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#25
September  2022
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PEOPLE

#40

STAY SALTY ...... people here

Meet the new me and

Take me on

「わたし」に出会い、「わたし」を引き受ける。

暗中模索。

 

わたしはいま、これまで、自分の辞書にはなかった言葉の渦中にいます。

 

文字どおり、穴蔵のように暗いのです、ここ。

 

ここ、とは自身が開いた店、「本で旅するVia」のことです。

2022年6月末日にオープンしました。

 

平たくいえば、ブックカフェ。

わたしは、「本を読むための居場所」とご案内しています。

本の世界に存分に没頭できる、静かな空間です。

お客様にご自由にお好きな本をお持ち込みいただき、お読みいただけるだけでなく、店内には1000冊ほどの、海外の文学、歴史や文化についてふれた本をご用意しています。

つかの間、それらの本を通して〝旅〟していただくというコンセプトのお店です。

「本で旅する Via」オーナー

伊藤雅崇

9.5 2022

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Mastaka Ito

前職は、旅行会社の社員です。

今年の5月まで勤めていました。

社員の出入りの激しい旅行会社にあって、長らく在籍し、その期間の多くは会社が発行するツアー情報誌の制作に携わっていました。

 

何か、自分で仕事をしてみたい、という思いはかねてからありましたが、興味があるものといえば、本に映画に、旅行くらい。

才能のある一部の方を除いて、そうお金になるような仕事ではありません。

ましてや押しも強くなければ、会社に生活の礎を長らく置く、商魂たくましいわけでもない自分のような者が、その世界で生き抜くのは容易なことではないので、なかなか飛び出せずにいました。

 

それでも、波のようにその思いは引いては寄せを繰り返し、絶えることはなく、年々強まっていくばかりでした。

いわゆる、中年の危機もあったと思います。

 

そんなときに出会ったのが、人類学者の小川さやかさんが書かれた『その日暮らしの人類学−もう一つの資本主義経済』(光文社新書、2016年)でした。

小川さんはタンザニアの零細商人とともに生活し観察を行うユニークな研究をされてきました。

日本では多くの人が、昨日の続きが今日も明日も直線的に続き、未来に備えて今日を生きるのがあたりまえ、という日々を送っています。

それに対してタンザニアの零細商人たちは、その日暮らし。

毎月決まった額の給料が入ってくるわけではなく、国による社会保障も期待できずでは、いきおい、そうならざるを得ません。

だから人びと同士、たとえ他人であっても、互いに頼り、頼られ、借りては貸して、日々をしのいでいます。

そして、その場、その場で貸し借りの帳尻を合わせようとはしません。

それが未来への担保になるのです。

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日本でその日暮らしというと、否定的なニュアンスがあります。

しかし実のところ、その日暮らしは日本でも変わらず、明日がどうなるかなんて、わかるものではありません。

現にいつ震災や災害に遭うやもしれず、コロナ禍を予測することはできませんでした。

 

ならば、昨日とは違う、不確かな明日へ自ら足を踏み出しても、ええんとちゃうのか。

 

そう思いました。

それでもなかなか最初の一歩が繰り出せず、ようやく半歩足を踏み出したのが2020年のことでした。

会社に願い出て、週3日の勤務にしていただきました。

そして週の残りの数日を、手を差し伸べてくださった古書店さんで見習いをさせていただくことになりました。

ところが、間もなくして新型コロナウイルス感染が拡大。思うように活動できない期間もありましたが、その経験を通して、本を商うよりは、本を読むための「場」を作りたいというほうへシフトしていったのです。

 

ブックカフェや、本を読むことをコンセプトにしたカフェは、いろいろあります。

わたしの店は、東京に3店舗を構える「本を読んで過ごすことに特化した店」fuzkue(フヅクエ)さんの存在があって始まりました。

 

わたしはそこに、これまで携わってきた、「旅」を添えました。

 

本と、旅と。

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退職にあたり、会社の机を整理していたら、10年くらい前の手帳が出てきて、中を開くと、Book、Travel 、Cafeやブックツーリズムといった、言葉が書き連ねてありました。

成長がないなと思わず笑ってしまいましたが、その思いが結実したのが、「本で旅する Via」です。

 

店を始めるとなれば、それなりの額の開業資金が必要となります。

創業の融資制度を受けるにあたって、創業の理由を「中年の危機で」とするわけにもいかないので、もう一度整理することにしました。

 

わたくしごととして、創業の意思をかねてより持っていたこと、その思いを描けるような商いの仕組みに出会えたこと、次にわたしから半径を広げて勤務先を見れば、コロナ禍のなかで海外旅行が奪われ、仕事が大幅に縮小してしまったことがあります。

さらに社会へ目をむけると、現在、わたし自身もそうですが、可処分時間の多くをデジタルデバイスに振り向けています。

そのなかで、紙の本にふれる、読む時間もまた必要ではないかと思っています。

「本を読む」という営みは他者への感受性を養うものであり、もはやデジタル文字を読むことに時間の大半が費やされているなら、紙の本の読書時間を、ひとつのイベント、コトとしてもらえないかと、考えたのです。

 

また、おそらくは、日本人の海外旅行がシュリンクしていくなかにあって、たとえそれが本であっても、異国の多様な文化や価値観にふれることは、これからますます重要になっていきます。

これが、「旅」をコンセプトとして加えた理由です。

 

と、いうようなことを日本公庫の面接担当者に答えようと思っていたのですが、よくある話で、用意していたそれは聞かれることなく面接を終えることに。

ただ融資は無事に受けることができました。

 

そうして、退職から開店準備、内装工事と慌ただしいひと月を過ごして、店をどうにか構えることができました。

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現在、開店から2カ月が経とうとしています。

 

思わぬときにお客様がやってくることもあれば、お客様がいらっしゃらない日もあります。

 

人通りのない隠れ家のような場所ですので、店を知っていただけるまでには時間がかかることは承知していましたが、思い通りにはいきません。

 

どうしたものか。

暗中模索の中にいます。

自ら選び取り、初めての経験に身をさらしています。

 

そんなとき支えになるのは、自分の場合、本であり、言葉です。

 

以前読んだ本が、思い起こされました。

 

『弱いつながり―検索ワードを探す旅』(東浩紀著、幻冬舎、2014年)。

 

「本書で『新しい検索ワードを探せ』という表現で繰り返しているのは、要は『統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ』というメッセージです。

最適なパッケージを吟味したうえで選ぶ人生、それは、ネット書店のリコメンデーションにしたがって本を買い続ける行為です。

外れはないかもしれませんが、出会いもありません。

リアル書店でなんとなく目についたから買う、そういう偶然性に身を曝したほうがよほど読書経験は豊かになります」

 

『他者と生きる―リスク・病い・死をめぐる人類学』(磯野真穂著、集英社新書、2022年)。

 

「私たちは選ぶという行為において一体何を選んでいるのか。そんな質問に対し、宮野(*1)はポール(*2)を踏まえてこう答える。

 私たちが選択において選ぶことができるのは、選択において変わってしまうだろう自分を発見し、その変容した自分がその後起こる出来事に対応してゆくことを許容することである。あなたは『選ぶことで自分を見出す』。『選び、決めたこと』の先であなたという存在が生まれてくるのだと」

 

*1 哲学者、宮野真生子さんのこと。磯野真穂さんとの往復書簡集『急に具合が悪くなる』(晶文社、2019年)は言葉が響き合い、身に迫る一冊です。

 

*2 分析哲学が専門のL・A・ポールさんのこと。『今夜ヴァンパイアになる前に―分析的実存哲学入門』(名古屋大学出版会、2017年)などの著作があります。

 

両書ともやはり、統計学的な、昨日の続きが今日も続いていく直線的な「生」に疑問を投げかけています。

また『他者と生きる』では、他者との新たな関係性のなかでこそ、「生」の実感が生まれることを説いています。

 

お店には、さまざまなお客様がいらっしゃいます。

この穴蔵の薄暗いなかにひとりいて、きぃーっと引き戸が開いて、お客様が来店されると、それはもう言葉どおり、後光が射して見えます。

ほかにお客様がいらっしゃらないときには、お話をすることもあります。

本がお好きな方と袖振り合うのは、うれしい「関係性」です。

 

また店を始めていなければ、つながることのなかった方々との出会いをいくつも果たしました。

タンザニアの零細商人のように金銭こそお借りはしていないものの、たくさんのご恩をいろんな方からお借りしています。

いまは商売も未熟で恩は返しようがないので、そこはタンザニアの彼らに倣って借りっぱなしにしています。

この素敵なウェブマガジン『Stay Salty』との出会いも、寄稿者のおひとりである、川村香諸里さんをnoteでお見かけして、Instagramでメッセージをお送りしたのが始まりです。

 

わたしはたいがい、うまく立ち回ることのできない不器用な者です。

間違いや失敗も数知れず。

常々、反省のなかにいます。

しかしそんな者でも困っていると、他人なのに手を差し伸べてくださる方がいらっしゃることに驚きと感謝、申し訳なさも覚えます。

知らなかった、世のなかの一面を見るようです。

 

そうして弱いつながりに支えられながら過ごす、これまでとは違う毎日。

 

不安にも襲われます。

半年後にどうなっているかもわかりません。

その日、その日、考え、動いていくしかありません。

でもそうして、偶然や出会いのなかに身を置くことによって、新たな「わたし」に出会い、「わたし」を引き受けています。

そうして、いま生きてんなと、思うのです。

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text and photo - Masataka Ito

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「本で旅する Via」オーナー

伊藤雅崇

京都市出身。早稲田大学社会科学部卒業。

旅行会社に勤務し、北は北極圏、南はパタゴニアまで、

中東、イスラエル、ロシア、旧ソ連圏、ブータン、インド、中国などに重ねて渡航し、世界のさまざまな文化にふれる。

2022年6月、「本で旅する Via」を東京・荻窪にオープン。

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「本で旅する Via」よりお知らせ

弊店2階のギャラリーをご利用ください

 

「本で旅するVia」では2階の展示空間(ギャラリー Via2)を、写真や絵画、版画、手工芸品などの発表の場として、お貸しいたします。

「本で旅する」という弊店の趣旨に沿って、本や旅をテーマにした作品をとくに歓迎いたします。ただいま開店記念としてレンタル料金は頂戴しておりませんので、どうぞお気軽にお問い合わせください。

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#24
August  2022
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PEOPLE

#39

STAY SALTY ...... people here

Today's the youngest day!
~ Aiming for a goal that you feel you've done all you can do.

Megumi Ono

今日が一番若い日!~やり切ったと思えるゴールを目指して

月並みな言葉ですが「人生あっという間」なんですね、ほんとうに。

先人たちが口を揃えてが言っていたその言葉に、今年還暦を迎える私は、深く頷いています。

 

のほほんとした幼少期。なんとなくの学生時代。

「女の子なんだから、そこそこでいい」。

昭和一桁生まれの両親に育てられた私は、お嫁さんにいくのが最高の花道、そんなふうに刷り込まれていたことに疑問すら持ちませんでした。

今思えば、呆れるほどぼんやりと時間を消費していました。

特別な夢を持つこともなく、自分に何ができるかなど考えることもなく、そこそこ楽しく過ごす、昭和30年代に生まれた女の子の典型的な生き方でしょうか。

それでも、苦労もなく大手銀行のOLとして就職もできた時代。

バブルの華やかな雰囲気も味わい、「いい時代」が青春でした。

 

当時、女性の結婚適齢期はクリスマスシーズンと言われていました。

24日、25日までクリスマスケーキは飛ぶように売れるが、26日になるとパッタリ売れなくなる。

それを年齢に重ね、世間では26才を過ぎた女性は「行き遅れ」などと揶揄されていました。

私がぼんやりしていられたのはクリスマスシーズンまで。

「行き遅れた」私は、つまらない妙なプライドがあり、そこからは「結婚よりも仕事が好きな女性」を演じて生きることにしたのです。

 

「いい時代」は私を助けてくれました。

運命の出会いとなる、ある女性の紹介で、中途で出版社に潜り込むことができ、「書籍の編集者」という役割を幸運にも与えられたのです。

 

そこから、人生あっという間……が始まりました。

 

自分の頭の中から生まれた企画が書籍という形となり、世の中に羽ばたいていく……。

結果が出ることの緊張感と達成感。

「行き遅れ」のカモフラージュだったはずが、はじめて仕事って面白い!と思えたのです。

終電で帰宅するのは当たり前、そんな忙しくも充実の編集者生活が数年続きました。

7.11 2022

小野めぐみ

株式会社小瑠璃舎 代表取締役 「思い出編集室」エグゼクティブプロデューサー

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30代に入り、結婚・出産・夫の仕事の関係で数年海外に暮らすなど、大きな生活の変化がありました。

でも、一度仕事の面白さを知った私は、けっきょく昭和の女の子の花道だった専業主婦という選択肢を選ぶことはありませんでした。

 

しかし、一日は誰にでも平等に24時間しかありません。

独身時代のように仕事を中心にして時間を割けませんから、仕事・子育て・家事と、まるで皿回しのような毎日、どれひとつ落とすわけにはいかない! そんな目まぐるしい日々が続いていました。

 

あっという間に子育てが一段落した50代半ば、出版社を離れフリーで活動していく決意をし、ようやく立ち止まったのです。

 

そこで思わぬ心の変化がありました。

がむしゃらに走ってきたけれど、所詮どれも中途半端でしかなかったんじゃないか……。

私が選択してきた道は間違っていたんじゃないか……。

そんな虚無感に襲われてしまったのです。

まるで浦島太郎が陸に戻った時のような感覚でしょうか。

いつの間にか、時は流れていて、後悔してももう遅い時期。

前進、前進と、前しか向いてこなかった私ですが、前に進む気力を完全に失ってしまいました。

ポッキリと心が折れてしまったのです。

 

同時期に父親の旅立ち、同世代の友人二人のあまりにも早い旅立ちを経験。

そこで、思ったのが「人生、明日どうなるか本当に分からない」ということ。

自分を見失って、自信を無くしていた時期でしたが、どこか現実的なところがある私は、ふと思いました。

 

急に自分が旅立ってしまったら、私という存在をさらに貶めることになると。

当時、忙しいという言い訳をして、ただ面倒で長年目を背けてきた本格的な片づけ。

気がつけば我が家は誰から見ても呆れられ、ため息をつかれるほどの膨大な持ち物に膨れ上がっています。

 

この恥ずかしい光景を見られたくない! 

そんな一心で片づけを始めたのです。

 

手を付けてみると、押入れの奥からいろいろな懐かしい物が出てきました。

どれもこれも忘れていた物でした。

「思い出とはこんなにも忘れているものなのか!」

 

その忘れていた数々の物を手に取ると、驚くほどたくさんの記憶が甦りました。

いい思い出。

悲しい思い出。

後悔する思い出。

それらに向き合っているうちに、私の心はだんだんと変わっていったのです。

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それまで私は、思い出をわざわざ振り返ることは、「後ろ向きな生き方」だと思っていました。

「生きる」とは今と未来だけ、過去はやり直せないのだから、意味がないと。

 

思い出は心の中にあるように思っていましたが、たくさんの物を手に取ってみると、すっかり忘れていた思い出が次から次に甦ったのです。

 

「いい思い出」からは、私はどれほどの人の愛情やご縁に支えられて生きてきたのかと気がつくことになり、幸福感が高まっていきました。

 

「悲しい思い出」からは、よくあんな辛いことから逃げずにここまで生きてきた!と自分を誇らしく思え、自己肯定感が高まっていきました。

 

「後悔が押し寄せる思い出」からは、やり直せないという現実に、これからの生き方で罪滅ぼしをするしかないと気力が高まっていきました。

 

片づけをとおし、思い出と向き合った時間は、まるで心に栄養補給したように、折れた心は自然と修復していったのです。

そして、私は自分を取り戻すことができ、また前を向いて進めるようになりました。

 

人間は、どうしても目の前の状況に心が奪われがちになります。

しかし、過去の時間、経験をもとに自分が作られ、今を生きているのです。

たくさんの思い出に心を寄せずに生きてきたということは、過去に大切な落とし物をしたたままだったと気がついたわけです。

思い出という大切なエネルギーを心に入れないままでは、50代半ばで心が折れてしまったのも無理はありませんでした。

思い出をしっかりと受け止めると、過去の時間がエネルギーとなって背中押してくれ、しっかりと前に進める。それが真の前向きな生き方だと気がつくことができたのです。

 

片づけることで思い出と再会すると、こんなに心にプラスの効果があるんだ! 

 

すっかり元気を取り戻した私は、もともと編集者気質ですから「いいことは世の中に広めたい!」という一心で、その後、株式会社小瑠璃舎「思い出編集室」を起業しました。

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片づけをとおし、忘れていた思い出を取り戻すことで、これからの毎日を自分らしく生きていけます。でも大切な思い出の物はそう簡単に捨てられません。

そこで思い出を小さくまとめておく「思い出コンパクト術」を施し、それが一生心の支えてくれるものになる。

そんな50代以上の方に向けたメソッドを確立し、現在はセミナー活動や、思い出コンパクト術でフォトブックやリメイク品を制作している会社です。

 

また、今年の4月にはメソッドをまとめた書籍「50代から味わえる! 最高のご褒美『人生で一番素敵な片づけ』」(三笠書房刊)を刊行しました。

 

人生は山あり谷あり。

誰もが心に折り合いをつけながら辿り着くのが、400メートルリレーで例えると最終の第4コーナーにさしかかる「終活」を意識する世代です。

私もその世代に入りました。

どうも「終活」という言葉には、老い支度、下り坂といったネガティブなイメージがあるようで、とても残念に思っています。

 

人間は平等に「今日が人生で一番若い日」です。

私は毎日そんなふうに思っているので、下り坂なんて感じたことはなく、そして、人生あっという間ですから、やりたいことはどんどんやって毎日楽しみたい。

長い時間生きてきたからこそ、たくさんの思い出があります。

さまざな思い出を力に、山の頂上を目指していけば、いつまでも新しく素晴らしい景色が次々に見られるのです。

 

これから、終活世代の皆さんに私のメソッド「片づけを通して思い出と再会し、終活の第一歩をスタートすれば、ずっと自分らしく明るい道が続いていく」ということをお伝えし、伴走していきます。

私自身、結果はどうあれ、やり切ったと思える、清々しい人生のゴールを走り抜けることを目指し、日々を過ごします。

 

「終活」とは、最後まで自分らしく明るく生きるための時間だと思っています。

text and photo - Megumi Ono

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思い出編集室 エグゼクティブプロデューサー 株式会社小瑠璃舎 代表取締役

小野めぐみ

1962年、東京都生まれ。大手銀行を経て、出版社に勤務。メディアファクトリー、KADOKAWAにて数々のベストセラー書籍の企画・編集に携わったのち、2015年からフリーとして活動。
同時期に父親の死をきっかけに、セカンドライフ世代の人たちが心身ともに生活を向上させ、かつ終活としても役立つ「片づけ法」を数年間にわたり模索。
ついに多くの人が最も悩む「思い出の物」への対処法として、「捨てるor 捨てない」とは別の、第3の選択肢となる「思い出コンパクト術」を編み出す。
このメソッドが、「思い出はそのままに、物はスッキリ手放せた! 」「何年も迷っていた物が処分できて、生まれ変わったよう! 」と大好評を博す。
2016年、新たなライフワークとして思い出フォトブックなどの制作を手掛ける小瑠璃舎を54歳で起業。著書に「50代から味わえる!最高のご褒美『人生で一番素敵な片づけ』」(三笠書房刊)
「人生で一番素敵な片づけ」メソッドを活用した、明るく楽しい終活を提唱するセミナーが大人気。

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書籍『人生で一番素敵な片づけ――50代から味わえる!最高のご褒美』

大切な思い出はそのままに、心も部屋もスッキリ!

50代から味わえる!最高のご褒美。
「人生の意義が見つかる、すごい片づけ法!」と精神科医 清水研先生大絶賛!

「すごいわ! サクサク片づく!」」
「元気ハツラツになって、生きがいまで見つかった!」
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#23
May  2022
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PEOPLE

#38

STAY SALTY ...... people here

Why I Write Novels

私が小説を書く理由

Haru Minatose

1.自己紹介

こんにちは。みなとせ はるです。

 

もう一つの私の名前を名乗り始めて、一年半が経ちました。

名前の由来は、「春の湊(みなと)」という言葉から。

アナグラムです。

春の湊は、春の果て、春の行きつくところという意味があります。

何かを表現することでその先に何があるのだろうか。

また、どんな場所に辿り着けるのだろうか。

創作を始める前のそんなわくわくする期待と、少しの不安の気持ちをまるっと込めて「みなとせ はる」は生まれました。

 

現在、私は自作小説をnoteというプラットフォームを中心に投稿したり、kindleにて電子書籍出版をして活動をしています。

創作を始めた頃は、まさか自分が小説を書き続けることになるとは、思ってもいませんでした。

なぜなら、自分に自信がなく、書いたものに対してどう思われるかということが不安でたまらなかったのです。

しかし、初めてnoteに詩のようなものを投稿すると、優しい声をかけてくださる方が多く、自分の創作や表現を楽しんで輝いていらっしゃる方と多く出会うことができました。

私が、もう少し自分の内側を伝えてみたいと「小説を書いてみよう」と思えたのも、こういった皆さんと繋がれた幸運があったからだと思っています。

小説家

みなとせ はる

5.5 2022

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2.私にとって「小説を書くこと」とは何か。

ところで、「小説を書く」とは、どういうことをいうのでしょう。

「小説を読む」というのは、「登場人物の経験を通して、読者が追体験するその世界に接触し、心を動かすこと」といったことを想像します。

そう考えると、「小説を書く」というのは、「読者にその体験をよりリアルに感じ、楽しんでもらえるよう、工夫を凝らして物語を届けること」なのかもしれません。

 

ただ、私にとって「小説を書くこと」は、少し意味合いが違う気がしています。

自分の表現として小説を書き始めてから、私にとって「書く」ということは、「幼い頃の無垢な心(感性)を迎えに行く行為」という感覚があります。

小説を書く過程では、物語の中の世界を伝えるため、現実世界にあるものをより深く観察して五感で感じようとします。

また、自分の中に存在する考えや価値観とも向き合うことになります。

その時の私は、「もっと色々なものを感じたい。

もっと自由な価値観でいたい」と、そんな内側からの声をいつも聞いている気がするのです。

 

小説の良いところは、物語にいくらでもファンタジーを織り込めることです。

物語を書き、それを誰かに読んでもらうことは、個人的な心の内側の暴露でもあって、作品を読んでくださる方の中には、みなとせはるは「こんな性格なのかな」とか、「こんな考えの人なのか」とか、見透かしている方もいるかもしれません。

私は、それが時々とても恥ずかしく感じるのですが、「何を書こうと、小説はあくまでもフィクションでファンタジーで自由な世界だ」ということが、作品を公開する際に私に勇気をくれます。

エッセイを書くことが苦手なのは、こういう性格にあるのかもしれませんね(笑)。

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3.私が書き続ける理由。

こうして、自分の内側と向き合いながら書いている私の小説ですが、「書き続ける理由は何か」ということを、最近よく考えます。

いくつか理由はありますが、やはり一番大きいのは、読んでくださる方がいてくれて、応援の声をいただけること。

自分の書いているものに迷っている時も、自信がなくなりそうな時も、「読みました」「応援しています」と言葉をいただくと、「まだ描きたいことがあるはずだ。がんばろう」と、とても励まされます。

皆さんに感謝を込めて、新たな物語を届けたい!と、前を向くことができるのです。

二つ目は、物語の中の人物たちが、私の中で生きているということ。

まだ文章に表していない先へ、登場人物たちが勝手に動き出すことがあります。

私の小説は、基本的に優しい人物が多いのですが、良い人や正しい人かに関わりなく、不器用な子どもたちもとても愛おしくて。

物語の最後まで辿り着いてほしいと思うと、いつの間にか、「続きを書こう」とパソコンに向かっています。

 

小説を書いていると、前向きになれることばかりではなく、他の方の作品でとても上手い文章や心動かされる素晴らしい物語に出会うと、「私はこのままでいいのか」と考えることもありました。

しかし、小説を始めとする、詩、音楽、写真、絵画等々、他の方の作品に私が触れてきて思うのは、「それが上手いか下手かではなく、その人しかもっていない感性、経験、考えなどに触れているから、私は感動しているんだ」ということです。

商業用の作品となるとまた違うのかもしれませんが、個人の自由な表現において大事なこと、人が心動かされるきっかけは、「そこ」にあるのではないでしょうか。

私たち一人一人が唯一無二の存在で、そこから生み出される作品は誰かの心だからこそ、その視点や感覚に触れた時、私たちは新しい発見をし、時に共感し、共鳴する。それは全て自分の刺激や癒しとなり、誰かの世界を知ることで新しい自分と出会うことにも繋がります。

 

私が書き続ける理由は様々ですが、結局のところ、私は小説を書くことで「私」を伝えたいのかもしれません。

先に述べた理由を別の視点から捉えると、読者の方が、物語の中に隠した「私」を見てくれたかもしれないことが嬉しくて、まだまだ言いたいことがあるから、登場人物たちが心の中で動いているのかもしれませんね。

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「天の川を探して」イラスト:ミムコ

小説を書き始めて、もう少しで二年。

色々な私を物語に隠して表現してきたけれど、今は過去の失敗や辛かったこと、やり遂げられなかったことも含め、色々な体験をしてきた「私」という存在をかけがえのないものに感じます。

これから先、「もっと素敵な物語を届けたい」という想いと同時に現れるのは、「自分の内側を表現してみたい」、「文章や小説や書いてみたい」、そう思う人たちの背中を押すことのできる存在になりたいという気持ちです。

心はもっと自由になっていいんだよ、そう伝えられる物書きであり続けたいと思っています。

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text and photo - Haru MInatose

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小説家

みなとせ はる

2020年秋より、短編小説を中心に創作を始める。活動の中心は、noteやモノガタリー・ドット・コム等での小説作品の投稿、および、小説作品の電子書籍出版。モノガタリー・ドット・コムと『ものがたり珈琲』のコラボ企画コンテストにて、短編小説『モーニングコーヒー』が審査員特別賞(優秀賞)を受賞。Kindle電子書籍にて、小説『メトロノーム』、『電車とリボン』発売中。

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小説『メトロノーム』

高校一年生の奏(かな)は、ある日の早朝、ショパンの『ノクターン第二番』の演奏を聴いた。
あのピアノを弾いていたのは、誰?
ピアノを弾いていた「誰か」が残したのは、「音楽の同士へ」と書かれた付箋が貼られた楽譜だった。

謎の置手紙から始まる、音楽と身近な人々との交流を描いた、主人公の成長物語。
奏が「本当にやりたいこと」に向き合うために必要なこととは──。

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【イラスト:おはすみ】

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小説『電車とリボン』

幼馴染の侑(ゆう)と紗耶香(さやか)。
侑は、幼い頃から一緒に過ごしてきた紗耶香のことを分かっているつもりでいた。
しかし、ある日、彼女は自分の夢を告げ──。

彼女の夢を知った侑は、自分の心と向き合い、気持ちを伝えることができるのか。

どこにでもいるような、一人の少年の成長ものがたり。

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【イラスト:おはすみ】

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#22
April  2022
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

As the presence that brews the message

4.5 2022

メッセージを醸す存在として

ieniiru

オルタナティブスクール教員/絵画療法士

ずっと憧れだった"シュタイナー教育"の現場を知りたくて、半年間だけ保育園に勤めさせてもらったことがありました。

当時のわたしは、シュタイナー学校の教員になることを目指していましたが、同時に、女性としてのライフプランも気になる年頃でした。

はたして、献身的に働くことが当たり前のこの業界で生きていくことはできるのか。

その可能性を探ってみたかったのです。

半年の契約期間を終えて退職するとき、園長先生からいただいた次のような言葉が心に残りました。

「あなたの素話はすごく良かった。長いお話をきちんと覚えて、きれいに語ってくださいましたね。」

「あなたが語ってきたお話は、誰にも奪われないものだから、これからも大切にしてください。」

二十年以上現場を守ってきた方からのお言葉はとてもありがたく、今も尚、わたしを励まし続けるものの一つとなっています。

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あれから何年も経った今、教員の夢が叶って、丸三年になりました。

そして、つい先日のことです。

かつての園長先生の言葉に触発されて、パートナーにこんなことを言う自分がいました。

「あなたには、人に盗まれにくい力がある。それってすごいこと。」

国際的な学びと働きを実現する英語力。

まだ日本に浸透していない演劇メソッドを講師として表現・提供する力。

ちょっとやそっとでは人に追いつかれない特徴的なスキルが、彼には二つもありました。

留学に行って、資格を取って、そこで歩みが止まってしまう人も多いというのに。

毎日こつこつ、誇張ではなく一日もサボらずに、語学の勉強や稽古に励んでいました。

それも、ただじゃない年数をかけて。

取り組みが新しすぎて受け入れてもらえなかったり、ワークを盗まれたり、利用されたりすることもあるようです。

それでも、自分だけは「未来に必要とされる、大事なことをしている」と信じているようでした。

そんな彼の歯痒さや孤独感が、ふいに押し寄せてきたのです。

周囲の反対を押し切って、退職したばかりの自分と重なり、どうしても伝えたくなりました。

「本当の意味で盗まれることはないから、自信を持ってほしい。」

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では、わたしにとっての「人に盗まれない力」とは何でしょうか。

自慢じゃないけれど、彼のように、人に説明のつくわかりやすいスキルを一つも持っていません。

教員を続けられたのも、たったの三年ぽっち。

でも、その問いかけから素直に出てきたのは、まさにこのことでした。

 

”他の誰にも盗むことができない、本当にその人に属する力を育むこと”

 

知的な情報のインプットでもなく、魔法のような変化をもたらすことでもなく。

誰も代わりにはやってあげられない、その人ならではの「する」を助けること。

自分は自分の在り方を整えることで、そのメッセージをこつこつ醸し続けること。

どんな職業であっても、どんなに素朴な場面であっても、とにかく、そうありたいと願ってきました。

口で言うのは簡単で、言えば言うほどやったつもりになれるところもあります。

でも、子どもが相手なら尚のこと、ことばよりも身体の発するメッセージの純粋さが肝心です。

だからこそ、

「わたしは真実を生きられているか」

いつも自分に問いかけ、その答えを生きようと試みてきた気がします。

たくさん道を間違えながら、ときには痛みをもたらしながら。

この営みには、やり終えるということがありません。

しかも、人に正しさを証明してもらうこともできません。

その確かささえ、自分自身に問うしかないのです。

この孤独で密かな道のりこそ、”人に盗まれることのない、わたしに属する力”と言えるのではないでしょうか。

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もう少し具体的に、これまでとこれからのことを。

ずっとやりたかった仕事(オルタナティブスクールでクラス担任)に就いて三年。

この仕事のおかげで、子どもたちと宝物のような時間を過ごすことができましたし、noteにその取り組みを書くことで、たくさんの方に知ってもらうことができました。

しかし、この春、それらの恩恵を全て手放すことにしました。

「大好きなこの場所を次の世代に残すには」と考えたとき、矛盾しているようだけれど、このままの働き方では未来がないと判断したためです。

寂しい気持ちは山々ですが、大切だからこそ、離れることに決めました。

 

公的な補助を受けていない、小規模なオルタナティブスクールの運営(特に経済面)には、やはり厳しいものがあります。

どうしても、成り手を少なくしてしまう現状があり、次世代教員の育成も追いついていません。

わたしは現場に入ってたったの三年ですが、同世代の少なさや処遇の問題がずっと気がかりでした。

個人的な努力だけではとうてい解決できないことを実感し、次のステップとして、その”当たり前”を変えることに注力してみたくなりました。

そもそも、教育に関心のないわたしが教員の仕事にたどり着いたのはなぜか。

「根本から変えたい」「未来をつくる仕事がしたい」という想いが強かったからです。

まずは、この課題の根本の根本である”自分自身"を整えることにします。

自分が最も大切にされる場所へ行き、自分自身という基盤をつくり、そこから未来につづく仕組みを考えていきます。

一ヶ月後、半年後、一年後。どこにいるかもわからない、自分の未来が楽しみです。

2022年3月21日、春分の日。

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text and photo - ieniiru

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オルタナティブスクール教員/絵画療法士

ieniiru

1988年福岡県生まれ。

シュタイナー教育をルーツにもつ小さな学校にて三年間勤務。

小学1~3年生クラスを担任。

「育てることの芸術ってなんだろう?」をテーマに、人となりを大切にした教育活動を実践中。

詩や文章を書くことが好きで、noteにもりもりと個人史を綴っている。

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#21
MARCH 2022
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PEOPLE

STAY SALTY ...... people here

Becoming myself.

3.6 2022

自分になっていく。

鈴木奈菜

ダンサー/振付師/フリーランスアーティスト

はじめに。

この度これを書くにあたり、欠かせない存在であるmiddle-note先生に、今日に至るまでの長い間、沢山の気付きや学び、それによる成長と、奇跡に満ちた人生へと私を導いて下さったご指導への心からの感謝を申し上げます。

Nana Suzuki
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自己紹介をします。
私の名前は、鈴木奈菜です。

年齢は33歳。

職業はフリーランスアーティストです。

 

長年、演者、ダンサーとしてキャリアを積みながら、ここ数年は、振り付けの依頼、オンラインでのダンスレッスンや英語レッスンの講師の依頼もお受けするようになりました。

また、写真家、映像作家、画家、デザイナーとしても活動させて頂けるようになり、最近では声優としての初仕事も決まったところです。

 

今でこそこの様に色々なことを仕事としている私ですが、「ビフォーコロナ」の約2年前までは、演者、ダンサーとしての舞台活動のみに専念していました。

そんな私が、この約2年の間で、何故こんなにも色々なことを仕事に出来るようになったのか? どんな変化が起きてこうなったのか? という事を今からお話ししていきたいと思います。

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演劇科の高校を卒業したあと、私は迷っていました。

卒業公演のミュージカルを成功させる為に、長期にわたる無理な練習で喉を潰してしまったことで、精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまっていたのです。

好きなはずのミュージカルをやっているのに、口の中には喉から出た血の味が広がり、辛さしか感じられない日々。

やっと卒業しても先のことを考えられず、先に渡っていた姉に誘われるまま、心の休養のためにNYに渡りました。

しかし、NYに渡ったは良いものの、慣れない文化と言葉の壁に孤独を感じていました。

そんな私に転機が訪れます。

ほどなく運命的に出逢ったダンスの師匠達にすっかり魅了され、そこからずっとダンス一色の人生を歩むことになるのです。

ダンスはもともと好きではありましたが、NYで出会ったダンスの師匠達に惚れ込んだことがきっかけで、本格的にやっていこうと決めました。

師匠達は、たまたま出逢った私を生徒としてだけでなく、アシスタントとして、カンパニーのメンバーとしても迎え入れて下さいました。

ダンスの技術、技量、魅力のみならず、人間としての器にも惚れ込んでいました。

ダンスは、英語が出来ない私にとって、言葉を超えるコミュニケーションの手段となってくれました。

そして、豊かな人間関係を私に与えてくれたのでした。

素晴らしい師匠達、素晴らしい仲間に恵まれて、私はどんどん癒されて行きました。

ボロボロだった私を救い、癒してくれたダンスにますます邁進する幸せな日々のスタートです。

しかしフリーランスダンサーとして生計を立てるのはとても大変で、他のアルバイトもしながらの生活を長く送りました。

それでも我武者羅にダンサーとしてのキャリアを積むうちに、徐々に収入も安定し、ダンスだけで生計を立てることが出来そうだ、と思い始めた矢先の2020年、私の仕事はコロナ禍の直撃を受けました。

 

当時は、舞台公演の真っ只中でしたが、その公演は千秋楽を迎えることなく中止となりました。

その上、年内のスケジュール一杯に入っていた国内外の舞台の仕事も、全てキャンセルとなりました。

今年は安泰だ、と思える程に沢山入っていた一年間の仕事が、一瞬にして全て白紙となったのです。

その時の私はどうして良いのかもわからず、ただただ不安と恐怖を抑えるのに必死でした。

その後もエンターテイメント業界の混乱は長い間続き、今まで舞台を中心としてやって来ていた私の仕事のスケジュールは白紙となったまま、なかなか埋まることはありませんでした。

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コロナ禍の初期、誰とも会わず、ただただ家に閉じこもって、一人で悶々と過ごす日々を何ヶ月も過ごしました。

その時期は、悲しみや苛立ち、将来への不安などで塞ぎ込んでしまい、立ち直ることが出来なかったのです。

コロナ禍で何にも出来ない自分に苛立ち、キラキラ輝いていた未来が真っ暗になったように感じて、後から後から押し寄せる不安に、自分がどんどん押し潰されていくようでした。

 

「何か出来ないのか?自分は世の為人の為に何かの役に立てないのか?探せ!きっと見つかるはず!何か見つけなくちゃ!何かしなくちゃ!いいから止まってないで何かしろよ!」

最初は小さかった不安や苛立ちは、いつしか自分自身を押し潰すまでに大きく膨らんでいました。
 

そんな折、エンターテイメントの業界に入ると決めてからずっとどこかに隠して来た想い、長年怖くて向き合うことができなかった想いが、コロナ禍によって膨らんだ大きな不安に苛まれ、押し潰されたことで、一気に自分の中から刃物のような言葉や罪悪感と共に溢れ出て来ました。

 

「私には何も出来ない。私は無力だ。私には何の価値も無い」


「本当に大変な時に人々が求めるのはエンターテイメントではない」


「大切なのは水、食料、医療、労力。ダンスは何の役にも立たない」


「みんなが大変な時にダンスが出来ない心配をしている私は駄目な存在」

 

もう誤魔化すことは出来ませんでした。
今までも、地震や津波などの災害や、世界中で起きている環境問題などの情報に触れるたびに新たに生まれ続け、膨らみ続けて来たこの罪悪感。
それでも必死に「エンターテイメントは心を癒すもの、なくてはならないものだ」と自分に言い聞かせて押し殺して来た、この後ろめたさ。

そして何も変えられない無力な自分への失望と絶望。

そんなものたちが、いよいよ自分の中から溢れ出し、もう止めることも誤魔化すことも出来ませんでした。

私は幼少期から、「ななちゃんなら出来る!」と言う魔法の言葉を沢山かけられて育ちました。

そして、「私なら出来る!」と強く信じ込んで来ました。

でも本当はどこかで、自分には何も出来ない、価値がない、無力なんだ、と思っていたこと、実際に今、何も出来ないことに気付いて、それから何日も泣きました。

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そんな時、私を助けてくれたのが、いつも沢山の気づきと学びに導いてくださるmiddle-note先生のコンサルティングでした。

私はお蔭で気付くことが出来ました。

 

「自分にはダンスしか無い」と思い込んでいること。
ダンスをしている自分しか許せない、愛せないということ。
ダンスをしない自分には何の価値もないと思っていること。

そのくせ、実のところは、ダンスやエンターテイメントを「役に立たないものだ」と否定し続けていたこと。

それは即ち、携わる全ての人達やその仕事までも見下しているということにもなりえてしまう、と言うことにも気付きました。

何度もダンスに救われたこと、ずっと支えられて来たこと、大切でかけがえのないものであること、それは全て本当のことなのに、同時に「無駄なことをしている」と思ってしまう苦しい気持ちがあったことに気付くことが出来ました。

同時に、そんな事を思っていた自分、醜い嫌な自分自身を受け容れることが出来なくて認めたくないという気持ちにも気付きました。

これが怖くて、本当の想いに向き合うことからずっと逃げていたのだと言うことにも気付きました。

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物心ついた頃から、いい子でいたい、いい子だと思われたい、という願望がありました。

そのために、怒り、苛立ち、悲しみや苦しみの感情を押し殺すことを選んでいました。

自分が醜いと思う負の感情は全て、決して持ってはいけない感情だと決めて、自分の中から消そうとしていました。

大人になってもそのように生きて来たので、私は自分の負の感情と向き合うことが得意ではありません。

そんな私に、コロナ禍が齎した「何も出来ない時間」は、隠して来た負の感情を誤魔化し切れない程に膨らませ、向き合わざるを得ない状況を作ってくれました。

それは、盲目にダンスだけの人生をひた走る自分を一度立ち止まらせて、ゆっくりと今の自分や、今までの自分と向き合い、本当に行きたい未来を思い描くための時間と機会をもらうことでもありました。

その素晴らしい機会を得たことで、負の感情は、改めてダンスへの愛、エンターテイメントへの愛に昇華され、携わっている方々、生み出されていく作品の全てに、ただただ感謝が湧くばかりです。

結局、私にとってのエンターテイメントは、今も私を助け、癒してくれるかけがえのないもので在り続けています。

本気で向き合えばこそ生まれる負の感情も含めて、最初から最後まで、この命尽きる時まで、エンターテイメントは私の大部分を占める大切なもので在り続けるのだと思います。

私はこれからも、私に沢山の癒しと学びを与えてくれて、閉じ込めていた様々な感情を取り戻させてくれたエンターテイメントを心から愛したいし、誠実に、真剣に、真っ直ぐに向き合い、携わり、創り出していきたいです。

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そんな気持ちが強くなったこと、コロナ禍によって空いた時間があったこと、何よりもmiddle-note先生が背中を押してくださったこともあって、ダンス以外のことにも目を向け始めました。

それは、好きだったけれど過去に辞めてしまったことや、やりたいのに最初から諦めていたことを思い出し、それらに改めて取り組み始める良いきっかけとなりました。

最初に始めたのは、写真でした。

以前から写真を撮ることが大好きで、旅先などでは、携帯でよく撮っていましたが、それ止まりでした。

しかし、私の写真を見たmiddle-note先生が「才能があるので本格的にやらないともったいない」と仰ってくださったのをきっかけに、早速、写真を撮ってSNSに投稿し始めたり、色々なウェブサイトの写真の企画に応募をし始めると、すぐに賞を頂けたり、写真を購入して頂けるようになったのです。

Snapmartでは初アンバサダーとして選ばれました。

それを機に、人生で初の一眼レフカメラも購入しました。

そのカメラは今では私の大切な相棒で、仕事の写真、趣味の写真に関わらず、撮るたびに癒されるのを感じます。

写真を本格的に始めたことを皮切りに、その他の能力開拓にも次々と着手しました。

小さい頃から諦めていたこと、やってみたかったこと、興味があったこと、苦手意識があってずっと敬遠してきたことなど、色々なことに挑戦し始めました。

機械への苦手意識を乗り越えて、諦めずに映像作品を制作したり、小さい頃にやりたかった絵をデジタルで描き始めたり、デザインに挑戦もしました。

表現においては、抵抗があったコメディーチックなことにも挑み、自分は大根役者だからと諦めていた演技にも挑みました。

喉を潰して以来遠ざかっていたミュージカルにも応募してみたり、自分の体型にコンプレックスがあるために敬遠していたタイツやショートパンツを履いて踊ってみたり、ずっと避けたいと思っていたグループやカンパニーに属することもしてみたり、ずっと我慢していた欲しかった物を自分に買ってあげたりと、小さいことから大きなことまで、出来ることは片っ端からやり始めていきました。

そうすると、有難いことに、素晴らしいタイミングで色々な方々からやりたいことをやれる嬉しい機会を頂くことが出来ました。

それはとてもエキサイティングな体験の数々でした。

そうして自分と向き合っていくうちに、克服していくうちに、気付いていったことがありました。

それは、自分一人がただ怖がっていただけで、トラウマにしてしまっていただけで、自分が勝手に諦めていただけで、辞めてしまっただけで、出来ないと思い込んでいただけで、本当はやっても良かったのだと言うことでした。
それに気付くと、「今まで辛かった、苦しかった、悲しかった、寂しかった。やりたいことを取り上げてごめんね」という感情と涙が自分の中から沢山溢れ出て来ました。

今年の初め、私は自分に約束しました。

「昔に諦めてしまった夢を叶えてあげる」

そして、その約束は、既に二つ叶いつつあります。

一つは、冒頭でもお話ししました、声優業です。
実は私は、ずっと昔から自分の声にコンプレックスを持っていました。

自分の声を聞くのが嫌でした。

そして演技する事に関しても、本当は憧れを抱いていたのですが、自分は大根役者だ、下手くそだ、と、思ってしまうことがあって以来、諦めていました。

ですがここ数年、仕事で役者さんと関わっていく中で、私も演技をしてみたい、という思いがふつふつと湧き出て来ました。

演劇の他にも、映画やアニメも好きで、「声の仕事もしてみたい、コンプレックスがなんだ!もう自分を嫌うのは辞めよう!」と思い、とある会社に思い切って応募すると、トントン拍子に事が進んで、なんと声優としても今年デビューすることが決まりました。

小さい頃に歌を習い始めた時から、自分の声が嫌いでした。

聞くのも嫌だった自分の声を、コロナ禍で自分と向き合う時間を経て、ようやく受け容れられたこと、また今までの色々な想いを受け容れて、新たな一歩を踏み出せた事がとても嬉しいです。

そして、もう一つは、文章についてです。
こうしてエッセイを書かせていただいていますが、私は子供の頃から文章を書くことが苦手でした。

伝えたい事が伝わらず、誰に読んでもらっても、いつもよくわからないと言われ、挙句には「ななちゃんは馬鹿だから仕方がないよ」と言われていました。

そして自分も「私は馬鹿だから仕方が無いんだ」と、抵抗する事なくヘラヘラと笑って受け容れたまま大人になりました。

そんな私に、middle-note先生がnoteを勧めて下さいました。

2019年の春にnoteを始めて以来、少しずつ自分の言葉で文章を書き記していくという事を続けて来ました。

今は、自分の言葉、自分の文章を通して自分の想いを伝えていく事が、とても楽しく、嬉しいです。

 

改めて、沢山の奇跡と幸せ、私の日常を日々豊かにしてくださったmiddle-note先生、そして、今まで沢山の素敵な機会をくださり、私に豊かな体験を与えてくださった皆さん、本当にありがとうございます。


そして、いつも沢山の応援をしてくださる皆さん、沢山の愛をありがとうございます。

これからも皆さんに更なる幸せが舞い込んできますように。

最後まで私のエッセイを読んでくださり、どうもありがとうございました。
これを読んでくださった方々に、何かを届けることが出来ましたら幸いです。
貴重なお時間をどうもありがとうございました。

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© Hajime Kato

text and photo - Nana Suzuki

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© Hajime Kato

ダンサー/振付師/フリーランスアーティスト

鈴木奈菜

関東国際高等学校演劇科卒業後、NYへ約2年半留学。Steps on BroadwayとJennifer Muller/The Worksからスカラシップを得て、様々な振付家の元、ダンス公演をする。Xodus Dance Collective というダンスカンパニーにも所属し、恩師の一人、Max Stoneを始め様々な振付家の元、公演をする。帰国後は、Noism2というダンスカンパニーに2年所属し、その後はフリーランスダンサー/振付師として活動する。近年ではパフォーマーとしてだけでなく、オンラインでのレッスンを行ったり、映像作品作りや写真を撮ったり、物語を書いたり、絵を描いてデザインしたり、声優に挑戦するなど色々な分野で活動している。

主な近年の代表作。 

・ダンサーとして。(東京フェスティバルの「Toky Toki Saru」、「 MI(X)G」/ PARCO劇場「良い子はご褒美をもらえる」、「ピサロ」/ オリンピック閉会式。) 
平原慎太郎率いるDe/Co.のメンバーとしても活動。

・振付師として。(島根県松江プラバ少年少女合唱隊「ライオンキング」、「メリーポピンズ」/ 自身の作品「dancing with universe」) 

・選ばれた映像作品。(六本木アートナイトスピンオフプロジェクト「dancing with universe」) 

・受賞写真作品。(RECOTORIサイトにて、新人賞受賞。/  Snapmart を通して、大阪Grand Front アンバサダーとして選ばれ、Grand Front Christmas賞受賞。) 
Snapmartや、PIXTAや、個人を通しての写真販売もしている。

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