
#10
MARCH 2021

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
呵す。
Words create your future.
言葉が自分の未来をつくる
writer / editor / teacher of composition classes 高田ともみ
3.1 2021
Tomomi Takada
「仕事を辞めたいのですが、今後のことを考えると不安で決められません」(40代 会社員)
――自分のやりたいことをしたらいいと思います。自分のやりたくないことをすると人生がたのしくないと思います。(小5女子)
「実は動物に触れるのが苦手です」(40代 主婦)
――じしんもってやったらできる。(小2女子)
「人前で話す時、緊張してしまいます」
――あきらめよう!(小5男子)
「上司が仕事をしません。どうしたらいいですか?」(30代パート)
――上司が仕事をしないなら、いっぱい努力して上司よりすごい人になって、仕事をやってもらったらどうですか。(小6男子)
これは、大人の悩みに子どもたちが答える
「大人お悩み相談室」で書いてもらったものです。
言葉足らずだったり、ぶっきらぼうだったりするけれど、
子どもたちの言葉には
軽さと真剣さの両方がちょうどいい具合に混じり合っている。
大人の私にも、きっと同じことは言えるでしょうが、
子どもたちの言葉の方がスッと心に入ってくる気がするのは
なぜなんでしょう。
計算も憶測もない、子どもたちの言葉。
私はもうずっとずっと、
その透明な音色みたいなものに、魅了され続けています。
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*****
フリーランスの編集ライターとして仕事をしていた私が
「こども表現の教室」という屋号で、
小さな子ども向けの作文教室を開講して
5年ほどが経ちました。
作文教室を開くことになったのは、
娘のお友達のお母さんからの相談がきっかけ。
ーー息子が全く作文が書けない。見てやってほしい。
そう言われたとき、私に作文を教えることはできないけれど、
自信を持ってもらうことはできるかも、と思いました。
書けないんじゃなくて、
書きたいと思っていないんじゃない?
そう思ったから。
子どもたちは、本当に素直に、自分の思いを表現します。
まっすぐすぎて、逆に鋭いくらいに。
それがいつの間にか、
「相手を傷つけるから、いっちゃダメよ」
「それじゃつまらない」「もっと前向きな言葉を」
などの反応に取り囲まれるようになり、
自分の言葉に蓋をするようになる。
“いいこと、言わなきゃ”。
私自身にも痛いほどその経験があるからこそ、
子どもたちに「そんなこと考えなくていいよ」
と伝えられたら、作文を超えた時間が作れるかもしれない、
と思ったのです。
*****
私の作文教室では、
いわゆる王道の作文を書いてもらうことは
あまりありません。
冒頭のようなワークをはじめ、
連想ゲームや物語づくり
時には外を散歩しながら生きた言葉を探します
(2020年からはオンライン中心です)。
できるだけ、子ども自身がそのまんまを表現できる
場をつくり、五感を刺激するようなことをしたい。
こうやって書くとなんだか楽しそうですが、
子どもって想像以上に
自由で、バカバカしくて、すぐ忘れる(とくに男子)笑。
秩序もへったくれもない時もしょっちゅうですが、
ふとした時、
その子の感性の塊みたいな言葉を
取り出せることがあるのです。
なんでこんなことが言えるのーーー!!
身震いするような興奮を抑えつつ
その荒削りで生々しい響きには、
もう、世界をひっくり返す力さえあるように
感じてしまうのです。
子どもの自由さに魂が吸い取られそうになることもありますが、
そんな言葉に出会えることが
細々とでもこの教室を続けていられる
原動力になっています。
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*****
20代の出版社勤務から雑誌や書籍に関わり、
わりと長い間、言葉と向き合う時間を
過ごしてきました。
書き手として
自分の文章を誰かが読んでくれる喜びは、
どんな体験にもかえがたく
自分なりの言葉をもっと突き詰めていきたい
と思う気持ちは消えることがありません。
かといって、
自分の文章が上手いなんて思ったことは一度もないし、
表現したいことがあふれて仕方がない、
なんて天才肌なわけでもありません。
ただ、
”言葉の向こう側にある
まだ言葉になっていないものをつかみたい”。
その魔物みたいな魅力には
ずっと取り憑かれています。
2018年に自著を出版できたことも
この想いを強くするきっかけになりました。
私の夫は中国人で、ひょんなことで
中国の夫の実家で暮らすことになったことで、
私は自分の信じてきた「常識」のほとんどを
崩壊させられました。
日本では「無神経」だと思えた夫は
中国では「礼儀」を大切にしている人で
「中国は自由のない国だ」という思い込みは
日本の「不自由さ」を浮き彫りにしました。
食も、家族も、PM2.5も
実際に暮らしてみて、感じたことと
テレビや新聞で見聞きしたこととは
あまりにもギャップがありすぎた。
ーーー伝えずには、いられない。
その衝動が、決して書くのがうまくない
私の背中をぐっと押し続けてくれたのです。
*****
私は、子どもたちに「書くことが苦手だ」
なんて思い込んでほしくないだけです。
「ねえねえ! これみて!」
と言って両手いっぱいに
ダンゴムシをウヨウヨさせてしまうな子どもたちに
書く才能がない、わけがない。
自分の言葉をそのまま出せて、
それをそのまま受け止めてくれる場があれば
子どもたちは自由にその想像を羽ばたかせるはず。
言葉が自分の未来をつくる
と、私は信じています。
自信をなくすことがあっても、
どんなに腐りそうなときでも 、
自分を否定せずに、自分だけは自分の味方になって
自分をまっすぐ見つめられるようなったら、強い。
そして、それを助けてくれるのは
どこかの誰かが言った名言なんかではなく、
心の奥底から静かに湧きあがる、自分だけの言葉です。
おもしろくない、つまんない、
書きたいことなんかない!って言ってもいい。
でも、そこで考えることをやめない。自分をあきらめない。
言葉をつむぐことは、
自分を大切にすることだと
私は思います。
だから今、
あなたがどこにいて、どんなことを感じていて、
どんなふうにこの世界を見ているのか、教えてよ。
そんな気持ちで、
子どもたちといつも
ただ遊んでいるんですよね。
text - Tomomi Takada
photo - Satoko Murakami
profile photo - Shinya Kondo

Book『中国的「今を生きる」生活』
中国遼寧省瀋陽市での食、 教育、お金、仕事…。何も考えず移住してみたら、3回くらい脱皮するハメになったという体験を、さくっと読めるエッセイにまとめました。中国に関わるお仕事をされる方、生活者視点で中国理解を深めたい方に、ぜひ読んでいただきたいです。
発行:書肆侃侃房 定価:1500円+税

#09
FEBRUARY 2021

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
恢い。
Like reading a story, I want to work with dresses and weddings.
私は小さくて可愛いチャペルのオーナーです。
トレーラーハウスの移動式のチャペルで、どこでも結婚式ができるんです。
名前は「ルーロット」と言います。
「ルーロット」はフランス語でジプシーの移動式住居のこと。
ジプシーみたいに旅をしながら仕事がしたいと思って。
本業は、ウェディングドレスの仕立て屋をしています。
最近では、お母様のウェディングドレスのリメイクや、ヴィンテージドレスのリメイク、オーガニックコットンなどの天然素材のドレスのご要望が増えてきました。
廃棄する予定の服をリメイクして作品を作ったこともあります。
エシカルなウェディングへの関心がだんだん高まってきているようで嬉しいです。
旅をしてドレスをつくる。なんてしあわせなんだろう。
ウェディングドレスとの運命的な出会いは、旅の途中でした。
それも、目的地のイギリスではなく経由地のタイで。
タイシルクの美しいウェディングドレスを目にした時、雷が落ちたような衝撃を受け「ウェディングドレスを仕事にする」と決めたのです。
その後、ファッションの企画デザインをしていた会社を退職し、もう一度専門技術を学ぶ学校に行きました。
その時、洋裁ではなく「お直し」と「リメイク」技術を学んだのは、余剰在庫を持たない仕事をしたいと思ったから。
ファッションが好きだからこそ、自分ひとりで仕事をするなら在庫を持たずに「オーダー」と「リメイク」だけでやってみようと思ったのです。
幸運なことに、その学校で私を担当してくださった先生が、ウェディングドレスのオーダーサロンで長年経験を積まれた方でした。
ですから私は、お直し技術だけではなくオーダーメイドでいちからドレスを作る方法も学ぶことが出来ました。
技術の習得には、時間とお金と大変な労力を伴います。
私もその例外ではありませんでした。
でも決してそれは無駄ではなかったと思います。
身につけた技術は自信となり、私が最も大切にしているお仕事のひとつ「お母様のウェディングドレスのリメイク」に繋がっています。
想いと時を繋ぐリメイク。
古いものには、物語と記憶が宿ります。
着た人の体型や、作った人の意図も。
私はひとつひとつ、それらの物語を読むようにドレスを繕います。
ドレスに込められた記憶を取り出し、その思い出をひと針ひと針縫い付けるのです。
ドレスたちはとてもおしゃべりで、私にたくさんのドラマを語ってくれます。
「このドレスはね、もうひとり着たのよ」
「きっと叔母さんね。背の高い方だったのね」
「久しぶりに起きたわ。ずいぶんと眠っていたみたい」
「そうね、30年も眠っていたのよ。そろそろ目を覚まして。花嫁さまが待っているわよ」
丁寧に手を加えてやると、ドレスが眠りから目を覚まして輝き始めます。
お母様や誰かのドレスが、花嫁さまのドレスに変わる瞬間があるのです。
それは何度体験しても、とても感動する瞬間です。
ドレスのリメイクは私にとって、時を超えて物語を繋ぐ、とても大切なお仕事なのです。
物語を読むように、
ドレスとウェディングの仕事をしたい
Owner of a mobile chapel, Roulottes / Wedding dress tailor タケチヒロミ
2.1 2021
Hiromi Takechi
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風変わりなアトリエで。
移動式チャペル・ルーロットは、とある風変わりなギャラリーのシェアアトリエに入居したことから始まりました。
神戸の旧居留地に、チャータードビルという元英国銀行のレトロなビルがあります。
その路地裏の入り口から階段を登ると、芸術家たちの集まるギャラリーカフェがあり、夜な夜な奇妙な人達が集まって宴を繰り広げます。
私はその上の階の奥にある隠れ家のようなアトリエを間借りして、ドレスの仕立て屋を営んでいました。
宴の喧騒や音楽の中で縫い物をしていると、まるでパリの芸術家が集うモンマルトルの屋根裏部屋にいるような気分になれます。
コロナの影響で今はもうなくなってしまったそのギャラリーから、私はたくさんのものをもらいました。
ここに居なければ、ルーロットも誕生しませんでした。
アトリエで製作していたある日、私にひらめきが降りてきました。
動くチャペルがあったら、思い出の場所で結婚式を挙げたり、おじいちゃんおばあちゃんや移動が大変な人のもとへも駆けつけられるのに、と。
「誰か作ってくれないかな」と口に出してみたら、扉が開いてギャラリーの経営者の一人で、その場所の改装を手掛けた芸術家が登場。
「トレーラーハウス、作れますか?」と聞いたら「作れます」と答えてくれました。
それが、ルーロットのはじまり。
移動式チャペル・ルーロットって何?
移動式チャペル ルーロットは、トレーラーハウスの走るチャペルです。
タイヤのついた「車両」なので、高速道路も走ることができ、新郎新婦さまの結婚式を挙げたい場所に駆けつけることができます。
ルーロットでやりたかったのは、旅するように自由で、本当の意味でお二人らしい結婚式。
体裁や式場の決まりごとやしきたりから離れて、お二人の物語に寄り添った結婚式が作りたいと思って。
思い出の場所や好きな場所、自然の中、祝福して欲しい人のいる場所、お二人だけのストーリーがそこにはあると思うのです。
いろんなことから自由になって、好きな場所で、愛する人と、大切な人たちと、たくさんの笑顔に溢れた結婚式の一日を過ごして欲しいのです。
今までたくさんの素敵なお二人の物語を聞かせてもらいました。
みんなで作った菜の花畑の結婚式の物語は、なんと絵本にまでなりました。
旅をして知らない場所に行き、新しい出会いと、想像もしていなかった美しい景色に出会えます。
こんなに素晴らしい仕事が他にあるでしょうか?
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これからのこと。
小さい頃、田舎育ちで内向的な私にとって、空想や物語は私の狭い世界を広げてくれる翼でした。
ドレスを繕うことや、旅をして結婚式をすること。
それも私にとっては大切な翼です。
しかしこのコロナで、ウェディングの仕事はゼロになりました。
今は少し回復しましたが、それでも今まで通りに戻るにはかなりの時間を必要とするでしょう。
旅にも行けず、大好きなウェディングやドレスの仕事もできない。
ご飯は食べられるし家もあるけど、それって生きてる意味あるのかな?と思ってしまったこともあります。
けれどもこのコロナのおかげで、私はもうひとつ、小さな翼を持っていることに気が付きました。
言葉という翼。
言葉で、伝えること。
文章を書くこと。
ドレスやウェディングの物語を、自分の言葉で書いて、伝えてみたいと思うようになりました。
それがこれからの私の挑戦です。
物語は、まだまだつづく。
そして冒険の旅も。
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text and photoprahs - Hiromi Takechi

移動式チャペル・ルーロットのオーナー+ウェディングドレスの仕立て屋
タケチヒロミ
Hiromi Takechi
ウェディングドレスのお仕立てとリメイクをするドレスの仕立て屋タケチヒロミです。
2015年より、手作りの移動式チャペル・ルーロットのオーナーとして、自由なウェディングの企画・施工をしています。
旅と古いもの・ヴィンテージをこよなく愛すイギリス愛好家です。いつか映画の衣装を作ってみたい。

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
恢い。
How to Find the Small Miracles Hawaii Taught Me
「ハワイに呼ばれる」なんてたまに聞くけれど、それはスピリチュアルにかぶれた人たちの思い込みだと思っていました。
自分の身に起こるまでは。
私とハワイの出合いは30代のはじめ、運動不足解消のために始めたフラでした。
子どもの頃から運動が苦手で、唯一踊りだけが好き。
どうせ運動するならなんでもいいから踊りを、会社帰りに気軽に立ち寄れる場所で習いたい。
そんなことを考えていた時に、たまたまフラを習いたいという友人がいて、じゃあ私もとついて行ったのがきっかけでした。
大人になって久しぶりの習い事はとても楽しく、新しい友人もでき、どんなに仕事が忙しくても時間を作ってレッスンに参加するようになりました。
35歳を過ぎた頃、仕事でいろいろなことが重なり、私は心のバランスを崩しかけていました。
自分のことを忘れっぽくて、いいことも悪いこともすぐ忘れるタイプだと思っていたけれど、実は忘れたふりをして自分をごまかしていただけで、心の奥に引っ込めて蓋をしていたもやもやはむくむくと膨らんで、ついに蓋が閉められなくなったよう。
気付けばなにをどうしたら元気になれるのかわからない状態になっていたのです。
会社の産業医の先生に診てもらうと、少しお休みしたほうがいいとのこと。
人に言われて初めてこのままではまずいと実感した私に、ある日急に「ハワイに行かなくちゃ」というメッセージが降ってきました。
それは本当に突然のことで、でもあまりにも自然で、なんの疑いもないものでした。
そこからは何かに取り憑かれたかのように、自分でも信じられないスピードで学校に申し込み、ビザを申請し、会社を辞め、あっという間にハワイに留学することになったのです。
ハワイが教えてくれた小さな奇跡の見つけ方
PR / Hawaiian Language Instructor 日高 周
2.1 2021
Shu Hidaka
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フラを習ってはいたけれど、いわゆるフラ留学ではありません。
日本で生まれ育った私にとってフラは、子どもが遊ぶように、ただ楽しいからやるもの。
フラの先生からは、ハワイの人々にとっては歴史や文化の伝承であり、情熱であり魂であり、踊りを超越した大切なものだと教わっていました。
私はそれがどういうものなのか、言葉を理解することで触れてみたいと、なぜだか当然のように思ったのでした。
学生に戻ったということもありますが、ハワイでは驚くほどゆっくり時間が流れました。
朝起きたら、近所のコミュニティセンターでおばさまたちに混ざってフラ・レッスンを受けるか、料理や洗濯などの家事をする。
お昼から夕方の早い時間までは学校で英語の授業を受け、そのあとはハワイ語の個人レッスン。
夜は早めの夕飯を食べたら、眠くなるまでひたすら自習。
時にはちょっと遠出してファーマーズ・マーケットで野菜を買ったり、ルームメイトとビーチにサンセットを見に行ったり。
東京では時間がいくらあっても足りなかったのが嘘のように、いくらでも時間があってなんでもできるのです。
ハワイでののんびりした暮らしの中で、私はかつての自分が、自分で決めた謎のルールにかんじがらめになっていたことに気が付きました。
仕事で苦しくなってしまったのは、自分の気持ちを無視して「仕事だからこうするべき」と自分を縛り付けていたからかもしれません。
時間が足りなかったのは、いろんなことを手放せなかったから。
あの時どこからか受け取った「ハワイに行かなくちゃ」というメッセージは、疲れ果てた心が自分を助けるために出したものだと今は思います。
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ハワイでの暮らしの中で私は、自分が本当は何をしたいのかを自分の心に確認するようになりました。
と言っても、将来の夢のような大きなことではなく、今日は何を食べたいのかとか、歩いて帰るかバスに乗るかとか、そんな日常の小さなことを。
そして気が付いたのは、幸せを感じるのは、日常の些細なことだったのだということ。
朝起きたら天気がいいこと。
道でとてもきれいな花を見たこと。
ルームメイトから今日の波の様子を聞くこと。
それらは普段の生活の中に小さな神様がいるような感覚。
ハワイの言葉でマナと呼ばれるもなのかもしれません。
フラの中で語られていることの片鱗に、ほんの少し触れた気がしました。
同時に、それはハワイでなくても、毎日の暮らしの中で見ようと思えば見ることができるものだったと気が付いたのです。
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「ハワイに行かなくちゃ」と同じように「そろそろ帰ろう」が湧いてきて東京に戻った私は、今、小さなハワイ語教室を主宰しています。
レッスンではハワイの言葉を学びながら、ハワイの歴史や文化を一緒に紐解いていきます。
レッスンを通して、私が見つけた小さなマナを共有していきたいと思っています。
最後に。
ハワイが私にくれたたくさんのうれしい出会いのひとつが、モロカイ島に住むアーティスト山崎美弥子さんとの出会いでした。
以前から私は一ファンとして、美弥子さんが再び本を出すことを望んでいましたが、2020年10月、私自身が編集者のひとりとして参加させていただき、新しい書籍が生まれることとなりました。
『モロカイ島の日々』は、美弥子さんがモロカイ島に辿り着き家族を作る過程が、美弥子さんの絵画のようなやわらかいタッチで綴られたエッセイ。
人によってさまざまな受け取り方ができる作品ですが、私にとっては、ひとつの家族が日常の中に散りばめられた小さな奇跡をみつけていく物語でした。
このタイミングで書籍が世に出たのは、何か意味があるのかもしれません。
今、大変な状況が続いていますが、この物語が穏やかな気持ちを取り戻す小さな助けになることを願っています。
text and photoprahs - Shu Hidaka

PR/ハワイ語講師
日高 周
Shu Hidaka
1981年生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒。
イタリア・フェラーラ大学にて、中世美術史を学ぶ。
アロマテラピー業界およびIT企業の広報を経て、2017年、語学と文化を学ぶためハワイに留学。
ハワイ島のロコからハワイ語を学ぶ。
現在は東京を拠点にフリーランスでPRをしながら、ハワイ語教室「Pono ʻŌlelo HawaiʻI」を主宰。

#08
JANUARY 2021































