この島の海と空が創り出す無限に移り変わるグラデーションに、そして海沿いで、可憐に咲く花々が放つフレグランスの彩りに、それはよく似ているのです。

そうです。

この島の風景は、あの愛おしく懐かしい未来の風景に似ているのです。

この地球上で、出会うことができるかどうかはわからなかった、1000年後の未来の風景。

それをもう一度、この目で実際に見つめることを、ずっと追い求めていたからこそ、きっとわたしは、その風景によく似た面影を持つ、この島に辿り着いたのかもしれません。

 

Q.  壁にぶつかった時は?

    

壁に直面した時…。

まずは、勿論苦しみます。

苦しむ、かっこう悪い自分というものを許して。

信頼する人に自分をゆだねて話を聞いてもらい、 たとえば二日間は存分泣いたり悩んだりするのです。

でも、そのあとはとにかく、なんでもいいから何かを、始めるようにしてきました。

そして、どうにかなるという自信を持つのです。

その自信に根拠はいリません。

壁が大きければ大きいほど、それを乗り越えたあとに広がる風景が美しく見えるという人生の真実を、大人になった私はもう知っています。

ですから、苦しみながら、どこかでもう一人の自分がワクワクしていることさえあるのです。

乗り越えられない壁はないのでしょう。

自分が乗り越えると決心してしまえさえすれば。 

でも、あきらめようとしたことだってあります。

そんな時には神様から叱咤されるのです。

だからもう一度決心するしかないのです。 

そして、苦しむ時に、励ましてくれる人たちがいる。

そのおかげで乗り越えることができた。

そのことをいつも思い出しています。

Q. 絵が描けなくなるときもありますか? 

 

筆が進まなくなることはありません。

「自分が描いている」という気持ちもありません。

でも、万が一何かが上手くいかないことがある場合、例えば、この島には画材を買える店はありませんから、絵の具がもうなくなってしまったとか、カンバスもないとか、そんなことはあります。

でもそれでも 頑張ってどうにかしようとせず、そのままにします。

急いで解決する必要はありません。

上手くいかないことは、その時にはできなくてもいいことだと思っています。

必要があれば自ずと問題は解決していくんです。 

  

Q. これからどのように生きていきたいと考えていますか?  

  

…今、そして今からの世界では、過去には想像もできなかったようなことが起きて来るかもしれないと…そう、感じています。

必ずしもネガティブなことを言っているのではありません。

いずれにせよ大切なのは、自分の力で、目の前で起きている現象を理解するということ。

頭で理解するだけでなく、魂の奥から悟るような感覚。

誰かから聞いたことをただ信じるのではなく…。

そんなふうになれるために、日頃から自分のこころに耳をすますことをわたしは大切にしています。

そして自然を感じることを大切にしてきました。

これからも。

そして、意識すること…。

祈ること。

…祈りとは思いもかけないかたちで届き、叶うものなのですから。

Q. 最後に読者に伝えたいことは?  

 

…もしも今、生きるために必要なものはすべて、すでに十分与えられているとしたら、これからも与えられ続けるとしたら、あなたはどうしますか? 何をしたいですか? 

…思い切って今日、それをやってみてください。

できる方法を見つけるのです。

 

 …わたし、ですか?

…カンバスに描くことでしょう

…あの懐かしい1000年後の未来の風景を…。

そうです、今日も。

 

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アーティスト

山崎美弥子

Miyako Yamazaki

1969年東京生まれ。
多摩美術大学卒業後、東京を拠点にアーティストとして活動。
一転し、2004年より船上生活を始める。のち、ハワイ・モロカイ島のサンダルウッドの丘に家を建てる。
現在は東に数マイル移動し、「島の天国131番地」と呼ぶその家で、心理学者の夫と二人の娘、馬や犬たちと、海と空や花を絵描きながら暮らしている。

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エッセイ『モロカイ島の日々――サンダルウッドの丘の家より』

ハワイ諸島のなかでも、もっとも古い記憶をとどめる島、モロカイ。
導かれるように彼の地に渡り、島をつつむ色彩を見つめ描きつづける画家の、心の旅。
生まれ育った東京での暮らしにふと空白を感じ、渡ったハワイ。
パートナーと出会い、船上生活を経て自らの手で建てた家で2人の娘を育て過ごした10年間――。
個展では120点もの作品が完売しやわらかな文章にも支持が集まる大人気アーティストが綴る、日々の記録。
息苦しい今こそ、あなたの心に届けたい。
海、空、星、そして大地――ハワイの風に包まれる、奇跡と祝福に満ちた7章のエッセイ。

 

10/10発売 アマゾン先行予約受付中

モロカイ島の日々 サンダルウッドの丘の家より

山崎美弥子・文と絵

Little More刊

 

この本の印税はすべて、モロカイ島の、環境、教育、健康、ハワイ文化などの保護&維持活動にたずさわる団体や個人への寄付とさせていただきます。

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

憶う。

Living calmly in a frustrating world

私は今なぜかロンドンに住んでいる。
それは、10年前、2年前でさえ想像もしていなかったのに、もうすぐ1年になる。

それまでの10年は、自分の好きなことを仕事にするため、全速力で走り続けてきたので、ロンドンでは少しだけのんびりと丁寧に暮らしたい、自分の気持ちのままにゆるやかに過ごしてみたい、そう思っていた。


コロナ以前に、海外に暮らすという選択をした私は、働き方や仕事の体制を大きく変えることになったけれど、2、3ヶ月に一度日本に帰ればいい、と当初は案外軽く考えていた。


というのも、ロンドンに来る前の1年半は、東京に住みながら2、3ヶ月に一度NYへ行き2週間過ごす、という暮らしをしていたこともあって、その逆パターンで過ごせばいいだろう、となんとなく生活自体が想像できたからだ。

「東京に住みながら2、3ヶ月に一度NYへ行き2週間過ごす」
文章にしてみると、なんとなくかっこいいけれど、まともに歩けなくなった19歳の愛猫の介護をしながら、仕事も詰め込み、東京―NY間を行き来する日々は、正直かなり体に負担がかかった。


日本に仕事を残しながらロンドンに来ることを決断できたのは、大きめの事故に巻き込まれ、人に裏切られ、病気が発覚し、愛猫が天国に旅立った、そんな人生最悪ともいえるようなタイミングが重なって、少しのんびりしたら?と誰かに言われているような、自分を癒したい、そんな気持ちがあったことも深く関係していると思う。
 

日本で学生生活を終えてから、自分の意思でアメリカに6年住んでいた経験もあって、再び住むことになるとは想像もしていなかったけれど、海外に住むこと自体には抵抗はなかったし、新しい生活に心躍るというよりも安心感を覚えた。

それは、環境が変わると気分が変わるというような「リセット」の感覚に近い。


「物理的に100km移動すると、物事からも精神的にも開放される」とことを聞いたことがあるけれど、まさに、そんな感覚。
 

東京―NYを行き来していた時も、ロンドン―東京を往復する時も感じるのは、自分の周りの空気の流れが変わるということ。
どこか新しくなぜか懐かしい香りのフレグランススプレーをシューッと吹きかけられて、自分の体の周りを勝手に一周しているような変わり方をする風のような空気。

 

コロナ後も旅する理由を考えてみたら、つきつめてみれば同じなのかもしれない。
旅しよう!と思って旅に出るわけではなく、行きたいと感じたところに行く。
そこでは、どんな人と出逢えるのか、どんな風が吹いているのか、そこに行くことで自分の周りの空気がどう変わるのかが知りたい。

ロンドンで気持ちのままにおだやかに暮らしていたら、コロナがやってきた。

アジア系というだけで暴行されるかもしれないから外出は控えるように言われはじめ、少しずつヨーロッパで拡大。
イタリア、フランスがロックダウン、日本へのヨーロッパからの入国は2週間の自宅待機措置がとられるようになって、予定していた一時帰国も延期。
同時に駐在員とその家族には、帰国希望調査が行われ翌日までの決断を迫られる。
金融機関勤務の夫は、リーマンショック以上の状況下により激務で毎日ぐったりしている、私の日本の仕事も変更ばかり、もし感染した場合、外国人は病院で診てもらえるのだろうか?
この後の世界はどうなってしまうんだろう・・・


日々変わる状況に怯え、不安に押し潰されそうになりながら、イギリスもロックダウンされると噂されるようになり、突然迎えたロックダウン。
いざロックダウンすると、できることは限られているため案外すんなりと気持ちは落ち着いていった。


その後、日本で緊急事態宣言がなされると、今度は日本が一気に不安という波に飲み込まれるように空気が変わったようだった。イギリスのニュースが日本で流れれば、心配の声も沢山いただいたけれど、海外にいるというだけで安全な避難場所にいるようにとらえる人もいるのか、不安や苛立ちを向けられたり、浴びせられたりすることもあった。


なんて悲しい世界なんだろう。

私はそんな世界にいたくない。
何かに縛られたり、自由を制限されたりすることは窮屈だし、もどかしい。

でも今は、この「もどかしい世界の中での精一杯を楽しむ」ことが自分を癒すことになるのではないか?と考えるようになった。

ヨーロッパは国によって地域によって規制は違うが、少しずつ動けるようになった。
行けるところには行ってみよう。
自分の目で見て体で感じられるものに触れてみたい。
それによって、旅することができない人たちにも
新しい風を届けられるかもしれない。
もちろん、規制を守りながら行ける範囲で。

私はロンドンに暮らしながら、北海道から沖縄まで「ファッションやビューティーが好き」という気持ちを持った20代から60代の向上心溢れる女性に囲まれ、育成に携わっている。

一人一人、人生最高な瞬間も人生最悪な出来事もある。
離れていることで、もどかしさを感じることもある。
 

それでも、寝ても覚めても頭から離れない好きなことを仕事にできて私は幸運だと思うし、リセットもリフレッシュも自分でできる。
 

人は誰でも自らを活かすことができると信じているから、もどかしい世界でも心はおだやかにフラットでありたい。
そして精一杯を楽しみたい。

 


 

もどかしい世界でおだやかに

image consultant  工藤亮子

10.3 2020

Ryoko Kudo

text and photographs -  Ryoko Kudo

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イメージコンサルタント

工藤亮子

Ryoko Kudo

イメージコンサルタントとして独立起業して11年目。
NYのFashion Institute of Technology (FIT) イメージコンサルティングコースでの専門的な学びを活かし、独自のコンサルティングスタイルを確立。
“似合う”を提案するだけでなく、本質、強み、ライフスタイルまで多角的に分析し、“人生が豊かになる装い”を導き出し、経営者、芸能人、文化人、エグゼクティブのイメージ戦略、自分らしく生きたい女性の魅せ方まで、幅広く支援している。
東京―NY間の二拠点生活を経て、現在はロンドン在住でありながら、イメージコンサルタント、パーソナルスタイリストの育成にも注力し、業界トップクラスの門下生を多数輩出。一人一人の強みや個性を引き出すこと、そして装いやビジネスにその人らしさを反映させることを得意とする。
協会、NPO法人などのブランディング、省庁のHPコーディネート、行政、大学でのイメージアップ講義、スタイリスト向けの教材開発、日本橋三越本店、銀座三越でのトークショー、スタイリングイベントなども行っている。NHKあさイチをはじめ、メディア出演掲載実績も多数。

一般社団法人イメージプロデュース協会 代表理事
銀座イメージコンサルタント プロ養成アカデミー 代表

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#04
SEPTEMBER 2020

PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

遷す。

A little bit on the side of

all living things

少しでも生き物の側に

printmaker  猫野ぺすか

9.4 2020

Pesca Nekono

幼稚園の時には、虎になりたいと思っていた。

大きくて優雅で強い、猫の王様のような虎に。

でも子供心にそれは無理かなと思ったので、

将来なりたいものを書く紙に、「とらどしになりたい」と書いた。

それだったらなれるかもしれないという希望を持って。

でも即座に先生に、「ムリ。絶対に成れないわよ」と言われて絶望した。

他の子は「パン屋さん、なれるといいね」「ピアノの先生、素敵ね」などと言われているのに、

私だけは「ムリ」と断言されたのだ。絶対に、と。

物心ついた時から、生き物に惹かれた。

生まれが吉祥寺だったので、

井の頭自然文化園には通ったと言っていいほど連れて行ってもらった。

はな子さんやビーバーのような哺乳類だけでなく、

オオサンショウウオやカメやカイツブリも大好きだった。

不思議で面白くて仕方なかった。

近所の犬や猫にももちろん寄って行き、

手を噛まれても次の日も撫でに行っていたそうだ。

 

だから、なぜ自分は人間側なのだろうと思っていた。

小学生の頃、二十歳までずっと私の面倒を見てくれていた師匠猫に、

どうして私は猫になれないんだろうと聞いていた。

そのうち本を読んで、将来なりたいものが動物行動学者や獣医になった。

でも高校3年生の時に、理系に進めばどの分野でも解剖や動物実験を免れないと気づいた。

どうして大好きな生き物をこの手で、

食べるため以外の目的のために殺せるだろうと思い、

それなら描くほうに行こうと思った。

Pesca Nekono
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それから30数年経って、

紆余曲折あったけれども、

今は動植物の絵を描くことが仕事のメインになっている。

とても幸運だと思う。

挿絵や装画、絵本の絵、展示販売する絵、もちろん人間を描くこともあるけれど、

基本は「動物を描かせてください、描きたい」と言っている。

方法は、木版画と消しゴムはんこと焼き絵。

焼き絵は4年前から始めたものだけれど、

動物の毛並みを表現するのにとても合っていて、気に入っている。

焼き絵の技法を使った絵本も2冊出た。

特に「おおかみとしちひきのこやぎ」(フレーベル館)では、

編集者さんは版画のイメージで依頼してこられたのに、

「どうしても子ヤギや狼の毛並みを焼き絵でやりたい」と言って展示を見に来てもらい、

納得していただいた。

そしてこの絵本で、

私の守護神のような存在である念願の狼を描くことができるようになった。

あまりに好きな動物は、理想が高すぎて描くことができない。

描こうとしても力量不足で、「狼はもっと力強くて大きくて美しくて…」と思ってしまうのだ。

 

猫も同じで、なかなか自分で納得いく猫を描くのは難しかった。

猫との付き合いはそれこそ四十数年にもなる。

自分と分かちがたい存在だ。

猫は本当に素晴らしい生き物で、

描いても「本当はもっと柔らかくてしなやかで温かくて美しくて…」と思ってしまうのだ。

猫をちゃんと描けるようになったのは、ごく最近、2年前だ。

きっかけは、子猫の兄弟が新たにうちにやってきたことと、

初めて壁画の仕事をいただいたこと。

8m×3.4mの大きさの作品を、木版と焼き絵のデータを組み合わせて作った。

なんでも好きなように描いてくれて良いというオーダーだったので、

私がずっと創り続けている「アイルリンド」という、

物言う獣や不思議な生き物、植物がある世界を描いた。

その中に、2匹の猫の肖像を描いた。

それは人間の子供と同じくらいの大きさで、

子供たちがその前で一緒に写真を撮っているのを見たとき、

ああ、やりたいことにまたひとつ近づけた、とうれしかった。

 

私がずっとやりたいと思っていること、

それは生き物の素晴らしさを人に伝えること。

ただそれだけなのだと思う。

自分が感じている、生き物の不思議さ面白さ、美しさ可愛さ、命の温かさ。

それを少しでも人間に伝えることができたなら。

どうして自分が人間なのか、彼らの側ではないのか。

それをずっと考えてきて、

いま人間である自分にある役割は、それなんじゃないかと思うようになった。

そして絵本という媒体に関わることで、

特に子供たちに、

まだ小さく柔らかいうちにこそ、

生き物の素晴らしさに触れて欲しいと思っている。

そして彼らのことを考える人間が少しでも増えてくれればと願っている。

 

今は世界の状況が厳しくて、動物よりも人間が大事だ!という人も少なくない。

でも、動物たちが生きやすい世界は、人にとっても優しい世界だと思うのだ。

小さな生き物に心痛める子は、きっと他の子供をいじめたりはしないだろう。

生き物を育てることで、自分が面倒を見なくては死んでしまうものがいることを知るだろう。

死を経験することで、悲しみや愛しさがわかるだろう。

生き物を知ることで、人間社会の外にある、豊かな大きな世界を知ることができるだろう。

 

そんなふうな願いを持ちながら、生き物の姿を描いていきたいと思っている。

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版画家

猫野ぺすか

Nekono Pesca

吉祥寺生まれ。版画と焼き絵で作品を制作。

挿絵や装画、絵本などを手がける。

個展、グループ展多数。消しゴムはんこワークショップも各地で開催。

絵本に「おおかみとしちひきのこやぎ」(フレーベル館)「いっしょ いっしょ」(福音館書店・こどものとも0.1.2.)「ちいさいきのいす」(鈴木出版・こどものくに)「カラスのスッカラ」(佼成出版社)「ぺんぎんちゃんのぼうし」(鈴木出版・こどものくに)「こひつじとことこ」(福音館・こどものとも)など。 

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絵本『おおかみとしちひきのこやぎ』

版画ではなく、初の全部が焼き絵技法の絵本となります。

狼が大好きなので、その毛並みを書きたいと思い、焼き絵にしました。

7匹の子ヤギが主人公のはずなのに、狼メインの本となってしまいました。

フレーベル館

引き出しのなかの名作・9

末吉暁子/文 猫野ぺすか/絵  

西本鶏介/監修 

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

遷す。

 

 

Would you like to waltz with a listening demon?

私は、あっちでもこっちでも色々な人に質問をぶつけてしまいます。

不躾だし、そもそも品がない行為かもしれないと思うのですが、聞かないではいられません。

 

私の仕事は、本を編集したりプロデュースしたりすることです。

私が主に関わっているビジネス書の世界では、

著者にインタビューすることを通じて原稿を完成させることが多く、

本によっては10時間も20時間も著者に話を伺います。

 

だから私の質問好きは、仕事のせいで開発されたのかもしれないし、

あるいはこういう性格だから、この仕事に巡り合ったのかもしれません。

どっちが正解かはわからないけど、いやきっとどっちも正解なのだろうけど、

とにかく仕事でも仕事以外でも、しょっちゅう誰かに何かを質問しています。

暑苦しいヤツですね(苦笑)

 

で、最近私のこの行為が何かに似ていると気がつきました。

「読書」です。

私は「人」という「本」を読んでいるのだと思うのです。

 

面白そうな本が目の前にあったらページをめくらないではいられないように、

面白そうな人がいたら「質問」というツールを使って、その人を読み始めてしまう。

 

「会社員をやめて自分で商売を始めたのは、何かきっかけがあったんですか?」

「最近の自慢話を教えてください」

「誰かをカッコいいって思うのはどんなときですか?」

などなど。

 

飲み屋だったり初対面の仕事相手だったり旅先で出会った人だったり、相手はさまざま。

最初はそれでも当たり障りのない質問から始めます。

相手が扉を少し開けてくれたら、ズズズイーっと奥を目指して一直線。

質問と答えの応酬を何度か続けているうちに、

知らない世界がだんだん見えてくるともう止まらない。

 

たとえば、活躍している人は皆、問題を課題に変えるのがとても上手なこと。

神楽坂という街が、飲食業界の人にとって独立して勝負する格好のスタジアムになっていること。

パン屋さんでも陶芸家でも手仕事をしている人は、自分の言葉を持っている人が多いこと。

いろいろなことを私は「人という本」から知りました。

ジャンルも、ミステリーだったり、ラブロマンスだったり、ビジネスだったり実に多彩。

ヒト本(いちいち「人という本」と書くのメンドくさい。縮めちゃっていいですよね?)におよそ駄作はありません。

 

知識が得られて面白いだけでなく、次第に立ち現れてくる未知の世界が興味深い。

外国を旅して車窓の風景に心が踊るような感じとでも言いましょうか。

 

でも、自分は楽しくても相手にとってはそうとは限らないということは、

キモに銘じなくてはいけないなと思うのです。

 

幸いなことに、私という聞き魔のおかげで、言語化できていなかった想念がクリアになった、

スッキリしたと感謝されることもあります。

話しているうちに、大切なことに気づけたと言われることもあります。

でもその一方で、「しまった!」と思わせてしまうこともあるからです。

 

たとえば数年前、馴染みの美容院で起きたこと。

何年も通っていた原宿の美容院で、私はついつい聞きすぎました。

 

私「美容師さんとお客さんは、オープンな場所ではあるけど一定時間を2人っきりで過ごすみたいなものじゃないですか。どっちかがどっちかを好きになるみたいなことってあるんですか?」

美容師さん「ありますよー。ボクこれでもモテますよー」

私「でもYさん、独身ですよね? やっぱりお客さんとは恋愛しないように気をつけてるんですか?」

美容師さん「いいえ、そんなわけでも無いんですけどー…」

 

このあたりまでは、普通ののんびりした会話だったのです。

その次の私の発言がマズかった。

私「相手と自分の好きのタイミングが一致するのって、奇跡みたいなものですからねー」

要は、相思相愛なんてそうそう起きないですよね、と相手に合わせたつもりでした。

 

いまでも覚えているのですが、この瞬間その美容師さんのハサミが止まりました。

そして、学生時代に奇跡的に出会った女性と恋に落ちたこと、

ところがその女性は親友の恋人だったこと、

結局親友もその女性も自分も不幸になったこと、

いまだに後悔を引きずっていることを話してくれました。

 

店内は結構混んでいましたし、美容師さんはその店のオーナーでもあったのですが、

多分4、50分くらいでしょうか、

私たちは彼の大学時代の辛い恋の思い出から抜け出せなくなりました。

 

やがて話は終わりカットが再開。私は普通にお勘定をして帰りました。

成就しなかった恋がその後の彼の人生に及ぼした影響に思いを馳せながら。

 

このことがあったあと、私は2度ほどそのお店に髪を切りに行きましたが、

結局その店に通うことをやめました。

その美容師さんが、薄皮1枚分だけよそよそしくなってしまったからです。

心の奥にしまっていたことを無理に引き出してしまったと気づいたのは、そのときです。

 

ヒト本を読む行為が、実際の本を読む行為と決定的に違うところは、ここかもしれません。

実際の本は、面白ければどんどん読み進めればいいけれど、

ヒト本は、いくら面白くてもページは慎重にめくらなくちゃいけない。

 

ヒト本のページは、とっても破れやすい。

一緒にワルツを踊るように、相手に集中して丁寧に慎重に呼吸を合わせること。

無理に踊らせないこと。

 

強引にまとめると、私は相手と上手にワルツを踊りながら、その人の物語を読みたいってことですね。

相手の足を踏んづけないようがんばります。

聞き魔とワルツを踊りませんか?

 Kaori Yonedu

9.4 2020

book editor & publishing producer  米津香保里

Kaori Yonedu

text and photographs -  Kaori Yonedu

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空雲
月面小皿
公園の鳩
お茶カフェ
桃とブッラティーナ
吊るした花
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ぴょんきち
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書籍編集者&出版プロデューサー

米津香保里

Kaori Yonedu

書籍編集者&出版プロデューサー。
株式会社スターダイバー代表。
ビジネス書を中心に本の世界で15年超。
神楽坂の地で本づくりやコンテンツ制作に勤しんでいる。
著者の代わりに本を執筆するライターの養成塾「上阪徹のブックライター塾」事務局。
本屋さんのイベント情報をお届けするサイト「本屋で.com」主宰。

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