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#33
October  2023
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PEOPLE

#49

STAY SALTY ...... people here

Welcome to the Theater

Momoko Nakamura

劇場へようこそ

ライター/構成作家

中村桃子

10.15 2023

その絵は3年半ぶりに公開されるらしい。

「中」の女たちと覗き込む者たちが描かれる。

中からの光と、覗く人々が持つ提灯の光、

人びとの表情はほぼ見えないが、

格子ごしの光と闇がその模様を浮かび上がらせる。

描いたのは葛飾応為(おうい)、北斎の娘だ。

テレビドラマやアニメ映画でも取り上げられたことでご存じの方も多いだろう。

父と同じく絵を描くことに生涯を捧げた彼女は、謎多き人でもある。

父の手伝いや代作なども手掛けた。

父より美人画が巧いと言われたというエピソードも残っている。

しかし作品は世界で10数点しか残されていない。

代表作と言われているものが、かの絵である。

近くて遠く、遠くて近い、中と外、人と人、光と影。舞台と客席、いや、皆舞台。

応為を知ったのは『百日紅(さるすべり)』という漫画だ。

先程のアニメ映画の原作である。

若い応為ことお栄と鉄蔵こと父・北斎、

その家に居候している(という設定の)若き日の善次郎こと渓斎英泉らが

江戸の下町で、人びとや、人ならぬものたちとの不思議事と出会いながら、日々、描く。

それはむかしむかしの時代のこと、

なのに、なぜか今そこに居る・在る人やもののよう。

生や性、死、人と、妖。生き生きと、

でも淡々と描かれるさまがなぜだか不思議と気持ちいい。

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初めて読んだのは、中学生か高校生の頃だ。

当時NHKで『コメディーお江戸でござる』という番組が放送されていた。

芝居小屋を模したセットでの公開収録。

座長を中心とした一座が笑いと情の喜劇を演じる。

芝居が終わると、ゲスト演歌歌手の歌のステージの後、

先程の喜劇にまつわるお話と江戸豆知識コーナーがある。

このコーナーで毎回興味深い話をにこにこと聞かせてくれたのが、

漫画家であり江戸風俗研究家・文筆家の杉浦日向子、先の原作者だ。

「江戸は遠い時代や世界じゃなく、そこにあるものですよ。ようこそ」

導かれるようにして、彼女の漫画やエッセイを手に取った。

粋や情を感じるには、中学生~高校生には、早かったと思う。

でも、彼女の「うつくしく、やさしく、おろかなり」という人間観に惹かれた。

絵や文から伝わる生き生きとした皆と〝この瞬間〟にわくわくした。

『百日紅』の主人公・応為、いや、お栄ちゃんや北斎は、わたし自身とそのまわりのようになり、今に至る。

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劇場という空間に魅了されてきた。「書くこと」と「劇場(舞台)」(と、本)があった。

 

人生「初」の劇場体験は、小学生の頃。

学校から連れていかれた劇団四季の子供ミュージカルだ。

クライマックスで、善と悪、ふたつの歌が交錯する。

「人の心から光を奪え」という悪に対し、「心のぬくもり」で対抗するヒロインたちの歌合戦にドキドキとした。

物語が目の前で人によって具現化されること。

大きな劇場でその熱と力をたくさんの人と感じる一体感。

「沼」にハマってゆく。

小6の夏休み、テレビの劇場中継で観た『スーパー歌舞伎・八犬伝』と『ヤマトタケル』にも衝撃を受けた。

古典なのに、俗で、ぎらぎらで、物語の魂が迫ってくる、人が宙を翔ける。

劇場に行けないので図書館と本屋が頼りだ。

写真集、戯曲、古典芸能の棚を読み切っても、演劇書や、小劇場雑誌がある。

隅から隅まで読み、あちこちの劇場や公演に想いを馳せた。

その中からなんだか「びびっと」来て選び、観に行った劇団☆新感線は、

今思うとちょうどメジャー街道を駆け上がっていた頃で勢いがあった。

バイト代やお年玉を使ってがんばっても高校生が1公演で観られるのは1回。

だから一回で台詞を覚える。歌と踊りと台詞を脳内で何度も再演する。

演劇雑誌を通じて文通出来る演劇仲間を探す。綴り、語り合う。ビデオをもらう。

今はSNSで行われているようなことをリアルでやっていた。

かの劇団の役者と知り合い、

彼が音楽スタジオでやっていた個人レッスンにも通うようになった。

「「あ」の音は「あ」の口からしか出ないんだよ?!」「えーっ」

言葉と音の授業は書くことにも影響を与えた気がする。

演劇部でもなかったのに、神戸市の高校演劇に出演したり、

高校で講堂を乗っ取って広く客を呼ぶゲリラ卒業公演を行ったりした。

大学4年間も、舞台を観、つくった。

元新聞記者でエッセイストの下で学びながら、学生演劇。

体育会系か応援団のような劇団で役者・制作・演出を担当した。

怪我をしても病んでも舞台をやった。

自身最後の公演で演出の参考にと訪れたのが、旅芝居・大衆演劇の芝居小屋だった。

縁あって師事した関西喜劇の創始者である某喜劇作家の元で書いていた台本の参考にもしたかった。

生、性と生がぎらぎらに滲む劇場の、生きて行くことそのことそのものの舞台世界。圧倒的な熱と力に魅了された。芝居小屋と人の渦に巻き込まれ、好きや嫌いを通り越し、かかわることとなる。

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なぜ、舞台なのか。劇場なのか。魅了されてきたのか。

ほんとうにシンプルなのだが、「目の前のあなたへ、あなたと」だからじゃないかと思う。

舞台から、目の前の観客へ。物語を、気持ちを、届ける。

客席のたくさんの観客たちは受け取り、笑ったり、泣いたりする。

その熱と気が舞台に届く。舞台上の役者や演者も受け取って、また、返す。

例え同じストーリーや構成を演じていても、一度として「同じもの」はない。

舞台と客席がつくりだす、今、その空間と空気、「生」のそれ。

 

6年前、ストリップ劇場へ行った。

初ではない。20代の頃、今はもうない劇場に何度か足を運んだりもしていたが、

でもそこまでハマることはなかった。

しかし、すこし歳を重ね、観て、あの頃とは違う感覚になった。

これまでに観てきたどんな舞台よりも〝人間〟を感じた。

当時と違い身近なものとなったSNSであれこれと調べ、ひとりの踊り子を知る。

エアリアルという空中演技の第一人者である踊り子だ。

どうしても観てみたくなり、足を運んだ。

劇場の扉をあけると、まさに、空中での演技が行われていた。

数ある中でも特に「高さ(天井や奥行きなど)がある」と言われる劇場のひとつで、

彼女は、シルクまたはティシューと呼ばれる布を身体に巻き付け、

回転したり、次々にポーズを決めていた。圧倒された。圧倒されたとしか、言えない。

すこし落ち着いた気持ちで観た次の「作品」のモチーフとされていたのは「愛と自由」を求める人びとを描いた古典作品だった。

なんだこれは。原作のテーマを、セリフや言葉ではなく、体で、体ひとつで、伝えていると感じた。もう一度言う。体ひとつで。

今思うと、モチーフとされていた作品のイメージもあるかもしれない、大きかったかもしれない。でも、それだけじゃない。

なぜなら、今も、今でも、どの作品にも、毎回新鮮な気持ちと共に感じるから。

なぜだろう。彼女の舞台に、わたしは、「一緒に連れて行ってくれる」ような気がした・する。

どこへ? なにを? なんで?

わからないけれど、なんだかとても。

舞台の上は彼女ひとり。でも、なんと言うといいのだろう。

客席にいるいろんな皆の、わたしたちの想いや人生を背負って、乗せて、

飛んでいるように、宙を泳いでいるような。

なぜそう思ったのかもわからない。だいいち人生なんて、オーバーだ。でも使いたい。

誰もがしんどい時代、しんどい日々、舞台の上の人も、客席の我々も。

そんな中、皆の気持ちを乗せて。

なんて重たく、なんてしんどい。なのに、鮮やかなほど。

女神でも天使でも天女でもなく、ひとりの人間なのに。人間だから。

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劇場って、なんやろ。

人間って、なんや、なんなんやろうな。

素敵やな。また漠然とした言葉だ。でも素敵や。

そう信じたいような、信じられるような、うん、素敵やねん、って。

 

彼女の舞台を通して、

劇場という場所に集う人びとと出会って、

より「人間」を考えるようになった。

これまで以上にさまざまな人と出会うようになった。

 

1人じゃない。いろんな人が居る。

1人が好きなときもある。

でも1人じゃ生きてはいけない。

皆それぞれに何かを抱えていたり背負っていたりして。

その荷物を他人が代わりに持つことはたぶん出来ない。けれど、だから。

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考えるようになった。

 

すべてのひとが、自由に、平等に、生きる権利がある。そう生きるには?

答えは出ない。すぐに出せない。ずっと出ない?

でもそれでも。だからそれでも。

考えること、接すること、みてみぬふりをしないこと、知ること知ろうとすること。

 

演じられる物語の中の、演じる舞台の上の、それを観る客席の、いろんな顔。

怒っている人、泣いている人。肚で泣いている人。涙をみせない人。演じている人。

役をもらえる人、もらえない人。いや、皆、何かの役だ。

いろんな、いろんな、立場、考え方、趣味嗜好。

北風と太陽、月と太陽、「目の前のあなた」。

関わってきた人びと、すれ違ってきた人びと、これから出会う人びと。

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思うようになった。

だから、他者への〝RESPECT(尊重)〟って、きっと大事なんやろうな、って。

想像力を持って、つまり相手へ(そして自分へ)の尊重や尊敬の気持ちを持って、

自分の役を大事にしながら、この社会や世界という劇場で。

勿論、自分という軸は必要だ。過度な共感や寄り添いで流されないためにも。

その上で、「あってはならないこと」「許してはならないこと」を共に変えたり、変わったりしてゆくためにも、目の前のあなたに、目の前のあなたのことを。

そうして1歩や1ミリでも進める・進むこともあるんやないかなあ。

 

ずっと、インターネット上のBlog(今はnoteに移行)を書いてきた。

大学卒業後、「書きたいことを書きながら精進する筋トレと顔見世」の気持ちで始めた。

舞台の感想、旅芝居の「読み物」を書きたいと思って始めたのも大きい。

芝居小屋も併設した劇場型フードテーマパークでのアルバイトを経て、

ラジオの現場で働き、制作会社に入社した後、フリーとなった。

ミニコミ誌での取材記者、旅芝居専門誌のライター、ラジオ番組の構成。

さまざまな「書く」や「舞台」にかかわる仕事をしてきて今に至る。

ずっと書いてきたこのBlog名を、フリーとなってから、今も、使っている。

苗字も名前もそう珍しいものじゃないし、敢えて言うなら屋号だろうか、とは、後付けだ。

本名の一部に、ずっと好きでだいじで育てていただいてきた「劇場」や「舞台」に、花。

「人間って、皆、花。花みたいやない?」これも、こじつけ。

でも19年前に数秒で考えた名が、と、考えると、不思議な気持ちになる。

このウェブマガジンも、そのような縁、縁からの縁で、書かせていただくこととなった。

近くて遠く、遠くて近い、人と人、自分と他者、自分自身、光と影、だから、光。

応為の絵「吉原格子先之図(よしわらこうしさきのず)」は太田記念美術館にて11月に公開らしい。

わたしにはこの絵はまるで〝劇場〟のように見える。

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text and photo - Momoko Nakamura

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ライター/構成作家

中村桃子

大阪在住

関西大学社会学部マスコミ学専攻卒

学生劇団「学園座」演出・役者OG

喜劇作家・檀上茂氏に師事

「大阪シナリオ学校 演芸台本科」卒

ラジオ番組ADから大阪の制作会社勤務を経てフリーのライターとして活動

 

ストリップ劇場と旅芝居の芝居小屋と酒場に通い、とある書籍化に向けた原稿企画2本に取り組む日々。

ウェブマガジン「tabistory」にて酒場の話と誰かにとってのHomeの話、2種類を連載中。note「桃花舞台」も(ほぼ)1日1note、1日1エッセイ更新中。

 

東京・湯島の「Bookstore & Gallery 出発点」で5月から2箱「本屋・桃花舞台」をスタート。

SNS以外に、SNSを超えての〝繋がりの場所〟を、と、おすすめ本と、フリーペーパー、置いています。

  • note-newlogo-20221220-1
  • Twitter
  • Instagram

過去の仕事など詳しいプロフィールは

https://momohanabutai1122.seesaa.net/article/202011article_1.html

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#32
August  2023
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PEOPLE

#48

STAY SALTY ...... people here

The Ocean and

Books

海と本

海と本 店主

鎌田啓佑

8.5 2023

「なんで本屋を始めたの?」と聞かれると、いつも何から話し始めたら良いか迷う。
自分自身もはっきりとした答えを持ち合わせていないというのが正直なところなのかもしれない。
本屋というものに元々憧れはあって、いつかやってみたいという気持ちは漠然とあった。
ただ、覚悟が定まったのは、やはり他界した弟の存在が大きいと思う。

Keisuke Kamata
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僕ら兄弟は、年子ということもあり、兄・弟というよりは、小さい頃からお互いを意識し合うライバルに近い関係だった。
遊びに喧嘩にと、何かと競い合ったが、特にファミコンは弟の得意分野で、こちらは悔しい思いをした記憶しかない。
最初は年長である僕に分があり、負けると大泣きをする。

すると、しぶとく練習を重ねて、最終的には僕が負かされてしまう。

子供ながらにしつこさには驚かされた。

負けん気と集中力は勝てる気がしなかった。
 
僕よりも遥かに勉強ができた弟は慶応大学のSFCで学び、卒業後は兼ねてから憧れていた庭師になる。
古川三盛さんという作庭家の元で8年の修行を積んだ後、「庭づくり かま田」の屋号で独立。
主に奈良・京都周辺の私邸や店舗、寺院等の庭の設計・手入れなどをしていた。
癌に倒れるのは独立して5年後の36歳の時。

半年の闘病の後、一足先にこの世を去ることになった。

住むところにこだわらない人間で、卒業してしばらくは、風呂がベランダについているという珍しい作り(風呂なしのアパートに無理やり風呂をつけたため)の、控えめに言っても幽霊屋敷のようなオンボロアパートに住んでいた。
 
庭師として独立してからも、古い木造アパートにひとり住まい。
ただ、部屋はきちんと整理され、食器や衣服には彼なりのこだわりがあった。
素朴で質素だが、美徳に溢れる暮らしだった。

 

弟の死後、部屋の片付けを終えて、最後に残ったのは本棚だった。
そこには子どもの頃に読んだ手塚治虫などのマンガから、庭師になってから学んだであろうアントニン・レーモンド、磯崎新などの建築の本、彼が大好きだった保坂和志、勇気づけられたであろう岡本太郎、少し背伸びをして読んだはずの小林秀雄など、ほぼ一生分の本が並んでいた。
その一冊一冊から、育んできた彼らしさのようなものを感じ、僕には何だか本棚が弟そのものように見えてきた。
結局、本は一冊も捨てることができず、弟の一番仲が良く公私共にお世話になっていた庭師仲間の一人が丸ごと引き取ってくれることとなった。
 
本棚を見て、生き方そのもので大きく負け越してるなあという思い。

本というものの人生における影響の大きさ。

そして、人生には限りがあるという現実。
それらが本屋に向かう大きな原動力になった。
弟にとって、庭をつくるということは、学びであり、遊びであり、生き方そのものだったと思う。
庭づくりのために、人と会い、本を読み、教養を深めていた。

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自分はWebデザインを仕事としていて、それなりに好きなことだが、やはり弟の庭へのそれとは違っていた。
本屋であれば少しは弟の生き方に近づけるんじゃないかと思った。
本好きだった弟も「いいじゃん」と言ってくれそうだ。
 
それに、独立してからは、お互いに(特に僕が)いつか一緒に仕事がしたいと思っていた。
本屋という形であれば、弟も一緒にやってくれるんじゃないかという思いもあった。
 

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それから、僕なりに本屋を開業するための勉強を始める。
手始めに個性的な小さな書店に関する本を何冊か読んでみた。

一冊だけを売るギャラリー型のお店であったり、カフェと併設されたお店だったり、古本と新刊の両方を置くお店だったり。

さまざまな形態の本屋があり、どれも面白い。
 
自分にできる本屋って、どういうものかを考えたとき、普通の本屋さんはできないと思った。
いわゆる町の本屋さんになるには、かなりの書籍数とそれを置けるスペースが必要で、そもそも予算がない。
それであれば、偏ってはいても、自分の得意なジャンルで、他とは一味違った、面白いお店をつくるのが良さそうに思った。
 
僕はそれなりに写真が好きで、アートも好きだったが、それに特化できるほどの知識も経験もなかった。
長く続けてきていて、他の人よりも詳しいといえることは、サーフィンとその周辺のカルチャーくらいしかない。
 
サーフィンと写真・アートという軸が交わる領域はすぐに頭に浮かんだ。

僕の中で、教養や文化度の高いと思う人たちには、なぜかサーフィンは不評であるという意識がある。

「ふーんサーフィンね…。」という顔をされる。

オリンピック競技にもなり、スポーツ的側面ではかなり認められてきていると思うが、文化的な深みについては、まだまだ理解されていないように思う。

20代の頃、僕はサーファーのための波情報を提供する会社にいた。

携帯で現在の波のサイズやコンディションが分かるというもので、僕は七里ヶ浜から湯河原までバイクで走り、その波の情報を伝えるという仕事をしていた。
毎日、サーフィンができて最高だったし、必要な人に情報を届けるという、その仕事自体に誇りを持っていた。
 
その当時、サーファーには「マナーが悪い」、「ロン毛で茶髪にピアス」、「不良のやるスポーツ」というステロタイプ化されたイメージがあり、また実際にそのような人もいたし、もちろん外見は自由ではあるのだが、そのせいで嫌な思いもたくさんした。
 
友人のお母さんに「海人間にはなるな」と言われたことがある。

その言葉には「サーフィンばっかりやっているとろくな人間にならないよ」という示唆が含まれており、結構なショックを受けた。

そういうふうに見る人は一部だとしても、今でも確実に一定の割合で存在する。

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僕はその層に届くことをしたいと思う。

そのためにはサーフィンのスポーツ的側面だけではなく、文化的側面が伝わっていくことが必要だろう。

またサーフショップのような「サーフィンをしたい」という気持ちがある人が訪れる場所ではなく、アートに興味がある、教養を深めたいという人が、たまたまサーフィンやその周辺のカルチャーに触れて、「お、ちょっと、いいかも。」と思ってくれる場所というのがあると良いと思う。

サーファーとそうではない人たちの汽水域のような場所というのがイメージだ。

地域や社会の中に、もっと当たり前にサーフィンやビーチカルチャーがあり、それが良い形で地域や社会へと還流されているというのが理想だと思っている。


一方で、サーファーがアートや文化への興味や教養を深めていく場所も不足しているように思う。

サーフィンというアクティビティ自体も十分楽しいし学びも多いのだが、その文化的深みを知っていくことは、その楽しみや学びを大きく広げてくれる。

そして、またそれが、そこから派生するサーフィンと関わりのないアート、文化、教養と出会っていくきっかけになると嬉しいし、そういうサーファーが増えることで、社会の中でサーファーの果たす役割や信頼感もより大きくなってくるはずだ。

そうした試行錯誤のあと(そして今もその最中だが…)、僕は昨年8月に「Books&Gallery 海と本」をスタートした。

コンセプトは海と本が好きな人のための場所。

サーフィンの深い部分に触れてほしいし、理解してほしいという思いはあるが、押し付けがましい場所にはしたくない。

サーフィンを含めた、海と接する広い文化や世界に触れることができる場所を目指し、あえてサーフィンやビーチカルチャーという言葉は店名からは外した。

海と本が好きな人なら誰でも、ふらっと気楽に入れる場所。

そして、自分の世界を広げてくれる一冊に出会える、そんな店でありたいと思っている。

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…と、ここまでが、僕がお店を立ち上げるまでの話だが、それからギャラリーをスタートするまでにはややあり、その経緯も少し書き添えたいと思う。

 

店名に“Books&Gallery”とあるように、当初、海と本は本屋兼ギャラリーとして運営するイメージだった。

ギャラリーを併設することにしたのは、継続的な経営を考えると、どうしても本屋一本では難しいと考えたこと。

そして、アートや文化を楽しむ・学ぶという意味では、本屋とギャラリーは、とても近い位置にある。

本と一緒に、海と関連するアート作品も見られるようになれば、作家さんとの交流も生まれて、より楽しく魅力的な場所になると思えたからだ。

 

とはいえ、本屋のことも全くわかっていない僕にとって、本屋を経営するだけでも精一杯で、ギャラリーをスタートすることはなかなかできずにいた。

 

そんな折、アートディレクター白谷敏夫さんがふらっとお店に現れた。

白谷さんは僕が大好きな写真集やアートブックを多数手掛けている方で、それこそ僕にとっては伝説の中の人だった。

それだけでも信じられないことだが、白谷さんがあまりにも気さくに話してくださるので、「ギャラリーもやりたいと思っているが手がつけられていない」ことや、「いつか芝田さんの展示会も…」なんてことを、ボソボソと相談した。

白谷さんから「じゃあ今やろうよ」というとんでもない提案を頂き、あれよあれよという間に、今回の「芝田満之 Summer Bohemians 1984 展」へと結びつくことになる。

 

実現に向けて軽快にかつ力強く導いてくれた白谷さんと、こんな小さく頼りないギャラリーでの展示を快く引き受けてくれた芝田さんには、本当に感謝の言葉もありません。

 

「芝田満之 Summer Bohemians 1984 展」、8月27日(日)まで絶賛開催中。

ぜひ皆さまにご来場頂ければ嬉しいです。

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海と本 店主

鎌田啓佑

中学・高校時代を鎌倉で過ごし、現在は藤沢市鵠沼在住。

サーフィン誌でアルバイトをしていた学生時代に、DTPに憧れてデザインを独学で始める。

サーファー向け波情報会社で気象予報士として勤務後、Web制作会社でのデザイナー職を経て独立。

2022年8月「Books&Gallery 海と本」をスタート。

  • Instagram

「Books & Gallery 海と本」よりお知らせ

芝田満之 Summer Bohemians 1984 展
2023/7/16 sun. - 8/27 sun.

 

アートディレクター白谷敏夫が新たに刊行する、芝田満之のZINE「Summer Bohemians 1984」の発売を記念した展覧会。当時サーフィンカメラマンとして独自のセンスとスタイルを展開していた芝田は、多大な影響を受けた大野薫のビーチサイド・コラムを綴った”Snaps”(2005 年刊 マリン企画)の表紙に青く染まったビーチのスナップを提供。サーファー大野の世界を一枚の写真で表現しきった印象深いその青い写真は、写真集”Summer Bohemians”(Bueno! Books)にも収められ、その夢見心地の青い写真の数々はサーファーだけでなく海外を含めた多くの人を魅了し、芝田を語る上で重要な写真集となった。

芝田がその当時の 80 年代に撮りためた青の写真で編まれた作品集と本展覧会。

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#31
June  2023
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PEOPLE

#47

STAY SALTY ...... people here

Finding universal values that are common to all world

Yuki Miyakawa

どの世界でも共通する、普遍的な価値を見つけたい

フリーライター/海外添乗員

美矢川ゆき

6.10 2023

私は1999年から現在に至るまで、1年のほとんどを世界各地で過ごしている。

 

海外旅行デビューは遅く、20代になってからだ。

新入社員で入ったデザイン事務所で3ヶ月ほど経ったある日、私は辞表届を出した。

ダラダラと残業し、「忙しい」「疲れた」と言いながらも、毎日飲み会。

そんな謎多き社会人生活に、イライラしていた。

そして「この会社は無駄が多すぎる」と言って辞表届を提出。

すると社長が「2週間休みをあげるから、旅行でもしてゆっくりしてきなさい」と言ってくれ、私は友人が留学していたスペインへ飛んだ。

それが私の初海外となった。

異文化に触れ、自分を肯定する

片手に小さなボストンバッグ、もう片方の手には友人から頼まれた日本酒を抱えてバルセロナに到着。

私の驚くほど小さなカバンを見て「温泉旅行じゃないんだから」と友人は笑った。

 

初めての異国。

ガウディの独特な建築や、大道芸、人々の生活、スペイン料理など、心の栄養になったものはたくさん。

でも私が一番胸を打たれたのは、忘れもしない。

バルセロナの旧市街のグラシア通りで、赤信号なのに横断歩道を渡る人々の姿だ。

 

そこに信号が変わるのを待つ人はいない。

赤でも青でも車が来なければ、堂々と道を渡る姿は衝撃だった。

なぜなら、私が日本でやろうとして怒られていたことが、この国では当たり前だったからだ。

いや、むしろ逆。

車がいないのに、青になるのをボーっと待っていたら、ちょっと頭が弱いと思われるのだ。

 

その時に思った。

 

もし私がスペインに生まれていたら、信号を無視しようとするたびに怒られることもなかっただろう。

そして「ああ私って本当にダメなんだな」というモヤモヤした罪悪感を抱くこともなかったはず。

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もし価値観が流動的なものだとしたら、普遍的なものってなんだろう

 

私は、どんな国でも通用する普遍的なものを見つけたい、と心から思った。

国や性別を超えて、普遍的に流れるものを探し出すことが、自分の人生の目的だと思った。

何ごとにも「物事の核を知ろう」「本当に大切なことを掬い出そう」とするマインドは、この時に強まったように思う。

 

スペインでは、小さなカバンに入りきらないほどのお土産を買った。

友人から譲り受けた「おーい北海道」と書かれたキタキツネ柄の麻袋にお土産を詰め込み、それをコロコロ転がして日本に帰国。

本当に温泉帰りのようだった。

そして会社に出社して頭を下げ、退職届を撤回してもらうよう懇願。

2週間で5キロ太った私の顔を見て「楽しかったんだねえ」とみんな笑った。

 

私はスペインで、恩師に絵葉書も書いていた。

「初めてバルセロナに来て、自分の生まれ故郷を思い出し、懐かしくなりました」

 

日本に帰国してしばらくすると、恩師から返事がきた。

「ヨーロッパの景色に感動したのかと思ったら、自分の故郷に思いを馳せるとはおもしろい感覚だね」

 

当時、私は東京で暮らしていた。

実は、碁盤の目状になっているバルセロナの新市街が、自分の生まれ育った札幌に似ている、と言う意味で絵葉書にそう綴ったのだった。

でも恩師からの返信を見て「私は今回の旅で、自分の心の中にある故郷に帰ったのかもな」と思った。

 

その後少し経ち、2度目の旅は妹とのふたり旅。

フランス、ベルギー、オランダを列車で周った。

私は、その時にオランダで驚愕した。

女性の平均身長が170cm以上のその国は、身長が175cmの私にとって、全てが普通サイズなのだ。

人生初めての経験だった。

それまで日本では、自分サイズのかわいい服や靴を見つけることが難しく、自分を異質なものに感じていた。

いつも身を縮こませていた。

でももし、私が日本ではなくオランダに生まれていたら。

きっとそんな感情は生まれなかったんだと思うと、不思議だった。

キツネにつままれたような気分で素敵な靴を3足買った。

ちなみにその旅行は、「オランダかベルギーに住む」と決めて出掛けた、私自身の下見旅行も兼ねていたのだった。

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決断すると、人生が動き出す

私は、公用語がないベルギーで「英語ができないと何も始らない」と痛感した。

ちょうど仕事でも、英語のデザインが増えていたことも重なり、これからの自分の人生のために、英語を勉強しようと決めた。

会社を退職し、オーストラリアへワーキングホリデーに行くことにしたのだ。

最後の出社日、上司のスーさんに「本当に辞めるなんてすごいなあ。これからは女性の方が自由に輝ける時代だね」と言われた。

その時プレゼントしていただいた絵は、今も日本の自宅に飾ってある。

25歳の春だった。

 

人生とは不思議なもので、決めた方向が合っていようとなかろうと、一度決断すると人生が動き出す。

私は、オランダへの移住は叶わなかったものの、オーストラリアへ旅立った1999年から現在までずっと、1年のほとんどを海外で過ごすこととなった。

 

私はオーストラリアでの生活を機に、デザインの仕事から旅行業へと職業を変えた。

そしてコロナが世界を圧巻するまでの18年間、海外添乗員として働いた。

さまざまな旅行会社に派遣され、1万人以上のお客さまを世界各地にご案内。

担当エリアは決まっておらず、世界中を股にかけてどこへでも。

そして自分の束の間の休暇もイソイソと自分の旅へ。

そんなわけで、1ヶ月のうちに1週間ほどしか家に帰らない生活を18年間続けたのだ。

バックパッカーから、キャンプ、ラグジュアリーな旅、バス旅行、列車の旅、クルーズ客船などさまざまな旅の形を経験。

同じ旅先でも、その時のメンバーで見える景色が変わり、同じ日程でも異なる体験が生まれる。

自分の天職に巡り逢えたと思い、充実した日々を送っていたが、次第に「落ち着いて自分の時間を大切にした生活をしたい」と思うようになった。

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フランスと日本の2拠点生活から、ゆっくりとフランス在住へ移行

あるとき、フランス人と恋に落ちた。

それがきっかけで、私は2018年からフランスに住んでいる。

初めは日本とフランスの2拠点生活という暮らし方で、1年の半分をフランス、半分を日本ベースで、お客さまと旅する仕事を続けていた。

 

2020年からのパンデミックを機に、生活スタイルや価値観が変わった人も多いと思うが、私もその一人。

コロナを機に、2拠点ではなく、フランスを拠点にする決意をした。

突然国の行き来が絶たれ、決意せざるを得なかったのだ。

 

2020年1月、その年は暖冬だったので冬のコートも持たずに、たった少しの荷物だけでパリに降り立った。

3ヶ月ほどの滞在予定が、そのまま2年半、日本に帰れなくなってしまった。

必然的に、海外添乗員としての仕事も失った。

 

今まで経験したことがないような、各国のざわついた対応をニュースで眺めながら、「少なくとも2年間は海外旅行は難しいだろう」と予測。

腹をくくった。

 

いずれにせよ、そろそろ人生を変えたいと思っていたのだ。

いつか人生を仕切り直す時には、2〜3年じっくり腰を据えて自分と向き合おうと、生活費を貯金し準備していた。

まさに、今がその時だった。

 

日常と断絶した、パリのアパルトマンでのコンフィヌモン(外出制限)。

人の行き来の少ないフランスで、自分を見つめ直した時間と孤独を、私は生涯忘れることはない。

人生は何があるかわからない。

いま現在は、フランス在住。

でも、もしかすると明日には、違う国に行くことにしているかもしれない。

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……さて、ここからは妄想。

私は宇宙旅行から旅行の仕事に復帰したいと思っている。

ロケットに乗れるように、密かに体力づくりをしつつ、ひょっとしたら時代が変わり、UFOでヒョイっと気軽に連れて行ってもらえるのでは?などと夢を膨らませている。

 

2022年からライターの仕事をスタートしたこともあり、「もしも異星人にインタビューすることになったら」なんてことを想像しながら、質問事項をまとめている。

でも例えば「普段何を食べていますか」という質問も、星によっては食べるという概念がないかもしれない。

「食べるとは?栄養とは?」ということを、異星人に説明しなければならない可能性がある。

そんな風に考えると、私が知りたい「普遍的な価値観」が宇宙大にまで広がっていくのを感じる。

多様性の拡大。

ますます「小さくまとまってはいけないな」と襟を正すのである。

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text and photo - Yuki Miyakawa

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フリーライター/海外添乗員

美矢川ゆき

札幌生まれ。フランス在住。

海外添乗員18年。1万人以上の方を世界各地にご案内。モットーは、自然、文化、風習、歴史など、土地と繋がる旅。料理(オーガニック/旬/地産地消)、海、植物、アートが好き。趣味は写真、散歩。学生時代は油絵を専攻。

Pen Onlineで執筆中。

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