
#23
May 2022

PEOPLE
#38
STAY SALTY ...... people here
Why I Write Novels
私が小説を書く理由
1.自己紹介
こんにちは。みなとせ はるです。
もう一つの私の名前を名乗り始めて、一年半が経ちました。
名前の由来は、「春の湊(みなと)」という言葉から。
アナグラムです。
春の湊は、春の果て、春の行きつくところという意味があります。
何かを表現することでその先に何があるのだろうか。
また、どんな場所に辿り着けるのだろうか。
創作を始める前のそんなわくわくする期待と、少しの不安の気持ちをまるっと込めて「みなとせ はる」は生まれました。
現在、私は自作小説をnoteというプラットフォームを中心に投稿したり、kindleにて電子書籍出版をして活動をしています。
創作を始めた頃は、まさか自分が小説を書き続けることになるとは、思ってもいませんでした。
なぜなら、自分に自信がなく、書いたものに対してどう思われるかということが不安でたまらなかったのです。
しかし、初めてnoteに詩のようなものを投稿すると、優しい声をかけてくださる方が多く、自分の創作や表現を楽しんで輝いていらっしゃる方と多く出会うことができました。
私が、もう少し自分の内側を伝えてみたいと「小説を書いてみよう」と思えたのも、こういった皆さんと繋がれた幸運があったからだと思っています。
小説家
みなとせ はる
5.5 2022

2.私にとって「小説を書くこと」とは何か。
ところで、「小説を書く」とは、どういうことをいうのでしょう。
「小説を読む」というのは、「登場人物の経験を通して、読者が追体験するその世界に接触し、心を動かすこと」といったことを想像します。
そう考えると、「小説を書く」というのは、「読者にその体験をよりリアルに感じ、楽しんでもらえるよう、工夫を凝らして物語を届けること」なのかもしれません。
ただ、私にとって「小説を書くこと」は、少し意味合いが違う気がしています。
自分の表現として小説を書き始めてから、私にとって「書く」ということは、「幼い頃の無垢な心(感性)を迎えに行く行為」という感覚があります。
小説を書く過程では、物語の中の世界を伝えるため、現実世界にあるものをより深く観察して五感で感じようとします。
また、自分の中に存在する考えや価値観とも向き合うことになります。
その時の私は、「もっと色々なものを感じたい。
もっと自由な価値観でいたい」と、そんな内側からの声をいつも聞いている気がするのです。
小説の良いところは、物語にいくらでもファンタジーを織り込めることです。
物語を書き、それを誰かに読んでもらうことは、個人的な心の内側の暴露でもあって、作品を読んでくださる方の中には、みなとせはるは「こんな性格なのかな」とか、「こんな考えの人なのか」とか、見透かしている方もいるかもしれません。
私は、それが時々とても恥ずかしく感じるのですが、「何を書こうと、小説はあくまでもフィクションでファンタジーで自由な世界だ」ということが、作品を公開する際に私に勇気をくれます。
エッセイを書くことが苦手なのは、こういう性格にあるのかもしれませんね(笑)。

3.私が書き続ける理由。
こうして、自分の内側と向き合いながら書いている私の小説ですが、「書き続ける理由は何か」ということを、最近よく考えます。
いくつか理由はありますが、やはり一番大きいのは、読んでくださる方がいてくれて、応援の声をいただけること。
自分の書いているものに迷っている時も、自信がなくなりそうな時も、「読みました」「応援しています」と言葉をいただくと、「まだ描きたいことがあるはずだ。がんばろう」と、とても励まされます。
皆さんに感謝を込めて、新たな物語を届けたい!と、前を向くことができるのです。
二つ目は、物語の中の人物たちが、私の中で生きているということ。
まだ文章に表していない先へ、登場人物たちが勝手に動き出すことがあります。
私の小説は、基本的に優しい人物が多いのですが、良い人や正しい人かに関わりなく、不器用な子どもたちもとても愛おしくて。
物語の最後まで辿り着いてほしいと思うと、いつの間にか、「続きを書こう」とパソコンに向かっています。
小説を書いていると、前向きになれることばかりではなく、他の方の作品でとても上手い文章や心動かされる素晴らしい物語に出会うと、「私はこのままでいいのか」と考えることもありました。
しかし、小説を始めとする、詩、音楽、写真、絵画等々、他の方の作品に私が触れてきて思うのは、「それが上手いか下手かではなく、その人しかもっていない感性、経験、考えなどに触れているから、私は感動しているんだ」ということです。
商業用の作品となるとまた違うのかもしれませんが、個人の自由な表現において大事なこと、人が心動かされるきっかけは、「そこ」にあるのではないでしょうか。
私たち一人一人が唯一無二の存在で、そこから生み出される作品は誰かの心だからこそ、その視点や感覚に触れた時、私たちは新しい発見をし、時に共感し、共鳴する。それは全て自分の刺激や癒しとなり、誰かの世界を知ることで新しい自分と出会うことにも繋がります。
私が書き続ける理由は様々ですが、結局のところ、私は小説を書くことで「私」を伝えたいのかもしれません。
先に述べた理由を別の視点から捉えると、読者の方が、物語の中に隠した「私」を見てくれたかもしれないことが嬉しくて、まだまだ言いたいことがあるから、登場人物たちが心の中で動いているのかもしれませんね。

「天の川を探して」イラスト:ミムコ
小説を書き始めて、もう少しで二年。
色々な私を物語に隠して表現してきたけれど、今は過去の失敗や辛かったこと、やり遂げられなかったことも含め、色々な体験をしてきた「私」という存在をかけがえのないものに感じます。
これから先、「もっと素敵な物語を届けたい」という想いと同時に現れるのは、「自分の内側を表現してみたい」、「文章や小説や書いてみたい」、そう思う人たちの背中を押すことのできる存在になりたいという気持ちです。
心はもっと自由になっていいんだよ、そう伝えられる物書きであり続けたいと思っています。

text and photo - Haru MInatose

小説家
みなとせ はる
2020年秋より、短編小説を中心に創作を始める。活動の中心は、noteやモノガタリー・ドット・コム等での小説作品の投稿、および、小説作品の電子書籍出版。モノガタリー・ドット・コムと『ものがたり珈琲』のコラボ企画コンテストにて、短編小説『モーニングコーヒー』が審査員特別賞(優秀賞)を受賞。Kindle電子書籍にて、小説『メトロノーム』、『電車とリボン』発売中。

#22
April 2022

PEOPLE
STAY SALTY ...... people here
As the presence that brews the message
4.5 2022
メッセージを醸す存在として
ieniiru
オルタナティブスクール教員/絵画療法士
ずっと憧れだった"シュタイナー教育"の現場を知りたくて、半年間だけ保育園に勤めさせてもらったことがありました。
当時のわたしは、シュタイナー学校の教員になることを目指していましたが、同時に、女性としてのライフプランも気になる年頃でした。
はたして、献身的に働くことが当たり前のこの業界で生きていくことはできるのか。
その可能性を探ってみたかったのです。
半年の契約期間を終えて退職するとき、園長先生からいただいた次のような言葉が心に残りました。
「あなたの素話はすごく良かった。長いお話をきちんと覚えて、きれいに語ってくださいましたね。」
「あなたが語ってきたお話は、誰にも奪われないものだから、これからも大切にしてください。」
二十年以上現場を守ってきた方からのお言葉はとてもありがたく、今も尚、わたしを励まし続けるものの一つとなっています。

あれから何年も経った今、教員の夢が叶って、丸三年になりました。
そして、つい先日のことです。
かつての園長先生の言葉に触発されて、パートナーにこんなことを言う自分がいました。
「あなたには、人に盗まれにくい力がある。それってすごいこと。」
国際的な学びと働きを実現する英語力。
まだ日本に浸透していない演劇メソッドを講師として表現・提供する力。
ちょっとやそっとでは人に追いつかれない特徴的なスキルが、彼には二つもありました。
留学に行って、資格を取って、そこで歩みが止まってしまう人も多いというのに。
毎日こつこつ、誇張ではなく一日もサボらずに、語学の勉強や稽古に励んでいました。
それも、ただじゃない年数をかけて。
取り組みが新しすぎて受け入れてもらえなかったり、ワークを盗まれたり、利用されたりすることもあるようです。
それでも、自分だけは「未来に必要とされる、大事なことをしている」と信じているようでした。
そんな彼の歯痒さや孤独感が、ふいに押し寄せてきたのです。
周囲の反対を押し切って、退職したばかりの自分と重なり、どうしても伝えたくなりました。
「本当の意味で盗まれることはないから、自信を持ってほしい。」

では、わたしにとっての「人に盗まれない力」とは何でしょうか。
自慢じゃないけれど、彼のように、人に説明のつくわかりやすいスキルを一つも持っていません。
教員を続けられたのも、たったの三年ぽっち。
でも、その問いかけから素直に出てきたのは、まさにこのことでした。
”他の誰にも盗むことができない、本当にその人に属する力を育むこと”
知的な情報のインプットでもなく、魔法のような変化をもたらすことでもなく。
誰も代わりにはやってあげられない、その人ならではの「する」を助けること。
自分は自分の在り方を整えることで、そのメッセージをこつこつ醸し続けること。
どんな職業であっても、どんなに素朴な場面であっても、とにかく、そうありたいと願ってきました。
口で言うのは簡単で、言えば言うほどやったつもりになれるところもあります。
でも、子どもが相手なら尚のこと、ことばよりも身体の発するメッセージの純粋さが肝心です。
だからこそ、
「わたしは真実を生きられているか」
いつも自分に問いかけ、その答えを生きようと試みてきた気がします。
たくさん道を間違えながら、ときには痛みをもたらしながら。
この営みには、やり終えるということがありません。
しかも、人に正しさを証明してもらうこともできません。
その確かささえ、自分自身に問うしかないのです。
この孤独で密かな道のりこそ、”人に盗まれることのない、わたしに属する力”と言えるのではないでしょうか。


もう少し具体的に、これまでとこれからのことを。
ずっとやりたかった仕事(オルタナティブスクールでクラス担任)に就いて三年。
この仕事のおかげで、子どもたちと宝物のような時間を過ごすことができましたし、noteにその取り組みを書くことで、たくさんの方に知ってもらうことができました。
しかし、この春、それらの恩恵を全て手放すことにしました。
「大好きなこの場所を次の世代に残すには」と考えたとき、矛盾しているようだけれど、このままの働き方では未来がないと判断したためです。
寂しい気持ちは山々ですが、大切だからこそ、離れることに決めました。
公的な補助を受けていない、小規模なオルタナティブスクールの運営(特に経済面)には、やはり厳しいものがあります。
どうしても、成り手を少なくしてしまう現状があり、次世代教員の育成も追いついていません。
わたしは現場に入ってたったの三年ですが、同世代の少なさや処遇の問題がずっと気がかりでした。
個人的な努力だけではとうてい解決できないことを実感し、次のステップとして、その”当たり前”を変えることに注力してみたくなりました。
そもそも、教育に関心のないわたしが教員の仕事にたどり着いたのはなぜか。
「根本から変えたい」「未来をつくる仕事がしたい」という想いが強かったからです。
まずは、この課題の根本の根本である”自分自身"を整えることにします。
自分が最も大切にされる場所へ行き、自分自身という基盤をつくり、そこから未来につづく仕組みを考えていきます。
一ヶ月後、半年後、一年後。どこにいるかもわからない、自分の未来が楽しみです。
2022年3月21日、春分の日。

text and photo - ieniiru