
#14
JULY 2021

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
Don't stop growing…
ドント・ストップ・グロウイング・・・
Aika Okita
7.2 2021
Pole Dance Instructor 沖田愛香
私が、「ポール」に出会ってから今までのことを思い返してみた。
32歳で3歳の娘を抱え離縁した私は程なく再婚し、
3歳の我が子と2つずつ歳上の女の子2人の「お母さん」になった。
そして、もう1人の娘を授かった。
短い時間の中で4人の娘の母親となった私は、彼女達の良き母となり、
女性としての良き道標となれるようにと、
仕事、家事、育児に日々奔走し、
いつしか日常に疲弊しきっていた。
そんな時に、降って湧いたかのように
「ポールダンスを始めよう」
と思った。
何故だか、今考えてもさっぱりわからないのだけれど。
「35歳の誕生日を過ぎたら、ポールダンスを始めて、今までみたいに3日坊主じゃなくて、ずっと、続けるんだ…」
漠然と、でも心にストンと落ちる感覚で
そう思ったのを覚えている。
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10月で35歳になった私は、11月の頭から「ポールダンス」の門を叩くことになった。
とても楽しく、毎週楽しみにしていたのも束の間、12月には妊娠が発覚するのであった。
3人目の出産という事もあってか、心と体に余裕があった。
産むことに対しても、ポールを続ける事にも迷いはなかった。
そして、2ヶ月後のスタジオ発表会にもチャレンジし、お腹が大きくなる頃までスタジオに通い続けた。
そして、7月末に女の子を出産。
私は、5人娘の母となった。
1ヶ月後には乳飲み子を抱えて、レッスン再開。
4ヶ月後にはコンテストに出場……
「pole」に対する情熱は消えぬまま、レッスンを重ね、現在39歳。
短い経験値、まだまだ拙い技術でありながらも、スタジオの代表であり、
私が女性として、人間として尊敬できる大切な師匠に認められ、
インストラクターとして去年の9月から活動させてもらっている。
今思えば…というか、どう考えても、ぶっとんだ母親だと思う。
それなりに、人の中で揉まれ、人の中で磨かれ、
人の中で学び、生きてきた私の人生だったが、
35歳のあの日を境に、急激に色鮮やかに変わっていくことになった。
ダンス経験がある訳でもない。
体を動かすような仕事や趣味をしていた訳でもない。
ただただ普通の主婦だった私が、何故ここまで「pole」人生になったのか。
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pole sports というスポーツとしてのジャンルをメインとしたポールダンスをしているが、
技を行う為には肌とポールの摩擦が必要な為、
着衣は露出度がどうしても高いものになる。
その為、否が応でも自分の体と向き合うことになる。
そして、心と体は密接に繋がり合い、どちらかの不協和音は、双方に影響し合う。
物事の考え方、捉え方ひとつ変われば、体の使い方も変わる。
体の使い方が変われば、ポールダンスを通じて自分自身の表現も変わる。
ポールダンスに導かれるように出会い、
棒と自分の体をまとわせていく中で、
私はより自分自身を知ることが出来た。
「よりよい自分」になる為に、
心と体を真摯に見つめて、
自分の可能性を表現する為に、
明るく楽しい人生へと舵を取っていく為に、
私はポールダンスという1つの宝物を手にしたのだと思う。
その中で、一言では言い表せない大好きな師匠に出逢い、
心から大切な仲間と出会う事ができた。
ポールスポーツをオリンピック入りにしたい、という夢と
いつか孫が出来ておばあちゃんになっても
死ぬまで現役でいたいという目標と…
たくさんの想いを抱えて人生を歩む事が出来ている。
いくつになっても、人は挑戦出来るし、
出来ないとやらないは違うこと。
想いは必ず行動になり、
その行動によって環境は変わること。
ポールと師匠に教えてもらった大切な事を、
これからも胸に焼き付ける人生でありたい。
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そして、私のもう1つの宝物たち。
5人の娘達に、
「もう!ママいい加減にみっともないからやめてよ!!」
と言われながら、ポールを握っている日がくる事も、
密かに私の楽しみなのである。
たくさんの周りの協力に感謝しつつ……
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text and photo - Aika Okita

ポールダンスインストラクター
沖田愛香
Aika Okita
高知県高知市在住/MIKAダンスプロデュース所属/縫製業、スマートフォン講師、その他「何でも屋」をしながら、日々前向きに前進中の5人娘の母

#13
JUNE 2021

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
Things I wanted to write down before I turned 30.
30歳になる前に書き残しておきたかったこと
UX Design Student / Actor / Creator 大島由梨乃
6.2 2021
Yurino Oshima
現在私はオーストリアのウィーンにてドイツ人夫と保護猫の晴之助と共に暮らしていて、今年5月からUXを主軸としてウェブ周りのデザインを学び始めた。
自分でも意外な成り行きに驚きつつ、やっと落ち着くところに落ち着いてきたのかも、なんて合点もいっている。
というのも ー
兄が長い闘病生活の末亡くなった私が小学6年生の時から、漠然とだけれど力強く「人生の意味はわからないけど一生懸命生きて謳歌したい。
いつかは自分にピッタリの形で社会の役に立ち、多くの人々に希望を与えられるようになりたい。」と思ってきた。
当初は歌手を目指していて、16歳の時愛知から東京に受けに行った数千人単位のとあるメジャーオーディションに選出され、その道が開かれそうにもなったこともある。
結局その機会は年齢を考慮した両親の意向で辞退せざる負えなくなり、「高等教育機関卒業までは絶対」ということであったので、(今はその理由も重々理解出来るけれど)不貞腐れながらも、味噌カツ屋とカフェのアルバイトで貯めれるだけの貯蓄をし、好きではあった洋服について学ぶため、3年間東京代々木にある文化服装学院の工科課程へ通うことになった。
兄の病と死も大きく作用し昔から自分が本当に求めていることをする機会を与えられなかったこと以上に、私の目から見れば極控えめに言っても酷く荒廃した家庭であったので、10代は常に自分の生まれを悲観し絶望感に打ちひしがれていた。
反骨精神的野心と向上心さえあれど愛情不足で、自己肯定感や心の平安等まるでなく、そのことが私の人生最大の問題で課題だった。
巨万の富でも簡単に移り変わるような愛情でもない、まずは何よりも自分の内側に絶対的なものが欲しかった私は、本やインターネットを通して世界中の情報を探しまわると同時に、学校外でもあらゆるコミュニティに顔を出し、老若男女/異業種/異人種…様々な生き様・心を覗かせていただいた。
その中でイエスキリストの愛を知り、時間をかけながら聖書を読んでいくうちに「私が欲しかったのはこれだ」と確信が定まり、18歳の冬にクリスチャンとしての信仰を持つことを選択した。
10年強の時を経た現在、あの瞬間こそが私の人生最大の好転機であったと思っている。
記したような経緯があったので、卒業後にアパレル業界への就職は考えていなかった。
それではどうしたかというと、まずは在学中にムクムクと育っていた、「異文化、特にキリスト教文化が根付いており日本人留学者の比較的少ない場所に身を置いてみたい」という思いから、3ヶ月間エディンバラにて少々の英語を学んだ後ヨーロッパ14都市をバス旅。
実家とは別に暮らしておりいつも私の動向を気にかけてくれていた今は亡き祖父からの卒業祝いだった。
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帰国後は縁あった横浜の小さな芸能事務所に入り、舞台演劇の練習現場を観て心動かされたこと・歌を歌える機会もあるかもしれないという憶測から演劇を始めた。
とはいえ成人して急に始めたそれで食っていくこと等とても出来ず、表向きは役者として活動しつつ、殆どの時間は違う仕事で生計を保っていた。
当時は{稽古・公演日程のある役者をしつつ・専門時代に借りた奨学金を分割返済しながら・横浜で一人で暮らしていけるだけの収入を得られる仕事}の選択肢は多くなく、主にはホテルラウンジやカフェでの接客、スケジュールが落ち着いてからは企業の受付事務や秘書的なことをし、時にVIPイベントの受付や大展覧会のキャンペーンガールなど高単価なアルバイトを挟むことでやりくりしていた。
その中でも大好きな毎週日曜朝の礼拝にはほぼ必ず出席し、隙間を見つけては教会ミニストリーや、絵や編み物等での創作活動もしており、余白や金銭的余裕は殆ど無いながらも「成人してやっと”自分”を生きることが出来ている」ようで、私自身の心は充実し幸せな時だった。
とはいえ多くの人々はこのような生き方に対しあまり良いイメージでは見ない。私の酷い口下手も災いしていた様に思うけれど、側から見たら{特段秀でた成果もないのにあれこれしている}私はきっとなんだかよくわからない可笑しな人で、20代も半ばに近付けば段々と人々からの軽蔑や疑問を感じるようなことも増えた。別にその人達からの承認を得るために生きている訳ではないとはいえ、悔しい気持ちも抱えていたのが正直なところ。
けれど「やはりこの道を歩いてきて良かったのだ」と思える未来は待ち受けていた。
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24歳時のある日曜日、礼拝の後皆でコーヒーとおやつを囲み団欒している中、教会スタッフの一人にこっそりと話しかけられた。
「”クリスチャンで俳優のできる人を探している“という話がそこのメディア会社からやってきたから、是非やりなさい。」と。
【映像作品にクリスチャンとして俳優出演する】、それは当時の私が日々祈り求めていた内容であったので、二つ返事でやると言い、すぐに話を聴きに行った。
内容としては「ミニストリー(教会奉仕)に活かせるショートフィルムのワークショップをしていて、出演できる人を探している。」とのことで、仕事ではない上結果的には一瞬映る程度の役であったのだけれど、当時の私にとって自分の望んでいる事柄でで役目のあることが堪らなく嬉しく、祈りの答えであると信じた。
そのプロジェクトでミッショナリーとしてメディアマーケティングを担当していた”可愛らしいドイツ人”が現夫。
その後お付き合いを始め、彼が彼自身の夢を叶えるため数年間ヨーロッパに戻りたいと切り出したことから日本で結婚し、2018年にドイツのブレーメンに、2020年からはオーストリアのウィーンに共に移り住むようになった。
このような流れで、【同じ信仰を持ったパートナーを持つこと】だけでなく、【海外に数年住むこと】【海外で映画に出演すること】という私の夢であり祈りのリストに並べていたことも想像していなかった形で叶うこととなった。
“ヨーロッパに住んでいて演劇経験のある日本人“というのは限られる。
元々の需要自体そう多くはないとはいえ募集枠にさえハマれば競争率は高くないということもあり、テレビ番組や広告動画、教材用ビデオや企業内使用動画の出演等、随分と良い走り出しが出来た。
半月程ギリシャに滞在しや映画”PERSEPHONE”の撮影では、オペレッタ映画であったので俳優としての出演と共に歌手としてアルトパートも担当した。
昔歌手になりたかった自分が報われ慰められたような気がした。
ブレーメンでは夫の職業訓練校の生徒たちが使う大量の衣類にクラスマーク付けを、ウィーンでは教会で出逢ったダンスチームのプロデューサーから衣装製作を依頼を受ける等、演劇の経験のみならず学生時代洋裁を学んだ事も幸いしその時々に圧迫されていた家計を守られる、ということも複数経験し、その中で沢山の素晴らしい出逢いに恵まれた。
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機会を与えて下さる神様と人々の厚意に感謝すると共に、浪費したと思える時間も寧ろ益となっていくような体験の数々、枯れ果てていた心が潤いを取り戻していくような日々から、幼少期には自然と授けられていたような【人生に対する明るい視点・自分自身を認め愛するからこそ他人をも認め愛せる力】を取り戻したことこそが、自分の人生の成功であると思っている。

状況に至ってはそのまま全て順風満帆に、という訳では当然ない。
細やかな事件なら幾らでもあるし、2020年には世界中が経験しているコロナ禍への突入により、「来月から夫の長年の夢が実現する。」というタイミングでその道が閉ざされた。
私にとっても、その時点で映像出演や創作仕事の機会はパッタリと途絶えた。
オーストリアに引っ越してきたばかりだったので国のサポートと言えるものは殆ど受けられなかった。
そんな中いつものようにSNSを開いたら、その数ヶ月前にオランダで撮影した、自分の出演しているIT関連企業のコマーシャルが現れた。
それも「フルリモート求人募集」として。
緊急事態により必死で仕事を探していた私は即座に応募し、面接では社内共通言語として必要なビジネス英語力の欠如を補う為コマーシャルに出演したことをこれでもかと言うほどアピール。
結果、技術サポートエージェントとして勤務できることになった。
私が一家の大黒柱、夫が就活中の専業主夫ということになった。
引っ越してきたばかりの海外である日突然夫婦の役割分担が強制変化した上かなりの節約を要される中でのロックダウン生活。
派生するありとあらゆる問題にはかなり堪え、これからの時代を世界中何処に居ても家族共に生き抜く術・自分自身の在り方について四六時中思い馳せる日々が続いた。
遂に夫の再就職が決まったのはその約1年後。
私が「もう少し自己裁量のある/創作に関連する仕事がしたい。」と思っていたところ、彼が新しい仕事の関係で見つけた【ウィーンの自宅に居ながら英語で学べるUXデザインコース】をピッタリだからと薦めてくれ、その内容が気に入ったので今月5月から始めた。
朝9時から夕方6時までのフルリモート全日制で、毎度予習教材を与えられ宿題も出る学校。
結構な英語理解・ディスカッション力が必要とされるクラスなのだけど、1年間仕事で毎日多くの英語を使用していたお陰でなんとか付いていくことが出来ており、「なるほどここに繋がっていたのか。」と思っている。
同時にUX(ユーザーエクスペリエンス - 使用者経験)デザイナーに必要なスキルを学びながら、「これまでのごちゃ混ぜと思える歴史の全てが随分と活かされる仕事である」、と気付かされる日々だ。
それは自分で面倒臭いとさえと思ってきた物事の裏側や本質を悉く探るような性格、本望ではなかった日々や虐げられることによって出来た心の傷痕さえも。
ー およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
ー(ヘブル人への手紙12:11)
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現時点で必ずしもこのコースの後UXデザイナーそのものになるのかどうか、それが一生の仕事になっていくか等ということはわからなくても、思うことがある。
一見完成像の想像できない人生のピース、その一つ一つが自分の目から見て良くても悪くても理解出来なくても、組み合わさっていくと思いもよらぬような、だけど腑に落ちるような絵になっていく。
その絵をどうか見事に完成させられるように生きて、いつの日か気持ち良く眠りにつきたい。
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text and photo - Yurino Oshima

UXデザイン学生//役者/クリエイター
大島由梨乃
Yurino Oshima
ウィーン在住。コロナ禍を機にWeb業界に入った後全日制フルタイムでUX(&UI)デザインを勉強中。
出演作品にギリシャ映画 "PERSEPHONE"、オーストラリアTV "Back To Blett"、コマーシャル "Philips Sonicare International" 等。

#12
MAY 2021

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
萌す。
As I Circle Around The Block
毎朝、朝日がアパートの周辺の暗いシルエットに差し込み、東向きの私たちのベッドルームに届き新しい1日を暖かさで満たしてくれる。早い春がやって来た、金色の光がそれを物語っているよう。
道沿いに長く連なったフロントヤードがまるで渓谷のように街並みを緑の帯で縁取っている。
鳥たちはすでに数時間前から目覚めてるようだ。
どの子が鳴いているのか窓の外を覗いて見るのだけれど、隣の大きなブルースプルースの常緑樹の葉が視界を遮ってよく見えない。
左の眼下には、開いたばかりの白い花が咲き乱れる可憐なリンゴの木が、長い冬から目覚め始め、新しい季節の産毛に覆われた蕾を優しく覆っている古いシカモアの樹からの木漏れ日にあたっている。
朝食は私にとって毎朝の儀式。
黄金色のバターといちごジャムをたっぷりとのせた軽くトーストしたサワードウのスライス、がたまらなく好き。
世界的なパンデミックに対処する方法を多くの人たちが模索していた中、私はパン作りやその他多くのことを学んだ。
私の13年来のパートナーで音楽制作同志でもあるジョンがコーヒーをいれるお湯を沸かしている。
私はダイニングテーブルで椅子に座り、不揃いなエッジのテーブルを拭いて用意する。
このテーブルは何年も前に情報誌で見つけて無料で手にしたもの。
猫のひっかき傷や痛みが酷かったのを、ひょんな思いつきでカラフルなタイルをモザイク状に貼り合わせテーブルトップは見違えるように大変身。
今ではこれも私たちの長年のニューヨークライフを物語る古物の一つ。

アズ・アイ・サークル・アラウンド・ザ・ブロック
musician / artist レア・トーマス
5.2 2021
Lea Thomas
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広いリビングルームの一画に光が煙のように揺らめいている。
私が手縫いでパッチワークしたシルクのカーテンがそよ風でふわっとひらめき、光のゆらぎとともに窓際にかけたウインドチャイムを優しく撫でる。
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観葉植物やテキスタイルのコレクションたちが壁を飾り、寛いだりヨガをするフロアーを囲んでいる。私のお気に入り、日本製のレスポ型、ビンテージゴールドギターも横に並んで。
スティールストリングのパーラーアコースティックも織り機と糸が置かれている光に満ちたアルコーブの壁に掛けられている。
最近お気に入りのサウンド C-A-D-G-A-Dにチューニングされて。
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リビングの床に座って、ベイウインドウのすぐ外にすくっと生える守護的な存在を感じるシカモアの木を眺めるのが好き。
数週間のうちに、この木の葉が生い茂った頃、きっと私はツリーハウスにいるかのような気分になるだろう。
服を着替え、ハーブを巻いたローリー(巻き紙)を持って、近くの公園へ散歩に出てみよう。
街路樹の最後に植えられた満開の桜の木の下で一瞬立ち止まると、枝いっぱいについた花をこちらに向けて差し伸べてくれている。
額をその羽のような花びらにすり寄せてみると、なんてソフトな感触。
今までこんな柔らかさを感じたことがあっただろうか、、
ストリートにも活気が戻って来た。
人々も喜びのムードで溢れている。
去年の今頃、ニューヨークはロックダウンされマグノリアを愛でる人もそういなかった。
公園で立ち話をする人たちの雑談する音の中から時折歓声も聞こえてくる。
あまりにも不可解な一年を過ごした後、家族や友人たちがやっとまたお互いの顔を見ながら交流がもてる。
短い間しか咲かないチューリップの一本づつに挨拶をしていきながら歩き続ける。
このブロックを回りなら歩いていくと、アジア原産のイチョウの木が現れる。
肺の形をした葉が美しい枝のパターンの中に透かされている。
新緑の息吹を吸い込むようにそこに立ち止まる。
そして明日、日がまた少し長くなり、この成長のサイクルが次のフェーズに進んでいく!
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text and photoprahs - Lea Thomas

musician / artist
レア・トーマス
Lea Thomas
ハワイ出身、現在ブルックリンに拠点を置く。幼い頃ピアノを弾き始めたことがきっかけで音楽と触れ始め、後にギターと出会い彼女のメイン楽器となる。ティーンの頃どっぷりと自作の曲を書き下ろしレコーディングするようになり、日本人母とアメリカ人父の両親を持つシンガーソングライターは17歳で単身ニューヨークへ渡る。オーディオエンジニアリング・スクールに通い、マスタリングスタジオで働く経験も積みながら自身のアーティストとしての道を歩む。
ファーストアルバムである“Want for Nothing” を2017年にリリース。アンビエント/フォーク/フィールド系ミュージックの “Part of This Place”を2018年にEPとして、また2019年にはJohn Thayer とのコラボ作品 “Blue of Distance” をそれぞれリリース。
音楽に加えビジュアルアーティストとして自然染織の作家でもある。特に藍染は日本のルーツの流れを反映する。伝統的なハーブ療法についても熱心で、自生ハーブを採取して作ったオリジナルプロダクトを All in All Apothcary ブランドで提供している。
『What Did the Music Sound Like』ニュー・リリース
ジャパニーズxアメリカンのシンガーソングライターLea Thomasの新曲が4月27日 、Spirit House Records よりリリース。
この曲で彼女はこれまでの人生で起きた大きなシフトを軽快なリズムに乗せながら歌い上げている。
マウイで生まれ育ち、17歳でニューヨークに渡って以来10数年をその地で生きてきた様々な経験、そしてこれから続いていくであろうストーリーに思いを馳せる。
特にこの1年余りロックダウン、ソーシャルディスタンスなどを強いられた状況下でみんなが前向きに元気になれるようスピリットを込めた。
世界的パンデミックの真っ只中、ミュージックビデオはシンプルに自身がスマホで撮影し編集。
セルフィーのクリップとニューヨークライフでのノスタルジックな背景模様をつなぎ合わせた。
