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#14
JULY 2021
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

Don't stop growing…

ドント・ストップ・グロウイング・・・

Aika Okita

7.2 2021

Pole Dance Instructor  沖田愛香

私が、「ポール」に出会ってから今までのことを思い返してみた。

 

32歳で3歳の娘を抱え離縁した私は程なく再婚し、

3歳の我が子と2つずつ歳上の女の子2人の「お母さん」になった。

そして、もう1人の娘を授かった。

 

短い時間の中で4人の娘の母親となった私は、彼女達の良き母となり、

女性としての良き道標となれるようにと、

仕事、家事、育児に日々奔走し、

いつしか日常に疲弊しきっていた。

 

そんな時に、降って湧いたかのように

「ポールダンスを始めよう」

と思った。

何故だか、今考えてもさっぱりわからないのだけれど。

「35歳の誕生日を過ぎたら、ポールダンスを始めて、今までみたいに3日坊主じゃなくて、ずっと、続けるんだ…」

漠然と、でも心にストンと落ちる感覚で

そう思ったのを覚えている。

 
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10月で35歳になった私は、11月の頭から「ポールダンス」の門を叩くことになった。

とても楽しく、毎週楽しみにしていたのも束の間、12月には妊娠が発覚するのであった。

 

3人目の出産という事もあってか、心と体に余裕があった。

産むことに対しても、ポールを続ける事にも迷いはなかった。

そして、2ヶ月後のスタジオ発表会にもチャレンジし、お腹が大きくなる頃までスタジオに通い続けた。

 

そして、7月末に女の子を出産。

私は、5人娘の母となった。

 

1ヶ月後には乳飲み子を抱えて、レッスン再開。

4ヶ月後にはコンテストに出場……

 

「pole」に対する情熱は消えぬまま、レッスンを重ね、現在39歳。

 

短い経験値、まだまだ拙い技術でありながらも、スタジオの代表であり、

私が女性として、人間として尊敬できる大切な師匠に認められ、

インストラクターとして去年の9月から活動させてもらっている。

 

今思えば…というか、どう考えても、ぶっとんだ母親だと思う。

それなりに、人の中で揉まれ、人の中で磨かれ、

人の中で学び、生きてきた私の人生だったが、

35歳のあの日を境に、急激に色鮮やかに変わっていくことになった。

 

ダンス経験がある訳でもない。

体を動かすような仕事や趣味をしていた訳でもない。

 

ただただ普通の主婦だった私が、何故ここまで「pole」人生になったのか。

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pole sports というスポーツとしてのジャンルをメインとしたポールダンスをしているが、

技を行う為には肌とポールの摩擦が必要な為、

着衣は露出度がどうしても高いものになる。

その為、否が応でも自分の体と向き合うことになる。

 

そして、心と体は密接に繋がり合い、どちらかの不協和音は、双方に影響し合う。

 

物事の考え方、捉え方ひとつ変われば、体の使い方も変わる。

体の使い方が変われば、ポールダンスを通じて自分自身の表現も変わる。

 

ポールダンスに導かれるように出会い、

棒と自分の体をまとわせていく中で、

私はより自分自身を知ることが出来た。

 

「よりよい自分」になる為に、

心と体を真摯に見つめて、

自分の可能性を表現する為に、

明るく楽しい人生へと舵を取っていく為に、

私はポールダンスという1つの宝物を手にしたのだと思う。

 

その中で、一言では言い表せない大好きな師匠に出逢い、

心から大切な仲間と出会う事ができた。

ポールスポーツをオリンピック入りにしたい、という夢と

いつか孫が出来ておばあちゃんになっても

死ぬまで現役でいたいという目標と… 

たくさんの想いを抱えて人生を歩む事が出来ている。

 

いくつになっても、人は挑戦出来るし、

出来ないとやらないは違うこと。

想いは必ず行動になり、

その行動によって環境は変わること。

 

ポールと師匠に教えてもらった大切な事を、

これからも胸に焼き付ける人生でありたい。

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そして、私のもう1つの宝物たち。

5人の娘達に、

「もう!ママいい加減にみっともないからやめてよ!!」

と言われながら、ポールを握っている日がくる事も、

密かに私の楽しみなのである。

 

たくさんの周りの協力に感謝しつつ……

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ポールダンスインストラクター

沖田愛香

Aika Okita

高知県高知市在住/MIKAダンスプロデュース所属/縫製業、スマートフォン講師、その他「何でも屋」をしながら、日々前向きに前進中の5人娘の母

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#13
JUNE 2021
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

Things I wanted to write down before I turned 30.

 

30歳になる前に書き残しておきたかったこと

UX Design Student / Actor / Creator  大島由梨乃

6.2 2021

Yurino Oshima

現在私はオーストリアのウィーンにてドイツ人夫と保護猫の晴之助と共に暮らしていて、今年5月からUXを主軸としてウェブ周りのデザインを学び始めた。

自分でも意外な成り行きに驚きつつ、やっと落ち着くところに落ち着いてきたのかも、なんて合点もいっている。

というのも ー 


兄が長い闘病生活の末亡くなった私が小学6年生の時から、漠然とだけれど力強く「人生の意味はわからないけど一生懸命生きて謳歌したい。

いつかは自分にピッタリの形で社会の役に立ち、多くの人々に希望を与えられるようになりたい。」と思ってきた。

当初は歌手を目指していて、16歳の時愛知から東京に受けに行った数千人単位のとあるメジャーオーディションに選出され、その道が開かれそうにもなったこともある。

結局その機会は年齢を考慮した両親の意向で辞退せざる負えなくなり、「高等教育機関卒業までは絶対」ということであったので、(今はその理由も重々理解出来るけれど)不貞腐れながらも、味噌カツ屋とカフェのアルバイトで貯めれるだけの貯蓄をし、好きではあった洋服について学ぶため、3年間東京代々木にある文化服装学院の工科課程へ通うことになった。

兄の病と死も大きく作用し昔から自分が本当に求めていることをする機会を与えられなかったこと以上に、私の目から見れば極控えめに言っても酷く荒廃した家庭であったので、10代は常に自分の生まれを悲観し絶望感に打ちひしがれていた。

反骨精神的野心と向上心さえあれど愛情不足で、自己肯定感や心の平安等まるでなく、そのことが私の人生最大の問題で課題だった。

巨万の富でも簡単に移り変わるような愛情でもない、まずは何よりも自分の内側に絶対的なものが欲しかった私は、本やインターネットを通して世界中の情報を探しまわると同時に、学校外でもあらゆるコミュニティに顔を出し、老若男女/異業種/異人種…様々な生き様・心を覗かせていただいた。

その中でイエスキリストの愛を知り、時間をかけながら聖書を読んでいくうちに「私が欲しかったのはこれだ」と確信が定まり、18歳の冬にクリスチャンとしての信仰を持つことを選択した。

10年強の時を経た現在、あの瞬間こそが私の人生最大の好転機であったと思っている。

記したような経緯があったので、卒業後にアパレル業界への就職は考えていなかった。

それではどうしたかというと、まずは在学中にムクムクと育っていた、「異文化、特にキリスト教文化が根付いており日本人留学者の比較的少ない場所に身を置いてみたい」という思いから、3ヶ月間エディンバラにて少々の英語を学んだ後ヨーロッパ14都市をバス旅。

実家とは別に暮らしておりいつも私の動向を気にかけてくれていた今は亡き祖父からの卒業祝いだった。

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帰国後は縁あった横浜の小さな芸能事務所に入り、舞台演劇の練習現場を観て心動かされたこと・歌を歌える機会もあるかもしれないという憶測から演劇を始めた。

とはいえ成人して急に始めたそれで食っていくこと等とても出来ず、表向きは役者として活動しつつ、殆どの時間は違う仕事で生計を保っていた。

当時は{稽古・公演日程のある役者をしつつ・専門時代に借りた奨学金を分割返済しながら・横浜で一人で暮らしていけるだけの収入を得られる仕事}の選択肢は多くなく、主にはホテルラウンジやカフェでの接客、スケジュールが落ち着いてからは企業の受付事務や秘書的なことをし、時にVIPイベントの受付や大展覧会のキャンペーンガールなど高単価なアルバイトを挟むことでやりくりしていた。

その中でも大好きな毎週日曜朝の礼拝にはほぼ必ず出席し、隙間を見つけては教会ミニストリーや、絵や編み物等での創作活動もしており、余白や金銭的余裕は殆ど無いながらも「成人してやっと”自分”を生きることが出来ている」ようで、私自身の心は充実し幸せな時だった。

とはいえ多くの人々はこのような生き方に対しあまり良いイメージでは見ない。私の酷い口下手も災いしていた様に思うけれど、側から見たら{特段秀でた成果もないのにあれこれしている}私はきっとなんだかよくわからない可笑しな人で、20代も半ばに近付けば段々と人々からの軽蔑や疑問を感じるようなことも増えた。別にその人達からの承認を得るために生きている訳ではないとはいえ、悔しい気持ちも抱えていたのが正直なところ。

けれど「やはりこの道を歩いてきて良かったのだ」と思える未来は待ち受けていた。

Yokohama

24歳時のある日曜日、礼拝の後皆でコーヒーとおやつを囲み団欒している中、教会スタッフの一人にこっそりと話しかけられた。

「”クリスチャンで俳優のできる人を探している“という話がそこのメディア会社からやってきたから、是非やりなさい。」と。

【映像作品にクリスチャンとして俳優出演する】、それは当時の私が日々祈り求めていた内容であったので、二つ返事でやると言い、すぐに話を聴きに行った。

内容としては「ミニストリー(教会奉仕)に活かせるショートフィルムのワークショップをしていて、出演できる人を探している。」とのことで、仕事ではない上結果的には一瞬映る程度の役であったのだけれど、当時の私にとって自分の望んでいる事柄でで役目のあることが堪らなく嬉しく、祈りの答えであると信じた。

そのプロジェクトでミッショナリーとしてメディアマーケティングを担当していた”可愛らしいドイツ人”が現夫。

その後お付き合いを始め、彼が彼自身の夢を叶えるため数年間ヨーロッパに戻りたいと切り出したことから日本で結婚し、2018年にドイツのブレーメンに、2020年からはオーストリアのウィーンに共に移り住むようになった。

このような流れで、【同じ信仰を持ったパートナーを持つこと】だけでなく、【海外に数年住むこと】【海外で映画に出演すること】という私の夢であり祈りのリストに並べていたことも想像していなかった形で叶うこととなった。

“ヨーロッパに住んでいて演劇経験のある日本人“というのは限られる。

元々の需要自体そう多くはないとはいえ募集枠にさえハマれば競争率は高くないということもあり、テレビ番組や広告動画、教材用ビデオや企業内使用動画の出演等、随分と良い走り出しが出来た。

半月程ギリシャに滞在しや映画”PERSEPHONE”の撮影では、オペレッタ映画であったので俳優としての出演と共に歌手としてアルトパートも担当した。

昔歌手になりたかった自分が報われ慰められたような気がした。

ブレーメンでは夫の職業訓練校の生徒たちが使う大量の衣類にクラスマーク付けを、ウィーンでは教会で出逢ったダンスチームのプロデューサーから衣装製作を依頼を受ける等、演劇の経験のみならず学生時代洋裁を学んだ事も幸いしその時々に圧迫されていた家計を守られる、ということも複数経験し、その中で沢山の素晴らしい出逢いに恵まれた。

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機会を与えて下さる神様と人々の厚意に感謝すると共に、浪費したと思える時間も寧ろ益となっていくような体験の数々、枯れ果てていた心が潤いを取り戻していくような日々から、幼少期には自然と授けられていたような【人生に対する明るい視点・自分自身を認め愛するからこそ他人をも認め愛せる力】を取り戻したことこそが、自分の人生の成功であると思っている。

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状況に至ってはそのまま全て順風満帆に、という訳では当然ない。

細やかな事件なら幾らでもあるし、2020年には世界中が経験しているコロナ禍への突入により、「来月から夫の長年の夢が実現する。」というタイミングでその道が閉ざされた。

私にとっても、その時点で映像出演や創作仕事の機会はパッタリと途絶えた。

オーストリアに引っ越してきたばかりだったので国のサポートと言えるものは殆ど受けられなかった。

そんな中いつものようにSNSを開いたら、その数ヶ月前にオランダで撮影した、自分の出演しているIT関連企業のコマーシャルが現れた。

それも「フルリモート求人募集」として。

緊急事態により必死で仕事を探していた私は即座に応募し、面接では社内共通言語として必要なビジネス英語力の欠如を補う為コマーシャルに出演したことをこれでもかと言うほどアピール。

結果、技術サポートエージェントとして勤務できることになった。

私が一家の大黒柱、夫が就活中の専業主夫ということになった。

引っ越してきたばかりの海外である日突然夫婦の役割分担が強制変化した上かなりの節約を要される中でのロックダウン生活。

派生するありとあらゆる問題にはかなり堪え、これからの時代を世界中何処に居ても家族共に生き抜く術・自分自身の在り方について四六時中思い馳せる日々が続いた。

遂に夫の再就職が決まったのはその約1年後。

私が「もう少し自己裁量のある/創作に関連する仕事がしたい。」と思っていたところ、彼が新しい仕事の関係で見つけた【ウィーンの自宅に居ながら英語で学べるUXデザインコース】をピッタリだからと薦めてくれ、その内容が気に入ったので今月5月から始めた。

朝9時から夕方6時までのフルリモート全日制で、毎度予習教材を与えられ宿題も出る学校。

結構な英語理解・ディスカッション力が必要とされるクラスなのだけど、1年間仕事で毎日多くの英語を使用していたお陰でなんとか付いていくことが出来ており、「なるほどここに繋がっていたのか。」と思っている。

同時にUX(ユーザーエクスペリエンス - 使用者経験)デザイナーに必要なスキルを学びながら、「これまでのごちゃ混ぜと思える歴史の全てが随分と活かされる仕事である」、と気付かされる日々だ。

それは自分で面倒臭いとさえと思ってきた物事の裏側や本質を悉く探るような性格、本望ではなかった日々や虐げられることによって出来た心の傷痕さえも。

ー およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

ー(ヘブル人への手紙12:11)

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現時点で必ずしもこのコースの後UXデザイナーそのものになるのかどうか、それが一生の仕事になっていくか等ということはわからなくても、思うことがある。

一見完成像の想像できない人生のピース、その一つ一つが自分の目から見て良くても悪くても理解出来なくても、組み合わさっていくと思いもよらぬような、だけど腑に落ちるような絵になっていく。

その絵をどうか見事に完成させられるように生きて、いつの日か気持ち良く眠りにつきたい。

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text and photo - Yurino Oshima

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UXデザイン学生//役者/クリエイター

大島由梨乃

Yurino Oshima

ウィーン在住。コロナ禍を機にWeb業界に入った後全日制フルタイムでUX(&UI)デザインを勉強中。
出演作品にギリシャ映画 "PERSEPHONE"、オーストラリアTV "Back To Blett"、コマーシャル "Philips Sonicare International" 等。

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#12
MAY 2021
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PEOPLE

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萌す。

As I Circle Around The Block

毎朝、朝日がアパートの周辺の暗いシルエットに差し込み、東向きの私たちのベッドルームに届き新しい1日を暖かさで満たしてくれる。早い春がやって来た、金色の光がそれを物語っているよう。

 

道沿いに長く連なったフロントヤードがまるで渓谷のように街並みを緑の帯で縁取っている。

鳥たちはすでに数時間前から目覚めてるようだ。

どの子が鳴いているのか窓の外を覗いて見るのだけれど、隣の大きなブルースプルースの常緑樹の葉が視界を遮ってよく見えない。

左の眼下には、開いたばかりの白い花が咲き乱れる可憐なリンゴの木が、長い冬から目覚め始め、新しい季節の産毛に覆われた蕾を優しく覆っている古いシカモアの樹からの木漏れ日にあたっている。

 

朝食は私にとって毎朝の儀式。

黄金色のバターといちごジャムをたっぷりとのせた軽くトーストしたサワードウのスライス、がたまらなく好き。

世界的なパンデミックに対処する方法を多くの人たちが模索していた中、私はパン作りやその他多くのことを学んだ。

 

私の13年来のパートナーで音楽制作同志でもあるジョンがコーヒーをいれるお湯を沸かしている。

私はダイニングテーブルで椅子に座り、不揃いなエッジのテーブルを拭いて用意する。

このテーブルは何年も前に情報誌で見つけて無料で手にしたもの。

猫のひっかき傷や痛みが酷かったのを、ひょんな思いつきでカラフルなタイルをモザイク状に貼り合わせテーブルトップは見違えるように大変身。

今ではこれも私たちの長年のニューヨークライフを物語る古物の一つ。

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アズ・アイ・サークル・アラウンド・ザ・ブロック

musician / artist  レア・トーマス

5.2 2021

Lea Thomas
 
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広いリビングルームの一画に光が煙のように揺らめいている。

私が手縫いでパッチワークしたシルクのカーテンがそよ風でふわっとひらめき、光のゆらぎとともに窓際にかけたウインドチャイムを優しく撫でる。

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観葉植物やテキスタイルのコレクションたちが壁を飾り、寛いだりヨガをするフロアーを囲んでいる。私のお気に入り、日本製のレスポ型、ビンテージゴールドギターも横に並んで。

 

スティールストリングのパーラーアコースティックも織り機と糸が置かれている光に満ちたアルコーブの壁に掛けられている。

最近お気に入りのサウンド C-A-D-G-A-Dにチューニングされて。

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リビングの床に座って、ベイウインドウのすぐ外にすくっと生える守護的な存在を感じるシカモアの木を眺めるのが好き。

数週間のうちに、この木の葉が生い茂った頃、きっと私はツリーハウスにいるかのような気分になるだろう。

服を着替え、ハーブを巻いたローリー(巻き紙)を持って、近くの公園へ散歩に出てみよう。

街路樹の最後に植えられた満開の桜の木の下で一瞬立ち止まると、枝いっぱいについた花をこちらに向けて差し伸べてくれている。

額をその羽のような花びらにすり寄せてみると、なんてソフトな感触。

今までこんな柔らかさを感じたことがあっただろうか、、

 

ストリートにも活気が戻って来た。

人々も喜びのムードで溢れている。

去年の今頃、ニューヨークはロックダウンされマグノリアを愛でる人もそういなかった。

公園で立ち話をする人たちの雑談する音の中から時折歓声も聞こえてくる。

あまりにも不可解な一年を過ごした後、家族や友人たちがやっとまたお互いの顔を見ながら交流がもてる。

短い間しか咲かないチューリップの一本づつに挨拶をしていきながら歩き続ける。

 

このブロックを回りなら歩いていくと、アジア原産のイチョウの木が現れる。

肺の形をした葉が美しい枝のパターンの中に透かされている。

 

新緑の息吹を吸い込むようにそこに立ち止まる。

そして明日、日がまた少し長くなり、この成長のサイクルが次のフェーズに進んでいく!

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text and photoprahs - Lea Thomas

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musician / artist

レア・トーマス

 Lea Thomas

ハワイ出身、現在ブルックリンに拠点を置く。幼い頃ピアノを弾き始めたことがきっかけで音楽と触れ始め、後にギターと出会い彼女のメイン楽器となる。ティーンの頃どっぷりと自作の曲を書き下ろしレコーディングするようになり、日本人母とアメリカ人父の両親を持つシンガーソングライターは17歳で単身ニューヨークへ渡る。オーディオエンジニアリング・スクールに通い、マスタリングスタジオで働く経験も積みながら自身のアーティストとしての道を歩む。

 

ファーストアルバムである“Want for Nothing” を2017年にリリース。アンビエント/フォーク/フィールド系ミュージックの “Part of This Place”を2018年にEPとして、また2019年にはJohn Thayer とのコラボ作品 “Blue of Distance” をそれぞれリリース。

 

音楽に加えビジュアルアーティストとして自然染織の作家でもある。特に藍染は日本のルーツの流れを反映する。伝統的なハーブ療法についても熱心で、自生ハーブを採取して作ったオリジナルプロダクトを All in All Apothcary ブランドで提供している。

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『What Did the Music Sound Like』ニュー・リリース

ジャパニーズxアメリカンのシンガーソングライターLea Thomasの新曲が4月27日 、Spirit House Records よりリリース。

この曲で彼女はこれまでの人生で起きた大きなシフトを軽快なリズムに乗せながら歌い上げている。

マウイで生まれ育ち、17歳でニューヨークに渡って以来10数年をその地で生きてきた様々な経験、そしてこれから続いていくであろうストーリーに思いを馳せる。

特にこの1年余りロックダウン、ソーシャルディスタンスなどを強いられた状況下でみんなが前向きに元気になれるようスピリットを込めた。

 

世界的パンデミックの真っ只中、ミュージックビデオはシンプルに自身がスマホで撮影し編集。

セルフィーのクリップとニューヨークライフでのノスタルジックな背景模様をつなぎ合わせた。

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Watch the video for “What Did The Music Sound Like” by Lea Thomas.

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PEOPLE

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萌す。

Called to a place

場所に呼ばれる

私は現在、タイの高校でタイ人に日本語を教えている。

タイに来る前は、メキシコで7年間教えていた。

この話をすると、メキシコ!?タイ!?といつも驚かれるし、自分でも昔思い描いた未来とはずいぶんとかけ離れたところにいるなぁと思う。

実を言えば、メキシコもタイも(なんなら今の職場ですら)そもそも"プランA”ではなかった。

それでも、私は場所に呼ばれたのだと思っている。

****

「将来は海外で働きたい」

これが幼稚園の頃からの私の夢だった。

小学5年生の時から親に頼んで英語の塾に通わせてもらった。

英会話スクールにも通ったし、大学の夏休みにはアルバイトで貯めたお金でアメリカにホームステイもした。

ずっとずっと「海外=英語圏」だと思っていた。

その考えが変わったのは、大学3年生の春休み。

副専攻で日本語教育を勉強した私は、メキシコでの3週間の教育実習に参加した。

念願の海外実習。

私は小学部に配属され、小学6年生の担当になった。

スペイン語がわからなくて大変だったが、生徒たちはみんな人懐っこくてとてもかわいかった。

メキシコ人のご家庭でホームステイもさせてもらい、週末はピラミッドや博物館にも連れて行ってくれた。

実習が終わる時、「卒業したら、うちで働いてみませんか?」と声をかけていただいた。

おそらくその時は半分冗談だったのだろうし、私も本気にしていなかったが、その年の夏に正式に面接をしていただいた。

しかし両親は「ちゃんとした日本の団体からの派遣じゃないとダメ」と猛反対した。

当時は就職氷河期だったが、卒業間近になればさすがに就職先が決まっている友人の方が多かった。そんな時期に、とある派遣の最終面接の通知が届いた。

結果は不合格。

卒業して路頭に迷うのかとすごくショックだった。

その次の日の夕方。

メールを開くと、メキシコの学校から「正式に採用します」と連絡が来ていた。

捨てる神あれば拾う神あり。

どうにか両親を説得し、メキシコに行くことが決まった。

Japanese language teacher  内野里美

5.2 2021

Satomi Uchino
 
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一度実習で行ったことがあるとはいえ、実習と実際に働くのとでは全然違った。

実習は小学部だったのに配属先は中高部になり、動物園のようなやんちゃなクラスに毎日手を焼いた。

それでも同僚は尊敬できる熱心な先生方ばかりで、新人の私を丁寧に育ててくださった。

日本語教師的基礎体力が鍛えられたし、ここでの学びは今でも私のベースになっている。

この学校を任期満了の3年で退職し、その後メキシコ中部の地方の大学でも教えた。

****

結局メキシコには7年いたのだが、途中で1度タイに行こうとしたことがある。

30歳手前の女の"焦り"が私にも人並みにあり、「このままここにいていいのかなぁ」という漠然とした不安を感じていた。

そんな時、タイで教える仕事に応募して最終面接まで進んだものの、またもや不合格。

がっくり落ち込む私に、メキシコに長く住む日本人の知り合いがこんな言葉をかけてくれた。

「焦らなくても大丈夫!場所に呼ばれる時が必ず来るし、そういう時は物事がトントンと上手く行くから!」と励ましてくれた。

「場所に呼ばれる」という考え方にその時初めて出会ったが、思い返せば私はメキシコに呼ばれて来ている気がする。

それならもうちょっとここにいてみよう。

期限を決めて、もう少し頑張ってみることにした。

決めた期限までに、タイミングやチャンスの類はついぞ来なかった。

腐れ縁の恋人と一旦距離を置く感じだろうか。

私は何の当てもないまま日本に帰国することにした。

メキシコはもうお腹いっぱい!何の未練もない!と思っていたのに、飛行機の中で涙がずっと止まらなかった。

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日本に帰ってからは辛い日々が待っていた。

もう日本語教師はやり切ったし、他の可能性を探してはみたが、あまり熱が入らなかった。

不合格、不採用を何度受け取っただろうか。

私には価値がないんだと悲しかった。

適当に短期の派遣の仕事を3つぐらいやったが、全然楽しいと思えなかった。

「生きがい」や「やりがい」を見つけきれず、1日がものすごく長く感じた。

家から一歩も出ない日々が続いた。

気がつくと「もう一度海外で日本語を教えたい」という思いがふつふつと湧き上がっていた。

そんな折、大学の恩師から連絡があった。

「タイで働いている知り合いが後任を探してるけど、チャレンジしてみない?」

一度諦めたはずのタイ行きのチャンスが突然転がり込んできた。

もしかしたら、今がタイミングなのかもしれない。

とりあえず急いで履歴書を送ってみると、2週間とたたず採用通知をいただいた。

その日は12月26日。

1日遅いクリスマスプレゼントだと思った。

「焦らなくても大丈夫!場所に呼ばれる時が必ず来るし、そういう時は物事がトントンと上手く行くから!」

かけてもらったその言葉通り物事はトントンと運び、私はタイで働くことになった。

​****

タイにはこれまで一度も来たことがなかった。

タイ語ももちろんゼロ。

それでも同じアジア圏だし、雑多な街の感じや、街中に祈りの場所がいっぱいあるところがメキシコと似ていてすぐに馴染んだ。

職場に日本人は私しかいないが、いい意味でタイ人らしからぬまじめで几帳面な同僚とともに毎日日本語を教えている。

笑いと学びに溢れ、私と学生と互いにエネルギーを交換しているような、そんな授業ができた日は、命の炎がジュっと音をたてて燃えているような感覚がする。

生きている実感がする。

体は疲れているはずなのに、心がエネルギーで満ち満ちてくるのを感じる。

日本語教師はもうやり切った!味わい尽くした!と思っていたのに、この仕事はまだまだ面白みがあって、私を常にワクワクさせてくれる。

あの時辞めなくて本当によかった。

失敗ばかりで、”プランA”の人生では全くないけれど、場所に呼ばれたこれまでの自身の歩みを私は割と気に入っている。

これから先いつまでタイにいるのか、どこへ行くのか全く予想もできないが、私を呼んでくれる場所がきっとあると信じている。

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text and photo - Satomi Uchino

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日本語教師

内野里美

Satomi Uchino

メキシコで7年教えたのち、2013年からタイの公立高校で教鞭をとっている。

YouTubeで日本語教材配信中。

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#11
APRIL 2021
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

撰ぶ。

Choose gentleness with intention

バリ島で「kubu sari」という小さなホテルをしています。

バリ島を初めて訪れたのは 1995 年。

その時は、病院内のスポーツ施設でトレーナーとエアロビクスのインストラクターをし、アロマテラピーを学んでいる時でした。

休暇の度に海外へ行き、そこでアロマトリートメントを受け

「この人!という人がいれば習いたい」と思っていました。

アロマトリートメントの師匠を探す旅をしていたのです。

ハワイのロミロミやマヤ文明の伝統マッサージ、台湾式、アーユルヴェーダといろいろ学びましたが、バリ島である方のマッサージを受けたとき「これだ!」と思い、日本に帰って3か月後。

「バリ島でバリ舞踏とバリ式マッサージを学びにいくので、仕事を辞めます。」

と会社に告げて、長期滞在することになりました。

自分の強い思いで動いたのはここまでで、その後にバリ島で雑貨屋をし、ホテルを作るようになったのは成り行きでした。

意図して優しさを選ぶ

kubu sari hotelier / ototsumugi representative director  倉地摩紀子

4.1 2021

Makiko Kurachi
 
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お供え物

ある日、長期滞在の時に泊まっていた定宿のオーナーが

「息子がプラプラしてるから何とかしてくれ。」と言ってきました。

お世話になっていたので、何か出来ることはないかなぁ?と考えて

「じゃあ一緒にお店でもやる?」と提案してみたのが始まりでした。

「やってみようかなぁ。」という返事が返ってきたので、とりあえず家賃5000円/月の店舗を借りて、竹で作ったランプと自然素材で編んだかごバックを売ることにしました。

ランプに漢字で『和』や『愛』を書いたら、海外の旅行客に人気になり、思いのほか売れたのでした。

それが楽しかったのか、オーナーの息子ワヤン君は徐々に商売人の血を発揮していき、その後ホテル「kubu sari」を一緒に作り、自分でも次々ホテルを作り、事業を拡大し、今はうちも含め

「kubu group」という組織を率いています。

 

少し戻って、雑貨屋の2年契約が切れる頃に契約の更新をしようとしました。

ところが大家さんは、家賃を3倍にあげた値段を言ってきたのです。

お店が流行っていたので、足元を見て値上げしてきたようです。

おまけに周りのお店が真似をして隣近所がランプ屋になり、商品がまったく売れなくなりました。

やめようかなと思っていた矢先、知り合いのバリ人から

「子供を学校に行かせたいから、田んぼを借りてくれないか?」という話が来ました。

値段も安かったので、田んぼ2つ分の土地をお借りすることにました。

しかし、特に大金を持っているわけでもないので、土地を借りただけでどうすることもできず。

そこで、ガゼボという屋根だけの小屋を建て、周りに植物をたくさん植えて、ピクニックしたり、リラックスしたりする場所にしようと思いました。

その時は心療内科で働いていたので、こんな場所でぼーっとすれば患者さんも入院するほどにはならないんじゃない?

ストレスが溜まってる人がゆっくり自分を取り戻す場所になったらいいな、と。

ガゼボ

ガゼボ

鳥の声や子供の声、植物が風に揺れる音やお寺から流れてくる楽器やお経のような音楽、

いろんな音と自分の心の声を紡ぎ、

綺麗なタペストリーができるイメージで「ototsumugi」と名付けました。

実際にガゼボを作って、そこでぼーっとしていると想像以上に気持ちがいいのです。

そこでまた思ったのが

「ここで寝泊りできたら、ホテルに泊まらなくていいから楽だよね」ということでした。

「家を建てるとなるといくらかかるんだろう?まずは聞いてみよう」くらいの軽い気持ちで近所の大工さんに日当を聞いてみました。

その当時は大工さんの言い値で、700 円/1 日とのこと。

私の頭がくるくると計算をします。

結果「貯金ないけどそれなら出来そう!」と日本に帰って働くことにしました。

日本で働く→バリ島に行って建てる→日本で働く→バリ島に行って建てる、の繰り返しを 2  年後

にやっと 1 棟の家が建ちました。

そうすると友達が「私も泊まりたい」というのでもう 1 棟、また別の友達家族が「泊まりたい」

というのでもう 1  棟と、日本で働く→バリ島に行って建てる→日本で働く→バリ島に行って建て

る、を繰り返して 5 年して3棟 4 部屋が完成しました。

あとはバリ人にお任せして運営してもらっています。

収益のすべては、バリ人の雇用や地域貢献に使ってもらっています。

「息子がプラプラしてるから何とかしてくれ。」と頼まれたその息子のワヤン君は、日本人は買うことができないバリ島の土地「kubu sari」の土地を購入してくれました。

お互い家族ができ、子供がいない私たち夫婦に、老いたら子供に面倒見させるからバリ島におい

で、と言ってくれます。

与えたら与えられ、また与え与えられ。

バリ島では、優しい気持ちでいると優しさが返ってきます。

安心して優しくなれる、優しさを搾取されない。

誰かになろうと頑張らなくても、目の前の優しさに答え続ける。

そして自分の中の優しさを選び表現する。

 

新しい生活で大変なことや辛いことが沢山あると思います。

現在は心療内科でアロマトリートメントをしているので、辛い想いでいらっしゃる沢山の方とお話をします。

自分が辛くてどうしようもない時は、優しい場所で優しさを存分に受けてください。

 

そして、少し元気になったら今度は自分の中の小さな優しさをぐっと掴んで意地でも離さずに、その優しさを増やしていき、外へ流していく。

バリ島でいろんな優しさをいっぱいもらって、優しさレッスンをしたように思います。

朝ごはん
kubusariのコピー
kubusari1
kubusai庭
kubusari夕暮れ

バリ島の伝説では、善の神バロンと悪の神ランダは決着のつかない戦いを永遠とします。

そんな考えが根付いているからこそ、自分の中の善を選ぶという意識があるのでしょう。

どのような世界にいようとも「自分の中の優しさを選んで笑顔で進んでいこう。」と思うのです。

何かを目指して進んでいく方法もありますが、日々の優しさを選んだ先に何かがあることもあります。

人生半分以上過ぎ、そんなことを思います。

4月からは、困っている子供たちのケアをする仕事を始めます。

バリ島の子供たちの笑顔を思い出しながら、たくさんの笑顔が見られるようにまた笑顔で進んで行こうと思っています。

text and photoprahs - Makiko Kurachi

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バリ島ウブド ホテル「kubu sari」経営/ototsumugi 株式会社 代表取締役

倉地摩紀子

Makiko Kurachi

ototsumugi 株式会社 代表取締役 / バリ島ウブド ホテル「kubu sari」経営

古民家サロン「ototsumugi」経営/ 謹呈果実いちか レシピ担当

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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

撰ぶ。

The Power of Enthusiasm

夢中になるチカラ

childcare worker / certified psychologist / colorist  色いろ遊びすと Mayumi

4.1 2021

Iroiroasobist Mayumi

私の夢は日本にクリエイターを増やすことです。

 

10年前から、これから先AIに仕事が成り代わって行くと考えたときに、どんな仕事が残るのだろうと考えています。

私としては、「クリエイティブ」と「ホスピタリティー」じゃないかな?と思っています。

当時の私にグローバルな視野があったかどうかはわかりませんが、今の私は日本人にはそのチカラがあると思っています。

 

日本人は色彩認識能力も高いし、ことばにしろ、聴覚にしろ、とても優れているという事実があります。

日本には四季があります。

だからこそ、微妙な色合いを見分ける必要があったからだと言われています。

色彩だけではなく、音や言葉に関しても、同じことが言えるのではないかな?と思っています。

 

今、私は紆余曲折ありながらも保育という形の中で日本人のチカラを証明しようと試みています。

10年近い保育士生活の中で見えて来たのは子どもたちの「創造力の少なさ」です。

遊びが「与えられている」という事実。

そして、数年前、心理学を学ぶようになってからは、保育に関して疑問を感じるようになりました。

遊びってもっと自発的で能動的なものなのではないかな?と。

そう思い始めて自分の保育を振り返ったときに「はっ!」としました。

声は大きくなり、肩に入ったチカラが抜けていない自分に気が付けたのです。

私のしている保育って「指示的」だと反省したのです。

それは我が子に対してもそうだと。

それらは全て自分の指示的な態度が問題なのかもしれないと気が付かされたのでした。

 

そこで私は実験的に指示的態度を辞めてみることにしました。

そして、心理学の学びの中で「快」の感情の方が定着しやすいとあったので、それを実践するために「指示」→「依頼」に転換してみることを試みました。

すると「快」の感情を増やす効果というのは歴然で、子どもによっては0歳児のうちにオムツが外れたり、発語が早まったりと様々な変化を感じるようになりました。

更には家族との関係も上手く行くようになったから驚きです。

 
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今はフリーランス保育士の道を選択し、ベビーシッティングや放課後等デイサービスの中での描画指導にこのことを応用しています。

特に絵具描画では「快」を増やす仕掛けをするようにしています。

先ず、最初のうちは、色の選択肢をあえて絞っています。

初回は「1色」からはじめます。

それも「赤・青・黄」の中の1色のみです。

その後暫くはその中の「2色」だけで描画を楽しみます。

その子どもの発達の進度に合わせて色数を変化させて行くようにしています。

その方が圧倒的に出来た完成品の色彩が美しくなるからです。

そうして遊ぶ中で子どもたちは「色を混ぜると新たな色が生まれる」ことを自然と身に着け学んで行きます。

子どもたちとその発見を共に喜び、そしてチャレンジを称えるようにします。

そうして少しずつ選択肢を広げ、発見幅を広げて行くと、子どもたちは描画自体を「快」と認識するようになります。

そうして気が付けば2歳児であっても1時間テーブルで描画や粘土遊びを続けるようになっています。

 

先日、「後から伸びる子ども」の話を教育に携わる先生方とさせて頂いたのですが、そこには「集中力」や「フロー状態」の経験が大切だと仰ってました。

つまり「夢中になるチカラ」があること。

潜在能力の高い日本人にこの「夢中になるチカラ」が備われば、「自ら考え創り出す」ことが出来るのではないかと考えています。

その為には遊び込むこと。

描画以外にも散歩の中で自然を見て感じて発見することに「夢中になる」ことで、創造力は育まれます。

葉っぱをお皿にしたり、ブーメランや舟にしてみたり。

沢山遊び込む中で「なんでもやってみてもいいんだ。」と挑戦する力を育みたいと思っています。

 

創造して、挑戦して、失敗しても挑戦を称える。

 

この繰り返しを「快」に結び付けられれば、日本人の「夢中になるチカラ」はどんどん上がって行く。

そう思いませんか?

私はそれを信じて今日も生きています。

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text and photo- Iroiroasobist Mayumi

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保育士/認定心理士/カラーリスト

色いろ遊びすと Mayumi

Iroiroasobist Mayumi

「日本にクリエイターを増やしたい!」

この思いで9年前に保護者→保育者に。

そして2年前からフリーランス保育士になり

主体的で能動的な子どもたちを増やす為

描画遊びを取り入れた保育を行っています。

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